■2022年1月3日
「しっかりと計算しつつ、熱く」

年末は、何だかんだバタバタして、元日になると、一気にゆったりなる。この年末年始特有の空気の緩急が、歳を重ねるごとに強弱を増すと言いますか。

新年あけましておめでとうございます。
本年もどうぞよろしくお願いします。

それにしても、寒い年明けになりましたね。天気は良いのにキリリと空気が冷たく。暖房の部屋から外にでると、ビクッとなるこの感じも、ああ、正月だな、と思ったり。

今年は人の動きも戻り、あちらこちらで人混みでした。オミクロン株も、おそらく再来週には一気に感染者が増えるんだろうな、と思いつつ、手洗い・うがい、マスク必須でわが家も京都へ帰省しました。

一昨年、大晦日にユニバーサル・スタジオ・ジャパンに行った時、人があまりにも少なくて、こりゃ〜、穴場だー、と確信し。だから今回も、よーしマリオを存分楽しむぞ、と大晦日にUSJに行きました。

が、なんと、人が多い・・・。そして、寒い!

大阪駅で、予定していた電車に乗り遅れ、現地到着が開園時間になってしまい、パークに入るまでに40分。そこからスーパー・ニンテンドー・ワールド(TM)まで早足で歩くも、整理券の配布は終了してました。開園から1時間も待たず、抽選入場に変わってしまい。

とにかく、並び、寒さに震え。抽選は見事に外れて、目当てのマリオは楽しめませんでしたが、ハリーポッターのローラーコースター(フライト・オブ・ザ・ヒッポグリフ)には90分並んで乗れました。

下から見ていたときは、息子でも乗れる子ども用のコースターだと思っていただけに、意外にスリルもあって、面白かったです。スタートしてからぐるぐるジェットコースターする間だ、とにかくずっと笑いが止まらず、隣で息子も大声を出して笑ってました。なんとも、ちょうどええ感じのジェットコースターでした。

その後も、何をするにも列、列、列。ニューヨークエリアで、ザ・ピザを食べた後は、雪もちらつく中、パーク内でゆっくり休む場所もなく、とにかく寒く。海沿いなので、余計に寒いUSJは、そこから、もはや何をしたか忘れるほど、過酷なものになりました笑。

そのまま梅田に移動して、どこも18時閉店だったので、急ぎ足でいろんなお店を見て回り、ここでも「座るところ難民」。東京に比べると、本当、大阪ってところはゆったり座れるベンチが少ないです。

これは住んでる人の考え方の違いですかね。たぶん、止まったら死んじゃう魚みたいな生活をしているんでしょうね、大阪人って。

で、年が変わって元日。

一気にゆったりと、私は実家で、白味噌のお雑煮を食べて、ダラダラ何かしらを常につまみながら。正月だ〜という時間を堪能しました。

昨日は昨日で、箱根駅伝を見ながら、ソファに座って毛布をかけて、うとうととしながら、青学の一年の粘りの走りにぎょっとしたり、留学生だらけの区間での日本人の頑張りや、抜かれる選手、抜いてく選手の表情を見ながら、ぶっ込まれてくる実況の感動秘話にホロホロきたり。

富士屋ホテル前の、あの大カーブを5区を走る選手達が駆け抜けるのを見て、ただただ若さと日頃の練習量を感じてジワッと熱い気持にもなったり。

箱根駅伝って、いいですよね。で、今、復路のスタートを待ちながら、これを記しています。がんばれ、駿河台。

明日から仕事始め、という人も多いはずで、今、この時間は正月三が日を噛みしめながらダラダラを謳歌しているという感じでしょうか。

年末年始のカレンダーの並びがあまり良くなかったので1週間も休みがないという状態で、あー、嫌だ嫌だと駄々っ子のように「まだまだ休みたい」と私は諦め悪く。

だけど、今年は三連休の当たり年らしいです。今週末の三連休から始まって、2月、3月、4月、5月、7月、8月、9月、10月と続きます。

そう言えば、GWも5月2日と6日の平日を休めば10連休。海外はまだ無理なのかなぁ、と思いつつも、今からソワソワしてしまいます。

2022年。今年一年を願うとき、家族全員の幸せと、何かに頑張れるチャンスと、何にでもワクワク出来る気持ちを。そんなことを、手を合わせながら祈りました。

吉をひいた、息子のおみくじ。願望(ねがいごと)は、「心を清く、行いを正しくすれば、他人の助けを受け、叶う」でした。旅行は、「何処(いづこ)にてもさわりなし」。商業(あきない)は「思いがけぬ利あり」、学業は「他人の意見を聞き励め」。

移転は、「ゆるゆるとしてよろし」。そうかぁ、まぁ、今年は準備の年とするかな。来年は、いよいよ大きく動く一年にしたいので、今年は、そのための年にしないと。

さぁ、大手町に向けて駆け走る箱根駅伝も、この大きな走りの中で、小さくも計算し尽くされた駆け引きがあるんだろうな、と思いながら、最後に勝つのは「ふんばり」であり、「熱量」なんだろうな、と思います。

しっかりと計算しつつ、熱く。踏ん張れる1年にしていこうと気持ちを新たにしつつ、ふわぁ〜、もう一寝入り、しようかと思います。



■2021年12月25日
「迷える時間を楽しみたい」

♪今日は、クリスマス。街はにぎやか、お祭り騒ぎ〜。

今年も、息子には(無事)サンタさんがやってきました。リクエスト通りのプレゼントをゲットした彼は、ニコニコです。嗚呼、私にも、サンタさん、来ないかな。

もし私にもサンタが来てくれるなら、何をお願いしようか。ちなみに、今年の息子は、これまでひとつしかリクエストしていなかったのに、こっそり「もしできればでいいですが」と前置きをして「〇〇も欲しいです」と、追記してました。そういう手があったか、と、微笑ましく、叶えてやりました。

う〜ん、何が欲しいだろう。

運転免許証を持ち歩かなくてもいいアプリ? もしくは、近所に「AFURI」? いやいや、ここ数年買い換えていない鞄かなシンプルに。靴も欲しいし、軽くて暖かい機能的なアウターもいいなぁ。肌が荒れないマスク1年分なんてのが一番かな? いやどうせ1年分ならどん兵衛が最高か。どん兵衛1年分、あ、錦鯉のお二人、M-1優勝おめでとうございます。

それにしても、ほぼ確実にもらえるプレゼントを考える時間って、楽しいものですよね。

息子も、いろいろと迷える時間を楽しんでいました。ただ、10歳にもなると「これは高すぎて無理だよな〜」なんて独り言ちに「適切なプレゼント」を選ぶようになって、親としては関心したりもするのですが。

このXmasから年越しにかけて、一気に暮れモードが加速しますよね。

これで今年は最後になるので「よいお年を」とか「来年もどうぞよろしくお願いします」とか、別れ際に挨拶をする機会も増えたりして。

こういう挨拶って、気持ちが先で言葉になるというより、言葉が先行して気持ちになっていくというのが強いですよね。その挨拶の繰り返しが、どんどん暮れモードにしていくといいますか。

今年も残すところ1週間、週が明けたら、そんな暮れのご挨拶も増えそうですね。って、来週の土曜は、もう元日なんですね!

はてさて、来年は、いったい、どんな1年になるんでしょうか。

これまでは、(普通に)「来年は、こういう年にする」という自分のがんばりや、努力で「こうしてやる」と考えていたものが、これだけコロナが続くと、もう「どうなるんだろう」と受け身にならざるを得ませんよね。

考えれば、考えるほど、コロナ次第に委ねる事態が、異常です。ただ、これが現実だけに、ワクチン接種を進めて、この先も出てくるだろう変異株に右往左往されず、一日でも早く「私は、こうする」という目標をもって、努力次第で「こうできた」という結果が伴うようになってほしいものです。

来年かぁ。

まずは、北京で開催される「冬季オリンピック」からスタートという感じですね。このオリンピック期間限定で技の名前をどんどん覚えるスノーボードのハーフパイプや、日本人の活躍に沸くだろうスピードスケート、そして、なんといっても3連覇のかかった羽生結弦のフィギュアも楽しみです。さすが、しっかりオリンピックに合わせて来ましたね。

春になれば、3年ごとに行わる「瀬戸内国際芸術祭2020」が始まります(これは、夏と秋にもあります)。直島や犬島をはじめとした瀬戸内海の島々で行われる大芸術祭ですからね、専用のアプリを入れて効率よく回りたいものです。

それにしても、春休みやゴールデンウィーク期間中って、今はどこを調べても予約でいっぱいですが、このキャンセルポリシーって、コロナ事由ならまた無料になるんでしょうかね。

プラスして、GO TOも利用してお得に旅したいので、気ばかりが急いても、なかなかどうしたもんか、という感じですね。今年のわが家のGWは、札幌に行って、おいしいモノを食べようかと計画中です。GO TOの詳細、いつ出るんだろう。

夏になれば、八重洲に「ブルガリホテル」がやってきますね。都内だけでも注目ホテルが続々と開業しますが、肝心の観光客の戻りはどうなんでしょうかね。どうも、東京や京都、温泉地など観光地では強気の開業が目立つような気もします。まぁ、観光は絶対に戻ってきますからね、それを見越してのことなんでしょうけど。

秋になると、新宿駅西口の再開発のために小田急百貨店が閉店する予定です。ただ、歌舞伎町では東急ミラノ座跡地に再開発された商業ビルが開業するそうです。夢の島には「スケボーパーク」ができる予定で、いよいよ江東区がスケボーの聖地になるか?という感じでしょうか。東京オリンピックの金メダルというエピソード付きですからね。

そして、12月には、いよいよサッカーW杯の開幕です。その前に、もちろん何が起こるかわからないアジア予選を日本は勝ち抜かないといけませんが、日本以外にも、やっぱりW杯は楽しみな要素が多いです。

そういえば、この4年に一度のW杯を隔年開催にするか?という話があります。4年ごとの開催から2年ごとになると、ピークを外さない選手がたくさん出てきて、より楽しめるのになぁ、とも思います。

それに、隔年になったら、それだけ開催国もたくさんいるわけで、日本で開催!というチャンスも出てくるような。日韓開催の時とは違って、日本のサッカーというのは確実に上がってますからね。是非、今の日本で、サッカーW杯を迎え入れたいものです。

カタールと日本の時差は6時間です。大体、現地の18時から試合が行われるとして、日本時間では午前0時。これなら、まだ、生で観戦できそうですよね。ただ、おそらくはヨーロッパの時差に合わせたスケジューリングになるので、結局、日本時間では苦しい時間帯になるかもしれませんね。

これまで、W杯は日本でいうところの梅雨時期だったので、真冬に開催されるというのも変な感じですが、欧州でプレーする選手にとってはシーズン真っ只中で行われるのでパフォーマンスも高いかもしれません。

いやぁ、楽しみです。日本代表、サムライブルーの新しいユニフォームも楽しみです。建英は何番をつけるのかな。中島翔哉はやっぱり無理かなぁ。ああ、どんな顔ぶれで、どんな試合を見せてくれるのか。どきどきと楽しみです。

翔哉、東京に戻ってこないかぁ。FC東京は、松木玖生のデビュー待ちですかね。東京の新しいユニフォームも楽しみです。チャントが歌えるようになったら、また味スタのゴール裏で、思い切り応援したいなぁ。

来年の12月になったら、海外へも普通に旅できたりするのかな。ロンドンからリヴァプールまでの移動を調べたりして、フットボールの母国で、本場のサッカーを息子に見せてあげたいな。

などなど云々、来年も、思い切り楽しみたいです。コロナ次第ですが。

今年もこれが最後の更新となりました。コロナ禍でお出かけもままならず、なかなか週一回の更新ができない時期が続きましたら、一年間、ありがとうございました。

来年も、更新を続けてまいりますので、SHoGo PaPeRを、どうぞよろしくお願いします。皆様、MERRYクリスマス、&ハッピーニューイヤー。よいお年を。



■2021年12月11日
「このコロナの2年で」

このコロナの2年で、ぎゅーっと縮こまった体と気持ち。それをぐいー、っと、思い切り、伸びしたい。ぼちぼち、そんな時期だろうと期待した中での、オミクロンですか。

にしても、海外へ向いていた目が、国内に「縮み」、挙げ句、都道府県単位で「出るな」「巣ごもり」「動くな」なんて、ずっと息を潜めていた2年でしたね。

振り返ってみると、こんな異常な時代の日常は、未来の人からは想像もできないんでしょうね。

それにしても、異常な日常は、なんてすんなり、そしてにわかに、さらに圧迫しながら攻めてくるんだろう、と思ったりします。

それを体感した私たちは、未来に何を伝えられるのか、考えないといけませんよね。

さて、一気に真冬になってきました。

だからというわけでもないですが、今日、ダウンジャケットを新調しました。これまで買っていた店では、年齢的に?もう合わなくなってきたので、1つ上のランクの店で袖を通し。

で、今までの店に移動して試着していると、恐ろしいもので、上を知ってしまうと、これまでがとても陳腐に見えました。そういうもんなんでしょうかね。

まぁ、これから3シーズンぐらいは着るだろうから、一時的には高い買い物でも、長い目で見ればそうでもないのかぁ、とか云々、いろいろと考えながら。

今年は、京都に帰省できそうな感じです。底冷えする京都の年末年始を、暖かく包んでくれるなら、まぁ、いい買い物だったと思います。

去年はコロナで帰省できなかったので、2年ぶりになります。岡北のおうどんを食べて、岡崎をウロウロして。初詣は平安神宮か八坂神社か。ああ、これまで普通だった年越しができるなんて、なんだか感慨深いです。

国内旅行は、GO TOを待たずして、客足がぼちぼと戻ってきていると聞きます。特に、はとバスなど日帰りバスの予約は、なかなか取れないなんてことも聞きます。いきなり海外へ!というより、まずは国内から。そんな様子見な感じなんでしょうかね。

今月末には、マイナンバーカードと連動して、スマホにワクチン接種証明が入れられるようです。そうなると、イベントやお店に入りやすくもなったりするんですかね。

とはいえ、韓国での感染爆発なんかを見ていると、せっかくの春の良い時期、GWにかけて、また日本でも感染拡大で自粛ムードが高まるのかなぁ、という不安もあります。

ワクチンパスポートがあれば、ある程度の行動範囲の拡大はあるんですかね。そのためには、3回目の接種。これを乗り越えないといけないんですよね。

個人的には、二回目の接種後、直ぐに高熱が出て、それは一日で収まったのですが。一週間経って、また高熱。この時はひどくて、39.9度の熱が一日半続き、その後は38度台の熱が二日続きました。そして、熱が微熱になると、身体中に発疹が出来・・・。

今から考えても、かなり苦しかったです。あの、苦しみアゲインなのか、とため息がでます。と、同時に、やはり不安があります。ワクチンを打たずに、コロナに感染しても、あんなに苦しくないのではないか、とか。

だけど、ワクチンは、自分を守る以上に、他人にうつさないと言いますからね。そう考えると、三回目も打って、ちゃんとワクチンパスポートを持とうかと私自身は思っています。

10歳の息子の接種時期も気になります。はやく、接種できるといいのになぁ、と思う反面、打っても大丈夫なのかな、という一抹の不安もあったりして。

次から次へとコロナな不安が続きます。そして、やっぱり外に出てウロウロする機会が減るので、体がムチムチしてきて、さらには暖房で身体中が乾燥で痒くて。

悪、循環です。この循環を好転させるためには、やっぱりコロナが明けることですよね。それ、待ちなんですかね。10万円も現金でもらえるんですかね。そして、大ちゃんは、事件のあの日、現場に居たんですね。日本は、沈没するんですかね(給付金、ドラマ『最愛』、ドラマ『日本沈没』)

ライブに行ったり、映画館にいったり、羽田から海外に旅行に行ったり。いつになったら、そんな日が来るんですかね。2021年もあと20日です。

M-1は、決勝進出のメンバーが知名度ではなくガチで選ばれたことがわかる故、期待が高まりますし、大晦日は、今年は笑っていい日テレ番組と紅白のはしごをしながら。終わるまで、2021年も存分に。



■2021年12月5日
「ショータイム」

マンガかよ、とか、マンガじゃないんだから。はたまた、それは、マンガだけの世界です、なんて、リアルじゃない夢のような空想を語ることは、こどもの世界では特に多く。おとなになると、それがリアルではないことを知って、描けなくなる、なんてストーリーがセオリーで。

今年、2021年の流行語大賞に選ばれた『リアル二刀流』は、エースで四番の大活躍をするマンガの主人公のそれを、世界最高峰のMLBでやってのけた大谷翔平選手が受賞しました。本場アメリカでの11冠に加えるとすれば、これで12冠です。

それにしても今年のメジャーリーグ。ホームランキングを競う大谷選手が放った本塁打は46本。トップと2本の僅差でした。46本ホームランを打つ選手が、翌日、先発ピッチャーとしてマウンドに立って勝利するんですから、ほんと、マンガのお話のようです。

そして、投手としても9勝。二桁勝利・二桁本塁打がベーブ・ルース以来、なんてアメリカも大きな話題になっていたようです。

ずいぶん昔、田中真紀子さんが外務大臣をしているとき、アメリカの大統領に、「日本からアメリカに一番輸出しているのは、、、ベースボールプレーヤーよ」というジョークを言ったらしいですが、今や、日本人メジャーリーガーは、欧州で活躍するサッカー選手と並んで「あたりまえ」のようになっていますよね。

大谷選手が花巻東高校の寮に、あこがれの選手としてポスターを貼っていたイチローさん。それに並び評される大活躍でした。来年も、今年並みの、いや、今年以上のショータイムを期待してなりません。

同じメジャーで、ヤンキースで活躍する田中将大投手が、楽天に戻り、来年もまた楽天でプレーするというニュースは、ああ、このショータイムをどう思っているんだろ、と勝手ならに思ってしまいます。

こどもが、マンガじゃないんだから、とおとなに言われて萎れてしまうことなく、マンガのような夢を描いて、追いかけられる。

それを実証した大谷選手の活躍は、これからの未来に計り知れない価値をもたらしましたよね。

かつてのキング・カズが、そして、野茂英雄が。後に続く若者に勇気をくれたように。

ちなみに、大谷選手がMLBで放った46本の本塁打というのは、日本のプロ野球では、セリーグでもパリーグでもダントツのホームランキングになる成績でした。

さて、流行語の話に戻ると。

意外にも東京オリンピック関連は少なく、個人的に印象的だったのは『親ガチャ』ですかね。

子は親を選べないから、子からすればガチャするようなもの、というそんな言葉。なるほど、ニュースなんかを見ていると、こんな親の元に生まれなければなぁ、と考えることも多いです。

親は、子を授かり、一緒に過ごし成長する上で、いろいろと「親自身の力」で選べますからね、その先を。子は確かに、ガチャするようなものか、親という存在に対して。

と、この親ガチャから派生して「上司ガチャ」なる言葉もあるそうです。同じ会社に勤めていても、上司の考え方で勤務態勢というか、雰囲気に大きな差があるということです。

隣の部は、部長が先進的で、残業は少なく、テレワークは積極的に導入するのに、うちの部は、部長が昭和だから、という感じ。

おそくまで残業して〈よくがんばっている〉とか、会社には出社してくるもんだ、みたいな?

こういう話を聞くと、中学や高校の時の担任の先生っていうのも、そういう「差」があったような気もしますね。

と、そんなことを例えば自分の息子が言ってきたとき。選べない環境に抗うより、選びたい環境は作れるということを教えたいな、と。そんなことを思いつつ、自分が、ああ、年取ったんだな、なんて。

きっと息子には『うっせぇわ』と思われる日が来るんだろうな〜。

『Z世代』が『人流』の戻ったコロナ後の日本の舵取りをし、SDG'sな世界を作っていく過程を、私もまだまだ現役として生きていきたい。

一気に寒さの増した師走の日曜日、そんな風に思います。



■2021年11月21日
「大きな大きな舞台に立ち」

久しぶりに、口から心臓が飛び出るほど、緊張しました。歳を重ねると、〈初めて〉が減る分、緊張するということが減ってきて、そういう意味では、あれだけ緊張させてくれた息子に、感謝です。

先週の日曜日、文化ホールで行われた公演で、息子が、大人に混じって歌曲『魔王』を歌い上げました。

ゲーテが詩を書き、シューベルトが曲をつけたこの作品は、通常、オペラ歌手が一人で歌い上げるものです。が、今回は、演出家の意図で、語り手のバリトン、魔王のテノール、子役のボーイソプラノ、父親のバリトンにピアニストをいれて5人で作りあげる歌曲となりました。

夜の森を、息絶えそうな息子を抱いて、馬で疾走する父。息子には、魔王が見え、魔王の声が聞こえ、「助けて〜」と父に訴え続ける息子。テンポが速く、それぞれの入りが非常に難しい曲です。

幕が開き、息子は黒のスーツに身を包み、5人が並んで舞台に立ちました。拍手。ひときわ小さい息子は、だけど堂々たるものでした。

まずは、疾走感あるピアノから。
そして、語り手のバリトンが低く太く響きます。

息子以外の大人キャストは、プロ、セミプロがそろい、大舞台に慣れているので、安定感があります。

そんなプロの大人たちが、子役の息子を、優しく抱きしめるように世界を作りあげてくれました。

歌に合わせて、歌い手にはピンスポットがあたり、ドキドキと緊張する客席の私には、その演出を堪能する余裕もなく。

語り手が歌い、父が「ぼうや、なぜ、顔をかくすか」と問いかけ

♪ おとうさん、そこに、みえないの、魔王がいる、こわいよ

息子の声が、スーッと、響いてきました。

思えば半年前。オーディションで子役をゲットしてから、私はレッスン教室までの送り迎えを繰り返し、「あんなの歌えない」、「難しい」、「入りが上手くいかない」と、レッスンの終わりには弱音を吐いていた息子。

だけど、決してやめるとは言わず、毎晩、ピアニストの方が録音してくれた音源に合わせて、練習していました。

3回目の入りが、なかなかうまくいかず、キーも高いので、少しはずこともあったりして。息子の楽譜には、いっぱい注意点が、書きなぐられていました。

一緒に歌う歌手の方々は、全国に散らばっているので、合同練習というのも、本番までに数回しかなく、息子の出来が、即、この公演の出来となることが分かっていたので、そういう意味でのドキドキもありました。

夏休みが終わって、9月、10月になると、息子の歌声にも、感情がのっかってきて、練習で成功した時には、すごいな、上手いな、とひいき目なしに思えたりもしたのですが。

本番は、だからこそ、つまり、どこで躓きやすく、乗り越えるべき箇所が分かっていただけに、そこに近づくと、ぎゅーっと手に力も入りました(客席の私の)。

なんとか、大成功のうちに本番も終え、出演者の大人と開放感にしたる9歳の息子を見ていると、なんというか、こいつすげーな、と親の目ではなく思えたし。

かと思えば、私の顔を見ると、走って飛びついてくるあたりは、まだまだかわいい9歳の息子だな、とも思えたし。

とにかく、周りの人に支えられて、ようやくつかんだ大成功に、親子ともども、本当に感謝でした。

そして、今日は、小学校の学芸会でした。その劇でも、堂々と、明治時代から迷い込んだ子供役のセリフを言ってました。なんだか、この一年で、急に成長したような息子・・・。

明後日、息子は、10歳の誕生日をむかえます。

10年。本当にあっという間でした。全部の出来事が完璧に楽しかったという日々でした。そして、間違いなく、私の人生の中で、最も充実した10年でした。

これからの10年。彼が成人するまでの日々です。いろんなことが、あるだろうと思います。だけど、どれもみんな楽しいだろうな、と思います。もし楽しいことじゃなくても、楽しみたいなと思います。

ああ、この10年間の成長の中で、あんなに透き通って、響き渡るボーイソプラノの声は、低く変声して、大人になってゆくんだろうな。

親父、と呼ばれるのかな。身長は、いつ抜いていかれるのかな。なんて想像しながら、まずは、来年の秋、小さな劇団での配役が決まっているので、その舞台の成功を想像しようかな、と。



■2021年10月30日
「お健やかに」

「来週の月曜日〜、ここ、新宿駅南口の場所をお借りしまして〜、吉村知事が、皆様に直接、ご挨拶をさせていただきます〜」と、時短要請も解除される直前の先週土曜日、新宿、夜7時。

吉村知事?大阪?が、新宿で?維新の会?を。だけど、一瞬、「おっ」と思って、その時間にここを通るなら立ち止まってみようかな、と思ったりもして。

そうなんですよね、結局のところ、知名度!なんですよね〜、選挙って。

街宣カーがガンガン走って、選挙運動からもコロナ禍はなくなりつつあるようです。まぁ、とはいっても、よし、選挙に行こう!政治を変えよう!って思うには、なかなか乏しい状況ですよね?

枝野さんのテレビCM、あれ、完全に上滑りしてるようにも思うし、ほかの対抗馬(野党)が、まったくもってね〜、選択肢に入ってこないというか。そればかりが、とにかく寂しいような。

まぁ、国政選挙を挟んでからの岸田内閣というのも、それをもって国民に信を得た、という前提ができるので、やりやすくなりますかね。って、なにをやろうとしているのか、正直、よくわからないところはありますが。

とにかく、アメリカ大統領との会談スケジュールは決まったようです、選挙後すぐに。

そんな選挙も、選挙に行かない若者、が、中年層になってきて、今のリアルな若者は、選挙に行くらしいですね。一票の力を、当然の権利として行使しているとか。そういう若者たちの声が塊になる未来は、さて、どうなのか。

頼もしいです。18歳の誕生日を迎えたら、選挙に行こう、ってね。

さて、儀式なし、一時金なし、の超異例のご結婚となった眞子さんのニュースが印象的な一週間でしたね。心の底から、お幸せになられることを願うばかりです。小室圭さんと並んで行われた会見のお二人を見て、そう強く思いました。

会見の場で、必死に姿勢よく、を作る圭さんと、体に染みついた品の良さをもった眞子さんの対比を見ながら、皇族としてお育ちになられた時間を感じました。

「お健やかに」。お父様である秋篠宮文仁親王が、眞子さんに最後の朝、かけられたお言葉だそうです。父として、娘にかける言葉として、完全に気持ちが合致するワードだな、と思います。

妹の佳子様が、両手を広げて抱き合うシーンも印象的です。ニューヨークという世界一の街で、民間人としての結婚生活を始める眞子さんと、小室圭さんの、静かで健やかな未来を願って。

そんな風に思いながらも、スプリング・センテンスはいろいろと書き連ねるんでしょうね〜。通常、原価と売価の間に利益がある、ということを考えると、ネタ元は、ねぇ、どんな正義でタダを追いくりまわすのかぁ、と思ったりもしなくはないです。

が、それは、一つの意見です。会見場で、雑誌協会?だったと思いますが、そういうところから出た質問の内容も、国民には知る権利があるんだ、と言わんばかりの、民間人の二人の門出に、ぶつけていましたね。

一人の人として。眞子さんが文章で寄せられたこの言葉に、ものすごく強い意志と、深い意味を感じ取りました。そして、誤った情報という言葉の横に、いつも「心」という言葉も並んでいました。

情報が尖がって、それに追いつめられるという「人」の「心」を、まだ30歳になったばかりの体が受け止めるには、相当長く、つらい時間だったんだろうと思います。本当に、これからの未来、お健やかに、と願ってやみません。

今年も残すところ2か月あまりとなりました。

ノーベル賞も決まったし、あとは流行語だの、今年の漢字だの。M-1の決勝進出者が決まって、審査員がどうなるか、なんて話題が出てくる季節に突入します。

コロナのせいで、去年に続いておとなしめのハロウィンの今週末(いや、もしかすると、時短要請解除で、一気に渋谷に人が集まるかもしれませんが)、とにもかくにも、コロナよ、今年でバイバイだぞ、と祈ってしまいます。第6波よ、小さな波でありますように。

ワクチン接種って、3回目、あるんですね〜。2回目の接種後、超高熱が出た身としては、3回目ってどうなるんだろう、と心配になります。インフルエンザの予防接種もありますしね。

とにかく、今度の長期休みは〇〇に行こうと、予約ができる未来を待ち望みながら、秋の行楽を思い切り満喫しようと思っている次第です。

大分に温泉もいいなぁ、香港や台北ぐらいなら行けないかなぁ、なんて思いながら、ベランダから見たらなんて晴天!

朝ご飯たべたら、息子とサッカーに行ってきます。それがおわったら小さなホールで行われるオペラコンサートに行きます。お出かけが気持ちいい秋晴れです。



■2021年10月17日
「どっか行きたい性分」

一気に寒くなった朝は、キリリです。昼になって暖かくなってからの暑いまでの上昇はダラリで、夜には強い風と雨でギリリ、地震まであったりするからギリギリです。

が、10月も後半になって、ようやくコロナ感染者数も減ってきたので、お出かけ気分になってきました。先の分まで予約を入れて、チケットを購入して、と。

第6波までの期間限定だとしても、やっぱり、これだけ我慢すると、どっか行きたい性分も私の限界は超えてきた感があったりします。さぁ〜、楽しむぞ〜。

と、え?3回目のコロナワクチン接種?インフルエンザもあるのに?と、不確定なこの先についての、説、みたいなものがニュースになるから、もう、なんともね。なかなか慎重になったりするのも分かるかと。

本当に先の見えない時代ですね。岸田総理がある番組で、向こう10年間、この商売で安泰なんてことは無い訳ですから、みたいなことをおっしゃっていました。

だからスタートアップの企業にどんどん支援をする、みたいな主旨でしたが、総理大臣自らが、そういう見方をするというのは、時代に沿っていて良いのですが、聞いていると、少しだけ違和感があります。

例えばこれが、どこかの企業のトップが、その企業の社員に対して〈変化〉と〈挑戦〉、改革していかないとこれからの時代は乗り越えられない、と発破をかけるなら違和感も少ないのですが。

一国の総理大臣の発言ですからね〜。これは、こども、学生、働く現役世代、退職した世代、全員に向けた言葉でなければならないところが、どうもフォーカスが狭いようにも感じました。

政治の世界では、いきなり決まった今月末の総選挙のために、あ〜こんな政党もあったな〜程度の野党が、声高に文句をいったり、お金あげる〜、とにんじんをぶら下げたりしています。

どうでもいいですが、今回の総選挙、何をどう選んで、一票を入れるんですかね?

非常に難しいです。これなら、河野さんか岸田さんか、それとも高市さんか野田さん?という4人の中から、リーダーを決めるための一票の方が、まだ選び甲斐があったような気もします。

ま、泣かないホトトギスに対して、殺してしまえというか、泣かしてみせるのか、泣くまで待つのか。考え方、価値観というのを明確にして、一本、筋の通った舵取りを期待すべく、そういうのが出来そうな人(政党)へ一票を投じようと思います。

停滞しているのを、渋滞している状況としたら、不思議と、急に車がびゅんびゅん流れ出す「点」(場所)がありますよね。

それが何処だか分からないまま悶々とする時間が、いちばん苦しくて非生産的です。

なので、それは「ここだ」と示してくれるか、もしくは、もう一本の道(選択肢)を提示して、渋滞する車を流してくれるか。

私は、そういうのに、一票を投じたいと思います。

さて、秋ドラマが始まりましたね。

今日日、ほとんどの番組をTVerで見ているので、あれはフジだっけ?日テレだっけ、あTBSか、いやテレ朝か?なんて放送局がまったくもって不明です。

が、昨日の「二月の勝者」は面白かったです。一々納得のセリフが心地よくもある、といいますか。わが家の本棚に、そう言えば、妻の買ったそのマンガがずらっとならんでいるので、ついつい読んでしまいそうになりますが、ここは我慢してドラマで見続けます。

あとは、まだ見てませんが「最愛」も面白そうです。来週までに見ないと見逃し配信が終わるので、ついて行けなくなるな〜、一話を見ないと、これからも見ないだろうな、とか。

どうでもいいですが「SUPER RICH」の最後の屋台のラーメンは、めちゃくちゃ旨そうでした。なんだか「あ〜、福岡いきてぇなぁ〜」と思ってしまいました。

これから始まるドラマもまだあるので、まだまだ楽しみは続きます。先週の「人志松本の酒のツマミになる話」で、何曜日が一番すきですか?という酒場ネタを話していましたが、

私の場合、もちろん金曜日の夜が一番好きで、土日が大好きなですが、よ〜く考えると、水曜日に面白いドラマのあるクールは、救われたような気がします。

週の真ん中に、帰って、楽しみなドラマがあると救われるというか。で、今回の水曜日のドラマは「恋です」。この少女漫画感満載の展開に、楽しみ!と言うほどではないですが、なんとなく見て楽しめそうです。

あ、そうか、TVerで配信の番組見ているかも、、、。何曜日でも楽しめる時代なんですね、ドラマ好きには(バラエティも見られるか)。



■2021年10月9日
「5分後の世界 」

明日は10月10日の日曜日。ハッピーマンデーが適用される前までは「体育の日」でした。私の世代には、10/10イコール体育の日というのが、やっぱりまだあって。

全国的にもそうなんでしょうね、この週末は、幼稚園や小学校で運動会が多いみたいですね。あ〜、やっぱりこの時期にはいいもんだな、と思ったりします。

そして、この時期になると、本当に、ハンディカムが欲しくなります。最近は、カメラのビデオ機能が上がって、ビデオブログのために「カメラ」を買うようになって、写真はスマホで間に合わせて。

どんどんビデオカメラを買おうという動機が減ってきている中で、運動会だけは、やっぱり、こう、ぐわーっとズームにして音声もばっちり撮りたくなります。

息子はGoproを欲しがり、先週、体験したドローンで「テロ」あたりの安めのドローンも欲しいと言いだし。デジタルネイティブって、こういうことなんでしょうね。触れるものが、ほんとにすごいです。

ハンディカムを構えている「父」は、古くなっていくんでしょうね。

昨日も、「学校の宿題、やっておかないと週末は忙しいからできないよ」と言うと、面倒くさそうに宿題をやり始める息子は、黙ってPCを立ち上げて、パワーポイントを開き、大気汚染だの、酸性雨だの、のレポートを作成し始めました。

すごいですよね〜、ほんと。缶ペンの中に、いい匂いのする玉を入れて喜んでいた私の小学4年生の頃とは、いわずもがなですが、全く違う時代を生きているようです。

そんな息子も、今は来年5月公演予定の小さな劇団の舞台に立つので、その稽古に行っています。来月には歌劇「魔王」を歌う彼には、魔王のあれこれに加えて演劇のセリフ覚えと、なかなか一苦労のようで、家での自主練習が貯まる一方です。

が、幸い、本人は楽しそうです。
親は、その練習に付き合うのに四苦八苦です、が。

さて、地震。凄かったですね。いつか来るだろうと言われている首都直下型地震がパッと頭に浮かんだ方も多かったと思います。

5分後の世界を、一変させてしまうのが天災です。その中で、数十年後の未来に向けての準備も万端にする必要があります。

夜、帰宅困難者となってしまった人は、どうにかして帰宅して、そして翌朝はダイア乱れで、ヘトヘトになって昼前にようやくオフィスにつく、というとんでもないことになっていたとか。

これまでに体験したことのないギュウギュウでした、とは、このコロナ禍でずいぶんマシになった通勤電車の混雑になれてない人の発言かな?

いや、今回は、都内からではなく埼玉からの人を直撃したので、都内までの乗車時間が長いんですよね。それがギュウギュウだと、もう地獄ですよね。

私も、新宿駅から浜松町まで、謎に山手線を半周するというとんでもない通勤電車経験者として、通勤電車に30分以上乗るって、本当にしんどいんです。

そういうのを考えながら、ニュースで流れる駅への入場規制で、ずら〜と外に並んでいる方々の映像を見ていました。

並んでいたら(待っていたら)必ず乗りこめる電車を待つのに、もはや苛々もせず、ただただスマホを見ながら待つ。この辺りが、本当に日本人というか首都圏に住んでいるからこそ身につく冷静さ、ですよね。

今、天災が襲って、その5分後。そこの「世界」を大混乱に陥れるか、冷静を保つか。これは横の人の横の人、のまたその横の人の連鎖が、自然発火するようになりますからね。

自分が着火することのないよう。いつか来る天災の5分後。そこに向けての準備をしつつ、その5分後の世界を冷静に保てるようにしたいものです。

そのために大事なのは「情報」。そして、10秒早いか遅いかの間にある「損得」。我先に、ばーっとごちゃ混ぜになる何処かの国のような状態になると、本当、天災の5分後の世界が、見るも無惨です。

周りを見て、軸となる情報があって、ラインの上でちっぽけな損得で右往左往しない。

これを品と名付けるなら、その品は、是非、もっていたいな、と思います。



■2021年9月26日
「アタラシイ コト 消費 」

♪Hello, my friend 今年もたたみだしたストアー
 台風がゆく頃は涼しくなる

毎年、この時期になると松任谷由実さんの「Hello, my friend」を気付けば口ずさんでます。台風のニュースを見ると、涼しくなって、確かに夏の終わりを感じるといいますか。

君に恋した夏、だの、短かった想い出、忘れない、といった「海」と「恋」の平成ムードたっぷりの、、、〈夏〉。これは令和になって、コロナで、ほんと無し、ですよね。

「こんな」夏も、もう2度目になって、なんとなく、これからの夏ってこうなのかも、と思ったりもします。ほんと、どこにも行けませんでしたね、今年も。

フジロックを初めとした野外フェス、そしてもちろんオリンピック。コロナ感染者が異常に増える中で、それでも止められない塊というか魂のようなものを突き通しては。

それでも、コロナ禍なので、とても異様で。

来年、大学三年生になる学生の声が、とても印象深かったです。「来年は就活生になるのに、キャンパスにはぜんぜん行けてない。なんで、大学に入ったんだろう」。

夏、恋、キャンパスライフに花火、野外フェス。チャントを大声で歌って応援するスポーツ観戦スタイルやら各所で行われる野外芸術祭などなど、

すべては、「平成のもの」で、令和には引き継がれないのでは?ということを本気で危惧し始めた自分が居たりして。

昭和で生まれて、中学から平成を生きて、四十を過ぎて令和になった身には、、、

どうも、バトンのようなものの実感に乏しいと言いますか。

ズシンとしっかりと実感とともなった物質〈感〉といってもいい、それがないからかも知れません。

デジタルですもんね〜、バーチャルですもん。全部、スマホですから。

確かに、全部スマホで!という動きには賛成です。私個人もスマホ一台で免許証から保険証、パスポートまで行けたら、ほんと財布がいりませんから。

でも、ふと、「あ、この財布カッコイイ」と思って、(先日もハンティングワールドのコンパクト財布を)買っても、あまり触れる機会がないので、いつまでも馴染まないという思いもあったっりします。

このまま、どんどん進むんでしょうね。非接触でバーチャルで。コト消費も「新しいウィズ・コロナ」で、家の本棚に何の本も並ばないような、アタラシイ コト の消費、みたいな。

スペイン風邪がインフルエンザになったように、今回の中国発祥のコロナが、季節的な流行病に落ち着くまで、私たちにはワクチン接種パスポートや、陰性証明が必要なんでしょうね。

次の総理大臣が誰になるか、で劇場的に自民党総裁選挙が連日報道されていますが、今年の12月には、本当にスマホにワクチン接種パスポートがインストールできるようなデジタル的な発展はあるんでしょうかね。

河野さん、でも。

先日、ニュースでコンサートやスポーツ観戦にワクチン接種証明が必要といった動きがあることを伝えていました。ブレイクスルー感染があったとしても、ワクチン接種をした人が「他人に移す可能性」は低いそうです。

そういうデータが確証されれば、確かに、ワクチン接種という証明は有効なのかも知れませんね。

ただ、飲食店で、ワクチン接種者と接種していない人の席をわけるといった動きは、例えば、わが家のように小学生の子どもが居た場合、どうなるのか?と思います。

小学生以下は、接種できませんからね。国民の何%が接種済みといったデータも、松本人志さんも言ってましたが、なんともよく分からない数字になっている気がします。

ともあれ、これからは食欲も、旅欲も旺盛になる秋です。ふわ〜っと気分が高まって、何をするにも良い時期になります。そこで、「動けない」のは、本当に辛いです。

このシルバーウィーク。都内からの下りは、高速道路も駅も、混雑していたと聞きます。我慢の上に我慢を強いられて、あとちょっとのところでフライング的に無防備な無茶は、、、

また、感染者数の増加がおこって、緊急事態だのまんぼうということの繰り返しになるようで。

今年の年末こそは、京都へ帰省しようと、最近、京都駅の南エリアにできたおしゃれなホテルを予約したのに。またキャンセルするようなことだけは、避けたいな、と。

本を読み、旅に出て、食を食べる。コロナ無しで、とはいかないまでも、こんな中でも楽しめるような「秋」を。本当に心の底から願いながら、予約だけをどんどん進めてます。

気付けば10月ですよ、もう。2021年も、そうやって終わっていきそうです。楽しみを見つけ、コロナとウィズしながら、思い切り秋を欲のまま、生きたいもんだな、と。



■2021年8月9日
「借りたモンを噛んで返す市長」

あ、えんぴつ忘れた!って時に、隣にやさしい人が座っていて、えんぴつを貸してくれたとします。で、そのせっかく貸してくれたえんぴつを、噛んだら、どうですか?

ほんと、どういう神経なの?品のなさなの、と、文句(意見)を言うのも阿保くさいほどの論外、ですよね。

もー、そんなヤイヤイ言うなら、新しいの買って返してやるよ!という具合の居直りで、胸くそ悪い謝罪会見をしてましたが、あの人、金メダル、取れませんよね。

名古屋市長が、表敬訪問に来たソフトボール代表選手の金メダルを「せっかくメダルもってきたなら、かけてちょうだいよ」と訳の分からないことを言った挙げ句、マスクをはずして、ガチッと噛みました。

不潔で、不快な映像でした。

ああゆう時、なんで、その場でしっかりと非難しないんでしょうね。言える人がいないんですかね。会見という場で、「言葉」を持った人が沢山集まっていたはずなのに。

元フェンシング選手の大田さんが「オリンピックのセレモニーでも、自分でメダルをかけるという対策をしている中で」あの無知な行動という主旨のツイートをしてました。

そこまででも人間として駄目ですが、その後の謝罪会見。書いてる文章をテキトウに読み上げて、つっかえて。コントでも笑えません。

よく、そんなところだけで「人」を評価しないで欲しい、とか、他にもっといいところがある、とか、だから市長なんですよ、なんていう人がいますが、そんなこと言われても、名古屋ってそういうとこ、という強烈なインパクトを与えてしまうようにも思います。

さて、オリンピックが終わりましたね。

コロナ禍で、東京では感染者が過去最高を更新する中での開催でしたが、スポーツの力というのは、十二分に感じられる毎日でした。

金メダルを変な市長に噛まれてしまったソフトボールの金メダルは、感動でした。特に、後藤選手は、上野選手に代わるニューエースとしての活躍が期待される逸材です。

次回のパリ五輪ではソフトボールはありませんが、その次のロサンゼルスでは、是非、金メダルを取る中心選手として活躍して、名古屋市長には見せないようしてほしいです。

世代交代、ニューエースという意味では、男子体操の内村選手と橋本選手を見ても感じましたね。男子マラソンの大迫選手は、そんな「次」の世代に熱いメッセージを残してのラストランでした。

日本の金メダルは過去最高で27。トップのアメリカが39なので、ずーっと遠くにあった世界レベルみたいなものが、しっかり捉えられる範疇にきたようなワクワクがあります。

また、金メダル確実と言われて期待されていた選手の、まさかの結果というのも印象的でした。バトミントンの桃田選手は、中でも衝撃でした。

メダルを取るのと、取れない差というのは、オリンピック選手のほとんどが口々におっしゃっています。

そのメダルを取るまでの努力や準備の差なのか、運の差なのか、取る人と取れない人がはっきりするのも、また、スポーツの良いところかもしれません。

個人的には、柔道男子の金メダルラッシュに井上監督の存在を感じつつ、篠原さんを思ったし、サーフィンでの銀メダルやスケボーの金メダルには、新しい世界を感じました。

卓球では、中国を破っての金メダルの瞬間を興奮しながら見ていたし、波乱続きの競泳界での大橋選手の泳ぎには勇気をもらいました。

ボクシング女子フェザー級で金メダルをとった入江選手や女子空手形の銀メダリスト清水選手には、試合中とぜんぜんちがって印象をガラッと変えた記者会見が印象的でした。

女子バスケットの銀メダルの感動は、男子バスケットの無念を思わせたし、男子バレーも悔しさの残るものでした。

そんな中で、今、この時点で最も印象的なことはなんだろうと考えて、パッと思い浮かぶのは2つです。

1つは、メキシコオリンピック以来のメダルをかけた男子サッカーの準決勝。負けた後の久保建英選手の号泣です。

小学生の頃からバルセロナで闘い続け、高校生(の年齢)でJリーグでの対応を見せ、そこから18歳で世界に戻ってから注目を浴び続けた建英。

20歳になって、日本のエースとしての注目度を得点という形で示し続けた男の、号泣です。東京時代から見続けてきたという個人的な感傷も相まって、本当に印象的でした。

もう一つは、男子100×4リレーのバトンミスです。

決勝開始が午後11時近くという深夜で、それまでも、アップ映像からずっと追いかけて、メダルの可能性にドキドキしながら見てました。

第一走者の多田選手のスタートダッシュ。これは行ける!と思った矢先、攻めのバトンで、世界との差を少しでも縮めるための策が、まさかの結果となりました。

「申し訳ない、なんて、ことば、日本の誰も聞きたくないと思います」。試合後のインタビューで松岡修造さんがおっしゃっていました。

そして、浅原さんは、攻めのバトンという思い切りの中で、このバトンミスという結果は、誰のせいでもないが、次につなげるには、この結果をしっかりと検証して、反省すべきは反省することが大切、というようなことをおっしゃっていました。

ご自身の経験からの、とても思い言葉だと思います。

これから、この例外だらけの東京五輪を振り返る中で、新しいエピソードや物語が伝わってくると思いますが、その度に、また、感動できるんだろうなという未来の分も含めて、本当にスポーツって素晴らしいと思いました。

選手の皆様、関係者の皆様、本当にありがとうございました。



■2021年7月25日
「東京オリンピック」

赤信号は止まりましょう。じゃ、黄色信号は?となったとき、渡れるか、渡れないか。目の前と、周りの状況を見ながら判断します、よね。

東京オリンピックの開会式当日、「渡ります」と「止まりましょう」が混在して、黄色信号の中でいろいろと混乱してましたね。

ブルーインパルスの展示飛行を見るために国立競技場周りでは大混雑が起こり、無観客の開会式を周りから見ようと神宮前の歩道橋に人が押し寄せたり。

と、まぁ、そうなりますよね。よく考えると、黄色信号ではなく、赤信号なのかも知れませんが。余りにも人が多かったので歩行者専用にした道路もある、とか。

思えば、ザハ・ハディド氏の国立競技場デザインをひっくり返してから、エンブレム問題、組織委員長、挙げ句、コロナ。演出を担当した方々の最後の最後の辞任に解任。

いろいろとなんだか呪われたようなことが多かっただけに、なんとか開催にまでこぎ着けた東京の執念のようなものをIOC会長の言葉を借りるまでもなく、感じます。

オリンピック、やっぱりいいもんですもんね。

個人的には、もともとの国立競技場が解体される前のイベントに行き、更地になってからは定点観察で写真を定期的に撮り。どんどん形になっていく新国立競技場の姿を見てきました。

そして、ついに完成した2019年12月には、こけら落とし公演、ドリカムに嵐、ウサイン・ボルトにキングカズなどが出演したオープニングイベントに行きました。

この最低最悪なコロナのパンデミックが、もっと正直に、発生させた中国が向き合ってさえいれば、防げたのに、と、思えば、あの12月がものすごい分かれ道だったんですよね。

なんて、まぁ、いろいろありますが、始まりました。開会式は、やっぱり良かったです。MISIAの歌う国歌には、多様性を示すレインボーカラーの衣装と相まって、力強く響きました。

北野武映画のオマージュ?のような、江戸とタップの融合の演出も、ありでしたよね。森山未來は、体全体からとても静かに力強く、今の日本を表現したように思います。

選手入場は、ドラクエのテーマ曲から。プラカードの吹き出しが、絶妙に素晴らしかったです。カワイイとカッコイイをうまく調和したように個人的には思いました。

入場してくる各国の選手達は、いまや衣装の一部になったマスクが面白く、イタリアやマレーシアなど、素敵なコスチュームも多かったです。

次々回開催のアメリカは、入ってくるだけでユーエスエー!でしたし、次回会開催のフランスは、トリコロールの使い方の見本のような、いちいちオシャレで素敵でした。

日本が入ってくると、本来ならフラッシュの嵐なんでしょうけど、なんだか、無観客にも慣れてしまった自分がいて、テレビの前で、そんなに違和感がなかったのが、少々こわくもありました。

最も話題になった?競技のピクトマークのパントマイム。あのパフォーマーは誰なんでしょうかね。きっと、この先、テレビでいっぱい見ることになるんだろうな、なんて思いつつ。

劇団ひとりのミスター・ビーン的演出からの、「しばらく〜」の海老蔵は圧巻でした。最新と伝統。その融合って、下手にやってしまうと、とっ散らかりますが、歌舞伎とジャズピアノというのは、素晴らしかったと思います

上原ひとみのピアノは、いつ聞いても力強く、なのに軽やかだな、と。

国立競技場に聖火が灯る。聖火台のなかった、あのオリンピックスタジアムに。最終ランナーは、いろいろと予想されてましたが、結果はどうなんですかね。

野村と吉田沙保里が走る時、あれ?北島康介は?NHKで解説してていいのか?なんて思い、O・Nが出てきたときには、やっぱり松井秀喜がいるなぁ、と思い。で、で、で?最終ランナーは、OH〜、ファンタスティック!

大坂なおみ!そうきたか。確かに、性別・国籍の多様性、彼女自身の素晴らしい成績、なにより発信力。今の日本をシンボリックに表せる素敵な人選でした。

に、しては、メインの聖火(点火)の演出が・・・、とは思いましたが、もう時間も深くなってきた中でのことで、あれはあのくらいで良かったんですかね。

バルセロナ五輪のような矢がとんだり、ロサンゼルス五輪のように宇宙飛行士が舞ったり、ロンドン五輪のような007な演出はなくても。

さて、いよいよ始まったオリンピック。内村航平や瀬戸大也、池江璃花子など、え!と驚く予選落ちもありますが、ソフトボールも快調だし、男子も女子もサッカーは期待大です。

これからも男子バレー、男子バスケ、男子陸上のリレーなどなど、もう、毎日、どこかの局でこれだけ試合が見られるのは最高です。それも時差なしで!

よく、オリンピックやW杯は寝不足になりますが、今回は、大丈夫だろうと思いきや、結構、夜中の再放送を見てしまうので、たぶん、寝不足になるんでしょうね。

さぁ〜、今日も、東京五輪のアプリでスケジュールを見て、東京五輪のLINEで入ってくる最新ニュースに忙しい、幸せな日曜日にしたいです!



■2021年7月18日
「やけどしそうな熱さ」

梅雨も明けて、夏本番。と、いきなり危険な暑さが全国各地に襲ってきてますね。昨日、わが家は長野県松本市へショートトリップしたのですが、なんと、猛暑日(気温35度)でした。

真夏日をすっとばしての猛暑日で、松本城から大名町通りを歩いて蕎麦屋までの移動中、死ぬかと思いました。猛烈な日差しと気温に、頭がふらふらして、汗がさらさらと出ない感じもあって。

いやぁ、気を付けないといけませんよね。始まりますね、本格的なニッポンの(蒸し暑い)夏が。

ここ数年、夏の度に思うのですが、もはや暑いというより熱いですよね。やけどしそうな暑さといいますか。ああ、一にも二にも水分補給で乗り切りたいと思います。

地方大会真っ最中の高校球児たちの熱さも、なんだか、見ていて気持ち良いというより、心配になるというほどの酷暑で、地球もいよいよ、なんだかなぁ、と。

コロナ禍の去年、1年生だった部員が2年生になってもコロナで。このまま、秋の新人戦で最後の学年を迎えるのか、と思うと、改めてコロナ世代というのが、この先、どんな影響を与えるのかな、と考えてしまいます。

そもそも、コロナを発生させて、都合よく隠蔽して、言い訳ばかりの国は、知らん顔して、居直ってますからね。ここをしっかりと解決しないと、また繰り返しそうで怖いです。

さて、緊急事態宣言下でのオリンピックがいよいよ始まりますね。始まったら、始まったで、おそらく盛り上がるんでしょうけど、やっぱり、生で観戦したかったな、と、まだ思ってしまいます。

あの時、男子サッカーの準決勝のチケットが当選して、思い切り喜んだ気持ちが、無効チケットになってもなお、まだ、諦め切れず、消え切りません。ムカツキマス、コロナ。

3月のアルゼンチン戦を観戦して、もしかしたら、準決勝で同じ日本vsアルゼンチンというカードになるかも!なんて思っていたのに、はぁ、テレビで観戦するしかないんですね。

昨日の男子サッカーU-24の対スペイン戦。ほんと、チームとしての仕上がりに頼もしさを感じますね。史上最強の布陣と言われる若きサムライブルーは、メダル獲得、それも金メダルを狙う!というのが、夢物語に思えないところが本当にいいです。

いつまでも、釜本だの、メキシコ五輪の銅メダルだのと語っている場合じゃないですからね。ここ日本で、東京での金メダル、期待したいです。そして、雑誌Numberのオリンピック総集編の表紙を、飾って欲しいです。

あの、スペイン相手ですよ、昨日。日本の攻撃に守備が、本当に、え、これ、ほんとに強いな、と思わせました。(って、オリンピックは無観客なのに、昨日は観客入れてましたね。何の、違い、なんですかね〜)

サッカーの試合に前後して、地上波では男子バスケの試合も放送されて。馬場雄大に八村塁の合流後、はじめてのベルギー戦は、圧勝でしたね。

日本サッカー界で、ラモスさんやサントスさんがいた頃のような、ちょうどその段階にいて、今後、どんどん海外に出て、日本バスケも強くなるんだろうな、と期待させますよね。

男子バレーも楽しみだし、400メートルリレーも楽しみ。毎日毎日、世界最高レベルの闘いが見られるなんて、やっぱりオリンピックが私は好きです。さぁ〜、忙しくなるぞ!

テレビ、大きいやつに買い換えてよかった。

開会式のブルーインパルス展示飛行を見に行きたいとか、サッカーの開幕戦、飛田給まで行って雰囲気だけ感じたいとか、いろいろ考えましたが、ちょっと1日の感染者が1400人を越えるとね〜、慎重になってしまいます。

今朝、家族でランニングをしていると、蝉の声が聞こえました。東からの日差しも、朝8時のそれとは思えないほどの強さで。マスクをしながら走っていると、マスクの形に日焼けしてないところが残りそうで心配です。

中学生の頃、野球部はTシャツの形にそって、真っ白だったように。あれ、嫌だったから、マスクを外しては、人と近づくと付けて、またとって、と忙しいランニングでした。

蝉もそりゃなきますよね。だって、もう、今週半ばには、小学生も夏休みですからね。息子は、自由工作に何を作るか、図書館に行っていろいろ本を借りてきてました。

私も妻も、夏休み、何をするか予定をいろいろと立てては、最後に「ま、コロナ次第だね」というのがオチで。一体全体、いつまで続くんですかね〜。

とにかく、今週のオリンピックウィーク4連休、テレビの前で熱い声援をエアコンの効いた部屋から送りつつ、地元開催の五輪を目と心に焼き付けたいな、と思います。

ベランダからの空が、ギラギラしてます。

最近は、洗濯乾燥を一気にする生活なので、なかなかベランダで洗濯物が泳ぐというのもないですが、今日は、布団一式、洗って、干してます。

秒で乾く、夏日です!ふぅ〜、夏です。



■2021年7月4日
「同じ色で同じ輝きの金メダルになるよう」

熱海で発生した土石流の映像が、朝から流れています。ハザードマップでは注意喚起されていた地域でしたが、過去に、土石流はなく、雨も、“これまでにもあった程度”の大雨という感覚。

その感覚が、避難を遅らせたのではないかというトーンで「シューイチ」では報道していました。記録的には、雨の水量は凄まじくても、降っては止んでの繰り返しで、総量として危機感が鈍ったのではないか、と。

避難スイッチ。これは、早すぎることはなくても、遅すぎることがあって、それが命に関わることになってしまう。思えば、週末はずっと大雨関連のニュースばかりでした。相当の雨が降っています。

熱海で起こったなら、と、雨の量が多い箱根町でも、この避難スイッチが入った、と言う方も多いかも知れません。自然災害は突然です。そして、圧倒的です。立ち向かうことができない以上、逃げるしか無いです。

そんなことは、重々承知でも、いざ、自分の身に降りかかると「避難」ということに大変さや、苦がつきまとって、腰は重くなりがちです。

が、避難しなくても良かったやん、という後悔は、避難しておけば良かったという後悔に比べてその差は歴然です。

昨日の熱海の土石流で、未だ行方不明の方々の発見を心より願っています。そして、お亡くなりになられた方のご冥福を心よりお祈り致します。

それにしても、この感覚っていうものに、しがみついてしまうことって多いですよね。

一昨年、私が熱中症で緊急搬送された時も、まさか自分が、ということ以前に、自分には起こらないものと思って、日々、水分に塩分の補給を、という注意喚起を聞き流していたように思います。

これまで、大丈夫だったから、という感覚。これまで以上のことが起こっていても、これまでにもあったと感知しがちです。だから初動を遅らせます。

今の時期、テレワークで、ほぼ自宅で仕事をしているという方々も、水分補給は大事だと思います。会議室で会議をしているから汗も出ず、喉も渇いてないので大丈夫と思っても水分は取った方がいいです。

会議が終わって、立ちくらみがしたりすることもありますからね。夏の初めにこそ熱中症が増えると言います。こちらにも注意したいところですね。

さて、夏ですね。もう日差しから雲から、夏のそれですよね。となると、去年もそうでしたが、本当にマスクの辛い時期になりました。

息苦しくて、肌もあれて。コロナ禍も一年半近く経ったのに、画期的に、息苦しくなく、肌にもやさしいというマスクに、私はまだ、出会えていません。

出会いって、求めて、追いかけている時に限って、なかなか無いものなんでしょうかね。どっかにないかな、ベストマッチミーなマスク。

それにしても、気づけば、これまで普通に食べていた、なんでもない蕎麦屋のランチセットが、無性に食べたくなっています。天丼ともりそばセット、850円、みたいな、あれです。

ささっとかきこんで、すぐにタリーズにコーヒーを飲みに行っていた頃が、なんとも懐かしい、とすら思ったりします。よく考えれば、あの1時間のランチタイムで、1000円以上使っていたんですよね。

それがなくなったという人(私のような)が増えれば増えるほど、そういう人を相手に商売をしていた人は苦しいはずで。最近、チェーン店なら店舗の整理、個人経営の場合は限界点を越して、閉店するというのが増えているそうです。

毎朝、電車に乗って通勤するという、当たり前以上の何でなかったことすら、懐かしいと思うようになった今ですから、そりゃ、あのJR東日本ですら、本社勤務の社員の一部に一時帰休を求めたりしますよね。

二年前の今頃、東京オリンピックまであと1年!という頃には、こんなこと想像すらできませんでした。そういう想像すらできないことの連続で、一年半が経ったんですね。

想像すらできなかった中で、蔓延防止対策をしながらの、無観客での、東京オリンピックなんでしょうか。

徐々にオリンピック関連のニュースも盛り上がってきましたね。先日の男子100mの国内選考会。凄かったですね。日本人同士で日本代表を決めるレースに、自己記録9秒台が4人いるという今の日本。

山県、桐生、小池にサニブラウン。あの10秒で、勝ちきる人っていうのが、やっぱり代表になるのがふさわしいですよね。多田の優勝は、そういう意味では記録保持者というより、勝ちきったという価値があるように思います。

本番、とても楽しみにしています。もちろん、男子100×4リレーも、ドキドキしながら見たいです。

他にも、U-24のサムライブルーの金メダルへの期待、田中将大要する侍ジャパンの躍動、ザ・体操ニッポンの代名詞、内村航平の鉄棒、奇跡の大復活へ期待がかかる池江里佳子の泳ぎなどなど。

やっぱりオリンピックはウキウキします。7月15日発売のNumberでのオリンピック特集が待ち遠しいです。もはや無観客でもマン防でも、とにかく開催してほしい(という気持ちになってきました)。

って、もう、再来週の話なんですよね、オリンピック。なのに、まだ明確な指針が出ていないことに驚きです。男子サッカーの準決勝のチケットをもっている私たち家族は、さて、再抽選で当選するのか。

いやいや、再抽選すらない、無観客試合なのか。やきもきしながらではありますが、色んな意味で、これまでにない、絶対に忘れられない東京でのオリンピックになりそうです。

どうか、同じ色で同じ輝きの金メダルになるように、工夫と協力のもと、様々な問題をクリアにして、開催してほしいです。



■2021年6月20日
「いっしょにみんなでがんばろう!!」

今日は父の日です。私も、父親になって10回目の父の日になりました。息子からもらった手紙を読みながら、じわっと実感しました。

文字(のようなもの)を書いて、クレヨンで塗りたくった手紙をもらって目頭が熱くなったあの頃から、絵がしっかりしてきて、文字がしっかりしてきて。

で、今年は、書いてくれた内容にじんわりしてしまいました。

私自身が無意識に毎日生活している姿を、息子は自分の目と心を通して、いろんなコトバにやさしさを乗せて記してくれました。

宝物です、本当に、この手紙。

そんな息子は、先週、あるオーディションを受けました。大きなホールで行われる歌曲の子役オーディションで、送っていた親(私)は入り口で帰らされ、あとは息子が一人で戦ってきたようで。

もう、漫画か、というぐらい入り口の受付でガチガチに緊張していた息子も、オーディション終了時間に迎えに行くと、ニコニコと会場から出てきたので、親としては安心していました。

で、結果、なんと見事、合格。

11月の公演までびっちりとレッスンスケジュールがあり、ここからどれだけ成長してくれるか、親としては、ただただ応援しか出来ないので、期待しつつ支えたいな、と思います。

先述の息子からの手紙にもあった言葉を借りると
「いっしょにみんなでがんばろう!!」です、ね。

さて、店でお酒を飲んで、ぐだぐだと過ごす時間への渇望や、サッカースタジアムで大声のチャントを張り上げたり、野外で音楽に合わせて体を乗せたり、そういった「空間」で思い切り楽しむことへの欲求が限界ですね。

コト消費という価値観が成熟しはじめた時のコロナ禍で、全体がしぼんで行きそうで嫌になります。

そんな中でのワクチンラッシュ。それが徐々に「しぼみ」を止めることになるのを願うばかりですが、世間ではワクチンハラスメントなんてことも出始めて。

同調圧力に対する「反対側」の人には、これからも悶々とした日々が続くかも知れませんね。そういう段階も、はやく越えたいなぁ、と思いつつ。

自由にどこでも行けるようになる日が来たら、まずは京都に帰省したいです。帝国ホテルが弥生会館の一部を保存して2026年に開業するというニュースをよく見ますが、それ以外にもホテルのオープンラッシュですよね。

京都へ観光客として訪れたことがないですが、これだけ帰省できないと、京都は帰るというより、行くという印象が強くなってきました。星野リゾートのOMOも、楽しいかも知れないし、やっぱり鴨川沿いの和洋折衷の「京都らしさ」を体感するのもいいですよね。

京都まで行けるようになったら、そろそろしっかり瀬戸内海の島ホッピングも息子と行きたいな。そのまま下関までいってふぐを食べたりして。

ふぐといえば、下関では「ふく」と称し、市場ではふぐのアラをつかった味噌汁があったのを覚えてます。下関から、北九州へ渡って、スターフライヤーの本拠地をみながら、博多でうどんが食べたい。

もしくは、ぐ〜っと太平洋沿いを巡って、伊勢神宮からパンダがたくさんいる南紀白浜アドベンチャーワールドにいってみるのもいいなぁ(夏休みっぽい)。

あ、松島でブルーインパルスも見たいし、夏の終わりというか、秋の始まりには新潟県の村上までいって鮭の遡上時期にいくらをたらふく食べたいな、とかも。

いくらなら、やっぱり北海道か?なんて思いながら、航空会社のアプリを起動してマイルを確かめると、めちゃくちゃ貯まってます!これだけあれば、家族三人で札幌なんて余裕で二三回行けます。

あ〜、マイルがこれだけ貯まるほど、どこにも行ってないのかぁ、、、

もちろん、海外にも行きたいです。来年の夏休みにはようやく行けるようになるかな?1歳2ヵ月の初海外から、もう5回ほど海外旅行へいっている息子は、記憶に残っているのは、一昨年行ったニューヨークらしく。

そういう大都市への旅行が、やっぱり息子の興奮のツボがあるようです。都市部への海外旅行は、メルボルンも経験済みですが、それはまだ3歳だったので、それほど記憶が無いらしく。

私自身も、やはり都市部へのトリップジャーニーが好きで、次なる候補地が次々浮かんできます。

ロンドン、パリ、マドリード、バルセロナ、ミラノ、ローマ、ベルリン。アムステルダムにストックホルム、レイキャビク、ブカレスト。アテネ、イスタンブール、デリーにムンバイ。バンコク、シンガポール、台北、ソウル。サンフランシスコからポートランド。

嗚呼、久保建英は来季、どこにレンタルなんだろ。南野はリバプールに戻らないのかなぁ。原大智がスペインに行くから、スペインを回ろうか。それとも、ブンデスリーガか。

いやいや、やっぱりオオタニサーンを見に、アメリカの西海岸を一筆書きしようか。と、なると都市型滞在の旅行は出来ないなぁ。

メキシコ、ペルー、ブラジル、アルゼンチン。中南米も魅力的だなぁ。などなど云々。

東京オリンピックの次はパリか。その後のロサンゼルスに次いでブリスベンらしいですね。コロナからアフターコロナ、そうしてウィズコロナの時代が来たら、私はいったい何歳になってるんだろ。

何歳になっても、旅するんだろうことだけは、はっきりしてますが、その旅先は、刻一刻と変わりそうな気もして、それが楽しみでしょうがないです。

そんな気分に、どっぷり、はやく、完璧に浸りたい。



■2021年6月6日
「ドドドっと」

豪雨のち晴天という〈梅雨だな〉というのと〈梅雨だよね?〉というのがごちゃ混ぜになって、気温の落差もあるから体調を崩す方も多かったのではないでしょうか。

6月に入りました。2021年も、もう半分が終わるんですね、今月が終われば。全く持って、毎年のことですが、この時の流れの速さに実感がないです。

オリンピックって来月です、よね?なのに、開催か延期か中止か、っていうことをやっている異常事態で、これは、たぶん、そのまま開催して、やったらやったで大盛り上がりするんですかね。

アテネオリンピックの時に、オリンピック会場の建設が遅れてて大変だ、わー、もー、どうなるんだ?みたいなことをやっていましたが、開催したらしたで大盛り上がりだったことを、なんだか思い出します。

オリンピック期間って2週間です。その期間、世界中がこれだけ注目するから、ものすごいお金が動くわけで、だからこそか、注目度もますますあがって。

改めて、ものすごい祭典だなぁ、と思います。で、来年になって早々の2月には、もう冬のオリンピック(北京らしいです)ですよね?で、来年の終わりにはサッカーのW杯(カタール大会)ですか。

4年に一度が、交差して、夏季五輪の2年後に冬季五輪とサッカーW杯という間隔が、東京五輪の延期で崩れましたからね。ドドドっと一気にやってくる印象です。

先週は、サッカー日本代表が、W杯のアジア予選で招集されたA代表と、オリンピック世代のU-24の代表が試合をするという珍事?もあったりして、このドドド感を象徴していたように思います。

コロナのワクチン接種が高齢者を中心に進んで来て、今月、来月辺りから一般接種も始まり、で、オリンピックも開催されると、いよいよアフターコロナ、人の交流が復活しそうな兆しです。

旅したい欲求マグマが噴火して、観光業界の方はリベンジ消費で色んなことが動き出すんでしょうね。人の動きが復活すれば、長かった停止状態のあちこちの歯車も動き出すのかな、と。

今のうちに、油をさして、メンテナンスしておいた方がいいことって、それぞれの場所で多いでしょうね。

さて、ここ最近、出かけるにしても何だか緊急事態で、先の先の予定が組めないせいか、近所の公園で子どもとフリスビーをしたりするのがやっとの休日が多いです。

それはそれで、楽しく、突如、「あ、こいつ、こんなおとなになってる!」という嬉しい驚きもあって。こうするんだよ、こっちだよ、それはちがうよ、という息子に注意され修正されたりすることも多いです。

老いです、かね・・・。

電気シェーバーの電源が入らなくなり、壊れたけど、ま、いいっか、と思ってしまったり、このシャツには白パンを合わせたいな、と思っても、ま、無いからこっちでいいっか、と思ったり。

電気シェーバーをすぐに買いに行ったり、白パンを探して、ウロウロと買い物したりするフットワークの軽やかさが、どうも、ま・いいっか、という重しで鈍くなっているように思います。

週末、家族でランニングして「いた」こと、帰宅したら、シャワーを浴びる前に腹筋・背筋・腕立てなど簡単な運動をやって「いた」こと。

前は、以前は、あの頃は、の全部過去です。なので、体も気持ちもどろ〜んとなって、これじゃ駄目だ、駄目だの黄信号も、見て見ぬ振りでやりすごしているのが現状というか。

そして都合の良いことに、だってコロナだし、というところに集結して、コロナが終わったら、というのが自分の中の合い言葉のようになっています。

はい、これで、コロナを終わります、という号令なんて無いのに、です。

終了のチャイムを待って、それから始めるという言い訳を創り上げるよりも、開始のチャイムを自分で鳴らさないと駄目なのに。

私が生まれるより前に発売された和田アキ子さんの『あの鐘をならすのはあなた』の歌が頭の中で流れます。発売された当時の時代背景から、色んな解釈が成されている歌です。

♪ 町は今 眠りの中 
  あの鐘をならすのは あなた
  人はみな 悩みの中
  あの鐘をならすのは あなた

町は眠り、人はみな悩んでいる。そんな時代に鐘を鳴らすのは、未来に向けたビジョンだったり、未来における楽しみだったり、フワッと浮かぶような感覚だったり?

その鐘で、一気に行こう、みたいな感じを歌から、歌詞から受け取れます、私には。

うん、そうだ、電気シェーバーを買いに行こう!
で、ついでに白パンも探しに行こう。

と思います。



■2021年5月16日
「やれることをやるんじゃくて」

いやぁ、昨日は暑かったですね。完全に運動会日和で、コロナ禍仕様の開催で、学年事に1時間でささっと終わるプログラムでしたが、それでも暑かったです。見ているこちらでもそうなのですから、やっている子ども達は、さぞ大変だったでしょうね。

春や秋(の気候の良い時期)に運動会をするというのも、これだけ暑いと、気候がね、もう、運動会に不向きになってきたんでしょうかね?

