藤原新也氏が『神の島 沖ノ島』(小学館)の中で記した言葉。
2017年にも世界遺産に登録されるかという九州は玄界灘、ぽっかりと存在する沖ノ島を
直木賞作家・安部龍太郎氏と訪ねた紀行文だ。
その中で藤原新也は、沖ノ島が神格化された理由として。
例えば、歴史的な要因、地理的な要因など様々考えられるが、
この沖ノ島の場合、神格化された理由は単純に
見た目がよいという直感によるものが大きいのではないか、と記している。
「事物の外形とは内実の露出であり、美しい心の持ち主が醜い顔にならぬように、事物の外形は内実を伴う。」
「したがって、この“見た目”による世界の序列化は幾万の言葉を労した裁量より正鵠を射たものとなる。」
ちょっとした「見た目」と言う言葉の持つマイナス要素、
しかもそれで「判断」するということの後ろめたさ、のようなもの。
それをずばり、直感だの、内実の結果だのと言われると
スッキリとする。
今の、この時代の、なんとも重要なコトバかと。
2016.01.24記