Joan Miro
ミロ展 Joan Miro

@東京都美術館(東京)
2025年3月15日(土)

私はミロが好きだ。バルセロナの丘の上にあるミロ美術館に行ったのは、もうずいぶん昔の事になるが、あのオリンピックスタジアムを見て、そのまま歩いてミロ美術館に着いたときの高揚感を忘れることは出来ない。美術館の後に、スタジアムに行ったのかも知れないが。その当たりの詳細な記憶は無いが、1つひとつの作品のインパクトは濃厚に残っている。

色んな美術展で、単品としてミロに出会うことはあるが、これだけ大規模に、それも時代を追って様々なミロの遍歴を見られる展覧会は珍しい。東京で、それを目の当たりにできることの幸せを感じつつ、私は、桜もまだ咲いていない、だけど花見の準備は万端の上野公園を歩き、美術館へと入っていった。ピカソ、ダリと並ぶスペインの巨匠、ミロの世界へ。

まずは、若きミロの世界。
青と黄色とオレンジ、それだけで森を表現した「バイベルの森」、「モンロッチの風景」は、全体的にダークトーンの中で黄色や紫が印相的だ。静物画も多かったミロ。「ノール=シュド」は、そのまま描くのではない丸みを帯びる。このモンロッチの別荘にいた時代のミロは、確かにミロっぽくはないが、それでも、柔らかい色を大胆な構図で描くところが、他の画家と一線を画す。

「ヤシの木のある家」は細密に、草花を描き、まるで文様のようだ。後々、この時代の細密な描写が大胆な構図の中で生きてくることになる。そして、キュビズム。この時代の自画像と、晩年の自画像を見比べることが、ミロの全てかも知れない。「スペインの踊り子の肖像」はゾクッとするほどに絵力がある。

田園地帯のモンロッチから、前衛の都、パリへ。ミロがパリで出会った人、モノ、アート、空気感。それが、彼を昇華させる。ここからが、ザ・ミロ、というべき作品が続々と生まれる。「絵画(頭部とクモ)」は、この先、ミロが描く頭(顔)が印相的で、背景の絶妙な色合いが個人的には大好きだ。詩(ことば)と絵を組み合わせた多くの作品も、この展覧会では堪能出来る。中でも「絵画=詩(栗毛の彼女を愛する幸せ)」は、名作だ。背景のブラウンは、何十モノを色合いがあり、そこに分かりやすい光など感じない。その上の文字、そして黄色い○。白と淡く美しい水色が印象的な一枚だ。「絵画(喫煙する人の頭部)」は、ミロらしい、ちょっとクスッとなる作品。この辺りから、ミロの代名詞とも言えるブルーが、見られる。

そして、ついにミロだ、とハッとさせられる作品、「オランダの室内T」。音楽やカーニバルや、色んなシンボルが揺れ動き、踊るような構図と色合いが、何度見ても素晴らしい。

この展覧会で、個人的に一番好きな作品。「プロイセン王妃ルイーゼの肖像」。茶、黄、オレンジをこれでもかというほど濁らせ、黒の壁の対面に、スケルトンのような赤いドレスを着るシンボル。緑のスカートは、中央が黒くなっている。ここに、このシンボルを置く。この構図こそが、ミロをミロとした所以かと、しばらくぼんやりと眺めてしまう。これだけ情報の少ない一枚の絵から、こんなにも多くのことが頭をごちゃ混ぜにするのか、と。

ミロを語る上で、スペイン内戦と、その逃亡の時代を外すことは出来ない。コラージュやドローイングの様々な手法を使って、しかしとてもトーンの暗い作品が続く。ミロがそれまでを捨て、新たに目指したモノ。だけど、そこには、確実にこれまでの蓄積がある。「絵画(カタツムリ、女、花、星」は言葉を作品の中に取り込み、絵が出す気持ちが登って行くような、なんとも不思議な力を感じる。キャンバスを切り抜いてみたり、砂をつけたり、下地をつくらず単純な線だけで描いてみたり。この頃のミロの苦悩が、ピタッとはまる晩年、全てが無駄ではなかったことを示しているようにも思える。

「明けの明星」をはじめ、ミロの描く「星」は特徴的だ。「女と鳥」の右下に描かれたブルーの星。これがキーホルダーになって、ミュージアムショップに売っていた。なるほど。

「カタツムリの燐光の跡に導かれた夜の人物たち」はミロのブルーを堪能するだけではなく、白と赤のバランスと配置が印象的な作品。フレスコ画のような印象を与えると展覧会では説明していた。「夜の女と鳥」「夜の人物と鳥」の2枚が並ぶと、いたずら書きのような中にある細密な部分が強調されて、全体としてアートの完成型を見たように感じられる。

最後のフロアーは写真撮影が可能だった。ここに、キュビズム時代のミロとは違う、「自画像」がある。まずは鉛筆画で完成させたモノの上に、大胆な黒の線で描いた肖像。パッと見た時に受ける印象と、5分ほど凝視した後に受ける印象がこんなにも違う作品は珍しい。これは本物を前にしないと感じない感情かも知れない。

「鳥たちの目覚めT」を始めとした縦長の作品も、バランスが素晴らしい。個人的には「白地の歌」が好きだ。孫のダビッドとエミリに捧げた横長の作品が2つ展示されており、おじいちゃんが描いた絵なんだよ、と友達に自慢できる孫ってすごいな、とシンプルな感想。

「ふたつの惑星に追われる髪」の緑とオレンジ、「ダイヤモンドで飾られた草原に眠るヒナゲシの雌しべへと舞い戻った、金色の青に包まれたヒバリの翼」にみられる黄色と緑、そして、それらを分かつ黒、「太陽の前の人物」が見せるシンボリックな人物の赤と黄色。これらの色使いが、たまらない。もちろん、淡く複雑な背景を持つ「火花に引き寄せられる文字と数字」の「V」と「X」も魅力的だ。そして、「月明かりで飛ぶ鳥」の緑とオレンジに、完全にやられてしまう。そのまま、「紳士、淑女」など、個性的になオブジェの数々を眺める。ミロ美術館の屋上で見て、忘れることのできなかったオブジェに、また東京で出会えるとは。

そして、いよいよ完成型のミロの世界へ。「焼かれたカンヴァス2」「夜の風景」「頭部」など、これまでの全てが活かされた作品が並ぶ.その中で、日本に影響を受けただろうか「花火」と名付けられた3つの連作の前で、口をあけて立ち止まってしまった。白と黒の世界に、まるで丹頂鶴のように赤のポイントを置く。自然が織りなした美を、そのままカンヴァスに移したような。よく見ると、黄色と青色の差し色もある。もちろん、バルサやユネスコの人権週間などに描き下ろしたポスターも素晴らしいが、このものすごくシンプルで、自然の勢いに任せた構図という完成品が、最後に見られて、よかったと感じさせる展覧会だった。

以下、写真禁止エリアでの作品は、展覧会図録からのもの。


















































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