そんな昨日の、暑い中での熱い競技を観戦しながら、この夏、東京でオリンピックかぁ、と、あるのか、ないのかよくわからない状態で考えるのも、ほんと、異常な感じです。

ワクチン接種も各地で混乱しているようですし、そもそも自治体によってこれだけ「やりかた」の違いがあるというのも、心底まか不思議な話です。

緊急事態宣言を短期間で終わらせるために、人流を完全に止める。そんな強い姿勢で、休業要請(罰則付きですよね?これ)をしたにも関わらず、予想通りの延長で、さらには東京や大阪・京都・兵庫・福岡・名古屋などの大都市圏だけでなく、広島、岡山も追加したりして。

とっちらかるのは、管総理だけにしてほしいと、総理大臣の会見が、ほぼ、専門家委員会の人に助けられている様を見ながら思ったりもします。

言うだけ言って、我慢と無理を強いるだけ強いて、それでいて、日本医師会の会長は集団でパーティですからね。パリポ=コロナの、ずいぶん以前にあった印象を上塗りしている現実に、何と言いますか、阿保ちゃう?と思わずには居られません。

挙げ句、日本医師会の会長の言い訳は「感染症対策は徹底していたから」と。そんなもんどこでもやってます。消毒とアクリルボードとディスタンス。それでは駄目なんで休業なんでしょ?

いい加減、スパッと縦割りのしょうもないやり方じゃなくて、しっかりしましょうよ。発言力のあるおじさま方、邪魔なので、バイバイですよ。

そもそも、やっぱり日本全国、一律に自粛して、規制して、ワクチンも分配しているのでは、限界がありますよね。トリアージですよ。もっというと根元をしっかり閉めないとダダ漏れですよ。

そういう、2つも3つもステージを上げた対策と対応をお願いしたいな、と強く思います。

しとしとと雨が降ってきました。

鬱陶しい梅雨の時期です。九州では早々と梅雨入りしました。それでなくてもジメジメするのに、マスクで肌がかぶれますよ。あ−、もー、ったく苛々が募るばかりの日々です。

ふぅ〜、家のリビングで、家族でゴロゴロと過ごす週末も、いったいいつまで続くのかなぁ。と、ふと、子ども部屋に貼ってある世界地図を見ながら、その下の方に世界中の国旗がずらりと並んで記されていて。

そのカラフルな国旗を見ながら、昔、色の勉強をするのに国旗とにらめっこしていたな、なんて思い出したりするうちに。

これだけの国がある中で、たぶん、ほとんど全部の国でコロナなんだろうな、ということを思ってゾッとしました。そのほとんどの国から東京へ、この夏、やって来て、祭典を開こうとしているんだよな、と。

そのために、それだけのために、デパートも劇場も、飲食店もショッピングモールも、時短だの休業だのと、一律でルールを守らされてるだよな、と。

言うだけ言う人達は、飲食店で夜中まで宴会したり、パリポの失態なのに、です。

ほつれって出来るものです。それは完全な完成品を最低ゴールのような目途としてしまっている所に無理があるのに、それでも強行するから出来るのだと思います。

もっと現実的で、最も有効な術を発信し、引っ張って行く。そういう者を、我々は選挙で選ばないと、ほんと駄目ですね。

ボス然としたふてくされたおじいちゃんに、へいこらしている場合じゃないですよね。

ワクチンが行き届いて、コロナをどう抑え込むか。ある意味でモデル地域のようになっていたイスラエルでは、また爆撃・空襲の時代に戻ったかのようです。

マスクは着けない、ワクチンは打たない、という個々の信念のようなものを持った方々が、我流でコロナと向き合おうとしているという話も聞きます。

世界は多様です。だからこそ良いのだと思うことに変わりはありません。上から完全に押さえつけて、徹底させるという国民を下にみているような国でもなければ、そんなことできっこ無いのですから。

もう、コロナも一年以上続いている訳で、これだけの経過で分かってきたことをしっかりとデータ化して、立証して、やるべきをやりましょうよ。

やれることをやるんじゃなくて。

やるべきだけど、あの先生の考え方が違うから、とか(そういう利権を守ってるんでしょうけど)、こうしたらいいと思うけど、あの先生が、それは駄目だと言うから、みたいな。

上の顔色ばっかり見ながら対策している段階は、とっくに過ぎてます。

誰も正解を知りません。どうしたらいいかなんて、たぶん誰一人自信を持てません。そんなことは分かった上で、人の感覚、人の顔色をすっとばしたデータで、感度の高い対策を、と。

ほつればかりを指摘して、それを出さない風潮では、本質的な対応は出来ず、この状況を脱するのは不可能じゃないかな、と思ったりします。



■2021年5月9日
「あんなこといいな、できたらいいな、の精神で」

東京オリンピックの無観客が現実味を帯びてきました。東京、大阪、京都、兵庫の緊急事態宣言延長に加えて、福岡と愛知も新たに宣言下におかれ、連休を終えてもコロナ、コロナの毎日に、歯止めがかかりません。

そんな中、中国のワクチンなのか?詳しくはわかりませんが、香港に住んでいる友人から、ワクチン接種の2回目を終えたと知らされました。2回目の接種後は、発熱や倦怠感などの副作用もあるとか。

へぇ〜、いいなぁ、ワクチン早く打ちたいな、と思っていると、京都に住む母からワクチンの予約がようやく取れたと。ワクチン接種なんて、いつになることやら、という遠い未来から、だんだん近づいてきていることだけが救いのような気もします。

昨日の新聞には、菅首相の「ワクチン接種、1日100万回目標」という発言が載っていました。年内にも一般人向けの2回接種が終わりそう?という淡い期待を浮かべられるようになりました。

そうなると、今年の年末年始、あるいは春休み、来年のGWこそは、ようやっと海外にも旅できるようになるのかな?なんてことが頭に浮かぶようにもなりましたね。さてと、どこ行きましょかね、

たまるだけたまったマイレージを使って、近場のアジアから行くか。それとも一気にロンドンか。

ふわふわと希望にばかり浮かれてもおられず、現実はまだまだ緊急事態宣言下です。ここら辺で、もう一度、感染予防の徹底に一つギアを上げたいと思います(使い方、間違ってますが、この感覚が一番実態に近いです)。

それにしても、暖かい日が続きますね。

これからじめじめの梅雨入りまで、新緑の気持ちいい季節です。木々に囲まれた朝の陽の光の中、生きてて良かったと思える一瞬、一瞬に、本当、生きててよかったと思います。

今日は母の日。昼ご飯は久々のお好み焼きを作ろうと朝からスーパーで買い出しをして、その後、サプライズで、息子と二人、母の日のプレゼントを買いに行きました。漫画みたいに驚いた妻(母)は、買ってきたあまおうチーズモンブランというケーキを気に入ってくれました(よかった、よかった)。

さてクルーズの話です。

GWに入ってすぐ、720名の乗員・乗客を乗せて横浜港を出発した飛鳥Uが、コロナ感染者が出たため途中で横浜に引き返してきました。

PCR検査で陰性の方ばかりを乗せた船も、1人の感染者が出ると、閉じ込められた空間だけに、去年のすさまじい記憶を思い返さずにはいられません。政府がチャーターした飛行機から、コロナ感染者が出るというのも、よく聞く話です。

こうなると、どれだけ徹底した感染予防対策をしていても、なかなか抑え込むことができないのがコロナなんですね。クルーズから徐々に回復してきた旅行需要も、ここで、また振り出しになったか、と落胆を超えて危機にすら感じる企業も多いかと思います。

日本航空や全日空では、事業ドメインの決定的な打撃を受けて、いろいろな模索をしているとニュースは伝えます。お客様を、旅先まで安全にお届けする。そのための航空会社が、航空事業だけではダメだというチェンジです。これは、ものすごく大変なことだと思います。

と、思う一方で、一つの事業ドメインから大きく舵をきるのは、例えば、コロナがなかったとしても、いつかはやってきただろう事象かもしれません。花札を作っていた会社が、娯楽という目的からファミリーコンピューターを開発したように、です。

やれることは無限です。その中からやりたいことを抽出すればモチベーションが伴って成功する確率も上がると思います。あんなこといいな、できたらいいな、の精神で、ここを乗り越えていく術を。とにもかくにも前向きに楽しく。

そして、徹底的にしつこく、突き詰める。
そんな時期なんでしょうね(どんな業種においても)。

自粛疲れの頭の中で、気晴らしに映画でも見に行こうと映画館へ(休館)、しょぼんとして美術館やデパートへ!といっても休館。というか、街へ出るという行動そのものがNGという空気の中ですから、このストレスたるや半端ないです。

仕方なく、テレビでアプリを開いて、TVerで見逃したドラマやバラエティ、Amazon Primeで映画なんかをみつつ、疲れたらソファで本を開いて読んでます。

うとうとと夜も9時にソファで眠ってしまい、夜中の1時に寒くて目覚めて、ベッドにはいったら、温かいけど、今度は眠れず。

ゴロゴロ寝返りばかりを打ちつつ、頭の中では、あまりプラスなことが考えられません。どんどんマイナスになって、不安になって、そしたらまた眠れなくなって。コロナだし、寝苦しいし、で、ったく、なんなんだ!です。

楽しいことを考えます。赤いきつねの特盛が78円で売ってました。一風堂の白丸元味バリカタは安定の美味しさで、初めて行った美容院が見事に成功でした。なんだかんだで大笑いすることが一日に数回あります。

おかげ様で健康です。ご飯をおいしくいただいてます。ビールもワインも、嗜んでいます。これと言って、大きな心配事なく、過ごせています。なのに、です。ストレスを感じます。その原因をつかめないまま、時々、どっと疲れてイライラもします。

それもこれも、みんなコロナのせいにすれば簡単なのですが、どうも、そうとばかりは言ってられないと感じているので、そこが少し気がかりです。

去年と同じような5月の中で、来年の5月を考えます。コンタクトがゴロゴロします。そんな「目」では、どうも大きな期待をかけられないような。。。

10年前の今頃は、まだ誕生していなかった息子が、どんどん成長して、私の知らないことを知るようにもなりました。その私の知らないことをサラッと教えてくれて、それで救われることもあったりして。

なんだかんだ頼もしいです。グミばっかり食べて、ジュースばっかり飲んで、宿題も適当にパパッと終わらせて見直しなんてしませんが、そんなことより、もっと大切なことを、知ってくれているのかな、と思う日々です。

今日は、晴れです。



■2021年4月29日
「いうこときいてくれ、では無理ですよ」

働き初めて2年ほど経った、24歳の私は、生まれ育った京都から、兵庫県の西宮北口駅のすぐ近くにアパートを借りて一人暮らしをしていました。そこから、当時の職場があった梅田まで通ってました。

阪急電車通勤。これぞ大阪、ザ・関西の匂いが濃厚な車内は、なにも551だけが要因ではなく、人が話す言葉だったり、着ている服の感じだったで漂ってました。

そんな梅田勤務時代の味には、印象的なのが沢山有ります。でも、なんとなくで、いろいろ忘れてます。四國屋のカレーうどん、ブッツトリックバー、一芯、銀平などなどある中で・・・

ふと、秋吉の焼き鳥や串カツというのがあって。それは、串カツ田中のようで、鳥貴族ほど居酒屋になりすぎておらず、ひたすら早くサーブされる印象でした。

さらには、串カツを頼むと5本セットで、どれも一口サイズ。これが、若い時代にはありがたく、ばくばく食べて、満腹で、割り勘で払っても安い、という重宝した店でした。

そんな若い時、よく行った店に家族で行く。そんなときは決まって不思議な感じが湧きます。あの頃のあの味(雰囲気)を、今は奥さんと息子と家族で来てるのか、と。

当時の私には結婚のことなんて考えにも及ばず、ただひたすら、食べて、飲んで、しゃべって、笑って、それだけ、だったのに、そんな「おれ」も、なぁ、家族ができたのか、と。

本当に、これはすごく不思議な感覚です。私が新人の頃、四十を超えた課長なんかが「感覚だけは、お前と変わらないよ」と《訳の分からないこと》を言ってましたが、

今(その立場に自分がなってみて)、23歳の社員と話していると、《ものすごく、わかります》。感覚だけは、あの頃のままで、そこに経験というか経過というかその厚みがあるだけで。

一気にタイムスリップする味。よく行った食べ物屋。そこに通う客の昔と今。増える家族、などなど、その空間と味には、様々な背景を持たせますよね。そこで食事をして、会話をして、それが想い出になる。

新幹線に乗って、遠い所へいって、ぎこちなく記念写真をとった修学旅行より、ふと父親の気が向いて「外に食べに行こう」といわれて、家族でいった中華料理屋の記憶の方が濃厚だったりもして。

そんな想い出に会い、その時間と空間で味わう。これは、不要ではなく、不急でもない、必要な「今」を共有する大切な場所です。

確かに、お酒が入ると『マスクをはずした状態で15以上一緒にいる』という濃密状態になることから、酒類の提供禁止という話もあるんでしょうけど、食べ物屋という空間は、それだけではない場だと思うのですが。

何でもかんでも閉めて、とにかく人っこ一人居ない銀座や新宿、渋谷の状態にしようという緊急事態宣言ですが、もう駄目ですよね。去年の一回目のようにはいきませんよね。

だって、もう、知ってるんですから、
どうせまた繰り返すだけだったことは。

禁止して閉め出して、「いうこときいて」という姿勢の政府や都の発信には、そりゃ路上飲みするよ、余計に濃密だよ、と思わざるを得ません。

しっかりと対策をして、用心しつつ、食べて、語らう場を開いてこそ、そこから、コロナをおさえる真の「知恵」が生まれると思うのですが。

『頼むから、言うこときいてください、家にいてください、街をからっぽにしてください』では、無理ですよ。

東京オリンピックも無観客開催になりそうですね(はぁ)。コロナを発生させてばらまいた国は、自分トコだけ抑え込んだと思い込んで、ワクチン売ってます。それを、買ってオリンピックするっていうから、はぁ、が止まりません。

どうなるんですかね、この夏。

去年の夏に、オリンピックのチケットを払い戻ししておけばよかったんですかね。サッカーの準決勝、なんですけどね〜。ま、この春、アルゼンチン戦を見られたからいいっか、とか。

2021年の夏かぁ。10年前、京都で結婚式を挙げたなぁ。あの頃、まだ息子はお腹の中にいて。東山の五重の塔をバックに記念撮影したなぁ。

よし、10年の記念に、こんどは3人で東山にいって、同じ所で記念撮影しようかな。

などなど、思っている今年の夏、までには、ワクチン、どうなってるですかね。とにもかくにも、そこだけは必死で、つかえるモノは全部つかって、いろんな整備をして、ワクチン接種できる体制を作ってほしいです。

あれもしたいし、これもしたい。そんな予定が「夢」に終わることのないように、そのための、今の、緊急事態宣言なんだという期間にしたいものです。



■2021年4月24日
「変化球も頭にいれて構える必要」

東京、大阪、京都、兵庫の都府県に、再びの緊急事態宣言です。東京は、緊急事態宣言を解除して1か月後、大阪はまん延防止策で様子見した後の緊急事態です。

コロナの勢いが止まりません。確かに、変異株が猛威をふるっている状況下で、今回の宣言に反対はないのですが、どうも、管総理が宣言する会見で頭を下げたのには違和感です。

このコロナに真正面から立ち向かっているという印象は、吉村知事であり、小池都知事。管さんの顔って見えてきません。それが、頭さげときゃいい、という印象に繋がっていたりするんでしょうかね。

何より、緊急事態だ、という緊迫感に乏しいです。三回目だからというのもあるでしょうが、一旦、感染者数が減っても、また増えて、また緊急事態という負のサイクルが見えてきたからかもしれません。

病院で働く現場(緊急事態)と、そうでない多くの場(負のサイクル)との感覚の差異が、明確に出る事象でもありますが。

さて、「今回の宣言は、ゴールデンウィークの短期集中対策として強力な措置を講じるものだ」といいます。

とにかく大型連休の間、仕事も休み、外出も自粛して徹底したステイホームを、と。

同時に、酒類を提供する店、カラオケ店には《休業》を要請して、それ以外の飲食店は20時までの時短要請。さらに、大型商業施設、映画館など娯楽、書店に至るまで休業要請をするという今回の宣言は、確かに強力です。

もう、さすがに持たない。渋谷の映画館「アップリンク」が、ついに閉店するというニュースは衝撃でした。この一年間、映画館を守ろうとする人達の支援があり、そしてもちろん映画館の企業努力があり、なんとか粘ったけれど、限界だった。ということなでしょうね。

ニューヨークなどでは、高い家賃で、狭い部屋に住んででも、大都会の要素が「その忍耐」を上回っていたけど、コロナは、通勤を変え、働く場を自由にしたことで、郊外に流出しているといいます。

人が集まり、活性化して生まれる文化が、みんなバーチャルでピコピコする未来に、なんとなく不安なのは、歳のせいでしょうか。このままでは、さすがに限界という、尖ったオリジナリティが、みんな丸くなりそうで怖いです。

ゴールデンウィークに、全部をストップして、とにかくウイルスを広げないようにする。そして、連休明けには感染者数を減らす。

それは何のためか・・・、というとIOCのバッハ会長が東京に来るからという話もあります。東京で、ワクチンも十分ではない中でオリンピックを、なんとしても開催するため。

そこに政治的な意図が見えて、なんだかなぁ、と思っている人も多いかも知れません。

店が閉まってるなら、路上で飲もう。そんな若者を中心とした飲みニケーションも、まん延している一因なのか、そこにもメスが入ろうとしています。

改めて、こういうウイルスとうまく付き合って、感染対策をしながら生活をするというスタイルは、難しいですね。一人ひとりの考え方の違いというのもあるし、「自由」という枠のとらえ方も多用です。

自分の自由が、他人の自由を奪うのは、自由とは呼ばないという原点に立ち返って、一人ひとりがフリーズする時期なんでしょうね。ただ、これ、去年もそうで、今年もそうで、来年は大丈夫だろうという目測が外れた時、一番、恐れます。

マスクをしないで飛行機に乗ろうとしたり、飲食店に入っていったり。それを止める人とトラブルがあったり。なんとも「しんどい」事例があって、それがマスメディアで報道されて。

重箱の隅を突いて、「そういう」事例を大きく伝えるから、普段から「ちゃんと」している人まで、余計に気疲れしてしまう。嫌な雰囲気です。が、やらないとしょうがない時期でもあるんでしょうね。

さぁ、来週からはゴールデンウィークです。

気候もよくなってきました。公園など人の集まりそうなところは徹底して封鎖されるようですが、コロナ、コロナばかりで我慢しすぎて「ちがう」ところで病気にならないように、過ごしたいものです。

今日は息子の授業参観です。土曜日に行って、来週、連休に挟まれた金曜日を休みにする処置のようです。参観者は、事前に登録をして、行っていい時間が決められ、朝いちに体温をはかって記入するフォームがメールでとんできました。

こういう段階を踏むことで、マスクはもちろんのこと、熱があったら控えようとか、意識は確かに高まります。それぞれの場で、出来るかぎりの対応に知恵が絞られ、共感を生み出して協力し徹底できる。

ストレート待ちのバッターが、変化球で空振りしてしまうようなことにならないよう、この変異株というものを頭にいれて、構えたいと思うばかりです。



■2021年3月27日
「必要な物を持つ者になりたい」

旅立ちの季節です。桜が舞って、みんな、何気なく外に出て、都立公園ではレジャーシートを敷いて、飲んで食べてしゃべって「嗚呼、楽し」という春は、【今年も】歯切れが悪く、非常事態宣言は解除になりましたが、まだまだコロナ禍です。

旅立ちの季節です。卒業していくだけが旅立ちではなく、新たな地で、新しい毎日へと移ろいゆく中、ココ(居た場所)に思いをはせながら、思い返す物事に、一つずつ丁寧に感傷的になったりしては、思い出の全部がとても素晴らしいものになっています。

旅立ちの季節です。日々の積み重ねは、13年という月日にもなると非常に分厚く、あんなに嫌だったことが、180度かわって「いうほどでもなかった」ことに変わっていくから、余計に離れがたくなったりもするのですが。

旅立ちの季節です。旅立ちを決めたのです。もう、そっち(先)の方をしっかり見据えて、この準備に追われるバタバタと、各種の手続きに気をもむ中でも、ブレずに行きたいと強く、強く、とても強く思いながら、私は、これを記しています。

ジリジリとします。なんでしょうね、このジリジリとした感じは。落ち着いて考えてみると、こんな時間は、本でも開いて、物語の中にどっぷりつかってみてもいいのに、そうもいかず、ただソファに座って、ベランダを眺めたりしながら、ただジリジリして。

カチンと誰かがスタートをかけたような気もするし、そのカチンコをクラップするのは自分自身のような気もして。そんなことを考えているから、ジリジリするんだろうな、と思ってます。

カウントダウンが始まったロケットのような、ものだと、言いたいところです。

それにしても、今年の桜(の開花)は早いです。ベランダから見える桜並木もちらほらと満開に向けてまっしぐらです。部屋の中では観葉植物が新しい芽を出しました。

窓を開けて、カーテンを揺らす柔らかい風に心地よさを感じたいところですが、花粉が、ね。恐ろしいので閉めたきりの窓、ですが。

ソファを買いました。家族みんなで落ち着けるサイズのものを。テレビも買いました。もうMacをいちいち繋いでDAZNを見なくても済むものを。ベッドも買いました。マットレスのセール中に、サータの疲れにくいものを。

いろいろ買っては、断捨離しています。必要なものが多いです。だからこそ、不要なものが目立つのかもしれません。こういう断捨離中に思うのは、かつて必要だったものが不要になったというのに比べて、よく考えると、はじめから不要だったんだというのが多いことです。

必要なものは、やはりどこまでも必要で、仮に一時的に不要だとしても必要になるかもしれない、ということで捨てられません。が、もともと、その時点で必要ではなく、いつか必要になるかもしれないというものの多くは、いつまでも必要にならないまま。だから、そういうものは断捨離します。

必要な物を持つ者になりたい。私は今、改めてそう思います。フットワーク軽く、しっかりとこだわって丁寧に生きたい。今年、四十も半ばになるわが身に、衰え感じると同時に、そういう余裕みたいな芽生えがうれしくもあります。

速く早く、より多くと追い求めてきた時代を終えて、今、どこかそんな心情です。

大人の階段があるなら、一段上がったような気持ちと言えばいいんでしょうか。ステージでいうなら、次のステージ(と思いたい)とでもいうんでしょうか。まぁ、とにかく私にとっても、家族にとっても、そういう春です。

卒業式で歌われる人気曲に合唱曲から常にランクインする「旅立ちの日に」。その歌詞の中に「弾む力を信じて」「飛び立とう」というのがあります。

もともとは埼玉の中学生教員が作ったということですので、弾む【若い】力を信じて、となってますが、ここから若いを取ったとしても、とても好きな歌詞です。

弾む力。沸き立ち、うごめき、これがちょうど、今のジリジリだったらいいのに、と、個人的に。弾む。昔あったぴょんぴょん跳ねるおもちゃに乗ってるイメージ。不安も心配事も、なんというか上向きに。

息子は修了式を終え、また一つ学年が上がります。行ってきます、ただいま、の繰り返しが、ぐるぐると勢いに乗って成長してくれています。

そんな春の日に。進級おめでとうの意味を込めて、彼の大好きな焼肉に行き、どんどん食べる姿が頼もしくもあります。

今日は、昨日のU-24の日本代表vsアルゼンチン代表の試合を見て、興奮した気分のま、息子は自分のサッカーチームの練習に出かけていきました。白いユニフォームが眩しく、今、出来ることと出来ないことの、整理の付かない頭の中で、ごちゃごちゃになりながらも、頑張ってるな、と思いつつ。

言うべきコトは、しっかり言って、息子にも必要な物を、しっかりと持つ一人の人間になって欲しい。そう思いながらの、、、春の晴天です。

サッカーの試合から帰ってきたら、近所の人達と、近くの公園で花見です。密を避けながらの、、、。



■2021年3月6日
「しっくりくるように」

後手後手(に回る人)は、往々にして想像できていないんだろうな、と思うことがあります。

想像するとアイデアが沸きます。そうすると、そのアイデア(が正しいかどうか、不安なので)を他者にぶつけてみます。そこで、何かを足したり、引いたりしながら、アイデアが育ちます。

物事を決める、というのは揉んで揉まれたアイデアの結果という気がするんです。想像し、浮かんだアイデアを揉んで、決める。それをする・しない、が先手か後手を分けるように思います。

物事を決めるリーダーには、翻って、この想像するということが必要で、それは広い範囲で、のべつ幕なしでできるかどうかという資質が必要な気がします。

後手に回るというのは、足がおそい、寝坊するというのではないですからね。小池都知事よりも先手を取るために、中途半端で何の答えもない会見をした菅首相。

「緊急事態宣言を延長したほうがいいと思うけど、まだ、決定したわけではないよ」て。それ、最終決定権を持つ人の言葉ではないですよね(あえて、笑、をつけたいです)

おそらく、あれなんでしょうね。いろんなことを、ぶわ〜っと言われて、(もちろん、それは私などには経験したことのない量のもの)パンパンに膨れ上がって、整理して・考えて、相談して、なんて根回ししている間に後手になったんでしょうね。

ソーリ、それじゃダメです! とにかく、先に、会見だけでも!という圧力?で、水曜日のような、よくわからない緊急事態宣言の延長を示唆、をしたんでしょうかね。

もともと、年明け早々に菅首相が緊急事態宣言を行ったときにも、ふわふわして緊迫感はなく、宣言の後、テレビ(忖度する番組が中心?)などでも「2月7日までにはコロナをなんとしてでもおちつかせる」というようなことを言ってましたが、あっさりと1か月の延長でしたからね。

で、今回さらなる延長ですから、まぁ、コロナは菅首相のせいではないし、延長したからって責める気は毛頭ないです。が、同時に、だからこそ、この宣言にも重みは減ります。

それにしても、緊急宣言の1か月という期間に疑問がありましたが、今回の2週間延長というのは、聖火ランナーがスタートするまで?という訳の分かるようで解らない期間設定になってますからね。

なんだか、専門家のみなさんは、コロナウイルスというものに対峙して導き出すんですが、政治家は、まるで選挙さえ通ればいいからと戦略的に選挙日程を決めてる感じで、期間を導き出しますからね。

まぁ、聖火ランナースタートといったって、肝心の東京オリンピック・パラリンピックも、海外からの観客を入れないという信じがたい対応を取るとか、取らないとか言われている以上、「なんだ、それ?」という強引な策の積み重ねを見ているようです。

英国タイムズ紙じゃないけれど、「中止の時が来た」という気もしますね涙。

先週、私の住んでいる自治体から、新型コロナワクチン接種のコールセンターを開設したというLINEが来ました。接種の方法、接種会場など接種手順についての一般的な相談を受け付けるようです。

今、全くのノーインフォの状態で、相談窓口だけを構えるという自治体の先手の動きに、電話して相談したって、後手後手の政府からの情報発信待ちです、と言われるんだろうな、と思いつつ、ワクチン、いつ配分されるんですかね。

この、(国と自治体の)時間差というか、紛らわしさというか、違和感は、住んでいる住民である私たちに直結しているように思います。

そんなちぐはぐが、思えば冬のインフルエンザ予防接種のワクチン不足の混乱や、今、3回接種する子どもたちの日本脳炎ワクチンの不足にも影響しているようにも思えるのですが。

ただ、ワクチンは、感染拡大防止と経済停滞の抑止の両方をかなえてくれるだろうものなので、ここにプライオリティをしっかりマックスで置いて、かじ取りをお願いしたい、と強く思います。

さて、スマホも折りたたむ時代?ですかね。

モトローラが、ついに折りたたみのスマホを発売しました(「motorola razr 5G」、ソフトバンク)。携帯電話といえばノキアかモトローラという時代を知っている世代としては、ついついモトローラと聞くと触ってみたくなります。

中国や韓国のメーカーから折りたたみスマホが発売、と聞いても個人的には反応しなかったですが、これは、「折りたたみ方が馴染みのある形」なので、電気屋に行ったら手にとってみたいな、と思います。

スマホもどんどん細長く(特にXperiaで採用の比率)なる一方で、ポッケに収まらなくなってきてますから、確かに、折りたたんだ方が持ち運びやすいでしょうね。

特に日本では、携帯電話で「Nシリーズ」が折りたたみだしてから、ほとんどすべてが折りたたむようになったという実績?がありますからね。

このまま、この1〜2年で縦折りにたたむ形が主流になるかもしれません。XperiaやiPhone、あとは韓国や中国がもれなくパカパカしだすと、あ〜、私も買っちゃうんでしょうね。

スマートウォッチがなかなか伸びない今、携帯は着る・身に付けるというより、ポッケと手の平にしっくり収まるというスタイルがいいんでしょうね。となると、スマホは、やっぱり折りたたむということになるんでしょうね。

歩き、自転車、バイクに車、電車などなど移動時にウェアラブルに持ち歩くという点より、コロナ以降で重視されるデバイスの可能性。それは、巣ごもりにテレワークのニューノーマルの中で、適切な収まり感ですかね。

大本命は折りたたみスマホ。今、私が使っているスマホはデザイン買いだったので、パカッとし出して数年経って、お!とデザイン買いできるようなデバイスが出てくることを願いつつ。で、ふと、息子に譲った古いスマホ、ソニエリは、やっぱりかっこよかったなぁ。



■2021年2月27日
「手と手を取り合って」

ソロキャンプ、たき火のYouTube映像、癒しにリラックス。それに加え、コロナ禍なので密をさけるには山だ。というのがムーブメントになって、関連商品が出回って、「そうか〜」と気軽に、不慣れで行って、しまったんでしょうかね。

東京でいえば高尾山のような、観光地と化した栃木県足利市の両崖山の山火事が、一週間たっても延焼を続けています。出火の原因は、たき火の不始末か?とも言われていますが、最悪な条件が重なって、空気は乾燥し、強風が吹き、それに煽られて飛び火して、どんどんと燃え広がっています。

雨が降るしか、鎮火しない。そんな状況で、空からはヘリで、陸からは24時間体制で消火にあたっても、まだまだ鎮火の目途はたたないといいます。住宅エリアまで火の手が襲ってきて、避難勧告を受ける世帯数も増えてきているようです。

徐々に、徐々に、ジリジリと迫ってくる火が、夜、真っ赤に燃えてるヘリからの映像と相まって、本当に居たたまれない気持ちになります。貴重品をもって避難して下さい、と言われても、どこまで持っていけばいいのか。

ジリジリといっても、飛び火で急に火災になるかもしれないということを考えれば、避難はできるだけ急ぎたくなるし、とはいっても、ああ、どうしよ、どうしよ、という状態になりそうな自分を思って。

今、まさに火の手が迫ってきて、避難を余儀なくされている方々の、まずは無事と、そして何より、一秒でもはやい鎮火を願ってやみません。

地震や雷と違って、自然発火以外、火災は人災というのが大きいだけに、日ごろから注意して、注意して、おきたいものです。

それにしても、(コロナのインパクトが強すぎますが)地震や大雪、豪雨に河川氾濫と、災いが次々に襲ってきてますよね。世界的に見ても、オーストラリアの森林火災、カリフォルニアの山火事、クロアチアの地震、ニューヨークの大雪。

自然を相手に、人は手と手を取り合い、持続可能な地球を目標にするはずが、軍事クーデターや国の体制維持なんかで「そんなこと」をやってしまってるという状態です。

コロナ禍で経済的に大打撃を受けていても、各国の軍事費は相変わらず莫大で、なんだか頓珍漢だな、と思える数字が日々のニュースで飛び込んできてます。2021年の始まりも、(なんだかなぁ〜と)思うところが多いです。

さて、2月も終わって、来週から3月です。

東日本大震災から10年。私自身の生活は、この10年ですっかり変わりました。当時(つまり10年前)、どんな風に3月を迎えたのか、覚えてません。ニュージーランドの大地震から1週間ほどが経って、それ関連のニュースであふれていたようにも思います。

それだけ長い年月が経ってもなお、あの津波の映像、福島の原発のメルトダウン。刻まれた記憶だけは鮮明で、復興という道も、まだまだその途上にある状態だということを思うと、やはり、人は手と手を取り合って、ですよね。

いやぁ、それにしても、先週は暖かい日が続きましたね。と、なると梅は咲き、早咲きの桜もつぼみからホワンと開いたりして、気分だけでも明るく!と締め切った窓を開けて紅梅のシャツなんて着ていると、清少納言の言うところのすさまじきもの、になったりして。

せっかくの春のカラフルな光景を興ざめさせるどころか、本当に凄まじいものになっているのが花粉です。先日、ベランダの掃除をしていて、手すりをぞうきんでふいたら、積もった花粉がごっそりとれました(花粉、だと思います)。

掃除をしている間、リビングでは妻も息子もくしゃみを連発して、「開けるなよ」の視線が突き刺さってきました。花粉症じゃない(と思い込もうとしている)私も、さすがに鼻がむずむずして、「杉の木なんて、切ってしまえ!」の気持ちになったりして。

そんな陽気だから、電車に乗っていても、くしゃみがあちこちで連発、これまでなら、「ああ、春だな、花粉、大変だな」と思っていたところに、今はコロナ、ですからね。「え、ちょっと、やめてよ」みたいに顔を背け、体をそろりそり遠ざけてしまいます。

『 今日の道の たんぽぽ咲いた 』(種田山頭火)ぐらいの気分で生きたい春も、敵は多いです。のんびり散歩でもしようものなら、出会い頭でなってしまう(というぐらい突然やってくる)のが花粉症ですからね。

洗濯物は乾燥機、窓は締め切り、マスクと柔らかいティッシュ、羽織った上着は徹底的にふき取って、もう、手にシュッシュっとふるアルコール消毒なみの、花粉撃退エチケットがあればいいのに、と思うほどです。

あ、花粉症じゃないんですけどね。絶対に!

首都圏を除いて、大阪、福岡、名古屋の圏内は、一斉に緊急事態宣言も解除されます。東京も3月7日には予定通り解除される運びで、そうなると、3月下旬に予定している札幌旅行も決行できる!と思っていた矢先に、予約していたフライトが欠航・・・。

これは、もう「そういう運命だった」と思って、予約の一切をキャンセルして、そのぽっかり空いた日の予定を埋めてます。パンダ見たい、というかわいらしいことを言う息子のために、一日は上野動物園に行って。あとはどうしようか。

劇団四季のアラジンも、今なら取れそうだし、息子はそれならキャッツが言いといい、ルミネの劇場で大笑いするのもいいかな。あとは、東京の臨海エリアで散歩でもどうかな〜、なんて話し合っていてふと。

花粉だっちゅうの、それよりコロナが、まだまだあるちゅうの、で、ったく、去年のゴールデンウィークも自粛、夏休みも自粛。年末年始も自粛したうえ、春、もなのか?

聖火ランナーは走るのかな、東京五輪はやるのかな、やるならやるで、観客数はどうなんだろな。そんな一か月後のことが、ハテナばかりで、まずはひな祭りか、なんて思っています。

あれ?節分は2月2日だったけど、ひな祭りは3月3日でいいのかな、と思って調べると、令和でいう3年の3月3日で「3」並びになる、なんともめでたい感じで、いいですね〜。我が家には女の子がいないのでひな人形もないですが、何かしら、しようかな。

3.3.3。書いてみると笑ってるみたい。
よ〜くみると、手と手を取り合っているみたい、です。



■2021年2月20日
「正しい行動」

夜11時過ぎ、そろそろ寝ようかな、と思っていた所に、震度4(東京23区)の大きめの地震が発生。かなり長く揺れたので、すでに寝ていた子供の部屋に行って、本棚を抑えながら、ああゆう時、咄嗟の行動(正しい行動)って出来ないものですね。

咄嗟の正しい行動をするよりも、頭では「この地震も(なんともなしに)収まる」という「鈍感」な思いがあって、たまたま、これまでは、その通り、収まってくれましたけど、天災って、そういう鈍感の隙間に入り込んでくるんだろうな、と思います。

その鈍感さを痛感して、気持ちの緒を締め直した次第です。

今回の地震で被災された方々の、1日も早い復興を心よりお祈り致します。

それにしても、先週は寒い日が続きましたね。朝と晩は特にきりきりに冷えて、もう「春が近い」と聞いてましたけど?と毒づくことも多かったです。それに雨も降りましたしね。雨の月曜日って、ほんと、気分が萎えました(先週の話)。

この寒さを抜けたら、例年より早く、桜は咲く予報です。3月の中旬には開花すると聞きました。早咲きの桜がある公園が目の前にあるので、そうなると、これはもはや、いったいいつ頃満開なんだろ、と今から花見の予定を立てるのですが、ちょっと待てよ、と。

今、緊急事態宣言の真っ最中なんですよね。そんな感じ、します?毎日の新型コロナ新規感染者数が500人を下回って(東京の話)、ワクチン接種のニュースもあるから、株価はどんどん値上がって、見えるのは、リベンジ消費、それによるV字回復、もはや心配なのは、その需要を取りこぼさないだけの供給体制、みたいな所も多いのではないでしょうか。

なんだかんだ、落ち込みが深かっただけに、その反動もすごいんだろうな、ということをぼんやり考えていると、いやいや、早期退職者の募集、それに応じる人の多さ、甘い先行見込みよりもホラーストーリーを用意して、そこに照準を合わせる企業、他、「今」のとらえ方の違いにハッとさせられます。

「内」で思うこと・考え・感じるコトと、
「外」で見え・聞こえるコトの差のようなものに、
違和感を覚えることが少なくありません。

森喜朗元オリンピック・パラリンピック組織委員会会長の後任として、現役大臣が候補として一本化され、そこにはまっていくという流れが、なんとも、ねぇ。それも、森さんを政治家としての「父」です、と慕う橋本聖子さんですか。いろいろあるんでしょう、けどね。

オリンピックが7月に開催されるとしたら、確かに、後任の会長には、斬新な意見や発想、刷新させるという行動力より、このまま継続して組織をまとめる調整力が重視されるのでしょうから、こういう結果になったのも、ある意味では納得ですが。

オリンピック、あるんですかね〜。オリンピック出場が内定している選手ですら、「このまま、オリンピックが開かれたとしたら」という前置きを入れて、目標を語っているぐらいですから、どうなるかはわかりませんよね。

オリンピックの2週間があってもなくても、この夏は、第4次だの5次だのというコロナの猛威が起こらないこと、それを強く望みたいところです。

さて、木曜日の13時に、vaio Zの発売が発表されました。私は個人的に、sonyがPC事業に乗り出して、一発目に発売したシリーズの中から、凄く小さな(今で言うモバイル的な)C1を買って使ってました。

当時は、音楽と写真を入れて、ネットに繋ぐのも、電話回線をPCにそのまま代用していたので、ネット中は電話が使えず。下から両親が、「ちょっと、電話使いたいだけど〜」なんてこともありました。

まだまだPC=ワープロ?みたいな感覚もあったような気もしますが、とにかくvaioはデザインが斬新で、格好いい!というのがありました。

それから、買い換え、買い換え、今もWindowsはvaioです。そんなvaioもSONYから独立して、スマホ、タブレットが中心の中で、企業ではなく個人向け中心のPCとして、頑張ってますよね。

スタバでもマックでも、PCを開いている人はほとんどMacで、ザ・サラリーマンという人が急いでエクセルの数値やメールを確認いているのはHPだったりDELLだったりするぐらいです。

vaioって、もともとはビデオ(V)とオーディオ(A)を統合(I)するオーガニゼーション(O)という「箱」だったので、今、時代がそこにおいついたって感じですよね。それも気軽に簡単に、「手の平」で。

なので、独立したvaioは、長野の安曇野で、まるでこだわり抜いたクラフトビールを造ったり、旨い水で蕎麦を打つかの如く、丁寧にPC(箱)を生産するという姿勢を崩してない(そこに生きる道を)んでしょうね。

街中で快活に跳ねるように持ち歩くMacやHPとは違って、通が撫でるように愛して止まないオーディオプレーヤーのようになっているというか。

そういう立ち位置なのに、やっぱり街中で快活に使ってもらおうとしてSXシリーズで勝負したりという時代が続きましたが、今回の、NEW VAIO。こだわりのフラッグシップモデルのZは、満を持して生きる道のど真ん中を行っているという印象です。

ザ・通が、撫でるように愛でたいモデル。新発売広告に付けられたキャッチコピーは、「信念は、曲げず。先入観は、曲げる。」

実機をみていないので、軽快さがどの程度が解りませんが、見えてくるイメージは、よく分かりませんが、重厚なソファーにガラステーブル、額縁に先祖の写真を飾るような「応接間」に似合うという印象です。

ティザー広告の間は、SXシリーズなどであるALL BLACK EDITIONのようなかっこよさを想像したのですが、ちょっと、かっこよさのベクトルが「そっち」なのかな、と。

なんだか、Windowsもそろそろ買い直そうかな、というタイミングだったので、このティザー広告から始まった新vaioには期待したし、今も、早く実機が見たいな、と思っています。

と、妻が、ボソリ、、、

「PCって、仕事以外で、使う?」と・・・。



■2021年2月13日
「ほわり、と花開いて、ぱ〜っと気分が晴れる?」

東京オリンピック・パラリンピックの招致から始まり、開催地が決定し、2020をターゲットイヤーとして色んなモノが進められてきたという〈これまで〉の過程で、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会が果たしてきた役割、そして、ずっと会長だった森喜朗氏が尽力されてきたこと。

確かに、これらは困難や根回し、人脈、政治的な動きなどなど、様々あっただろうし、「他にいない」という消去法から、森さんが居すわっていたんでしょうけど、その時代も終わりましたね。

国立競技場のゴタゴタから始まって、エンブレムの問題、挙げ句は武漢のコロナウイルス。呪われた五輪という文字が溢れかえるのも納得の事態でした。

物事を上手く運ぶ人、その中でリーダーたる人格を持った人。その有る無しは、とても重要で、繋がりが多いとか、政治的に立ち回れるドンたる安定感なんてものよりも、当然重要で、必須の「感覚」なんですが、やはり、森喜朗という方には、なかったということを示しましたね。

総理大臣だった頃から、この方には「失言」というのが付きまわりました。それが、84歳という完成型の年齢になってもなおつきまとうということは、これはもはや「失言」ではなく、信念なのかな?と思えてくるし、頭の中も心も中も、女のくせに、というのがあるんでしょうね。

ぶら下がり取材で、森氏からみたら「若造」の記者に、「あなたは適任ではない」と面と向かって言われ、海外メディア、そして日本のSNS上で「その信念」が叩かれ、呆れられ、そんな中でも、「組織」は森さんを留意し、オリンピックまで半年もないこのタイミングで・・・。

森喜朗氏、会長を辞任。そんなニュースになりました。

聞くところによると、辞任を決めたのはトップスポンサーの顔色、と言うから、まぁ、ああ、そうか〜、という感じです。この方は、最後まで、人をみてなかったな、と。政治家って、そうでしょ?と言ってしまえば、それまでですけど。

仮に、の話をするなら、東京オリンピック・パラリンピックの組織委員会の会長がこの方じゃなかったとしたら?答えは仮なので解りませんが、オリンピックすら誘致出来てない(と、政治家は言うでしょうし)、、、

ザハ氏の案で、それ自体がレガシーになるような国立競技場が出来ていて、出来レースではない方法でエンブレムが決まっていて、「やり直し、仕切り直し」という後味の悪い過程を経ずに、進んだだろうな、とも言えるような気もします。

(コロナの問題は、もちろん組織委員会の会長がどうとかいう問題ではないですが)

いずれにしても、この夏、オリンピックを開催するのか、どうか。その結果は、また3月の中旬頃に、突如、発表されるんでしょうね。

ささやかれていることが本当なら、2024年のパリ五輪(フランスってやっぱり、エンブレムひとつとってもセンスのかたまりだな、と思います)の後、2028年のロサンゼルス五輪があって、その次、2032年に東京が仕切り直しの五輪をする、らしいですが。

そうなったらとしたら、今から12年後の東京オリンピック・パラリンピックかあ。息子は20歳を越えてるし、私も還暦が見えてきてるなぁ。まぁ、この状況下なら、それが現実的なところかなぁ。

今、一番願うのは、何としてでも来年のサッカーW杯だけは、ワクチンが安定供給されて、この武漢発症のコロナウイルスに恐れなくてもいい状態になっていて欲しい、ということです。

その半年前にある、来年2月の冬季五輪は、無観客で中継を中心とした形で行うか、夏同様、スキップするか、ということになるのでしょうか。

この冬の五輪が北京じゃなかったら、スマホをはじめとしたらデバイスを駆使して、五輪を「未来の方向」から楽しめる、そんな試みも出来たのでしょうが、中国ですからねぇ、そんなことされても、気軽にアクセス出来ないといいますか。

さてさて、今年もぼちぼち暖かい日が続くようになって、春が目の前に来ている感じがします。

花粉も飛び回って、花粉症の妻は奮闘し始めてます。梅も咲いて、あとは何だろう、大きなつぼみの中に、花びらがぎゅ〜っとつまった感じの木もあったりして。

ほわり、と花開いて、ぱ〜っと気分が晴れる。そんな春を、そんなコロナ後を、待って、待って、待ってます。

欧米に遅れること数ヶ月、ようやく日本でもコロナのワクチンが承認される運びになって、昨日、ウイルスの第一号が到着しましたね。来週ぐらいからワクチン接種が始まるようです。

まずは医療従事者の方々、そして高齢者、基礎疾患をお持ちの方。そうして梅雨前ぐらいになるんですかね、一般接種も始まるようです。

このワクチン接種は、自治体が主導。ですので、近所のクリニックで受けられる自治体もあれば、どこかの大会場へ集められて集団で接種したりと、対応が別れるそうです。

どこからのホールに集められて、順番に注射が打たれるシーンを想像してみて、これって、小学生の頃、保健室の前に並んで順番に受けた注射みたいだな、とも思えるし、映画でしか見たことのない戦後の、なんというか「集団なんちゃら」みたいなことに近いような気もします。

戦後の・・・。改めて、今回のパンデミック、すさまじさがぞくぞくと実感されてきて、怖くもありますが、正しく恐れる術が学べたのだと前向きに捉えることにして、1日も早く、、、ですね。

春が来て、新しい出会いにドキドキする季節ですよ。別れがあって、泣いて、同時に繋がり続けることを約束したりすると強くもなれて。そこからの「出会い」です。また、積まれていく新たな約束の、そんな始まりです。

さくら、さくら、と歌いながら、近所の公園でお花見でも、と思っている3月の終わりには、コロナも落ち着いているのか、はたまた、第4波が襲っているのか。どちらになるかは、ワクチンが効果を発揮するまでは、「今」の行動次第ですよね。



■2021年2月6日
「ひとまずは、って、感じかな」

巣ごもり疲れです。気分転換にGoogleのストリートビューで歩いた(気)になったり、Google earthで宇宙からズームインして、息子の通う小学校の屋上を見たり。これまで、実際に歩く(行く)際に、イメージをつかむためのものだったんですが、「その気」にさせてくれるサービスになるなんて、本当、巣ごもりも、ここまで来たか、と思います。

で、もっと、「その気」になれるものはないかと思って探すと、出てくるわ、出てくるわ。ヨーロッパを旅した気分になれるサービスでは、名物ガイドが市場を練り歩き、そのガイドとオンラインでつながって、直接、質問したり、気に入ったものを買って日本まで送ってくれたり(有料)。

色々ある中で、面白いな、と思ったのは京都のオンラインツアーです。「まいまい京都」が提供するそれは、実際に行く旅行の代替というのではなく、むしろオンラインだからこそ、という視点。

通常は、観光客を入れると傷むので、入場が規制されているところにカメラが入ったり、工事中(リノベーション中)の今しか見られない特別な寺院の屋根裏を見せてくれたり、と。

なるほど、そういう価値って、ありますよね。人が直に交流できない時代に、いかにして交流した気分になれるかなんてところをすっ飛ばして、その先を行っている気がします。

これは、たぶん紙に書くという感覚的なものをデジタルで追っかけて、結果中途半端に終わった過去から学べるような気もします。つまり、紙に書くという感覚なんてすっ飛ばして、デジタルならではの価値に気づかせてくれたように。

Go Toできないなら、そういう「次の矢」的なものに、政府も補助金を出したりキャンペーンをはればいいのにな、とも思うのですが。どうやら、旅行熱はこの夏にも噴き出して、観光往来が活発になるという見方もあるようですね(英国の調査結果)。

旅、行きたいですよね〜。確かに、Go Toしたいです。本当、遠出したいです。特に、お出かけも好きですが、それよりも旅派な私としては、今が、非常に苦しいです。

なんていう会話をLINEでしていた知り合いが、もともとオンラインゲームでのつながり重視、休日は完璧なまでにインドア派の《自分》には、なんの不都合もないよ、と言っていたのが印象的です。

アウトドア派が〇で、インドア派が×、みたいな感じって、外を駆け回っていた子供時代を超えてもなお、大人になってもなんとなくありますからね。陰と陽といいますか。

まぁ、ようやく《自分》に時代が追い付いてきたと豪語するその知り合いに、思わず(switchすら持ってないのは化石だと言われ)switchを買わされかけました。ゲームも漫画も、なんかね、う〜ん、昔からそれほど好きになれないんですよね。食わず嫌いだとは思うのですが。

さて、clubhouseです。この一週間で、なんで急にこんなに話題になったんでしょうね。裏で大きな力が働いているようにも思うのですが、いずれにしても、コロナな時代が関与してるんでしょうね。(誰か、私も招待してください)

文字だけのつぶやきから始まって、そこに写真を付けて限られたコミュニティで交信したり、もはや写真だけの発信になったり、動画配信だったり。これらTwitter、Facebook、Instagram、YouTubeにTikTokは世の中を動かすツールになりました。

それら、以外。つまり文字でも写真でも動画でもない「声」のつながりが、つまりはclubhouseということになるんですよね。

完全招待制のmixiみたいな閉鎖感(というか特別感というんですかね)、そして、いいねもコメントも履歴もなしの、その場だけのつながり。Podcastで聞いてる「話」に自分も加われる感じですかね。もはやリスナー(聞く人)ではない、という立ち位置といいますか。

「しゃべる」という行為が入っても、これだけ広がったのは、完全に巣ごもりで、声を発してもOKな環境が増えたからでしょう。満員電車では無理ですからね。それにzoomやteamsなどで、デバイスに向かって複数人と話す、ということにも慣れっこになりましたし。

このclubhouse、個人的には「噺家」が発信するルームがあるようで、これは聞きたいです。もっというと、「すべらない話」のようなところがあるなら、人の話を聞いて、私も話して、すべらない、という暗黙のルールの下で、気持ちよくウケたいです。

昔見たSF映画に、「未来は、手も足も使わなくなって、頭だけが発達した姿に、人間は変わる」というのを見ましたが、なんとな〜く、ミライは、そうゆうことか?という気もしたりして。

DOZAN11が歌う「新しい未来」の中にこんな歌詞があります

「子供ん時夢見た未来は
 猫型ロボットはまだいない
 けど ドンドンと進むテクノロジー
 たぶん数万年後はまるで別の星
 ちょい不安でもビビっててもしょーがないよ
 楽しみたい この壮大な物語を」

さてさて、あれよあれよという間に、もう2月ですよ。どうでもいいですけど、3月の終わりから4月頭の引越しって、引越し代がものすごいですね。想像をはるかに超える金額です。

特に、今年は都内から地方都市への移住が多いらしく、長距離ばかりの引越しなので、その「枠」も取り合いです、なんて聞いて。

そんなもんなんですね。とにかく、今はもう、地方都市への移住なんですかね。もしくは一時避難ですかね。東京という都市の魅力が、その力量のまま謳歌できる時が来るまで、ひとまずは、って感じ、かな。

何はともあれ、今は緊急事態宣言下です。それも3月7日まで延長です。どうも、今月中には徐々に解除に向かう感じも受けますが、それでも東京は最後ですよね。

ああ3月下旬の札幌旅行、どうしようかな。やめておいた方がいいのは分かってますが、なにぶん、マイレージで取っただけに、キャンセルしたら手数料で失うマイルが痛いです。

ま、そんなこんなで色々ありますが、とにかく、個人的には新しくスタートを切るこの時期。焦らず、考えすぎず、しっかりと考えて、前もって、前もっての姿勢を崩さずに、やり切ろうと思います。



■2021年1月30日
「現役バリバリのスーパーメジャーリーガー」

ニューヨークのブルックリン、ウィリアムズバーグを歩いていた時、ふと、ニューヨーク・ヤンキースの大きな広告があって、そこには(つまり、日本での広告ではなく、アメリカで、それも本拠地で紹介する広告に)主力選手・チームの顔として、田中将大選手がいたことを思い出します。

ニューヨーク・ヤンキースという、世界一巨大かつ人気のあるベースボールチームで、確固たる地位を築いていることに、(勝手に)同じ日本人として鼻高々になりました。現役の日本人メジャーリーガーの中で、間違いなくトップの投手ですね。

高校球児の頃から注目され、ハンカチ王子に対して少々武骨な悪者のような立ち位置で、それでも、その眼光たるや肝の座りっぷりが一味違うと思わせました。惜しくも準優勝で、あの夏、軍配はハンカチ王子に上がりました。

が、そこから、田中将大投手が、東北楽天イーグルスに入団して、当時の野村監督に「マー君」と呼ばれながら指導を受け、プロの世界での大活躍は、見事なものでした。

ちなみに、甲子園で頂点に立った人より、涙を飲んだ人の方が、その後の活躍ぶりがすさまじい、と思うのは、やはり、甲子園はあくまでもチーム力の差で、そこから先は個人の技量というところにウエイトが変わるからなんでしょうね。

野茂からイチロー、そしてダルビッシュ。注目される日本人メジャーリーガーの中でも、これだけ長く、しっかりと立ち位置を勝ち取ったマー君のすごさを、たぶん、日本では伝えきれていないだろうな、とさえ思います。オータニサン!にもっていかれてますからね、ここ数年。

そのマー君こと、田中将大投手の楽天復帰!

8年ぶりの凱旋というニュースは、本当にびっくりです。ただ、これはマー君なので「帰ってくる!」というニュアンスが強いですが、単純に、現役バリバリのスーパーメジャーリーガーが日本にやってくる!ということですよね。それを(NPBでは最高年俸らしいですが)9億円という破格で獲得した、ということなのかと。

現に、マー君のヤンキースでの年俸は23億円。コロナでのヤンキースの財政事情とチーム事情から、マー君のFA獲得よりも、マー君1人の年俸で2人の先発投手を補強する選択をしたらしいです。ヤンキースのブーン監督は「マサは特別で、偉大なヤンキースの一員だった。我々は寂しくなる」と。

そんなヤンキースの顔のマサですが、やっぱり日本でのイメージはマー君で、特に楽天を優勝に導いた年のあの大活躍は印象が強いですよね。驚異の24勝、絶対的エース。日本シリーズでは、フル回転の大活躍でした。

あれから8年、東北では東日本大震災から10年という節目の年でもあります。

同じ楽天のヴィッセル神戸が、イニエスタ効果でアウェイでも集客が伸びた(vs FC東京戦、味の素スタジアムにも4万人以上が足をはこんだことがありました)ような、マー君効果というのもあるんでしょうね。ロッテvs楽天で、マー君と佐々木朗希が投げ合う!なんてことになったら、千葉まで遠征しますよ。想像しただけで本当にわくわくします。

ともあれ、このびっくり仰天移籍プランも、もとはといえばコロナ禍の異常が生んだもの。なんだか、隅々まで、浸透してきますよね、コロナ。

今週に入って、コロナのワクチン接種関連のニュースが盛んになってきましたね。医療従事者の方から、高齢者(4月から)の方々が接種して、それから一般接種へと広がるみたいです。

このコロナのワクチン、インフルエンザとちがって、接種後、接種会場で15分ほど待機する必要があったり、3週間をあけて2回の接種が必要だったりと、ちょっと面倒なところがあって。

実際に受けられるようになってからも、いろいろと混乱が予想されます。が、とにかく早くワクチンで落ち着きたいところです。(先行しているイギリスでも、ワクチンでコロナがおさまる、という段階にはなっていないようですが)。

あと、コロナ関連では、WHO(世界保健機関)が、やっと発生地の中国武漢市に入ることができたというニュースもありました。

武漢ウイルス研究所や発生源の市場などを調べるらしいです。世界中にばらまいた武漢のウイルス、発生源と何を媒介にして広がったのか、などなどしっかりと調べて、SARSだのCOVID-19だの、何回も何回も世界中にばらまいている中国のウイルスを根絶する「仕組み・制度」を植え付けたいですね。

とはいえ、WHOもなかなかウイルス発生源の中国に入れず、おそらく、中国は都合の悪いものは全部消し去ったあと(というか、これだけ世界中に迷惑をかけてもなお、中国ってこんなんなんですね・・・)でしょうから、新聞でも書かれてますが、「感染拡大から1年余りが過ぎており、時間と政治の壁を乗り越えられるかが焦点」なんでしょうね。

原因は確実に武漢にあって、だからこそ、今とこれからに役立つ何かのためのヒントもあるかもしれないので、この発生源の現地調査は、「壁」をどんどん壊して、徹底してやってもらいたいと思います。

ああ、緊急事態宣言も1ヶ月の延長ですか?もう、そうなると、今もそうですが、こうやって、ずっと家にいる週末ばかりで息が詰まりそうになります。密にならない、どこか気分転換できるところへ出かけようかな。

この気分転換の外出は、不要ではないですし、不急でもない気がするので。



■2021年1月23日
「寒すぎて、異常」

サハラ砂漠に、雪が降った。過去42年間で3回しかなかった現象が、今年、起こったです。この冬、北半球ではどこでも寒波が猛威を振るっているという印象ですね。

夏は暑すぎて、異常、そして冬は冬で寒すぎて、異常。年がら年中。異常なコロナ禍でも、地球は変わらず、疲弊しているような気もして。

日本では、東北や北陸地方でドカ雪が降って、京都で育って東京で暮らす身からすれば、車の立ち往生の映像が流れるたびに、「あの、中で、車を、運転する、のか?」と思ってしまうのですが。

車が、生活の足なんですよね。都内で言えば、雪の降る中で駅に人があふれ、タクシー待ちの行列という映像と同じ感覚なんでしょうかね(違いますかね)。

いずれにしても、東京もほんと寒いです、もはや痛いです。今日は夕方から、雪になるそうです。

暦の上でも大寒に入り、これから節分の頃までは、全国的にキンキンの冷え込みだそうです。ちなみに、今年の節分は2月2日です。来週も、これは覚悟して、ヒートテックを上も下も着こんで、挑むぞ、と思っています。

それにしても、日々の生活が、なんとも戦いですね。挑んでいく戦い。コロナはあるわ、寒いわ、いつ来るともしれない自然災害への備えもいるわ、で、本当に安穏とは、いきませんよね。

それは、何も外出するから、というからだけでなく、10か月も超えようかというテレワーカーの人に聞いても、この日々への挑みは、変わらないようです。このまま、テレワークが新しい日常で、常態になるのかと思うと、てん、てん、てん、という感じだそうです。

確かに、コロナで気づかされたというより、それ以前から頭では分かっていたことではあります。オフィスワーク、事務処理を、わざわざ満員電車に1時間以上も揺られて出勤して、毎日、自分のデスクにしがみついてやる必要はあるのか、と。

そこには、通勤時間という単純な「無駄」もあり、人が集まりすぎるという「無理」もあったわけで。そういう意味では、遠隔システムがテレワークを可能にして、無駄や無理から解放してはくれましたが、開放されたテレワークもまた、てん、てん、てんな訳です。

まぁ、テレワークで十分可能という判断は、バカ高いところでオフィスの賃料を払わなくてもいいという結論で。付き合いのあるデザイン事務所などは、早々にオフィス契約を解除しています。今時、コピー機などのリースの問題も、PDFのやり取りで完結しますからね。

そんな中で、広告代理店の最大手、電通が本社ビルを売却するというニュースを聞いて、それにも納得です。必要最低限の床面積だけ確保して、他は、各々のプレイス(在宅やコワーキングのスペースを借りたりして)で仕事する。

そういう時代なんでしょうかね。まぁ、毎日、決まった時間に出勤しなくてもいいとなると、住むところは勤務地まで何時間の範囲内、という制約も緩みます。最近、郊外に家を建てる人が多いのでタマホームの業績がいいとニュースもありました。

逆に、スーツを着ない、メイクもしない、だから、それらは落ち込んで、電車や新幹線も、出張・通勤利用客が減って、業績を圧迫しているそうです。JR一社化、私鉄の合併なんてことがほんとに起こるかも知れませんね。

これまでの当たり前が、当たり前ではなくなる。そういえば、財布の小銭を軽くするために、コンビニの前でじゃらじゃらと5円や1円玉を探して払うなんて(当たり前)、完全キャッシュレスなここ最近、本当になくなりましたからね。

朝起きて、夜寝るまでの行動の中で、いったいいくつの当たり前が新しい当たり前に取って代わるんだろうな、と思います。

その昔、周りに分厚く「住んで」、中央は空洞で働く場と化したドーナツ現象なんて、この先は、どうなるんですかね。ちょっと話題先行という気もしますが、ワークから離れてバケーションをするというより、バケーションをする場所でワークする。そんなワーケーションなんていうのも、定着するかもしれません。

とはいえコロナです。これと、早くウィズする生活が来ないことには、なんとも言えませんよね。どっかの国みたいにゼロ・コロナという人も国会にはいましたが、いやいや、ゼロは無謀すぎるし、ゼロにするための大きな、そして根本的な犠牲は、民主主義では、というより現実的に不可能じゃないですかね。

だから、ウィズするために。急がれるのはワクチンです。日本でも、ようやく一般接種の時期が示されるようになってきました。春になって、新緑を迎える頃、5月にはできるんじゃなか、と。

そこから、十数年をかけて、今回の新型コロナウイルスが普通の風邪になる。ただ、そうなるまでには、また新しい《新型》が発生するんでしょうから、今、舵取りをして、進むべき方向は、そうなったとき、パンデミックを起こさないように対応できる整備だと思うのですが。

そういう意味で、今、国会でやっている罰則付きの政治の強制力(権力)って・・・どうなんでしょうかね。そもそも、根っこの部分から対策(案)を出して、それを可能にする制度の整備を進めてほしいのに、言うことをきかせるために「力」を与えているだけ、というか。

その力をどう使えばいいのか。そこんところをすっ飛ばしていると思います。

そんなこと言ってたって、はじまらないじゃないですか。やれることをやるために、政治のトップに権力を与える。そうしないと、しょうがいないじゃないですか。という、とんちんかんな、どっかの元知事のコメントを聞くたびに、ねぇ。

さて、バイデンさんがアメリカ大統領に就任しましたね。これで、やっとアメリカという国が、対象として戻ってくる範囲も広がるな、と思います。

これまでの、安倍さんとトランプという会談の中には、日米という国の印象は薄かったですが、お互いにオーバー70、菅さんとバイデンさんの日米関係では、しっかりと日本とアメリカという国民ありきの話し合いをお願いしたいです。

やれ丸投げだの、先の先のことは考えてないだの、言われっぱなしの菅総理(週刊誌が言ってるだけですが)。どこか他人事?という印象を受けてしまうのは確かですが、ここは、しっかりと舵取りをお願いしたいです。

そして、もっと願うのは、けんか腰で強い(インパクト含め)人気の者ではなく、温和で切れ者という、今の政治家の中にも確実にいるだろう人の「得手」を生かしたムーブメントです。

そんなうごめきを、是非、応援できるような状態にしてほしい、と思っています。

ああ、こんな真冬の時期は、どこか暖かい国に行きたい。そう、思っていたのに。8年前はバリ島に行ったっけ。広いヴィラで、プライベートプールで泳ぎながら、贅沢すぎてどきどきしてたのを思い出します。

5年前にはメルボルンに行ったっけな。コロナは、そんなことを、ふと思い起こすことすら無くしましたね。メルボルンといえば。今、大変ですよね。全豪オープンテニスの直前で、現地入りした錦織選手の同じ飛行機からコロナ感染の陽性者が出て。

彼は今、ホテルに完全隔離されているといいます。部屋から一歩も出られない状態で、隔離が解けたら、すぐ試合、というのも、過酷すぎますよね。(ご本人は、言ってもしょうがないので、できることをするだけです、とおっしゃってますが)

暖かい所でキャンプを開始するプロ野球の各球団も、今年は無観客でやるようです。多くの球団が沖縄でキャンプインだそうですが、例年、各球団のキャンプ時期にあった経済効果も期待できませんよね。そもそも、沖縄は、独自で緊急事態宣言を出す状況ですが。

ああ、緊急事態下の生活も残すは半分です。というほど、今が緊急事態宣言下にあるという区切りが全く効いてませんが。それだけに、2月7日という根拠なき?ゴールの時期も、どんどん後ろ倒しになりそうです。

世界中から異常気象、寒波、ロックダウンにワクチン接種という、ごちゃまぜになりながらも、全体的に「良い」イメージは少なく。だからこそ、か、スペインで新たしいチーム、ヘタフェで活躍する久保建英の映像が、心を躍らせます。



■2021年1月9日
「とても苦しい現在、今、ここ」

昨年4月の緊急事態宣言から1年経たずして、2度目の緊急事態宣言が木曜日に出されましたね。明けて金曜日の昨日、通勤電車はガラガラ、街から人が一気に消えた!という状態にはなりませんでした。

これは、2回目の緊迫感の薄さからか、一度経験したので、この緊急事態宣言を超えたとしても、「どうせ、また、同じ状態に戻る」ということが分かったからか。

いや、おそらく、そのどちらでもなく、後手後手に回って、ようやく出された緊急事態宣言に、強さ、みたいなものがないからなんじゃないかと思います。飲食店に集中させて、とにかく飲食を控えようという限定的なメッセージになってますからね。

なんとも締まりがないというか、区切りがないというか、《とりあえず、オレ、言うたからね》と、いうか。自民党の幹事長なんですかね?「後からなら、誰でも何とでもいえる」という、それ本気で言ってる?というような驚き発言があって、まぁ、そんな程度の内閣であり政治なんだろな、とホトホト口があんぐりしてしまい・・・。

となると、私たち一人ひとりが、しっかりと予防し、危機を回避し、乗り越えるしかないんでしょうね。昨日の天声人語で、ドイツのメルケル首相の言葉がありました。「ワクチン以外で最も効果的な方策は私たちの手中にある。一人ひとりがルールを守ることです」。

とにかく、ワクチンを待ちましょう。スペイン風邪がインフルエンザになり、そのインフルエンザには予防を徹底しても社会・経済がストップしなかったように、いつか、このコロナもそうなる日がきます。それまで・・・。

さて、成人式ですね。生まれ育った区によって、成人式があったり・なかったりという状況になりそうですが、成人になるのは間違いなく、一つの大きな区切りでお祝いです。新成人の皆様、おめでとうございます。

ダブル成人式を超えた私は、振り返って成人式の思い出なんてひとつもないのですが(笑)、自分のこどもの成人式がない!となると、考えは180度変わります。延期してでもやってほしいな、と思うかもしれません。

いずれにしても、ここはしっかり巣ごもり生活をしつつ、人が媒介する憎っくきウイルスを、拡散させないようにしたいところです。成人式どころじゃなく、入試じゃ〜という浪人生の方もおられると思います。大学入試も、こんな時期ですので徹底した予防対策で、全てのチカラが出せることを心から祈ってます。

頑張ってください!

