日本庭園 (天龍寺)
Kyoto, JAPAN
天龍寺(2月撮影)
フランス式庭園やイギリス式庭園と言われると、なんとなく「あ〜こんな感じ」というイメージがつく。これは、特定の時代の特定の様式の庭園を指しているからだと言う。この意味で、日本庭園は少し違う。奈良時代、平城京で日本庭園のデザインの起源が起こり、その後王朝貴族が景観を生かした庭園を京都で造る。その後、鎌倉・室町時代に日本庭園の頂点期が来て、その後は茶道や大名文化の時代背景のもとで庭園文化というものが変化、定着していった。
桜や紅葉、月見まで、自然を眺める上での「庭園」という空間。
“自然”を眺めるために、“人工的”に造った空間。
この感覚が、なんだか面白い。背景の山の移り変わりをも取り込んだ借景。石組みだけで水の流れを表現した枯山水。必要なもの以外ギリギリまで省いた禅の庭。これらの「庭」の中に自分を置くと、不思議と一部になれるから心地よい。例えば夕暮れなら風になって、早朝なら鳥の声に。日本人に生まれて、その「とけ込んでいく」感覚に心地よさを理解でき得て、本当に幸せだとも思う。
そんな日本庭園。それは、なにも京都にだけ集まっているわけではない(もちろん)。どこかのお屋敷の、いや念願のマイホームに付随して、ガーデニングの延長のような庭にも、特別で独特の感というものが味わえる。が、シーニック、絶景としてあげたい場所は京都・嵐山にある天龍寺だ。
秋には真っ赤に燃える山を借景として拡がりもある。確かにこれ以上ない景色だ。が、人がやたら多い。なら、夢想疎石が造り、日本庭園のトップを極めたともいわれるこの庭を、ゆったり静かに眺めるなら、枯れ木も残る2月。平日の夕暮れは本当にいい。時々冷たい風は、だけど温かい夕日に照らされている。5分に一度、誰かがあるく木造廊下の軋み。腰を下ろし、いつまでもぼんやり眺めてしまう。石を見て、水面を眺め、木々に目移りする。しばらくはぼんやり空を見上げたりして。山は薄影、白い砂の、ほうきの跡が、「あ〜日本だなぁ」と意味無く思えたりして、素晴らしい。