ユライ花
中 孝介 (2007年発売)


サヨナラのない恋
それぞれに
波の物語
Goin'on
Ave Maria
ひとさし指のメロディー
真昼の花火
恋の栞
思い出のすぐそばで
星空の下で
家路(piano ver.)

「花」を聞いたとき、好きな節回しだな、と思った。奄美大島の島唄。唄者。沖縄の大学に進み、独学で学んだ島唄をひっさげてインディーズからたたき上げた彼の歌声は、「優しい」という一言では済まないような気がする。「それぞれに」を聞いたとき、ぼくはアンデスの山並みを見ながら、聞いたらぴったりだろうな、とも何故か思った。旅のお供にちょうどいいアルバム。これがぼくにとっては「ユライ花」ということになる。極めつけは、このアルバムには入っていないが、美空ひばりの「愛燦燦」をカバーした歌声。これで、ぼくは完全に中孝介という人の声に吸い込まれた。

日本人の心の奥にある、絶妙に気持ちいいスイッチを押してくれるというか。刺激される音楽ではなく、そっと撫でてくれる音楽。癒されるというのは宣伝文句に過ぎないとしても、とにかく「気持ちいい」唄がつまったアルバムなのだ。台湾でも人気があるということからも、もしかすると、万国共通のスイッチを押してくれるのかも知れない。

森山直太朗が歌う「花」とは、やっぱり声音が違い、どっちがいい悪いはないだろうが、個人的には断然アタリ氏が歌う方が好きだ。

「もしもあなたが 雨に濡れ
言い訳さえも できないほどに
何かに深く 傷付いたなら
せめて私は 手を結び
風に綻ぶ 花になりたい」

こんな歌詞がぴったり来るのも、彼の歌声だからかもしれない。寒いときの毛糸のマフラー、暑い夜のそよ風。形容するとすれば、そんな歌だ。ガンバレ!なんて言わず、となりでそっと、「風に綻ぶ花」という感じ。映像を伴ってグルグル回る唄の世界観がつまった至極の一曲だ。

一曲目の「花」が森山直太朗(作曲)なら、「さくら」つながりで河口恭吾が造り上げた二曲目の「サヨナラのない恋」も日本情緒溢れる。つよい風がふいて、自分の髪はくしゃくしゃなのに、「太陽みたいに笑う君が好きです」。この断定口調が妙にクセになる味わいだったりする。

三曲目の「それぞれに」は、彼の声を最大限に活かした、個人的には一番すきな唄だ。卒業式ソング。または新しい旅立ちの唄。そんな名曲。
「それぞれにそれぞれの
決めた道を歩き
いつの日か微笑んで
又会えるその時まで」

「まだ白いままのページめくるように 新しい物語がはじまる」。次の「波の物語」も春の爽やかな一曲。「Goin'on」へと続いていく突進感が気持ちいい。Goin'onはちなみに、格好いいな、と思わせる一曲。

真ん中のアヴェ・マリアをはさんで、アルバムは後半へと続く。そんなトラック組みだ。

木訥としたメロディーが浮かんでくるような「ひとさし指のメロディー」、どこかアフリカの民族の音楽と言われても納得いくというか、歌詞がわからない人が聞いても通じるというか、そんな力ある曲「真昼の花火」、「君と僕との隙間すきまに 恋の栞をはさみながら歩いていく 気まぐれでこの恋をもう疑わないように」なんて二人の恋を淡々と描く「恋の栞」、秋元康氏作詞の曲「思い出のすぐそばで」、そして、唯一、中孝介氏が作詞した「星空の下で」へと。「星空の下で」は、奄美大島の暮らしを東京暮らしから回想している望郷の唄。とてもあっさりと歌いきっているところが逆に新鮮だ。

最後は「家路」。ピアノが優しく、彼の声はとても色を持ち。「夕焼け小焼け」や「ふるさと」なんて童謡にも似て、なんだか夕飯前に遅くまで公園で遊びまわっては「ごはんよ〜」なんて呼びに来られた、そんな子供の頃を思い出す一曲。名曲だ。

元ちとせの男版。そんなイメージで彼の唄を聞くと、なんというか「近しい」中の決定的な違いがあるというか。元ちとせの唄が風にそよぐ絹のドレスなら、彼は波打ち際で丸くなった石ころというか。フワフワと浮かんで飛んでいくような感覚よりも、もっと地に足をつけて、そこで踏ん張る、優しくて強い「何か」があるのだ。


→ MusicAに戻る