月へのグレートジャーニー
2007年04月15日
現在のアフリカ大陸の東側で誕生したと言われる人類は、長い時間をかけて「旅」をしてきた。アフリカから北上して欧州へ。そのまま東へ進み、アラスカを経由して北米、そして南米へと。人類は、そんな奇跡をたどって世界中に分布する。そう、言われている。これをブライアン・M.・フェイガンは「グレートジャーニー」と名付けた。

地球は当時、未知にあふれ、発見を繰り返す中で人間はそれに順応してきた、のだと思う。
そんな気の遠くなるような歴史をたどり、文明を築き、人間が「地球」に君臨し始めてからも、強者は「発見」を繰り返した。ヴァスコダ・ガマやコロンブスは大海を渡った。ライト兄弟は空を飛び、ハーストは空から新聞を配った。人間は、特に強者は、「その場」で使い果たしたモノを、別の地に求め、そして発見し「一儲け」しようと企んだ。そんな側面から歴史を見ることもできる。海峡を独占された欧州各国が新航路を発見するために船を出し、彼らから見て未開だった地へとたどり着くと、そこへどっと流れ込む。植民地という明らかな歴史が証明している。

グレートジャーニー。例えば、大航海時代も〈より住みよい土地〉を求めた「旅」だと拡大解釈すれば、それは15世紀頃まで続いており、先述の「空」への挑戦も含めると、近代まで終わることなく続いていたのだ。

そして今。長い時間をかけて「旅」してきた人類の新たなディスティネーション。それが「月」ということになっているようだ。「月」なんてもうアポロ11号が行ったじゃないか。月どころではなく、今や火星に木星に、いやいや宇宙には「ステーション」まであって常駐しているのだ。今さら「月」なんて・・・。と、言うほど宇宙に疎い人も少ないであろう規模で進む「月」探査。

アメリカはもちろん、中国やインド、欧州、ロシア、そして日本も含めて、月へのに向かう計画が盛んだ。

これらの計画は、かつてアポロに乗って月面を踏んだ12人の宇宙飛行士たちとは目的を異にしている。今、世界中で進んでいる月探査の目的は、資源なのだ。月には、ヘリウム3や鉄、アルミニウム、チタン、ケイ素などが豊富に埋まっているという。月面に降り立ち、「基地」を作り、そして資源を掘り起こして「使おう」という計画なのだ。どことなく、地球では果てたから「別」のところに求めているように。そう、大航海時代よろしく、これは〈より住みよい土地〉を求めたグレートジャーニーの続きなのだ。と言い切れなくもない。

具体的には、NASAが発表した「コンステレーション」計画。これは、人間を月面に長期滞在させるための基地を設けるという計画で、つまり、ロボットを遠距離操作して調査していた段階から、実際に人間が行って掘り起こす段階に格上げされたことになる。中国は有人宇宙飛行を繰り返しており、明確に月面への到達を進行中。欧州も、宇宙ステーション計画にかげりが見え始めると、はっきりと「月」への探査に名乗りを上げている。日本も、アポロ以来となる本格的な月面探査機セレーネを打ち上げる。

もちろん100年単位でいう「近い将来」だが、人類は酸素のない宇宙空間という未知の世界に、これまで地球上にあった未知の現象に順応したように、月面での暮らしに順応し、「ムーン・ラッシュ」なんてことがおこりうるのか。部屋の窓から見える今夜の月は、やけにオレンジだ。環境を破壊されて、音をあげている地球を映し返しているのか。そんな月に、人間が行く。

一方では、日本という一つの国の、それも各地にある地方自治体が「景観規制」を条例化している。最も有名で厳しい規制敷くのは京都市。他にも鎌倉や神戸、信州やニセコ、東京都でも景観を守ろうと声高に叫ばれている。これ以上つくるな、壊すな、守れ、守れ。景観を損なうことは公共財産の破壊。個人資産は社会福祉の犠牲を強いられる側面もある、、、などなど。

自分たちの住んでいる周りは守って、外で(他で)調達する資源。月へのグレートジャーニーは、なんとなく歴史の教科書を見ているような気にさせられる。



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