ああ、それにしても寒いですね。足のつま先が痛いです。これで床暖がなかったらどうなってたんだろ、と床暖に感謝しつつ、空気清浄機のフィルターを交換して、この三連休、不要でも不急でもない外出以外は避けたいと思います。

2020年度の年度初め、4月の7日には緊急事態宣言、そして、年があけて2021年の年はじめ、同じく7日経った1月7日に再びの緊急事態宣言ですからね。無駄に噂や情報に踊らされて買い占めなんてすることなく、しっかりと恐れたいです。

東京が、というか首都圏が2度目の緊急事態宣言を受けて、ニュースはそれ一色かと思いきや、アメリカからすごい映像が飛び込んできましたね。ようやくトランプさんも敗北宣言っぽい投稿をしたらしいですが、、、

議会に乗り込む暴徒の映像は、民主主義が根付き、世界のトップを走る(と自覚しているだろう)国には、到底思えませんでした。中国の共産党系新聞ではアメリカの偽善を示すものだ、なんてことも言っており、たぶん、かの国が一番、ほくそ笑んでるのかな、とも思え。

それにしても、やっぱり、トランプ政権の4年間、アメリカは変でしたね。20日に発足するバイデン大統領も、ばっきり分裂した(というか、一部のトランプへ現実逃避するように逃げ込んでる?人たち)との融合というか、ひとつのアメリカへの苦心が心配されます。

世界はひとつ、という時代に現れた超自国主義の大統領が、ぐちゃぐちゃにした後の整備。コロナを乗り越え、この変な時代も乗り越えた先に、素敵な未来を想像したいです。

先日、巣ごもりでの年末年始に、Amazonで「STAND BY ME ドラえもん」(2ではなく)を見て泣きました。それはそうとして、成長して、のび太と結婚を決めたしずかちゃんの、お父さんとの一幕で、作り上げられた未来のしずかちゃんの家が、すごく未来感がありました。

その昔、鉄腕アトムの映像で、日本人が憧れた未来像って、つまりはああいうことだったのかな、とも思えて。びゅんびゅん空中を行きかう未来都市。かっこよかったです。そして、空飛ぶタクシーが、2025年の大阪万博で実運用されるかも!というニュースもありました。

ずっと未来へ向かう、とても苦しい現在、今、ここ、ですよね。ここから、ですよね。

楽しいことを無理やり探しても、たぶゆありません。からっからの元気でも、そこには風が吹くだけで淋しくもあり、まぁ、明るい気持ちだけ、ふっと吐き出す気持ちだけ、でも、と思います。

あー、もー、なんやねん!
朝ドラ「おちょやん」で、登場人物が吐き出す関西弁が、無性にぴったりくる、そんな日々です。



■2021年1月2日
「決めた時間で、やりきる」

じゅう〜、きゅう〜、はち、のカウントダウンも(特に)なく、静かに、秒針が進む中、「ゆく年くる年」したこの年末年始。画面の比叡山延暦寺や調布の深大寺の光景が、なんて落ち着くんだ、と今年で45歳になる自分自身の「老い(じゃなくて)落ち着き」を認識しながら。

私は、十数年ぶりに東京の自宅で新年を迎えました。

12月に入ってからコロナの感染者が急激に増えて、第3波が襲った日本列島。Go To(トラベルもイベント)も停止、都知事は帰省自粛を要請する中で、さすがに、それでも帰省しようという気にはなれず、すべての予約をキャンセルし、静かに新年を迎えることにしました。

都内から地方へと出る人が(念のために)PCR検査を受けた(検査数が多かった)ことが要因らしいですが、12月30日は(ほぼ1000人の)944人、大晦日は(初の1000人越えで)1337人の感染者が発生し、東京におけるコロナの猛威に、ちょっとぐらい出かけようっかな〜、と思っていた気分も完璧に消えて、巣ごもりに徹することにしました。

紅白歌合戦で赤組が勝ち、笑ってはいけない、とせっかくグルメを交互に変えながら、よく考えると私自身も年明けを起きて迎えるのは久しぶりで。9歳の息子も、絶対に除夜の鐘まで起きてる!と頑張ってましたが、11時過ぎに眠ってしまいました。

明けて2日の今日、その息子は近所の友達と約束していたらしく、友達だけで初詣に出かけました。「10円を持って、集合」という約束をしたらしいです。なんだかそれもかわいらしく、子供だけで約束する年齢なのか、と、なんとも寂しさもあって。

2021年は、東京の元日は空気はキンキンでしたが日差しがあって穏やかでした。私たちは、家族3人でちょっと歩いて初日の出と初富士(山)を見て、近所の神社で初詣をしました。こういう元日も「あり」だなと思いつつ、家に帰ってお雑煮とお節料理。

妻は、本格的なお節料理を作るのが初めてでしたが、テーブルを彩る色とりどりの料理が、正月をこれでもか、というほどに演出してくれました。テレビではお笑い番組、窓の外は穏やかな晴天。白味噌の雑煮と三段のお重、朝からビールで、いや〜、なんともいい正月でした。

膨大な量の新聞を読み、年賀ハガキを読み、テレビ、本、ソファでごろ寝、なんてするうちに夕方になって。これを寝正月と言うんですよね。小池都知事が推奨した寝正月。まさしくそれをじでいった感じです。

今日も朝からのんびりと箱根駅伝を見ながら、創価大学の往路制覇に驚きと、高校サッカーの東福岡の熱戦に魅了されながら、これを記しています。

昨日、ジョブチューンで全員合格を得たセブンイレブンの「すみれ」を食べようか、なんて迷いつつ。嗚呼、とはいいつつ、これ、暇すぎます。これだけ、家にいると、もうむちむちしてきます。

空気を入れ換えて、掃除機をかけて、買いだめしたチョコを食べながら寝転んで、だらだらしつつ。もー、なんだよ、コロナ、勘弁してよ、と毒づいてしまいます。

さすがに明日は、ちょっと何処かへ出かけたいなとは思うのですが、今日になって東京都と神奈川、千葉、埼玉が緊急事態宣言を国に要請したなんてニュースを見ると、う〜ん、ヤッパリ駄目か、とか。

これ、しばらくリモートワークにして、ステイホームにした方がいいのかなぁ、とまで思えてきます。大江戸線職員のクラスターという話からしても、外で働くというリスクが如実で、東京で働く、それも毎朝出勤してオフィスワークするというのは、緊急事態宣言でも出してくれない限り、なかなか避けられませんからね。

仕事始めを迎える来週も、はてさて、どうなるんですかね。

初売りのデパートは静かなスタートで、明治神宮や太宰府天満宮の初詣客は、前年比で8割減だったらしいです。コロナはコロナで、ここからどうするか。それを寝正月の中で考えながらね、なんとかなってほしいと願うばかりです。

さて、どうあれ2021年が始まりました。

今年、私自身は大きな転機です。これから人生のゴールに向けて腰を据えてやっていく「コース」のスタートラインに立ちます。

どうなるか、ではなく、どうするか。
なっていくのではなく、やっていくのだ
という気持ちだけをぶらさずやりきるぞ。

息子の書き初めと一緒に、目標でも書いてみようかと思います。

「決めた時間で、やりきる」。

多くのコト(というより、ほぼ全ての物事)が納期や納品日が決められる中で、そのデッドラインまでをスケジューリングして、時間を分解して詳細を決め、その決めた時間の中でやりきる。これを土台にがんばりたいと思います。

元日の新聞に、「これからの東京」という記事がありました。新宿駅の中で、最後に取り残されていた?西口には、大きなビルが建ち、分館だらけのヨドバシカメラが一棟のビルに入るらしいです。

横浜から大阪へ移った日本一のっぽビルも、ついに東京にその座がやってきます。東京トーチ。首都に、灯りを灯す日本一高いビルの完成までに、東京オリンピックは行われるのかな、大変身しようとしている羽田沖は、外国からの観光客が賑やかにやって来たりするのかな、なんて。

未来に向けて、どこか無条件にワクワクしていた頃(コロナ前)とは事情も違って、少しぐらぐらしながら未来を見ている、という感じです。

新しい日常元年、次の世界のスタンダードへの駆け出し。この一年が、これからの未来の岐路になることは確実で、だからこそ重要な時点なんでしょうね。

ああ、正月三が日もあと1日。明日もたぶん、寝て過ごすんだろな。今年に限っては、それが正解なんだろな、と、箱根駅伝の復路、大手町に旗ふりにいったら、あかんぞ、あかんぞ、と思えば思うほど、行ってしまいそうでも、あり。

今年も、どうぞよろしくお願いします。



■2020年12月27日
「底から」

今年の夏、虫取り網が売れたというのに似て、(外出自粛の)この年末年始、凧が売れているそうです。嵐も最後の紅白歌合戦で「カイト」を歌うらしですし、なんですかね、見上げたいんですよね、みんな。思い切り、空を。

さて、新型コロナの影響で来日を見送ったサンタクロース。え〜、じゃ、プレゼントもらえないじゃん、と気をもんだ子どもたちのために、WHOが「サンタはコロナの免疫をもっているので大丈夫」なんて発表をした粋な行動に、久しぶりにほんわかしたクリスマスも終わって。

これが、今年最後のホームページ更新となります。

旅に出たり、お出かけをして、そのレポートや写真、コトバを載せるというこのホームページの性質上、なかなか、巣ごもりと外出自粛で週1回の更新がままならない年となりましたが、今年も一年間、ご覧いただきありがとうござました。

新しい年が来ます!毎年恒例の西宮神社の福男も、自治体によっては成人式も中止なんてことになって、「いつも」の新年ではないですが、それでも、気分はしっかり変えたい区切りです。令和3年、新元号にもだいぶ慣れてました。

元号が変わって三年目。平成3年はどんな年だったを調べると。NTTが携帯電話のムーバを出したり、マイクロソフトがウィンドウズ3.0を出した年でした。その後、携帯とPCはなくてはならないものになり、つまりは、その芽が出た年とも言えます。

はて、さて、令和3年は、どんな芽が出るんですかね。

簡単に想像できることもいくつかあります。まず、自動車です。ガソリンで走ってたなんて《昔》は環境に毒だったな、なんて振り返られるような、電気と水素の時代が来るんでしょうね。飛行機も、すぐにそうなるかもしれませんね。

次に、密です。満員電車をはじめとする密集。人がぎゅうぎゅうになって、それでも耐えて働いたり、学校に行ったりというのは、過去になってしまうかもしれません。配線がこんがらがって「醜く、危ない」のに、仕方ないといって放置していた状態は、コロナも手伝ってなくなるような気もします。

さらには、リモート化。色んなものが遠隔で、「テレ」のつく生活様式が至る所に入ってくるように思います。満員電車でオフィスにいって、ランチは行列の後、ぎゅうぎゅうの席でかっこむ、みたいな生活は、きれいになくなりそうです。

そうなると、ニューヨークやロンドン、パリに東京、香港、シンガポールなど、一極集中で密集して、だから物価が高くて、だけど憧れる、みたいな「大都市」というのも、考え方が変わるでしょうね。雑多や混雑・混乱という負の部分は排除して、残るのは文化の薫りだけ、となれば、より一層、いいんですが。

10年後、20年後、30年後。そんな未来から見た令和3年、2021年は、どんな始まりの芽になるんだろうな、と想像しながらも、足元を見ると、ぞっとします。

巣ごもりで、家飲みに慣れた末、誰かと小さなテーブルで「ちょっと一杯」なんてこともなくなるだろうし、そもそも、仕事帰り、という事象すら在宅勤務でなくなるかもしれません。そうなると、飲食店の打撃は相当なものです。

さらには、リモートになれて、何でもかんでもスマホで済ますと、小売店も厳しくなるだろうし、かつて宴会場が死語になったように、旅館というものじたいも、どうなるかわからないですよね。

集団で、観光バスに乗り込んでどこかへ行く、という旅の形態は、さすがに厳しくなり、手間賃で成り立っていたようなビジネスは、もう、完全に手のひらの宇宙(=スマホ)に取って代わられるでしょうね。

コンビニは、外国人が激減して店員が不足し、だから、オート化されて無人になって。その無人のコンビニという「箱」の中に、銀行窓口や携帯ショップなど、いろんなサービスが包含されて、町中の「お店」が消えるかもしれません。

必要に駆られて動く必要が減れば、電車も車もタクシーも需要が減って、結果、出かけないからメイクも洋服も、そんなに不可欠ではなくなるようにも思えます。

つまりは、雇用先が減るのは確実で、
不景気という分厚い雲が覆いそうです。

私たちの足元、来年は、なんとも不安ばかりが巻き上がって、不安定な気分に揺さぶられて、倒れてしまいそうです。

売上高や利益で示すグラフは、対前年だの対予算だのと比較するまでもなく、落ちるところまで落ちています。もはや為す術なしの状態に近く、もう、なるようにして、底まで落ちているのが現状で、そんな足元の「底」を見ると、やはりぞっとします。

昔、何かの本だか、授業だか、講演だかテレビだか、忘れましたが、「底」について、ハッとしたのを覚えています。その後、何度も聞いたので、それは使い古されたことだったのですが・・・

そこまで落ちたか、と思うか、
踏ん張る底(地面)が見えた、と考えるか。

これは喉がカラカラで、コップに少し入った水を見て、少ししか水がない(glass of water)と考えるか、少しは水がある(a glass of water)と考えるか、というのに似ています。

底まで落ちたから、地面が見えた。だから踏ん張れる。踏ん張って、底から、ジャンプ、したい。

いやぁ〜、高く飛び上がりたいもんです。そういう気持ちというか、気概を持ちたいです。よし、この年末を一つの区切りにして、いっちょ、やってやりますか!

来年も、どうぞよろしくお願いします。

冒頭の凧が売れているという話を聞いて、わが家でも、この年始は帰省自粛なので、前の公園で凧揚げでもしようかな、と思っています。今年9歳になった息子は、よく考えると、一度も凧揚げをしてないようにも思うので、家族で思い切り、大空を見上げてみたいと思います。



■2020年12月5日
「子供たちへ未来を約束するものになるべき」

愛の不時着、あつ森(あつまれ どうぶつの森)、アベノマスク、アマビエ、オンライン○○、鬼滅の刃、GoToキャンペーン、3密、ソロキャンプ、フワちゃん。今年、2020年の流行語トップ10がこちらです。

ほぼ、コロナ関係のワードが並んでますね。外出自粛であつ森が大ヒットして、ほぼオンライン〇〇でこなして、アベノマスクですらありがたいかも?と思うほどマスク入手に四苦八苦しつつ。

3密をさけるためにソロキャンプにいって、燃える炎をじっと見て癒されて、まだまだGoToしてていいのか?と思いつつも、やっぱりお得だし!ということで旅行したり、居酒屋へ行ったり。自粛疲れの反動ですね。

そんな中で愛の不時着はすごいですね。私は見たことがないのですが、はまったら抜け出せないと聞きます。相対して、なんとなくだらだら見てしまうフワちゃんのキャラは、まぁ、ユーチューバーのそこが知れてきた今、あの人は今、になるんでしょうかね〜。

コロナも第3波で、全国的に感染者が増えて、特に重傷者が問題で病院の疲弊が聞こえてきて。そんな中ですからね、大阪モデルよろしく、ここは外出自粛要請というのは必要なんじゃないかな〜、なんて思いながらも。

毎朝、私は、気持ち空いてきているとはいえ、まだまだ人の多い山手線に乗ってます。そして、車内の窓は開いていて、そろそろ寒く、でも、どこからしらの「ゴホンッ、ゴホン」にとっても敏感だったりして。

イギリスでは、国としては世界で初めてワクチンを承認して、来週から接種を始める!というニュースが入ってきましたね。同時に、同国のロックダウンが一部緩和されると、ふら〜っと人出が増えて、ワクチン接種のニュースも関係しているのかも、なんて現地の人が取材に答えていました。

いいのかな〜、第4波がきそうだな〜、なんて危惧をしているのは、私だけじゃないようで、そもそもワクチン接種についても臨床実験が少なく拙速だ、なんて意見もあったりして。接種が可能になっても、接種しない、という人までいるそうです。

また、ややこしいのは、EUとアメリカとは「別」の動きでイギリスが承認したこと。これが吉と出るか凶と出るか。吉としては、イギリスに続いて、国レベルで承認するところが増えると、コロナに対して無力、という気持ちから、何もかもストップしていたのが、緩和されること。

凶としては、イギリスが認めたワクチンじゃないものを、承認する一発目の国になろう、なんて変な競争で、結果、すべての動きが鈍くなって、コロナによる“ストップムード”が、だらだら尾を引くこと、ですかね。

考えられるのは、バイデン米大統領が就任する年明け、その後の数か月でEUとアジア諸国が足並みをそろえて、ワクチンを承認して、医療関係者と高齢者から接種していくという順序をたどると、来年の冬前に、インフルエンザの予報接種と同じ時期にコロナのワクチン接種、なんてことになる、ことですかね。

そうなると、来夏の東京オリンピック・パラリンピック。チケットを払い戻した全体の2割の人の判断も納得です。このまま、もし、チケットのリファンド(返金)不可が続いて、オリンピック中止、となったら、個人的に払い込んだチケット代、あきらめきれないかも。

一部報道では、オリンピックが万が一中止になったら、チケットの返金も考える、と言われてますが。そうなると、莫大に投資した五輪関連の資金、そっちの方が心配になって、なんでもかんでも公金でやっていて、いいのか?とも思えてきます。

Go To トラベルは6月まで延期されて、突如除外されてもキャンセル料は税金で補填。雇用調整の助成金もどんどん延長していって、来年の税収は、確実に減りますよね?企業も個人も、収入は減っているので。な〜んて、こと言ってる場合じゃない!というのも、わかりますが。

今日、明日のことが一番心配で、数か月後がまた心配。その後は、普通になって、元通り、みたいな、頭では〈そんなことはない〉とわかっていても、気持ちのどこかでそう思っている雰囲気があります。

が、一番の恐怖は、ワクチンでコロナをある程度制御できるようなった未来の、だからこそやってくる「今のツケ」じゃないか?と思っています。

税収を増やし、国としての体力を増やす策で、個人は疲弊し、コロナ・ショックが時間差でやってくるような業界は、国からの補助もないまま苦しむことになったり。

そんな中で、もし、あきらめムードみたいなものが蔓延して、そのまま国の破綻なんてことになったら。子供たちの未来に申し訳ないです。

モチベーションは、目標設定から始まり、その目標というのは、子供たちへ未来を約束するものになるべきだと思います。私は息子を膝に乗せ、目を見て約束しました。来年のこと、そして二年後のこと。

今の「嫌、嫌」というポロポロ零した彼の涙に誓って、二年後、私は約束通りにしてやるぞ、というのを目標に、それをモチベーションに、わが家の岐路に立ち、改めて強く思いながら、ここに記しています。

早いもので、私も父親になって9年目の秋を超しました。ユーミンの新アルバム「深海の街」の一曲目、『1920』という曲には、ちょうど100年前の、今と同じような状況が歌われています。

1920年、大正9年。第一次世界大戦後のスペイン風邪禍でのアントワープ・オリンピック。これは、スペイン風邪を乗り越え、戦後復興のシンボルとしてのオリンピックだったらしく、恐ろしいほど、100年後の、東京オリンピックに似ています。

そんな曲の中で、ユーミンは
 ♪アントワープの静かなオリンピック
  空席だらけのコロシアム
  テニスコートの孤独なギャッツビーは
  どんな野望に敗れたの

と歌います。まるで、名曲「ノーサイド」の曲調で、日本人の銀メダリストを想起させながら。『振り子時計は時を歪ませて/カードを配ってゆく』という世の流れ、『アネモネ色の溜息』、『セピア色した写真の中』。

私は、以下の歌詞にぐっと来ます。
 ♪かならず わかる ふり返れば
  何を追いかけたか
  それは変わることのない
  あと100年経っても

100年後、確実に死んでいる私の体とは別に、セピア色の写真の中で残るもの。その中に、「今、追いかけているモノ」をしっかりと刻みたい。そんな風に思いつつ、寒くなって腰が痛いな〜、とかなんとか、どんより重い雲を眺めつつ、土曜授業に行った息子の帰りを待ちながら。



■2020年11月21日
「そう思い込みたいところ」

日本医師会の中川俊男会長が、先週の水曜日の会見で、新型コロナ感染者の増加は、Go Toトラベルとの関連が考えられると言った発言に加えて「コロナ慣れしないでください。甘く見ないでください」というのは、いやぁ、ハッとさせられましたね。

1日の感染者数が5万人だ、18万人だという、フランスやアメリカと比べれば、日本の状況は、そんなに大騒ぎすることか?という、なんというか緩みのようなものが、確かにあって、そんなことで外出自粛してたら、ほんと経済で死ぬぞ、というのもわかります。

都道府県レベルで1日の感染者数が100人を超えるところが乱発して、日本全体でも1日2400人の感染者が確認されるようになってきました。

それでもなお、「だから、そこまで大騒ぎすることか」という《そう思い込みたいところ》に逃げ込んでいるようにも思えます。

そんな中での、コロナ慣れ。
そして、「甘く見ないでください」という発言。
この呼びかけには、敏感になるべき時期、ポイントに来ているんでしょうね。

まぁ、確かに、感染者数が4人でも2000人でも、自分がその「1」になることは避けたいですからね。日々、行動を起こさずじっとしているのではなく、日々の行動の中で、しっかりとしたブレーキというか、バリアというか、そういう気持ちのシールドが必要ですよね。

さて、秋も深まり、いい季節になりました。

わが家では、息子の誕生日があるので、毎年、11月のこの時期はバタバタです。特に、妻はバースデーパーティの準備に追われています。私も、息子には毎年、長めの手紙(というかメッセージ)をしたためたりしてます。

したためながら、家族だけで、ある種「囲って」彼(息子)の誕生日が祝えるのは、あと何年あるんだろ、なんて残り少ない予感に寂しさがあり、同時に、そういう未来に頼もしさも感じるのですが。まぁ、今の精一杯をやりたいと思います。

それにしても、今年の年末の帰省もお預けかなぁ。お盆も帰省していないので、おばあちゃん(私にとっては母)も、孫に会えなくて寂しいだろうな、とは思いますが、今回のコロナに「慣れず」「甘くみない」ということを考えると致し方なしか、とも思えてきて。

となると、これは数年ぶりの東京での年越しになるのか。

息子にとっては、11月に生まれたばかりの0歳時以来、初めての東京での年越しになります。さぁ、何しよう〜。

初詣は近所の神社か、浅草寺なんてのもめでたいな。初日の出は、早起きして「富士山+初日の出」を見るか。最寄り駅のホームから富士山が見えるから、そこにするかな。よ〜し、こうなったら除夜の鐘でもつきにいくか。

京都なら知恩院が浮かぶけど、東京だとどこで除夜の鐘を打つんだろ。増上寺で東京タワーを見ながら、か。高幡不動っていう手もあるな〜。築地本願寺で鐘ついて、そのまま年越し蕎麦ってのいいなぁ。

年が明けたら、家の前の都立公園で初ランニングをしてから、のんびりと何処かでお昼でも食べようかな。そのまま臨海にでも行って、ぶらぶらしてもいいし、ザ・正月を体感するために柴又なんて行ってしまったり。

2日になったら買い物行って、映画みたりライブにいったり、テーマパークで初バンジーしたり、、、。
って!
ちょっと待った!
・・・ダメか。コロナか。

おうちで過ごすのがいいのか。と、なると。正月気分を上げるあれやこれやを買い集めないと。

まずは、お餅。これはわが家のホームベーカリーでつきたてをいただくとします。そもそも、お正月だからお餅、という方程式はわが家ではなく、毎日、普通に食べてますからね〜。

雑煮だけでなく、東北の県民よろしくおかず餅をいろいろ楽しみたいですね〜(先週のケンミンショーで見たんですが)。それからお節ですね。メガデルとかナガイキするとか、いろんな意味合いのものをしっかり食べてみるのもいいですね。

外せないのは麺類(笑)。一週間も家にずっといる、という今回の年末年始は、こうなったら全国から麺料理を取り寄せてみようかな。まずは岩手のわんこそばで息子と真剣勝負なんてしてみたり(まだまだ負ける気がしない!)。

蕎麦なら他にも、山形の板そば、東京の深大寺そば、長野の信州そばに新潟のへぎそば、兵庫の出石そばに、島根の出雲そばもいいですよね。

焼いて食べるのもいいなぁ。秋田の横手やきそば、静岡の富士宮やきそば、大分の日田焼きそばは絶対に食べたいな。福島のまみえ焼きそばとか北海道北見の塩やきそばとか、いや〜お正月感はゼロですが、考えるだけで楽しくなってきます。

そして、ラーメン。これはお取り寄せできることが条件になるので、「宅麺.com」のお取り寄せラーメン オブ・ザ・イヤー2020から選んでみようかな。醤油も塩も味噌も、山形の「琴平荘」なんですね。確かに、実際に行くにはハードルが高いので、まずは宅麺でいただくとしますかね。

なんだかんだいっても、私はうどん好きなので、ほうとうやさぬき、博多うどんに味噌煮込みうどんなんかを取り寄せてみたいところです。あぁ、京都は岡崎の「おかきた」が食べたい。

パスタもいいですね〜。これは奥様にお願いして作ってもらおう。などと、麺のことで頭がいっぱいになってますが、「また、麺〜、もう勘弁してよ〜」という妻の声が聞こえてきそうなので、ここは「年越しそば」に絞って、よ〜し、どこを取り寄せるか。

と、いろいろとしらべながら、いや待てよ、蕎麦ぐらい近所の名店に食べにいってもいいよな、と考え直し始めました(笑)予約できるかな〜。(でも、琴平荘のラーメンだけは、取り寄せたい・・・)

そんなこんなで、コロナがピークに達して、ピークアウトしてない年末年始を予想しながら妄想していると、妻は、お節料理を取り寄せようと企んでいました!(笑)



■2020年11月15日
「豊富な選択肢になり得る知識の蓄積」

アメリカ合衆国大統領、バイデン氏。決着が正式について、さぁ、これからの世界を見回したとき、やっぱり外せないのは〈ウィズ・コロナ〉ということですよね。欧米での新型コロナ感染者数が、なかなか落ち着きません。

一方で、SDG'sという持続可能な社会の世界的なゴールに向かってもいて、いろいろと動き出している中で、車はみんな電気になるとか、電車も飛行機も水素で走り・飛ぶとか。そういう未来もあります。

コロナありきで、どう付き合っていくか。と、
この地球を、どうやって持続させていくか。

明確にしないといけないものを、しっかりと、(少なくとも政治レベルでは)みんな同じ方向を向いて、力を合わしていきたいもんです。

ウィズなんてものではなく、ゼロにした社会、すなわちゼロ・コロナの次の時代を作るんだという国とは、さてバイデン政権下のアメリカは、どんな関係を築くんですかね。もはや、ゼロという数字を真顔で出す国と、本気で付き合っていけるんですかね、なんて声もありますが。

そんな中での管首相の舵取りです。

これは、一昔前にもどった「日本のそれ」に近づきそうです。レーガン、ブッシュ、トランプのような共和党の指導者のように「お友達」になって物事をすすめるというのでもないでしょうし。ポスト管という動きもあるでしょうし。

が、とにかく、日本は今は、3日連続で過去最多の感染者数を出しているコロナ第三波への対策ですよね。政治的手腕、ぐいっとひっぱっていく所を期待したいところですが、管さんは「そういう人」ではないので諦め気味ですが。

なかなか煮え切らないまま、どっち付かずで〈誰か決めてくれ〉とか〈天に任せ〉ている間に、一日の感染者数が1万人を越えるなんてことが年内にあり得るかも知れません。

今回の日本での第三派は、第二波までとは違って、東京だけの問題ではないですからね。Go Toでトラベルしたり、イートしたりするうちに、人が移動し、たまにはいいっか、という緩みが生じて、感染対策への徹底ぶりが崩壊したのは間違いないです。

明らかに、その分の「増加」があるのに、むにゃむにゃと煮え切らない発言が、なのに目立ちます。

今日、この冬晴れの中、息子は地区のサッカー大会の公式戦に出かけています。相変わらずの無観客で、観戦は厳しく禁止されています。なので、私は家で、これを記しながら、あぁ、息子はどうだろ、なんてやきもきしているのです。コロナって、こういうところでも本当に憎いです。

正解がないから困るんですよね。今は、全ての外出を自粛して、「嵐が去るのを待つ」かのように、コロナが無くなるまで我慢する、なんてことが通用しないことを知ったので、経済を殺さず、コロナを抑えるという難しい判断が必要になります。

キャンペーンでお得だから出かける。これはこれでやっぱりオッケーなのかもしれません。それは飲食店や観光だけでなく、色んな業種で停滞を打破することになりますから。

ただ、やっぱりコロナがあるという前提に立つと、飲食店もキャンペーンの効果(飲みに行く人)も限定的だろうし、旅行にいたってはキャンペーンが終了したら一気にマイナスに振れるということもあるでしょうし。これから始まるGo Toイベントも、どうなるんですかね。

ったく、どうしたモンですかね〜。

消毒して、マスクして、ワクチンを打って、治療法が確立されて。そんな先の先の日常が、来年夏の東京オリンピック・パラリンピックまでに、さて、はて、本当に来るんですかね。

東京オリンピックのチケットを購入している私は(といってもデータなので、チケットが手元にあるわけではないですが)払い戻しが始まった、と言われても、どうしたもんかと何もできないでいるばかりです。

この春、三月にも早めに抑えないと席がなくなるので、マイルで札幌までの便を取ってますが、それもいったいどうなることやら、という感じです。マイルの場合、キャンセルしたら手数料で1000マイルとられるし、三人分なので3000マイルは確実になくなります。

こうなると、ですよ。年末の帰省便もとれなくなって、早め早めに予約を整えて、予定を立てるというのが通用しなくなりそうです。それが、これからのニューノーマルなんですかね。

大阪都構想の選挙の後に、見事なほど発表される感染者数の数が増えたのと大阪府と同様に、大統領選挙が終わったアメリカでも、ロックダウンを含めた感染対策がいろいろとでてくるでしょうね。

欧州各国も、とにかくクリスマスシーズンの消費に影響を与えないために、今現在ロックダウンしているところも、そう簡単にはいかないでしょうね。

ひと言で言えば、ノーコントロールなんですよね。

いろんなことを想定して、予想して、計画を立てても、その通りにコトが運ぶというコロナ前までのスタンダードは、戻って来ないんですよね。

ノーコントロール下で、どう順応していくか。それを考えていくと、一ヶ月後のこと、一週間先のこと、明日のこと、いや一時間後のことも、柔軟に対応する必要があるのかな、なんて思えてきます。

それらに対応するための瞬発力とか視野、豊富な選択肢になり得る知識なんかの蓄積がつまりは必須で、なんともすごくサバイバルですよね。

一人ならなんとかなるサバイバルでも、家族とか、会社とか、コミュニティの中で、全員がサバイブするには、いやはやこの先、どんなフローが必要で、どの程度のマイルストーンを置きながら進めていけばいいのだろう、なんて少々迷子になりそうです。

迷子になっていてはサバイブできないので、そこだけは日々の中で蓄積しつつ。根本まで根こそぎ変えるのではなく、〈これまで〉を〈これからの土台〉に置きつつ、枝葉の部分で何を思いきって変えないといけないのか、なんてことを・・・

頭をフル回転して考えている。私のここ数ヶ月は、そんな感じで時間が過ぎています。これが、いつまで続くんだろ、と少々コロナ疲れも感じながら・・・。



■2020年11月7日
「見ようとするから疲れるんだ、と」

負けた方が、負けてない!と主張し始めると、サッカーで言うところのVARのようなものを取り入れるしかないように思えてきます。

投票する、それを開票して数える。そこには、付け入る隙がないほどのモラルと正当性が約束されている状態というのが絶対条件ですよね。

票を不正な方法で操ったり、いろんな手口で扇動するようなことがあれば、疑いが疑いを生んで、訴えてやるもんね〜、バーカ、あっかんべ〜、という「不細工な負け方」があったり、逆に「かっこ悪い勝ち方」というのが出てきます。

どうか、〈かっこ悪い勝ち方〉をして、〈不細工な負け方〉で去るという「人」ではないことを切に願いながら、アメリカの大統領選挙の報道を見ています。毎度のことですが、日本ではいつもトップ扱いの大きなニュースですね。

アメリカの大統領が共和党か民主党か。トランプのままならどうとか、バイデンならこうとか。テレビでコメンテーターは、ほんとよくもコメントが豊富ですね。それが、仕事だからでしょうけど。

テレビの報道より、TwitterやInstagramの投稿で追っかけることが増えてきているのですが、選挙というゲームで、トランプとバイデンの勝負を楽しんでる、という雰囲気が濃いです。それが、しっかり映し出されているようにも思えます(SNSの方が)。

それにしても
秋らしい透き通った青空が続く一週間でした。

嗚呼、ブルーインパルスが入間基地で飛んでくれたら圧巻だっただろうな、と思いつつ、私は、羽田沖の、天空橋で足湯につかりながら、JAL、ANA、スカイマーク、ソラシドエア、スターフライヤーなどの航空機を眺めていました。

気づけば11月。

毎年毎年、光陰はブルーインパルスの如き速さで過ぎ去りますが、コロナな今年は特にそんなイメージです。ハロウィンもいつの間にか終わって、来月にはメリークリスマスですよ。二年、三年前からターゲットイヤーにおいて、大発展を予測した2020年が中止と延期の連続で終わろうとしています。

そんな中。コロナ感染者数は高止まりですが、それはそれとして、どんどん旅しよう!の風潮ですね。コロナ感染者はどんどん増えて、北海道でも大阪でも、東京はもう1日300人が目前です。

ただ、お盆は帰省を控えた多くの人が、年末年始には大移動する予測で、JALも90%稼働で飛行機を飛ばすそうです。新幹線も飛行機も、例年通りの混み具合なんでしょうかね。第二波がこないことだけを願うばかりです。

わが家も、年末年始は帰省しようっかな、とGoToトラベルで必死にホテルを調べています。だいぶ、出遅れた感がありますが。

そんなことより、歳なんでしょうかね、目が疲れやすいです。

GoToを調べるためにPCやiPhoneの画面(ダークモードなのでPCよりましですが)をじ〜っと見ていると、ショボショボショボショボン。コンタクトせずに夕方、ちょっと近所のユニクロまで歩いて行ったりしても、いちいち目が疲労します。

見えにくいのに、見ようとするからでしょうかね。もしかしたら、この歳になると、見えにくいものを、見ようとすると疲れるんですかね。若さとか勢いみたいなもので好奇心のままむさぼるには、もう、はぁ、ということでしょうか。

朝ドラ「エール」での音のセリフが頭をよぎります。若かったら、と。見えてしまう(わかってしまう)から、と。

確かに、〈若くないと思う〉ようになると、多くのことが見えてしまうんですよね。それは経験値からそうなるんでしょうけど、決めてかかってしまいます。何者でもない、という若さの無鉄砲さが、責任とか守りたいもので覆われるとでもいうんでしょうか。

それなのに、見えてる(と思ってる)ものが、だんだん(時代の移り変わりなどで)見えにくくなってしまって、答え合わせをするように見ようとしてしまうもんだから、疲れる。といいますか。

ほんと体のバロメーターって正直です。

と、これを打っていても、もちろん眼精疲労がひどく、しばらく打ったら、目を閉じて潤し、潤し、やってる始末。もしかして、GoTo眼科ですかね?

眼科じゃなくて、どっか行きたいですよ。GoTo箱根でも、GoTo松島でも、とにかく、どっか、です。

先日、夕飯の後で、息子と2人で「せーので行きたいとこを言うゲーム」をしました。同じ場所がでるまで続くゲームで、なかなか終わらないほど、各々で色々と行きたいところがありました。

結局、最後はお互いをヒントを出し合う妥協案で『ロンドン』というので一致。ロンドンに行けるようになるのは、来年の夏かな、再来年の春かな。でも、ロンドンなら絶対に夏に行きたいので、再来年の夏になったりするのかな。

そんなことを言ってたら、イングランドもロックダウンで、再来年の次かも、ってことになって、温泉にするか、なんて。箱根、伊豆、熱海。ちょっと遠出して、はやぶさに乗りたい息子の願いを叶えるために秋保温泉なんてのもいいかな、とか。

Go Toが春まで延長されたら、普段の半分の値段でいけるなら、普段の値段で2回行けんじゃん、と私は呑気で、妻は隣であきれて首を振ってます。

まぁ、なにはともあれ、今年も残すところ2ヶ月弱。寒くなって閉め切るからコロナが増えた北海道を参考にしながら、インフルエンザにも用心して、乗り切りたいな、と思ってます。

バイデン大統領誕生になったら、一日の感染者が10万人を越えているアメリカも、ロックダウンが選択肢に入ってくるでしょうし、う〜ん、もういっぱつ世界の停滞がありそうで怖いです。

ここまで踏ん張ってきた多くの企業、店、人々が、もう駄目だ、という結論に至らないように。「この先」という見えにくいものを、見ようとして疲れる方が、見ない振りで終わってしまうよりいいよな、と自分に言い聞かせて、、

見ていこう、と思います。



■2020年10月31日
「驚くべき数字」

一気に気温が下がって寒くなった週末。今日は、息子の学校で延期になっていた運動会でした。ただ、競技・種目を大幅に減らして半日で終わらせてしまい、振替休日もない体育学習発表会なるものでした、が。

一生懸命、走り、そして踊る小学3年生の息子を見つつ、必死で撮影していた父(私)は熱くなった日でした。いや〜、学校行事というのを「見る」のも、今年は、これが最初になりました。

去年までは、土曜授業をすべて学校公開にしていたので、ちょくちょく学校に行って授業を見ていたのですが、今年に限ってはそれもすべて中止になっており。

なので、今日になって「へぇ〜、息子の担任の〇〇先生って、あんな顔なんだ」なんて思いました(といってもマスクをしているので、顔認証まではわかりかねますが)。

さて、iPhone 12 proを買いました。それも512Gを積んでいるので、これからもどしどし撮って加工して〈家族の成長記録〉をつけるぞ、と鼻息を荒くしているところです。

これまで、PCがvaioなので、スマホもずっとXperiaでしたが、iPhoneにすると、いいですね、いちいちの動きというか、感覚的な操作というか。

なるほど、これは人気が出るはずですよね。これまでは2年に一回、機種を変えるというペースでしたが、これからは特に縛りもないので(それにバカ高い端末だけに)長く愛用したいなと思います。

となると、このホームページ(もう17年以上も前に始めたので)は、とても古くなり、スマホサイトへの対応もできない(ソフトを変えればできるんでしょうけど)ので、いっそのこと、Macも新調して動画にはしるか!なんてことも含め、企みが増えていきます。

コトバを動画に乗っけて、どうやって表していくか。

う〜ん、想像しただけで、やりようがいっぱいあって楽しくなってきます。でも、まだしばらくはこちらのホームページで更新して参ります。

ところで、最近は驚くべき数字(数値)というのに現実を突きつけられているようで怖くなることが多くないですか。そのほとんどはコロナ禍に関連することばかりです。

例えば、5万2010人という数字。これは、フランスの1日に新規で新型コロナ感染した人の数です(過去最大を記録)。1日で5万人以上が感染しているんですね。驚異的な数ですよね。

日本では、これまでの感染者数が10万人を超えたというのが昨日大きく報道されました。これはすごい数ですが、フランスだと2日でいってしまうのか、なんて思えば、いかにフランスが驚異かがわかります。フランスでは、春以来のロックダウンになってしまいました。

また、5100億円という赤字。これはANAの今年度の最終赤字予測の額です。赤字額として計上するには、もはや数字がでかすぎます。

つまり、これは「返していく」額ということから考えると、これから、黒字を出して、その中から5100億円を返す、ということですよね。もはや長期的な策が必要だし、そんな策、あるのだろうかと思えてさえ来ます(ANAの方々は、そんなあきらめ、ないと思いますが)。

さらには、ニュースアプリを流し読みしていても、毎日、毎日、前年比99%減、なんて数字も見ます。

本当に異常ですよね。去年に比べて、99%が減るということは、残ってない、といってもいいですよね。それを埋めるだけの資金力があるところは珍しいだろうし、体(会社規模)が大きければ大きいほど、身動きできませんよね。

出向の受け皿を他社、もしくは異業種に求めたり、ドメイン事業以外で収益を出す方法を猛スピード(突貫?)で模索したり。

なんとなく、丁寧にじっくり、質を保ってサービスしてきた日本の強み、みたいなものが、これから細っていかなければいいなぁ、と思いつつ。

そうは言ってられない、この異常な今(事態)に、出口があることを(それはウィズコロナで生活していく新形態も含め)願っています。

今、方方という中国の作家が書いた『武漢日記』というのを読んでいます(渡辺新一訳・河出書房新社)。

これは、人口1000万人以上という大都市・武漢で約3か月も行われた都市封鎖期間中の日記です。一気に読まず、その期間の長さを体感するために、一日分の日記(ブログ)を、一日ずつを読んでいます。まだ途中までしか読めておらず、ちょうど膠着状態が続いて陰鬱な状態の三月上旬くらいを読んでます。

それを読んでいても、今回のパンデミックが、全世界に広がる前に、発生の地・武漢市では、日々こんな風に暮らしていたのか、と発見することも多いです。

まずは初動で、ウイルスは「制御できている」「ヒトーヒト感染はない」などの誤った発信で、医療従事者の方々が多く亡くなったこと、そして中国というお国柄、超強制のもとに突如の都市封鎖をしたこと。

それらによる混乱、困惑。それを伝えるSNSやスマホの連絡ツール。現場の生の声を見る動画やブログ(すぐ消されるらしいですが)。そんな武漢での日々を読みながら、ほんとに異様な日常を想像します。

さらには、それに慣れていく様、その中でも助け合おうとする人がいること、などなど発見も多いです。日々、外出もできず、じっとしているのに、情報だけがうごめいて読んでいるだけでも「激動」だったことがわかります。

情報が噂を呼び、その噂がまた噂になるうちに、まるで真実のようになったりして、その嘘の真実が、真の姿を暴き出したりするところが、なんともやりきれない気持ちになります。もし、あのころ、武漢に自分がいたら。

封鎖されたのが突然だったので、武漢に来ていた武漢市民以外の人もいて、ホテルに泊まれる人ばかりではないこともあって、何日も路上で寝泊まりした人がいるなど、伝えられていないこともその著書にはあります。

間違いなく、歴史上で大きな意味をもつ事象で、これからを変えていくことになるでしょうから、この今の前・後のちょうど真ん中の禍を、しっかりと焼き付けてこれからに生かさないと、と思うばかりです。

さぁ、11月です。

コロナ、コロナで過ごしてきた2020年ですが、残すところ2か月になりました。流行語には、コロナ関連の何が選ばれるんですかね。「三密」「ロックダウン」「ステイホーム」「ゴー・トゥー」。思えばいろいろありましたね。「クラスター」「テレワーク」なんてのもありますね。

そして、今年の漢字。これは、「禍」ですかね。



■2020年10月17日
「THE NEXT」

朝、顔を洗って出かける準備をして、ちょっと窓を開けてみて。あ〜、もうすっかり秋だな、寒いな、なんて長袖を来て玄関を出ると、ブルブルっと、え?うそ、みたいな寒い朝があって。

今日なんて、師走並みの寒さ、らしいです。

しかも、冷たい、雨です。昨日は秋晴れだったのに。キリッとした気候の中にも日差しもあって、穏やかだったのに。一転、今日は、これです。コロコロと変わって体調管理に苦労します。

37度以上の場合、ご来場はご遠慮ください。

毎年、春に行われる息子の小学校の運動会も、コロナで秋に延期されて、午前中だけの短縮バージョンで開催されます。案内のプリントには、上記のような注意書きが。37.5度というのが、1つの基準かなと思いきや、ぐっと下げてきました。

今の時期、特に6年生は中学受験をひかえた大事な時期なので、万が一にもクラスターが出て、休校ということになったら、影響が大きいんでしょうね。だからこその万全に万全を期した策という所でしょうか。

6年生と言えば・・・。

ほんと、今年の場合、卒業アルバムに載せる行事という行事が中止されてますからね。ページ埋めるの大変そうだな、何てことばかり考えてしまうのは職業柄、だからですかね。

学級冊子の延長のような卒アルになりそうな予感ですが、よく考えると、卒業アルバムのための写真撮影というのを業者にたのんで、6年生の1年間だけを特化して素材(写真)集めをしようとするからでしょうね。

卒業生の歩んだ○○小学校での6年間、というページ構成にして、時事ネタとからめて色んな写真を組んでいくしかないだろうな、と。ふと、でも、運動会も学芸会も遠足も、基本、デジタルデータでの支給なので、その6年分のデータって、データベースの容量の関係で、すでになかったりしなけりゃいいけどな、と余計な心配までしてしまいます。

ともあれ、ハンコと同じ(かどうかしりませんが)、ハンコを押す必要の無いモノと、明確にハンコがないとしっくりこない(いや、価値すらない)みたいな花押みたいなものがあって。卒アルはその1つでしょうね。

紙の形で、あのたいそうな装丁でないとならないものなんでしょうね。が、一方で、私自身、幼稚園、小学校、中学校、高校、大学と卒アルがありましたが、一冊も、手元にありません。まだ、これまで働いた会社の送別で頂いた寄せ書きのほうが、どこか探せばあるようにも思ったりして。

区切りを付けるという意味で《形》が必要である、というモノたちが、いつか(強引に)デジタル化されたりする時代、区切りをつける《データ》なんて、どれだけの価値をもつのかなんて考えたりもします。

送別の花束をふと思い出しました。花束をもらっても、その後、困るから、実用的なモノにしようというあれ。確かに、送る側は、○○さんはワインが好きだから、花束の代わりにワインにしよう、といって、送別の拍手の中、ワインを入れた箱を掲げる。

より、その場、区切りを付ける送別の場では、掲げるのは、商品の入った箱よりも、花束の方がしっくりきたりします。それぞれに、必要な《形》。ハンコをやめていこうという河野太郎大臣も、花押は、よしわかった、それは残そうという判断をしたそうです。

さて、寒くなりました。

手荒れのヒドイ季節を迎えます。お肌よわよわ芸人じゃないけれど、本当、皮膚科知らずで、まったくケア不要の肌の持ち主には、憧れが募ります。

ここ最近、私は手の平の方が荒れだして、カサカサなのでハンドクリームを塗るのですが、そうするとキーボードとかスマホがネリネリになるので、それが嫌で避けていると、砂漠みたいにかさかさになり。

ならばと、寝る寸前に大量にハンドクリームを塗りたくるのですが、いざ塗って、寝ようと思うとトイレに行きたくなって、結果、手を洗って。そこでもう一回ハンドクリームを塗るべきなんですが、それもせずに眠ることもあって。

悪・循・環。

悪い流れは断ち切りたいものです。

コロナ・・・。先週は、都内の新型コロナウイルス感染者の数が、284人/日までいきました。かなりの人数です。何となく、旅にも行って、外で食事もしようという経済救済処置の風潮ですが、経済とコロナと言う関係における悪循環だけは避けたいです。

色んな人が机上の知恵を持っていて、いろいろ粒として発生するけど、それらを誰かの思い切った決断で断行する、という図はいかなる(小さな)組織にすら見られませんよね。

これが国単位になると、目先の結果を急いで急ごしらえでやってしまうからほころびが出てきて。そのほころびを我が物顔で突くのを生業にしている者達の意見で、また振り出しにもどって。

あっち行っても駄目、こっち行っても駄目、というトライ&エラーすらできない、つまりは、何も決断できないままあっちにもこっちも行かないというのが現状のような気がして、歯がゆいです。

このまま、歯がゆくて、かゆいところをぐ〜っと噛んで血が出てしまうような結果にならないといいのにな、と自分自身にも言い聞かせる毎日が続きます。

これ、「いつまで」続くんですかね。いつまで、なんて期限を持たずに続くんでしょうね。

世の中に溢れる「新しい」生活様式とか、「NEW」ノーマルとか。新しい、ニュー、の中には、確実に「NEXT」という意味合いがあるのに、その次に対する準備がないような気がします。

どこかで、口では言いながらも、新しい対応は、「元にもどるまでの間」の暫定処置であるという認識に居るんではないですかね。

一気にデジタル化、一気に遠隔化、一気に非対面。この4ヶ月で強引に傾いた時代の流れは、もう元の通りにはならないのに、まだ、やっぱり、どこかで元通りが振り切れてないというか。

もっと突っ込んで言えば、新しい対応というのは、元通りになった時に上積みされるモノなんだという暢気さとでもいうのでしょうか。

そうではなく、もう「次」なんです。

場面(状況)は変わって次の生活様式、次のノーマルなんです。そこを軸にすれば、今、目の前にあることの全てが、ぶれずに見られるようにも思うのですが。

そんなこと、知りつつ、我が身もまだまだ、元通りの上積みでしか捉えられていないのが現状ですが・・・。



■2020年10月11日
「トランプしてたら大変です」

台風です。今回の14号は、見事なまでの急カーブで日本列島に接近してきて、先週は後半からだらだらと雨が続きましたね。金曜、多摩動物公園への息子の遠足も中止、そして昨日は大雨。今年に入って、せっかく初めての味スタ(サッカー観戦)だったのにものすごい雨でした。

今日は晴れ間ものぞく曇り空で、あ〜あ、これが昨日だったらな、とかサッカーの試合が今日だったらな、なんて家族で言い合いながら、本日はのんびり家で過ごします。(息子は、もちろん、前の公園に遊びに行っていますが)

また南シナ海で次の台風、15号が発生して、しばらくは、また雨なのかなぁ、なんて考えつつ、雨や台風などの自然災害に備える時節だな、と。今年は、加えて新型コロナがありますからね。このコロナも徐々に身近に迫ってきたという感じがします。

東京での感染者数は高止まりで、ちらほらと、私の生活範囲でも実際に感染者や濃厚接触者が出てきてます。これは、もう一度引き締めていかないとな、とギアを入れ替えている最中で・・・

トランプさん。ディア〜、トランプさん。ああ、なのに、一国の大統領が感染してしまう脇の甘さもさることながら、ご自分の都合というか、感覚だけで退院して執務に当たるというのは、考えられませんよ。

たま〜に、古い頭で「こんなもん大丈夫じゃい」とか言いつつインフルエンザなのに「がんばってるだろ」オーラを振り撒いて出勤してきて、菌をまき散らす迷惑上司がいますが、イッツ・ユーではないですか?

大統領の周りにいるトップクラスの医師団が、ちゃんと医学的観点からアドバイスし、治療の実施(隔離含め)しなければ、どこぞの独裁国家のようにわけのわからないことを流布して、未来をゆがめてしまうような気がします。

今、世界中の国の中で、感染者も死亡者も、(公表されているとこから見ると)アメリカは断トツでトップです。今朝の新聞では、感染者数766万4675人、死亡者21万3787人。二位のインド、三位のブラジルよりもダントツです。そんなアメリカの状態においては、「正しくコロナを恐れ、しっかりと対応する」ことが必要です。

その国の指揮を執るべき立場の大統領が、ホワイトハウスクラスターでは、まったくどうなってんだか、というのを世界に発信するだけですね。

ヨーロッパでもコロナの猛威が止まりませんね。一方で、アジアでは(日本以外、かもしれませんが)落ち着いてきているかな、という印象があります。特に、SARSで大打撃を受けた台湾や香港では抑え込みが成功しているという印象です。

経済を回す。このことに力点を置いたような勇み足がどう出るか心配ではありますが、航空会社や鉄道各社などのことを思えば、しっかりとした条件(対策)をもって、開けるところから開いていかないと持たないですよね。

このご時世、海外へ旅行しようという人はいないと思いますが、国と国を移動(せざるを得ない)というのは十分あり得て。レジャー以外の、ビジネス渡航や、留学などの行き来は、少しずつ再開していく時期ではないでしょうか。

この先、スマホ料金が安くなって、5Gが当たり前になって高速に通信でつながる時代のリモートやバーチャルは、確かにリアルにとってかわる場面が多くなるとは思いますが、とはいっても、人と人の交流が途絶えることはないだろうし、途絶えたままで成り立つ世界が未来だとつまんないです。

そう考えると、ここで一気に事業を縮小し続ける観光産業や航空業界、鉄道各社の対応は、「次の交流」に大きな影響を与えるのではないかと心配でしょうがないのが正直なところです。

手のひらサイズの画面で、雄大な自然を眺めたり、匂い沸き立つ魅力的な海外の路地裏も、やっぱりバーチャルじゃ物足りませんからね。

コロナはなくならない。だからコロナになったらどうするか。それをしっかりと定義づけることが必要で、「コロナはそんなにおそれるべきではない」なんてトランプしてたら、インフルエンザでもたくさん死んでしまうような社会(世界)になってしまうように思えてならないです。

さて、Go To トラベルで国内の旅行者は増えていて、旅行代理店の店舗も予約入店が10日待ち、なんてことも聞きます。旅したい欲求って、やっぱりあるな、とここでもわかるのですが、日本旅行業協会(JATA)は、旅する場面によって、旅程場面毎の「新しい旅のエチケット」というのを発信しています。COCA(新型コロナウイルス接触確認アプリ)を入れようというもの以外には、、、

まずは移動中、交通編。
「マスク付け、私も安心、周りも安心。」
「間あけ、ゆったり並べば、気持ちもゆったり。」
「空いている時期、時間帯で、快適旅行。」
「向き合えば、話が弾む、飛沫舞う。×」
「楽しくも、車内のおしゃべり 控えめに。」

食事編では。
「旅ゆけば、何はともあれ、手洗い・消毒」
「マスクして、話せば安心、食事の前後」
「おしゃべりを ほどほどにして、味わうグルメ」
「取り分けて、安心・安全 おいしい料理。」
「狭い場所、混んでる場所さけ 安心ナイト。」
「旅の酒、忘れぬ 旅のエチケット。」

宿泊編。
「こまめに喚起、フレッシュ外気は 旅のごちそう」
「お風呂行こう 忘れないでね、タオルとマスク」
「大浴場、静かにゆったり いい湯だな。」
「旅の夜、盛り上がっても マスク忘れず。」
「毎朝の健康チェックは、おしゃれな旅の 身だしなみ。」

観光中編。
「マスク着け、私も安心、周りも安心。」
「予約とり、並ばずスムーズ 楽しい観光。」
「混んでたら、今はやめて、後からゆっくり。」
「盛り上がれ!叫べ、歌え、心の中で。」
「おみやげは、あれこれ触らず 目で選ぼう。」

う〜ん、確かになるほど。
これからの 旅には必須の エチケットですね。旅にはチケット、クレジットと エチケット、ってね。

嗚呼、早く旅したい。どこ行こうか(行きたいところ)を、行けるところの中から選ばなくてもいいように、早くなってほしいな。



■2020年10月3日
「家族のきれいな丸」

月がきれいな夜は、ぼんやり見上げて「きれいだな」と声が出ます。そしたら、スマホでつぶやい(ツイート)て、とことこ歩いて帰りながら、「月が出た、出た、月が出た」なんて鼻歌ってしまいます。木曜日の中秋の名月、見事でしたね。

満たされ、成型された真ん丸の美に、直視して称賛するというのは、気持ちがいいものです。その大きさで美にランクなんてないので、一人ひとりの満点がきれいな丸であること自体に、拍手をおくりたいと思っています。

今年は変則で6月まで臨時休校だった息子の学校では、9月の終わりに1学期の通知表が出されました。それを持って帰ってきた息子が、にこにこして渡してくれたので、それだけでOKだ、と妻がいい、そういう家族のきれいな丸に、心の中で私は称賛した次第です。(もっとできるだろ、という気持ちもありつつですが<苦笑)

ここ数か月の激変が、徐々になじんで薄まって、あれもこれも、特別じゃなくなってきました。パリから届く錦織選手のテニスプレイ、マルセイユとパリのリーグ・アンでの熱戦(と、暴言?)、久保建英の後半途中からのノールックドリブル。観客なしで、選手たちの声がダイレクトに聞こえてくるのにも慣れました。

サッカーの話で行くと、来週オランダで行われる日本代表戦は楽しみです。コロナ禍の入国規制にも関係して、今回の招集メンバーは、オール欧州組。キング・カズがセリエAでプレイしただけで大騒ぎし、中田英寿が「活躍」できるプレイヤーになったことで高揚した時代から考えると、感慨深いです。

これを野球に置き換えてみると、メジャーリーグプレイヤーだけで、ひとつのチームは作れませんからね。例えば、キャッチャーは城島さん以降いないし、内野手も4人組めないような。ピッチャーと外野手という、投手と打者のとびぬけた選手だけがメジャーで通用するという段階といえばいいのか、そういうスポーツといえばいいのか。

とにかく、今回のサッカー日本代表、サムライブルーは楽しみです。

毎年あった10月の三連休もないですが、Go Toトラベルで旅行する、という人の話をよく聞くようになりました。やっぱり、金額的なお得感は大きいらしく、うかうかしていると、まったく予約が取れない状態に陥るとか。

まったく予約が取れないといえば、インフルエンザの予防接種です。10月26日までに接種する対象ではない小学3年生の子供を持つ親としては、2回の接種を、放課後、もしくは土日だけで、それも11月中には少なくとも接種させようとすると、大変です。

・・・学校で、打って欲しい。

私の頃は、(途中で選択制になりましたが)インフルエンザ予防接種は学校で打ってました。保健室の前に並んで、注射を終えた子が戻ってくるたびに、「どうだった?痛かった?」と聞いて、ビビッていた記憶。そういうの、今の子にはないんですよね。

ないなら、ないにこしたことはないか、と思いつつ、この冬は、いやしかし、ノー予防接種で挑むには、少々怖すぎるような気もします。インフルエンザには生涯で一度だけ、それも息子が罹って、私にうつって、妻へうつるという家族全滅で経験しましたが、その時も予防接種をしていたので、超軽症、すぐに治りました。そういう意味でも注射しておきたいです。

さぁ、10月ですね。

新型コロナに感染したトランプ大統領の無事を祈りつつ、マスクなしで大人数の集会をしていた彼の行動1つ1つに、なんていうか対応の中の質というか品というか、そういうのが、ね。とにもかくにも中国が悪い、の一辺倒で自分の「村」(支持者)だけでの大将では、困るんですけど、アメリカ合衆国の大統領は。

それにしてもすっかり夜は寒くなって、だけど昼間は暑くて、その程度が、どちらも「過ぎず」でとてもいい季節です。こういう季節は、家族で川沿いを歩き、おいしいパン屋まで行く。それだけでも、たのしい時間になります。

その道すがら、息子が(気の向いたときだけ)話してくれる「学校で読んでいる国語の話」なんて聞かせてくれたりして、その話に思わず涙ぐんだり。

話すのもうまくなったし、身長も(私が低いので、ですが)ぐんぐん伸びて、こないだなんて、小さな近所の本屋で、息子が漫画本を買い、キャンペーンで何かのカードがもらえるので、それを引いていると、「あ、お兄ちゃんもどうぞ」と、私にカードの束を差し出してくれました(おじいさまの店主)。

ぼんやりとシルエット(というか、視界にはいってくる姿かたち)だけなら、兄弟に見えるようにもなったのか、と来月、9歳になる息子の成長に、ここでもまた、感慨深いです。

秋は心が敏感ですね。

その感度で、コロナ以外の、マイナス要素以外の、ネガティブ以外の、どれだけのプラスをため込められか、それが勝負になりそうな秋のはじまりです。

朝、起きてホームベーカリーで焼くパンと、豆を挽いて淹れるコーヒーの香りが相まって豊かで、息子、妻とダイニングテーブルに座って、まったり過ごす時間がプラスです。

三人とも大好きなお笑い番組を見て、腹がよじれるほど笑う時間も、FC東京の試合を見ながら、ゴールの度に大声で叫んでハイタッチする時間(家で見てるので)もプラスです。

駅まで歩いて、電車に乗って家族で出掛ける週末もプラスです。家族連れでも入りやすい近所の焼き鳥屋で食べる時間も、お風呂も、寝る前のちょっとした会話も、全部がプラスです。

プラスの小さな山が、ぐるっと回って、きれいな丸になっている家族の時間が、仮に、いつか、誰かがとんがり山になっギザギザになっても、お互いのやさしさみたいなもので包み込んで角を丸めていければいいなと思ってます。

家族のきれいな丸のために、すべてをかけていこうと。曇り空の休日の午後、サッカーの練習から戻った息子は、前の公園に遊びに行きました。



■2020年9月26日
「生への餓えのようなものがあって」

アイスにするかホットかを珈琲で迷い、部屋着のスエットを短パンにしたり長ズボンにしたりコロコロと変える、そんな朝が続きますね。寒かったり、そうでもなかったりの季節の変わり目、体調を崩して発熱なんてあった日には、即PCR検査か、と思ってしまうほど、コロナは日常の中に入り込んできてます。

10月から除外されていた東京もGo To トラベルキャンペーンに仲間入りして、さらに都が5000円をオンするという施策がなされます。同じようにイベントも飲食店も商店街もゴーと号令がかかり、このコロナ禍で大打撃を受けた業種へのフォローアップ策が実際に動き出そうとしています。

新型コロナ感染者は、居る。それも数百人規模で。だけど、それはありきで経済を回す。そういう姿勢がはっきりと出てきたこの秋、気を許すと、あっという間に爆発的感染につながって、再びのロックダウン、なんてことにもなりかねないので、慎重に行きたいところです。

ヨーロッパの、例えばフランスなどからは感染者数が高止まりして、ロックダウンも視野にいれているとか、ニューヨークからは、なかなか人が戻らず、もはや物価の高すぎるNYCに住まなくても、テレワークで済ませるということから、かつての(というかたった半年前の)ニューヨークの姿には戻らないかもしれない、なんて現地レポートもあったりします。

なんですかね、これからは、ますます難しくなってきましたね。

さて、DAZNで見続けていたサッカーや野球ですが、徐々に入場者数制限を緩めてきました。例えば、FC東京のホーム試合、味スタの入場者数は5000人から12000人に緩和されます。10月10日のガンバ大阪戦から。チャントもなく、大声も出せないので行くかどうか悩むところですが、やっぱり「生」で見たいなと思います。

野球は逆に。DAZNでちょくちょく電車なんかで見ている内に、それまでは強く思わなくなっていた生観戦を渇望するようにもなったり。行くなら東京ドームより神宮の方がオープンな空間かなぁ、なんて雨予報じゃなかったら、ふらっと立ち寄っていたかも知れません。(ふらっと立ち寄れるほど、簡単にチケットがとれるかどうかはわかりませんが)。

アクセスしやすいバーチャルで一定期間触れさせて、その触れた者がリアルで見たいと思う、というこれ、まさに本質的な力を感じますよね。

ヨーロッパ圏に住んでいたら、もう、そわそわしっぱなしで、南野のゴラッソや久保建英のパスを生で見たいと、体はすでに動いていたんだろうな、と想像します。引退した内田篤人さんが言った「世界と日本のサッカーの差は広がっている」というあれ。映像を見ていても、確かに実感するところではあります。

曰く、日本のサッカーレベルは確かに上がった、けど同比率で世界のサッカーレベルも上がっていると。

それにしても、これだけのバーチャル漬けだと、生への餓えみたいなものがあって、その行きたさ・触れたさは、メーターを振り切っている状態です。

生で音楽聞きたい(今は、Creepy Nutsとか聞きたい)、生で大谷翔平みたい、佐々木朗希も見たい、近本もボーアも見たい。生で建英を再び見たい、大迫も見たい、チェルシーも見たいしリバプールでユルネバ歌いたい。

映画も劇場でみたいし(浅田家!が見たい)、宮沢氷魚の舞台も見てみたい。息子の学校にも参観したいし、運動会もやって欲しい。息子のサッカーの試合も、はやく観戦したい。

そんな風にして、少しずつ、生・感触を取り戻していきたいとおもっているところです。それにしてもスタジアムの入場規制という話は、テレビを見てて、これみよがしに透明のアクリル板をゲストとゲストの間に挟んでいるようなもので、パフォーマンスに近くないですか?

実際のところは、毎朝の新宿駅を例に取ると、いつも満員のスタジアム並みですけどね。そんな満員の中でも、ほぼ100%マスク姿だし、おそらく微熱程度でも外出を控えているだろうみんなの「対策」があるから、感染拡大もないんでしょうね。電車内では、窓を開けて走るのがニューノーマルになったし(って、真冬もなんですかね、寒そう)。

対策をとって、コロナに対応できるひとり一人の意識。行動に確固たる対コロナを帯同させて、ウィズ・コロナであることを忘れなければ、どうでしょう、規制して無理することはないんではないですかね。

感染はするけど、発症はしない。発症はするけど重症化しない。ここのラインまでは、許容する時期に入ってきたのかもしれないと思うのですが。

社会を大混乱させて、徹底的にコロナを無くす、という4月5月の対応は理解したとしても、それができないと分かった今となっては、そういう意識が必要なんじゃないかと、増え続けて、実感しはじめた失業者・倒産数を見て思います。

今、最も注目すべきは、来年夏の東京オリンピックをどうするか、ですかね。今の所、あれもこれも縮小して、五輪開催ありきで行こう、という流れですが、これがもし、冬あたりに「中止」を決定したら、もう、来年もGo ToせずにSTTAYでしょうね。

滞った人の流れで、窮地に陥る人がごまんといて、ものすごく小規模でマーケットが動きそうです。考えて考えて、望んで望んで最後、清水の舞台から飛び込むようにして消費するドキドキ・ワクワク感はうすれ、何の気なしにポチポチとタップすることでぼんやり消費することが多くなるのかな、と。

そうすると、質の低い(と言ってしまいますが)ものが垂れ流されて、それを見るともなく見つつ、全体像がぼやけまくると、本当の良さ・オモシロサは、過去の産物になりはしないかと。もう完璧にオッサンを自覚した私などは思ってしまったりもするわけです。

なんとなく、絶頂を越えてからの方が質が上がった、モーニング娘。や、M-1での漫才のように、磨かれたモノに対して正当に反応出来ない鈍感さだけは、阻止したいなと、私はここでもやはり強く思う訳です。

どれでもいいから好きなのを選んで、あ、これがいい!と思ったものが、選択肢の中で一番高額だったりすると、ふむふむと鼻も高々ですが、そのうち、選択肢の中で、これ!というものもなく、どれでもいいや、ってなりそうで、「ぼんやり消費」の台頭には反対です。

まるで本物みたい、という紛い物だらけの良さ・オモシロサには、寄せ付けないだけの壁を持ちたく、そのためにも、生・感触は欠かせないように思います。それへの渇望。ああ、もう、うずうずします。



■2020年9月20日
「サクラは来年も咲きます、というコトバ」

シルバーウィークに突入したこの週末。コロナ禍で閑散としていた東京の玄関口、羽田空港や東京駅では《久しぶりに》混雑し賑わっています、というニュースがどこでもやってます。1割とか2割まで減っていた人出が、半分ぐらいに戻ってきた、と。

思えば、1日の東京の感染者数が200人台なんて、この世の終わりのパンデミックだ、と思って、それに恐れてどこにも行かなかった春を考えると、200人越えでも敏感な反応もなくしたこの秋に、「そろそろ出かけてもいいよね」と思うのだから不思議です。

ただ、ウィズ・コロナでの旅のスタイルは、結構分かってきましたよね。人混みを避けて、消毒の徹底。コロナを正しく恐れる風潮が染み渡ってきたというのが、この秋の人出かな、とも思ったりします。息子のサッカーの試合がなかったら、今頃は、わが家も諸橋近代美術館に行って、今夜は温泉に浸かってたんですけどね。息子の試合も無観客で、観戦できず、家でこれを書いてます。

旅の話でいうと、「隔離」というのがどうも次の旅のニューノーマルになりそうで恐いです。行って向こうで、そして帰ってきて日本で。今のように2週間というスパンじゃなくても、何日間は隔離するというのが常識になるんですかね。例えば、アフリカでサファリしたいとなると、数週間の内に間隔をあけて2種類の予防接種が必要だ、みたいな。

そんな隔離が面倒で、バーチャルな旅が台頭する未来。はぁ、なんてつまらない未来なんだと想像して、だけど、そんな未来もなくもないな、と思えるほど、コロナは恐ろしいです。

これまで、「やらないとダメ」なことだけど、そうは言っても「やってられない」というグレーな部分を、新しい常識では徹底していきそうで、幅がどんどん狭まります。ああ、平成(の昔はゆるくて)は良かったな、なんて言う(ギチギチの)令和時代に突入したことを変に実感したりもします。

さて、今やっている国勢調査にこたえました。

ネットでさくっと終わるので、別に苦ではないですが、いくつか、そんなこと、きく?というのもあって。日本という国の姿を調査するには、確かに東京や大阪に住んでいる人と、地方の小さな町に住んでいる人では感覚も違うでしょうが、一斉に問う質問としてはどうも不可解なものもありました。

何より、この問いには答えません、という選択肢がないことが、どうも、ね。なら、ぜ〜んぶこたえません、という人もいそうです。家族構成、年収、働き方の実態云々、まぁ、このビッグデータを、どう活かしていくんですかね。

色んな生活があって、色んな感度があって、色んな問題を抱えているという国家の舵取り、キャッチーなことも大事だし、地道なコトも必要で、国民のために働く内閣、という管内閣には、う〜ん、可も無く不可も無しという印象です。

携帯電話料金が下がって、その携帯電話(スマホ)で簡単に行政手続きができるというデータ面での策は、とにかくスピード勝負ですね。

やれ、誰も使わない小さいマスクを作れ〜、という号令よりも、運転免許証のデジタル化、引っ越しに伴う行政手続きの簡素化など、実態にあった策が聞こえてくるのが、管首相への高い支持率にもつながっているんでしょうかね。

このまま、たぶん選挙に入って、体制を盤石にするんでしょうけど、時代が激動して、原子レベルでの摩擦が強い時期ですからね、そろそろ「政治的な動き」にばかりとらわれず、しっかりとした実のある仕事を望んで止みません。

それにしても、プチ贅沢な嗜好品的な産業の落ち込みはすごいですね。Go Toキャンペーンに列挙される観光、飲食、商店街にイベント(エンターテインメント)は、いよいよ実際に倒産するしかないステージに入ってきたように思います。

東京ディズニーリゾートが、ダンサーなどに「他の職に移るか、給料をすごく下げるか、辞めるか」みたいな究極の選択を迫った、とか、LCCでは実際に希望退職者を募ったとか。

嵐の渦中は、とにかくじっと堪えていたのが、一旦、嵐でぐちゃぐちゃになった財務面を整理すると、もうやっていけないということを公表せざるを得なくなった、といいますか。

明日は我が身。最近、そういうことを実感している人が、多い印象です。今日の今日は、まだ、だけど、明日は、同じようなもんだ、と思って話している「今」って、打開策ありきならいいですが、実際には、とても難しいですよね。

印象的だったのは、半年前まで、毎週、日曜と月曜に新聞に掲載される求人が、ものすごく減って、もはや3分の1ページも持たない出稿量だったのに、少しずつ増えてきましたからね。これまでネットでサクサクッと検索して転職しまくっていた層ではなく、じっくり朝刊を読んでいるような層にも、「転職」の需要が出てきたのか、とか。

なんとも、肝心で重要な時に、今こそ安定して欲しいときに安定できない政治を思い、はちゃめちゃでぼろぼろの余所の国の大統領選挙に注目する、というのも、なんとも気分的にバランスを崩しそうです。

こういう時って、出来ることをやろう、というのが貴重です。出来ることがないから、せめて出来ることだけでも、というニュアンスで対面している人には意味はあまりないでしょうけど、これまでやってきたルーティンから外れて、出来ることを見つけて、とにかくやってみる。それって、やっぱり貴重ですよね。

お互い助け合って、という「きれい」な構図じゃないかも知れませんが、個々が、それぞれに「出来ること」。それを片っ端からやっていく。直接的な意味の繋がりを持たせて記す訳ではないですが、焼け野原になった場で、これをやったら助かるやつ(金を出してでもやるやつ)がいるはずだ、というモノから手を付けていった、ように。

いやぁ、それにしても秋ですね。

春の陽気でふわっと気分が膨らんだように、この秋の気候に鍵を開けて跳びだしたGo To。恐らく、コロナは次の波をもって襲ってくるでしょう。同時に、季節型のインフルエンザも心配になるでしょう。「コロナ前に戻る」ことはない、というのがこべりついて定着して、色んな予測・予定が作り替えられるでしょう。

そんな冬を越えた来春、都知事が「サクラは来年も咲きます」というコトバが、なぜか、今、ものすごく大きな声で頭の中を駆け巡りました。

来年の、春かぁ。

何しているだろ。



■2020年9月12日
「新ディスタンス」

来年の夏、2021年の8月9日に全国高校野球の甲子園大会が開幕する。そんな記事が木曜日の朝日新聞朝刊にありました。この日程は、オリンピックの閉会後、そして雨などの順延なく甲子園大会が順調に進めばパラリンピックの開会式の日が決勝戦になる、と。

なんでしょう。ふんふん、と読みながら、常に頭の中で「オリンピックがあれば、ね」というのが浮かんできて、予定通りに、というのが甲子園の日程ではなくオリンピックのあるなしに読み替えられてしまほど、ほんとね、どうなるんでしょうか。

新型コロナと関係なく、東京オリンピックは開催する、というIOCの誰だかの発言も、???でしかなく。渋谷での年越しカウントダウンイベントも中止になり、たぶん、ニューヨークのタイムズスクエアでのそれも中止でしょうね。そもそも、帰省して、ゆく年くる年してたわが家も、どうなることだか。

中止だらけの21年幕開け、という気がします。

結局、来週のシルバーウィークに予約していた家族旅行も、先週、キャンセルしました。Go Toトラベルキャンペーンも、東京を加えるのは10月からですからね。このシルバーウィークは、春休み、ゴールデンウィーク、夏休みに続いて、コロナでつぶされました。

そうですよ。もう3月からこんな感じですもんね。最近のあるあるなんですが、マスクをちょっと外した相手を見て「え、そんな顔だったんだ」なんてことが結構あります。

特に、今年度から仕事をするようになった人は、出会いからマスクですからね。目元だけで想像していた顔が、印象をひっくり返すほど意外だったりします。鼻から下で、顔の表情は、大きく変わりますね。

あれですかね、「ワタシ、ヌイダラスゴインデス」の世界観に、近づいているんですかね。

さて、自民党の3人をテレビでよく見ます。その陰でというか裏で、民主党の代表は代わり映えのない感じで決まって。このコロナ禍で、日々大変で、明日、来月、来期に向けの不安や心配ごとで頭がいっぱいの中、

この、自民党総裁候補のお三方の言葉って、
まったく心に刺さらない(のは私だけでしょうかね)。

例えば、地方創生。地方へヒトとカネを分散して、来る首都直下型地震のリスクに備える。この主張に対しては、悠長なイメージがぬぐえず、今、東京にどれだけ集まっていて、それをドコにナニを分散するのかのかなり詳細な設計図があって、それを示して主張しないと、概念だけの空滑りですよね。明日、地震が襲うかもしれないのに。

また、デジタル庁やデータ庁という主張。これは、「それ」と「それ以外」を分けることではなく、何においても多かれ少なかれデジタル化していかなくてはならず、そういう意味ではデータ庁の方が納得するのですが、あくまでも省庁で考えてしまうのか、という変革のなさも同時に思ったりします。

とにもかくにも、菅さんが今月中には総理大臣になる、という出来レースで、さらには、私には選ぶ権利すらないという中ですからね、そりゃ心にも響きませんかね。

雇用調整助成金で国がなんとかしておくれ、の構えで「いやいや、しっかり主張を聞いて、しっかりとやってもらうために見張らないと」みたいな姿勢で、このお三方を見ている人も、おそらく多いんでしょうね。露出がすごいです。

