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「無印都市」、または「インスタント都市」。そんな風に呼ばれる都市がある。中国やドバイなどの湾岸諸国では、驚異的な速度で都市が「建設」されている。ただ、これらの都市には中心らしい中心もなく、特色もないことから先述のように呼ばれるのだ。(New
York Times Magagine/Courrier vol.50)
この100年で世界の都市人口は15倍に膨れあがり、いまや30億人以上と言われる。1900年、最大都市だったロンドンの人口は650万。それから、2006年のデータではメキシコシティで1,924万人に達するなど、その巨大化は進んでいる。インフラや利便性など、都市に住む利点は多いが、東京の朝のラッシュを思うと、この傾向もどうかと思ってしまう。とはいえ、そんな時代の流れに逆行することはできないだろう。
そこで、世界中の建築家が「新たな都市像」を模索していると先述の記事では伝えているのだ。
ロンドンやパリ、ニューヨークといった「歴史」のある都市は、長い年月の中で、「中心地」があり、そこから順々に広がっていった時間経過がある。その中で、バナキュラー(土着性)が強く、「都市のテクスチャー」というべき個々の都市の風合いが根付いた。
「無印都市」ではどうか。確かにランドマーク的な超高級ホテルはあるかもしれない、世界最大というショッピングモールに土着性をはりつけただけのようなスーク(市場)もあるかもしれない。だけれども、そんなドバイに魅力は薄い。テーマパーク程度の興味しか沸いてこないのだ。さらに、ピラミッドや万里の長城、日本のお城など大規模事業をささえた「奴隷的労働者」がいたように、今、高さ1kmにも及ぶビルを建てようとするドバイやサウジアラビアには、周辺諸国から過酷な労働下で働く人が寄せ集められているというのだ。
う〜ん、人が住み、生きる場所は箱ではない。
そのことが、やはり気になる。今後、無印都市は増えるだろう。インド、ブラジル、中国。人口何千万人で世界一のタワーがある、なんてニュースが飛び交うだろう。が、本当にそれで、そこに住んでいる人たちの故郷となるのか?
人が故郷と呼んでしまえる「巨大都市」。それこそが「印の有る」、これからの都市像ではないだろうか。