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(無観客)
コト消費という価値に重きが置かれて、体験し体感することにお金を払うという潮流が主流になりつつあった2019年から、新型コロナウイルス感染によるパンデミックは、「場所」から「人」の声を奪い、姿を消した。
プロ野球、Jリーグ、もちろんメジャーリーグや欧州サッカーリーグまで。スポーツ観戦はテレビなどリモートで見て、体感を伴った観戦は、感染予防の観点からなくなった。
そうなってから久しい。本当にとんでもない事態だ。スポーツ観戦だけではなく、ライブ、コンサート、お笑い劇場、芝居小屋、劇場まで、多くの「場」から客が消えた。
空席の空間に向かって、ステージでパフォーマンスをする。そのずっと向こう、テレビの先に客がいる。
地球の裏側で行われているパフォーマンスをライブ映像で楽しめるようになった、と人類の技術の進歩を喜び、そのことに進化を感じてきてからの、「とはいっても、やっぱ生でしょ」という価値観。それを奪い取った結果だった。
今、この「無観客」は、非常事態の特別なものではなくなり、どこか「あたりまえ」のようになっていることに寒けがする。
仮に客が入っていたとしても、間隔をあけて、大声でチャントを歌うことはできない。
もちろん、例えばサッカーの試合なら、だからこそ選手の声が聞こえたり、ボールを蹴る音などをリアルに感じるコトはできるけれど、それは副産物になり得ない。やはり、観戦するという体感には、人の声、熱気といったものが不可欠だ。
早く、観客としてゲームに没頭し、ステージの演者の奏でる音楽に、思い切り「のり」たいものである。
2021年4月29日記