なんだか、生まれてからずっと、「両親がなんとかしてくれる」「先生がなんとかしてくれる」「会社がなんとかしてくれる」「国がなんとかしてくれる」。この感覚、成長して、所属が変わっても、持ち続けてしまいますよね、正直。

こんな状況下にあると、潜り抜ける力というか、やりきる力というか、そういうのを素地の地にある力で「じりき」というか、が、試されるなぁ、と改めて思ったりします。

一人の徹底したアイディアと、それをチームでやり抜くための雰囲気作り。ほんとに難しいことだけに、やっていきたいな、と次の自分に向けて言い聞かせる今日この頃です。

蝉の声もいつしかなくなりました。

夕方の風も猛烈という程度ではなく、マクドナルドからは月見バーガーが発売される時期です。秋です。過ごしやすくなって、食に読書に運動に、何をするにもいい季節を前に、何もできないもどかしさばかりです。

今日は久しぶりの雨ですね。息子はコロナ休校を取り戻すべく、土曜日も学校へ行きました。その学校は、私の住んでいる区では、土曜授業は学校公開で、親がふらっと学校の中を見に行くことができたのですが、コロナ禍で中止が続いています。

今年の息子の担任の先生の顔も、私は知らず、妻は保護者面談で話したっきりです。そう考えると、これまで、頻繁に学校に顔を出していたんだな、と改めて思います。

毎日、帰宅して息子の顔を見て。多くを話してくれなくとも、ふと思い出したように話す学校でのエピソードで、学校生活を楽しんでるな、と思えてうれしいばかりです。こんな時、だからこそ、何ができるか、何をしないといけないか、な〜んて気負わず、「こんな時」が続いて普通になる、新しい普通の時、、、

ふと思い出したように話してくれるエピソードをきいて、息子のことがしっかりつかめるような日々を生きていきたいな。

どうでしょう、テレだのリモートだの、デジタルだの、ディスタンスのとらえ方は、本当にそれでいいのかな。その距離で、新しい普通は、しっかりつかめるのかな、なんて云々。



■2020年9月5日
「アルコール消毒を」

カレーライスが食べたくて、口がもうカレーになってる時のうどん。より、うどんの口になってるのにカレー。という方が<あり>かな、と個人的に思うのは、まず、うどんが大好きで、たいがい、昼夜問わず、何か食べたい時には、うどんがまず思い浮かんで、だから、そこにカレーがきても意外性で、あり。

だけど、端から「特別」にカレーが食べたいのに、「いつもの」うどんだと、がっかり感が大きいというか。

わかる、わかる、と反応してきた私の友人は、カレーが大好きで、だいたいいつもカレーの口でも、うどんだとがっかりするんだよね。と。あれ?ん?という回答でしたが。まぁ、味のインパクトなんでしょうかね。

カレーと言えば、亀田製菓のカレーせんべいが、昔から大好きです。

駄菓子屋で一枚10円で食べてた時(あれは亀田製菓じゃないかもですが)より、コンビニで、あの縦長の袋を買ってきて、手がまっ黄色になって、次の日までなんとなく手に匂いが残っているようなことも気にせず、ボリボリ、バリバリ食べるのが至福、です。

かっぱえびせんのような細長いやつのカレー味ってのも、好きです。カップヌードルもどん兵衛も、カレー味は好きです。丸亀製麺のカレーうどんも好き、大阪なら得正のカレーうどんが最高、上北沢にも経堂にも、カレーうどん食べるなら、ここ、いうのがあって。

ガリガリ君は、なんでカレー味を作らないんだろ、と想像してみて、たぶん、もう試作はとっくにしたんだろな(って、すでに発売されたことがあるかもしれませんが)と思ったりもします。

と、ここまで書きながら、確かにインドカリー屋でナンで食べるのも嫌いじゃないですが、どーしても行きたいとはあまり思わず、幼少の頃から「今夜はカレーよ」と言われても、大喜びはしなかったように思います。

つまり、カレー自体は、さほど好きではないのに、カレー味と言われるとテンションがあがるというか。

〈そういうところ〉を狙ってか、何に振りかけてもカレー味に変身させるパウダー。野菜嫌いの息子よ、気持ちはわかるけど、そんなにかけたら、それはもはやパウダーを食べてるよ、と突っ込みたくなる夕食というのも、わが家では日中茶飯事だったりして。

嗚呼、ココイチのカレーチェーンのインド進出は、どういう結果になるんですかね。一風堂は、中国上海に進出して、成功したと聞きますけど。

こういうコトを考えると、例えば、シンガポールの企業が、天ぷら屋のチェーン店を出して、それが仮に超スパイシーな衣だったりして、そのまま日本に進出してきたとき。このテンプラ・シンガポー、を、天麩羅として受け入れるかどうか。

なんて、考えますかね。それは、もうシンガポールの味として受け入れますよね、きっと。だから、一風堂のとんこつラーメンも、ココイチのカツカレーも、「そういうもの」として受け入れられるか否かのジャッジになるんでしょうね。

これだけコロナのパンデミックで、国外との関係をシャットアウトしている中、ここ30年ほどは、やっぱりチーム世界でものを造り、チーム世界で買ってたんだなと改めて思いますね。

感染者数、最高気温、台風10号の予想進路と想定される被害。ニュースラインナップは、どれも、数字のインパクトだけを一方的に伝えてきます。

そこに、自民党総裁選の派閥の数とりゲームや、野党の代表がどうとか、大阪都構想だとか。日本で日本のニュースが濃いので、世界で起こっているデモや独裁や、そういうことは最後の(ちょっとした)ニュースになっています。

政治家は結果がすべて。安倍さんの最後のコトバは、なるほど、だからあのマスクか、なんて納得しました。とにかく形。分かりやすい数字を「創り出す」こと、が、結果。そういう風に、導こうとしていたチームには、やっぱり、懐の深さがないですよね。

どん、と受け止めて、しっかりと精査・考察をして、やってみるという最後の思い切り。それが、ね。ほんと、ね。(残念)

さて、昨日は人間ドックでした。

毎年、この時期に受けているので、例年4月ぐらいには予約を入れていたのですが、今年はコロナだったので、様子をみているうちに、去年、受診したところは、すでに予約がいっぱいでした。

なので、他にいろいろと探して、初めてのクリニックで受けたのですが、さすがはコロナ下、検査するありとあらゆる機器をアルコール消毒するので、常にその匂いが鼻をつく中での検査でした。

そういう意味でも、今年からのニューノーマルは、このアルコール消毒の匂い、というのもあったりするのかな、と思います。

(もはや、至る所の入り口という入り口にはアルコール消毒があることにも慣れ、フェイスシールドにも、ギョッとしなくなりましたよね)

ちなみにその人間ドックで。私の身長は、去年より1cm伸びていました。体重は2kg増えましたが。でも、身長が伸びるはずもなく、だから、体重も増えてないはずだと、勝手に理解することにしています笑。

東京は今日も暑いです。

サッカーの練習に行った息子が、汗だくで帰ってくるために、う〜ん、水風呂でもためておこうかな、なんて考えつつ。



■2020年8月29日
「日本の総理大臣は、安倍さんだった」

夏の終わりには、<その夏分の重み>みたいなものが例年あって、今年は当然、それがなく、これでもか!というほど真っ黒な肌になってた息子も、今年はそうでもないのが象徴的です。

8月も終わりですね。
来週からは、夏休みも終わって息子は学校です。

9月になって、秋、冬を越えたりしたら、春で。来年の春すぎ(前半)までに、全国民へのワクチン提供を目指すという、嘘のような話がほんとになって、コロナも落ち着くのかな、と思ったりすると。

色々と<次>の旅先なんかを考えてしまいます。知らず知らず、スマホで旅アプリをいじったりしており、そうすると、どこも一様に「新しい日常」を謳ってます。マスク、消毒、ソーシャルディスタンス。見てるうちに、この「新しい」には希望みたいなものがないなぁ、とつくづく。

なんていうんですかね、希望というのも違いますかね。前とか、上とか、そういう「よしっ」ていうベクトルが、ないです。

このベクトルなき「新」。持病を理由に、金曜日の午後に急転直下で総理大臣を辞任した安倍さんの次にも、ベクトルなき「新」が、ぷかぷかと重なって見えます。

「新」政権、「新」総理、「新」政策。歴代最長であり、かつ一強体制だったポストですから、これまでをなぞるか、これまでを〈いたずらに〉変えようとするか(変えていることをアピールするかのように)。どちらにしても、なんとも、前とか、上向きに、ベクトルがないです。

さて、安倍総理。7年8ヶ月という長期に渡り、持病を抱えながらも総理大臣として重責を担ってきましたが、だいたい「にくたらしい」ほどに盤石な、ものすごく強い横綱をみているようで、だからこそ、批判を口にすることも多いといった印象でした。

他に強い力士がいないから、新記録がどんどんでるだけ、と言われる記録づくめの横綱よろしく、安倍さんが「結果」として朗々と語る数字には、いささか、時代の流れ、ラッキー・ポッキーがあったのは、確実に事実です。が、それでも、あれだけ国政で圧勝したのは・・・。そっか・・・、他に強い力士(野党)がいなかっただけなのか。

兎にも角にも、安倍さんには、お疲れさまでしたと申し上げたいです。そして、もう、総理大臣ではないので、ご自身のお体をこれまで以上に大切にして過ごしてもらいたいと思います。

で、次です。

このコロナ禍、ちょっとの空白期間も危険ですが、それでも、自民党は相変わらずの派閥の論理で、まぁ、駄目な図を国民に垂れ流しですよね。次の総裁選、たぶん一番の貧乏くじの総理を誰にするか。中曽根元総理の安定から、宇野さんやら羽田さんやら、他にいっぱいいた数ヶ月だけの総理大臣。

小泉さんの後も、安倍さんがまさかの丸投げ逃亡で総理を辞めてから、民主党が「二番じゃだめなんですか!」的な、(すいませんが・・・)くちばっかり達者な政権を連立させては、不安定な時代が続きましたからね。

ウィズ・コロナでアフターコロナ、ふわふわした「しゃーなし」のニューノーマルに、ぐらぐらで足のひっぱりあいの政権という構図。これは、平成大不況の系譜をなぞる、令和の・・・、に、なりそうで恐ろしいばかりです。

それにしても、政治判断(ってよくいいますけど)、予定調和がないというか、突然というか。その裏側で、ばたばたと24時間365日体制で働く人がいることを忘れてはならないなと思います。

政治家は人気商売で、そのためなら、無理なことを無理なんていってるから駄目なんだというそれらしい理由で、無理難題を〈現場〉に押しつけてきます。金曜日の午前中まで、安倍さんが辞任するなんて、多くの人が思ってなかったのに、午後になって急に辞めるのか、と分かって。

バタバタだなぁ。そんなもんなんでしょうね。柔軟に、アジャイルに。それが可能な仕組みも出来てないタイミングでの荒治療は、そこかしこに歪みを生むようで、なんともかんとも。首相は辞任するけど、代理は立てず、次がきまるまで執務にあたるという安倍さん。

トランプさんと、まるで思い出話でもするのか?という電話会談も週明けに予定されているといいます。昨日の会見。声がかすれてか細く、表情にも覇気のない安倍さんが、コロナの対策についてまとめたこと、防衛をめぐるリスク管理を述べられてましたが、なんですかね・・・。

これからのリスク管理というか、様々なシミュレーションは、ぷかぷかと宙に浮いたまま、言いたい人が、言いたい放題で、放ったからし、じゃないですよね?と疑いたくなります。

そういえば、Go To関連のキャンペーン。船頭が変われば、言ったことを180度かえる、みたいなことになれば、混乱の上に混乱を上塗りします。そこを冷静に、しっかりと対応してくれる「新」総理には、新しい感じはしないでしょうから、何かしらの変化を示すはずで、現場の苦労が、痛いほど分かるような気もします。

安倍総理の会見で、レガシーという言葉が何度か出てきました。それは未来が決めるということですが、もしかすると、安倍総理の時代のトピックスとして、三本の矢とかアベノミクスとか、リオ五輪の閉会式でのマリオのコスチュームというより・・・

モリカケ、サクラにアベノマスクということになるのは、さすがに「かわいそう」だな、とおもったりもするほど、とはいえ安定政権の上には、好景気であったというレガシーにもなるのでしょうか。

それもこれも、これからの時代次第です。ベクトル無き新の時代を、私たちは「選択肢」として多くの可能性をもてるように、しっかりとした、ひとり一人の議員を選出しないといけないな、と、強く思います。



■2020年8月22日
「実感・実感覚からの転換」

今朝の朝日新聞、天声人語に「新涼(しんりょう)」ということばがあって、真夏の暑さから秋にはいってからの涼しさをそう呼ぶということに、なんだかすーっと、秋を待つ身にしみたりしたのですが、今日も朝から猛暑です。ちょっと近所のATMまでお金を移しにいくだけで、汗がタラタラです。

午前11時半に、今日も熱中症の注意報が来て、原則、運動は禁止と。ここ一週間、都内での熱中症患者の数は増えて、搬送される人よりも「死亡者」の数に驚きです。特に室内、それも夜の重症化が問題になっていると聞きます。わが家もエアコンは、つけっぱなしにしてます。

もともと帰省のために取っていた休みを使って、一昨日、昨日と都内の端の方(南町田市と奥多摩)までお出かけをしたので、今日は、1日、家で過ごす予定です。

息子は、(最近のトレンド)オンラインでのセミナーに参加しています。ファミマのサステイナブルビジネスの展開、アディダスのサッカー日本代表キットマネージャーの仕事、そして元日本代表の播戸竜二さんをゲストに迎えてのサッカー選手に必要なフィジカルフィットネス 〜ケガをしない体づくり〜。

サッカー少年としては、なかなか面白いプログラムだけにそれなりに楽しんでいるようです。が、このオンラインでのやりとり。これまでなら、会場を借りて、整理券を出して、入場管理やセミナーコンテンツのツール類を用意していたのが、オンラインだと、費用は半分以下でできますからね。あとは、間伸びする感じの時間帯をどうするか、ですかね。

このコロナ禍で、不慣れながらも「しょうがないから」突貫で増えてきたオンライン系のやりとりが、当たり前になるだろうアフター・コロナでは、どうなんですかね。実感というか、実感覚というか。そういうのに乏しい、ふにゃふにゃしたものを「あり」としてしまいそうで、不安です。

今は、コロナだからしょうがない。フジロックもオンラインでフェス気分を高めよう(今夜、エド・シーランだ!見ようっと)とか、旅も行った気になってリモートで、バーチャル旅でその気になる。これらは、つまり、実際に行けるようなったとき、本番は「実感・実感覚」にあって、リモートやバーチャル、そしてオンラインはあくまでも「仮」なんですが、蓋を開けてみれば(コロナが落ち着いたら)仮が仮でなくなるというか。

何が言いたいかというと、コロナ前までは、コト消費というのが伸びに伸びて、これからも人はコト消費にお金を使う、というよみから、ライブ会場に大投資したり、人が動いて交流するのをありきで戦略を立ててきた数々のコトが、アフター・コロナで一変しないか、と。

渋谷も秋葉原もバーチャルで街がトレースされて、今実存する街の隣にミラーワールドとしてアバターだらけの世界が存在する。そこで「お金」を消費するという「そっちがわの」やりとりが、コロナをきっかけに主流にとってかわるようなことがあったら、これは正直、しっかりと待ったをかけないと、どんどんつまんなくなるなぁ、という危機感を持っている人(私もその一人)には、頭が硬いとか云々、そういうことを言ってるじゃない!と、反論するのも疲れる毎日です。

とはいえ、サッカーの試合にしても、実際に「チケットを買う」という行為はせず、DAZNでの観戦になれてきて、それなりに熱くもなれてきました。週末だから飲み屋で軽く一杯してから帰ろうか、なんていう友人や知人とのやりとりも直感的にゼロになりつつあります。

実感・実感覚からの転換に、待ったをかけたすみから、私自身もこの調子で、コロナライフを受けて入れているという一面があります。

ウーバーイーツにAmazonの宅配。ちょっと空いた時間に「リアル」をお届けして、非対面のまま宅配ロッカーや玄関前に置いてくる仕事。これに手を出す人が、本当に多いですね。モノを届ける=届けたモノのの代金を受け取る、というのが、もはや決済システムの発展でありませんからね。これは、いつしか無人で宅配されても、有人で宅配している「今」となんら変わりなく取って代わる世界ですよね。

こうなると、ますます家の中を充実させたくなります。PCにスマホにタブレットといったデバイス類はもちろん、テレビも洗濯機も冷蔵庫も掃除機も、これだけ家にいるんだから買い換えようか、と。

去年の今頃、ミニマリストになって、スマホ以外は、本気で必要ないじゃないかと処分を考え、シェアできるものは、全部シェアしよう、と考えていたことが、今では無謀でしたね。

みんなで使い回す。これはイコールコロナですかね。他県からスポーツ推薦などで親元を離れる高校生や大学生の寮すら、ウイルス連鎖の中では危ういということも分かってきて。一緒に過ごす時間と比例してコロナ、なんて、本当に淋しい話です。家庭内感染に要注意という言葉も、個人的には「?」です。

コロナが恐いから一人暮らしがいい、触れたくないから非対面でオンラインにバーチャル、リモートがいい。って、そんなことをやり出していたら、全員が引きこもって、「もう一つの世界」、バーチャルだかパラレルだかミラーだか知りませんけど、そういうワールドで生きるしかなくなりますよね。

なんですかね、ほんと、このコロナというウイルスは、色んなモノを浮き彫りにして、取って変えて、一変させようとしてますね。

そんな中で、新型コロナウイルスが発生し、街を強引にロックダウンさせ、ひとりで「コロナを抑え込んだ」と流布している武漢市では、街のプールが芋洗い状態の混雑だと言います。はぁ、なんでしょうね、この感覚。見ていて痛々しいです。

トランプに対する民主党の大統領候補、バイデン氏の演説が興味を惹きます。これまでなら、当たり前だった「世界はひとつ」「みんなで」というメッセージが、トランプによって一変されてしまった後だから、なんというか「珍しく」心に染みてきます。

元通りという言葉に否定的で、コロナ後は新しい基準になるんだよ、と、どこを開いても、誰もが言っているように思えます。確かに、たぶんそうなんでしょうけど、大事なのは、その「ニュー」が、スーッと心に染みこんでくるかどうかですよね。ものすごく新しい事でも、どこか懐かしいような古めいたことでも。

結局のところ、染みいる声に、耳と心と身体を傾けたいんですよね。



■2020年8月15日
「くらくらリー」

熱中症で搬送される人が日本全国で数千人に上り、コロナは各地でクラスター。お盆休み期間中に、じりじり焼かれるように、枯れないように、とにかく水分補給を、と。

今日は、75年目の終戦の日です。

甲子園球場で行われている高校野球の交流試合は、やっぱり風物詩ですね。夏だなぁ、と思います。プールもなし、花火も祭りもフェスもない夏に、高校野球の存在感は絶大です。

それにしても、鳴り物つきで応援する声がないという違和感が、なくなってきましたね。高校野球にしても、Jリーグのサッカーの試合でも。馴染む、慣れるって、すごいスピード感です。

そういえば、京都の大文字をLEDライト(のようなもの)で照らした件、あれ、どうなったんですかね。はじめはアート集団がメッセージ性をもってやったのかな?と少し思いましたが、いたずらだったんですかね。

あれは、送り火です。まだ、迎えもしてないうちに、光らせばいいというものではないことを知ってか、知らずか。知っててその上での、このコロナ禍のメッセージか、なんてね。まぁ、明日、16日の五山送り火までに、まだ、何かあるのかもしれませんが。

ゆっくり、送りたいな、と京都出身者としては、思ったりもします。

ところで、島根のサッカー強豪校での新型コロナのクラスターには驚きましたね。それまで、島根県内で確認された感染者の三倍にあたる100人近くが一気に感染ですからね。聞くところによると、大阪への遠征があったとか。

同じくサッカーでは、J1のサガン鳥栖でも10人ほどのクラスターが発生。大阪や東京への試合がありましたからね。もはや、東京、神奈川、大阪、愛知、福岡といったた都市部は、コロナ渦なんですかね。

♪帰ろうかな やめようかな

ふるさとへ、帰る。そんなTHE BOOMの歌のサビを口ずさみながら、お盆の帰省は、ただふるさとに戻るというのもあるでしょうが、亡くなった人へ会いに行く、いうのもあって。なのに、この迷いはなんなんだろ、と。

私の回りではほとんどの人が帰省してませんが、帰った人には、だからといって、なんら特別に感情は動きません。それは東京に住んでいるからなんでしょうか。

実際に静かな地方都市にいて、噂が噂をよんでネットワークが成り立ってる場所へは、まぁ、やめとこうかな、が無難なんですかね。考えれば考えるほど、ほんとコロナは最悪です。

航空会社、鉄道各社、ホテルチェーンに旅館。軒並み赤字です。飲食店もきびしく、ついに、先月には倒産件数が大幅に増えたというニュースもありました。

国が仕組みをつくって、キャンペーンをはる、という、これまでなら通用したことは、ことごとく失敗で、なのに、軌道修正しませんねー。一回決めても、ダメって気づいたらすぐに立ち返ってやり直せばいいのに。

なんだか、徒労で途方にくれて、くらくらしそうです。

米津玄師がすごいですね。

この時代にCDがミリオンですか。時代の節目節目に出てくる売れるアーティストですね。米津さんはラジオで、音楽を創り出すことを「作業する」と言ってしまってました。音を積み上げて、言葉を乗せていく作業を、夜な夜なパソコンの前でやってるんでしょうね。

こういう感覚が、売れるセンスなんでしょうか。強いインパクトという種類みたいなものが、昭和や平成にはなかったというんですかね。とてもデジタルなイメージがします(そんな曲ばかりじゃないですけど)。

サザン、ミスチル、バンプ。路線でいけば、そちらでしょうか。ごてごてと塗りたくって、魂こめてる(のかも知れませんが)ってのが見えないあっさり味の感じです。

その逆は誰(何)か、と言われても、多様で難しいですが、パッと取っつきやすい表面のツルツル感が、肌触り良くミリオンだというか。ああ、良く分かりませんが。

それより、店に虫取網と虫かごがありません。おそらく、どこかへ出掛けるはずの子が、どこにも行けないから網とかごをもって公園へ出向いてるんでしょうね。これはこれで、昭和だなぁ、とも思ったり。

大木をみあげて、みんみん蝉やアブラゼミを見つけ出し、網をさっとかける。つかまえた!と満面の笑みの小学生の、着てる洋服の小綺麗なこと。ま、これが令和の、コロナの夏ですね。

元号が変わると、いろいろありますね。平成2年は、バブル最後の年なんていわれ、そこから平成不況が始まりましたしね。この不景気で、調子の狂った自営業だった我が家も、考えてみると、恐ろしい話です。そんな令和にはしたくない。

アフターコロナ、何としてもふんばらないと。まだ、先は長いですからね。最悪への準備を、最高を見失わずやっていかないと。こうなったら、暗示です。ぶつぶつ言い続けて、乗り切るぞ、と。

それにしても、です。ほんと世界を巻き込んだコロナ禍。この後にくる大不況と大混乱を、したたかに生きていくためには、アメリカだ、中国だ、なんて言ってる場合じゃないのになぁ。言ってますよね、やっぱり。この現象から未来を見たとき、正直くらくらします。

ゆくゆく、今が歴史になったとき、この点は、どこに繋がる線の始まりになるのか。異常気象ともいえる暑さ、一方で韓国では記録的な雨。ノーコントロールなものごとに、それでもコントロールしようとするから、ですかね。

日々、疲れます。先日、山登りにいって、足を滑らせた小学生の男の子が、一晩経って、無事に救出されました。彼は、一晩中、何もせず、じっとしていたそうです。無駄に、足掻かない、ということでしょうか。

海や川で溺れたこどもを助けに行った親(や大人)が亡くなるというのは、教育の差だという記事を見ました。その時、体力の消耗をしないことが、結果、助かる、という術。うーん、今、大人の私はバタバタしてるんでしょうか。

不安です。何もしないことが。そうやって、育ってきました。そういう時代でした、ということかもしれません。生まれたときから、「じっとしてる」ことが助かる道、なんて確かに学んできませんでした。

くらくら、するから、踏ん張ってバタバタしてます。が、もしかすると、くらくら、しても、くらくらリー、ってそっと口ずさむように、じっとしてればいいんでしょうか。

わかりません。まったくわかりません。今を、どうすればいいのか、ほんとに未知です。そういう時代ですよね。5年前に他界した父へ、お盆の帰省はできませんが、そういう時代です。



■2020年8月8日
「腹をくくるタイミングかもしれないですね」

猛暑日が続きます。頭がフラフラして、水を多めに飲んでます。コロナ+熱中症。厳しい夏になってます。

お盆の帰省は控えろと言われたり、感染対策を万全にすればGo Toです、と言われたり。なんだか「どっちやねん」という政治判断がふにゃふにゃで、最後は「任せます」という丸投げですね。

どうなんですかね。

今、東京から地方へ移動することって、やっぱりどう考えても控えた方がいいんでしょうね。だから帰省予定のための休暇が、ぼんやりと続きます(私、個人としては)。夏休みになって、私も休みで、家族でさぁ、お出かけ、ということもない時、「ぴんぽ〜ん」とインターフォン越しに「遊べる?」と誘ってくれる友達がいる息子は、良かったな、と思います。

まぁ、確かにコロナも熱中症もこわいので、対策だけは十分に取りつつ、息子には、できるだけ「いってらっしゃい」と外遊びを許しています。マスクとでかい水筒必須で。

さて、6月の最終週からようやく始まった息子の新学年。新しいクラスでの様子を、夏休みに入って担任の先生から個人面談で妻が聞いた所によると、明るくて・元気(だそうです)。そして、体育が好き、という、これまでと同じような感じで学校生活を送っていることにホッとしたりもしてます。

「○○君(息子の名前)は、周りをみることが出来て、クラスが騒いでると、静かに、と注意が出来ます」なんて話ももらって、「お、そんなタイプなのか?」と思っていると、「まぁ、だけど、その寸前まで○○君も話しているので、説得力はあまりないんですけど」と、いうオチ付き。アハハハハと、笑ってしまう親なんです、私も妻も。そりゃ、そんなもんでしょ、と、、、「先生、すいません」。

今日は休日。

朝6時半から自宅マンションの前の公園で、家族ラン(ニング)をしているのですが、もう朝も7時になると太陽が殺人的です。だから、6時半には、ドックランの人、散歩、ランニング、ラジオ体操の人達で、公園はごった返しています。

昔、バリに行ったときも、ダナンに行ったときも、せっかく海があるのに、現地人は泳いでおらず、海水浴なんて文化、日本人にしかなないのか?なんてとんちんかんなことを思っていて、現地の人にきくと、「みんな早朝に泳ぐ」ということを聞きまして。

そんなことを、午前6時半にごった返す、住宅地の都立公園の混雑を見ると思いだします。

ところで、TikTokは使わない方がいいんですか?

結局の所。よく分からないので、そのままにして「ポケットからキュンです」なんてのをぼんやり流し見してたりしたのですが、さすがに、普通の女の子の投稿で、自治とか領土問題を発言すると勝手に消された、という例を聞くと、おいおい、さすがに●●って国は、おっとろしーなー、と思ってアインストールしました。

世界中で「人」と「モノ」が動いて、交わって交流し、そこから新しいものが生み出される、という時代。同時に、距離と時間は確実に短縮して直面しはじめて、世界の広さは変わらずとも、感覚的にはとても身近に、人ごとでなくなっていた時代が、パタッと止まるような事態ですか?

♪別に君を求めてないけど、横に居られると思い出す
 君のドルチェ&ガッパーナの、その香水のせいだよ

アメリカはアメリカ、中国は中国。だから、日本は、さぁどっちに付く?みたいなことを言われても、(どちらを選んだとしても)求めてないけど、いなくなったら思い出す、ドルチェ&がッパーナの香水の香みたいなものがありますよね(よくわかりませんが)。

せっかく広がり出した「範囲」を、急激にガキ大将によって輪を縮められているようで。ジャイアン! もう、今期かぎりにしてよ、と思って止まないです。

地球の隅々まで旅行して、それがコロナで出来なくなって、一足飛びに「宇宙旅行、実現へ」なんてニュースも流れましたが、ヴァージンアトランティック航空、破産手続きに入りましたね。全世界的な交流のストップ状態ですかね。インドの少年の予言通りで、なんとも、じわじわと本気でヤバいです。

経済に特化した新聞では、軒並み、いろんな企業の赤字が並びます。一方で、産業に特化した新聞では、AI一辺倒の「未来」から、バーチャル、非対面、非接触が話題で、行った気、やった気、といったその気のサービスがお金になる未来が謳われています。

ほんとに?そうなのか?と疑っている時点で、一歩目が出遅れているんでしょうかね?

ニューノーマルは、刷新されます。と、聞きます。ので、頭では理解しています。が、その1つ1つの刷新を、身近な(例えば)仕事に置き換えてみると、いやはや、それならこんなに要員って必要無くないか?と思ったりもして。

いやぁ、ほんと、このコロナは、アフター・コロナという時代が、コロナが去った(つまり無くなった)という時代ではなく、あくまでもウィズ・コロナ、コロナありきで色んなサービスが展開されそうです。

サービスを提供するにも、利用するにも、これまでとは違った様式が必要なんでしょうね。その様式を模作している今が、まさしく、コロナ禍なんでしょうね。

今、熱中症の注意報がスマホに届きました。原則、運動中止です、と。息子は、一度帰ってきて、また、自転車にのって何処かへ出かけました。あ〜、止めれば良かったと、、、後悔しつつ、私はこれを記したら、本でも読みます。

今は、静かに、創られた話の世界で、文字だけを追っていたい気分です。

追いつつ、どこかで、これからのことをしっかりと考えないといけないと、思うことを期待したりもしています。どっちに行っても、行ってない方を思い出すドルガパの香、であるなら、ここは、まさに腹をくくるタイミングかも知れないですね。



■2020年8月1日
「汗マークの連打の日々です」

今日から8月。そして、急にピーカン、ついに梅雨もあけましたね。8月に入ってからの梅雨明けは記録的に遅いらしく、まぁ、息子の夏休みも例外的に今日からようやく始まるという異例の夏なので、なんというか、梅雨も明けて、夏休みで、さぁ、夏だ、というところでしょうか。

蝉が、ようやく、うるさいほどに元気です。

朝から、息子が隣の小学校のサッカーチームに体験に行き、それを【炎天下】で見てました。息子の通う小学校にはサッカーチームがないので、いろんな小学校のチームに分散してはいっているのですが、いくつか体験しながら、どこかのチームに、入るつもりらしいです。

2歳からサッカースクールでボールと戯れて、楽しいを前提にサッカーを続けてきた息子も、いよいよチームに入って勝つためのサッカーを始めるかと思うと、成長したなぁ、と思うばかりです。いったい、どこのチームにはいるんだろう。そもそも、3年ぐらいからチームに、と考えていて、コロナの影響でどこも練習がストップになり、ようやく、です。何事も、腰を上げて・・・、さぁ、と。

そんな所に、まだまだコロナですね〜。50人が1週間たって100人になり、また一週間で200人になって、いよいよ400人です(東京での1日の新型コロナ感染者)。1ヶ月で8倍にまで膨れあがりました。このままいくと、800人、1600人、3200人、6400人、なんて、来月の今頃はいってたりして。。。

同じような動きで、おそらく人口に比して、大阪でも200人台、愛知や福岡でも100人台の感染者が出ています。夜の街関連、20代・30代での広がり。マスクをして、手に消毒を、徹底していても、飲み会になれば、なんとも意識が薄れて、飛沫は飛び回ってますからね(きっと)。もう、ここでの感染拡大ははっきりしていたのに、、、

注意喚起だけで、良かったんですかね。

同時に、GoToトラベルの影響は来週辺りに一気にでてくるでしょうし、延期の方向とはいえ、GoToイートやイベント、商店街へとキャンペーンをすすめると、感染の可能性は確実に増えますよね。だけど、経済を殺すわけにはいかない。もう、毎週のように同じ事を書いているような気がします。あくまでも対ウイルスなんです。そのウイルスが宿った「人」ではない対処が、ここは思い切って必要だというか。

例えば、店側が消毒などを徹底しても、ウイルスを持った「人」が来ると、まき散らしてしまいますからね。

一時、1日の感染者素が数万人にまで上ったニューヨークでは、PCR検査を無料で、かつどこでも(手軽に)受けられるようにすることで、感染者数は増えましたが、それを抑え込むことにも成功しているようです。今では、1日、100人前後だと言います。とにかく無自覚・無症状なんです。だから気を付けるんですが、もう一歩先にいって、無自覚でも無症状でも「コロナウイルス」は、しっかりと隔離して、それ以上増やさないことですよね。

さて、人間ドックが取れません。

例年だと、春を迎えた頃に9月の予約を取っていたので、例年同じぐらいの時期に受けられていたのですが、できれば同じ病院で受けたいと思いつつも、コロナが落ち着くの待っていたら、なんと!2021年1月以降じゃないと駄目、と言われてしまい。

個人的に胃の萎縮があり、胃カメラの検査は毎年必須(らしい)なので、胃カメラなら鎮痛剤を用いた検査をしてくれる病院がいいとなると、数も限られ、その中で予約のとれるところ、となるとなかなか見つかりません。

まぁ、コロナだから今年はスキップするか、なんて言ってられないですからね。これは完全に出遅れました。探さないと・・・。

って、こういうコロナで出遅れ。結構、いろんな所でありますよね。例えば、大学入試も、授業が追いつかないので、高校三年生で習う範囲は、入試には出さないとか、補足を付けるとか。新入社員についても、配属すらままならず、基本在宅でもテレワークなので、新人教育は、形の上では出来ても、なんというか「雰囲気の中から学ぶ」ということができない、とか。

そうやって過ごした1年間の出遅れっぷりったら、この先、結構、効いてきそうです。

と、思う一方で。どの業界でも、これから先のニューノーマルは、これまでを一新する新しいものになるはずで、これまでの現状維持にバイアスのかかった世代には、はい、これは、こうする、と言われても、「はて、これまでをスパッと切ってしまっていいものか」としがみついてしまうのも分かるような気がして。

難しいですね。ただ、完全に言えるのは、出遅れた分を、どう取り戻すか。感覚的に言えば、どっちに行くか、とでも言うのでしょうか。その嗅覚とか触覚が試される気もしてなりません。

夏休み。息子は自由研究の宿題すらありません。そもそも、夏休み期間中も補習が2週間ほど用意されていて、遅れた分を取り戻そうとしています。2学期に入っても、土曜授業は月1回から2回になって、運動会は半日だけ。だから振替休業日もなく、決められた量を、削られた時間で取り戻そうとしているようです。

コロナでの出遅れを、取り戻す。その取り戻し方を問われる業界は、繰り返しですが、大変です。

大変、大変と汗マーク付きでやりとりするメールやチャットですら、大変な事象の共有だけで、だから●●する、という解決もないまま、汗マークの連打の日々です。

夏の旅行もなし、帰省もなし、都内から出るお出かけもなし、の三重苦の中で、それでも息子は、近所の友達と遅くまで遊んでます。そんな息子と家族で食卓を囲んで、なんでもない会話をしたり、鼻歌混じりでお風呂に入ったり。

プロダクトデザイナーの深澤直人氏は、著書「ふつう」の中で、ふつうの日々でふつうは感じない、という主旨のことを書いています。今のこのスペシャルな時期に、改めて感じる「ふつう」。そのふつうを噛みしめながら、この先進んでいくべきふつうって、、、と、読みながら、思えてきます。

ピンチ、大変、異常事態!の汗マークが、猛暑の汗マークに変わるだろう来週、世界中から、どんなピンチや大変が伝えられるのか。もはやそれは異常事態ではなくなるのか。そして、自分と自分の家族は。

いやはや、太陽は燦々、蝉は鳴き、公園では家族連れや子供達が、元気にはしゃぎ、回り、遊んでいます。私は、28度設定の冷房除湿の部屋で、先月1ヶ月、長梅雨の影響でまともにランニングすることもできなかった腹回りをさすりながら、この夏と、その先の新しい日常を考えながら、、、

人間ドック、どこか受けられるところないかな、と思っています。今日の、東京での新型コロナ感染者は472人という速報が入ってきました。1日での感染者数としては、昨日を抜いて、最大になりました(汗)。



■2020年7月24日
「都民お断り」

例年より気温は低めの、ここ東京で、世界各国からの観光客が東京に集い、ついに、今日、2020年7月24日、第32回オリンピック競技大会(東京2020)が、国立競技場で開会します。開会式は、どんなプログラムになるのか、最終の聖火ランナーは誰なのか。話題は、東京オリンピックでもちきりです。

と、なるはずでした。

わが家も、開会式のチケットが当たらないままでも、国立競技場にまで行って、雰囲気だけは感じて、空を舞うブルーインパルスを見上げる、

つもりでした。・・・なのに。

去年の今頃は、考えもしなかった状態です。銀座も渋谷も新宿も、今日の人出は少なく、せっかくの4連休も、都知事からは〈不要不急の外出は自粛してほしい〉という要請が出る次第。そんな中、昨日の新型コロナ感染者数は366人となり、1日の感染者数としては最大となりました。7月の感染者の累計も、4月を越え、完璧に第2波に入っています。

そんな、中、だからでしょう。

『都民お断り』。そんな言葉を、聞きます。本当なら、東京に日本中だけではなく、世界中から人が押し寄せて、ホテルは不足して、民泊も、想定以上の金額で貸せたはずなのに、今は、東京に行くのも嫌、東京から来られるのも嫌、という・・・。

テレビを見ていると、この4連休、「東京からなんですが、いいですか?」と温泉宿に問い合わせをしないといけなく、予約済みの宿からは「都民の方はご遠慮ください」と言われるという実例が紹介されていました。

わが家も、この盆の帰省で、新幹線を取りましたが、一昨日になって、実家から「今回の帰省は、万が一を考えて、延期して欲しい」と言われてしまいました。

気持ちは、まぁ、分かりますよね。孫に会いたい私の母も、高齢なので、万が一があれば大変で。それに、地方都市に住んでいると、東京での感染者数は、数がだけが伝わって、もう東京中コロナ、という印象になるのも無理はないです。

私が、ロサンゼルスに住んでいる友人に「LAのコロナ、スゴイね、大丈夫?大変だよね」とLINEするのと似ているというか。回答は、「近所では、あんなり気にならないけど、感染者はすごいね」というもので。東京に住んでいて、東京の感染状況を「見ている」と、このLA在住の友人の回答に近い感覚です。

まぁ、都内から出るのは止めて、奥多摩にでも行くか、と(私も考えて調べたのと同じく)都民が多いようで。奥多摩のキャンプ場は予約で一杯らしいです。ただ、この奥多摩、高齢者の住人が多く、ここ数日の感染者もゼロですからね。どっと都民が流れていいものか。

トニカク、一番やっかいなのは、37度の熱がなくても、無症状、無自覚でコロナ感染している可能性がゼロではない、ということです。確かに、1300万人いる都民のうちの366人という確率ですが、それでも、やっぱり警戒が必要で・・・。

なんですかね、、、。

あ〜、夏だし、休みは多いし、(ここ2日は雨なので、それほどでもないですが)天気が快晴なら、やっぱり、ふら〜っと出たくなります。

さて、今日はスポーツの日(旧体育の日)です。10月から7月に今年限定でお引っ越ししたことで4連休となった今日、外出自粛で何処にも行けず、そもそも、私の住んでいる区では、小学校は昨日、今日と普通に学校の授業があります。

なので、朝、普通に息子は出かけていきます。私と妻は運動も兼ねて隣町のさらに向こうの街まで、「安くて、品質がいい」という噂のスーパーに買い物に行きました。

ほんと、安かったです。シャブリの白ワインが6割近く値引きされ、いつもの納豆は69円で、チョコなんて、70円がほとんど。妻は、とにかく肉が安いと興奮気味でした。

まぁ、安いので、あれも、これも買い、合計金額はびっくりするぐらい、という「あるある」の状態になりましたが、それでも後悔はないです。後悔があるとすれば、運動をかねて、歩いていったので(往復6q以上!)、重くなったエコバックが、帰りは肩に食い込んだぐらい、ですかね。

スーパーに行って、お昼ごはんを簡単にすまして、息子の学校の帰りを待ちながら昼のワイドショー番組を見ているという「休日」・・・。こんなの今年だけですよね。今年だけにして欲しいものです。このまま、来年の東京オリンピックも中止になって、まだまだ、ワクチンは行き渡ってなく、第7波とか第8波なんかに、ため息をついているという状況にだけはなってほしくない、と。

さて、気分をワープさせて、次の旅先候補を具体化させています。一年目のスペインリーグを終えた久保建英選手の移籍先によって、アーセナルならロンドンを中心に、イーストロンドンの「今」をみたり、ブリストルでバンクシーを探索しようかと。パリサンジェルマンなら、パリを中心に、モンサンミッシェルやロワール古城をみつつ、パリでは、一度、本気のフレンチを食べようか、とか。

思っていたら、どうもラ・リーガ内でのレンタルが濃厚とかいうニュースもあって。そっか、スペインとポルトガルで中島翔哉選手を見るか、と思っていると、どうも翔哉とチームがぎくしゃくしているようで。

まぁ、建英と翔哉にこだわり過ぎず、やっぱり、ロンドンで全スタジアムの観戦コンプリートをコンセプトにするか、とか、パリでマルシェにいって、昼ご飯を手作りして、夕食は毎日同じ所にいって、常連店をつくるなんてことをコンセプトにするか、、、

などなど、メルボルン、ニューヨークという都市旅が、わが家にはやっぱりぴったりだったので、このロンドンとパリという2つに絞って、空想します。

この空想が、現実にはあり得ない、ものではなく、これが想像となり、現実となった時、、、『日本人、お断り』の状況になりませんように。



■2020年7月18日
「Go To(where?)」

昨日、今日と、半袖では肌寒いほどの気温ですね。もうすぐ海の日、例年であれば梅雨らしい梅雨もなく、もうすでに猛暑という中で、そろそろ梅雨明け宣言を聞いている頃なのですが、しとしとと雨が続いて肌寒い、そんな日々です。

さて、Go Toですか。

とにかく自粛で「STAY HOME」だと言われたこの春。数字の上では、その頃よりも、新型コロナ感染者数は増えているのに、それをあたかも「純増ではない」といってみたり、あの頃より病床が確保出来ていると言ってみたりして。だから、ここは観光業の火を消すことなく、皆さんで〈出かけましょう〉と、旅行喚起を促されます。

旅行代金、半額。すでに予約済みのホテルも割り引かれるし、旅行先でのクーポンもありますよ、と、断片的に聞いても、ほんとキャンペーンの全貌がよく分からない状態です。それでも、まぁ、確かに、夏だしね、帰省がてらキャンペーン補助金をあてにして出かけてみるか、、、

という方も多かったかと思います。が、一転、それは東京以外ですよ、と。

東京に住んでいる私は、Go Toしようにもキャンペーン対象外です。それはどこか「東京から出るな」と言われているようでもあり、少々、肩身も狭かったりします。

逆に、地方から東京に来ることもキャンペーン対象外。本当によく分からないのが、単身赴任で東京に住んでいる父と、どこか地方都市で住んでいる母・子がいたとして、その3人が北海道へ旅行をすると、父以外(つまり東京在住者以外)はキャンペーン対象者なのだといいます。こればかりは、心底、なんじゃそりゃ、と言いたくなります。

1兆円を優に超える税金をつぎ込んで、観光産業への支援というキャンペーンですよ。今、日に日に感染者が増えて、このままだと、一日に数千人、数万人の感染者が出る、という他国のような状態になることも十分に考えられるのに、春のような全面停止で「コロナ・ファースト」という策は取らない、という意図が、見え見えです。

それで、本当に、いいんでしょうか?

まあ、ともあれ、スキー旅行大手の関西の会社が倒産したり、米系航空会社で10月にも大量の解雇者を出すとも言われる観光産業です。最寄り駅の近くの店が、昨日、また一軒、閉店し、原状回復の空き家に変わっていました。

なんとか、人が動いて、それによって潤うという観光立国の目指すべき所へ、「戻ってくれる」ように、と。

一方で、もう、かつてのような時代には戻らないという確固たる未来があることも重々承知です。だからこそ、これからを模作しているのですが、言ってもねぇ、足元の今日、今月、向こう3ヶ月の収入が、ほとんどゼロ、という状態にあるかもしれない観光産業には、、、

「(コロナの渦中で何が旅行だ、なんて)そんなことは分かっている、だけど・・・」というジレンマが半端ないでしょうね。

いやはや、どうしたもんか。今日、電車に乗ってお出かけしていても、目の前の席で、マスクもせずにくしゃみをしている人(若い男性でした)がいました。それをみていると、ぼんやりと、1日の感染者が数万人というアメリカやブラジルを思いました。

それらの国では、マスクをしている人がほとんどいないと聞きます(ニュースの映像でも見ます)。その点、東京では靴下をはいているのと同じ程度でマスクをしている人がほとんどです。

全部を止めない代わりに、
一人ひとりがしっかりとコロナとウィズしている

そう言い切れる高い(感染予防)意識を持つことが大事ですよね。これは、本当に徹底したいものです。くしゃみをしていた男性にも、そこんところは分かって欲しいです。

Go To。これはトラベルの他にも、イート、イベント、商店街と、キャンペーンをはる予定です。私の近所の小さな劇場では、今日も出演者が出口でお客さんを見送っていました。劇場クラスターが出て、不穏な雰囲気ですが、決行している演劇もあるようです。

また、今日の昼に行ったファミレスでも、席を立つときはマスク厳守、サラダバーを取るときはエンボス(ビニール手袋)マストとなってました。ビジネス街の丸亀製麺でも、本当に頻繁に客席の消毒をしています。横で、食べているのに、もう〜、と思う反面で、ここまでの徹底は、対策が成されている証拠だな、とも思います。

家にずっといて、経済を止めることはしない。政府なり自治体は、そちらに舵を切っている以上、しっかりとした対策と意識、ですよね。それを施した上で、「コロナって言っても、宝くじにあたるぐらいの確率だろ」なんて言い放ちたいなと思います。

都民の私は対象外ですが、例えば、京都に住んでいたとしたら、瀬戸内海の島々を、キャンペーンで安くなるこの機会に存分にホッピングしたいなぁ、と思うし、仙台に住んでいるなら、青森・秋田で涼しい夏を過ごしたいと思うでしょうね。広島に住んでいるなら、九州へ行っても良いし、関西へ行っても良いし。

報道の通り、東京を除外にするということは、マーケット規模からいって「期待されたほど」には及ばないかも知れません。が、訪日外国人頼りで「大きくした」それぞれの観光地に、お金というより活気を吹き込むためには、Go Toするのもいいことなんでしょうね。

であるなら。

都民は外にでられない、そして都内の施設は都外から客を呼べない。そんな状況なので、是非とも、東京都内循環型のキャンペーンをはってもらいたいです。

空き室の目立っている区内のカラオケボックスを、完全にテレワーク仕様にしてクーポンを出す、ビジネスホテルの空き室もしかりです。街の土産物店には、都民が「配送」で地方へ土産物を送るときの送料を無料にするクーポンを出す、とか。イベントも都民限定としたら、各々、そんなに密にならないのかも知れませんからね。

このままスポット的な休業要請などで、(いまだに意味がよくわからないのですが笑)夜の街関連の店が休むと、コロナ感染も抑えていけるかも知れませんし、とにかく20代、30代に多い感染者への対応も、症状が軽いからと言う理由でガードが甘い(言われているようにそうなのだとしたら)なら、ここには少し強めの強制力をもって感染予防をしてもらう、とか。

つまりは、マスでしか対策が打てない今の「手作業ベース」のお役所仕事を、スピード感を持って(安倍さんの好きな言葉)デジタル化し、自動化し、もっともっときめ細かくスポットごとに対処していく必要がありますよね。

Go To だ、Go Toだとキャンペーンをして、これだけの費用を使うなら(というか、どぼどぼとどっかにながれて狙ったところに行き渡らないという状態になりそうですが)しっかりと「どこ」という『キャンペーン自体の目的地』を明確にすべきですよね。

この夏、それでなくても夏休みの少なくなった子供と、都内から帰省することは、できるんだろうか、と不安に思いつつ。都内で行われるイベントを調べて、しっかり感染予防を意識して出かけ(まくりたいな)と思います。

あ、対象外、ですけど・・・。



■2020年7月11日
「コロナっ面に豪雨」

ラ・リーガ(スペイン)や、プレミアリーグ(イギリス)、Jリーグ(日本)の無観客試合が始まり、DAZNで見ていると選手同士の声、ベンチからの声が本当によく聞こえます。クボ、クボ、なんて選手に呼ばれたり、落ち着け・慎重に・勝負、勝負、といったベンチからの声だったり。特に印象的なのが、フリーキック時のキーパーからの指示。こんなにしゃべってるんだ、と。

そんな無観客試合から観客を入れ始めたプロ野球。鳴り物禁止で、声援と拍手だけで行われる野球の試合は、まるでメジャーリーグのようです。キャッチャーッミットに収まるストレートの音、木製バットがはじき返す響き。なんとも心地良いです。昨日、オリックス戦で、「静か」な試合中に観客の送ったヤジが、ドーム内に響き、それで観客がドッと笑い、打者がバッターボックスを一旦外すというシーンがありました。

こういうシーンは、例えばウインブルドン(テニス)の試合などでよく見ます。なかなか静まりかえらない客席に、トスをあげたあとサーブを止めるというところ。音がなく声と拍手だけで「観る」ということには、そういったルールがいるんだな、とか。甲子園のライトスタンドでガンガン騒ぐように応援するのも面白いですが、まだまだウィズ・コロナですからね。そういうルールの上で、試合を存分に楽しみたいです。

そんなコロナ。先週はいよいよ感染者が100人以上連日で出た東京も、次の段階に入ったのでは?と思わせます。ここ2日間連続で200人越え。それも243人という数字に驚きです。思わず、お盆の帰省のための新幹線を取ること、躊躇しました。そして、まだ買ってません。都内から出ることを自粛する。そんなステージになりそうですもんね。

な〜んて思ってると、(なんのための都知事選だったんだろ)都知事はとにかく「理由」をこねくり回して静観の構え。経済を回すことに重点を置いているように思います。例えば、スポット的に有効な休業要請を出していれば、こんなことにはならなかったのでは?という「たられば」ばかりのテレビのコメンテーターは一旦おいておいて、実際に有効な策、というのがほしいですね。

小池さんには、都知事としての鉄壁の票が集まったのですから、期待するしかありません。

来年の今頃、東京ではオリンピック気分が盛り上がっているんでしょうか。もしかすると、中止となったオリンピックのチケット払い戻しに追われているんでしょうか。だれにも分かりませんが、策無く、このままずるずると「わかってはいるけど」と適切な時期に適切なことができないと、結果は必然ということになりそうです。

本当に、そう思うと、今は政治判断の難しい時期だと思います。正解のない未来に対して、そうとうな責任のもとに正解をださないといけないというポイント。私たちは、その責任を丸投げしているわけではなく、お任せするための一票をいれました。大変なことは承知の上で、しっかりやって頂きたい。どこぞのだれかさんのように、「責任は私にあり、痛感する、だの、深く反省するだの、謝罪を申し上げる、だの」で逃げないで頂きたい、なと思ってます。よろしくお願いします!

さて、コロナっ面に豪雨にです。特に九州ではものすごい被害です。今回は、特に長くしつこい。今も、豪雨が続いて、この週末も、続くといいます。氾濫した河川の泥色の水が、住宅地を飲み込んで、のっぺらとなった水面の下に、それまで普通にあった多くの人に普通の日常が埋められたかと思うと、何度みても、あのような映像には胸を掻きむしられます。

に、しても、どうですか。ここんところ、毎年じゃないですか?近くに川がある。けど、ここ30年以上、大きな氾濫などはないので、おそらくは大丈夫だろう。土地を買うとき、家を建てるとき、確かに「30年」という時間が盤石で安心材料だったのは遠い昔で。今や、どこでどうなるか、想定以上、記録を取り始めて以来最大の被害、なんていうのが続いています。

先日の「天声人語」で、最初は〈いのちを守る行動を取ってください〉なんて言葉のインパクトがすごかったけど、最近は、聞き慣れて、インパクトが薄くなった、というような主旨のことが書かれてました。

インパクトを薄くさせるほど、連呼する最大級のアラートという時代に入っているという認識が、本気で必要なんでしょうね。関連なく言いますが、世界史の授業なんかでよく、古代はナイル川の氾濫が多く、治水事業が進んだ、と一文ぐらいの短い文章で習いました。その一行分の文章には数十年、何百年という時間があったのかも知れません。もしかすると、今・この時点は、「氾濫が多く」という点で、この先の「新たな治水」という未来に向かう時なのかも知れません。

仮に、で、あるなら、それはずっと未来からみてたった一行で済まされる歴史的事実を、少しでも短く済ませる必要があります。ハザードマップで黄色に塗られている地域に住んでいる人にとって、それはアビガンほどに早急に求めていることです。

アビガン。新型コロナウイルスのワクチンとして、安倍首相の口からも飛び出していた(最近、めっきりなくなりましたけど)ものの、研究結果が今朝の朝日新聞に載っていました。大きな見出し打ちは『アビガン、効果確認でず「研究参加者少なく」 藤田医科大』。・・・なるほど、そんな甘くはないんだな、と。ただ記事を読むと、それはアビガンの使用の有無によって治るという結果に、統計的な差が出なかったということらしいです。つまりは、道半ば。この時点で、一旦の研究結果を発表したという段階らしいです。

来週、再来週辺りからは、熱波、酷暑という真夏に入るとも言われています。熱中症というのが新たに加わって、コロナでマスクという未知の夏を迎える私たちは、Amazonで冷感マスクを調べて買いあさるしかないのかなぁ、と、考えるだけでウキウキ・ワクワクの夏休み前とは、違います、よね。ほんと、何なんですかね、2020年の夏は・・・。

マスクで言うと、ユニクロのマスクが手に入るようになってきましたね。使い捨てマスクを「焦って」買いまくったのに、洗えるマスクの普及で、それもひとまず不要な感じになり、タピオカ屋で3000円以上もだして買った50枚入りの箱が、、、邪魔です。

先日、今年度から新たに仕事相手となった方々との打ち合わせで、予想外に時間が延び、だからか段々と空気感も緩んだ(馴染んだというのかな)中で、ふと、その今年度から付き合い始めた相手が、マスクをとって水を飲みました。それまで、マスク有りの顔しか見てなかったので、え?そんな顔だったんだと、心の中で思わずつぶやき、なんなんでしょう、、、

まるで、スキー場のサングラスや、真夏の太陽に焼かれた肌の白い歯のごとく、アイテムが巻き起こす魔法のような効果が、マスクにもあるんだ!と思ったんです・・・。

逆もしかり!万が一、私がその時の相手に抱いていたようなプラス要素の魔法が、相手にも私に対してあるとするなら、死んでもマスクは外すまい!と笑

そう言えば、ちょっと前に「ワイドナショー」で元SMAPの中居さんが、マスクで隠れている部分が、イケメン要素を決めていると熱く語ってましたっけ。鼻から下。このバランスなんだ、と。

これまで、目が顔の印象を変えると聞いてきましたが、以外に口周りもそうなんだ、と。まぁ、この先のニューノーマルでは、パンツや靴下や、Yシャツの下のTシャツのように、マスク、なんですかね。

あぁ、お願い、ミズノのマスク、あたって!そして、ワークマンさん、この猛暑を乗り越えるに最適なマスクを発売して、なんて思いつつ・・・。土曜授業で学校に行った息子の帰りを待ちながら、これを記しています。実家の京都から電話があって、雨と雷がすごいと聞きました。東京は、どんよりとしてますが、雨は降ってません。明日はどうなのかな。

明日、と言えば、FC東京の試合、対マリノスです。一昨日の水曜は、川崎に0−4でボロ負けして、翌日には橋本拳人のロシア移籍も発表されて。次は室屋かな、なんて考えも浮かびますが、若い力の台頭を信じて!バモス東京です。応援します。

※拳人が完全移籍したロシア1部のロストフでは、ウェルカ〜ムという移籍の紹介で、ハシモトケントという名前と、大迫の写真が!掲載されるという・・・。まぁまぁ、いい、いい、これからですよ。拳人本人のメッセージにもあるように「子供のときからの夢である海外移籍を決断した。僕の活躍が日本まで届くように頑張る」、その報告を日本で待ってます!がんばれ、拳人。



■2020年7月5日
「リバプール、トーキョー」

いよいよです。あと、1時間で、4ヶ月間我慢したJリーグの再開のキックオフです(という土曜日の時点でココを書いています)。FC東京が清水に勝って開幕戦を飾ったのが2月。そして昨年の覇者・マリノスを迎えてのホーム開幕戦のチケットを買って楽しみしていたのが延期となって・・・それからです。やっと再開、です。

対戦相手は変わってレイソルとの一戦です。青赤フラッグ掲げて、ゴール裏から声援を送ることはできない無観客試合ですが、DAZNで、声を枯らします。雨も上がって、湿度は殺人的に高いですが、ここで、晴れやかに、スパッと勝利してくれることを願って。あ〜、それにしても試合の始まる前の、このドキドキ。久しぶりです!やっぱり、サッカーはいいです。

FC東京がお手本としたユルネバ(「You'll Never Walk Alone」)。本家のリバプールは、プレミアリーグを制しましたからね。続いて欲しい!頑張って欲しい!永井ゴーゴーは怪我の影響かな?スタメンではないですが、今年の東京を象徴するブラジル・カルテットの前3人で阿吽の呼吸を見せて欲しい、そして、ゴールを。

Walk on, walk on
With hope in your heart
And you'll never walk alone

今年のコロナでステイ・ホームだった時、FC東京はStay with Tokyo、そんなメッセージを発信してくれました。オレ、オレ、オレ、トーキョーが好き、オレ、オレ、オレ、トーキョーが好き、オンナヨリ シゴトヨリモ トーキョー。あぁ、もう、そうこうしている間に45分後に迫ってきました、キックオフ!

さて、新型コロナの感染者数が、ちょっと要注意レベルまで増えてきましたね。東京は、7月に入ってから100人越えが続き、ついに、今日(土曜日)は131人。夜の街関連だとか、陽性になる率が(検査した母数が違うので)緊急事態宣言を出す前より低いとか、いろいろ言われますが、いやはや、これは完全に第2波、来てますよね。

そんな中での豪雨です。特に熊本では大きな被害が出ています。球磨村渡地区の特別養護老人ホーム「千寿園」が水没し、十数人が心肺停止だといいます。それ以外にも避難所の密の問題もあって、自然災害にコロナとという、もう、どうしたらいいのやら、の状態です。

中国武漢では、ウイルス発祥の市場で、最初に感染したと思われる女性が、原因究明に協力する姿勢がないようで、もう自分のせいじゃないのに、なんでこんなに責められるの、たまりません、といった態度だということも聞こえてきます。

中国の人が全部、そうだとはいいませんが、なんとも中国人っぽい考え方だな、と思います。そういうことじゃないんです。これからのためにやれることは全部、完全協力の姿勢でいないと、また、中国から新しい何チャラウイルスを発生させて、ばらまいて、世界の大迷惑になるんですよ。その、ための献身さというかねぇ。う〜ん、ないんでしょうね。

さぁ、試合が始まりました。DAZNの中継が始まりました。

今夜のFC東京と柏戦は、息子リクエストの「しゃぶしゃぶ」をしゃぶしゃぶしながらです。頂き物の白ワイン、「WILLIAM FEVRE」(シャブリ)を飲みながら。キックオフ前、選手がセンターに集まって、拍手を送りました。自分の命をかけて働いている医療従事者の方への感謝を込めるということらしいです。

それにしても雨上がりの夕焼けがキレイです。柏のこのホームスタジアムには行ったことがあり、その狭さが、ピッチとスタンドとの近さがとても嬉しいスタジアムだけに、無観客じゃなくて、実際に行きたかったな、と思いつつ。

さて、キックオフ。無観客であることが、これほどまでに違和感だとは。なんだか、ものすごい変な感じです。ベンチからの声、選手同士の声、ボールを蹴る音。確かに、違った意味で価値があるのですが、やっぱりチャントもなく、スタジアムに誰も居ないというのは異様でしたね。サッカーにおけるサポーター、ファン、観客は、大きな要素だったんですね。相撲から始まって、野球、サッカーと、無観客はやっぱり異様ですね。

それでも試合は進み、なかなか重い試合展開で、両チームの選手も苛々し始めて、ディエゴが怪我をして。というような試合中、しゃ〜ぶしゃぶ〜している暇がないけど、食べたいからシャブシャブシャブシャブッと肉の色を変えて野菜と一緒にポン酢にダイブ。で、食べる。「旨い」。で、ワインを少し。ん〜、美味しいワインだ、で画面を見る。

この繰り返しの前半戦、「サッカー観戦にしゃぶしゃぶは不向き」だと知りました笑

このままドローなんてやめてほしいなぁ、と思いつつ、15分の間に、ミックスナッツやお菓子を買いに、家族三人、全員でコンビニへ。スタジアムにいるときのハーフタイムよろしく、この時間に動いて、買い出して、トイレにいって。

で、後半は、ワインをゆっくり、ミックスナッツで。セブンイレブンのミックスナッツ、本当に美味です。

ツヨシがうまく合わせて押し込んだゴールが決勝点となって、FC東京は勝利。♪トーキョー、トーキョー、眠らない街〜、青と赤の俺らの誇り、うぉうぉうぉー。

勝利に合わせて、合唱して、ワインのボトルを空けて、さぁ、続きの日記をココに記そうかと思って、妻と息子はTverでドラマ「MIU404」と見ていたので、私は寝室に行って、PCを開いて、続きを書こうと・・・と、一文字も打ち込むことなく、寝てしまったようです。なので、10時前には余裕で眠りに落ちていました。

で、今朝、7月5日(日)は、朝6時に(一応、目覚ましをかけているのですが)パッと目覚めて、するするっとリビングまでいって、2人が起きてくるのを待って、起きてこないので「走るぞ」と妻と息子を起こしに行って。

家族ランに行きました。湿気は多かったですが、天気もまだよかったです。日差しもあって、暑くさえあって。もう、マスクが本当に苦しいです。MIZUNOのマスクが本当に欲しいです。今日は東京都知事選挙の投票日なので、6時半から1時間ほど走ったら、その足で選挙に行きました。

朝8時から夕方5時まで、なんていう区役所の時間帯に合わせてた投票時間も、朝は7時からやってるですね。昼前からの雨予報もあってか、朝7時半頃の投票場は、結構な人がいました。誰に投票しようか、何となく最後の最後は記入スペースのあの銀色のボックスに入ってから、と思いつつ、候補者の名前が、あれは何順かな?見たこともない順番だったので、だれがどこだか分からなかったり。

無事、選挙も終えて、またセブンイレブンで息子はからあげ棒を買って、私は銀だこのチルドのたこ焼きを買って。朝食を終えて、家の掃除をしているときには、もう雨が降り出しました。なんとも、どんよりと湿気っぽい梅雨の空気です。

今日明日の雨が止んだら、梅雨明けなんですてね。夏が来ますね。コロナな夏になることだけは嫌ですね。とにもかくにも、注意だけはしすぎるほどして、我慢するところと思い切る所を分けながら、ウィズコロナで行くしかないですよね。



■2020年6月28日
「疑いの蓋をいちいち開けてられないから」

このコロナ禍でも、世界中からは〈それ以外のニュース〉が、次々に飛び込んできます。ミネアポリスから広がった世界中のブラック・ライヴズ・マター。秋のアメリカ大統領選のトランプの行方。ロシアのプーチン続行か否かの国民投票。国家安全法による香港への統制強化に対する英国やEUの懸念、などなど。

桜を見る会なんてどっかいっちゃった日本でも、コロナ、コロナの毎日にまぶされるように、広島での「昭和の話」のような金まみれ選挙の実態や、西日本を中心とした大雨情報と避難指示。無観客とはいえ、プロ野球もJリーグも始まったというニュースなんかが流れてきます。

そんな中で、東京の(新型コロナ)感染者数が気になる動きを示していますね。

この一週間は、だいたい50人前後を行ったり来たりで、「第2波」と認めてもいい程度まで上昇しています。なのに、第2波、としてしまうと経済が(で)死ぬ、と言わんばかりで、「夜の街関連だから(大丈夫)」、「感染ルートの追跡が可能だから(大丈夫)」と言い聞かせられているようにも思います。

感染者数としては、ゴールデンウィーク段階にまで増えてきているのに、あの頃は、自粛、ステイホームと声高だったのに、まぁ、どうなんですかね。

ただ日本では(東京以外では)、感染者の数が確実に減ってきてますからね。いろんなものが再開されようとする雰囲気であることは間違いないです。

そんな日本とは違って、ヨーロッパやアメリカでは第2波が、ブラジルでは感染拡大が止まってません。海外にでも旅するか、なんて気分には、まだまだなれませんよね。

さて今週、〈それ以外〉のニュースの中で、個人的に一番びっくりしたというか、「こういうことがあるんじゃないかな〜」と疑いつつも、「さすがにそれはないだろう」と自答していたことが、現実だった!というか。そんなニュースが飛び込んできました。

先月、パキスタン南部のカラチで国内線旅客機が墜落し、乗客乗員97人が死亡した事故がありました。住宅街に落ちた無残な映像のインパクトは凄まじかったです。

その残像からか、なんとなく、都内を歩いていても、新宿上空を飛び始めた羽田空港行きの旅客機を見上げながら、・・・だいじょう、ぶ、だよな、と思い浮かぶことすら確かにあって。

で、このパキスタンでの話。

墜落した旅客機は成田空港にも就航している立派な国際線航空会社、パキスタン航空のものです。墜落事故をきっかけに、パキスタン政府は、各航空会社のパイロットの実態を調べ(そもそも、パイロットの実態って何?という感じですが)、「さすがにそんなことはないだろう」という性善説が崩壊したというのです。

実態調査の結果、(パキスタンの航空会社の)パイロット860人のうち、約3人に1人にあたる262人ものパイロットが、不正に免許を取得した疑いがあるというのです。

これは本当に驚きです。どんな不正かというと、現地メディアが伝えているのは代理受験(本人の代わって他人に試験を受けさせる)。それが、横行していたというのです。

タクシーの運転手さん、バスの運転手さん、電車、新幹線の運転手さんなど、お客さんの命を預かる仕事というのは、本当に大変な職業だなと思っています。

だからこそ、その重みを感じながら安全運転する運転手さんたちに感謝もしています。一方で、その重みを何ともおもっていないような、居眠り操縦とか、夜行バスの無理のあるシフトなどを聞くと本気で憤ってきました。

考えられない程の高速で、800人近くを運ぶ新幹線の運転手さんには安全の上にも安全を特に願いたいし、空を飛ぶ飛行機は、もはやパイロットに命を預けているという感覚です。だからこそ、パイロットが飲酒検査にひっかったというニュースを聞くと、恐怖でもあります。

それ以前というか、以上というか、なんというか。今回のパキスタンのパイロットの不正のニュース。

こうなると、かの国の乗り合いワゴンタクシーや、三輪タクシーのドライバーは、(パイロットですらこんな感覚なら)余計に恐ろしくなります。

いつも、どんな国でも、悪しき慣習的なコトには蓋をして、いろんな「疑い」についても「わかってはいるけど、、、とはいえ」という先送りをします。

そして案の定、犠牲者(死者)が出ると、その時になって初めて、本気で改めようとするんです。逆を言えば、誰かが死なないと、疑いの蓋は、ずっと閉じられたままなのです。

日本においても、飲酒運転しかり、高齢者ドライバーしかり。犠牲者が出る前になんとかすべきだったという例は多いです。

そんな後悔を繰り返さないために、もしくは、無駄な死を二度と起こさないために。リニア新幹線は運転手をおかないオートパイロットで、宅配各社も自動運転を実現させようとしています。

「疑い」の蓋を一つずつ(いちいちと言ってもいいかもしれませんが)開けていくより、(疑われる可能性のある)人力を捨てて、技術で塗り替えていこうという方向へ時代は流れているようです。

考えてみれば、「そうやって」人間は進化してきたのかな、とも思えてしまうほどです。

便利であることで需要が高まって、それを供給する技術が生き残るという側面よりもむしろ、「疑いの蓋をいちいち開けてられないから」という観点からの総塗り替えが、技術革新に貢献してきたのかもしれない。

コミュニケーションにエンターテインメント、ショッピングにスポーツ、旅行まで、とにかくバーチャルで個々で、在宅です。ワークも全部ひっくるめて距離を保とうという感じがします。

決められたパッケージの中から好みを選ぶというのは役目を終えて、パーツパーツで好みを集めてパッケージにすることが主流です。供給側は、そんな主流の「個々に対応するサービス」を人力でやっていると「費用対効果」に見合わず、やれAIだの、自動化だのと言います。

が、これも、市場が求めていることに対応する提供側が、現状を徹底的に見直して「無駄と非効率」という疑いの蓋を(いちいち)開けず、〈新しい技術〉で総塗り替えを図っているだけかもしれません。

人の力に存在するエラーに蓋をして、全部人以外で塗り替えてしまう。こいう時代の流れが、技術の革新に殺される、という状態を作ってしまうんだろうな、、、

とかなんとか言いつつ、犠牲者が出ないと本気になって改めないということに話を戻すと、このコロナ禍、歴史に残るほどのパンデミック(犠牲者)を起こしました。

ですから、発生源、感染源、感染ルートなど、ひとつずつ、要因を突き詰めて、何一つ蓋をせずに暴き出して、改めないといけませんよね。



■2020年6月20日
「異例で当たり前」

いやぁ、昨日はすごい雨でしたね。雨だと、ついつい、すぐにでも電車に乗り込みたいと思ってしまうからかどうなのか、昨日の朝、ホーム来た電車に(確認もせず)飛び乗ってしまいました。ダメですね、やっぱり、駆け込み乗車。次の駅で降りたいのに、「快速」だかなんだかで、ずいぶん遠い駅まで行ってしまいました。まったく朝から、なんとも不毛な単純往復でした。

ああいうときって、なんでしょうね。電車に乗ってしまった以上、その電車が駅に着くまでは「何もできない」のに、気持ちだけが落ち着かず。あたふたしてしまいますね。ま、しょうがないな、と音楽でもゆったり聴きながらスマホでもいじればいいものを、音楽を切り、イヤホンを外し、スマホを握りしめたまま「早く着かないかな」と、そればかり考えてしまいます。車窓からの景色を見ても焦ってばかりで。

その窓の外は、すごい雨でした。羽田沖だったので、余計に風が強くて、ものすごい嵐かと思うほどの中、じりじりと焦ってばかり。10分か15分間かだけのミスが、もう何時間にも感じられて・・・。

梅雨ですね。雨の日用の革靴が欲しいな、とこの時期はとても思うのに、いざ、買おうかと思うときは雨なんて降ってなくて、雨っていっても最寄り駅まで歩くぐらいだからなぁ、なんて考えが勝って、未だ買わずじまいです。(なんか、こういう初めてのタイプの靴って、ネットじゃちょっと、ね。実際にはいてみたいし)

でも、よし、今年こそは買おう。と思ってデパートのSALEを調べて、え、伊勢丹はオンラインのみ、となったり。こういう初めてのタイプの靴ですからね、やっぱりオンラインじゃなくて買いたいから、他の店をあたってみるか、というこの時点で、もう、買う気は下がり。

