ガウディ、ピカソ、ミロ、ダリ.......数多くの芸術家が生まれ愛された街、バルセロナ。フランコ独裁政権下でパリを始めとする海外の街へ放出した「アート」は、1975年、フランコ将軍の死去と独裁政権の終結を機に再びバルセロナへ戻ってきた。ピークは1992年、坂本龍一が指揮をつとめ、磯崎新がメインスタジアムを設計したバルセロナ・オリンピック。ガウディが築き上げた「街」が脚光浴びた。
そして、オリンピックが終わり、停滞したかに見えたバルセロナの熱は冷めていなかった。殊に「建築」において、この街は他にはない「歴史的」と「未来的」が融合した魅力に溢れる。当時の最新技術を駆使して装飾美にこだわったガウディ、Less
is more, more is lessの言葉通り、無駄を省いて合理主義を極めたミース・ファン・デル・ローエ。その2人の「歴史」から、進歩した「今」を生みだそうとした建築家集団が『メタポリス』(理想都市)。1990年代後半から2002年まで活動し、デジタルな情報社会にふさわしい都市の姿を模索した。そして、このメタポリスからウィリー・ミュラーやエンリク・ルイス・ヘリなどが「個」となって次のバルセロナを作りだしている。
1990年、バルセロナは大きく変わり、変えてはいけないモノの中に「変化」を融合させた。そして魅力を増した。ホップし、ステップした街の「ジャンプ」は、次の5年で必ずかいま見れる。
(『pen』より参照)