この日の企画展は、「柳宗悦の『直観』美を見いだす力」。ずらりと並べた作品には、タイトルも作者も(もちろん説明も)ない。ただ、並べられている「モノ」の前にたって、美を感じる。アイヌや琉球、土偶も混じった作品には、形と色と大きさがあって、どれも、とても深い。とてつもなく濃い。それらの前に立つと、「ああ、ええなぁ」と。何がいいのか、なぜいいのか、それは斯く斯く然々、だからいいのだという「訳」なんて不要の、直観。
直観について、柳宗悦は「直観とは文字が示唆する通り『直ちに観る』意味である」と述べる。そして「美しさへの理解にとっては、どうしてもこの直観が必要なのである。知識だけでは美しさの中核に触れることが出来ない。」
「見る」のと「観る」違いについて、見るのは目の動きで五感に属し、感覚のことであるが、観るのは感覚に終わらず、(強いて云えば)「内覚」又は「心覚」とでも云える、と。美に対して、「常に『知』るよりも前に『観』ねばならない」と。ここが最も肝心な点なのである、と。
そんな企画展なので、作品の前でぼんやり観て、「それが始めて」の対面であると自分を無にする。「仏教流に云えば、空に帰って、その空の場から見る時、直観の働きが現れるのである」。あの、ほら青いやつ、とか、朱と藍の玉になったもんぺ(みたいなやつ)が好きだな。という感想になる。ただそこにポンと置かれた(もしくは掛けられた)モノが、ぐっと自分の中に入ってきて、飲み込んで、心地良い、美。うまく言えないがそういう空間がそこにはあった。
日本民芸館という空間は特別だ。和の美の中に、朝鮮やヨーロッパも感じる、なんとも不思議なところ。この日、東京はしとしと雨が降る日だった。障子の向こうから聞こえてくる雨音。外の大きな壺には雨水がはねている。日々の中にある美、民芸。そんな毎日のモノをたいそうに飾ったりはしない。とてもよく磨かれた和の美。廊下、階段、作品を置く棚。ゆったりした時間がなんとも言えない。1936年に開設された本館の建物は登録無形文化財。陶器、染織、木漆工、絵画、金工、石工、編組など「美の生活化」を目指す民藝運動の本拠地、その企画者としての柳の審美眼によって選ばれたものが並ぶ。
そんな併設展。こちらには、作者や作品の最低限の説明がある。中国の景徳鎮や日本の伊万里、白磁、絞り染などが並び、濱田庄司の益子時代、その後に確立した自らの作風のものまで、近代陶芸の巨匠たる所以をみることができる。個人的には、河井寛次郎の作品のどれもに釘付けだった。あとは、ガラス作品の「色替唐草文六角三段重」は鎖国時代の長崎ものだったり、縄文時代の土偶「岩偶」もインパクトが強い。バーナード・リーチの「楽焼色絵蓋付壺」、芹沢_介の「丸文絞飾布」、そして棟方志功。
じっくり時間をかけて、丁寧に出汁をとって、素材の味を最大限に活かした美。それを体感できる空間と時間は有意義だった。
▼フライヤー裏面より
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日本民藝館 柳宗悦の「直観」
The Japan Filk Craft Museum
@日本民藝館(東京・駒場)
2019年2月6日(水)