6月も終わりですよ。もうすぐ夏休み、という気分で迎えるはずの7月も、今年はコロナの休校で、逆にようやく始まった新学期といった感覚です。7月いっぱいまで授業があって、夏休みは1か月のみ。色々と例年との違いがあります。

が、ふと。3〜6月までのコロナ体制のせいで、そっちに慣れてしまった体には、例年との差というものに、いちいち鈍感になっていたりもします。

本当だったら今頃はこうだった、なんて考えることはとっくになくなったし、例年なら、本来なら、なんてコロナだからという強烈な「変化」の前に、気にならなくなったというか。全部が、「異例で当たり前」という感じがします。

異例の中で迎える通常通りのルーティン。そのルーティンからはみ出したミスの異例。数年に一回はやってしまう間違えた電車に乗るという事態に、あれですね、コロナで異例に慣れても、やっぱり、ああいうミスは、(コロナなんて)関係なく、いつもとの違いに、焦りますね。

都知事選挙ですね。今回は、立候補者が過去最多、22人が名を連ねています。思わず、え、誰でも気軽に立候補できるの?と思って被選挙権みたいなのを調べてしまいました。30歳以上、そして300万円を払う必要があると。

本気で都政を変えようという気もないのに、売名行為で立候補することを避けるため、らしいですが、22人ですからね。なんというか、vs小池都知事の票が、ぱらぱらと分かれて、(これから相当な失言でもない限り)小池さんの圧勝なんですかね。

なんと言いますか。確かにコロナ禍だし、第2波、3波も怖いし、来年のオリンピックもあるし(そもそも、そのオリンピックを中止しようという候補者もいますが)、こういう時は、まぁ、続投がいいんでしょうかね。まだ2週間ありますので、いろいろと22人の候補者の中から、この人に1票!という人を選びたいと思います。

夏は旅行はどうなんでしょう。GO TOキャンペーンなんて銘打って、トラベルだの商店街だのイベントだのと需要喚起策を打とうにも、その委託費が云々でつまづいて。先日のニュース番組のコメンテーターが、「こういう施策は、質と量とタイミングがすべて」と言ってました。タイミング、夏休みを外してどうするんでしょうね。

シルバーウィークがあるじゃないか、と?確かに、今年は4連休があります。とりあえずわが家も、ホテルだけは押さえました。現地で、使えるクーポンなんて、いろいろと9月なら、そろってるんですかね。いや、ホテル代も、もしかしたら取り直したほうがいいのか?いやいや、すでに抑えているホテル代が割り引かれるのか。

なんていろいろと、考えている今時点では、ここ東京も、旅先予定である札幌も、まだまだコロナです。結局、ワクチンができるまではウィズ・コロナなわけで、飛行機を取る時も、座席指定で隣同士なんて選べないのかぁ、なんて思ってます。

来年の今頃。どうなってるんでしょうね。
何があるんでしょうね。

ちょうど去年の今頃、「来年の今頃は<確実に>オリンピックはあるわけで、そのオリンピック期間中に自分がどう暮らしているか<だけ>が未知です」なんてことを考え記していたなぁ、と思い返すと、、、

まさに、何が起こっても変じゃない♪
そんな時代ですね。覚悟はできてますかね。
(ミスチル、esより)

県をまたいでの移動も解禁され、一応、要請という名の規制みたいなものもなくなったので、自粛ケイサツの目も気にしないでいいのかなぁ、って思ったりしてる今日の週末の土曜日。晴れたし、ちょっと、原宿へ行きました。

これまでのホーム上のカオスがすっかり整理されて、狭く古い駅舎の坂道を降りて改札を通っていたのが、すっかり「どこにでもあるような、こぎれいな駅」に変わってました。とはいえ、表参道側にも明治神宮側にもアクセスが良くなって、人の数は相変わらず凄かったです。

特に、都内では初めての都市型IKEAが出店し、イタリアのイータリーもはいって、ユニクロはニューヨークにあるような超都会的な店内に、原宿ならではのクールジャパンとコラボした商品を並べてました(もちろん、キッズ商品はなかったですが)。

このIKEAやユニクロ、イータリーのはいった「ウィズ原宿」という新しいスポットは緑の多い、おしゃれエリアらしいのですが、コロナ対策で店内への入場は整理券が必要なIKEAの、その整理券を求める列が密で。まったくもって本末転倒的な常態で、とにかく人が多すぎたので、離れてしまいました。

もう少し落ち着いたら、降りてみようかな、と。元々あった駅舎が静かにひっそり「過去」のものになっていました。淋しいような・・・。私にとっての原宿駅は、あの混雑と古い駅舎ですからね。

確かに、今日の原宿も、人の数は戻った(もどりつつある)といえます、が、いっても、やっぱり少なめになっています。エアリズムのマスクを出したユニクロの昨日ぐらいですかね、蜜なの、なんて。

また、外国人も少なくなりました。今日の原宿で、久々に外国人がいて、これまでは何とも思わなかったのに、あ、外国人だ、と気付く程度の違和感が出てきている、といいますか。

そもそも、都心の人の少なさが意外すぎて、外国人を見かけないなんて、そんなの気にならないだけかもしれませんが、これまで視界には必ず外国人がいた、という程の光景は、様変わりしましたよね。

なにもなかったころ、なんでもないことが、しあわせだったなぁー(と思う。虎舞竜)。

さぁ、明日の天気はいまいちっぽいですが、今年から「始める!」という奥さんに付き合って、家族でプチトマトの苗を買いにいく予定です。狭いベランダでも、大きく育ってほしいな、と真っ赤に育つ小さなプチトマトを思い浮かべながら、そんな夏の日の異例を、想像しながら。



2020年6月13日
「感じられるか、どうか」

先日、(過去の)イチローのインタビュー映像が流れていて、そこで「組織(チーム)でリーダーを決めること」について語っていました。リーダーはこいつ、と決めることに、そんなに価値はないのではないか、というニュアンスでした。

というのも、何人かが集まれば、おのずと「こいつがリーダーかな」というのは共有できるし、組織(チーム)が、何かの課題に直面した時、それに向かうために大事なのは、リーダーを明確化することでは(必ずしも)ない、と。

それよりも大事なのは、その組織(チーム)の中に、〈課題〉に対して【感じられる人】がいるか、どうか。そこが一番大切だ、というようなことをおっしゃっていました。

これまで、数々のチームにおいて、イチローがリーダー(キャプテンマークを巻くような)というのは少なかったような気がします。それも、以上のような考え方から来ているのかもしれません。個々がしっかりと【感じられること】。深いですよね。考える、ことではないんですよね。

今のウィズコロナ。組織やチームでは、多くの課題に直面していると思います。私もそうです。そんな時に一番やってしまいがちなことは、何々は誰々という落とし込みです。私もそうです。そうした方が、目先の成果が得られるからかもしれません。

ただ、これからの「変化=ノーマル化」を考えると、何か役割を与えて、それをこなして成果とする、というのとは、違うような・・・。

現状を感じとり、これからを予想し、その未来を感じる。その中で、今は何をするべきなのかを【初めてここで】考える。これなのかな、と頭ではなく、心で(感じてます)。

一旦、ゼロベースで頭の整理と、武器となるものは何か、そしてその武器はほんとに武器か。錆びてるなら磨かないといけないし、良く改めるべきものは囚われず改めないとですね。

積み上げたものぶっ壊して♪
身に着けたもの取っ払って♪
全力少年(by スキマスイッチ)で、いくべき時かもしれません。

そもそも、今直面しているいろんな問題は、近い将来やってくる課題だった、とも言われることが多く。それらが、このコロナ禍で一気に迫ってきた、という感もなくはないのですが。

さて、そんなウィズコロナですが、東京アラートも解除されて、学校も本格的に再開されて、満員電車も(残念ながら)満員になって、以前の様になってきましたね。

これから、梅雨になって、蒸し暑く、気温も高くなって、マスクは苦しく、大雨や台風にも備えが必要で。泣きっ面に蜂がブンブン飛び交っているような気もするのですが、、、

熱中症、避難場所、災害対策。国や自治体を待つんじゃなくて、自分事としてのニューノーマル。ほんと、これは感じずにはいられないし、考えないといけませんよね。

泣いてばかりもいられません。

プロ野球もJリーグも始まります。大幅に日数が減ったとはいえ、夏休みもやってきます。どうせなら、楽しいことを考えながら、課題を感じとりたいと思います。

3月から5月の自粛期間中で、私は一体、一番多くの時間を何に割いたのだろう(テレワーク以外で)と考えました。たぶん、それは読書かもしれません。普段読まない類の作品も手を伸ばして、へぇー、ふ〜ん、と思いつつ、楽しめました。

アニメも、そうです。DAZNでやっていた「キャプテン翼」を、息子と一緒に見ました。私が小学生のころからですので、もう30年以上も続く名作ですね。当時、野球チームに入っていた私は、キャプテン翼は「あえて」見ず、だけどサッカーチームのやつらが、「こじろーだぁー」とか、「若林かよ、今の、すげ〜」とか言ってるのを聞きかじっていたので、そういう名前は知ってました。

が、翼くんが南葛という小学校であることすら知らず。だから、第一話目、幼い翼くんが車にひかれてもサッカーボールのおかげで助かったことや、ロベルト・カルロスという存在、ミサキくんとのコンビネーション、などなど、へぇー、ふ〜ん、と、かつて聞きかじりっぱなしだったパーツが、つながる快感とでもいうのでしょうか。そういうのを感じて楽しかったです。

週末は、必ず家族でお出かけをしていたわが家も、自粛でおうち時間を増やして、ふと振り返ると「だからこそ」できたことも、多かったようにも思います。特に、息子は学校と習い事に追われっぱなしだったので、思い存分Nゲージで遊べたのも、その一つかと。YouTubeから、いろんなことも知ったようです。

これを〈がらくた〉にするか否かは、これからをどうするかですよね。

さぁ、自粛要請も解けて。だからまた、週末のお出かけの予定や、旅家族らしく、旅の予定もを埋めていってます(こればっかりは・・・です)。

そんな中で、元々は2020年というシンボルイヤーだったので、東京オリンピック前の春の時期に多くの施設が開業予定でした。それがコロナ禍で延期されて、カミング・スーンの状態になり。それらが、だんだんとオープンし始めましたね。

そんな一つひとつに、わくわくするのですが、わくわくしながらも、わいわいと密集した混雑を想像することがない、のがニューノーマルなんですかね。時間枠で入場予約をしたり、マスクに手消毒の徹底を意識して、距離を保ったり。

今のところは、わくわくに注意深さもちゃんと混じってるのですが、梅雨があけて、パーっと夏になったとき、どうかな、という不安もあったりして。そこが怖いです。

第2波、第3波に備えて、私たちは「感じた」結果を、どれだけ考えて形にできてるでしょうね。スピード感、という漠とした好印象に押し潰されそうですが、ぜんぶ、や〜んぺっ、て、そんなことも言ってられませんからね。

学校、楽しかった!
早くちゃんと毎日行きたいよ〜

分散登校で週に2回だった半日授業も、来週からは毎日の半日授業になって、その翌週からは通常授業になります。給食も始まります。

このコロナ世代は、誰も経験したことのない、4か月近くの休校期間を経験しました。高校入試は出題範囲を狭め、関係代名詞のwhoだのwhichなんてのは出ないそうです。ま、そんな世代ということになります。

まさしくロスト・ジェネレーション(失われた世代)なんて世代で育った私自身、勝手に置かれてしまった時代というのに、流されたり、抗っても無駄だったり、諦めたり、まぁ、いろいろと苦労もしました。このコロナ世代の今から、そんな苦労もあるだろうし、史上初連発のコロナだけけに、想像も出来ません。

だけど、楽しいという気持ち、わくわくというやつ。感じるべきことの根幹は、やはりそこであってほしいと、願いつつ。



■2020年6月6日
「ニューノーマルですよ〜」

延期されていた入学式。息子の通う小学校でも、ようやく今日、入学式が行われたようです。記念写真を撮ろうと、黄色い帽子をかぶった一年生が、紫陽花の横に立っていたと、ベランダで洗濯物を干していた妻が、部屋に戻るなり言って。

入学式といえば桜の横で、というのが、今年は紫陽花です。さて、9月って何が咲いているんだっけ、と、当面、9月入学はないとしても、そんな時代は来るのかな、なんて言いながら、息子の中学入学は、何の横で記念写真を撮ってるのかな、とか。

それにしても、紫陽花が綺麗ですね。来週から梅雨入りかも知れず、紫陽花(キレイからプラス)と雨(マイナス)が相殺されるプラスマイナスゼロな季節がやって来ますね。

去年、ちょうど今頃、久保建英は18歳になって、FC東京で大分戦を闘い、私たち家族は応援に行き、「これが東京での最後かも」なんて、思い出します。その後、日本代表としてコパ・アメリカ、そしてレアル・マドリードへの移籍発表。

まだ、一年しか経ってないのか、というのが正直な感想です。もしかすると、ロッテの佐々木朗希は来年の今頃、「あ、佐々木って、去年の今頃は、まだプロ野球で一球も投げていなかったのに」なんて言われるんですかね。なのに、来月からのオリンピックで侍ジャパンなんて、すごいです、とか?(そんなことになったりする可能性もありますよね)

本当に未曾有の新型コロナ感染でしたね。森山直太朗は、新しいシングルで「最悪な春」と歌っています。本当、最悪でした。

東京アラート中とは言え、緊急事態も解除され、ようやく少しずつ動き出したのですが、今度は、これまで分かってはいたけれど、直視しなかったとうか、それよりも、まずはウイルス感染しないこと、というのに注力できた、というか。この先当面の、事業存続をかけた数値の見方、もしくは、数字をどう作っていくかに、頭が痛いです。

もしかすると、全てを一旦リセットせざるを得ないという状況(判断)も生まれるかも知れません。去年の年末、中国の武漢で発生した新型のコロナウイルスを、隠し、初動を間違い、1月には世界に広めてしまってから半年間(もう2020年は半分過ぎて、ずっとコロナでした)が経ちました。

というような、中国の姿勢を突いたり、世界的な機関であるWHOにどうこう噛みついたり。世界の中で、桁違いに感染者も多く、死者も多いという汚名をかぶったアメリカでは、なんともリーダーの質の悪さを露呈するかのような混乱と、失業率の歴史的な高さという悲劇が続いています。

そんな悲劇を、ご自分のアピールしか頭にない、とても古く時代遅れのカンピューターのビジネスマン大統領は、見ていて痛々しいです。正直、あんな大統領の国に住むのは、今の香港に住むより嫌かも知れない、と考えてしまうほどです。やっていること、中国と同じですもんね。

9月の大統領選で、1票でも取ったら、それだけで驚きです、という状態です。

さて、徐々にいろんな物事が再開されようとしています。美術館も完全予約制にして、館内の人数を制限しながら始まったし、お店も、多くの場所でソーシャルディスタンスを取りつつ始められています。

都立公園でも、遊具やテーブルが使えるようになり、今日のような休日は、朝6時半から人は多めです。特にドックランでは多くの犬が密でした。さらには、(確かに、もうこの季節になると、マスクをしながらランニングするととても苦しいですが)マスクなしでランニングする人が増えてきました。

まぁ、何もせずに家にじっとしようという段階は越えたけど、家を出るときの出方は考えようよ、注意はしすぎるほどしようよ、というメッセージが上手く伝わってないのか、端からそんなつもり毛頭もないのか。東京(だけですが)においては、感染者数がまだまだ20人、30人という状態ですからね。注意したいところです。

と、いうのものです。確かに、東京では、院内感染や歌舞伎町のホストクラブというクラスターが把握出来ている状態が半数以上あり、あちこちで感染が収まってない、と言う状況ではないかも知れません。だけど、だからといって、「それ以外」の所で油断すると、ウイルスはいかなる境界線もあっという間に乗り越えてしまいます。

ワクチンが出来るまでは・・・。だから本当に注意しすぎるぐらい注意したい所です。

ところで、Go To キャンペーンが、始まりもしないうちから、ゴタゴタしてますね。こんなの、タイミングが何よりも大切で、何処に・いつ・どれぐらいのボリュームで、打ち出すかが全てです。観光、イベント、飲食店、商店街。これらの新型コロナ打撃を直撃した業界への支援ですから、今(緊急事態宣言解除のタイミング)こそ、詳細を発表して、スムーズにスタート、7月の中旬、ちょうど梅雨が明ける頃から、本格的に使えるものにしないといけないのに。

全てを白紙に戻す、とか言い出してます。こりゃ、駄目です。3月から学校が休校になって、このコロナ禍がGW明けに落ち着くか、なんて確かに言われてましたけど、それにしても、3月、4月、5月の三ヶ月間、なにやってたの?という気分です。

このコロナ禍を受けても、給料は一円たりとも下がらない、そしてこの夏のボーナスもしっかりともらうだろう、公務員の人との危機感の差がここにでているのでしょうか?

正直、観光業にいる友人や、イベント関連に従事している先輩なんかと連絡を取り合っていると、前向きだな、という印象よりも、後ろ(又は下)なんて向いていられる場合じゃないというのを感じます。

中には、でっかい会社で、デンと暢気で、国のすること待ちで、というところもあるのかも知れませんが、9割以上は、前(または上)向きです。

そんな中で、何より気に掛けているのは、これからのニューノーマルです。新生活とか、新常態とか言われますが、個人的にぴったりくるのがニューノーマルなので、それを使います。

例えば、飲食の世界では一人の席の間隔が決められていて、店舗の広さから、だいたい何席置くか決められます。この「普通」が、変わるように思います。今までの詰め込み状態を、普通にはしないようになるとうか。

また、観光バスもそうです。通勤、通学のバスや電車は難しいかも知れませんが、はとバスなどの観光バスは、30席あれば、1席も空けずに運行する方が利益があったので、なるべく安価にしても、大きなバスに詰め込んでイチゴ狩りに、なんてことがノーマルでした。

が、ニューノーマルで、基本2席に1人の客というソーシャルディスタンスが当たり前になれば、そもそも、大きなバスに客を詰め込んで単価を抑える、という格安ツアー自体が成り立たなくなるわけです。

コロナ禍でウイルス感染を第1に避けるというステージを越え、コロナ禍の当面(当年)の危機を直視する段階。この段階で、同時に、この先のニューノーマールを考えながら、果たして、テレワークにばかり(なんとなく)気に取られて、無駄にPCのリース契約をしてないだろうか、要因数は業務内容にあっているか、その業務内容がどうかわっている(べきか、ではなく)常態かを、しっかりと感じとる段階ですよね。

携帯電話がなかった時代、スマホじゃなかった時代、そして、LINEがなかった時代。いろんな時代に、いろんなツールが生活の中に入り込んできて、便利になりました。

そんな小さな変化を全て足して、常態(生活)、ノーマルが新しくなる。

先日、私の会社の会議室フロアの一番奥に、「WEB面接室」という表示がありました。このWEB上で、自分をしっかりアピールできる人材が、例えば、ニューノーマルなのかな、とか思いつつ、、、

今、9月の4連休に札幌・小樽へ軽く旅しようと、家族で旅会議をしています。

私はアートと味噌ラーメン、妻はお菓子と夜パフェと、息子はそれら全部とジンギスカンらしいです。旭山動物園にも行きたいということで、3日で足りるかな、と、そういう意味でもGo Toキャンペーンは、急いでもらいたかったんですけどね。



■2020年5月30日
「始めましょう、始まるんですから。」

ミズノにアディダス、ユニクロ、MUJI。鎌倉シャツや京都の西陣織、小倉織はスターフライヤーとコラボしたりして、様々なマスクが、いろんな所から発売され(もしくは発売告知がされ)てますね。

ランニングにはアディダス、普段はユニクロ。みたいな、使い分けも、可能になったんでしょうね。これまでは、使い捨てマスクが主流で、それが超品薄になって、中国からの〈あやしい〉のをタピオカ屋なんかで割高で買って、なんてもうねぇ、ばからしいですよね。

「マスクであるだけ、ありがたや〜」なんて思ってたつい1ヶ月から1ヶ月半前が、ちゃんちゃら可笑しく思えます。そんな折りに買った中国からのタピオカ(屋)マスクなんて、かったいし(硬いし)、いったいし(痛いし)で、ちょこっとコンビニに行くときだけ、さっとつけて、すぐにポイッとしてます。

そもそも、マスクは流通し始めましたからね。というより、みんな使い捨て(マスク)を買わなくなったのかな。ニューノーマルでは、マスクは洗って使うし、大事に使いたいような(ちゃんとした?)マスクにしてるし、最終的には、オリジナルでオーダーだったり、手作りだったりします。

息子は妻に、お気に入りのFC東京のユニフォームから生地をとって、オリジナルマスクを作ってもらってました。私は、先日、セブンイレブンのプライベートブランドのマスクを(ちゃんとした定価で)箱買いできたので、それがなくなるまで、使い捨てます。

それにしても、この夏も例年どおりの猛暑予想なのに、マスク着用はマストでしょうね。これまで、ほぼ防寒感覚でしかマスクをつけてなかっただけに、夏のマスクは未知です。先週ぐらいから、ランニング中のマスクも、本当に苦しくなってきました。今日のこの天候。すごい日差しと気温ですから、これからマスクをして出かけるのも、ため息です。

海外からのニュース映像なんかを見ていると、ロックダウンが解除されて、外出自粛も解かれると、多くの人がマスクもしないで、ふわ〜っと外にでてますね。東京でも、電車などの密で、マスクなしの人がいたり、店でテイクアウトの料理を作る人がノーマスクだったりします。ただ、そんな人は希で、だから、目立つんですけど。

日本(日本人)の持つファクターX。これって、本当になんなんでしょうね。数値化で出来ない価値だと思います。感染者数もそれなりに抑えられたし、何より死亡率が低い。本当、これは世界中に広められるなら、広めたいファクターですね。

さてさて、明後日からはもう6月です。

3月からの3ヶ月、ずっと止まったように休校だった学校もようやく再開ですね。

9月入学がひとまず蚊帳の外に置かれて、これまで3ヶ月のビハインドを夏休みと土曜日のカットで埋めようとする案が出てきてます。都立高校は、夏休みが二週間しかないそうです。ただただ授業のコマ数を増やせばいいというものではなく、夏の(通常、夏休み期間の)暑い中での授業は、春や秋の季節のいい時期と同じ「1」ではないんですけどね。そもそも、勉強なんてしてられないから、休みにしているんですけどね。

まぁ、そんなこと言ってられないんでしょうね。受験生にとっては、本当に、やりきれないでしょうね。夏休みの40日間で差が出る、と言われる大学受験も、学校で授業ですか。そう言えば、入試を遅らせるという案もあるそうですね。もしかすると、ここあたりから、9月入学論が再燃したりしますかね。

いずれにしても、区立の息子の小学校は、7月いっぱいは授業ですが、8月は1ヶ月間の夏休みらしいです。区によってばらばらですからね。元々、休校中の課題なんかも取り組みがはやかった杉並区は、6月1日から早速通常通りの授業だとか。私の区は、徐々に行くみたいです。

6月1週目は、1日の半日授業、2週目は、2日の半日授業、そして3週目は、月〜金で半日授業というステップを踏んでから、通用通りの授業と給食開始だそうです。なんだか、学校が始まるというのは、いやはや明るいです。気分が軽くなります。

一方で、企業の多くでは5割出勤をベースにテレワークの継続と定着を目指すといいます。そんなことを言っていても、たぶん、山手線のラッシュ時はすさまじいことになっているんでしょうね。コロナ感染の第2波が確かに怖いです。ここ数日、都内の感染者数を見ていても、なんとも不気味です。が、このまま止まってるわけにも、いかないですからね。

始めましょう、始まるんですから。

新入社員が入ってきても、ほぼ顔を合わせてないし、そもそも4月1日付の新メンバーも、お互いに顔を知らず。最悪、ランチだけでもチームで集まって食べて、この時期には名前はあやしくても、顔は、さすがに覚えている頃ですからね。

さぁ、自粛解除!居酒屋でも予約しますか!と、(だけどまだまだ)そんな気分にならないのは、私だけですかね。

外食産業はコロナで大打撃をうけ、多くの人(客)が、これまで我慢してたんだから飲みに行くか、となってくれる(戻ってくれる)か否かが、非常に大きいといいます。果たして、どうですかね。不要不急、と言う言葉が、また頭をかすめます。

外食に並んで大打撃を受けているのが観光産業です。ホテルや旅行は、さんざんですからね。何がさんざんかというと、平和産業だけに、こういう社会の混乱に、真っ先に真正面から対峙してしまうのです。〈今は我慢すべき〉対象として、まずパッと浮かぶのです。

この先、助成金を投入して半額キャンペーンをやったり、クーポンを配ったりしますが、あえて今、行くべきか?という自問の中で、すぐに旅行に行こう!とは、これまたなりそうにないですよね。

外食と観光の(回復までの)道のりは遠そうです。銀座のクラブのママが、ある番組のインタビューで、いよいよ6月は、銀座で倒産ラッシュが起こるかも知れないと言っていました。

業種だけではなく、働く形でも大きな損害を被ることが多いかもしれません。公務員でもない限り、ほとんど多くの企業が対前年比は惨憺たるものであるでしょうし、行く先も不安です。早期退職なんて募集があってもおかしくない、そんな企業もあるかも知れません。

今日の感染者数は、2週間前の数値です。だから、今の行いは2週間後の未来の結果です。そんな風に自粛して耐えている間に、どれだけの「未来の行い」ができたかどうか。それが試される未来がやって来る、んですね。

それにしても良い天気です。ベランダの窓を開けると、外から子供達の遊ぶ声も聞こえます。宅配便は朝からふたつも届きました。Uber Eatsも出前館も、マックやジョナサンまで、宅配が盛んに行き交っています。昨日、家族で夜散歩がてら業務スーパーに行き、大好きなミックスナッツとハニーローストのナッツを買い込んで帰っているとと、通りかかった(息子の)サッカースクールの前でコーチに会いました。「来週から、再開するぞ!」

息子は大喜びで、それを見て、私まで嬉しくなったというか。コロナ明けの週末です。なんだか変わったもの、前までが戻ったもの、いろいろとない交ぜで・・・。未来かぁ、、、これから、かぁ、と私はスイッチを入れます。



■2020年5月23日
「ステイ・アラート」

これまでの標語「ステイ・アット・ホーム(家にいよう)」を「ステイ・アラート(警戒を怠らないで)」に改めたイギリス政府(の焦り)じゃないけれど、東京でも、いよいよ、週明けには緊急事態宣言が解除されそうですね。それを機に、都が要請する基準も徐々に緩めるロードマップが示されて、色んな物事の休業や自粛がおわりを迎えそうです。

一足先に緊急事態宣言が解除された関西圏、大阪府の吉村知事も言ってましたが、外出せずに閉じこもってるだけでは経済で死ぬ。だから外出は、是非してほしい、ただ、ウイルスはある、という前提で、しっかりと警戒しながらやってほしい。まさしく〈ステイ・アラート〉。新型コロナウイルス感染のパンデミックも、いよいよ、このステージにきましたね。

いつまでも、どこにも行かず・何もせず・じっと、まるで台風が過ぎのを待てばいいというほど、コロナは短期の禍ではありませんからね。ワクチンができるまでしばらくかかるだろうし、そのワクチンがしっかりと流通するまでにはもっとかかるでしょう。このワクチンのない未曾有のウイルスに打ち勝つには、ワクチンをつくるしかないんですよね。

なので、打ち勝つまでは、共存しないといけません。ウイルスはあるということを前提にした暮らし方、ニューノーマルな生活って、どんな感じなんでしょうね。

考えてみたら、コロナ以前に「こんなこと、普通に考えたら駄目だよな」と思っていたことが、東京だし、都会だし、しょうがないから、まぁノーマルだな、としていた多くは、もうニューノーマルには、入らないでしょうね。

満員なのに、駅員がさらにもう一人ぐいぐいと押し込む電車、階段の上り下り(で歩いているのに)でも、手に提げたカバンを右手から左手に持ち替えることすらできないほどの密着、エレベーターに乗るにも、トイレでも、コンビニでもすぐに大行列という暮らしの数々。

特に、ここ東京では、「他人と距離を保つ」というのが、とても難しいです。難しいというか、全員が同じような時間に出勤・退勤する時点で、不可という感じです。

不可を可能にするには、何かを変える必要があり。テレワークの(強制的な)導入で遠隔業務い慣れた新しい働き方は一助となるかもしれません。遠隔で良いなら、東京に住む必要すらないかも知れないし、東京という街が好きで住んでいるなら、何も、無理してオフィスに通勤しなくてもいいんですよね。

出来るだけ触れずに、対面せずに済ませられることは非対面で、店員と客は透明シートを挟んで、居酒屋の狭い1席も間隔を広げることになるのか。まぁ、政府や自治体がニューノーマルについて、また提言や要請をしてしまうと、勘違いした自粛警察みたいな人が、迷惑にも110番をし始めて、本当に必要かつ重要な通報に支障がでるので注意が必要ですけどね。

先日の朝日新聞に、新型コロナウイルスに関連して、愛知県警に寄せられる110番通報が4月から急増しているという記事がありました。しかも、通報の内容は「公園でバーベキューをしている人がいる」「外でいちゃついているカップルがいる」「パチンコ店が自粛を守らず営業している」「バスでせきをしている乗客がいる」「マスクが50枚4,800円で売られている」「近所の人に、コロナにかかったかもと言ったら、嫌がらせを受けた」などだそうです。ため息が出ます。

異常な事態となった「この春」を経験した今の私たちなら、この通報内容にわからなくもない、というのがあるとしても、5年経ったら、この通報の異常さに、笑うことになるんですかね。もしかして、笑い事ではない状況になってたりするんですかね。もしくは、「え、何が変なの?」とノーマルになっていたりするんですかね。

まぁ、どんな未来が来るのかは分かりませんが、とにかく、自粛が明けたら、警戒しつつのニューノーマルで、本当にいろんなことを積極的に再開していかないと、取り返しのつかない未来になりそうじゃないですか。それはあくまでも経済的に。特に事業をしているなら、その存続について、です。

咳エチケットや毎朝の検温、非接触決済、オンライン名刺交換など、コロナ禍が終息しても定着させたいニューノーマルが、5月の始めに厚生省から発表された(新型コロナウイルスを想定した)「新しい生活様式」にはあります。

いずれにしても、警戒しながら、まずは美術館に行きたいです。草間彌生美術館のように完全予約制にして、人数を絞りながら再開されるのかも知れませんが、ピーター・ドイク展へ、そして、横浜のバンクシー展(こちらは予約制)にも。百済観音は、今度、帰省したときに法隆寺まで足をのばしてみることにしようか、などなど。

新宿にできる三角広場は全天候型だから、オープン自体がさらに伸びるかもしれませんね。FC東京の試合も、始まったとしても無観客だろうからDAZNでの観戦だろうし(もう、いっそのこといいテレビ買おうかな)、有明ガーデンの泉天空の湯もオープン延期がいつまで続くのか。

すぐに梅雨になって、じめじめしながら海の日ぐらいまで続いて、それでようやく雨も減って真夏の暑さ。オリンピックのない真夏の4連休、さて、何しようかな、という感じです。息子の小学校は8月まで夏休みが縮小されそうです。国内の旅行には、いろんな国からの補助がはいって、キャンペーンがうたれそうなので、人混みをさけつつ出かけてみようかな。

渋谷の山下公園は、綺麗になってパーク化されるし、羽田空港の第2と第3(旧国際線)ターミナルの間に、ひとつの街も誕生するし、日比谷にはOKUROJIという、高架下の施設がオープン(予定)します。何でもかんでも中止に延期、としていた新スポットのお披露目が、順を追って(もしくは、一気に!)なされるだろうこの夏は、ほんと、コロナを警戒しつつ、ニューノーマルで楽しみたいです。

トニカク、出かけたい。ステイ・アラートで。そう思っています。そう言えば、日本初上陸となった京都にできるACE HOTELのオープン延期も、この夏にはどうですかね。さらには、お盆の帰省は品川から京都まで新幹線を予定しているのですが、息子はN700Sにしたいと熱いです。そして、私は、9月のシルバーウィークに北海道へ行くべく、予定を立て始めました。

・・・7月、8月、9月の三ヶ月、この夏の予定は、ステイ・アラートで、どんどん立てていって、いいですよね?(と、神様みたいな感じの人に尋ねたい気分です)

とはいえ、世界が経済優先で、少々の無理をしている感も否めません。アメリカやヨーロッパ各国では、自粛に耐えきれず、「とはいっても、仕方なし」という基準で、ロックダウンを解除し始めています。コロナ禍にさんざん苦しめられ、恐怖を知ったかの地なら、その強引さの中にも警戒はあるでしょうが・・・

怖いのは大陸の全ての国で新型コロナの感染が確認されたアフリカ、そして、ロシアを抜いて感染者数が世界で2位まで急増しているブラジルです。インドでも、感染者の封じ込みには手を焼いていると報道されています。

元々は中国の武漢から、ヨーロッパやアメリカに渡って広がり、ここ日本には、距離的に近い武漢からのウイルス感染よりむしろ、ヨーロッパやアメリカから持ち込まれたのではないかという報道もありました。

舵取り役の誰もが口にする第2波。これは必ず来るということを前提に今回の解除に踏み切っていますが、この第2波のやってくる元は、いったいどこになるのやら。それが心配だという気もします。

夏から秋にかけての大規模イベントは軒並み中止になっています。来年の夏に延期された東京オリンピック・パラリンピックも、今年の10月に判断すると言われています。ちょうど、重要判断をする時期、今年の秋に第2波が世界中を席巻していたら、これは東京オリンピック・パラリンピックの中止という最悪の結果になるかも知れません。それだけは絶対に避けたい所です。

中止といえば夏の甲子園大会。同時に、インターハイまで中止になって、高校生のスポーツの祭典が今年はゼロになっています。高校生の部活動において、間違いなく注目度と人気の一番高い球児達の汗と涙が見られないのは、淋しいのひと言に尽きます。そして、何より、当の本人達。球児にとっての甲子園という目標の損出は、計り知れません。

この春、小池東京都知事は言いました。桜は、きっと来年も咲きます。お花見は、来年していただくように、今年は自粛をお願いしたい、と。来年、、、もう高校生ではない今の3年生たちの想いを考えると、胸が痛いです。この春と夏の全国高校野球大会を中止にするということと、それを受け入れる子と。

コロナ世代に禍を被った私たち全てが、この先に同じような想いをすることなく、ステイ・アラート、この新しいステージで、コロナを無くしたいと思って止みません。

私語厳禁で接触なし、水泳の授業なし、クラスの全員が同じ時間に同じ空間で学び触れあうこともなし。そんな風に再開された学校で、柔らかい子供達の心と脳に、今の時代がどう入り込み、この先にどんな副作用をもたらすのか。

考えれば考えるほどウイルスは怖いです。そして、このウイルスが10年単位で発生を繰り返している国には、もっと真剣に、しっかりと「変える」必要があるように思います。



■2020年5月16日
「サプライズ・マカロン、パリに行きたい」

緊急事態宣言が解除されて初めての週末。東京は雨です。九州は大雨のようで、関西も雨だと言います。これで、ザ五月晴れだったなら、解除の開放感で、ふわ〜っと外出する人も多かったのでしょうけど、雨で、良かったんですかね。

それにしても、日本全国47都道府県のうち、その8割に当たる39県で緊急事態宣言が解除されたのに、(東京に住んでいないとしても)まだまだ自粛ムードの延長を感じさせませんか?

これは第2波を恐れて慎重になっていると言うよりも、もっと単純で、解除されていないエリア、東京と神奈川(加えて千葉と埼玉)、そして京阪神、北海道の8都道府県の人口は、ざっくり日本人の2人に1人ですからね。そりゃまだまだですよね、感覚的に。

嗚呼、はやく美術館が普通にオープンしてくれないと、ピーター・ドイク展が終わってしまうじゃないか、とか、近所の焼き鳥屋で普通に飲みたいな、とか、週末はやっぱり家族で出かけたいな、などなど。息子も、学校はもちろん、サッカースクールもオンラインでストレッチをするぐらいの我慢の日々ですからね、もう、大阪モデル並みに、解除していきませんか、と、完全に自粛疲れです。

そんな自粛生活の中で、母の日(今年は、1日に集中させずに、母の月間にしようとしているようですが)のサプライズを息子とタッグを組んで決行しました。先週の日曜日、2020年の母の日。まずは、それから遡ること2週間ほど前から話を始めて行きます。

5月に入ってすぐだったか、何かのテレビを見ながら母の日ということを知った私は、今年はテレワークでずっと家だし、息子も休校で家。ということは、どこかに花をかったりプレゼントを揃えるのも無理かな、と思っていると、逆ラッキー。普段は宅配サービスをしていないピエール・エルメ・パリが、23区内限定で宅配してくれると知り。

調べてみると、日時指定もできたので、母の日当日の午前中を指定してマカロンを注文しました。ちょうど注文し終わった日の夜だかに、息子が、テレビのコマーシャルで「母の日」のことを知り、小声で、「パパ、母の日、どうする?」と聞いてきました。「ん?どうする?お花を買いに行く?お手紙書きなよ」なんて言いつつ、「さっき、ママが好きなお店でマカロンっていうの頼んだけど」と伝えると、グッジョブと言わんばかりに親指を立てる息子。

後は、ママにばれないように、手紙をかくだけだね、なんて言う8歳の少年は、なかなか頼もしいものでした。数日間、手紙に印刷する写真を選んだり、花の宅配がないかを調べたりしつつ、結局、息子用と私用の手紙を印刷。そこに私から長めの手紙を書きました。

息子を呼び、手紙を見せると、いいねぇ〜と(と私は褒められ)、書くことをいろいろと考え始めました。朝、昼、夕方と、テレワーク中の私の部屋に入ってきては、少しずつ考えて、ああでもない、こうでもないと言いつつ長い手紙をしたためました。

で、当日。午前中が終わろうとしていた時間帯に、ようやくマカロンが届き。ぴんぽーん、は〜い、と妻はいつものように取りに行こうとするから、慌てて私が玄関へダッシュ。息子は、(ものすごくわざとらしく)パパのだよ、パパの荷物だから、と妻をブロック。まぁ、このわざとらしい寸劇に疑うことをしない妻は流石で、私は、息子を別室に呼び、届いたマカロンとしたためた手紙を持ってリビングへ。

スマホ中のママに、息子から・・・。

「うわ〜、なに、なに」「はい、母の日の」「え!やった〜エルメー」なんて息子と妻のやりとりを私は遠くからビデオに収めつつ。



マカロンと手紙。母に感謝。



どれどれ、この色のマカロンは・・・何味だろ。え〜。おいしそう、あ、ぼくコレ食べたい、やっぱりこれにするかな、なんて、6コしかないマカロンを、勝手に一人2つずつね、なんて決めてしまう息子。いやいや、母の日のプレゼントなんだよ、と・・・。

美味しい珈琲を私は入れ、妻はちょっとスパイシーなチャイにして、息子は大好きなミルク。で、頂きます、と。



もう、パリって何、どんなけすごいの、おいしいの!これは、恐怖のハッピーじゃん、なんて。パリに行ったら、いきたい所だからけ、と妻ははしゃぎだし。マカロンは恐らくデビュー?の息子も、即どはまり。私がマカロンを知ったのは、社会に出てからで。そう考えると、今の子供って、ほんとはやいうちから、この複雑で、面白く、丁寧な味を体感できるんですから、羨ましいですよね。

完全自粛で、おうちに居ながらのサプライズ・マカロン。それが余計に出かけたくなるし、うずうずします。今は、タイムズ・スクエアも、シャンゼリゼ通りもピカデリーサーカスも、ガラガラで人出はないですが、うずうずがね、もう止められなくなります。OH、PARIS, 早く行きたい。



■2020年5月9日
「前倒しで実現したコロナ後」

自粛ムードの解除は、確かに、難しい舵取りなんでしょうね。例えば、新型コロナ感染者の数が押さえ込めたかに見えた韓国でも、解除後、夜のクラブに若者が集まり始めて、そこでクラスターが発生した、なんてニュースを聞くと、ここで、日本も「はい、解除」となったら、第2波が怖いですよね。とはいえ、このままの自粛ムードで、うちにいよう、と言い続けていると、経済はぼろぼろ、立て直しにどれだけの時間がかかるのか分かったもんじゃありません。

5月6日というゴールデンウィークの終わりをゴールに、なんとか我慢しよう、と頑張ってきた緊急事態も、宣言が延長されました。そんな決定を待たずとも、東京に住んでいると、延長はありきだと思っていましたが、ライブハイス、映画館、個人商店など、2ヶ月間の売り上げ減でも相当なものなのに、ここからさらに1ヶ月となると、限界を超えてたたんでしまおうか、という判断になると聞きます。

このまま営業を続けても、V字回復は早々に見込めず、借金を増やすだけだ。で、あれば、判断ははやい方がいい、と。自営業の家で生まれ育った私にも、「その判断のタイミング」というのに苦心して、悩みに悩むという情景は浮かびます。そこで出した判断が、正解か不正解かなど誰にも分からず、結局は、考えるだけ考えたら、そこで1つの答えを出して、その答えは「正解」なんだと思う、もしくはこれからの人生で正解にしていく。それしか、ないんですよね。

家賃補助、仕送りの減った学生、アルバイトの減った学生。そこに国からの補助金を出す。一人10万円という補助にプラスしてということなんでしょうかね。今は非常事態なので、手助け(補助)は考えられる限り手広くしっかりとやった方がいいですが、はたと、手続き面倒だな、というのがまず頭に浮かびます。それは、こういう類いには付きものという感覚かもしれません。簡単でかつピーディーに。言葉ばかりが先行で、安倍さんはいろいろと言いますが、(わが家は来ましたが)マスクも、ねぇ。わずか数%しか配布されてないところをみると、言うほど、簡単じゃないんだろうな、と思います。

アベノマスクが配布される前に、花屋やタピオカ屋ではマスクが50枚入り3000円ほどで出回っています。どれもこれも中国製。箱の中には、オール中国語で、品質を保証するような検品合格証明(のようなもの)が入ってます。それを見ると、ぎょっ、としてしまのが正直なところです。まぁ、だからといって、トランプさんのように攻めたりはしませんが。あの大統領は、やっぱり政治家ではないですよね。人と比べて、他を蹴落として自分の位置を高く見せるという、一昔前の?ビジネスマンマインドしかないようです。大統領選、どうなるんでしょうね。あんな状態でも、まだ再選とかあり得るんでしょうかね。

真珠湾よりも、ワールドトレードセンターよりも、今回の「攻撃」の方がひどい、というような、ひどいつぶやきをぶつくさ言ってる始末で、いやいや、今、世界はそういう状態ではないでしょ?と言いたくなります。我が国の総理大臣は、それでも、トランプ大統領と、がっちり握手するんでしょうかね。

いやぁ、今はまさに渦中、コロナ禍の中でその終息を願っているばかりですが、このコロナ後、いつまでも尾を引きそうなのが経済です。これだけすさまじいダメージですからね。予測不能な痛手が待ち受けてそうで、先行き不安は増すばかりです。

今、ここで、今しかできないことを、しっかりとやっているかどうかの差が出る先行きです。なかなか何事にも手に付かない状態ですが、それでも何かから手につけておかないと、と考えれば考えるほど焦りが出てきて。そのぐるぐる回る循環の悪さに、嗚咽しそうです。だけど、まぁ、考えても仕様が無いから、とにかく笑おう、と言わんばかりに、トータス松本は、「とにかく、笑えれば」を替え歌にして、「とにかく、洗えれば」。手洗いの徹底を歌ったりして。

接触を避けて繋がろう。そんな世の風潮も、これはみんなで立ち向かうことなんだという現れだったりもするんでしょうね。

5月末まで、東京、名古屋、大阪、福岡を初めとした都市圏、そして北海道、茨城、岐阜、石川といった場所にまで、特別警戒を呼びかけながら、それ以外の県では、5月末を待たずして、解除していこう。そんな苦肉の策が考えられているようです。まずはレストランを解除、ついで映画館や美術館などを解除してから、ライブハウスやナイトバーも解除に近づける。

6月から徐々に「普通」に戻していきながら、8月には、ある程度普通に新幹線にのったり、海へいったりを出来るのかな、、、

なんて思っていると、9月開催の大きなイベントもちらほらと中止を決めるようになって、これは、まだまだ自粛ムードの中で、長期戦の構えなんですかね。

8月の予約しているホテル、どうしよう、なんて個人的には悩んでいます。9月の連休も、もういい加減に旅したいので、いろいろと調べているのですが、まだ、なんですかね。慎重に、慎重に、この自粛するムードの巣ごもりが定着してしまうと、爆発的な回復というのも、サービス業の中では考えられないんですかね。

ここはひとつ、これまでのように、何処か限定された地域だけ、とか、何か限定された業種だけ、に襲った打撃ではなく、未曾有の、何処でも何でも被害被った痛手です。

言ってみれば、これまでには経験しなかったような禍の中で、これまでには無かった発信や受信、繋がりや気持ちのキャッチボールというのも一方では出来ているように思います。オンラインで、別々の場所からオーケストラを奏でてみたり、得手を活かして広く呼びかけあったり。そんな繋がり、発信を受けた後の、コロナ後の世界。それは、経験したことのないような新しい世界になっているという可能性もあるわけです。

あまりにも伸びすぎて、もう限界だとばかりに自分ではさみをいれた虎刈りヘアーの自分の頭も、今日、久々に美容院へ行ってすっきりしてきました。それだけで、気分は晴れました。これから、ちょっとずつ、我慢していた〈普通のこと〉ができるようになって、そこには、これまで感じたこともないようなスッキリ感があったりもするだろうと思います。

そんな小さなことを、しっかりと噛みしめて積み上げていくコロナ後の世界を想像しながら。2月の中旬では思ってもいなかった状況に三ヶ月後の今、置かれています。それと同じ可能性で、三ヶ月後の8月、どうなっているかは「今」次第と言うことになるんでしょうね。

とにかく確実に言えることは、多くのことが、前倒しで試行されて、半強制的に実用化されたことが多いことです。ゆくゆくはやって来るだろう遠隔操作で繋がる世界、グローバリズムという名の下に勝ち負けばかりが目立った経済の世界ではない、国境なんて知らん顔で超えて来る脅威に備える術、などです。

この前倒しで実現したことが定着しつつのコロナ後が、新たなるスタンダードに。と、なんだか先週も同じようなことを書いた気がしますが、とにもかくにも、実感するのは前倒しの実行の数々です。もう、元通りはありません。新しい何かを享受する世界です。コト消費に焦点をあてて組み立てた策を、少し矛先を変えて何に向ければいいのか。この強風の中で、その中から次の風向きを少しでも感じ取りたい。

しくじって、つまずいて転んで、情けない。でも、結局は、

とにかく笑えれば
とにかく笑えれば
とにかく笑えれば
とにかく笑えれば
ハハハと笑えれば
BY トータス松本。

昨日の天声人語に、広島市中区にある超覚寺住職の和田隆恩さんの標語がありました。これはグッときました。

〈子ども怒鳴るな来た道じゃ お年寄りいたわれ来る道じゃ 感染者責めるな同じ道じゃ〉

〈したいことはあきらめずに。すべきことはあせらずに。できることはくらべずに〉

〈感謝の日差しで花が咲く。不満の嵐で花が散る〉



■2020年5月2日
「今、ですか?」

STAY HOME, SAVE LIVES、いのちを守るステイホーム週間に(本格的に)入りまして。今日からガッツリ5連休という人も多いのではないでしょうか。嗚呼、なのに、今日の、この無駄に良い天気。気持ちのいい風、優しい日差し。ふら〜っと外に出たいところをグッと我慢して、洗濯物をこれでもか!というほどベランダに干して、それらがそよぐのを眺めながら、うん、観葉植物も出しておくかと、外に出て、なんとも透き通った青空。

まったくもって、なんなんだ!今年のゴールデンウィークは!さすがに、これは経験したことのない事態です。

どこにも行けない(行かない)1週間というのは、思い返してもないです。が、仕方ございません。ここは我慢です、我慢でございます。とにかく、うちにいましょう、と。私の家の前の公園も、朝のランニング(午前6時)は、ラジオ体操の人、太極拳の人、そして走っている人で多いですが、昼前から午後にかけてのこの時間になると、人出はグッと減っています。が、だからか?(いやそれはだめでしょとも思うのですが)大胆にもピクニックをする人たちがいたりもします。

わが家も(もちろん)ステイホーム、うちで過ごしています。と、このうちで過ごす時間は、「今しかできないこと」「前向きに考えて」「とにかく楽しんで」「なんとか有意義に」という事ばかりに、とらわれます。テレワークと休校になって、ここ1ヶ月間以上、ずっとうちで過ごす時間のことを考えて、、、それを有意義に、意味あることにしよう、しようとプレッシャーで、疲れてきました。

ボーッと、ただただ何もせず、飲みたいときに、いつもより丁寧に珈琲を入れ、昔の本を読んで、配信されている映画やライブやお笑いを見つつ、ソファでうたた寝。そういうのでいいのではないか!と思うのですが、まあ、実際、そのぐうたらした感じも、疲れてきて。うちにいる(=在宅)って、こんなにも疲れるんですね。

それにしても、一気にテレワークが進みましたよね。

何かに備えて〈準備する段階〉では、なかなか通信機器も勢揃いするには至らないところ、こういう状況になると、一気です。職種的に可能である人は、ほとんどがテレワークをしているんではないでしょうか。WEB会議も回数を重ねると感覚もつかめてきて、すっかり「普通」になって来ました。テレビ番組でも、リモートで参加するコメンテーターや芸人さんに見慣れてきて。

やったら、やったらで、なんとかなる、というところでしょうか。これはまさに、コロナ禍の後、定着しそうですね。追い詰められたら、できちゃうんですね。で、この〈勢い〉で、9月入学だ!というのが連日話題です。

確かに、特に学生にとっての9月始まりは、いいことずくめです。留学も、夏の暑さ回避も。だから、なんとか9月の年度始まりを実現させたい、というのは四半世紀前からありました。が、やれ会計年度の問題に伴う企業の新入社員受け入れ時期、果ては、桜がない卒業と入学はちょっと・・・という、なんとも現状維持バイアスのかかった、変化を嫌う集団心理が9月入学を実現させませんでした。

今は、3月、4月、5月と学校は休校。息子の小学校では、新しい担任の先生が、先日電話をくれて、子供の体調調査をしてくれました。が、です、先生の名前を聞いても顔知らず、息子にいたっては、小学3年生なのですが、一度も登校していないので、(もっというと、小学2年生の終わりも、ちゃんと区切れてないので)3年生という自覚は薄いようです。というより、ないです。

教科書配布、課題の提出・配布のために、●年○組、出席番号00〜00番までは、◎月△日の00時から登校、と書かれても、まったくもってピンときません。

こんな状態(休校)が、例えば8月末まで続くなら、「さぁ、今でしょ」と言わんばかりの9月新学期説。まぁ、机上で云々、何度シュミレーションをしても同じだよ、と。こういう危機的な時に、一気に変えないと。このピンチは、絶好のチャンスだよ、という声が大きいです。

そんな「声」を聞きながら、私は、ここで仕切り直すことに、なんとも言えない、というのが本音です。そもそも、9月入学・新学期には賛成なのですが、「今」ではないような気もして。つまりは、それとこれとは別というのが本当のところで。

だけど、朝ドラ「エール」で、薬師丸ひろ子さん演じる音の母親は「頭では駄目だっておもっているけど、心がいうの、行け!って、ゴーって」というようなセリフを聞くと、まぁ、そうだよな、ここで仕切り直してたら、たぶん、有耶無耶で9月の線は消えるだろうな、とも思ったりして。

そんなことを思っていると、今朝の朝日新聞に日本PTA全国協議会の発言が載っていました。「現在のような社会の混乱期に一気に導入する、という性格のものではない」。と。これが、一番、やっぱり私の中ではピンと来るかなとも思えます。が、慎重にというのは当たり前で、そりゃ、そうだよ、わかってるけど、いつまでも慎重に、慎重にって言ってたら、いつまでたってもできないよ、という声も分かるような気がして。ぐるぐると振り出しに戻っては、何とも言えない気分です。

確かに、コロナ以前とコロナ後を、「元に戻す」ために我慢し耐えているのではなく、新基準、新しいスタンダードへのインターバルだと考えるのがよさそうです。で、あるなら、う〜ん、9月の年度始まりもね〜、少々強引でも一気に今、した方がいいのかなぁ、〈そういう性格のものではない〉んだけどな〜、と。

仮に、この9月から年度初めで、息子は3年生になります、ということになったら、4月〜8月までに生まれた子は4年生?というわけにはいかないから、とにかく、+3ヶ月、それも休校だったので、それを無しとして、自然と9月から4月〜翌3月までに生まれた子が、同学年として、9月〜8月までの年度で大学生まで行くんでしょうね。今の小学校1年生から大学3年生まで、この15年間の子供が、空白の3ヶ月を過ごした世代となる?

あ〜、なんだか、やっちゃえば?と言う気もしてきました。だって、尾木ママがテレビで言ってましたが、3〜5月まで休校で空白だったのに、残りの月数で土曜授業を増やしたり、夏休みを削ったりして、体育とか行事を削って、削って、強引に詰め込むより、うん、いいですよね。

クリスマス&ニューイヤーズホリデー(冬休み)まで、9〜12月が1学期、年明けからイースターホリデー(春休み)までの1〜4月が2学期、最後、夏の暑い7〜8月を夏休みにして、それまでを3学期という具合。欧米をはじめとした諸外国と同じになる。

そうなると、残暑厳しい9月に晴れ着を纏うなんていうのも、必要に駆られて減って、薄着の軽装の入学というのが増えるんですかね。まぁ、今でも、1月は一年の始まりで、4月は年度の始まりという訳の分からない区切りがあるわけで、となると、1月は一年の始まりで、4月は会計年度の始まりで、9月は新入社員が来る始まり?会社も、結構、複雑になりますね。

いや、複雑というか、全員が全員、同じ時期に入社してくる、なんとも学校の入学式のような入社式っていうのがあって、同級生のように同期が同じか1つ2つ違いの年齢でいて。そういう学校の続き、みたいなものもなくなるんでしょうね。企業は、必要な時に、必要な採用をして、働く側も、働く時に、働くというか。みんな一斉に、よーいドンで、という会社の変な慣習も、例えば、ここで一気に9月入学・新学期を導入すれば、変わったりするのかな。

それなら良いのですが、やっぱり、どうしても頭より心がいいます、「今、ですか?」って。



2020年4月25日
「紙が落ち着きます」

都立公園の遊具を(すべて)使用禁止にする。昨日の朝から、家の前の都立公園も、遊具という遊具に「立ち入り禁止」の黄色いテープがぐるぐる巻にされるようになりました。なんとも、おぞましい光景です。この遊具で、何かしらの大事故か、大事件があったかのような。寄せ付けず、危険いっぱいのかおりがしました。新型コロナウイルスは、子供たちから、遊具まで取り上げました。

公園ぐらいには行って、思い切り遊ばないと、元気が余って仕様が無い。この4月から小学3年生になった(といっても休校なので、実感はぜんぜんないでしょうけど)息子には、走り回ることが必要です。なので、毎日、時間割通りの家庭学習を終えると、暗くなるまでサッカーをしに遊びにいっていました。普段ならスクールやチームでサッカーをしているお兄ちゃん達もいるので、息子には楽しいらしく、まあそれも良い機会だと思いつつ。

が、ついに近所にもコロナが迫ってきました。今は、詳細に、どこ(どの施設)から新型コロナ感染者が出たかがわかるアプリがあって、それで見ると、出るわ、出るわ、近所のクリニックで1名、ドラッグストア近くのクリニックでも1名、一番近くの大きめの病院ではなんとクラスターが発生していました(ちなみに、近所ではないですが、去年の夏、熱中症で私が緊急搬送された品川区の病院でもクラスター)。どれもとても身近で、ぞっとしました。

例えば、よくいく繁華街や、オフィス街で新型コロナ感染者が出ても、「ああ、ヤッパリ怖いから在宅にしよう」と思っただけですが、住んでいるエリアに迫ってくると、話は別です。安全地帯が犯されていくような危機感があります。なので、息子には完全外出禁止(朝のランニングの時だけ外に出て)にして、おうち時間を過ごさせようと(今朝は、暖かすぎて、ランニングの後2時間ぐらいサッカー仲間と遊んでましたが)思っています。

普段は買わないアイス、ジュース、飲むヨーグルトにお菓子、唐あげ棒などなど、なんだか、こういう状態だと、「欲しい」「駄目」のたがが緩むと言いますか。(私も私自身の小学生時代)思い出すのは、とても天気の良い昼休み。ドッジボールがしたくて、したくて、なのに光化学スモッグ注意報で運動場に出られず。あの時の、なんとも言えない腹立たしさ。

だから、息子の気持ちが痛いほど分かるので、ついつい「駄目」から、「だから駄目だって言ってるでしょ」と強くでるところ、「う〜ん、ま、、じゃ1つだけね」と買ってしまうのです。

いや〜、それにしても家に居る時間に比例して、なんだかんだ口の中に入れて食べてしまいますね。

気付いたら、アルフォート(チョコ)1箱食べきってた!みたいな状態です。なので、毎朝ランニングして、夕方は腹筋や腕立てなどを軽くやって、夕食は炭水化物を抜いて。そういうことをして、痩せていくという目標設定は、この期間中はペンディングにして、とにかく、現状維持を目標にしています。

スマホもiPadも、テレビもパソコンも、どれもこれもデジタルデバイスは長時間になると、とても疲れて、気付いたら、ふと、本を開いています。

今野真二著「『広辞苑』をよむ」(岩波新書)。新書を読むのはとても久しぶりで、広辞苑をよむ気分で読んでいるのか、ただただ筆者の「いちゃもん」に追随しているのか、まぁ、いずれにしても、まだ読み始めなので面白さは見えてませんが、何も考えず、ぼんやり読めるので開いてしまいます。

とにもかくにも、毎日、毎日、WEB会議やメール、チャットなど電磁的なやりとりばかりで、公私ともに電磁疲れです。先日、思わず電子書籍で買ってしまった荻原浩著「神様からひと言」(光文社)も、読みだしたら止まらず、余計に目がつかれるのでAmazonで書籍を買い直し(文庫本が出てた!)ました。

紙が落ち着きます、こうも電磁波だらけだと。

朝から晩まで、閉ざされた家の中で、仕事(在宅勤務)もプライベート(外出自粛)も、スマホ、PC、タブレット。で、ちょっと気分転換に誰かと話したり、何処かに食べに行ったり、買い物に行ったり・・・も、全部オンラインで!?

安倍首相は、ゴールデンウィークの故郷もオンラインで、という意味不明なオンライン帰省なるものを要請してきました。そんな記者会見をお口あんぐりで聞きながら、まぁ、誰かと話すのもオンライン、食べに行くのはウーバーイーツ、買い物はAmazon。まぁ、そんな時期ですからね、本が、紙が、ほっとしたりします。

ちょうど、息子の本棚を買って、それまでリビングの本棚に入れていた息子の本たちがお引っ越ししました。ですので、あいたところに、大事に取っておいた雑誌たちを移動させました。

BRUTUSから派生して、建築系は「Casa」、そして旅行系は「TRIP」だった、そのTRIPの創刊号から3号まで(創刊号と2号は和綴じ)の大判雑誌をペラペラめくり、Numberのアトランタ五輪からシドニー、アテネ、北京、ロンドン、リオのオリンピック特集(毎回3号でます)を勢揃いさせて、Penのエアライン特集を並べて。

ペラペラ、ペラペラ、ああ、雑誌ってやっぱりいいな、と思ったりもします。POPEYEが今の形になる前、まだ中綴じで迷走してた?ころのチューやんを表紙につかった旅特集や、小泉首相(当時)を武士にあしらったクーリエ・ジャポンの創刊号、そして、BRUTUSのたった1つの島に1つのリゾート(モルディブ特集)の号などを見たりして、時間があっという間に過ぎたり。

手に取る。そして開き見る。この動作が、心地よく感じるほど、普段は便利で快適で快速なんですよね、生活が。

だから、書籍も雑誌も売れずに出版不況があったのですが、これは、もしかすると、こんなにも「出かけずに済む」ことが増えると、家の中では逆に、手に取るモノが求められていくのではないか?とさえ思えてきます。

本当なら、ゴールデンウィークを目前にして気分が高揚している時期でした。なのに今年は、ゴールデンではなくステイホームなウィークに。ソーシャルディスタンスは2メートルで。スーパーも3日に1回に。緊急事態宣言から2週間がたって、都内感染者数は100人をずっと越えています。これは、何もしなかったら300人、600人になっていたところ、外出自粛要請と、それに応えた多くの企業のおかげで100人台キープなのか。

その辺りは分かりませんが、コロナとの闘いは、まだまだ終わりが見えません。感染者数が1万人を突破してなお、2%台の死亡率。この少なさは、本当に、医療従事者の方々の努力のたまもので感謝しかありません。

恐らく、緊急事態はゴールデンウィーク明けの5月6日では終わらないでしょう。早々と夏の京都の祇園祭も中止になったし(祇園祭りは、本来、流行病をおさめるため、矛をたてて町中を練り歩き、その矛に病のもとをあつめて池に沈めてしまうというのが始まりなんですが・・・)、ドイツでは、秋のオクトーバーフェストも中止になりました。

長期戦です。耐えるばかりでは身が持たないので、この時期をどうやって暮らすかの知恵が必要です。アベノマスクはまだ来ません。店にもマスクはありません。なのに、マスクは箱買いできるという謎の仕入れルートをもった雑貨屋などもあり。この混乱ぶりに、福井県は、なんともスマートな方法をとったように思います。マスク券を配って、希望者に販売する。これは福井県ぐらいの人口だからできることなんでしょうけど、東京都も、もっと知恵があってもいいのでないかと思います。

とにかく、自粛。補助金はこう、だからステイホーム。この一点張りでは、疲れます。耐えろ耐えろは、もういいです。何か、こうもっと前向きな、楽しい我慢の方法を。

コンテンツが不足して、ドラマは軒並み再放送。朝ドラは今の所わくわくする感じで進んでますが、これもいつの放送分まで収録されているのやら。だからこそ、プロ野球とJリーグが無観客で開幕(試合再開)するというのは、賛成したいです。

今、息子と妻は二人で「絵しりとり」をしています。私もこれを書いたら参戦します。父(私)の絵心、なめんなよ!



■2020年4月18日
「今の危機を機に」

ニューヨークの「ハイライン」に対して、ロンドンでは「ロウライン」の開発が進んでいる。そんなニュースを読みながら、いつもなら、行動する(=旅する)イメージがわき上がるのですが、今はひたすら脳内TRIPしかなく・・・。自宅で、ネットをサーフしながら、ただよっては「いつか」と思うばかりで。雑誌「BRUTUS」の恒例の旅特集も、キャッチ文は「いつか旅に出る日。」

本当、はやく終息して欲しいと願うばかりです。

ちなみに、先述のロウラインは、雑誌Penの井上陽水特集のGW合併号にありました。ロンドンの中心部東側の鉄道高架橋、そこを地域のエコ&クリエイティブの拠点とすべく再開発されるそうです。と、ググっている(Googleで調べる)と、ニューヨークでもハイラインの次は、地下鉄の空間にロウラインを造るとかなんとか。東京でも、渋谷の山下公園をパーク化して、この夏にオープン予定ですからね。街って、いろいろな変化があるので面白いです。

はずなのに、今は、もはや、第三次世界大戦(安倍首相の言葉とされる)。

世界中が、新型コロナウイルス感染と「大戦」している真っ只中です。歴史の教科書で覚えた世界恐慌、それをも上回る経済的な打撃、ああ、リーマン・ショックですら失われた世代が発生したのに、今回のコロナ・ショックに伴う損出(不況)は、いったい、どこの世代にまで尾を引くのやら。

確かに、止まない雨はないし、明けない夜もないですが、止んでから、もしくは夜が明けてから、それからの、ぬかるみが、とても心配で、不安で、恐れです。

最近の私は、先週に続いて、朝6時に起き、家族で公園をランニングして、それからずっと、家にいる巣ごもり生活を送っています。

中原中也や種田山頭火の、詩集や句集をひっぱりだしてきては、読みあさっています。短い言葉の中にある膨大な光景、深層、暗さ/明るさ、そういうものをうちの中で、空気を吸って、吐いてます。

それが酸素/二酸化炭素なのは知識だけの話で、ぼんやり眺めていると、鴨長明のゆく河の流れの如く「おなじ空気」にしか感じません。よく考えると、どれもが違う空気の粒なんでしょうけど。

平日と週末、昨日と今日と明日、それぞれの境がどれも曖昧で、やっぱり、ずっと家で一緒に暮らしていると、普段ならどうってことないことまで、苛々としてしまうのは、しかたないんでしょうね。

空気を入れ換えて、気分のスイッチを切り替えて、今はとにかく乗り切らないと。

東京での一日の感染者数、23区内の内訳(ダントツの世田谷区)、全国の感染者数、世界の感染者数、死亡者数。何千、何万、何十万という数字だけが示されて、見た端から正確な数字は忘れて、あれ?どうだっけ、なんて。

一人一人の人生が、ウイルスに感染し死んでしまっている「1」なのに、それをあれ?どうだっけ、なんて言っているのが、大震災の時もそうでしたが、すごく違和感です。

特に、小池都知事の記者会見。冒頭、必ず、企業の営業会議よろしく、数値報告から入ります。安倍さんも、その傾向がありますよね。だから、薄っぺらく、形式張ってて、慣習にそって、お作法通りであることにのみ安心するだけの、会見になるんですよね。

そんな会見よりも、例えば、元日ハムから阪神で活躍した片岡さん、石田純一さんなどの「姿」の方が、コロナの恐怖を直球で教えてくれます。外出しない、自粛しないといけない、それは、家族を守ること、そのためなんだと、強く思わせてくれます。

コロナ格差、テレワーク格差など、満員の街に出て行かざるを得ない人達に、そんな言葉が刺さります。テレワークできるなら、そうしたい。でも、できない。そんな設備の整った会社じゃないから。

なんだかんだ、上司はそろって出勤してるし、こわいね〜、たいへんだね〜、なんてマスクもせずにしゃべっているし。「こんな会社に勤める私は、子供を、こんな会社に出勤するために、保育園に預けてきています」なんて方の声をネットニュースで見ました。

在宅勤務、テレワーク。これを「勤務」とする以上、確かに、テレワークが出来る/出来ない、になるかもしれません。テレワーク出来ないから、出勤せざるを得ない、と。

ただ、こと東京に限って言えば、一日200人以上が感染して、今まさに重要局面、なのに、中途半端に、とはいえ「在宅では、働けないから」と出勤してしまってます。

今って、家にいる(在宅する)こと自体が、貢献であり、ここでの忍耐(というか思い切り)が、働くことではないですか?そんな風に、考え方を柔らかくして、大切な命を守りませんか?と言いたくなります。

週刊マンガ雑誌の発売も延期されて、新ドラマも、映画も、舞台も軒並み延期に中止。テレビ局の本社ビルすら封鎖する時代です。作っても売れず、売れたとしても運べず、物流は生活必需品から優先されて、ここでも「不要不急」は後回しなんです。

なのに、そんな時代の、大きな流れの中で、例えば、週が明けた月曜日、会社に出勤して、いったい、何をしようか?という状態の人は、行くの止めておきませんか?

何となく出勤する、っていうほど、東京は安全ではないということが、(ウイルスが)目に見えないだけに、、、鈍感なんですよね。まぁ、毎日毎日、一ヶ月近く在宅勤務というのも精神・肉体的に疲れるので、これまでよりも7割減、週5日のうち、3日は家から出ないというのを、みんながすれば、変わってくるんですけどね。

そう考えるのと、裏側に、今のコロナ対応の生活を支えるために働いている方々への感謝。医療従事者はもちろん、スーパーの店員さん、物流関係の皆さん。テレワークなんて存在しない「現(生の)」の仕事に対して、敬意と感謝の気持ちしかありません。

不要不急。絶対に必要(必須)でもなく、急ぎでもないもの。それらは避けよう。分かります。本当に今はそういう時期です。が、いつも思うのは、不要不急のものって、万民、誰にとっても基準は一緒か?ということです。

それぞれの人にとって、「その時、すぐにでも、必要なもの」が、この全体「停止」の中でも考慮されて、その人に向けてちゃんと届けるというムーブメントが起こっていることを見聞きすると、本当に頼もしいです。

アプリを使って、それぞれが別々の場所から1つになる。Zoomで集まって、婚活パーティをしているという記事が日経MJにありました。なるほど、リアルに人が集まってやっていたことを、バーチャルな空間でもやってしまうというのも良いですよね。

今のように、強制的に〈せざるを得ない〉という状況でもなければ、婚活をZoomのネット空間でするなんて、注目度もなかったでしょうけど、こうなれば、やってみようかという人もたくさん出てきて、これが、主流になったりもする可能性があって。

よく聞くのは、Amazonです。やってみたら簡単なのに、、なんか面倒そうでやらなかった人が、必要にかられてやってみたら簡単すぎて、はまってしまった、と。その人は、「今の危機を機に」Amazonにとってのニューカスタマーになったわけです。

今は、今です。明日、明後日につながる今です。だからこそ不安です。先が見えて、その先に向けての蓄えなりが目減りするからです。が、例えばもっともっと先。コロナ後の先の先は、どうせ何も見えません。見えないずっと先を心配して、胃が痛むなら、もうどんと来いで、開き直って、夢ばかり見ようかと思います。

今日はすごい雨でした。明日は雨も止んで暑くなるそうです。外には行けませんが、天気は雨より晴れの方がいいです。家で、Amazonプライムで、映画を見るにも、雨より晴れの方が、やっぱり良いです。



■2020年4月11日
「STAY AT HOME」

緊急事態であることは、宣言されなくとも、ここ1ヶ月半ほど、ずっとそうなんですが、いざ宣言されると、事態の緊急度というか非常度があがったという印象です。私自身の生活も、完全に外出自粛、家で、ずっと、じっと、ワーク&ライフです。

子どもの学校は休み。私も妻も仕事は家。となると、毎日が、日曜日状態と勘違いしがちで、その切り替えは、とても難しいです。私が子ども頃、職人だった父は、ずっと家の仕事場で型を彫っていたので(着物の)、唯一、私自身の学校のあるなしが、平日と日曜を分けていたのです。が、まぁ、それも今のわが家には、ないですからね。まさしく緊急事態です。

ゴールデンウィークが明ける5月6日までの一カ月間。基本、家から出ない、STAY AT HOMEでお願いします、と。ペットの犬に「ステイ!」といって餌を我慢させ、「ハウス!」といって小屋に戻す。ハウスとホームの違いはあれど、まぁ、ここは、それぐらいの忍耐の時期なんでしょうかね。

とにかく、これからは、外出をせずに、ホームで頑張った一日を、自分で褒めながら、いきたいです。

さて、そのステイ、です。これは、まったくどうしたもんか。ついつい勝手にチョコに手が伸びて、砂糖・ミルク入りのコーヒーを何杯もおかわりしてしまう。食っては動かず、じっとして、また食って。在宅(勤務)太りというのを先月、1ヶ月ずっと在宅勤務だった人たちが言っていたのを思い出しました。

そりゃ、ついつい、ね、食べちゃいますよね。「ま、休みの日ぐらい、いいっか」と思って(非平日的な暮らしを)家で過ごしてきたのが、いきなり平日も家にいるわけで、それも1ヶ月の単位で。家にいる=休日=ま、いいっか、という体にしみついた「ついつい」が、いきなり「平日なんだぞ、ずっと続くんだぞ」と言われても、抜けませんよね。

だから、しょうがない、なんて言ってても、太っていくのは自身で、体力の低下は、子どもにとって致命的にもなるわけで。せっかく通勤時間という、とても無駄な一時間がない分、毎朝、家族で走ろう、と。週末だけの家族ランを平日にも取り入れるようにしました。

平日の朝の公園には、普段からこんなにたくさんの人がいたのかどうか。いや、おそらくは違いますね。外出自粛にテレワークが広がって、取り急ぎうちにあった運動できるような格好、でジョギングする男性が多いので、おそらくは、朝ぐらい体を動かさないと、という系の人だと思います。

だから、朝から公園には、本当に、人が、多いです笑(まぁ、密集、密接ということはないですが)。

季節もちょうど良く、暑くもなく、寒くもなく、花も咲き誇って気持ち良いですからね。これで花粉がなければ最高と言っていた「普通」の春の日みたいで、こんな一日の始まり、悪くないな、とこの一週間を終えて思います。

今は緊急事態です。だから、普段通りの生活は送れません。が、こういう時こそ、普段と変わらない生活が大事だ、とも思います。

普段と変わらない時間に起きて、学校(会社)の時間は、家で出来る範囲のことをする。決まった時間に、決まったことをする、という規則正しい生活を送りたい・・・と思います。

加えて、普段なら出来ないことも取り入れたいとも思います。それは、外出することで生じる移動時間という「バッファ」のような時間で、何か新しい、もしくは、ずっとしようと思っていた(私の場合は、積ん読でたまった本を読む)、こういうときだからこそ、普段と変わらない規則正しい生活で、普段ではなかなか出来なかったことをやっていきたいものです。

普段にはなくて、緊急事態の今はあるものかぁ。それは何かと自問して、「かたまった時間」かな、と思う訳です。朝起きて、走って、シャワーを浴びてコーヒーを淹れて。そこから2時間ほどの時間がカタマリで生まれます。また、夕方も、午後5時頃にはパソコンを閉じて、そこから夕飯までの2時間、その後、夕食と風呂の後もまた4時間近く時間があるわけです。

これが、平日に生まれるのですから、ピアノを始めることも、ドイツ語を始めてみることも、油絵でも書でもビーズでも編み物でも、世界遺産検定でもオリジナルのスパイスカリー作りでも、本気になったら、出来ますよね。その本気を許容するほどの、かたまった時間ですよね。

また、テレワークにおいても。今は緊急事態なので、とりあえず、自宅待機に近い内容で在宅勤務をしている人(や業種)もいるかと思いますが、意外に、全体の3割から4割ぐらいがテレワークで十分、ということになるかもしれません。teams会議で十分だし、チャットとメールがあれば、電話すら不要という具合。普段から、パソコンに向かって仕事をしている人には、在宅勤務は、ハードルがぐっと下がってますよね。

それほどに、いろんなサービスが簡単に使えて、それを食わず嫌いで毛嫌いしなければ、思ったよりもずっと簡単だという(ことがわかりましたよね)。

セキュリティや個人情報保護、まさか、もしや、万が一に備えて、整備すること(に払うお金)が大変だというのは、テレワークが一般化すれば、都心の家賃の高いところにオフィスを構える必要は無いわけで。

いやぁ、業種によっては、今後テレワークが本格的に導入されるかも知れませんね。まぁ、そんな近未来の激変も、今のSTAY AT HOMEがもたらす成果になるんでしょうかね。

週刊誌ではコロナ戦争という文字が踊っています。

イタリアやスペインを初めとする欧州の国々、そしてアメリカ。感染者数がものすごいですね。特に、アメリカでは感染のスピードと拡大と、医療の限界が顕著です。

思えば、トランプさんが強気なことを言っていた頃(中国の武漢が都市封鎖されて、新型コロナ感染が恐怖になり始めた頃)アメリカではインフルエンザが猛威をふるって1万人を越える死者が出ました。一説には、あればインフルエンザではなくてコロナだという話もあったりなかったり。

そこから、今になって新型コロナ感染の感染者数ではダントツで世界最大、50万人を越え、死者数もイタリアを追いぬく勢いの18,500人以上となっています(4月11日現在)。

日本経済新聞が提供している「新型コロナウイルス感染 世界マップ」をよく見るのですが、見る度に、あのどくどくしい黒と赤の色合いが、コロナをイメージさせます。

ほんとに終息するのかな、と不安になってくるばかりです。世界中でこれだけ拡大して、感染が止まらず、ロックダウンをしても、なかなか収まってませんよね。東京を初めとする国内の7都府県では、この1ヶ月で勝負をつけようと・・・。

私にとって身近な東京の話。小池都知事は「ニューヨーク、ロンドン、パリなどで行われている都市封鎖、いわゆる『ロックダウン』とは異なる」と、今回の緊急事態宣言を受けて、都として要請した外出自粛や休業などを説明しています。ニューヨークやロンドン、パリも、当局がものすごい力でもって【封鎖】した中国の武漢みたいにはなっていないようで。

朝日新聞(4/9 朝刊)によると、「米NY、英仏の市民生活への影響」として、生活必需品の買い物、散歩や運動などのための外出は認められ、不要な外出や集まり、出勤が不可欠な職種以外は在宅勤務が求められているようです。ここまでは、東京でも変わらないのですが、それ以外に、罰則付きで禁止していることもあります。

ロンドンでは葬式以外の社交行事を禁止。パリでは政府が認めた目的以外の外出に罰則。国内移動も制限。そして、ニューヨークでは外出時、他人と距離をとり、違反に罰金。レストランやバーは宅配か持ち帰りのみ、となっているようです。

ここまでの制限、禁止をしなくても済むように?一日の感染者が200人近くになった今、しっかりと封じ込めに入ろうと。そんな東京都の自粛・休業要請なんでしょうね。「3密」とか「STAY AT HOME」とか。何かとキャッチーな言葉で、それをフリップにしたがる都知事。ここは、ロックダウンで、インパクトを持たせてやりたかったんでしょうけどね。

一人一人、実質的な、生身の生活がありますから。そんな、キャッチーに分かりやすく、机上できれいに、とは、いきませんよね。

敵(新型コロナウイルス)は手強いです。だけど、収束はくるだろうし、潮目の変わりは必ず来ます。もう、何度聞いたか「止まない雨はない」という言葉。そこに向けて、しっかりと、自制しながら、力みすぎずに、この今を、STAYしたいと思います。AT HOMEで。



■2020年4月4日
「世界中でほんとに最悪の状態です」

今日は、4月4日です。4(し)と4(し)が合わさってしあわせの日だ、なんて私は勝手に言ってるんですが、昔は、感覚的に死が死と重なって縁起が悪いと思っていました。さらに今年は、今日4月4日が、二十四節気の「清明」。万物がすがすがしく明るく美しい頃、いうことになります。確かに、朝から晴天で、気温も高く、桜の花びらが風に舞って綺麗です。

な〜んて、今週ぐらいは「コロナ」のことは書かないぞ!と思って書き出しましたが、浮かぶことと言えば、ドラッグストアやコンビニ、キオスクではマスクないかな、と覗く毎日で、彼方此方でコロナ感染者の噂、そしてニュースは東京で今日何人の感染が確認、などなど。挙げ句、エイプリルフールには、安倍首相から布マスクを1つの住所に2枚ずつ配布するという嘘のようなニュースまで飛び込んできて。

志村けんさんの訃報、阪神の藤浪選手やヴィッセル神戸の酒井高徳選手、クドカンに森三中の黒沢さんなど有名人の感染を聞いていると、もう新型コロナは完全に近くに忍び寄っていて。それなのに、まだ普通に満員電車に乗っていたりすると、ねぇ〜、これ、どうしたもんか、と。本格的に、一歩も外にでない生活に入ろうかとも思うのですが、それはそれで、1ヶ月、2ヶ月と続くと、おかしくもなりそうで。

特に、小学生にはきついです。息子の学校は、始業式の後、ゴールデンウィークまでは分散登校をするといって、具体的に何年生はいついつ登校というスケジュールが発表がされたかと思うと、その日のうちに、やっぱり始業式、分散登校を見あわせるという発表がありました。バタバタですね。どうすればいいのか、自治体へ任された判断が、なかなか難しいことになっていますよね。これで、新たなクラスターになったりしたら。今回ばかりは、命に関わることですからね。

手洗いとうがいとマスクで乗り切れるのかどうか。わが家のマスクも、いよいよ底をついてきました。外出も自粛で、展覧会も映画もイベントも、デパートもレストランも休館、公演中止に休業ですからね。まったくどうしたもんかと思う、4月の最初の週末です。

昨日は、本当ならJ1に戻ってきたキング・カズの横浜FCと東京の試合を味スタに見に行ってるはずで、明日は体操のオリンピック予選の大会を観戦する予定でした。来週の水曜、8日はパルコ劇場のこけら落としの舞台「ピサロ」を(かなりいい席のチケットがとれたので)見て、週末にはバンクシー展や隅田川怒濤というイベントやFINA飛込ワールドカップへ行くはずの4月だったのに、今は、ぴあやイープラスのアプリから、公演中止による払い戻し手続きをする日々です。

SARSや新型インフルエンザ、もっと言えば、震災などの混乱時期も、これだけ全世界的にすべてが「止まる」ということはなかったですからね。いかに、今回のコロナ・ショックが異様で異常か。この規模の大きさに先行きを考えると、不安しかありません。いつまで続くのか分からないから経済的な窮地に対しての予測も立たず、今は耐えるべきというにも、体力がもつかどうか。資金繰りは、かなり厳しくなっています。

ランニングコストだけがかかって、政府が打ち出す救済策にも、いまいち決め手になるものもなく。なんなんでしょうね。今回の新型コロナウイルス感染は、ウイルスの力がこれまで以上なんですか?それとも、ウイルスに対する初動なり、医療基盤なりが、なるべくしてなったと言う形で崩壊したからですか?そもそも、武漢という都市に、「やすかろう」で進出した世界中の企業が、それぞれ自国に持ち帰ったウイルスが発信元で、これだけ広がったという構図で間違いなんですか?

今回は、これまでには考えもできないようなことを、次々に、どこか普通にやってしまっているように思います。

最初はやはり、全国一斉に公立学校を休校にしたことでしょうね。Jリーグの試合が延期になった!?というのに信じられないという感覚だった矢先、学校を一斉に休校にするという突然の発表。えええ、どういうこと、それ。インフルエンザの生徒が多いので閉鎖するにしても「学級」単位なのに、全国津々浦々の小学・中学・高校などの学校を一斉に休みにするなんて。おおよそ、信じられないフィクションのような出来事でした。

その後も、北海道で週末の外出を自粛するよう要請する知事の会見があり、「外出する」ことを制限するなんてこと、すごいことを言うなぁ、なんて思っていたのも、この時は、まだ今夏のオリンピックのために、安倍さんはじめ、いろいろとパフォーマンスが必要なんだろうな、と思っていました。

大きな節目は、東京五輪の延期。ニュース速報の番組が差し込まれるほど重大なニュースで、戦時下でもない限りこんなこと、あり得ないと思っていましたからね。びっくりなんて通りすぎて、ただただアンビリーバボーでした。とはいえ、日本では、重要だといわれた2週間を終え、「外国では大変なことになっている」という認識でしたが、まぁ、オリンピックは世界相手ですからね。イタリアのように医療体制が切り詰められた上に、このコロナでは、見殺しにした命も多かったのではないかと心が痛みます。

東京五輪の延期。これが決まった後に、出るわ、出るわの日本の感染者報告。これは、何かのただが外れたか?と疑うほどでした。どんどん新型コロナ感染者が確認されて、オーバーシュートだのロックダウンなどとカタカナが飛び交って、なんだか、よく分からないけど「タイヘンナコトニナッテル」という空気感が濃厚になって。

もう、今は都市封鎖、東京という大都市のロックダウンを待っているような状態になっているようにも思えます。都市封鎖になったら、全員が不要不急の外出を自粛し、もし「外にでていたら」罰金なのか? 仕事はできないから、その分は補償されるのか? そもそも、この自宅頼りでいいのか?外に出ずに家にいろ、というメッセージ。これによって、DVや虐待など、ストレスが一杯になった後の悲劇はあとを絶ちません。

収束させること。そしたら、隅々まで行き届いた支援で、国から税金をつぎ込んで守っていく。何しろ、非常時ですから、と。確かにその通りです。が、この「国からもらえる」という日本人の意識って、すごく怖くないですか?

政府が何を決めようと、「ありがとうございます」と御礼をいう筋合いはなく、そんな点数稼ぎでほんとに大丈夫なのか?代議士君、と監視の目を強くしないといけませんよね。それでなくても、収入(税収)よりも、支出(歳出)の方が多い国です。借金(国債)は、日本という国の経済力を信頼基盤にしていて、万が一、それが崩れたら。

お金が必要になる=経済力が弱る、となれば、国債も下がって国がつぶれる、なんていうのが、かつて勢いのあった国で起こってきたことです。イタリアでも英国でも、緊縮でいろんなものを切り詰めて、アメリカでは、個人の自由の死守?のための国民皆保険の否定などがかさなって、つまり、痛いところをピンポイントでコロナが突いたという形で大きな被害がでています。

感染者数、死者数ともに、世界中で本当に最悪の状態です。

「国がくれるから」なんて言っていると、日本も明日は我が身。日本の国はイコール自分達自身で、これは、「会社」という従属意識とは一線を画す必要があります。なぜなら、会社の場合は去ることができますが、日本という国は、泥舟になっても一緒に沈むしかないですからね。

今、この大混乱な時期を、いつも突然、なんとも独善なやり口で、いろんな【これまで考えもできなかったこと】を、まるで「普通のこと」のようにされては、危機です。布マスクだの、30万円だの、○○税の免除だの延期だの。今、目の間にある「本当の危機」よりも、パンチ力のあるものばかり発信してませんか?

などなど、いろいろと言いたいことはありますが、今は、本当に世界中が最悪な状態なのです。全世界で、このコロナウイルスと戦う時期です。自国民の顔を余所にむけるためのミサイル発射や攻撃など使い古された「策」は止めて、ここは本気で、全世界で、立ち向かいたいところです。

全世界で立ち向かう、なんて書いていると、ますます、今のこの状況が、現実味のないハリウッド映画のような気がしてならないです。イラク戦争でも、9.11のツインタワーでも、私たちは映画のワンシーンのような最悪な現実を見せられました。確実に今、みたくもないフィクションのような現実の渦中にいるんですよね。



■2020年3月29日
「来年の桜とオリンピック」

東京では今朝から牡丹雪が降って、地面にも積雪がありました。3月の終わり、もうすっかり春になってからの積雪は、ここ最近では記憶にない異常気象です。息子は、起きてからすぐに駆け回る気満々で、去年、スキーキャンプに行ったときの服・ブーツを一式を着込んで、前の公園に出かけていきました。

部屋から窓越しに眺めても、雪がスゴイかったです。桜も満開で、ベランダにはその花びらが散って絨毯になって、そこに雪がちらほら(風向きによって)入ってくるのは、まぁ、それはそれで乙です。雪を抱えた桜の枝も下に垂れて、花びらの上の雪は、まるで梅の花のようです。

何から何まで異常・異様だと思ったりもしますが、とにかく今は、目の前にある「こと」に、美を感じていきたいなと思います。

さて、駆けだしていった息子も、約束の1時間を守って帰ってきました。パンツまでぐしょ濡れで、一人でシャワーを浴びています。日曜日なんだから、好きなだけ遊びまくってくればいいのですが、そこは、コロナ。東京都知事の小池さんが、この週末は、不要不急の外出は自粛するように要請を出しました。

週末の「人の行動」を制限するような要請。世間は今、新型コロナ感染で、正真正銘、異常な春になっています。

中国から発生した新型コロナウイルス感染が世界中に広がり、発生国の中国では8万1394人が感染し、3295人が死亡しました(29日現在)。その発生国よりも、感染者数ではアメリカとイタリアが上回り、死者は、イタリアで1万人を越えるという猛威をふるっています。

外国の都市部では、外出を制限して罰則を与えるなど、「ロックダウン(都市封鎖)」の状態にもなっています。小池都知事は、このまま行くと、東京もロックダウンになる状態だと警告します。東京では、3日連続で1日の感染者数が40人を越えました。

安倍首相も、昨日の会見で、この新型コロナ感染との闘いは「長期戦」になるという発言もありました。

春になって、入学・入社など、さぁ、新しい始まりだ、の時期ですが、東京都立大学が授業開始をGW明けにするなど、「普通にあるべきこと」が延期されて、今は何をおいてもコロナとの闘いだ、と考えているように思います。

計画通りに行う。日本人はそれに従順で、だからこその信頼度があったりもするのですが、状況に合わせて柔軟に対応し、その時に一番大事なことを優先度第一で取り込むことは、少し不慣れでもあります。なので、東京オリンピックの延期という判断は、衝撃でした。(そして、これから仕切り直して、いろんな物事を柔軟にこなしていけるかが心配でもあります)

2020年7月には東京オリンピックがある。これは「不動にあるもの」で、そのために「それまで」の準備が計画通り行われてきました。多少のスケジュールがリバイスされたでしょうけど、完遂されるだけの段階に来ていました。

さらに重要なのは、「それから」の、つまりオリンピック後のことも、すでに計画通りに動き出した後で、それらをひっくるめて「延期」するという判断は、やはり衝撃でした。

今日のワイドナショーで、松本人志さんは、このオリンピック延期をポジティブに捉えて、「世界中がひとつになって立ち向かっているコロナに打ち勝ったあとの、最初のオリンピック(祭典)として大いに盛り上がりたい」というようなことを言っていました。なるほど、そう思うしかないですよね。

もちろん、U-23のサッカー代表は、来年になれば24歳になって資格を失うとか、オリンピック選手村の後のマンション購入者の入居時期が延期になるとか。スポンサーも、オリンピック関連グッズを保管する倉庫代がかさむとか、そもそも、今、持っているオリンピック観戦チケットはどうするのか、などなど、問題は山積です。

個人的には、聖火ってどこかに保管するのか、もう一度採火するのか、なんていうのも気になったりして。もう一度オリンピアで採火するなら、通常は機内に持ち込めない「火」を航空機で運ぶのに、いったいどれぐらいの費用がかかっているんだろな、なんて思って、それもばかにならないな、とか。

同じワイドナショーで、乙武さんは、パラリンピアについても触れていました。選手の中には進行性の障がいを抱えている人がいて、そういう選手にとっての延期は、延期ではない場合もあると発言していました。そういうパラリンピックの延期について、語られることが異常に少ないことも気になります。

オリンピック延期で、あ〜あ、もうどうでもいいや、的に思った後で、春や秋など、東京の美しい季節にオリンピックをやるかもしれない!という報道に、一瞬「あ、延期もいいかも」と思いましたが、結局、アメリカのプロスポーツの放映権との兼ね合いやスポンサーの事情で、来年の7月開催が軸なんだと聞くと、なんだかなぁ、と思ったりします。

すっかり雪も止みました。

異常に降った東京の春の雪は止みました。積もった雪も、はやくもシャバシャバになって、おそらくすぐに溶けるでしょう。不要不急の外出の代表例として名指しされた「お花見」。小池都知事は「桜は、きっと来年も咲きます」と言っていました。

来年の、桜、と、東京オリンピック。

自粛して我慢し、延期となった「先」の来年は、新型コロナウイルス感染も終息しているんでしょうか。なかなか先は見えませんが、ワクチンの開発だけではなく、それを流通させるというハードルは非常に高いように感じます。マスクですら、こんなに品薄状態が続いていることから考えると、なかなか難しそうですね。

インフルエンザの予防接種でも、毎年毎年ワクチン不足でなかなか打てません。それを考えると、新型コロナのワクチンが出来た、よし!これでいける!とも言えないでしょうね。完全に打ち勝つというよりは、感染者数が少なくなって、「え?今頃、コロナかよ?」と言われるぐらいに風化することで、収束という状態になるのかも知れませんね。

とにかく今は、オーバーシュートを起こさないように、息を潜めて耐えるしかないのです、ね。週末は都内から出ないというだけではなく、外出も自粛して、密閉・密集・密着は絶対にさけるべき、なんですよね。そんな要請を、感度高く受け取って、実践していくことが大事なんでしょうね。

在宅勤務要請でも、出勤せざるを得ない状況はあって、だからこそ通勤時間には「普通に」満員電車なんですが、そこでも「感度の高い予防とエチケット」が必要だと思います。マスクもせずに、ごほんごほんしている人がいるのが現実ですからね。これには閉口してしまいます。

「コロナなんて、何したって、なるときはなるし、なったとしても、インフルエンザみたいなもんでしょ?」という極めて意識の低い人がいるのも事実で、そんな風に思っている人は色んな「要請に応える」気がそもそもないので、それが義務ではないことに、やきもきもします。

もし、そんな意識の低い人が感染して、知らないうちにウイルスをばらまいたら。なんて考えると、外出にはマスクを義務づけ、マスクがない人は、外出も出社もできないというルールぐらいは決めて欲しいなと思います。

いつまで続くか分からない自粛生活。子ども達の休校で有り余る体力が不発に陥るストレス。そんなストレスのたまった子ども達が閉じこもる自宅は、もう爆発寸前、ということもあるかと思います。

コンビニにちょっと出かけたり、30分って決めて公園に行ったり、密閉でも密着でもないなら、少々の外出(というよりは体を動かして発散する)は不要不急の外出とは言えない様な気がします。

色んな事が噂になって、間違った情報になって、それに踊らされて、ヘトヘトに疲れて、変な噂にならないように自分たちの行動を我慢して、自粛して、じっとして・・・。って、これ、何も得はありませんよね。

例えば、日々の生活を続ける中で、確実なことは「これまでになかった新型のコロナウイルス」があること。そして、東京ではそのウイルス感染者が多いということ。

だからこそ、注意する必要は絶対にあります。が、だからといって、何から何まで我慢して自粛していたらやってられません。

あくまでも日々の生活を送る。
そこから、新型コロナウイルス感染リスクの行動(物事)を差し引く。
そんな暮らし方が、今、必要なことですよね。



■2020年3月20日
「見上げてみる(桜ぐらいは)」

ここ最近、(ついつい)下を向いてしまうニュースが多いですよね。新型コロナ(ウイルス感染)騒ぎは全世界に及んで、各国が「ゲート(出入国)」を閉じるだけに留まらず、動かず、じっとしてろと言わんばかりの手を打っています。劇場、ライブ、コンサート、アート展覧会、レストラン、バーに至るまで休止・休業。だから、あのニューヨークのタイムズ・スクエアですら、人がまばらという事態です。

人が動かないから、モノが売れない。自然と先行きは不安で、株がドンドン下がり。ニューヨーク株式市場では、2000ドル以上も値を下げる危機をむかえています。これ以上の取引をシャットダウンする「サーキットブレーカー」も、1度のみならず2度も、短期間で行われる事態です。

中国の武漢市から世界中にばらまかれた新型コロナウイルスはパンデミックとなり、COVID-19という感染症が世界中を震撼させています。特に、チャオ!と「人と人が触れあう」文化のイタリア、スペインでは一気に感染者が広がり、外出は禁止。同じく、移民が集まるアメリカも緊急事態宣言を発令しました。50人とか20人とか、集団で行うイベントは自粛ですからね。

(各国が)外国人は入ってくるな、外国に行くなという前例のない処置が、ここもあそこも、それこそパンデミックで、航空各社は大打撃です(自国に税の救済を求めています)。カナダのシルク・ド・ソレイユ(サーカス団)は、95%を一時解雇しました。小さな「箱」で、運営してきた多くの会社も、体力勝負で生きのこりをかける状態です。倒産した会社のニュースも出てきました。

先週の「ワイドナショー」で、コメンテーターの三浦瑠麗さんは、このまま経済を締め付け続けると、コロナで死ぬか、経済で死ぬかということになる、みたいな発言をされていました。確かに、見えないコロナ(ウイルス)は怖いけれど、何でもかんでも横並び、同調圧力で中止に自粛をしていると、経済がまわりませんよね。

あれも、これも自粛に中止だから、なんとなく、歯医者にいくのも止めておこう、とか、整骨院は先延ばしにしようとか。自粛要請されてない場所も避けがちで。こんなことが続けば、開店休業状態の個人経営店は、いつ来るか分からない「V字回復」の時まで、もつか、どうか、ですよね。

政府の専門家会議は、クラスター(感染集団)が発生するリスクとして、【密閉空間であり換気が悪い】【人の密度が濃い】【近距離での会話】の条件が重なる所としています。それが示されれば、示されるほど、高校野球のセンバツ大会中止が頭によぎります。(高校野球は、応援する人が密接して、近距離で応援するから激しい飛沫が問題なのか?)ということは、さらには、あれは、じゃ、あそこは?と、ん?焼き鳥屋は?なんて。どこも行けなくなります。

爆発的感染者がでるかどうか、とても大事な2週間。という時期はとうにすぎて、1ヶ月です。原因都市の武漢では新たな感染者はゼロと発表(あくまでも)されています。今は、完全にヨーロッパに集団感染エリアが移っているので、これだけ世界中が騒ぐんでしょうけど。まぁ、これは手洗い、うがいに、クラスターリスク場所への外出を避けつつ、マスクはエチケットとしてつけ続けるしかないですね(って、マスクはいつになったら流通するんですかね? さすがに、ここまで品薄だとそろそろ本気でピンチです)エチケットもなにも、マスクがゼロという日を迎えそうです。

さて、今日は春分の日です。

昼の時間も長くなって、気温も上昇。今日は、朝から気持のいい天気でしたね。朝、7時頃から家族で公園をランニングしました。1週1.2qを、まずは準備体操後にウォーキング。先週までは手袋が必要でしたが、今朝は手袋いらずでした。公園の桜と菜の花、パンジーなんかも咲き誇って華やかでした。その後、約5qを走って、私と息子は、そのままグランドのエリアでサッカー。妻は家に戻ってお弁当を作ってくれました。

背の低い品種の桜が咲き誇るところで、お花見をしました。朝10時ともなると空の青はともて春らしく、ソメイヨシノよりも濃いめの花と、手前の菜の花との三段活用の春の光景が、なんとも素敵で。家族連れ、カップル、ペット、夫婦、老夫婦などなど、結婚のフォトサービスなのか、和装で決めた新婚さんの撮影もしてました。

桜のすぐ下に置かれたテーブルに座って、見上げてみます。背の低い品種なので花びらに届きます。見上げ続けると、ぐっと迫ってくるようで、このまま吸い込まれて、コロナウイルスなんてない世界に、ワープできそうな(んな、わけないですが)、なんとも幸せな景色でした。

机に座って、桜を見上げ。


迫ってくる「桜」。


そして、花の咲き誇る「丘(と名付けられたエリア)」は、ザ・春で、コロナなんて存在してないかのような、息をのむほどの光景でした。


そんな光景を見ながら、本当に思うのは、まぁ、下を向くような事ばっかりだけど、新型コロナも終息なんていつになるか分からないけど、見上げてみよう、桜ぐらいは。と思います。せっかく、(見上げたら)こんなにも見事な春なんですから、と。



■2020年3月14日
「自宅時間」

一斉休校に各種イベントの自粛、中止、延期。あー。どこかへ出かけようという気分の上がる桜の三月、そんな陽気もどこふく風の「巣ごもり状態」です。コロナめぇぇぇ、と毒づきながら、ま、言っててもしょうがないので、おとなしく自宅にいるわけで。

村上春樹ならこんな時、パスタでも茹でて、簡単につくったソースを絡めてランチするのかなとか、蕎麦好きは、出汁から丁寧にとったそばつゆに、自分で打った蕎麦を食べたり?とかなんとか、そんな素敵な時間を、自宅で過ごせたらな、なんて思いつつ・・・。

わが家の自宅時間。息子の小学校は、当初の3月2日から14日までの休校期間が延長され、このまま春休みに突入することになりました。結果、夏休みと同じぐらいの期間が休み状態となり、この想定外の長期休みに、「どっかいくか!」という気分もなく、ただ、じっと、コロナの終息を待ちながら。

大好きなサッカーの試合もなし、習い事もなし、最初は喜んでひとり遊びしていた多くのことにもさすがに飽きて、暇だぁ、という状態。母(妻)は、そんな息子と、マスクを求めて朝いちでドラッグストアに行ったり(開店前から並んでも入荷がないハズレ日が多い・・・)、図書館に行ったり、このあいだの福岡の旅を大きなスケッチブックにコラージュしたり。

一通り飽きてからの、別のことを始めています。そうです、せっかくの自宅時間。まずは、YouTubeを見たり、DAZNでプレミアリーグを見たり、Amazonでドラえもんを見たりも楽しいし、うきうきして、親も、まぁ少々大目に見て好きなだけ見せていたりもするのですが、息子自身が、一通り飽きたら、さて、何をするか、ですよね。

これは、ピンチをチャンスに変える時間かもしれません(強引にそんな風に思うことにして)。小学低学年の息子にとって、この時間にしかできないことを、せっかくだから、しっかり寄り添って、最適度に放ったらかしつつしながら、わが家の自宅時間を大切にしようと思います。

そんなことを意識するでもなく、息子は、ダイニングテーブルを作業台にして、色んなものを物撮りしたり、描いたり、作ったりし始めています。先日は、iPadで京都駅のホームにある駅名の書いた看板、駅名標を検索して、それを紙に写し始めました。

(何が楽しいのかな〜?と思いつつ見ていると)京都という漢字、英語、そしてハングル文字まで、見たままを写していく真剣な息子にちょっと笑えてきたりして(ごめん)。確かに、彼にとっては、わからない漢字もアルファベッドも、そしてハングル文字も、特段、差異なく写すんですね。

JR西日本の東海道線ホームの駅名標は「青(JR西日本の)」なのに、新幹線のホームの駅名標は「オレンジ(JR東海の)」なのが面白いのか、同じような色のマジックや色鉛筆を探し出してきて、色を塗って。しばらく眺めて、「うん」と大きく頷く8歳。なんじゃそりゃ、と私は洗面所で顔を洗うことにして。

京都駅から派生して、なじみの薄いJR西日本が珍しいのか、新快速電車の停車駅を覚えて、「京都を出ますと〜、高槻、新大阪、大阪・・・」と読み上げていきます。しばらく続いて、姫路にくると「なんて読むの?」と。ひめじだよ!姫路城だよ、行ったじゃん!という会話のやり取り。自宅時間ですね〜。

まぁ、それにも飽きると、こんどはぶらぶら本棚の方に行って、ずいぶん昔に買った本を引っ張り出して読んでみたり、図書館から借りてき本を眺めたり。こんなことでもなかったら、学校から帰ると習い事や家庭学習で「忙しい」ですからね。

本棚の本を30分も40分も眺めては引っ張り出して、また戻して、なんてやる時間はないので、これもいい時間かもしれません。

そして私は、そんな息子と交換日記を始めました。私が帰宅すると、玄関にノートが置いてあって、玄関先で読みます。夜、今度は私が書いて、朝、テーブルに置いておきます。起きたての寝ぼけ眼で息子はそれを読みます。その繰り返しの数日間。

えんぴつで、15マスのこくごノートに文字を書くなんて、ずいぶん久しぶりで私にとっては逆に新しく、思わずたくさん書いてしまいます(なのに、息子の日記は3行だったりします)。そんな「お互いの知らない時間に書いた」交換日記。やってみると結構、楽しいです。

で、先日、ふと、あれ?もう一冊ノートがある、と思って息子に尋ねると、母(妻)ともテーマ縛りの作文をやっているようです。自分で好きな時間に好きなことを好きなだけやれる時間。それも父や母と文字や絵を介してつながる時間。考えようによっては、小学低学年には当たり前の時間を、コロナのおかけで得た、と思うようにしようかと。

週末、家族がそろったら、昼からお好み焼きを作って、キッチンカウンター(というほどのものでもないですが)で、いつもと違う雰囲気で食べたりもします。妻と息子はクレープを作ったりもします。妻はシュークリームを焼いてみたりもします。ホームベーカリーもヨーグルトメーカーも、1月に買って、ラッキーなことに、この巣ごもり期間には大活躍です。

そういえば、先週の火曜、息子のサッカースクールが通常通りやってくれるということで、朝から「やっとサッカーできる」と興奮気味だったのですが、いざ、スクールの時間になると雨雲接近警報がきて、「あ〜あ、かわいそうに、息子もサッカーにいけないだろうな」と思っていると、・・・行ったらしく、豪雨の中、コーチ2人を独り占めして練習する写真がLINEで送られてきました。

その夜は、さすがにマンツーマンどころか2人のコーチ対1人の生徒だったので疲れ、豪雨の中というのも影響してか夜ご飯を食べているころから眠すぎて、半分、目を閉じながらこっくりこっくりしてました。幼稚園で遊びまわって、よく、お箸を持ったまま寝てたことを思い出します。学校がある日も、同じように、夜ご飯の時から眠そうだった日があったな〜、なんて思うと。

やっぱり、休校で運動不足なんでしょうね。これからも4月の始業式まで続く自宅時間。こもってばかりいるのも良くありませんね。人混みを避けてなるべく外に出て、公園で遊んで、朝はランニングして、サッカーボールも蹴り合って。そんなことをしつつも、自宅で過ごす時間を充実させていきたいと思います。

今は便利になったもので、息子のあこがれるサッカー選手が、「そんな」小学生向けに自宅トレーニングの映像をアップしてくれています。ロッテの佐々木朗希選手も体感トレーニングをアップしてくれてました。それらを見ながら、家の中でも体を動かして、ちょっとぐらいなら毎日外に出て、二重跳びやリフティングの練習もやっていった方がいいかな。

プラスして、〈普通の〉週末ならお出かけ三昧なので、ここは逆に、自宅で、各種デバイスをフル活用して、良質な映画を見たり、ライブ映像を見たり、世界地図帳を眺めて世界を想像したり、半島名しばりのしりとりをしたりしながら。なんとかこの週末も楽しみたいと思います。

外にも出られないなら、飲んじゃえ、とスパークリングワインを飲んだり、ミックスナッツをバカ食いしたりしてしまっている私(と妻)。「太るよ〜」と息子の甲高い声で言われると、グサッと刺さります。食っちゃ寝、食っちゃ寝だけは避けたいと思いつつも、ついついしちゃいます。

先日、1巻から53巻まで大人買いしたジャイキリの最新巻、54巻も再来週の月曜日に発売なので(これは自粛しないですからね)、それまで読み切ってしまおうとも思うし、この冬ドラマは一つもみなかったので春ドラマに何があるのかも知りたいし、読みたい本も、見たい配信されている映画もあるので、この自宅時間、有意義に使おうっと。



■2020年3月7日
「なんとなく恐れて、止めてしまう」

突然の小中高の休校で、まるで外出禁止令のような受け止め方をしたこの1週間。公園に行ったり、スーパーに行くのも憚れるような雰囲気から始まりましたが、四日、五日と経つうちに、そんなこと言ってられないストレスフルな小中学生が、公園にいっぱい集まって遊んでいる、という図が、一昨日の木曜日や昨日の金曜日には見られました。

特に、昨日の金曜日、わが家は、たまたま家族全員が休日の平日だったので、いつもの休日のように朝6時半から家族で公園をランニングして、そのまま7時半から息子とサッカーをしよう、としていると、いつもはガラガラの砂のグランドエリアに、いるわ、いるわの子ども達。休校で何が一番心配かを問われた親たちは、子ども達の運動不足を挙げるぐらいですからね。朝、早く、遊んでこ〜い、と送り出されたのだろう、小学生の高学年ぐらいの子ども達が目立ちました。

まぁ、それでも油断できない状態で、日本では毎日、毎日数十人単位で新型コロナウイルス感染者が出ています。新宿、渋谷、恵比寿に目黒に五反田、品川、人で溢れたところでは、マスクをしていない人が逆に目立つほどの状態で、不要不急の用事なら、あえて人混みは避けたいという心理が働きます。

デパートなどの小売り、旅行などのレジャー消費は、確実に減りますよね。加えて、中国、韓国からの入国を完全シャットアウトした日本。ここ最近、消費を支えてきた訪日インバウンドも皆無になる緊急事態です。ライブや展覧会、遊園地は閉まって、「非常に重要な2週間」を息を潜めて暮らしています。

厚労省の発表、そして政府からの自粛要請。それを受けての今のような状態ですが、北海道や愛知など、感染者は拡大していて、ついに、春休み期間中に開催される全国高校野球の選抜大会が無観客試合になりました。Jリーグも4月再開で調整されるといいます。世界では、イタリア、イランなどが中国並みの感染者伸び率で、悪夢アゲインのように、カリフォルニア沖には、クルーズ船(またダイヤモンド)が集団感染に陥る危険性があります。

収束する見込みは、まだまだ先、という状況下で、花見もスポーツ観戦も、いろんな娯楽が自粛、そして毎日の普通の暮らしも、「テレ」で遠隔操作しながらこなそうとしています。下手すれば、夏前まで。もしかすると、東京五輪開催が、ようやく新型コロナ感染の収束時期になるかもしれないな、なんて考えると、春休みの予定、GWの予定が、どんどん消えていきそうで。

自粛疲れや、巣ごもりストレスで、何だかおかしくなりそうです。閉じられた小さな箱の中に、不特定多数がくるところ、しかも、同じ空間に数時間いるようなものはかなりの危険性があるにしても、それ以外は、慎重な判断なもとですが、再開していかないと、この新型コロナショックを乗り切るだけの体力がない企業も多いのではないかと心配になります。

日本の対応への報復処置とか、日本肺炎だとかいう訳の分からないウイルス発祥国の吹聴とか、細かいところで無駄な「さかなで」が起こっているようですが、ここは、冷静に、しっかりとした対応をしたいモノです。

日本政府は、習近平の来日が延びたから、中国人の入国が(いまさら)拒否できるといった模様。ったく、何やってるのかな〜と思えて仕方ないです。

ともあれ、今のこの自粛ムード&極力人との接触を避けようとする休校時期。家の中で必要なのは、換気と空気清浄です。そしてよく寝て、体力をつけて、適度にオープンエアで運動することでしょうか。家の前の公園には、桜もいくつか花が咲いてきました。再来週には、予定通り学校も再開されて、気温の上昇に合わせて気持ちも挙げていきたいものです。

なのに、です。

今年に入ってからと言うもの、私自身は腰痛に悩まされています。本当に痛いです。一度、接骨院で「ほぐし」コースを受けたのですが、どうもそれでは何ともならず、他の整骨院に予約して、レントゲンをしっかり撮ってもらおうとしたのですが、何となく、コロナを恐れて行けていません。歯もずきずきするような状態ですが、何となくコロナを恐れて行けていません。

スポーツジムで、トレーナーとお客さんが感染し合ったり、というのを聞くと、距離を縮める空間は、避けてしまっているのが現状です。

この、「なんとなく恐れる」というのが、本当、一番のストレスよね。

毎年、この時期はインフルエンザが大流行して、学級閉鎖なんかもありました。花粉も飛び始めるので、花見も心から楽しめないというのも聞きました。が、そういう「いつも通り」のモノとは違って、何が何だか、正直よく分からないウイルスだからこそ、なんとなく遠ざけてしまいます。

マスクも相変わらず打っていないし、女性の方には生理用品の品薄も大打撃ですよね。自前でマスクを使い回すためにガーゼが大量に入荷したり、それ以前に、もはや風物詩のようになったドラッグストアの開店前の行列。オフィス街のドラックストアで行列しているのを見ると、なんだか「未来の恐怖社会」を描いたSF映画か何かかな、とすら思います。もう、創り出すための想像を、現実が軽く超越しているんじゃないか、とすら思えます。

菜の花の黄色、桜のピンク、そして春の薄い青い空。そんな空気の色が、コロナの色、って記憶にだけはしたくないなと思います。

さて、中国と韓国に対する入国拒否(実質は、そういう対応ですよね)に対して、今、コンビニの店員さんのほとんどが、その両国の人達であるという状態の東京のコンビニ。そこから、店員さんがごっそり消えてしまう、何てことにならなければいいな、と思う一方で、中国(香港・マカオ含む)と韓国にいる日本人の方にも、一寸考えさせられる状況になりましたね。

日本に帰ったら2週間隔離、そして、中国や韓国に戻っても2週間隔離。・・・これ、動けませんよね。

はやく、ね、とにかく早くなんとか収まって欲しいな、と思います。新型コロナ感染者がゼロになるのはずっと先でも、せめて、「なんとなく恐れて、色んなことを止めてしまう」期間の終息は、心から願いたいです。

この自宅で過ごす時間がすこぶる長くなりがちな今、色んなデジタルコンテンツが無料で公開されています。

マンガが無料公開され、民放テレビのParavi(パラビ)も懐かしいドラマが無料公開されています。探求学者という塾では、講義を公開して、小学生の親たちは、子どもと一緒に見て「チャップリン」に感動した、なんて話も聞きます。

もしかすると、この半強制の自粛ムード、そして巣ごもり状態で、「次への扉」を明けようとしているのは、オンラインでの各種サービスかも知れませんね。

これまでは、なんとなくややこしそうだから、と距離を置いていた人も、やったら意外と簡単・便利、みたいな反応で、この後も需要がどんどん高まったりして。

その最たるものが、テレワーク(在宅勤務)。テレビ会議がこれだけ一般化する中でも、どうもテレワーク(在宅勤務)に二の足を踏む人が多かったように思うのですが、通勤時間の抹消、さらには、チャット会議、ネットワークミーティングで、家で仕事することへのハードルが下がったという人も多いです(私の周りでは)。

何かのピンチが、チャンスになる。それは、いつもそうで、もしかすると、今回は、コレかも知れませんね。チャンスとは、潜在的に有用性があって、それに気付くという意味であって、マスクを15,000円で売ったりする上海の転売人というのは、阪神大震災の時に、たこ焼きのフードトラックでひとつ5,000円で売っていたのと同様に、チャンスでもなんでもありませんが。

昨日、家にずっと居るのも疲れたので、近所(私の住んでいる区内に限定して)をウロウロとしました。

寿司屋でランチコースの寿司を食べ、昔から通うパティスリーでホワイトデーのお返し用の焼き菓子を買って。そこの生菓子は、本当に美味で、よく食べるのですが、心なしか、売れ行きがあまり良くないようにも思えました。と考えると、いつも予約なしでは、平日のどんな時間帯でも席のない寿司屋も、すんなり入れたし。

ちょっと電車で二駅、行列必至の人気たい焼き屋にも行きましたが、昨日は3番目で買えました。人出が目に見えて少ないわけではないですが、消費は、確実に落ちているんでしょうね。ここ最近、買ったのは巣ごもり商品だけ、なんていう友人の奥さんの発言が、もしかすると、時世を最も反映していたりするのかな。

私は、昨日、今日明日の巣ごもりに備えて、カヴァを買いました笑。静かに家族で、巣ごもり中もKPします。



■2020年2月29日
「結局、公園が近いこと」

本当ならば今頃〜♪ ぼくは味スタで、FC東京の、ホーム開幕戦を、見に行って、朝早くから、席をとったりして。特典グッズを交換したりして、さぁ〜、始まるぞー、をゴール裏で満喫していた、はずなんですが。ま、様々なイベントが中止・延期になるご時世ですからね。Jリーグ公式戦はすべて延期となりました。なので、私たち家族も、おうちでおとなしく、のんび〜りしながら、これを書いています。

先日、接骨院でほぐしをしてもらった私の腰も、相変わらず痛いままで、普段の自分の生活をかみ砕いて考えながら、デスクに座っている時間、運動の度合いなどなど、腰痛の原因を探りつつ。ちょっと様子を見ながら、通わないとダメかな、なんて思ってます。肩こりや腰痛とは、長い付き合いになりそうです。この歳になるまで、ほとんど縁のなかった肩こりくんと腰痛さん、よろしくお手柔らかに、というあきらめの境地です。

さぁ、今日は何する?と、外に行きたくてうずうずする8歳の息子に聞く。(だから、カラオケも映画館も本屋も、ちょっと我慢だよ)。で、Amazonで映画でも見るか、ということになり、よく考えたら、先週もこんな風に、一日のんびりした日があったような(わが家には異例の事態です笑)。省庁や総理大臣が大規模イベントの自粛を求める異例の事態になって、対応できる大手企業は数千人の社員を在宅勤務に切り替えたりしています。朝のラッシュ時の山手線も、ここ二、三日は、心なしか空いているようにも思います。

この異例の事態って、例えば、今回の新型コロナウイルス感染のパワーが異例に強いからなのか、それとも、こういう事象に対応する日本社会の気風が変わってきたからなのか。どちらかは分かりませんが、おとなしくするときは、じっとしている、というのが、やっぱり大事なような気もしますよね。

さて、今、遅ればせながら読んでいる漫画「ジャイアント・キリング」(50巻まで無料公開されましたね)では、東京と大阪の7番が若手でキラリと光ってますが、野球では17番が話題ですね。エンゼルスの17番、大谷翔平は、昨年の打者専用の選手から、二刀流に戻りそうです。やっぱり、投げている姿が様になる人ですね。マッチョ化が云々言われてますが、メジャーでは、まだまだ細身では?なんだかんだ言っても、パワーベースボールですから。結果で、ごちゃごちゃいう人を見返してもらいたいです。

で、もう一人の17番。ロッテに入った佐々木朗希。ロッテのユニフォームをキャンプからオープン戦のこの時期に、こんなに見るのも、ひとえにこのスーパールーキーのおかげですかね。確かに、佐々木朗希が投げる試合は、見に行きたいです。見に行くのも、(今年から)プロ野球もチケットはダイナミック・プライシングです。変動する代金でチケットを買うという文化が、どのぐらい根付くかな、というのも興味深いところです。

ダイナミックに代金が変動する、と言えば、私の場合、エクスペディアのホテル代金がパッと浮かぶのですが、エンタメチケットも、それが当たり前になったりするのかな、とか。それにしても、千葉ロッテの佐々木なら見ようと思えば気軽に見ることができますが、アナハイムの大谷はなぁ。なかなか「すぐ」には見られませんよね。

テレビでスポーツ観戦をしていて、あ〜、生で見たいな、なんて思ったとき、「観戦ツアーはこちら!」みたいなのが画面にあったら、その時の勢いに押されて申し込んでしまうかも・・・。そんなエンタメツーリズムなるサービスが、本格的に始まろうとしているそうです。WOWOWが第1種旅行事業登録をして、お客さんを募集し、旅行企画ができるようになったのです。

旅行会社の店頭や駅にパンフレットを置いて、お客さんを募集していた形から、約285万世帯いるWOWOW視聴者にダイレクトに広告して集めるツーリズムです。しかも、訴求するのはイメージ写真でもなければ、コラム文章ではありません。生の、真剣勝負の、試合なんですからね。これはやり方次第では、今後定着していくように思います。

〇〇ツーリズムという言葉はごまんとありますが、ここに一つ、エンタメツーリズムというのが仲間入りするか。思えば、私が最初に○○ツーリズムというのを聞いたのは、アグリツーリズム(アグリツーリズモ)だったように思います。都会生活を離れ、農村などでのんびり過ごしながら、出来立て・採りたてを味わうというもの。エコツーリズムなんて言い方をする場合もあります。

そんなツーリズムも、エンタメに進出かぁ〜、と思うと、昔あった「なるほど!ザ・ワールド」や、今もある「世界ふしぎ発見」で〈世界の映像〉を見た後、旅行会社のパッケージツアーの広告がプレゼントという形で流れていたのがなんだか懐かしく。それが進化して、ダイレクトにつながったのが、今回のWOWOWトラベルなのかな?とも思ってみたり。

YouTubeやAmazonが、次々に「見たい」「欲しい」候補を出してくる手法が、もっと進化して、学習したおしたAIが、〈私〉にピッタリな旅を提案してくれたら。そんな時代も、すぐ、そこまで来ているんでしょうかね。NHKプラスのアプリで番組を同時視聴して、民放も見逃し番組配信だけではなくて同時配信し始めて、それと同じくらいの時期に、アプリを開くと、その時の気分と、お財布事情などをも学習したAIが、行き先・テーマ・予算のどれもが合致する旅の提案をしてくれそうな気がします。

もうこうなると、音楽も映像も本も旅も、「探しだす楽しみ」を奪われたまま、いい気分に浸れてしまうという・・・。それがお望みなら、大喜びだろうし、頑なに自分で探し求めるという人は、さすらうでしょうね。

問題は、AI提案で「ぜんぶ」済ましちゃうこと〈しか〉知らない世代が出てくることでしょうか。1円玉や、5円、10円玉がパッと把握できない小学生低学年(5セントと10セントコインがいまいちわからない私たちと同じように)がいるのは、電子マネーでピッと済ましてしまうのが当たり前になったからですよね。小銭でもそんな状態なので、公衆電話のかけかた、切符の買い方というのは、そりゃハードルが高いですよね。

とはいえ、時代の流れは誰にも止められないし、それに抗うのは得策ではありません。ここはひとつ、流れに身を任せて謳歌するべきなんでしょうか。〈便利になったインターネット〉というのが死語にもなりつつある近未来に、必要なものって・・・。

最近、特に思います。老後、夫婦二人きりになったとき、AI冷蔵庫が食料を自動で発注して、無人宅配機が玄関先まで食料を持ってきてくれ、遠隔でお医者さんとも会話できるし、掃除はクルクル自動で、換気扇を回すようにやってくれる、としたら。

大事なのって、公園が近いことじゃないかと。

散歩する広めの公園がすぐ近くにあることじゃないかと。

そしったら、公園に行って歩くという自分の意志を、さくさく自動でやってくれる便利な他のモノと同じぐらい、気軽にできますよね。身の回りのもの諸々から「よっこいしょ」と腰を上げないとできないような面倒が消えたとしたら、歩いて10分行かないと公園がないという状況では、億劫になりますよね。

すぐ目の前に公園がある。結局、そういう、進化しても変わることのない場所と時間が、これから未来の、そこで老後を迎える身には大切かと思ってみたり。



■2020年2月22日
「美しい必死を」

必死さが醜いという時は、その必死になっていること(自体)が醜い、ということですよね。関西人は、そんな人を見て「あいつ、必死やな」と言ったりもするのですが。それは何も、「桜を見る会」の答弁に立つ内閣総理大臣を見ていっているだけではありません。

にしても、この桜を見る会。世間知らずの官僚が書いた言い訳?と思わせるようなものが、きれいに散りばめられていませんか? 特に、ANAインターコンチネンタルホテルのバンケットルームを「ある団体」が予約して、その費用を参加者から別々に集金する・・・

って、これ、マジで言ってるんですかね?送別会を予約した居酒屋が、飲み食い代の合計を参加人数で割り勘してくれて、レジに全員が並んで清算できたら、幹事は楽だな、とか思ったり。

ま、それはそれとして、新型コロナウイルスです。ゴールデンウィーク明けぐらいの収束予想で、いろんな「計画」がリバイスされているらしいですが、それまでのイベントは、次々に中止になってますね。

対〈ウイルス〉なのか、対〈人〉なのか。この感覚のずれで対応も割れるんでしょうけど、東京マラソンの一般参加が中止、天皇誕生日の一般参賀も取りやめ。中国からは、マラソン大会はするんだ、なんて声も聞こえてくるので、街中がガランとして、そっと息をひそめている(中国の)光景が目に浮かびます。

確かに、クルーズ船や飛行機内、電車内、タクシー車内、屋形舟の中など、狭い空間に人が密集して、そこにウイルスがあると次々に感染することが明らかになりましたからね。

次に注意すべきは、人が密集すること自体を止めようというのもわかります。そこに「ウイルス」があるか否か。厄介なのは、このウイルスが見えないことです。

アイドルの握手会、河津桜を愛でる市民ウォーキング、新作発表会のような見本市の数々。さらには、通勤ラッシュ時間を外しての勤務形態、そもそも外に出ないテレワークへの切り替えなど、動きの早い遅いが、この後の感染にどう影響するのかですね。

Jリーグも始まりました、来月にはプロ野球も開幕します。3万人、4万人が同じ時間に同じ経路(ほぼ)で往来する中に、ウイルスがあれば・・・、とパニック映画さながらに、見えない敵に怯えたりもします。

うがい、手洗い、そしてマスク。大事なのはわかりますが、マスクって、いつになったら流通するんですかね。なかなか増産体制になっても、身近なドラッグストアまで来ませんね。

の、一方で、GWの予定を立て損ねていた私は、少々焦り気味で今週、いろんな宿や、足回りを探していると、結構、さくさく予約が取れました。京都の嵐山なんかは、「いま、空いてるよ」という発信もしていました。

正しく恐れる。これですよね、結局。

とはいえ、正しく恐れるには・・・。例えば、自分が感染したかもしれないと恐れたとき、正しいと手引きされるのは「37.5度以上の熱が4日以上続けば、相談センターに連絡する」ということらしいです。いやいや、そもそも2日目ぐらいに、近所の診療所で薬もらいに行きますけど?そこはいいんですかね?

日常生活の「普通」の動きというのを、なかなか分かってない対応が多いなぁ、と、勇み足でチャーター機を飛ばし、武漢から数百人を帰国させ、無自覚感染者を東京に放った(表現はふさわしくないですが、あくまでも対ウイルスで言うと)形ですからね。

深く、深く、考え抜くことのない「アサハカ」さが出ましたかね〜、安倍さん。そもそも、数字いじりばっかりで、ご自分自慢だけでやってきた方なのでしょうからね、仕方がないか?と言えば、仕方がないのですが。

中国が突貫工事で病院を作ったり、マスク工場を作るという「わらい話」が、ここ日本でもあるような気がしてならないのです。〈こうなった場合の対応、対処を深く考えて、形にした〉というあるべき姿は、この後、今の政府は、見せていただけるのでしょうか、ね。

まぁ、何かが起こったら必死に逃げたり、あっち向いたりしながら凌いで、ちょっと酒でも入ろうものなら本音が出てくる始末ですからね。もっと言えば、「え?何が悪いの?」という態度で、被災地視察で、水たまりをおんぶしてもらって渡るぐらいですからね。

みんなが、必死になる。その必死が隣の必死と合わさって乗り切れる。そんな美しいサイクルを、正しい手引きを。それを「みんな」で見つけていく中で、少なくとも邪魔になることだけは避けてもらいたいな、なんて考えます。

思い出すのは、東日本大震災で壊滅状態の交通網で、1000万人都市、東京は、混乱することなく、整然と美しく必死でした。

これから起こるだろうことを、深く、深く考えて、一度決めたら必死にやる、もし、間違えていたらすぐに正す。戻るべきとき(もの)は、すぐに戻る。止めるべきものは、すぐに止める。いろんなことが絡み合って(こんがらがって)人脈があるから政治がうまくいっているわけではないことを、、、それこそ深く考えていただければ、とっても嬉しいいです。

それにしても、ネットワークだけでバーチャルに「ひとつになった」世界に生きているとは思っていましたが、これだけ、リアルに、ヒトからヒトにウイルスが感染して蔓延すると、世界中の往来は、ほんとにすごいリアルネットワークのもとで行われているんですね。

車やスマホなど、いろんな「製品」が部品不足で納期遅れになっていると聞きます。ミルクボーイのネタで、コーンフレークは生産者の顔が浮かばないから、誰に感謝していいかわからん、と言ってましたが、その見えない生産者の「向こう側」には、もっと人がいて、その人が作り出した部品が製品になって、手元に届いているんですよね。

今回、新型コロナウイルスの影響で工場の稼働がとまった部品工場の影響が、ダイレクトに納品遅れという結果でつながると、リアルネットワークを痛感させられます。

さぁ、もうすぐ3月です。今朝は朝から暖かいです。妻と息子は図書館に行って、本を借りてきました。思わず、暑いと言うほど、ポカポカ陽気(らしいです)。

ついこの間、このHPび更新で、2月ですよ、はやいもんですね、なんて書いた記憶があるのですが、3月です。4年に一度の1日多い2月ですが、それでも本当にはやいです。自転の加減で365で割り切れない「あまり」を調節するための1日。寄せて寄せてこれまでの時間を24時間にして過ごしても、あっという間ですね。

1分間、じ〜っと何もせずに、さらに息を止めて過ごしたら、1分は信じられないぐらい長いのに、それを60周して、さらに24回繰り返して、365も積み重ねた525,600分は、あっという間です。

じっとしているわけでも、息を止めているわけでもなく、泣いて笑って食べて寝て起きて、遊んで失敗して頑張って、さぼっているから、あっという間なんでしょうね。

「東京、ぼく、ひとり」という昔昔に書いた自分の詩を見ながら、今の自分の一瞬一瞬が奇跡だと思えてならないような日々です。特に、今のように、リビングにいる家族がそれぞれ別々のことをしながら、日差しの差す窓の借景もあって、リラ〜ックスしていると。

明日、清水との開幕戦を皮切りに、いよいよFC東京の観戦三昧の日に突入する3月を前に、ね、この時間、良い感じです。出かけるのは午後なので、昼ご飯まで、・・・一眠りしようかな、とか。

来月は、やっと行ける「ピーター・ドイグ展」や、初体験のグランピングが楽しみです。高輪駅も見たいし、ハーバーマーケットが天王洲であるし、息子は応募した体験イベントではしゃぐだろうし、春休みになったら行きたい映画も何本かあるみたいだし。そんなこんなで、3月もあっという間に終わるんだろうな、と思います。

春も夏も秋も冬もあっという間に流れても、だけど1分1分は(息を止めて耐えて過ごすと)長いのだと噛みしめて、丁寧に踏みしめて、いろんな物事に対して必死に。そうやって向かい合う時間や姿が、美しいと思える、あるべき姿で。年度末へ向かう今、改めて思います。



■2020年2月15日
「春告光」

先日、家の前の公園を朝、家族でランニング。していると、梅が咲いてました。別名を春告草。春を告げる「草」なんですね、梅って。きれいな梅色の「花」が、早朝の、透き通った空に映えて綺麗でした。

春告鳥のウグイスも、ちらほら鳴いていたんじゃないかと思いつつ・・・。これは、春告魚のニシンでも蕎麦でいただきたいな、なんて。

ニシンそばを考えると、決まって京都は四条大橋の、河原町から八坂神社へ進む道のりが浮かんできます。南座の演目は、今月何だろう、とかなんとか。

あの、鴨川の流れ、堤防に等間隔で並ぶ恋人たち、木屋町の夜。先斗町も、烏丸も、綾小路も富小路も、この、春を待つ時期の京都の光景が、もう、京都を離れて長いのに、思い出されてきて。

同じように、代官山の駅から蔦屋書店に向かう路地で、河津桜が狂い咲き、というか一本咲きしていて、「あ〜、これ見たら、もうすぐ春なんだな、ってなぜかおもっちゃう」という息子の言葉が、かぶってきます。

そんなに代官山なんてハイソな場所、来ないのになぁ、私は不思議に思いつつ、「あ、そうか」と、息子にとっては、桜とビルのコラボレーションこそが、春を告げる光景なのか、思い直して、納得しまして。

何にしても、この時期の陽気は、春を思わせます。

雨が降ったり、その雨が、みぞれだったり、かと思うと、ぽかぽか陽気だったりで、それもこれも、みんな春を告げる光景です。

特に、「光」。視界全部に広がる光の加減が、確実に春を告げているように感じます。

春が来る。それは、つくしの子が恥ずかし気に顔を出して、さらば友よまた会おう、と別れる季節でもあって、息子の小学校では、6年生を送る会に「365日の紙飛行機」を歌うらしく、風呂場で彼は繰り返し歌ってます。

「人生は紙飛行機 願い乗せて飛んで行くよ 風の中を力の限り ただ進むだけ その距離を競うより どう飛んだか どこを飛んだのか それが一番大切なんだ さぁ 心のままに 365日」。

セーラー服を脱がさないで、から、知らず知らず歩いてきた、川の流れのように、まで、幅の広い歌詞を書く秋元康氏の、まぁ川の流れのように系の一曲。オリジナルのAKB48が歌うのを聞いたことはないですが、ドラマ「グッド・ドクター」で、声をなくした少年が歌い上げたシーンを思い出します。

〈風の中を力の限り〉という、このドがつくほどのストレートな言葉に、旅立ちを後押しする在校生。なんか、いい感じです。

お別れがあったら、出会いがある、なんて校長先生のようなことを記すと、うんうん、としっくり来る年齢に達した私は、4月になって、新しい気持ちで春から始める息子のことが、とても頼もしく感じてます。

子育て10年、という私の勝手な区切りで言うと、もう親である私たちが、付きっ切りで、ある意味「いろんな選択肢」を与える時期は、ラストスパートです。

10歳までに底辺を広げる。そのために、キッズ向けではない場所や時間を共にしてきたつもりです(きっとそうだと思ってます)。そこから、彼が何を選んでいくか。

10歳から20歳までの激変(超・成長)が、さみしくも、頼もしく感じられます。

そんなことを考える時、いつもきまって、この2月から3月の、春を告げる光、に包まれているように思います。なんでしょうね、巣立つ、旅立つ、って、育つの中にあるとても大事な、そして、とてつもなく言いようのない、区切りなんでしょうね。

「北の国から」の「巣立ち」、五郎が、純に渡した泥だらけの1万円札。嗚呼、涙です。これまで、確実に「純」の立場で感じていたものが、だんだん「五郎」の側に立つようになってきています。

そういうのが、最近多く、先日、ちらっと「深夜特急」を読み返していて、あんなに主格で書かれた主人公、それもノンフィクションのそれすら、私は「私」の立場で読むのではなく、日本で見守る親の側になったりするから、不思議なものです。

なんで急に、「深夜特急」を読み返してみたかというと、アナザースカイというテレビ番組で、大沢たかおさんが出ていて、ロンドンの街を歩いているのを見たからです。

ロンドンと大沢たかおさんが、「ゴール地点のロンドン」(深夜特急のゴール地点)と重なり、彼が演じていた沢木幸太郎、ドラマ「深夜特急」を思い浮かべたからです。

アナザースカイかぁ。私にとっては。35以上の国を訪れて、空を見てきましたが、生まれ育った京都、最初に働いた大阪、初めて一人暮らしをした兵庫(まぁ、ひとくくりにして関西)の空と、家族を持った東京の空。

以外に、、、どこが自分のアナザースカイなんだろうと考えてみたりして。

学生の頃の旅は、1か月単位で旅に出て、そこに住んでいたので、印象は強く、でも、1週間ちょっとしかいなかったのに、強烈に覚えている空もあって。

サンルイスオビスポやニューヨーク、ペロポンネソス半島のオリンピア、マサイマラ、ハラホリン、ラパスにカトマンズなど、いろんな空が思い浮かびます。

中でも、ロンドン。

この都市は、私が最も長く滞在した都市で、アーチウェイという地下鉄の駅から、数分の場所でホームステイをしていました。朝、トッテナムまで学校に行くとき、すごくウキウキしたのを思い出します。

あの時の、空も、空気も、光も、すごく、覚えています。1997年のことなので、もう四半世紀近く前のことです。なのに、こんなにも濃厚に覚えています。あそこには、そういう魔力のようなものがあります。

息子の最初の10年、を締めくくる旅。ロンドンというのは、グッドチョイスのように思います。彼の夢中なフットボール、アーセナルにチェルシーというビッグクラブが本拠地を置いている場であり、フットボールの本場です。

そこで、サッカーを見るのは、このまえ行ったニューヨークの、ヤンキースタジアムでみたNYC.FCとNYレッドブル戦とは比べ物にならないインパクトだろうし。

乗り物好きでもある彼には、ダブルデッカーにロンドンタクシー、TUBEの行き来は興奮に違いありません。

うん、いいかも。ロンドン・アイすらなく、まだダブルデッカーがパブリックバスとして走り、コーヒーは高いけど、紅茶は50Pで飲める、なんて印象しかない私の中のロンドンイメージをアップデートする意味でも、いいチョイスかもしれません。

映画で「キャッツ」を見て、最後の「ライオンのところ、行ってみたい」という息子よ、トラファルガー広場は、目の前にナショナル・ギャラリーもあって。街中には広い公園がいくつもあり、芝生にゴロンするには最適だぞ、と。

それに音楽がある。古き良きものを愛でるマーケットもある。ファッション、アート、ミュージック。街で楽しむ要素は勢ぞろいで、(全然ダメだった)食も、レベルが高くなっていると聞きます。

ベルリンという街も捨てがたいですが、やはりロンドンかな。そんなこんなで、本屋に飛び込んでイーストロンドンやリヴァプールなどの関連本を読み漁っています。

窓の外からは、春を告げる光が、今日も、です。



■2020年2月8日
「キャッチして集めてポイっしたい」

悩みに悩んで、満を持して(奥さんが)購入したホームベーカリー。おかげで、先週一週間、わが家は焼きたてのパンの朝食で過ごしました。思い出すのは、モントリオールのB&B。そこで過ごした2週間強は、毎朝、パンとコーヒーの香りで目覚めていました。あの頃のような、なんとも言えない幸せな一日の始まり・・・。

で、パンをかじりながらコーヒーを飲み、目を落とす新聞紙面には、クルーズ船に閉じ込められた人達のニュースが。日に日に感染者が増え、14日間の「閉じこもり」の間にも、まだ増えそうな勢いで。あの船の中に自分がいたら、と想像して、どんな朝だろう、、、と。

大型クルーズ船ダイヤモンド・プリンセス号が横浜港に停泊中で、入国が許されない現状、乗客は船の外にはでられないという状態です。香港の男性の新型肺炎感染から、次々に拡大する感染のサイクル。みな、自分の部屋に閉じこもっている状態だと言います。

例えば、「あれ?よく考えたら7時間も席に座ってパソコンを打っていたよ」ということは良くあります。が、自由の制限された狭い空間(飛行機の機内など)で、絶対に降りられないという条件下で過ごす7時間は、同じ時間でも苦痛の度合いが天と地ほど違います。

それを考えると、停泊してからのこの数日、乗客の方々の気持ちを察するに、もう、言葉がありません。さらに、その窮屈な空間には「ウイルス」が確実にいるという恐怖があり、さらにさらに、本当に14日間で終わるのか?という不安(終わりの見えない)まであるので、ね。

クルーズの旅は、世界的に人気で、日本でもパーツ・パーツで乗船・下船できるようになったので(値段もお手頃になって)人気を博しています。そこに来て、この危機ですからね。クルーズ船に乗るというのは、こういう危険性もあるのかと身構える人も多くなりそうですね。

バルコニー付きのキャビンじゃなくて、外に出られず、しかも内側キャビンなんて窓もないので、もう、ねぇ、どうしたもんかと。恐らく、長期間、どの国にも入国を拒否されて、停泊しなければならない状況への対応策は、船が沈んだときに比べて相当に薄っぺらいでしょうからね。為す術なく、じっと耐えるしかないという数日間は、映画の世界よりも恐怖です。

一気に数千人が寄港地に降りたって、数時間で土産物を買っていく。だから、寄港地の物産販売は伸び、経済も潤ってきた、ということと、物を買ってくれる「客」にウイルスがあるなら降りてはならないということと。人と物が行き交い、交流することの「壁」の取っ払いは、世界はひとつ、を実現させてくれそうですが、こういう感染症はねぇ、パニックになりかねないですよね。

先週、ここで書いたとおりに、案の定、マスクはどこもかしこも売り切れで、実際のウイルスの感染力(がもたらすパンデミック)よりも、噂や情報(時には誤った)だけが拡散するインフォデミックが起きていると、世界保健機構はコメントを発していました。今の世の中、そのスピードは凄まじく、もっと凄まじいのは「それを止める術がない」ということですからね。

情報を統制して、民を冷静な状態に保つ。なんてことを、昔昔のお殿様はやったんでしょうけど、今の時代には錯誤。その錯誤を、まだやってるもんだから、ね、「あの」国も、いつまでたっても厄介な、というか、迷惑な結果を生んでしまうんですよね。

SARSで痛い目にあった香港は、今回の新型コロナウイルスにとても敏感だと聞きます。中国から来た者は2週間隔離すると発表すると、それを目前にして、つまり隔離されない間に、と、香港への入境に殺到しているというニュースがあります。法律やら準備やらで、例えば、8日から隔離します、ということになるんでしょうけど、この8日という日付には、ウイルス感染力においては何の意味も無く。

隔離前に、大量に戻ってきた人達が、間違いなくウイルスは運んできてますからね。この後、香港での大量感染、なんてことになったら、混乱は極めてしまいそうです。その香港に住む知り合い数人に聞くと、「マスクをしてないと犯罪者扱いだよ、まるで」なんてことも聞くし、とはいえマスクは売ってないらしく、でも、そうなることを想定して、その前から何百枚も買いだめていた、とか。

また、香港の日本人学校は長期休校状態に入ったらしく、帰国して、東京の小学校に復学して、しばらく学ぶらしいということも聞きました。ウイルスに色でも付いてたらいいのに、とこういうときには本当に思います。見えないから、不要な心配や警戒が生まれるし、それに無頓着すぎると感染するしで、何ともやりきれないですよね。

アメリカで猛威をふるっているインフルエンザ。日本でも、数年前までは、インフルエンザに対して、警戒が甘いようなところがありましたが、今は、もう、インフルエンザに罹ったのが云々ではなく、罹った(もしくはその疑いがある)後の行いで、非難されるようになった気がします。

ちゃんと検査して、インフルエンザなら確実に自宅にいる。その間の仕事のことなどで、中途半端に「がんばっている」(往々にして企業戦士と呼ばれた世代の人に多いですが)人には、「インフルエンザなのに、すごいね、責任感あるね〜」なんて反応は皆無。そんな状態で出社でもしてこようものなら、「まるで犯罪者をみる視線」が集まっています。

往々にして、「そうならないための」対策は100%ではありません。なので、「そうなったときの」対応を正しく完璧する必要があるんですよね。感染した人。それは、その人が「感染したこと」に非難されるところはゼロです。その感染したあとの行動を、正しくするか否か。ここが、大きな分かれ目です。

しばらく暖かい日が続いていたので、こりゃ、梅も桜もはやいぞ、と期待する一方で、早々と花粉が飛び始めて、マスク不足で「よーゆわんわ」と思っていたのですが、この数日、キリリと寒くて。ちょっとは花粉も収まるかな?と思いつつ、これを、日差しの入るリビングで記している今時点、鼻がむずむずします。

部屋では、静かに音をたてる空気清浄機が稼働していて、でも、鼻はむずむずします。息子は、土曜授業なので、静かです。天気はとてもいいです。でも風は冷たいのだと思います。奥さんはフローリングに寝そべって新聞を読んでます。私の読む記事と、彼女の読む記事が違うので、なんだか面白いです。

何が原因なのか、近頃、腰痛がひどい私は、クイックイッと時々腰をひねってパソコンを打っています。ピンポーンとチャイムがなってAmazonの荷物が届きました。これを書き終わったら、今更ながら今出てる1〜53巻をまとめ買いした漫画「GIANT KILLING」を読もうと思っています。午後には、jリーグ覇者のマリノスと、天皇杯をとった神戸の試合をテレビ観戦しようと思っています。

夜はおでんらしく、仕込みの終わった具材が鍋の中につかっていて、夜ご飯を食べたら、寝て、明日は代官山へ行って。そんな風に続いていく私の週末は、だけど、明日、起きたときに「あ、やっぱこっちにしよ」とか「やっぱ止めよ」「やっぱりやろう」なんてことが全て自由です。

そんな自由のない大型クルーズ船のキャビンでの、今日から明日を耐える方々のことを思い、また、考えます。ゴールテープという存在は、本当に必要だな、と。それのあるなしで、ずいぶん過ごす(耐える)時間の苦痛度が違うなと。

流行病は昔からずっとあって、まさか、今の時代、高い矛をもって町中練り歩いて、矛に病を集め、最後は境内の池に矛を沈めて病を退治するなんて、祇園祭みたいなことはできないのですが、なんとか、この見えずに蔓延しているウイルスをキャッチして集めて、どこかにポイッとできればいいのになあ、なんて子供のような発想も浮かんで来たりします。

地震をはじめとする自然災害しかり、感染力の高い病気しかり、もっというと事故、事件など諸々、全てを避けて通るためにできることは、(例えば、新型肺炎には手洗い・うがい)万全ではないです。大事なのは、それが起こったとき。さて、どうするか。

ん?今、私が新型肺炎に感染したら、もしくはその可能性があるなら、どこに電話すればいいんだっけ? 保健所?ん?保健所って、どこ?・・・みたいな状態なので、スマホに、私の住んでいる区の保健所の連絡先を登録しようと思います。



■2020年2月1日
「うつっちゃう」

中国の武漢。ブカン、ブカンと連日聞くこの都市の名前を、今はもう、知らない(聞いたことない)という日本人も少ないような状態ですよね。確認されていたコロナウイルスの6種には当てはまらない新型のコロナウイルスが、この武漢で確認され、ヒトからヒトへの感染に拡大して、猛威をふるっています。

風邪と称されるものには、4種のコロナウイルスがあり、あとの2種は重度な症状が出るサーズ(SARS)とマーズ(MERS)がありました。今回の新型コロナウイルスも、ゆくゆく名前が付くのでしょうけど、今はまだ、名もなき恐怖で「武漢」とか「新型ウイルス」「新型肺炎」などの言葉が並んでいます。

中国から発生したウイルスが猛威を振るう、といえばサーズを思い出します。これは、コウモリのコロナウイルスがヒトに感染して重傷の肺炎を引き起こし死者が出るというものでした。2002年、中国の広東省で発生してから同年11月〜翌年7月までに30以上の国で8,000人以上に感染、うち755人が死亡しました。

当時、日本でも大きな話題となり、国内でも感染疑いや感染の可能性がある患者というのが報じられ、特に人気観光都市の「香港」で感染者が拡大していたので、旅行へ行くのを控えたという「サーズ・ショック」と呼ばれる現象が印象に残っています。

その10年後、2012年にサウジアラビアで発見されたマーズは、ヒトコブラクダに風邪の症状を引き起こすウイルスがヒトに感染して、重症の肺炎を起こすというものでした。厚労省のホームページでは2019年11月30日時点で27カ国、2,494人の感染者がいて、うち858人が死亡しているといいます。

サーズとマーズ。どちらかというとサーズの方が、発生の地が日本に「近い」ので、インパクト大です。そういう意味からも、今回の新型コロナウイルスの発生は武漢ですからね、日本中が警戒するのも納得です。都内の病院に感染者が運ばれているので、外出にマスクは必須の状態で、手洗いも入念になります。

さて、この武漢。名前は分かったけど、武漢市のある湖北省ってどこ?という感じの方も多いでしょうね。シンボリックな観光資源(万里の長城、みたいな)もなく、観光でバンバン訪れる都市ではないです。北京か上海なら、上海に近く位置して、人口は1100万人(ほぼ東京と同程度)の大都市です。なので、日本企業からの駐在者も多い都市です。

昨年末、これまでにないコロナウイルスが武漢で発見されて、市民(医師)がグループチャットで警鐘を鳴らしたのに、〈デマを流した〉と告発されるという初動のまずさ(中国というお国柄か)があって、発見から1か月も経って、急に報道され始めました。

慌てた中国政府は付け焼け刃で武漢市内の駅や空港を一気に封鎖するという、なんとも「らしい」荒治療に出ました。物流が止まり、食べ物も不足しがちで、外出も控えているので、文字通りの封鎖状態にあります。1100万人の都市が、封鎖という事態になりました。

が、そのうちの半数近く、数百万人は封鎖前に武漢市を脱出しているともいわれ、現に、武漢からの訪日団体観光客を、東京から大阪へ運んだツアーバスの運転手さんが感染しました。次いで、同行していたガイドさんも感染。ヒトからヒトへの感染が、ここ日本でも確認されたことになります。

駐在などで武漢にいた(帰国を希望する)日本人を、政府がチャーター機を飛ばして帰国させ、帰国された方の一割ぐらいは発熱などの症状があるといいます。そして、検査の結果、陽性反応が出て感染が確認された方も、チャーター便が帰国する度に数名います。

ウイルスに感染した人をどうのこうのいうのは絶対に違いますが、確実なのは、ウイルスを連れて帰ってきたという状況に違いはありません。自国に帰国した後、アメリカやオーストラリアなどでは軍施設や離島に隔離して経過を見る処置がとられていますが、日本では、そこまで強制力を持っていません。

そもそも、チャーター機で帰国した人に、片道の正規運賃、8万円近くを負担してもらっている以上、帰国して、検査してください、二週間は自宅で待機して外に出ないでくださいというのも、「強くお願いする」程度しかできなんでしょうかね。第一便で帰国した人の中には、空港での検査すら拒否する人がいて、そのまま自宅に帰るなど、ちょっとウイルス感染を甘くみたような処置もありました。

チャーター機で帰国する人たちの感染が次々発覚してから、やれ一時待機のホテルで相部屋を止めるとか、検査は受けてもらうようにするとか、「次のフェーズに入った処置」ということらしいです。何なんですかね。難しいと言えば難しいですが、これはウイルスに対する処置なわけで、その割きりに徹底がなかったようにも思えます。

潜伏期間は最大で10日ともいわれ、その潜伏期間中にも感染するらしいです。さらに、この潜伏期間を過ぎても、鼻水や発熱など何の症状もです、なのにウイルスに感染しているという例が、日本国内で発生しました。無症状で新型コロナウイルスに感染しているんですから、本人はおろか、周りにも「見えない恐怖」がつきまといます。

武漢にいたことがある人はもちろん、武漢にいた人に接触した人、さらには、その接触した人に接触した人ぐらいまでの人は、敏感になってほしいと思います。今後、武漢にいた人に接触した人、に接触した人(=仮にデパートの店員さん)に、接触した人にまで感染するほど強いウイルスなら、パンデミックを極めますよね。

インフルエンザもまだ流行する時期がやってくるかもしれません。それに加えて、花粉も飛びます。マスクはまだまだ手放せませんが、それとは違って、死亡例のある肺炎ですからね。マスク以上の注意をしても、しすぎることはないかと思います。

政府専用機がJALからANAに代わって、政府が手配するチャーター機もANAなんだ〜、なんてのんきに思っていた私も、帰国者の感染が確認される度に、どんどん敏感になってきました。武漢に行って帰ってきた機体に乗るの嫌だなとか、チャーター機の乗務員さんは、次、何に乗務するんだろう、とか。(ANAによると、CAはチャーター機内ではマスクに手袋をして、乗務後2週間は待機、機体は完全消毒されるそうです)。

羽田空港からモノレールで浜松町へ、もしくは京急で品川へ、少なくなったとは言え、春節で日本にやってこられる中国の観光客も多く、普段から浜松町、品川にいる身なので、先述の、接触した人に接触した人、に接触した人、ぐらいの人には、接触する可能性もありますからね。敏感にヒリヒリしています。

日に日に倍々で感染者や死亡者が増えていく新型コロナウイルスによる肺炎。来月、サッカーのアジアチャンピオンズリーグ(ACL)で、中国の地で行われるFC東京のAWAYも心配だし、もっと先の東京オリンピック時期にまで要注意状態では、本当、困りますよね。東京オリンピック中止、なんて誤報も出回ってるらしいです。

サーズの場合は、11月ぐらいから翌年の7月までかかって抑え込んだらしいので、今回は1月からですからね。9月頃までかかるかもしれません。

ほんと、マスクが手放せません。ドラッグストアには、マスクも品薄と言います。が、わが家には、まだ、先々週ぐらいにかったマスクの箱があるので、のんきに構えてますが、今のマスクがちょうどなくなる頃には、マスク不足が深刻化していたりする?と・・・

そんなことを心配して買いだめすると、品薄に拍車をかけますからね。テレビのニュースで、日本のドラッグストアでマスクを〈これでもか〉というほど買いだめしている中国人観光客の姿を見ると、・・・ねぇ、ほんと、これ、なんとかならないもんかな、と思います。

同じく、武漢の病院でのカオス状態もしかりです。パニックのような状態は、その原因である事象そのものよりも、それを受けた「人」がどう反応するかで、それが群になると「個」に呼応してどんどん「みんな」が掛け算方式でパニックになります。

こういう時こそ、わしがわしがの我で場を乱すことなく・・・を願いたいですが、ねぇ、まぁ無理でしょうね。

以前、上海のディズニーランドがオープンしたとき、行列の側で放尿する人の「品のなさ」が話題になりましたが、今回も、武漢の病院で診察をなかなか受けられない患者のおじさんが、完全防護服をまとった病院関係者のデスクに、つばを吐き散らしていました。

日本なら、絶対にないシチュエーションが、中国にはあり得るんだな、と思い、武漢からチャーター機で帰国された日本人の「ほっとした」という気持ちは、痛いほど分かります。

とにかく、今は、「うつっちゃう」というのに、冷静に。それは、誰もが買いだめに走ったり、過剰にパニックになったりする状況にも、です。冷静に、的確に、そして迅速に。心がけたいです。

さぁ、2月です。鬼は外!今年の恵方は、西南西らしいです。豆まきは平日になってしまいますが、ちゃんと豆をまいて、手巻き寿司を黙って恵方に向かって食べようと思います。

私が子供のころは、2月と言えば、節分よりバレンタインデーの方がイベントとして注目度が高ったですが、年賀状がなくなるのと同様に、義理チョコがなくなり、クリスマスがハロウィンより下火になるのと同様に、恋人たちというのも減ったんでしょうかね。

そして、今年からは祝祭日が増えて最後の週は三連休です。いよいよ始まるFC東京のJリーグ制覇の年の開幕!まずは開幕戦の清水との試合が楽しみでしょうがないです。マコは出るのか?出ないのか?というのも注目ですが、やっぱり剛。副キャプテン、頼んだぞ!と。



■2020年1月25日
「必ず最後に素は勝つ」

曲がり角でゴツン。と、何(誰)にぶつかるかは、その時の自分の勢いみたいなのに関係しているのかな、と思います。何にも「ごっつんこ」しない近頃の私は、勢いが、あるわけでも、ないわけでもなく。

もし、このままを保てるならベストなんですが、この先、グーンと(勢いが)下降するとすれば、自然と下を向きがちで、ゴツンと「物」に当たってしまうように思います。電柱や立て看板や、赤いコーンにけっつまづくかもしれません。

逆に、グイーンと上昇すれば、自然と歩くスピードもあがって、ちょっと駆け足みたいにグイッと曲がるから、ゴツンと「人」に当たってしまう確率が高いような気もします。大概、そういう勢いになるのは人混みで、駅の狭いコンコースか何かで、トンとぶつかる感じです。

「道路の曲がり角付近は見通しが良ければ徐行しなくてもよい。(普通自動車免許 学科試験より)」。正解は×。曲がり角では必ず徐行しないといけません。勢いがあっても、なくてもいけない徐行というのが、やっぱりいいんでしょうね。

そもそも徐行って、ゆっくり進むということですが、使われるのは自動車や乗り物の速度の時に限られていて、【直ちに停止できる速度】が、徐行らしいです。進んでもいいけど、すぐに止まれる速度。でも、そういう「成長」って、攻めてない・下降するだけ・じり貧、なんてことになるから厄介ですよね。

どんどん店舗を増やして、商品の流通を効率化させて売り切る。そんなコンビニの成長戦略に、待ったがかかっているようです。理由は人手不足と、それによる人件費の高騰。結構なスピードで店舗を増やしてきただけに、今は「徐行」に変えたという感じでしょうけど、そこには、直ちに停止できる、というのもあるのかな。新聞記事を斜め読みして思ったり。

そしたらすぐ隣の記事には、猛スピードで駆け抜けようとしている「6G」のことも書いてあって。通信の世界の第6世代。電波の届く範囲は狭い分、強力に、高速につなぐことのできる網が、10年後には張り巡らされるといいます。ちなみに、今年は、第5世代の「5G」が普及するそうです。

この6G。電波の届く範囲が狭いので「基地」がたくさん必要になって、昔の携帯電話の通話エリアマップをぼんやり思い出しながら、人の多いところ=電波が届く=赤く塗られた場所、ということになるんだろうな、「あそこ、田舎だから電波こない」なんてことにも、なるんだろうな、と思っていると、、、

この6G、多くのことが遠隔でできるので、人里離れたところほど、基地をたくさんつくって、通信環境を整える必要があるというのです。例えば、遠隔で診療する、地域のつながりをネット空間に生み出す、そして、まるでリアルのようにつながる。そんな環境を作るためですからね、そうなるんですね。人件費か、設備投資か。いずれにしてもお金がかかるんです。

NHKが3月からトライアルして、4月に本稼働させる「NHKプラス」。地上波と同時にネット配信をして、娯楽に便利というだけではない、緊急警報など必要不可欠な情報も、ネットを使って配信されます。

これは来る6Gの通信環境では、ますます幅を利かせて、もはや「あった方がいい」というものではなく、「なくてはならないもの」になるかもしれませんね。

今現在の4Gの世の中でも、多くのもが快適に快速につながるようになりました。音楽プレーヤーやカメラは不要で、録画用のデッキもいらなければ、テレビすら要らない。昨年の暮れごろから、本格的に財布(お札と硬貨)も不要、という世の中になりました。

それを「進化」として受け入れる私のような世代ではなく、デジカメやストリーミングが当然に存在した環境で育った世代は、逆に、使い捨てカメラや、カセットテープのアナログ感がたまらないらしく、復活の兆しもあるようです。

が、それらは必須のものというより、どこかこだわりの末に行きついたものという感じで。運転免許証やパスポートも、もしかすると、今の形が「懐かしい」といわれるようになるんじゃないかな、とか考えてしまいます。

パスポート中面の透かし絵が新デザインになるというニュースを見ながら、一方で、日銀や欧州中央銀行(ECB)など6つの中央銀行がデジタル通貨の発行を視野に入れて新しい組織をつくったいうのもあって。パスポートの新デザインは偽造防止のため、デジタル通貨は国家間の資金の流れをはやめるためらしいです。

いつまでも紙なんだ、というのと、紙はもういらないんだ、というのがない交ぜになったりします。

「いい木と住むこと」のキャッチコピーで、住友林業がCMする映像の中で、加瀬亮さんが「すきなもの」として器か何かをスマホ写真をとっているシーンが、個人的にとても大好きです。こだわって、選び抜いて、それらと一緒に暮らす。そんな空間って、便利とか高速とか軽量とか、そういうのとは真逆で、気持ちがすごく落ち着きます。

私の場合、ぼんやりと本棚を眺めたり、旅の途中で書いた日記をみたり、整理したエアーチケットを並べてみたり。そういう時間を、無駄を排したシンプルなリビングで過ごしていると、本当に贅沢な時間だな、と感じます。

お金はかけず、手間暇をしっかりとかけて。そういう料理にも、同じような心地よさを感じます。同時に、とても贅沢だな、と思います。金ぴかで、ザ・お金!を絵にかいたような贅沢空間よりも、そういう手間暇のかかった空間。それに贅沢を思うのは、和、なんでしょうかね。

過ぎない程度、というのでしょうか。○○過ぎない、ちょうどよさ。そういうのをしっかりと心得て、そこに向き合って、それらを並べて生きていく。これが、これからの時代の贅沢になっていくようにも思えます。・・・笑、年老いてます?

そんなことを考えていると、ふと浮かぶ光景があります。それは、幼いころの父の仕事場、テレビドラマ「おせん」の料理シーン、などです。クール・ジャパンで外向きに発信するものがアニメやオタクではなく、そんな手間暇をかけた空間やモノに変わっていく。

今、訪日外国人、特に欧米からの観光客は、東京や大阪ではなく、直島や田園風景のサイクリングなどに注目しているようです。日本人がパリではなくロワールへ、または南仏へ。そういう「奥」の方に着目して、そこで初めて知る本当の魅力、みたいなものに引き付けられたのに似ていますよね。

必ず最後に勝つ、のは、愛(だけ)ではなく、「素」なんじゃないかな、とかなんとか。

だからこそ、「素」の強さ。勝負は、素でするのだということ。それを余計に思います。す、とか、そ、とか。つまりは飾らず、加えず、地のままの。ひとりの人間としても、この「素」を高めていかないとな、と思います。

生まれたままの素(顔とかスタイルとか)は、高めようがないではないか。と、まぁ、そうなるんですが、ここでいうのは後天的な素。身に着け、磨き、造っては壊し、また造り。その繰り返しで、光沢のある素にできればな、ということです。

これは、子を持つ親として、子に願い、そのために親がすべきことを考えているときに、とても強く思います。幼いうちから、できるだけ選択肢を用意するために、いろんな経験をさせて、偏りのないバランスの良さを小学生のうちにつけてあげたい。

そこから「筋トレ」時期に入る中学以降は、自分で持久力をつけて、何か一つのことを極めてもらいたい。元横浜高校野球部監督の渡辺さんの言葉が、私にはそんな風に聞こえました。

極めた「素」。それは絶対の安定性。その素が、魅力的であればあるほど、素晴らしい。♪し〜んぱーい、ないからね〜。



■2018年1月18日
「ちゃんと・する」

楽しく。元気に。前向きに。(いろいろ)決めて。(ときどき)さぼって。穏やかに。鋭く。こだわって。丁寧に。ちゃんと。10個挙げろ、と言われたら、私は今年の目標に、これらを掲げます。まとめろ、と言われたら「ちゃんと」にします。

それはこの一年の目標(というかがんばる指標)なのか?と問うたら、確かに、これは今年に限ったことではないかもしれませんが、特に、今年は、と個人的には思っています。

ちゃんと。この副詞は「する(DO)」に添える言葉です。意味は、(1)少しも乱れがなく、よく整っているさま。(2)確実で間違いのないさま。(3)結果が十分であるさま。(4)すばやく動作をするさま。さっと。(「コトバンク」より)。

きちんと、結果をともなって、さっと「する」という、この感覚は自分自身でも大切にしてきたし、これからも大切にしていきたい様式になります。うん、改めて、これはいいぞ、よし、今年はこれで行くぞ、と思いつつ。

それにしても、この年頭という時期は、「始まり」と「終わりに向かう」感覚が混じる妙な気持になりますよね。子供にとっては3学期、会社なら第四四半期、そんな年度末に向かう終わりの時期です。

「新年あけましておめでとうございます。今年は・・・」と始まりを語ったうえで、「さて、今年度も残すところ3か月を切りました」なんてゴールが言われる。イヌ・ニゲル・サル。この三か月はあっという間です、とか。

バチっと一つにならないものかね、と思っていると、まぁ、それは世界的に見てもそうなんですね。例えば中国なら、正月より旧正月、アメリカならハッピーニューイヤーよりクリスマスホリディやイースター。そんな中の1月1日は、私たちにとっての4月1日みたいなもんなんですかね?(エイプリルフールという意味ではなく、年度の切り替え日という意味で)。

気持ちの入り交じりはあっても、年頭は年頭。ここでいっぱつ、「ちゃんと」をつかって一首、〈短歌にも 季語はいるのか いらぬのか ググってからだ ちゃんと詠もう〉

さて、今日はセンター試験ですね。やっぱり、センターの日は寒く、雪がちらついて、今年のように暖冬であっても、これだけは最後の最後までイメージ通りでしたね。来年からは「大学入学共通テスト」に移行されます。記述式だの、民間の検定導入だのとすったんだもんだがありますが、「雪がちらつく」どころじゃない混乱が起きないことだけを願います。

最近、間際のすったもんだが多くないですか?特に、東京オリンピック、それもマラソンに絞っても、コースどころか開催都市まで変更されるわ、厚底シューズ(ヴェイパー)は禁止になるかもしれないわ。男子マラソン日本記録保持者の大迫傑さんは「どっちでも良いからさっさと決めてくれーい!」とつぶやいてました。

最後の最後まで、最善を尽くして決めていく。まぁ、それは分かる気もしますが、決めてからの準備という「絶対に必要な時間」を軽視しすぎてませんかね?決まったら、決まったで出来るという時間間隔が、やってやれないことはない、という感覚なら、無理とひずみが否めません。

かと思えば、最善を尽くすという基準が、スポンサーのお金でブレるという状態なので、トホホです。オリンピックやワールドカップなど、そういう「大きな」話じゃなくても、身近の小さな一つひとつにも「これ」がはびこっているような気がして。

それにしても、あのレッドカードはないですね、さらに最後のPKの判断も、不可解です。オイルマネーが、主審の笛にも影響したのかな?と思わざる得ず、と思っていると、あの主審、お金云々以前に、これまでも誤審だらけなんだとか。サッカー日本代表、U-23の五輪まで最後の公式戦は、無残な結果になってしまいました。

一つ、結果が出ました。悔しいというより、恥ずかしい。そんな選手の声も刺さりました。これから、この結果をどう生かすかです。オリンピック本番じゃなくて良かった。私はそう思うことにして、この夏、日本がベストメンバーで一番高いところに日の丸を掲げること、信じてます。応援しています。

田村でも金、谷でも金。という言葉を、オリンピックのたびに思い出します。この目標というか覚悟、すごくシンプルで刺さりました。先日、ふと目がいったクリーニング店の店頭に「白さを極める」という書があって、これもスパッと入ってきました。わかりやすく、スパッと入ってくる一言で、覚悟を示す。

そんな言葉は、大切だなと思います。『ちゃんと・する』。これ、わが家の家訓にしようかな。会社で言えば社是や社訓、スローガン。サントリーの「やってみなはれ」は有名ですが、ソニーなら「・・・自由闊達にして愉快なる理想工場の建設」、ヤフージャパンは「UPDATE JAPAN」だそうです。

社員が日々業務の指標とする経営スローガンと、会社が考える在り方として示す社是は、主語が違いますが、表現していることの裏側にあるものは同じように伺えます。

そういう言葉をしっかり飲み込んで。2018年からFC東京は「強く、愛されるチームをめざして」というチームスローガンを掲げて戦っています。今シーズンは、これを踏襲するのか否か、どちらにしても、愛するチームが、強いというのは、本当に理想です。めざすところとしても素晴らしく感じます。

スローガン。主義・主張を短く記したこれは、個人的にはナイキの「Just Do It」がパッと浮かびます。他にも、「ココロも満タンに、コスモ石油」「NO MUSIC, NO LIFE.」(タワーレコード)、「お、ねだん以上。ニトリ」「あなたと、コンビに、ファミリーマート」などなど。「だけじゃないテイジン」や「お口の恋人、ロッテ」というのもありますね。

昔、何かのテレビ番組で、有名なコピーライターが集まって、飲み会で知り合ったばかりの女性に送る最初のメールの一文、というのを考えていた企画がありました。どの方が出ていたか忘れましたが、各々、まず自分の携帯電話を出して(誰かがソニエリのpreminiを持っていて、当時私も使っていたのでそのことをはっきり覚えてます)、いろいろと実際に打ってみて、考えて。

結論、全員の意見として出されたメール本文が、「電話しても、いいですか?」(というような感じだったような)でした。衝撃でした。なるほどと思いました。時代背景的に、LINEですべてをやってしまう今とは違ったので、だらだら書かず、電話しても(そういう間柄だという)いいですか、というメール。いいなぁ、と思いました。

これを見ても、言葉を短くしていけばいくほど、鋭くなって刺さりやすいし、その背景に想像が膨らみますよね。先述のセンター試験を受けて、無事大学に入った三年生は、まさに、これから色んな企業のスローガンにビタッとくるかどうかでエントリーするのかな、とか想像しつつ、検討をお祈りします。

ここまで、書いて。めちゃイケでやっていた加藤浩次さんばりに「鈴木家〜、家訓っ」と(息子は、それ、知りませんが)言ってから「ちゃんと・する」を発表してみたのですが、シーン→フーン→っで?という反応でした。ま、そりゃ、そうですよね。

それにしても土曜日っていいですよね。明日も休みという休みの日。金曜日の夜は明日休みだと思えるから次に好きで、明日は仕事かぁ〜と思う日曜日はその次です。一番嫌いなのは月曜日で、水曜日はその次に嫌いでした。でした、というのは、水曜日というのは月と火とやってきて、まだ木も金もあるという疲れている上に、まだ先があったからです。ただ、昨今の働き方改革で休みやノー残業なので火曜の方が嫌です。

毎週、どこかの曜日に有給休暇を入れて、勝手に週休3日で働くためには、一年48週、うちGWと年末年始がないとして46週あるとすれば、46日間の有給休暇が要りますからね。そんなにないよ、と思う人と、それぐらいでいいのか、と思う人では、普段から有給休暇をどのくらい使っているかで変わってきますよね。毎年繰り越して、たまった人には46日ぐらい、持ってるもんなでしょうね。

でも、普段から有給休暇を取らずに(取れずに)、46日以上も残っている人は、そもそも、週に一回有給休暇を入れてやろう、なんて思わないでしょうけどね。

クールビズのように、働き方改革という言葉は浸透してます。プレミアム・フライデーとか時差ビズとか、あっさりスルーされた言葉の中にも、この働き方改革は含まれていて、この中には男性の育児休暇もあるんでしょうね。大臣が、2週間休む。その「パフォーマンス」に対して、公務を休むのは公務員としてどうか、とか、歓迎・賛成、とか。まぁ、いろいろですね。

とにもかくにも、始まって動き出した今年一年、楽しく、元気に、前向きに、いろいろ決めて、ときどきさぼって、穏やかに、鋭く、こだわって、丁寧に。ちゃんとしていきたいと思います。



■2020年1月12日
「誰が誰のために何をしているのでしょうか」

暖冬ですね。これだけ暖かいと、感覚がズレて、そのズレた感覚のまま、うっかり出かけたりすると、夜、ガツンと寒かったりして、ブルブルします。ったく、もう〜とイライラして天を仰いでも、ただ黒い空で。先日、隣で歩いていた息子が、夜空を見上げて「パパ、月がきれいだね」と言ったこと、ふと、思い出しました。

黒い空に、きれいな月、じゃなくて、まるでゲームのようなミサイルの光。また、そんな映像を見せられましたね。アメリカによる攻撃で死亡したソレイマニ司令官の報復攻撃。イランがついに報復攻撃に出た、という一報は、「戦争か」というのを思わせました。アメリカ、共和党、やっぱり、か、と。

ただ、この一報と同時に、ウクライナの旅客機が墜落して乗客・乗員の全員死亡というニュースも入ってきました。なのに、ミサイルと関連はないと。さらには、米軍基地で撮影されたのは、飛んでくるミサイルの映像。もっと言えば、トランプ大統領が、記者会見前に、ツイートでこの報復攻撃(という重大なことを)についてつぶやいたり。

なんだか、違和感がものすごくありました。テヘランの空港を飛びたった旅客機が、このタイミングで関連もなく墜落するか?とか、戦争かもしれないという緊迫した中で、いくらなんでも、ツイートで第一声を発信するか?とか。そんな違和感満載の事象の中で、米軍側に被害者がいる、とか、いない、とか。なんだか、え?というニュースが続々と入ってきました。

で、翌日には、イラン側もアメリカ側も、戦争はする気がないという正気な判断で、最悪の事態は免れた感はあります。が、ここで思うのは、なんともパフォーマンスの押収で、いったい、これは何のショーなの?と思わせることです。ここまで自国のメンツをお互いが保つため、政治的な落としどころを探したようなやり方は、どうなんだろうと。

イラン側は、攻撃をアメリカ側に事前に伝えていた、とか。わざと米軍への被害を避ける軌道でミサイルを飛ばし、それを「だから」という理由で米軍もこれ以上の攻撃をしない、とか。このショーの最大の被害者は、イランによる誤発射のミサイルで墜落したウクライナ旅客機の死亡した176人。いつまでこんな不条理な被害者を出せばいいのか。

なんなんでしょうかね。一体、誰が誰のために何をしているんでしょうか。ゴーン氏にも違和感があります。パフォーマンス、ショーと言えば、こちらの方が上ですね。大晦日の除夜の鐘よりインパクト大で響いたゴーン。保釈中に海外逃亡という、信じられないニュースが入ってきました。(脱走的なニュース、多くないですか?)。

レバノンに逃げたゴーン氏が開いた会見。あれは、なんのプレゼン?という感じで。大事なところは伏せて、日本の司法を批判し、自分は被害者だと声高に訴えて。挙句、自分はビジネスマンとして日本人に今でも尊敬されている、と。そ、そ、そうです・・・か。

ダメなものはダメ。国民全体に「そうはいっても、、、ねぇ」という〈ひだ〉ようなものがないのは、アメリカ人、イギリス人なんて聞いたことがあります。が、その〈ひだ〉の柔らかいところで、ぬくぬくといびきをかいている人がいることを、・・・ねぇ、無視する日本の風潮は、YES or NO?と問われているような、気もしますが。

イギリスはEUから離脱して、ヘンリー王子も王室から離れて?どんどんネットワークやつながりからの個を露わにしているのかもしれません。が、ワンチーム。結局、日本人はコレが好きです。

先日のサッカーU-23アジア選手権のサウジアラビア戦。マコと剛が連携する未来のFC東京を思わせるような布陣で、全体的に、大事に慎重に試合を運びましたが、最後に決定的なミスが出て負けてしまいました。

今回のこの大会は、東京五輪の最終予選をかねていることでも注目度が高く、各チームの本気がうかがえるのですが、日本は、堂安やタケ、富安などなど、本気のメンバーをそろえて6月に遠征、そして7月にキリチャレというスケジュールに照準を合わせいているんでしょうね。

だから、今は、個のパフォーマンスで競い合っている段階。23歳以下という成長期にある選手たちの、「成長」のスピードは速く、経験がすぐに生かされる年代でもあると聞きます。それだけに、ここからのワンチームを期待せざるを得ません。

個のパフォーマンスを高めて、そこからのワンチーム。なるほど、図式としては非常にシンプルでわかりやすく、公式としても成功へ導くものかもしれませんね。そういうのが、世界中で溢れれば、もっと変わってくるかもしれません、よね。

年も明け、学校も会社も始まって一週間、完全に2020年モードですよね。

2020というこの年は、特に東京にとっては、この先も大事な転換点になりそうです。よく「東京オリンピックのために、新幹線も高速道も整備されて」云々と、その後の発展の起点として語られてきました。その時代を知らない身でも、1964という年が、そこまでと、それからの勢いや変化につながったと知っていました、これからの勢いや変化。それに「わくわく」できるように。

準備はしてきたので、あとは本番でのパフォーマンスです。この直前の最後の詰め。さぁ〜、高層ビルが次々完成して、駅が新しくなって、外国人がたくさんやって来て。始まりますね〜、ドキドキしますね〜。

私たちは、私たちのために、ドキドキしているんですよね。そして、わくわくするような未来に向けて、「コレ」をしていると言える日々を積み重ねることが大事ですよね。

難しいことは、難しいと認め、それをこなすためのチームを組み、その中の個のレベルを磨き、目的と手段をすみわける。手段のために右往左往した結果、目的を見失うというお粗末なことにだけはならぬよう。

明日は成人式です。成人を迎える若者のみなさん、セカイはスマホの中にはありません。ゲームほど楽しくないです。バーチャルはあくまでもバーチャルで、踊らされている場合ではありません。

結局、楽しているように見える人(物)ほど、決して楽ではないということです、それが、だんだんわかってくるというか、代償は、必ずあるということです。そんなことを伝えたいな、と倍以上生きる者として。

18歳でも20歳でも、成人となる年齢までの経験は、それからの気が遠くなるほどの年月にも、しっかりと立てるだけの土台です(経験談)。自分の乏しい(と思い込んでいる)これまでの経験なんて、使い物にならない。だから、だから、と、もっともっと、って無理して色んなことをする人の中には、「え?それは、らしくないでしょ」というのがよくあります。

その土台に、それ、置く?とか、そう飾る?という不一致です。

そんな人の多くは、土台の意識が乏しく、もったいない人です。持っているものを、持っているだけ、パフォーマンスする。イメージとしては、私はこう思います。「10しかないから、これから90を得て100を目指す」のではなく、「100あるうち、10までしか出してないから、あとの90をしっかりと出せるようにする」。これが、磨いていく個という感じではないでしょうか。

これからやっていく「新しいこと」があるとしたら、それは、個をだれかと結び付けて、もしくは所属して、ワンチームにすることです。誰が誰のために何をしているのか、と距離をおいて傍観するのではなく、しっかりと主観でチームを強くすることです。

そんな風に思いながら、昨日、埼玉スタジアム2020で観戦した全国高校サッカー大会の準決勝、ピッチを駆け回っていた選手や、バックスタンドから声援を送っていた生徒達を見ながら、思ったりしまして。



■2020年1月5日
「年末年始のこと」

帰郷の京都で、新年を迎え(例年のごとく)、正月三が日の食っちゃ・寝、食っちゃ・寝の、なまった体を、帰京して今朝、家族ランの走り初めでそぎ落としました(イメージでは)。

それにしても、柔らかい日差しが、本当に気持ちのいい朝で、この年始は、あったかい暖冬ですよね。

一周1kmのコース取りで公園を走るわが家の家族ラン。最初は準備運動のあとで一周をゆっくり歩きます。ゆっくり、なんて歩けない小2の息子は、途中途中でいろんな所で寄り道して、なぜか泥だらけになって(なんで?笑)。

昨夜、初雪?が降った都心部。確かに、この都立公園も霜がおりて、土からにょきっと隆起した氷の柱?が小さくあって。それらをいちいち手にして、手袋はべちょ濡れ、凍った箇所で、ひゅ〜と滑って、坂道ではちゃんと転んで。

まぁ、そんな小2は無視して妻と2人、どんどん進んでいると、後ろから全速力で、泥だらけの息子が、どーんと体当たりしてきて。

いやはや、始まったな、今年も、と思いました。いつもの日常に戻ったなと思えば、一気に何と言うか、グッと開始のイメージが濃くなります。

始まりましたね、2020年、今年も一年、がんばっていきましょう!どうぞ、よろしくお願いします。

さて、毎年きまって、私の実家(京都)と、妻の実家(富山)を一筆書きでまわって帰郷するのですが、今年は、品川から京都に向かう、年末の新幹線「のぞみ」に外国人が目に見えて多かったように思います。

東京区内から東京区内まで、東海道と湖西線、金沢、富山を回って一筆で乗車券を買うには、京都の山科駅というところまでしか買えず。なので、京都駅では、その差額を買うことになります。そのために窓口に並ぶと、並んでいる人が100%外国人だという状態です。

一昨年の年末以来、一年ぶりの京都となったせいか、これまで、普通にカフェだったところがスターバックスになっていたり、土産物屋が増床、増床で、そこには外国語が飛び交っていて。

ニュースで読むだけだった「京都のオーバーツーリズム」というのを実感したりもしました。一年ぶりとはいえ、前回は京都駅から地下鉄でひと駅移動して、九条駅から徒歩圏内の「アンテルーム京都」に泊まっていたので、この京都駅の変化は、2年ぶりになるから余計に感じるのか。

にしても、人が多すぎます。日本人の観光客と外国からの観光客の比率では、圧倒的に外国人に軍配があがる今、それも中国人が多いとみて、なんとも賑やかと言うか、忙しないというか、がさつという感じで、1人が3人分にも4人分にもうるさいからそう感じるのか。

京都駅から地下鉄で西大路駅へ移動。日持ちして、年末でもやっている中では、お薦めしたい和菓子「吉廼家」で予約しておいた生菓子のお重をピックアップ。この頃になると、雨も少し弱まっていました。

そして、今度は市バスで出町柳駅へ。6年ぶり?いや7年ぶりか。百万遍にある友人宅へお邪魔して、「お茶ぐらい出すよ」といってくれたその友人(住職)は、抹茶をたててくれました。久しぶりに話すのに久しぶりな感じがないのが、旧友と故郷とは、いいものですよね。

その後、下鴨神社で、かなり早い初詣をして、京阪電車で四条へ。高島屋の南側にできたGOOD NATURE STATIONというショッピングビルでスイーツを食べようかと思っていましたが、何となくそんな気分になれず(ここはかなりオシャレ空間で、東京にあってもおかしくないほど)、大丸の近くにある箸屋でお箸を新調して帰りました。いやいや、町中でも、外国人が多かったです。

実家では、兄夫婦と一緒に晩ご飯を食べて。年の暮れをゆったり迎えて翌日の大晦日。朝、5時半に起きて、カウントダウンまでのチケット(デイパス)なら空いてると聞いた「ユニバーサル・スタジオ・ジャパン」へ行きました。確かに、空いてました。

開園時間に到着して、すぐに入れて、スパイダーマンは並ぶこと知らず。いつもは並びながら、新聞社のオフィスやらなんやら、乗り込むまでに気分を盛り上げる展示なんかを、ダーッと駆け抜ける感じで。4Dになったスパイダーマン、鉄板に面白かったです。

その後も、シング・シング・シングのステージや、ミニオン・ハチャメチャ・ライドに乗って、アズーラ・ディ・カプリでイタリアンに舌鼓をうって。ここまでが、とてもスムーズで、混雑してないと、こんなにもささっと色んなことがこなせるのか、と。

空いてるっていいですね。大晦日のデイパス、ほんと狙い目です。で、その夜のカウントダウン、年越しのダウンタウンの絶対に笑ってはいけないスペシャルは、ほぼ見ることもなく寝オチして。年があけて元旦、早朝6時に起床しました。(まぁ、毎年のことですが)

京都の元日は、晴天でした。気持ちのいい空が広がって、初日の出もキレイで。テレビで富士山にヘリを飛ばしてダイヤモンド富士を映し出す頃、京都は東寺の借景で、初日の出が見事でした。

朝食は白味噌で雑煮。丸餅が妙に懐かしく。この懐かしさを、毎年のように感じます。それほどに、東京ではサトウの切り餅ばかりはまって食べています。年始の雑煮だけ食べたら、そのまま京都から北陸は石川県、金沢まで移動。サンダーバードという特急列車で向かいます。金沢で乗り換えて、そこから富山までは新幹線で。

例年、温泉街を通り過ぎるサンダーバードは雪深い景色の中を駆け抜けるのですが、今年は、そんなこともなく(というか、おそらくなかったような。寝ていたので知りませんが笑)、金沢に着いても、富山に移動しても、雪は降ってませんでした。

本当に暖かい正月でした。雪が積もって、庭でごろごろ雪との戯れを楽しみにしていた息子には残念でしたが、私にはうれしい温暖化でした。もう、雪が積もっていると、気分まで沈みますからね。ブーツもどろどろになるし笑

富山では、氷見の寒ブリ。これがやっぱり最高です。何回食べても、毎回新鮮に感動出来ます。いや〜、なんでしょうね。生タコも新鮮で、あー、もー、やっぱり海鮮がすごいです。

翌日、海鮮からちょっと気分を変えて、金沢にある六角堂というステーキの名店へ。特選和牛を目の前で焼いてくれるスタイル。息子はロースで、私はヒレ(もう、ロースが食べられる若さがない笑)。この辺りではちょっとした有名店なので、流石の味でした。

金沢では、ひがし茶屋街を歩き、金箔、金箔、金箔を堪能したら、兼六園の近くで美術館の中にあるカフェ、「ル ミュゼット ドゥ アッシュ」へ。ここは辻口博啓のアトリエ。スイーツの奥深さはさすがでした。ピスタチオ、ほんとにスイーツの王道になってきましたね。

箱根駅伝と、高校サッカー、高校ラグビー、春高バレーと、大学生、高校生の熱き闘いの行方にチャンネルをザッピングして。全録画機能からNHK紅白歌合戦のビートたけしの「浅草キッド」に、なぜか魅了されて。

まぁ、そんな感じで東京に帰ってきたら、暖かさのレベルの違いにびっくり。これは、暖かすぎですね。昨日は、そんな暖かい中、駒沢公園へBリーグ観戦に行きました。八村塁の露出度がすごいので、バスケがグッと身近になったし、Bリーグも昨シーズンの優勝決定の際は鳥肌ものでしたからね。

そのアルバルク東京vs千葉ジェッツの試合を見ました。富樫選手の速さはもちろん、確実に点を取る正確さにも驚き、なにより、思ったより小さいことに感心すらしました。やっぱり東京を応援してしまいます。が、負けてしまいました。それでも、アリーナ席だと、本当にすぐ目の前で、激しいプレーが見れるので凄まじいです。

この一戦、ボクシングの井上尚弥さんとラグビー日本代表の松島幸太朗さんも観戦してました。途中で、井上尚弥さんが上着を脱いで半袖になったら、腕が、太っ、となりました。それまでは小さい若い兄ちゃんという感じが、一気に、ね、さすがという感じになりました。

そんなこんなで、年末年始の休暇も終わり。明日からは一気に社会が動き出しますよね。始まりますよね。嫌ですよね〜。あー、もっと欲しいですよね、休みたいですよね〜。できればこのまま、ず〜っと年末年始だったらな〜。

なんて、小2の息子でも言わないようなことを言いつつ、これを記しています。



■2019年12月28日
「2019」

今年も今回が当ホームページの最後の更新となりました。「令」の一字、「ワンチーム(ONE TEAM)」の流行語で終わり、ミルクボーイの「コーンフレーク」「最中」で大笑いした一年。いろんなことがありました。

年が明けて1月。

元旦から、原宿の竹下通りで軽自動車が暴走するという事故がありました。豊洲市場では、移転して初めて迎えるマグロの初競りがあり、大間のマグロが3億3360万円で落札されました。わが家は、全国高校サッカー大会を観戦し、流通経済大柏と青森山田の勝利(準決勝を見に行ったので)に興奮しました。大坂なおみさんはテニス四大大会の全米に続いて、全豪までも制覇しました。

2月。

東京タワーの見える増上寺に行き、初めて豆まきを体験したわが家は、しっかり福(お菓子)をもらいました。ベトナムのダナンからは、米朝首脳会談の映像が入ってきて。東京オリンピックで金メダルに一番近いといわれた競泳の池江選手の白血病公表がありました。世界中のライバルからの声援メッセージが、実にスポーツマンシップでした。沖縄では県民投票があり。7割越えの得票を得て辺野古への移設反対の意思が示され、真摯に向き合うと言った首相の出した答えは、工事続行。

3月。

ゴーンさんの釈放時の恰好が話題になりました。エチオピア航空の墜落で、ボーイングの737MAX8の欠陥、危険性があらわになり、結局製造を中止することになりました。東京ドームでは、メジャーリーグ・シアトルマリナーズの開幕戦が行われ、メジャーデビューした菊池雄生投手と、引退を発表したイチロー選手の握手が印象的でした。飯能市に完成したばかりのムーミンパークに、行ってきました。

4月。

新しい元号は「令和」であります、から始まった新年度。数年後発行なのに、このタイミングで一万円、五千円、千円の紙幣変更が発表されました。まだまだ先なので、誰が何円札かはパッと出てきません。わが家は、とにかく変則日程で試合をこなすFC東京の試合観戦に明け暮れていました。世間では、ゴールデンウィークの10連休で浮かれているなか、パリから、ノートルダム大聖堂の大火災とう衝撃的なニュースが飛び込んできました。

5月。

天皇陛下即位で始まった令和の時代。トランプ大統領が令和初の国賓で来日し、雅子様の通訳を介さず会話をされる姿に、なんとも新しい時代の到来を感じさせました。滋賀県の大津では園児の列に車が突っ込み、川崎では小学生19人が刺されるという、子供をめぐる凄惨な事件が続いた月でもありました。

6月

蒼井優(美女)と(野獣)山里亮太カップルの結婚がめでたく、大阪では世界中の首脳が集まるG20がありました。アメリカに渡って学生生活を送るサニブラウン選手が、桐生選手に続いて100mを9秒台、それも9秒97の日本新記録をたたき出し、まだまだ余裕を思わせる姿が頼もしく。八村塁選手のNBA一巡目ドラフトも大きな話題になりました。わが家では、とにかく久保建英ロスの月でした。東京からマドリードへ旅立つ彼の壮行セレモニーに行き、土砂降りの中、息子は、ずぶぬれになりながら、涙をこらえつつ、見送っていました。

7月。

吉本興業のごたごたで、社長会見が5時間も続いて、なのに内容が薄薄でさらに話題になったりして。京都アニメーションの放火殺人事件は許しがたい怒り。参院選は与党の圧勝でした。この月は、東京ではとにかくオリンピックまであと1年だと盛り上がり、関連イベントがたくさん行われました。一年後のオリンピックで実際に使われる会場で、警備や誘導のリハーサルも兼ねて行われたバドミントンの世界大会、ジャパンオープンを見ました。本格的にバドミントンを見るのは始めてで、スピード感に圧倒されました。桃田選手の強さもみれました。大阪では、仁徳陵が世界遺産になりました。

8月。

とにかく暑かった。あおり運転が連日報道され、徴用工だのホワイト国除外だの、戦後最悪とまで言われた日韓関係(あくまで政治)の亀裂が、なぜか影響して日本で開催するスポーツの国際大会をボイコットしたり、観光客が激減したりと、よく分からないことことになりました。香港のデモも、過激化。九州北部では大雨による大きな被害がでました。わが家は、ニューヨークへ行き、開催中だった全米オープンテニスのキッズデーに参加。錦織選手に直接「がんばれ〜」と声援を送ることができました。

9月。

台風15号が直撃し、房総半島では深刻な被害がでました。東京オリンピックと同じマラソンコース(当時は)で行われた一発勝負の選考レースMGCで大迫選手を応援したわが家は、マラソンの楽しさを実感しました(その分、開催地が札幌に変わって、なんだかぁ、と)。そして、なんといっても、この月はラグビーW杯。日本で開催されるのに、盛り上がりに欠けていたのはなんだったのか、始まってみれば日本の大躍進。世界中からサポーターも自国応援に駆けつけ、東京スタジアムへのアクセスである京王線では、外国人のサポーターがつり革を持って後ろ回りしたり、チャントを歌ったりで大騒ぎでした。オリンピックになったら・・・こんなもんじゃ収まらないのかな、なんて思ったり。

10月。

消費税が10%に。キャッシュレス、キャッシュレスでスマホにはアプリの数が増え、台風19号の直撃は、河川決壊が複数で起こりました。そして、沖縄の首里城火災。最高潮に達したラグビー日本代表戦に夢中になりつつ、わが家はサッカー日本代表のアジア予選、モンゴルとの試合をを観戦して朝青龍に会いました。大雨被害でパレードは延期になりましたが、即位の礼は、日本の美を改めて感じさせてくれるものでした。

11月。

ZOZOに続いて、LINEも統合したヤフー、桜を見る会、沢尻エリカさん逮捕、ベネチアの水没、アメリカでの香港人権法など、注目ニュースが多く、侍ジャパン、野球の日本代表はプレミア12で世界一になりました。毎年恒例のわが家のイベント、ブルーインパルスの展示飛行@入間基地が曇り空で隊列飛行に終わったのは残念でしたが、息子は元気に8歳になりました。

そして12月。

慌ただしく過ぎ去っています。アフガニスタンで活動していたNGO団体の中村医師の襲撃事件は衝撃でした。大学入試の記述式問題が先送りになり、2025年に開催される大阪万博の開幕日が発表になりました。わが家は、ついにお披露目となった新国立競技場のオープニングイベントに行き、ドリカム、嵐、桐生にボルトに修造と、そして選手入場のように真っ赤なマントで更新したコシノジュンコさんに感動しつつ。

令和になった年。2019年は確実にそういう年です。

昭和に25を足せば西暦になる、と言われたように、令和にに18を足せば西暦になるという時代です。サニブラウン、八村塁、大坂なおみに見る日本の多様性よりも、強く意識させられたのは、ラグビー日本代表の多様性。片言の日本語で、外見は完全に外国人でも、ワンチームとして、日本代表として戦う姿は感動でした。本当、これぞ「未来の日本」の形を思わせました。

そんな一年のゆく年、わが家は京都へ帰省して大晦日、日中は空いているというユニバーサル・スタジオ・ジャパン(UFJじゃなく by かまいたち)に行く予定です(去年は寒すぎて断念しましたが、今年は息子がどうしてもスパイダーマンに乗りたいらしく、今更ですが笑)。

くる年は、さてどんな一年になるのか。それは未来なので分かりませんが、ただ、来年も、週1回のSHoGo PaPeR更新は続けていきます。来年も、よろしくお願いします。

よいお年を。



■2019年12月21日
「ハロー2020、まで10日」

先日、突如、日が落ちた夕方から夜にかけ、私の住むマンションの、エントランスホール前の車止めの先の公道に、クレープのフードトラックが現れました。

それはあまりにも唐突で、子供たちにとっては夢のような展開だったようです。習い事から疲れて戻って、うつむき加減の息子が、ふと見上げたら「うわぁ〜」みたいな。私は直接みることはできませんでしたが、容易に想像がつく、そんな光景。

実際に妻から聞いても、やっぱりそうだったようです。アメリカの映画のような展開だなぁ、と思いつつ、私も帰宅して、ピンクに光る甘い香りのフードトラックがあって。幼いころに、家の前にお菓子屋ができたらいいのにな、と願っていたことを思い出したりもしました。

もちろん、買ってぇ、買ってぇと息子にせがまれ、妻は買ってしまったようで。まぁ、そうなりますよね。に、しても。なぜ、うちのマンションの前なんだろう。どんな勝算があったのだろう、とクレープ屋目線で考えてしまいます。

というのも、私のマンションは、「駅から10分ほど歩く方が、ゆったりした住宅街になって、この辺りの人はそれを好みますよ」なんて売り文句に、なるほどそうかも、と、当時は駅のど真ん前に住んでいたので、それがやけに印象的で。

結局、目の前が都立公園であることが決め手になって、ここに決めたのですが、住宅街で、建っているマンションは、どれも低層で(そういう住宅地域に指定されているようです)、だから、クレープ屋=人通りの多さ、の式には当てはまらず。

で、あれこれ考えてみると、きっとこのクレープ屋は、この辺りにあまり土地勘のない人で、都立公園の近所に出してみるか、と思ってトラックを走らせながら、ここならスペース的にいける、と判断したんだろうな、という勝手な結論に至りまして。

たぶん、無許可だろうな、とか。住人によっては、あまりいい気のしない人もいるだろうな、とか。いろいろと考えながら、それでも、ちらほらと客がいた様子で。おっさんの私は、これが、たこ焼きかたい焼きなら、買ったかもしれないと思いつつ。

そういえば、私の幼い昭和のころは、住宅街に「八百屋」さんがトラックに野菜を積んで売りに来ていたな、というのを思い出しました。夕方、決まった時間に、決まった場所に。そして、母親はよく、そこで買ってました。

そのうち、パン屋もくるようになって、なぜかそのパン屋がカレーや丼ものを出すようになって。近所の定食屋が、ザ・昭和などんぶりを提供する中、フードトラック(当時は屋台って呼んでましたけど笑)は、しゃれたテイクアウトのパッケージだったのがかっこよかった覚えがあります。

平成になったら、コンビニが張り巡らされて、そのコンビニがいろんなものを取り扱うようになって、だから「向こうからやってくる」スタイルは減ったように思いますが、令和になった今、何かの予兆なんですかね。

令和になって変わったといえば、クリスマスです。これまで30年間、23日が祝日だったので、そこで四分休符のように師走に向かうバタバタに一拍おいて、ちゃんとクリスマスを迎えていましたが、それが、平日になったので年末に混ざってしまってますよね。

息子は、そんなの関係なく、25日の終業式の日の朝は、サンタさんがプレゼントくれるから・・・という大前提でウキウキしており、毎年続けているわが家のノエルディナーも、ど平日のイブの夜にすることになりそうです。

加えて、今年のカレンダーでは、27日が仕事納めの人が多いので、クリスマスを飛ばして(というかそれを年末という鍋の中に溶け込ませて)、なんとも「終わりだなぁ〜、今年も」という雰囲気を醸し出しています。

年末年始は休みます、という宣言がニュースになったり、いや元旦は営業しますということになったり。コンビニもラーメン屋も正月だろうと関係なくいつも通り、という平成の正月から、令和初の正月は、醸し出す雰囲気が変わったりすんでしょうかね。

正月は、しん、と静まり返って、朝、起きて下に降りたら、お餅の焼ける匂いがして、雑煮を食べて、お年玉をもらって、そんな一つひとつの空気の粒が特別だった頃。これを懐かしいと思う私のような世代には、、、

コンビニも閉まる正月、というのは懐かしく感じます。それが20代以下の若者には、「新しい正月」の雰囲気かもしれませんね。

さて、今日は夕方から完成したばかりの新国立競技場のオープニングイベント、Hello, Our Stadiumへ行きます。

東京オリンピックの観戦チケットに応募しても応募してもすべて落選、という中で、オリンピックスタジアム(と呼ばれる期間)に入ることもできないのか?と不安になって応募したこのイベント。

残暑厳しい9月に抽選応募したときはウサイン・ボルトが来ることしかわかってませんでしたが、蓋を開けてみるとキング・カズは来るわ、修造にも会えるわ。ドリカムに嵐に、桐生やケンブリッジ飛鳥がリレーで走ったり、和太鼓もあったりして。楽しみです。寒いだろうな〜。

で、本番の東京オリンピックの観戦チケット。こちらも二次募集で、なんとか(こういう応募ものにはめっぽう強い、神の手をお持ちの奥様が)当選して、それも絶対に見たいと思っていた競技の準決勝で、家族3人で52,500円だけど、それすら超える価値を感じて、もう、今からソワソワしてます。

さて、2020年ですね。トーキョー2020が近未来で、いろんなことがターゲットになっていた年。それがいよいよやってきます。7月のオリンピック開幕までに。年明け早々、日本橋ではブリヂストン美術館がアーティゾン美術館と名前を変えて生まれ変わります。

春には山手線に新駅ができるし、夏までには竹芝のウォータフロントもクルーズ船が来るような「玄関」になります。そのほかにも、新幹線といえばN700系という時代が終わり、N700Sなる最新型が東京と大阪間をつなぎ、JALのLCC(というか新しいコンセプトの航空会社?)であるZIPAIRも飛びます。

FIFAワールドカップ(女子)の開催地も決まり、立候補している日本に来るかもドキドキだし、ぴあが横浜にアリーナも完成します。横浜といえば、ガンダム世代には垂涎の的だろうガンダムファクトリーができて、動くガンダムに会えたり。

京都では、先斗町から電柱が消えて、あのエースホテルが日本初上陸します。虎ノ門もビルが次々完成して、原宿は駅も駅前も生まれ変わってキャパを増やしそうです。恵比寿も、変わりそうですね。

オリンピックとパラリンピックには、今年のラグビーW杯よりも多くの外国人をお迎えして、東京は間違いなくお祭り騒ぎになります。そんな2020にハロー!というまで、あと10日、朝から家族ランニングで疲れたので、ちょっと寝ようかな、と思いつつ云々。



■2019年12月14日
「今年の言葉、人、漢字」

イイクニツクロウ鎌倉幕府。鎌倉時代は、1192年から始まったというのが私の世代の教科書でした。頼朝が征夷大将軍に任命された年。それが今は、頼朝が全国に守護・地頭を設置した1185年が鎌倉幕府の始まりになっているようです。語呂合わせとしては、いい国、から、いい箱、に変わったとか。

他にも、(特に歴史は)私たちが覚えたことと、息子が習ってくることの違いがちらほらあって、まぁ、それにもさほど驚かなくなったのですが、つまりは、今時点の歴史を振り返っている、ということなんでしょうね。

歴史も「変わる」ぐらいですから、現代の(生の)、特に言葉は、変化していくものですよね。流行語大賞にノミネートされるものの大半を知らないと嘆くだけでは収まらず、本来の意味とは違った通例を正解として使っている場合もあります。

「あいつの、あれは、確信犯だな」というこれ。ダメだってわかっていながら犯したことで使うのが多いですが、本来は、本人は悪いことではないと思って犯すこと、です。

言葉は生きているといった人がいましたが、まったくその通りで、だんだん意味合いは変わりますよね。

日本経済新聞校閲部のツイッターでは、ことばリサーチというハッシュタグで、ことばの使われ方のアンケートのようなツイートがあります。例えば、「「ご飯に梅干しをノセテ食べる」のノセテの漢字は、どれがしっくりきますか?」という感じ。

乗せて、載せて、のせて、わからない、の4択から、自分なりにこれ、と思ってタップすると、投票結果が出てきて、え?と驚くこともあります。

広辞苑は改訂ごとに言葉が増え、ほかの辞書も、「刷新」されていく言葉。これは何も、日本語だけではないようです。

theyという複数の代名詞を単数形で使う。米英語辞典のメリアム・ウェブスターが、2019年の「ワード・オブ・ザ・イヤー(今年の言葉)」にこれを選びました。

heやsheではなく、ノンバイナリー(自らを男性と女性のどちらでもないと認識する人)の代名詞としてtheyが定着してきた、と(AFP通信)。

思い出すのは、チェアマン、ファイアマンという議長、消防士を示す「マン」は男性を表しているということから、チェアパーソン、ファイアファイターと読み替える動きがありました。

ミスター、は未婚も既婚も両方を示すのに、なんで女性だけ未婚はミス、既婚はミセスなのか、という動きから、MS(ミズ)を使うということもありました。特に、私の大学時代のゼミの教授がフェミニスト(これも、もう死語ですかね?)だったので、印象に残っているのかもしれません。

パスポートで、M(男性)、F(女性)ではなく、Xを用いて男性でも女性でもない性の多様性を認めている国もあります。

生まれた性を受け入れることに辛さを感じる。演歌歌手の氷川きよしさんの告白も、未来から見たら「そんな時代もあったのか」という歴史になるんでしょうか。例えば、古代ローマ時代は、〇〇〇〇が常識だった、というのに驚くように。

生まれた性と、受け入れる性は必ずしも一致しないよ、というのが当たり前になる未来といいますか。

今年の言葉に「性」が選ばれ、今年の人(TIME誌)には、世界の国のトップに気候変動対策の甘さを訴えたスウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさんが選ばれました。16歳のグレタさんが訴えたことは、その内容よりも、パフォーマンス重視で伝えられました。

ご本人は、その感情的なスピーチばかりが話題になるのを避けているようですが、ただ、(内容が)伝わったことは確かで、しっかりと浸透したように思います。あとは、どう行動を起こすか、ですよね。

環境問題は、今、マドリードで行われているCOP25があるからかもしれませんが、連日、報道されるようになっています。

今できることを。と、言われます。小さなことからでいいんです、とも聞きます。だけど、私には難しいな、と思うことも正直あります。

それは、小さなこと、というのが、実際の生活(行動)に直結して理解しにくいからです。電気を消せばいいの?でも、電気をつけたり消したりを頻繁に繰り返す方が消費量は多いの?とか。

1人10円、たったそれだけの小さな気持ち(お金)でも、日本の人口を1億2000万人としたら、12億円になる、というわかりやすさが、環境問題(二酸化炭素の排出量)にはないというか。

なので、これはシステムとして電力消費を制限するか(午後2時から6時までの電力量を減らして、弱い電気を送る、とか)、コンビニの営業時間を一斉に短縮するか。そういうのが、必要なのかと。

・・・と、こんなことを、ちまちま考えているから、最初の一歩が踏み出せないんでしょうね。

国債も先おくり、環境問題も、書類の紛失も、なんとなく「なぁ、なぁ」の感覚でやり過ごしている、から、グレタさんの、あの声が、グサッとくるんですよね(われわれ大人には)。

最高気温が25度を超える夏日、30度を超える真夏日、35度を超える猛暑日よりも暑い激暑。40度を超えるのも、そう珍しいことではない未来が近づいているという気もします。

そんなだから、東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌で、とか、夏の甲子園(高校野球)を8月にやることも限界があると言われたりするんですね。

都内の小学生には、来年のオリンピック観戦の席が確保されているのですが、それを辞退する自治体があるらしいです。生徒を引率して、観戦することが、熱中症などのリスクがあるから、というのが理由。まるで、冬山登山のようなリスクと、その対応のように思いました。

確かに、熱中症で緊急搬送された身としては(今年の8月に)、あまくみてはいけないということは実感しました。太陽の下で元気に遊んで、真っ黒に日焼けした子供たちをほほえましく見ていた時代は変わってしまったとも思います、何しろ、夏休みのほとんどの日で、外出は控えてください、という注意報がくる状態ですから。

このまま、先送りで「ぼんやり」と「なぁ、なぁ」でやってる場合ではない「今そこにある危機」なのに、原発に頼れなくなった日本は、火力発電を増やそうとしてますからね。

二酸化炭素の排出を減らすために、飛行機を利用するワールドツアーを中止したアーティストの〈パフォーマンス〉は、いつまでたってもパフォーマンスなのかな、とあきらめかける「現実」です。

歴史は変わる。言葉も変わる。同時に、これまで当たり前にあった地球も変わる。フランスではワインの産地でもブドウの収穫時期が早まっているといいます。時期どころか、北欧でワイン生産という変化もあります。

変わる地球に、合わせて自分たちを変えて(順応して)いくというのもある側面では必要ですが、環境問題に関しては、どうも、自分たちの行いが「破壊」しているという意味合いが濃いので、そこはやっぱり、改めないとな、と自戒の念を。

ちなみに、今年の漢字は「令」。漢字一字で表すこれは、レイ・リョウ/いいつけ・おさ・よ(い)、という読みがあるそうです。得票7位の「嵐」は、災いをもたらせたという意味か、今年活動休止を発表したアイドルグループ「嵐」からか。来週の土曜、オリンピックスタジアムで見れるのか。



■2019年12月7日
「やっぱり福岡が好き」

一風堂のラーメンが大好きな小2の息子に、本店は福岡にあるんだよ、といったのがきっかけで、この度の福岡への家族旅が実現。航空券はマイレージで取って、ホテルもエクスペディアのポイントで。足代と宿代はただでした。

マイレージなので、札幌にするか(寒いしな)、ソウルにするか(夜発朝着では現地滞在が少なすぎるな)など考えたすえに、時間的にも、行き先としての「観光資源」もばっちりな福岡にしたことは、結果、大成功。思ったのは、私はやっぱり福岡が好きだ、ということでした。

今回で何度目だろう。行くたびに福岡の人の温度感が好きだと感じさせられます。例えば、大名ソフトクリームを食べるにしても、店員さんの「どうぞ」という姿勢が気持ちいい。韓国人観光客が多い土地柄、ハングル文字もあふれ、吸い上げ効果で住んでいる人も九州一帯から移住している人が多いと言います。

羽田から福岡行きのANAは、なんとスターウォーズジェット。それも時刻表に発表されていない黄色いC-3PO ANA JET。これはファンの人にはたまらない幸運。離陸前には、C-3POが挨拶をしてくれるという演出。飲み物もカップも、登場記念カードも、なんともラッキー感のあふれる旅立ちでした。

空港から市街までが近い福岡。地下鉄で二駅、博多駅に到着。そから西鉄バスの連結バスでホテルまで。ホテルはニューオータニ博多。古いが、さすがのサービスと設備で、大満足の空間があり、宿泊した12月1日の日曜日は、結婚式が多かったです。

荷物を預けたら、博多駅に戻り、大名ソフトクリームを。なんとも濃厚で、値段が高いだけの価値があり。ずしんとした味を堪能した後は、キャナルシティへ移動して、予約していたい水炊きの店、濱田屋へ。

スープをまず頂く。そして、具材を入れて、それを食べる間、間で、スープをカップに入れて飲む。その味変ぶりに、感動を覚えました。もつ鍋も良いけど、やっぱり博多の水炊きは凄まじい。無条件に旨い。

昼食を終えた辺りで、雨がぽつぽつと降ってきて、キャナルシティからホテルまで歩いて移動。その間に、うどん屋「えびす」などへ立ち寄ったりしようにも、満腹感よりも、雨に萎えて断念。

ホテルへチェックインを済ませて、傘を借り、歩いて薬院エリアへ。ここには、とにかく雑貨屋が多い。妻が調べた店を4店ほどはしごして、いくつか欲しい物があって。私はと言うと、大型の飼い犬が店内をうろうろしている洒落た店で、デスクがあり。その広さ、材質、色、高さなどなどベストで、数十万円の値札を確認するまでは、本気で欲しいな、と思ったけど。

やっぱり、机とか、普段から滞在する時間の長い家具は、IKEAだとつらいからな、と思ったり。

夕飯は、福岡名物のやわ(らか)うろん(うどん)を。かろのうろんまで移動するのが、雨で面倒で。結局、薬院からバスで博多駅にもどり(地下鉄の一日券を返金してもらうために/地下鉄よりもバスの方が使用頻度が高い)、牧のうどん、を食べる。

何、あのやわ麺。そして、旨すぎるごぼう天。出汁を吸って、吸って、増えて、食べて、ネギが取り放題で、幸せで旨くて、もう最高な博多のうろんを満喫。

雨脚が強く、駅前でクリスマスイベント、オペラのパフォーマンスも、なんだか楽しめきれず、天神に移動して屋台に行こうという予定も、完全に敗北。雨に、敗北。ホテルに戻って、早めに就寝。という一日目でした。

そもそも、今回の旅は、土曜日が息子の学校の学芸会で、月曜日が振替休日ということで、日発月着の弾丸旅。と、この学芸会が、とにかく感動で、休み時間にも練習漬けだと聞いていただけあって、歌はきれっきれで、思わず感涙間近。その学芸会の息子のがんばりに、福岡の旅の中でひとつだけ好きなモノを買ってあげると約束。

と言うと、息子はいろいろと目移りして。悩みながら、一日目をおえまして。部屋はさすがに快適。外は雷もなって大雨でした。

二日目(最終日)。雨は小雨で、ホテルから中州へ移動。月曜の平日の朝なので、通勤する人の姿が目立つ。そんな中、めんたい重を食べに。もちろん、ここは観光客しかいない(と思う)。そこで、これからの予定を決めながら。めんたいこ、やっぱり、本気で旨いな、と。

博多駅からJR九州に乗って、東郷駅へ。世界遺産の島、沖ノ島に続く宗像大社へ。雨も上がり、ちょっと日が差してきらきら光って、境内は、なんとも(観光客もいなくて)神々しく、素敵な空間を堪能。ここ(九州)から、離島に移って、沖ノ島を見渡したかったけど、天候も天候なので、ここで博多にリターン。

そのまま天神に移動して岩田屋の近くにある一風堂大名本店に。言ってみれば、今回の旅のメインイベント。

白丸元味は、普段、五反田や明大前で食べる一風堂の白丸とは、だいぶ違う。荒々しい、とんこつラーメンだった。近くにあったら、こりゃ通うなぁ、というのが正直な感想。本社ビルまで構える一蘭と、一風堂なら、やっぱり一風堂ファンだな。

福岡の地元のスーパーを何軒かはしごして、ゆず胡椒や明太子、顎だしやうまかっちゃんを買い込んで、そのまま福岡タワーへ移動。天気も回復してきて、海沿いにそびえ立つ刀のような形状の青いタワーは、立地といい形といい、個人的には大好きなタワー。

地元の小学生が社会科見学?か何かで来てたので賑やかで、とにかくクリスマスモード全開のタワーは、上って海の向こうに見える島をぼんやり眺めているだけで、とても特別な時間が過ごせました。

その足で、大濠公園へ移動しようとしていましたが、時間的にも余裕がなく、息子は、例の「ひとつだけ好きなものを買ってあげる」という一品をゲットするために、まずは博多駅に行きたいといい。そこになければ空港で買いたいというので、ホテルに戻って荷物をピックアップし、博多駅で物色。

マイングで土産物の勢揃いに驚いて、チロリアンやめんべいなどを買い込んで、空港へ移動。息子は、結局、空港でJALの飛行機を買ってました。

1泊2日の短い旅も、家族でああだこうだ言って過ごす時間は濃く、そこが福岡だからか、とても楽しく過ごせまして。羽田に着陸した夜の東京を、それは満員電車の名残が残る20時台の山手線移動などということもあって、、、

ああ、帰ってきたな、と実感しつつ。楽しかった福岡を、はやくも想い出にしながら、東京での日常に戻りました。

ああ、楽しかった。



■2019年11月23日
「8歳」

今日は、ずっと雨でしたが、今週は秋っ晴れの晴天が続いた一週間でしたね。空の色がクリーンで、キーンと引き締まった空気の中、まるで高画質写真のような気持ちよさがあります。

そんな中、白く古い都営住宅が取り壊しになり、巨大なはさみのようなものを付けた什器が、4階部分から順にガリっとつかんで崩している光景を見ていました。

そこは、新しい住宅の建設予定地。かつて、まだマンションが少ない時代、広大な敷地に広がった集合住宅。半世紀以上も前に建てられ、老朽化で取り壊しが決まったココは、保育園跡のようなところもあり、集会所のようなところもあります。

集会所では、休日、三味線教室が行われていて、保育園に通わせていたのだろう親たちが、子育てを終え、老いてもなおコミュニティが色濃く残っている様子で、うらやましいな、と思いつつ通りすがりに。

建物は、もちろん傷んではいるものの、周り(駐輪所や公園や庭や花壇)が、とてもきれいに掃除されているのが印象的でした。

朝、夕に当番とかそういうのではなく、自発的に住人の方々が掃除をしているようで、こういうのもいいな、と思っていました。が、それも取り壊され、新しく、真っ白い建物が15階ぐらいの高さで生まれます。

なんだか、この「アパート」という雰囲気に惹かれて移り住んだ若手アーティストのたまごのような男性も、次は、どこに行くのかな、なんて。

秋っ晴れの休日、歩道橋の上から、取り壊される「昭和」を見ながら。令和元年、秋。

「日本晴れ」をコンセプトにした新しいユニフォームでキリンチャレンジカップに挑んだ東京五輪世代と、国内組もないまぜにしたトライアル的なフル代表の二つの試合を思い出したりして・・・。

一方で、野球の日本代表はプレミア12で世界一に輝き、ラグビーにバスケ、テニスにバレーなんてあってもやっぱり、野球とサッカーは勝っても負けても日本の二大スポーツなんだな、と感じました。

そのサッカー。今日は長〜いアウェーから、ようやくFC東京がホーム味の素スタジアムに帰ってきました。待ってました。そして、もちろん駆け付けました。勝ってほしいところでしたが、最後の森重のズドーン、のシュートに気持がスッとしました。

今年は、スタートからずっと優勝争いをして、今も、優勝に一番近い状態です。シーズン途中に久保建英がマドリードへ移籍し、去年までチームの中心だった太田宏介、チャン・ヒョンスも次々に移籍。

それでも、シーズンを通して、ほぼ固定メンバーで戦えたのが強さの秘訣だといわれます。試合前に歌っていた「ユルネバ」を、勝利した後にもサポーターと一緒に大合唱するスタイルも生まれ、一体感も生まれました。

何より、どの試合も、見ていて本当に楽しい試合をしてくれました。日本代表に定着した室屋成や橋本拳人がヨーロッパのクラブチームに移籍しても、来年、まだまだ東京マインドの選手は多く、渡辺剛や岡崎慎、小川 諒也など、期待は大です。

そして、Jリーグでいうと、ついに!あのキング・カズがJ1のピッチに戻ってきそうですからね。それも目が離せません。

と、とにかくサッカー、サッカーの毎日で、この間の火曜日、久しぶりに息子のサッカースクールを見学に行きました。とにかく楽しくサッカーをして、変に戦略を覚えないというブラジル人指導者の下、なかなかアイデア豊富なプレーをするようになってました(って、そんなたいそうなこともないですが)。

確かなのは、走り回る息子を見ながら、「ほんと、サッカーが好きなんだな」と思ったことです。2歳でママと一緒にボールを蹴るクラスから初めて、今年で6年。まぁ、楽しく続けられているのが何よりです。

今日、息子は8歳になりました。

誕生日プレゼントは、プラレールを卒業してくれた〜!と思っていたら、もっと細部にまでこだわった造りの電車模型、Nゲージというものに変わり(笑)。誕生日当日の今日は、FC東京の試合を優先したので、毎年恒例の誕生日ディナーは明日にします。

明日は、まず、私と息子で、できたばかりの渋谷スカイへ行き、その後で買い出しなんかをしている間に、妻はディナーの用意をする、という段取り。

今年も、変わることなく、息子をそんな風にして祝えて、良かったな、と思います。祝える自分が、家族がいてくれることが、奇跡で感謝で感動です。

1歳から今年の誕生日までの写真を並べ見ただけでも成長を感じます。が、それ以上に、毎年の誕生日お出かけで(今年は、来週、福岡の旅に出るのですが)、行程を息子が主導で組んでくれたことに、実感したりします。

妻と二人で、しみじみと。きっと、数年経ったら、「お父さん、はやく、こっちだよ、そっちじゃないよ」とか言われながら〈ついていく〉日が来るのかな〜なんて。頼もしさと、負けてられるかという気持ちが、とない交ぜで。

とにかく、8歳の誕生日おめでとう。父親8歳の私から、8歳の息子へ、こんなメッセージを手紙にして渡しました。

やりたいことと、できることは違うし、なりたいものと、なれるものも違う。この先、そんな大正解なことを誰かに言われたら、こんな風に思ってください、と。

やりたいことをやってやる、
なりたいものになってやる、と。
そのために、挑戦してください、と。



■2019年11月16日
「未来に追いついてきましたね」

すぐに、熱が出る身体になりました。ちょっとした「無理」が効かなくなり、あっという間に38度台まで熱が上がって、はぁはぁ、ふうふうする次第。特に、今年に入ってこの傾向が強いです。これは、厄年を超えて身体が「下降」している証拠なのでしょうか。

まぁ、そんな下降の最中でも、日々の生活はあって、その中に楽しいことも、悲しいことも、それはそれで「普通」にあるのですが、なんでしょうね、ふと立ち止まって、あれ?と違和感を持たざるを得ない状況です。

これから年末にかけて、わが家はイベント三昧。疲弊している場合じゃないぞ、と喝を入れるのです、が・・・なにぶん、ね、無理が効かないんです。と弱気です。

今から何年前でしょう。まだ、息子が幼稚園に入って間もなかったので4年程前になるのでしょうか。新宿御苑に花見に行った際、ちょうど午前中は「貸し切り」状態で安倍首相主催の花見(桜を見る会)が行われていました。

一般の入場をシャットアウトして、普段は禁止のアルコール類も解禁した特別扱いのお花見。これを、税金でやっていたんですね。それも5000万円以上も使って、遠く山口県から支援者を集めて。えっと、やるのは勝手ですが、他でやって、税金つかわんといて、というしごく当たり前の感想を持ちながら。

「慣行だったので、それが自然なことかとずっとおもっていた」という菅官房長官のコメントは、寒気がします。末恐ろしいな、と思います。なんとなく惰性で、ぼんやりとこれまで通りの「仕事」をしている人は、今どき、企業に勤めている人の多くは皆無に近い状況なのに。

これまでは、これまで。やるべきことは「これから」のことなんだという認識が、驚くほど希薄ですね。もう、正直、自民党の二階さんは、インタビューでどんなけふてぶてしく訳の分からないこといっても、いいですよ。軌道修正できることもないので。でも、これからの政治家には、それは致命傷というか。

これからの変化として。例えば、24時間いつでも開いてるコンビニ。それも曲がり角なんですね。今やセブン-イレブン、ファミリーマート、ローソンを合わせると郵便局の2倍以上のリアル店舗があり、その昔、真夜中でも明るいのは自動販売機だけだと言われたほどに、今はコンビニがあります。

それだけの店舗があるということは、そこで働く店員も必要で、コンビニバイトは時給が安いというのは定番?だったのが、どんどん時給もあがって、雇う側は疲弊。外国人を多用して乗り切ってきたのも限界に達し、ついに、24時間営業はマストではなくなりました。

開いてるのか、開いてないのか。同じ「看板」のお店でも、まちまちになります。終電で帰って、帰りにちょっと立ち寄るコンビニが閉店している、ということもありうるということです。まぁ、それが、ある意味では普通ですよね。

利便性のために、供給するサービスを競争して、それが激化して疲弊する。当然の行きつく先のような気もします。深夜のワンオペ(飲食店で深夜、一人で営業する問題)から始まって、宅配業者の人手不足。で、いよいよコンビニです。

結局のところ、便利を追求する中で、セットで必須だった「人」を、できるだけ排してサービスが完結しないか。今は、躍起になって、ドローンで無人宅配できないか、無人のタクシー、無人のコンビニ店舗。そんな開発が盛んです。

人に便利なサービスを行うために、人は必要ない、ということ。先述の、その昔、真夜中に明るいのは自動販売機だけ、と言われた時代と同じように、無人のぽっかり明るいコンビニ店舗(は自販機のように)。そこに、アプリでもって店内に入って、レジを通らず店を出ると自動引き落としで決算が済んでいる。

これは、ある意味、確実にやってきそうな未来です。と、想像をもっと先にもっていけば、人は、そもそも外に出るかな?という疑問さえ持ってしまいます。

今は、学校にしろ、会社にしろ、朝と夕のラッシュが示すように、同じような時間に「行って」「帰る」を繰り返しています。これが、テレワークの躍進と、通信の授業が盛んになれば、「在宅」で勉強も仕事もしてしまえます。

そんなの、つまらない。人が集まってこそ生まれる楽しさがなくなってしまう。というのは、ずっとずっと昔、各々が家でやっていた手工業を、一つに集まった方が効率的だと始まった工場制。その逆をゆく形といいますか。

人は、外に出ず、勉強して仕事して、人は面と向かわずラインでコミュニケーションをとる。外で飲んで騒ぐことから家飲みが進化して、その「個々」がネットでつながって、あたかも同空間にいるかのように「盛り上がる」。

ってことが、笑い話ではないほどに浸透したりするんでしょうね。そんな中で唯一、大自然の中で過ごす「キャンプ」や、コンサートなどの「コト消費」の需要は、なるほど盤石に見えますが、人口が減っていき、それぞれの趣味趣向も、「集まり」の中で共有されない分、多様化が加速して、「儲け」を出すのも一苦労でしょうね。

さて、現実のこと。いよいよ東京オリンピックの観戦チケット、二次募集が始まりましたね。一次募集の時は、「あ〜、これ全部、当選したらどうしよう」なんて支払合計金額を見て心配もありましたが、「どーせ、当たらないから」という思い切りが生まれたのが大きな違いですかね。

種目もサッカーに絞って、応募枚数マックスまで申し込みました。何が、何でも見たい!けど、このチケットの配分も、知らないところで、知らない人が、うまい汁を吸っているんだろうな、とか。

ただ、オリンピックスタジアムが完成して、チケットもどんどん売り出しが進んで、そのうち、選手村の完成や、オリンピック出場選手の決定が進む中で、盛り上がっていくんでしょうね。

ふと、ラグビーW杯を思います。始まるまでは盛り上がってなかったのに、日本代表の「強さ」で盛り上がりを引き寄せた構図。オリンピックの場合、種目が多岐にわたるので、例えば、水球なんかが、これにあたったりするのかな?と楽しみでもあります。

今、行われている野球の世界大会も、各選手のレベルは高いですが、花がなく、注目度もいまいちですが、ここは「強さ」で注目を引き寄せてもらいたいな、と思います。

今日は、山手線の右側を運休にして、新しくできる高輪駅の開業に向けた工事をするようです。来年の春には、山手線にもう1つ、駅が増えるんですね。未来が少しずつ、現在になっていきますね。

未来に向けて、国債を重ねる現在で、だからこそ本当に思うのですが、これでいいんですかね。慣行だから自然だと思っている予算はどれだけあるんですかね。

安倍首相の桜を見る会の「お金(税金)」があれば、千葉の房総半島で被災した家々のブルーシートが、もっと違った形になったのではないかな、と思ってみたりもして。

桜の下で、「どんなけ〜」と言っている映像がニュース番組の多くで取り上げられていましたが、まったく、ほんとに、ね。



■2019年11月10日
「私の見上げる空とのコラージュ」

今度のユニフォームは、迷彩柄(か)。そんなリークから数週間が経って6日の水曜、正式にサッカー日本代表のユニフォームが発表されましたね。コンセプトは「日本晴れ」。空をコラージュ(スカイコラージュ)した「それぞれの空」を表しているようです。勝利の後の空、練習の後の空、敗北の後の空、そして未来に向けて日の丸を掲げると誓う空。いろんな空があり、だけど見上げる空はひとつなんだ、と。そんなユニフォームになりました。

好きか嫌いかというWEB調査では、断トツ「嫌」という意見が多いようです(あくまでも日本では)が、海外メディアは称賛の嵐で、特に浮世絵から着想したあたりがヨーロッパ諸国では「さすが、日本」という評価らしいです。まぁいずれにしても、最初は、特に今回のように「攻めた」デザインにすると、そういう反応になりますよね。

個人的には、パッと見たとき、カッコいいと思いました。迷彩といわれていたので、それに引っ張られもしましが、久保建英が着ている姿、うん、ニッポンの未来が見えたような。特に、ソックスまでいれたトータルの色使いが、繊細で見事ですよね。前回の勝色(褐色/紺より濃い紺)も好きで、むかし、侍が鎧の裏地に用いていたというエピソードも気に入っていたし、今回のスカイコラージュ、浮世絵。ベースのしっかりしたデザインは、安定感があります。

このユニフォームで、例えば、東京オリンピックで金メダルを取るとなると、このユニフォームは、歴史に残る名作にになるはずで。そんな来年を想像しながら、息子は、早速、サンタさんに新しいユニフォームをください、とお願いしていました。

悪名高き?カタールの地でのサッカー(真夜中にするのかな?それでも、女子マラソンのように脱落者がでますからね〜)のW杯に向けたアジア二次予選、そしてオリンピックまでの戦い。チームジャパンの試合が続くので、今こそワンチーム、ラグビー日本代表に学んで、感動の戦いを見せてほしいです。

私も、なんとしてでもチケットをゲットし、味の素スタジアムか日産スタジアムへ応援に行きたい!もし、二次抽選でもチケットが落選しても、味スタの近辺で雰囲気だけでも楽しみたい、声を届けたい、と熱く思っています。サッカーって、やっぱり楽しいですよね。

私は、空を見上げて、「あ〜、秋晴れで気持ちいいな」と思う朝、ふと、この東京でマラソンと競歩が行われることはないのか、と残念に思います。アスリートファースト(という言葉が最も遠く、権力とうまい汁とスポンサー都合で真夏開催にしたIOCが使うから違和感ですが)から考えると、確かに東京の8月の気温は「危険」で、屋外に出ないようにと注意報が出るほどなのでわからなくもないですが。

トップ会談?で勝手に決めた札幌開催に、しかもその席上に森喜朗氏がいることに嫌悪です。なんだか、あの方は、現役の時から絶妙に癪に障ることばかりやるな、と。あの会見の前の席に座る自分に酔っちゃってるんでしょうね。

新国立競技場から始まって、エンブレム、築地市場移転のごたごたまで、なかなか大変ですね。だけど確実に、来年の7月の東京の空には、ブルーインパルスが飛んで(飛ばないのかもしれませんが)、気持ちの高揚と共に、興奮のオリンピックが開催されるわけです。

マラソンと競歩については、もう札幌なので、意識が遠のきましたが、まだまだサッカーもあるし、陸上の4×100mリレーがあったり、競泳に柔道にまだまだたくさん、注目競技が目白押しです。この東京の空から、今度はパリに、そしてその次のロサンゼルスに。見上げる空はひとつ、その空の下で、楽しみたいです。

さて、秋も深まる11月半ば、春や秋の季節のいい時期には、日本の美を堪能できますね。都内を歩いていると、新しいビルができ、その裏に入ると昔ながらの光景があり、香りがあり、なにかを蒸かしたおいしそうな匂いに、ついつい暖簾をくぐってしまう、という夜も長くて楽しいものです。

そんな夜長に、私は「タイミングってやっぱりあるな」とふと思うのです。いろんな物事が、想定外のものもふくめ大きく右折左折を繰り返しながら、ぐいーっと寄せてきて、その合流した点の上、「今だ」と決意すべき時期、というのでしょうか。

秋の夜のきれいな月を見上げながら、私は、今、そんな風に思っています。あれこれ考えながら、「下」からひとつずつ積み上げて、その上にたって、もっと高いところを目指す、ということの美が、日本人にはどうもあって、だから、地道な努力の末に持ち得た底力みたいなものに強さを感じます。その強さは、確かに本物です。

が、それに固執して動けなくなってしまう年齢でもあるのかなと自分では心配していて、だからこそのアクションかとも思うわけです。二十代の頃の私は、ある朝、目覚めて、パッと決めてきたことの多くが、今はありがたいことに家族があり、守るべきものがあり。

この決断の延長線上に、家族のちゃんとした姿はあるか?というのを有視界飛行のごとく目を凝らして見てしまいます。

ああでもない、こうでもないと、どうも「負」の点ばかりが強調されてしまって、結果、じっとしている(という、これまで私が最も嫌っていた)状態であることは認めざるを得なく。時には、そう、身を任せてみて。そういうのも、結構、ありかな、とかなんとか云々。

これから出会う人、交わる人たちの見上げる空と、私の見上げる空が、きれいなコラージュになって、結果、金メダルが取れたら。そのために、すべきことと、しようとすることの先にある合致点が、<この空>じゃないところでも、まぁ、同じ空ですよね。

去年の今頃、計画運休やジャッカル、令和や笑わない男が流行語の候補になるほど「なじむ」とは思っていなかったので、同じようにして、来年の今頃までの間に。気が付くとあっという間に過ぎ去るんですが、竹原ピストルが唄うように「人生、あっ。という間はある」んですよね。

あっ、という間に決めたことが、振り替えて、ああ、よかったと思える今でありたい。この合流点、合致点から、さぁ、と腰を上げてみます。



■2019年11月3日
「その先を想像する」

青空をバックに、漆塗の朱色が素晴らしいコントラストを成す首里城。言わずと知れた沖縄のシンボルです。1992年に復元されてからも外壁は塗り替えられ、その美しさは琉球の誇り、王宮の奥深さを感じさせました。

その首里城が、10月30日未明、漆黒の夜をバックに燃え盛り、炎とのコントラストを見せた時、衝撃のインパクトがすさまじかったです。

世界遺産の首里城が、全焼しました。本殿、北殿、南殿などいくつもの棟が焼け落ち、その跡は無残です。ユネスコは、今回の火災で世界遺産登録の取り消しはないとしていて、それは、あくまでも首里城跡地として、その関連遺跡を登録しているのであって、復元された首里城の建物自体を登録したわけではないからということでした。首里城の焼失は、今回で5回目だそうです。

江戸時代よりも長い450年間も続いた琉球王国。ある作家は、自らがウチナンチューとして生まれ育つ中で、一つ一つの身近な沖縄文化のピースが、この首里城の見事な復元で合致したと記していました。

気候、風土、そして美意識のようなものが、首里城には散りばめられていました。京都で生まれ育ち、触れてきた私の中の歴史的遺産は、いつも色を失い、経年で蓄積された「それ以上のもの」があった分、色鮮やかに「塗りなおす」ことに抵抗があります。

が、です。実際に首里城へ足を踏み入れ、空間の中を浮遊すると、外観の美しさだけではなく、圧倒的な空間美をその内部に持っていました。昨年、当時6歳だった息子と沖縄本島へ旅行した際、「ま、もうちょっと大きくなってからでいいっか」と思って足を踏み入れなかった首里城、その城の前で沖縄そばを食べただけで帰ってきたことを悔やみます。見せてやりたかったです。

今回の火災の原因はわかっていません(これを記している今現在)。ちょうど、令和初の首里城祭が行われている最中で、出火元とみられる本殿ではイベント準備のために深夜1時半まで作業が行われてたと言います。そして、警備員が施錠して、首里城を後にしてから1時間近くで消防署に通報があったそうです。

一般の人が立ち入ることのできない有料エリアではありますが、この日は通報の数時間前まで「人」がいたとなると、原因はやはり、そのあたりにあるのかもしれません。が、もし、本殿から出火したとしても、そこで消し止められなかったのか。なぜ、広大なエリアすべてを焼き尽くすほど火が燃え移ったのか。

例えば、初期消火のスプリンクラーがなかったことや、漆塗なので消火の水が浸透しにくかったかもしれないこと、さらには、細い道をうねうねと登らなければいけない高台なので消防車がすぐにたどり着けなかったこと、そして、消防の第一陣がたどり着いても施錠されていて、警備会社の人がきて鍵をあけないと中に入れず、入った時には煙がすでに充満してたこと、など色んな負の連鎖がありました。

これらは今後に生かしたい失敗です。それは、他の文化遺産にも言えることことで、姫路城では再度の点検をしているとニュースもありました。日光東照宮、宮島、法隆寺。木造建築の多い日本の遺産には、火は致命傷です。今回の首里城全焼が物語っています。

私は、第一報の写真、首里城本殿が、骨組みだけを残しての燃え尽きているのをみて、三島由紀夫の「金閣寺」を思いだしました。小説の中では、放火でしたが、金閣寺が、燃える、というフィクション。なるほど、それほどのインパクトはないな、とその想像性に感心したりしつつ、そっか、富士山が噴火するのもインパクトがあるし、東京タワーにキングコングが登らなくても・・・などと空想したりもしました。

そんな空想をしていた高校時代から、私が社会人になってマンハッタンのツインタワーに旅客機が実際に追突し、最近ではパリのノートルダム寺院が焼け、熊本ではシンボルの城が崩落しました。テロ、火災、地震と原因は様々ですが、やはり目の前(画面を通して)で起こっていることが、映画か何かであるような、現実ではないような、そう願いたいと強く思うような、そんな風にいつも思いました。

だけども、です。グランドゼロの周りはマンハッタンで一番高いビルが建ち、ノートルダム寺院の復興も熊本城の復興も進んいます。もう一度、たてなおす。首里城が、再建され、あの高台から沖縄芸術大学越しに見る町と海と青空を、そして振り返った時に息をのむ青空と朱色のコントラストを。そんな日を願ってやみません。

私は、一枚だけ、机の引き出しに二千円札を忍ばせています。これは、まるでオリンピック記念硬貨のごとく、ここ最近、東京ではまったく見なくなった日本の紙幣です。「二千円札お断り」なんてことが言われていた時は、コンビニのATMで引き出すと二千円札がでてきたり(ATMの中の紙幣の枚数を減らすため)しましたが、それすら遠い過去のことです。おそらく、息子は二千円札を知りません。

そのお札の守礼門を見ながら、自分で取った守礼門の写真も見ながら、今回の火災からは逃れ、一層、この門の持つ意味が増したようにも思えたりします。それは、本殿復元よりもかなり早い段階、終戦から13年後の1958年に再建された守礼門は、「その先に城(王宮)があった」と想像させる門だったと思います。当時の首里城跡は、荒れ果て、少し怖いイメージだったという人もいますが、先を空想する場だったと思います。

今、残った守礼門から、全焼した首里城を。これから先の想像。もう、空想する必要はなくなりました。復元された在りし日の首里城の美しさを、再建する想像。沖縄はハワイに追いつけ、追い越せの大リゾートアイランドになっています。日本の国内旅行先では、常にトップ争いをしています。

太陽、風土、人々の造り出す雰囲気、空気感。それらが合致して、沖縄は魅力的な場所です。今後、海外資本が入り込み、リゾートホテルがどんどんできるといいます。移住先としても人気で、多くの人が、観光だけでなく沖縄に接する機会が増えていくと思います。

そんな未来、そんな先に向けて、ハワイにカメハメハ大王が土台となるシンボルであるように、琉球王国の大シンボル、首里城の再建は必須であるようも思います。そのために。



■2019年10月26日
「秋の虹」

雨が降って、止む。その後、見事な虹が出る。秋の虹。秋ですなぁ〜、と季語通りに酔いしれるには、少々どんよりした日が続く東京です。

天気予報通りの雨は、濡れてもいいズボンをはいて傘を持ち、ちょっと濡れたらササっとふける小さなタオルを持ったりして、万全なんですけど気分が重いんですよね。

急な雨の方が、これならマシかと思う理由は、始まる前からのため息まじりの気分を味わなくてもいいから、です。あぁ、明日は雨か。嫌だな、と思っている時間の損した感じ。

で、あれば、急に降った方が、それまで考えなくても済むから良い。と、そこでふと、明日は雨かぁ(はぁ)という憂鬱な気分が一転、え?晴れてる!となった時の気分の良さは、急に雨が降って、イラっとする気持ちと天秤にかけてどうだろう、と。

一週間、ずっとまぁ、このような感じで、季節外れに台風がやってきて、被災地ではやり場のない怒りから不安がどっと押し寄せてきて、そこで「想像を絶するルーズさ」で納税申告をしていなかったという会見映像は、さて、いかに。

スカッと抜けたような青空が、パッと晴れたような気分が、ずいぶん久しい感じです。少しキリっとした気温の青空は、透き通ってて好きな私は、余計に残念なんですが、これからですかね。

10月ももう終わりです。11月になれば、ブルーインパルスが入間基地で舞って飛び、日光や奥多摩、高尾山から始まる色づきが、街中の庭園に紅葉がやってきたりして、その見事なコントラストに酔いしれるのは、もうすぐ、ですかね。

鯛より高い秋刀魚はやめて、栗でも食べようかなんてスーパーをぶらぶらしていると、缶ビールの棚もずいぶんと秋ですね。秋という文字が躍るというより、デザインの色味が、秋。そのままカップ麺のコーナーに行くと、出るわ出るわの名店の味。そういえば、とカップヌードル専用の無駄にこだわったフォークというのがあったぞ、と思って探しても、あれはローソンだけだったんですね。

湯銭やチンして食べるレトルトモノが、味を極めているので、ついついシューマイやチャーハンが気になってしょうがなく、う〜ん、確かに食欲的には秋だけど、缶ビールやカップ麺や冷凍食品にそれを感じてていいものだろうか、と。

先日、夕飯の時、妻の皿にふかしたサツマイモがドンと置かれていました。うん、秋です!

この歳になると、食の好みが変わってきて、例えば、機内の飲み物サービスでコンソメスープを頼んで身に染みるし、何より、朝ご飯の味噌汁は、心の底からじわっと旨いです。

先日、家族で焼き肉に行って、滅多に焼き肉なんて食べられない息子はカルビのセットを注文。焼ける端から脂がしたたり落ちて、口に放り込んでう〜ん、と目を閉じて上を向いて、うますぎる、と感動してました。

で、私は。三種のセット。豚と鶏と牛の(一応、どれもブランド肉)それぞれを食べながら、鶏が一番うまいと感じる胃になってました。カルビなんて、いくらでも食べられたのに。プラス白飯で、ぐいぐい食が進んだのに、もう、それを見るのが気持ちいいといった具合。

とにかく、脂がきついです。もたれて、もたれて。「なんでオトンは、こんなもんばっかり食うんだろ」と不思議に思っていた頃を思い出して、今、心底理解する次第です。

そんな子供が大人になって、子供を産んで、その子供が大人になって。不思議に思っていたことを心底理解するというサイクルで、長い歴史は刻まれてきたわけで。その物理的な時間経過の「質と量」に、この度の即位の礼を見ながら私は身に沁みて思いました。

新しい時代が始まって、それが内外に宣言されましたね。高御座、十二単、黄櫨染。それを映し出すハイテク機器と、信じられないほど高速で広範囲なネットワークを思うと、その光景が、また質感を高めて量を増すというか。年末から年始にかけて一般公開されるという高御座、ぜひ、見てみたいと思いました。

テレビ番組で、誰かが言っていました。伝統は、新しいものを取り入れて変わることができたから、続けられたんだ、と。それが、伝統なんだと。

いろんな意見、気持ち、想いを一つにする多様性。これがこんがらがると、長引く香港のデモを思わせたりもしますが、それを乗り越えてワンチーム。ラグビー日本代表の大活躍には、本当に、感動でした。

なんとなく、私の中にも、都道府県を代表する高校野球のチームは、その土地で生まれ育った選手が多い方がいいと感がえる節があるし、日本代表も、やっぱり日本人というのがあります。

日本人は、なにも国籍だけでいいのか?とも感じたりするのですが、ラグビー日本代表は、そんな思いを徹底的に払しょくしてくれましたね。日本を代表するワンチーム。選手がひとつになって戦う姿。とても未来的な構図だという人が多いです。

もっといえば、ノーサイドの精神。全力で戦って、ぶつかって、でも試合が終わればお互いを称えあう。生きていく(生活)というのは、ルールが決まったラグビーというスポーツ競技とはちがって、もっと複雑です。が、根本は、シンプルなのかもしれませんよね。

必死でやる。そして、必死に楽しむ。終わったら、全部をゼロにして称えあう。多くの外国人が「観光でやってくる」時代に入っています。これからは、多くの外国人が住み、働き、コミュニティーの中に入ってくる時代です。

その時、ワンチーム。今回のラグビー日本代表チームの姿が、将来像であったらいいなぁ、と思いながら。秋のまだよくわからないのに、暦の上では完全に秋真っ只中の休日に、そんなことを云々。

ちなみに、ベスト4をかけた日本vs南アフリカのラグビーの試合は、東京スタジアム(味の素スタジアム)で行われたので、京王線は夕方から混雑状態が続いていました。最寄り駅の飛田給は、特急も臨時停車したので、新宿駅では3番ホームに日本や南アフリカの代表ジャージを着た人が多く。

さすがに新宿は混んでるなぁ、と思いつつ、私は各駅停車の電車で二駅。代田橋で降りて、駅前を歩いていると南アフリカやアイルランドかな? 応援にやってきただろう方たちが、ジャージを着こんで歩いていました。

聞くところによると、今どきは、ほとんど民泊。特に、この辺りは、ワンルームのハイツを借りて、民泊にしているといいます。なるほどね、あたりにホテルなんてないのになぁ、と考えるのは、もう、古いんですかね。

日本が負けたら、もう終わったという感じもしますが、いよいよこれからが頂上決戦。気持ち的には南アフリカに優勝してほしいけど、オールブラックスが三連覇なのかな、と・・・。にわかは、生意気にも、そんな風に思うのです。

さあ、ラグビーもイングランドがニュージーランドを破って決勝に進出し、三位決定戦でオールブラックスは東京スタジアムにやってきて。それも終わったら、FC東京はホームに戻ってきます。おおよそ1か月後のホームゲームが待ちきれず、うずうずしながら、アウェーのロードも、残り二つ。しっかり勝って、首位で帰ってきてくれ!と願ってやみません。



■2019年10月19日
「乱暴にノックされた扉が開いた気がする」

先週の土曜日、大型で強い勢力の台風19号が、温かい海面温度にも助長されて、強い勢力のまま日本に上陸しました。台風上陸前の金曜日から、予想進路が何度も何度も示され、新幹線や飛行機は計画運休に踏み切りました。さらに、デパートやコンビニも休業を決め、土曜授業だった私の息子の学校も臨時休校になりました。

台風が来る。それに対して最大限の「構え」でむかえたにも関わらず、想定外の被害をもたらしました。関東から東北にかけて、40近い河川で50か所以上の堤防が決壊するという大雨。住宅街に流れこんだ濁流が、家家を飲み込み、電信柱の頭と、家の屋根の先がちらほら見える「まっ茶色」な光景。

そこに、家があり、駐車場があり、公園、道路、憩い、生活があったことを思うと、テレビ画面いっぱいのまっ茶色な光景の下で、流され、壊され、失われたものに言葉がつまります。唖然、茫然、愕然。まだ、そこでうごめいているものはないのか、という恐怖もありました。

昨年、大型台風で関西空港が水に浸かり、暴風に煽られてタンカーが連絡橋に突っ込むという映像に衝撃を受けましたが、今回は、北陸新幹線の車両が濁流に浸かった映像のように、あるスポットの強烈な映像というより、全体に広がった被害に、ただただ無力さを感じます。

床上、床下浸水の家屋の数、避難所に避難している方の数、死者数。そんな数がニュースになって、被害の大きさを伝えますが、数もさることながら、被害地域の広さが驚きです。

被害を受けた範囲があまりにも広く、復旧どころか、最低限の生活に戻るまで、マンパワーや資材の不足が明らかなうえ、この週末はまた、季節外れの雨が予想され、台風まで生まれるかもしれないという状況です。

22日を祝日にして、予定していた即位パレードは延期となりました。予定通りの物事が、一夜にして白紙になり、予定が変更、延期される。これからのことは、まだ考えられない。そんな被災者の方の声が聞こえてきそう気がします。

何から、手をつければいいのか。まず、水はいつごろ引くのか。停電になっている地域はいつ復旧するのか。道路が遮断され、孤立化した住宅は、いつ・・・。普通に暮らせるようになるまでの時間の長さが、冷え込んできた夜、避難所の薄いマットの上で、雑魚寝しながら・・・。

ある番組で、専門家が「地球温暖化で起こりうることを何度もスーパーコンピューターでシミュレーションをして、台風が通るだろう進路は、今回のものに近い」というようなことを言ってました。となると、これからは、この進路を通る台風が続くのか。

多摩川の氾濫も、今回は幸運なことにわが家への被害はなかったです。ハザードマップでも危険性はないです。が、です。これから来るだろう台風や地震や様々な自然災害が、想定外の規模や進路で襲ってくるだろうことを考えると、被害にあわないための構えよりも、被害にあったときの構えの方が重要なのかなという気さえします。

地球のいろんなところでひずみがおこり、私たちの暮らしにむけてガタガタと乱暴にノックしている扉が、もしかすると、開いてしまったのかな、と思います。

この週末、月曜を挟んだ飛び石の三連休は、復旧に向けて作業ができる天候であればいいな、と願うばかりですが、天気は下り坂。「今は、あちらに見える千曲川が、この堤防を越えて、こちらの住宅街に流れ込みました」というテレビの中継を見ていると、普段の顔との違いにゾッとします。

「まぁ、大丈夫だろう」という気持ちが、ゼロかと問われれば、私の場合、答えはNoです。今回の台風も、一応、浴槽に水をためて、飲み水は災害用のペットボトルに加えて、冷蔵庫に数々の器や空ペットボトルに飲み水をいれて備えました。電池も用意して、防災リュックの中身も調べました。

直接被害がなくても、電信柱が倒れて電気が来ないとか、水道管が破裂して水が来ないなどの被害に備えるものでした。ここまでして、スマホのエリアメールから何度も何度も爆音を立てて警報が来ても、「まぁ、大丈夫だろう」という気持ちがゼロでは、、、なかたです。

夜、普通にベッドに入って、翌朝、過ぎ去った台風後の晴れの下で、目覚めました。テレビをつけて、被害状況を伝える中継映像を見ながら、大変だなぁ、と思いました。そんなことが、一気に、一瞬にして我が事になる。明日どころか、一寸先は我が身。そんな気持ちにさせられたのは・・・

ある被災者のインタビュー映像でした。「二階で寝てて、朝、階段を降りると、一階のリビングのソファが水にぷかぷか浮いていました」。

まずは、備える。そして、しっかりと構える。それでも想定以上に襲ってくるのが災害であることを理解して、その後のことを考えておく。これまでのデータは確かに参考になるんでしょうけど、ハザードマップも、ひざ下ぐらいの浸水予想なら、大丈夫かな、なんて時代では、もはやないことを敏感に感じ取ること。それが大事なんでしょうね。

台風19号の影響で、開催中のラグビーW杯は、いくつかの試合が中止になりました。結果はドロー扱いで、そのために決勝トーナメントに進めない国もあったりします。その一方で、被災地へ赴いて、復旧作業を手伝うカナダの選手の映像もありました。

釜石では、東日本大震災の復興の途上で、ラグビー場を作り、そこで世界最高峰のW杯の試合を行いました。そのうちの一試合が、今回の台風で中心になりました。そのことで、販売したチケットがどうとか、これまでの準備の努力がどうとか。そういうのは、度返しです。

けれど、IOCが決定事項として、東京オリンピックのマラソンと競歩を札幌で開催する、という通知は、どこか、違和感があります。ダイレクトにいうと、拒否感があります。その理由として、チケットも販売しているのにとか、一年前にほぼ同じコースで大会(MGC)を開いて、警備その他のシミュレーションもしたのに、と挙げてしまいます。

そもそもカタールの世界陸上を受けて、東京のマラソンや競歩を、という理由にも、首をかしげたくなります。これって、「まぁ、言っても大丈夫だろう」という気持ちなんでしょうかね。それ以前に、アスリートファーストになり切れてないんですかね?いやいや、アスリートファーストなら、東京の季節のいい10月にやるべきでしょう。う〜ん、やっぱり、何をいまさら、という気持ちがぬぐえません。

日本人としては、決めたことは、決めた通りに行うことが重要で、柔軟に対応するというのは、その決めた通りの結果に向けて用いる対応であって。この(IOCの通知の)違和感が、というより拒否反応が、そんなことは言ってられない状況へのノックなんでしょうか。



■2019年10月12日
「あるべき姿で存在することの難しさ」

大人になれば〈ハラスメント〉いう言葉にすり替えているだけで、やっていることは、中高生にある「いじめ」と同じではないか? そんな風に思ったことがありました。だけど、それは大人同士で、加害 vs 被害の関係性の中に、複雑なもの(生活というんですかね)が絡むので、一概に「いじめ」とは違うのか、と変に納得したように感じてもいました。が・・・

神戸市立東須磨小学校のニュースは衝撃でした。校内でリーダー的な男の先生(30歳代)がいて、他の30歳代の男の先生2人と40歳代の女の先生がグルになって、20歳代の男の先生をいじめていたというニュースです。

読売新聞のデジタル版にあった記事によると、暴言や暴行を繰り返していたほか、激辛カレーを無理やり食べさせたり、LINE(ライン)で別の女性教員にわいせつな内容のメッセージを送るよう強要したりしていたそうです。そのいじめられていた20代の男の先生は学校に行けなくなり、その先生の家族(両親ですかね)が市の教育委員会に相談して問題が発覚したといいます。

これは、例えば、〇〇中学の2年3組で起こった、男子生徒3人と女子生徒1人といういじめっ子グループが、ある男子生徒をターゲットにしていじめをしていたというのではなく、先生たちが、先生に行っていたいじめです。しかも、周りの先生たちも、いじめを知っておきながら、リーダー的な先生が怖いので、見て見ぬふりをしていた、と言います。

被害者の先生は、校長先生にも相談しています。相談された校長先生もいろいろと調査して、その被害者の先生が「ロール用紙の芯で尻が腫れ上がるほどたたかれたり、車の上に乗られたりしていたことを把握」したのに、人間関係のトラブルとしていじめグループの先生たちに口頭注意をしただけだといいます。その「こらっ、廊下は走るなよ」程度の口頭注意ではいじめはおさまらず、被害者の先生は学校にいけなくなった、と。

まず、このニュースを聞いて、ふと思い出したのが多忙すぎる先生たちの働き方改革、でした。生活のほとんどが仕事になっているという状況を思い浮かべながら、確かに、な、と。私には息子がいます。その息子の通う小学校では、通知表にある各生徒へのコメント欄がなくなりました。これも業務軽減の一環で、面談のときに話すからという理由だそうです。

多忙な割に給与が安いともいわれ、先生になりたいと思う若者が減っているということも聞きました。このままでは、教員試験は定員割れして、教師の質にも悪影響がでるとか。そんなこんなで、今回の、先生による先生へのいじめです。すぐに、息子のことを思浮かべてしまったのは、親としては当然かと。

でも、あるんですね。そういえば、少し前に忘年会か何かで熱い鍋の中に顔を突っ込まされた社員もいましたよね。これほどまで特殊なケースじゃなかったら、もしかしたら日々よくあることなんですかね。何人かが集まれば、誰かは誰かとつるんで、ひとりをターゲットにはけ口にしてしまうんですね。

いじめは、いけません。みたいなことを、あれこれ理由をつけて「教えていた」んでしょうね。いじめていた先生も、いじめられていた先生も。生徒たち(こどもたち)に。今回は小学校でのことなので、「道徳」という時間も多かったと思います。これから生きていく中で、大切な、基となる部分。それを教えていた先生たちによる、これです。

ゾッとしませんか? おそらく、加害者たちは「ノリやん」と言うだろうし、学校側も「こんな(程度のことを)おおごとにするのは・・・」と二の足を踏んだのかもしれません。なんですかね。

公立の小学校は、ぐるぐると人(先生たち)が入れ替わるので、その時、その時を穏便に、なんとかばれずに過ぎ去ってくれればさえ、みたいなところがあるんでしょうかね。だから、誰も本気で向き合わないんですかね。

教育委員会も大変ですね。先生の見張り役、学校を第三者的にみて導いていく組織。被害者の男の先生が、校長先生に相談したのに、事態は変わらず、登校拒否になって、お母さんが教育委員会へ訴える。何度考えても、この状況が、なんとも言いようのない、なんて言えばいいんですかね。

よく、クラスでいじめがあったら、全校生徒を対象にアンケートをして、他にもないかを調べるというのを聞きます。今回の件をうけて、全国の小学校や中学校で、先生たちどうしの「いじめアンケート」みたいなものが実施されたりしたんですかね。もしかして、「よくあること」として捉えられたりしてませんよね。

学校生活は、人生の中で「少し」です。小学校から高校生まででも12年。そこはとても小さな閉ざされた世界で、そこでの「人間関係」は、とても貴重なものにもなるし、その逆もしかりです。だけど、と、「大人」たちは繰り返していたはずです。人生は長い。これからの未来は、きっとこうじゃない、と。

・・・が、こう、だったんです。

今回は小学校でおこったことで、生徒の間で目立った「いじめ」は、まだなかったかもしれません。が、もし、あっても、到底、解決できなかっただろうし、指導も難しいですよね。ここまで、いろいろ記しながら、はっ、と。やっぱり、このニュースの現場が学校という場であったことが衝撃度を高めているのかもしれない、と。

せめて学校だけは、シンプルに、直球勝負で良いことと悪いことは線引きしてほしい。そういう雰囲気をつくり出す先生は、パイロットが乗客を無事に目的地へお連れするように、警察官が犯人を逮捕するように、なんというか、当たり前のことを徹底的にやってほしいな、と。

飲酒検査でひっかかるパイロット、犯罪を犯す警察官。こんなことを書いていると、そういう特殊な人たちのことも頭をよぎります。で、です。それって特殊ですよね、ほんの一部の人だけですよね?と半信半疑で、余計に、なんて言ったらいいのか、どう飲み込めばいいのかむずむずして。

あるべき姿で存在することの難しさ。

教師も人間だから、というところに行きつくには、今回の「いじめ」はひどすぎる気がします。教師の間でのいじめ撲滅運動、なんて標語が堂々と掲げられるような【変な】世の中になる前に。大多数の普通(だと思いたい)で、塗りつぶしたいもんですね。

今、台風19号が東京に向かってやって来て、私の住んでいる区にもエリアメールの緊急メールが爆音をたててスマホに入ってきてます。大雨、暴風、洪水。警戒レベルがどんどん上がっています。多摩川が氾濫しそうで、目黒川の水位もあがって。今晩にかけて上陸する台風を待ちながら、命を守る行動、のための準備をしながら。



■2019年10月5日
「まぁ、そこは、蓋。」

消費税ってな〜に?と、PKOって何?と同じような(遠いものとして)親に聞いていた13歳だった私。当時は、3パーセントを払う、というのが、100円なら3円だけど、98円だったらどうなの?などなど、今ほどコンビニがあったわけでもないのでパン屋とか駄菓子屋で、しかも、ピッで決済できるわけでもなかったので、手のひらにある百円玉で足りるの?足りないの?がドキドキだった覚えがあります。

その税率が5%になって、8%になって。そして、先日、10月1日から10パーセントになりました。安倍総理は、消費税総理。8%にしてからも、何回も、何回も「上げる、上げる」と言っては、やっぱり、や〜んぺっ、となり、いよいよここらで本当に上げる、となったら軽減税率や免税などで難解な仕組みで濁しながら。

で、スタートしました10パーセント。

10月1日が火曜日だったということも関係するのか、なんとなく、いつものコーヒー屋でアイスコーヒーのレギュラーを頼むと、「店内でのご利用はありますか?」と聞かれ。あ〜、店内なら席があるか先に確認しろよ、という例のあれね、と思ってると、違う!増税だ、と。8%か10%かの税率を聞いてたわけですね、結局。

店内で飲みます、と答えると、前日までは250円という表示でピッしていたのに、同じコーヒーが275円の表示。なるほどね、とここで実感したりして。これを機に、そば屋はもりそば+かつ丼のセットが900円から950円に上がってましたが、これは、2%以上の値上げですよね。原材料の高騰などにより、って、なんだか、いいきっかけだったんでしょうね。

それでも、ポイント還元で実質は6%とか、店内で飲むって言ってテイクアウトカップで店内で飲むとか、わかりにくさは満載で、それを「最初はごちゃごちゃしますけど、日本人の計算能力は高いので、それに期待する」なんていうようなことを、どっかの大臣は巻き舌でしゃべってました。はぁ。。。ちなみに、この増税分で幼稚園が無償、高校も無償なんてのを強調してましたが、借金、返す気あります?と問うてみたくなりますが、、、

まぁ、そこは、蓋。ということなんでしょうか。それでも、例えば、幼稚園に月額3万円を払っていたとして、それが0円になるのは、助かりますよね。3年間で100万円以上、貯めようと思えば貯められるわけですからね。いやいや、貯める?なんて、「そんな」人に社会保障として助けの手を差し出すのは本来の意味とは違う、というのが根強くあるのも事実かと思います。

でも(幼保無料、高校もタダというのは)インパクトがあります。ただ、本当に困っている人への目が散る、というのも確かにあります。目、耳、声、風、そして血、涙。そういうのに寄り添うという人物像と、政治家が紐づかないのは、いつの時代も同じなんでしょうかね。

今、言わなければ、モノ申すこともできなくなる。だから、声を上げる。大学生が中心だった香港での民衆の主張が、弾圧や締め付けでじりじり尻つぼみになりつつも、落としどころを見つけていた最中、傀儡の香港政治は中国の言いなりで、それに、また爆発しましたね。

日本人の私にとって、若者が政治参加するというのは、私の世代にはなく、それは学生運動という先輩たちの「歴史」のようでもあり、少し前のデモパレードのような後輩たちのイベントのように感じていました。いずれにしても、「彼ら・彼女ら」に続け、今度は私だ、とはならなかったのが正直なところです。

そういう意味で、今、香港で起こっていることには耳目をそばたてられます。中学生や高校生が授業をボイコットしてデモに参加しているというのです。そんなニュースを初めて聞いたとき、衝撃でした。大学生がデモをする。それを見て、自分事として、私たちも、と行動を起こす。

もちろん、日本と香港では置かれている制度がぜんぜん違うので、単純に比較はできませんが、一国二制度というグレーな線引きに、線を引こうとするのは大変なことですよね。ウィキペディアによると、一国二制度にはこんな説明があります。「主権国家の枠組みの中において一定の自治や国際参加を可能とする構想」。

そもそもが、解釈の幅が大きい制度ですよね。ただ、北京、上海という大都市に、経済特区などで急成長した「あたらしい街」を抱える中国にとって、香港とマカオは別モノ。世界中の情報やモノとサービスが集まって飽和した街であり、国際的にもイメージのいいところです。簡単には手放せず、かといって、国際的な注目度が高いので、デモ隊を戦車でがーっと制圧することもできず。

だから、香港デモで警官が実弾を発砲し、18歳の高校生が重体というニュースと映像は衝撃でした。同じころ、中国では軍隊が数多くの兵器をこれでもかと並べてパレードをしていました。それはお祝いでした。香港ではデモ隊が撃たれ、搬送されていました。

翌日の香港の夜、中学生、高校生、そして大学生によるデモが行われ、そこにはスーツ姿の市民も目立ったといいます。蓋を、する、というある種、大人が得意な、成り行きの見極めを、ここで、声を上げないと、という判断もあったのでしょうか。

たぶん、香港で生活している人には、日本に伝えられているような「大混乱」はなく、デモは〇〇の方でやってるから、うちのエリアからは遠いんだよね、なんて人も多いと聞きます。

伝えられるのは、目立つことだけです。それがわかったデモであるというのも確かです。発信され、共有され、自分たちの置かれている状況を訴える。≪それすら、できなくなる、前に≫と。つまりは、もう蓋をしている場合じゃないということなんでしょうね。

香港は刺激的でエネルギッシュな街です。その街を作り出したのは「香港人」です。彼ら・彼女らは、自らを香港人と称します。それは、関西人だ、というのは違う意味における、なんというのか、いっしょにせんといてや、というところもあるでしょうが、まったくちゃうねんで、的なニュアンスに受け取れます。

土台は同じで、表面的な違いというのではない、言ってみれば根が違う、とも聞こえる香港と中国の一国二制度。これからのロードマップが、そのより良い未来が、正直、見えにくいなとも思いますが、ここは、誰かが、やるのではなく、自分たちが導き出す。そんな暗中模索のデモのようでもあります。そんな中での、被害者は、本当に残念です。

羽田から香港まで、4時間40分のフライトで行ける距離です。これを聞くと意外、に、遠い。と感じるほど、香港は近い街です。そこから届く映像に、声に、主張に、そしてその対応に。蓋をせず。

日本ではラグビーが話題です。日本代表の赤白ジャージーが、世界(ラグビーに興味のある国々)を席巻しているそうです。この週末も、サモア戦があります。このまま決勝リーグへ、そして、そこでの1勝を。それにしてもすごいですよね。自分たちの実力で、これだけ日本人のムードを高揚させるのですから。

スポーツは良いものです。冬がやって来る前の今の時期が、本当に気持ちいです。来週は、サッカー日本代表がモンゴル代表とアジア予選を戦います。来るプロ野球のドラフトでは、佐々木、奥川に加えて、いろんな選手がプロ入りするはずです。バレーボールもすさまじい勢いです。バスケットボールも面白いです。あぁ、観戦したい。オリンピック、チケット、当たらないけど、、、見たい、絶対。



■2019年9月29日
「空間の中に飛び込んで費やす時間が好きな質」

ラーメン、うどん、もつ鍋に水炊き、餃子に焼き鳥、海鮮まで。まだまだ出てくる福岡グルメに、見てるだけでおなか一杯になりそうです!福岡行きを決めて、それも1泊という弾丸だけに、だけど宗像大社だけは外したくないので、いろいろと悩ましく調べまくっている今日この頃です。

ふと、旅って、だいたいこうでしたよね。行く前にあれこれ調べてると勝手にテンションがあがってきて、私の場合なら歩き方(地球の歩き方)やロンプラ(ロンリープラネット)を買って、最低限の情報には線なんか引いたりして。具体的な旅程(行程っていうんですかね)は決めず、全部いってから。現地の空港に着いたら、めぼしいエリアだけのアンダーラインを見直して、そこまで移動してホテル探しから始めていました。

そんな旅立つ前の準備が、ガイドブックからグーグルになって。誰かがきっちり編集したものと、一般人がつぶやいたものまで包含しては、コレ!というスポットに巡り合えて、そこに行ってみて。なんというか、現地で目の当たりにした時の、なんとも当たりはずれの多いこと。それもまた、おつというか、旅というか。そういうのを楽しんでました。

が、今は、旅先でもサクサク検索出来てしまいますからね。とはいえ、海外ではまだまだネット環境は弱くて、普段、東京でいるようにスマホに任せっぱなしというわけにはいきませんが、オフラインのマップをダウンロードしておけば、先日、私がニューヨークに行った際も、地下鉄で迷うことはなかったです。

(ああ、モスクワに行ったとき、ロシア語の駅名も読めず、言葉もわからず、英語で聞いても返事すらしてもらえず。どっち方向が正解なのかわからないので、えいやっ、で乗ってた頃が懐かしいです)

海外ではまだまだ無理でも、日本では、もう、確実にスマホ便りです。カーナビが定着して助手席で地図を広げることがなくなったのと同様、国内の旅先でガイドブックを開く、なんてことはなくなりましたよね。スマホ片手にグーグル先生頼りで目的地まで行ってます。

その手軽さを?最近では、ヨーロッパを中心に、ある点から目的の点までを往復して終わるというピストン観光から、点と点と点と点を自由につないで周遊してしまうというスタイルが多いようです。

私が学生の頃に旅したペロポンネソス半島では、アテネから路線バスでぐるぐる旅して、オリンピアやナフプリオンで途中下車して宿泊して、また旅する、という、言ってみれば点と点と点と点、というのをやってました。

それは、若さゆえ、どんなトラブルも楽しんでしまおうという、旅行期間が一か月、二か月という旅だったからできたこと。ああ、今日は早めにバスがでちゃったんだ、ま、じゃ、ここでもう一泊しようっか、みたいな。

そんな旅ができない大人旅でも、今は、現地で専用アプリを使い、いろんな質問ができて、●●駅から〇〇駅までバスで運んでくれて、翌朝は、〇〇駅から◎◎駅まで行ってくれるので、旅の途中も、そこそこ自由で、イライラのトラブルも少ないようになってるんですかね。

こういう、手間のお手伝い。パッケージ旅行なんていうのを売り出して、トラベラーズチェックという金融まで進出したイギリスのトーマス・クックという旅行会社がつぶれました。これは、一つの時代の幕を下ろしたかな、とも感じます。

そもそも、アメリカでは、アメリカンエクスプレスが旅行から始めて、完全にトラベラーズチェック、クレジットカードの会社と変貌する中、トーマス・クックは株主を変えながら生きながらえてきたのに、それもついに終わりました。その昔、一世を風靡したエジプトはピラミッド。そこへ大量にイギリス人を運んだ会社が、です。

考えようによってはシェアード・エコノミーの走り。一人ひとりだと高いけど、同じ所へ行く人を集めて「団体」にすることで、個人出費を安くするという。それでパッケージ旅行は伸びたのですが、そこから利益を上げようという企みが、土産物屋に連れていってキックバックを得たり、レストランでは決まったものを人数分提供したり。集合時間、解散時間がどんどん厳しく、あれもこれも詰め込んで忙しくなって。

自由度がない、というところに立ち返ってパッケージ旅行は不人気になったという感じでしょうか。そうはいっても、仕方ないと思っていた時代から、今は、個人が、自分で航空会社からエアーチケットを買って、ホテルサイトから予約が入れらるようになりましたからね。それすら面倒な人は、それぞれの航空券とホテルを予約サイトから購入したりして。

手軽になった。だから自由になった。そんな時代を映してか?ここ最近、若者(25歳以下の)の旅行者がぐんぐん増えているようです。

若者が旅にでなくなったと嘆かれた時代を超えて、今、再びのブームの兆しです。もちろん、ここには、旅先でのネット環境、予約の容易さに加えて、訪日客の爆発的な伸びで、飛行機をはじめとするインフラが膨らみ、そこに席数が増えたということもあります(逆に、国内のホテルは高騰化して、それなら海外にいっちゃおう、とか)。

わいわい、がやがや大量に押しかけて爆買いする観光客とは一線を引く、自分の興味・趣味に合わせて、のんびり、それでいてアグレッシブに海外を闊歩する、そんな若者旅が、最近は目立つようです。

ボランティア、社会貢献、自己成長、そういうのをテーマに海外にいく若者も多いというから、何とも頼もしいばかりです。

最近は閑古鳥が鳴いてますが韓国をはじめ、台湾、中国、タイ、インドネシア、ベトナムなどのアジア各国から大量に日本へやってきて、その人たちが乗ってきた飛行機に、今度は出国する日本人が乗る。そんな繰り返して、訪日客(の伸びはすごいですが)だけでなく、出国者数も増えているのが現在です。

このピストン運動で行き来する観光客も、陸同様、点と点と点と点を周遊するクルーズに目が行きはじめて、クルーズ会社が航路のばら売り(パーツ売り)を始めたらから金額も手ごろになって人気だとも聞きます。

それにしても、羽田から気軽にひょいっとニューヨークまで行けてしまう時代ですからね。二十年前には考えてもいませんでした。海外に行く、となったら、成田空港まで行く、関西なら関西空港まで行く。これが、一苦労という感じだったのですが、それもだいぶ軽減されましたよね。

それにしても私は心底、旅が好きです。それは別に、東京をうろうろする時にも通じて、つまりは空間の中に飛び込んで費やす時間が好きな質なんだと思います。ラッキーなことに私の場合は、夫婦そろってそうなので、結果、家族で出かけて、子供も、今では完全にそんな質です。

先日、学校の振り替え休日を絡めてマイルでどこかへ飛ぼうという話していると、函館か福岡か、、、ソウルでもいいよ、というと、間髪おかずソウル!と答えた息子。どうせ行くなら海外に行きたい、というのがあるようです。(マイルだといい時間帯のフライトがなかったのでソウルはやめましたが)。若い人たちの感覚が、私自身の若かったころと同じループに入ったのかな、なんて思ったりもします。

お彼岸も超えて、いよいよ秋の始まりです。

わが家の10月は、サッカー日本代表のモンゴル戦を観戦したり、バスキア展にいったり、盛り上がりが最高潮になるだろうラグビーW杯のパブリックビューイングや世田谷のパン祭りにいったりしながら、即位のパレードはどこで場所取りしようか、などと考える中で、今も福岡の友人、知り合いにおススメを聞いたりしています。

いやはや何をするにも、本当、いい時期です。ちなみに、福岡出身の友人におススメを聞いてしまっている私が言うな、という感じですが、京都で生まれ育った私に、京都のことを聞かれても、もう離れて長いのでぜんぜんわからず。この年末の帰省でも、USJに行こうとしているので、ごめん!Tよ、面倒なことを聞いたな、と。夜長のベッドの上のちょっと反省したりもしています。



■2019年9月21日
「あれ、おれ、矢印が逆になってる」

志賀直哉 vs 太宰治、小田作之助、坂口安吾という対決姿勢というか悪口合戦というのを見ていると(『文豪たちの悪口本』彩図社文芸部)、ふむふむ確かに、それは「認められた既得の正」と「新しいものを生み出そうとしている未知の誤」のようにも見えて、それに正誤をつけようとするからハレーションがあるんだよな、と。

ふと、そんな話から「喝っ!の人」とメジャーリーガーが、高校野球の一人の「生徒」の登板をめぐって、いろいろと言っているのを思い出しました。連投は(成長段階の)高校生にはよくない、という将来を見越した意見に対しての喝。そんなあまっちょろいことでどうする、というあれ。

他にも、幼児や児童の虐待、中学生の自殺、不倫に麻薬にタトゥーなど、飛び込んでくるニュースを見るたびに、いや、そんなリアルだけではなく、映画やドラマ、小説を読んでいるときにすら感じるのは、あれ、おれ、確実に矢印が逆になってるな、ということです。

例えば「反抗」。これは、生徒が先生に、子供が大人に、若者が年寄りに、言われたことに対して相反する意思表示で、これまでは、矢印の向けられている側ではなく、矢印を向けている側で観ていたのに、いつの間にか、どうも向けられている側に立って見聞きして、考えているような気がします。

親子の関係になると、それは顕著で、実際に私は親で、子供がいるのですが、ドラマで子供が親に反抗している場面では、都合よく「子供側」で一緒に反抗している気でいましたが、それも観念したように、今では確実に親の立場で受け止め・はね返そうとしているような気がします。

年齢を重ね、経験を積み、その時に向けられる矢印に対して。受け止める側としては、気持ちは十分にわかるし、(自分たちがはね返された)同じ対応はしたくないと「わかったような気」で大きく構えているつもりでいます。が、矢印を向ける側は、そんなものは関係なく、どこまでも「わからずや」で「頑固」で、ジジイ・ババアな訳です。

そりゃ、そうですよね。私が若いころ、矢印を向けていた「人」に対して抱いていたことを、同じように「抱かれている」んですもんね。今の若者や子供たちからしたら、同じように、わからずやで頑固でジジイな訳です。

なんで、なんで、なんで。そんな、一緒じゃないだろう、と私は必死になり、だって「おれらの頃は」話すら聞いてもらえなかったとか、環境が全然ちがうとか、そもそも不満に思っていることの「程度が低すぎる」とか思ってしまうのです。

そこで、ふと、あ。そうか。矢印を向けてくる(放ってくる)側の【気持ち】も、それを受け止める側の【答え/結果】も、なんら私たちのころと変わってない訳で、それまでのプロセスの細かい部分に譲歩をしても、同じようにわからずやで頑固でジジイですよね。

それは繰り返しなんでしょうね。原理なんでしょうね。たぶん、世の中が、劇的に封建社会になったり、家父長制になったり、女性上位になったり、そういうもの言えぬ時代にならない限り、矢印のやりとりは同じなんでしょうね。

ただ、昭和の時代は、この矢印のやり取りを紙面上(雑誌など)でやっていたのが、平成には「テレビ」になって、令和には「SNS」です。張本さんはテレビで発して、ダルビッシュはツイッターでコメントしています。トランプ大統領じゃないけど、何の編集も介さず、直接ことばを発するには、SNSは本当に便利なんだろうと思います。

ただ、便利になって、矢印が「誰から」「誰に」というのもあやふやになって、そこに対話がなくなっていって無理解・無視の状態になるのは、そんな新時代は嫌だな、と頑固にジジイとしては思うわけです。

それにしても、こんなことを記している時点で、本当に光陰矢の如し。時の経つのは早いです。年をとるのもあっという間です。月曜日になれば、早く土曜日になって欲しいと一日、一日を急ぎ足で過ごしながら、土日も同じ時間なので、当然、素早く過ぎ去って、そうやって一か月、一年と、どんどん経過しているのですから、、、

早く年をとるのも納得です。今日という一日のゴールから逆算して生活している「大人」と、一分先のことすら考えず、一瞬、一瞬が濃厚で夢中な「子供」との違いなんでしょうね。石ころをず〜っと蹴り続けたり、坂道ばっかり探して、あっち行ったりこっちいったりで、見えてくるもの・聞こえてくるものが、すべて大きく重かったりした頃の一日とは、違って当たり前なんですが。

あかん、あかん。そんなことを言っている場合ではないぞ!ZOZOの元社長と年齢は変わらないはず。これまで積み上げてきたものに満足して、矢(印)を受けるぞ、なんて考えている場合ではないですよね。建てたら壊して、また立てていく。これですよね。よ〜し、おれも、放つぞ、矢(印)。

さて、話は変わって、私は健康です。だけど、そう思っているだけなんだと思います。だから、人間ドックだけは、毎年、ちゃんと受けています。これまでは、胃の検査で、毎回、毎回、萎縮してるといわれ続けて、バリウムではわからないので、胃カメラを!と。

だから、今回は、ここ数年同じところだった病院を変えて人間ドックをしてきました。もう、こういうの何ショックっていうんですかね。人間ドックって、こういうもの、と思っていたのが全然違いました。病院にいって、病人のように扱われて、検査をする、というのに慣れていたので、ホテルみたいなところで、お客さん扱いされると・・・。終わったら、軽食をご用意してますので、よろしかったら、どうぞ、なんて。

胃カメラも、鎮静剤を打ったので、起こされた時にはすべて終了しているといった具合。いやぁ、一つの(時間)枠に数人しか予約を取らないので、すべてがスムーズでノーストレスだし、いや〜、ほんと、うれしいショックでした。来年からも、確実に、ここだな、と決めました。

で、妻に聞くと、「え、そうだよ、普通」。・・・?て、何が普通なの?と頭ふりふり聞くと、検査中の「扱われ方」、終わった後の「軽食」なんて、そりゃ、そうでしょ、の世界だとか。特に、妻の場合はレディース専用なので、きれいさも段違いらしく、聞くと、もう、ず〜っと同じところで受けているそうです。

そうか、医者も人気商売なんていうのは、歯医者かマタニティクリニックだけかと思っていたら、そうでもないんですね。付加価値というか、快適性というか。それだけで選ぶことはなく、もちろん、確かな腕、というのを求めるのですが、まぁ、いっても、やっぱり、こういう付加価値はうれしいものです。

そんな医者も、どの町にも必ずいる、という時代じゃないようですね。無医者エリアなんていうのも聞きます。Dr.コトー診療所が、殊に珍しくドラマにもなり得ない未来がくるんですかね。河合雅司著「未来の地図帳」は、そういう未来は来る、と断言しています。

いずれにしても、人口が減り、マーケットが縮小して、単位というか囲みというか、そういうものが維持できなくなっていって、それでも順応しながら「変わっていく」のが未来だと思います。そういう、変わっていく未来でも、、、

と、私は思います。どんな未来になっても、「矢印のやりとり」は、立場を変えながらも、繰り返していった方がいいなぁ、と。それすら、やりあわない関係だけは嫌だと。

親と子でも、大人と子供でも、若者と年寄りでも、矢印を向ける側(からしたら、安心して、思い切って放てる相手がいる)と、受け止める側(からしたら、その矢を受け止めながら、刺激と新しいものを考える時間がもてる)の関係だけは、繰り返し、繰り返し、やっていきたいな、なんて。



■2019年9月14日
「都市旅」

世界の「都市」といえば。ここ10年ほど、ロンドン、ニューヨーク、東京、パリ、シンガポールというトップ5が安泰の状態が続いているようです(世 界の都市総合力ランキング」(GlobalPower City Index, GPCI)より)。この調査は、経済、研究・開発、文化・交流、居住、環境、交通・アクセスの6分野で複眼的に評価されて順位付けされたもので、例年、秋に発表されます(だいたい10月)。なので、もうすぐ、今年2019年版も発表となりますが、おそらく変わらないんじゃないかな、と思われます。

これとは別に、イギリスやアメリカなどの研究機関やエコノミー誌が発表する「世界の安全な都市ランキング」というのもあって、こちらは概ね、東京や大阪などの日本と、オーストラリア、カナダの都市が並んで、例えば、先日、イギリスのエコノミスト誌調査部門「エコノミスト・インテリジェンス・ユニット(EIU)」が発表した「世界の都市安全性指数ランキング」では、東京が過去2回に続いて1位に、2位はシンガポール、3位は大阪。以下、アムステルダム、シドニー、トロント、ワシントンD.C.、コペンハーゲン、ソウル、メルボルンと続きます。

安全、というのをどうやって数値化しているかというと、世界の主要60都市を対象に、57の指標を「サイバーセキュリティ」「医療・健康環境の安全性」「インフラの安全性」「個人の安全性」の4分野に分けて分析したもので、なんとなく「安全なとこ」というイメージと合致するかな、と思います。

話は戻って、GPCIによる世界の都市ランキング。これは総合的なランキング以外に、文化面に特化したランキングもあって、個人的には非常に興味があります。世界的な文化イベント件数などを数値化した「交流・文化発信力」、アーティストの創作環境などの「文化資産」、劇場や美術館の数を比べた「集客施設」、ハイクラスホテルの客室数などの「受入環境」と外国人訪問者数などの「外国人受入実績」からランキングしたものです。

この文化面のランキングは、総合ランキングと順位の変動はあるものの、ロンドン、ニューヨーク、パリ、東京、シンガポールは変わらず(パリが東京を抜いて3位)、6位にベルリンがランクインしています。総合では8位なので、この分野で一気にランクアップしている街です。こういうところには、ぜひ、旅してみたいと思わせる魅力が詰まっているな、とふんふんと思いながら。

次は、ベルリンに行くか!と企みつつ、個人的に行ったことのない街。何があるんだろう、とさらっとなめてみると、イタリアやスペインのような有名スポットもなければ、ウィーンのような本物にも欠け、料理って一体、何があるんだろう、と不安にもなったりするのですが・・・。

一応、ステレオタイプなベルリン観光は、博物館島でペルガモンへ行って、ベルリンの壁、ブランデンブルク門をさらっと見たら、ドレスデンやライプチヒに逃げる?といった感じになるんでしょうかね。そんな、それでは全くもってもったいない。ということで、現地に住んでる友人に聞いてみたり、仕事関連で話を想像すると、、、

ベルリンは夜だよ!という声が多いです。物価も安いので、なんでもありなナイトライフを無条件に楽しむ。これがひとつの大きな魅力だとか。あとは、小さなギャラリーを丁寧に見て行ったり、マクロで発展した「お行儀のいい街並み」と、ミクロでうごめいている「本当の街並み」を見比べて、にやにやと楽しむ。それがベルリンの楽しみ方のようです。

ハッケンシャーホーフというショッピングエリアは、何人かの人から勧められた場所なので、おそらくは楽しめるんでしょうけど、ファーストトリップの数日間の旅程では、なかなかカバーできないかもな、なんていろいろと考えていると、やっぱり、パリかな、という気持ちになってきました。

東京に住み、あちこちお出かけしては触れているいろんなことが、ニューヨークでは圧倒的な差でガツンと楽しませてくれたという感覚があります。それは小2の息子にもあったようで、ニューヨークで足りなかったのはサッカーだけ、という感があります。なんだかんだいっても、やっぱり、ニューヨークはすごい。それが正直なところです。であれば、サッカーもある大都市。ロンドンかパリというのは、刺激的で魅力的です。

ロンドンに行こう!か。個人的には数か月過ごした街。公園とマーケットを中心にTUBEを使って縦横無尽に動き回れば、ニューヨークに匹敵する日々が過ごせるはず。ですが、料理がなぁ、とか、週末を何度かまたがないとなマーケットも回れないし、なんて、思うところもあって。

パリ。この街には行ったことがあるけれど、あまり印象がありません。ロンドンにいたころ、数日間、コーチバスで訪れただけで、覚えているは停電で真っ暗な安宿で過ごしたことぐらい。シルブプレすら知らず、その発音がやたらと面白くてケラケラ笑っていたような低レベルだったので、再訪(というか、新たな気分で)するか、と。

パリ、そこはアートの街、食の街、そしてキラキラした華の都です。確かに女性的なイメージはありますが、マレ地区でスイーツしていると、それまで興味もなかった男性がスイーツ男子になってしまうほどの力があるというから、なるほど、確かに、どんなんだ?と楽しみになったりもします。

何の因果か、わが家の旅は、どうもテニスの四大大会に縁があるようで。息子の2回目の旅となったドバイでは、ホテルに並べられた新聞の紙面上で大きく錦織選手が笑い、日本人初のグランドスラム決勝進出を知らせていました。その後、3回目の旅がメルボルンで、全豪オープンの終了翌日に行き、ロッド・レーバー・アリーナのスタジアムツアーでは、前日までの興奮を残しつつ、錦織がよく使うロッカーを見学したり。

で、先日のニューヨーク。USオープン期間中で、キッズデーに参加して、実際に錦織選手に会うこともできました。初夏の季節のいい時期、全仏オープンテニス期間中にパリに行くのも、確かに魅力的だな、と思いつつ。スタッド・ローラン・ギャロスのクレーの美しさが見れたら、それはそれで感動だろうな〜。

と、パリという都市の魅力は、またまたGPCIのデータを見ると。総合こそ4位(これは、経済が20位と断トツに弱いため)ですが、交通アクセスというインフラは断トツの一位です。長らく世界中から旅人を引き付けてきた安定した力があります。華の都で、食にアートにファッションに。なんだか良質な空気感を、十歳にも満たない時期にすえると、その後が大きく変わるかな?と、理由づけに息子を使ったりしながら。いろいろと企んでみます。

若い頃(20代前半を中心に)、私は都市の旅からアジアやアフリカ、中南米といった、当時のステレオタイプな旅人を地で行き、確かに、ビクトリアフォールズもサファリも、ラパスの空中都市もハラホリンの大草原も人生観を変えるものでした。バンコクのゲストハウスを拠点に、アジアを歩き回り、シェムリアプで1ドルの宿に旅で知り合った人とシェアしたのも、楽しかったし、強烈なインパクトです。そんな何もないものから意味を見いだすのは、これでもかいうほど「有る」都市から得てきた後でもいいかも。

私は都市滞在型からバックパッカーになり、家族旅ではリゾートも行きますが、やっぱり都市が好きで、だからその好きを糧に都市旅に回帰した、ともいえなくもなく。先日、あるリサーチ会社が主催のシンポジウムに参加すると、ジェネレーションXの若者は、親が聞いている音楽に影響されて好きなアーティストがいたり、親と旅したところに行く傾向がある、と聞きました。

私たちの世代、親が聞いている音楽を聴くなんてなかなかなかったし、そもそも親と一緒に、そんなに旅もしてませんでした(海外なんて皆無でした、私は)。だからこそ、切り開いて一人旅を続けてきたのですが、(少しだけ、親が小さいうちから海外に連れて行くと、成長したら自分でどこにも行かない子になるんじゃないか、と心配していたのですが)、息子には息子の、私の想像なんて遙かに超える切り開き方があるんですよね。

ジェネレーションで言えば、なんて呼ばれるようになるのか分かりませんが、その頃の息子にとっても有意義で、何よりも、私と妻と息子の、個々がしっかりと楽しいと思える旅を、これからも続けていきたい。そんな風に思います。

あ、東京の次のオリンピックは、パリだな。



■2019年9月7日
「欲に任せて体をめいっぱい開放したい」


9月になって、急に涼しくなったりする日もあり。紅葉の見頃予想が発表されたりしても、(なんとも)しっくりくる気候といいますか。このまま涼しくなっていくなら、今年の夏の猛暑期間は、とても短かった、という具合になります。それはそれで、いいんですが、今はダブルでやって来ている台風が気になりますね。

さて、先日、部屋の整理をしていたらツタヤカードが出てきました。見たら有効期限が6年前に切れていました。確かに、レンタルビデオという単語すら発言することが少なく。映画をレンタルして観る、というのも、久しくやっていません。

思えば、私が大学へ通っていたころ。家と大学の途中にあった大型のツタヤで、3本ずつ映画を借りては、1週間で観て、それを返却して新たに3本借りる。そんなことを2、3年続けていたことがあります。

あの頃は、棚の左から順番に全部借りてみよう、なんてこともしていて。そうすると次第に自分の好みが分かって、それに偏ってきて。偏りはダメだと、普段手を伸ばさないものも、あらすじを一切見ず、ジャケットだけで直感決めしては、まぁ、そんなことを繰り返したりしてました。

好きな映画監督や好みの脚本家の新作は「京都みなみ会館」で観たり。そしたらやっぱり面白くて、また過去作をビデオで借りるという。とにかく、面白かったんですよね、映画が。というか、それだけ、当時の私は暇だったんでしょうね。

今は、ほぼ、スマホですからね。小さな画面でササっと見てしまう便利さに、レンタルは確実に負けているし、(最近、映画館で映画を観ることに喜びを感じ始めた息子を連れていくことも増えたのですが)劇場で見ると、それはもうやはり別格で。

簡単で便利なスマホか、「本物の」劇場鑑賞か。その間で、レンタルビデオは、(マックとシェイクシャックの間の)モスバーガーよろしく、帯に短し襷に長し状態といいますか(個人的には、です)。

そんな映画も、過去のヒットをなぞって続編にするか、同じスタッフで「よく似た温度感」のものを作るかが続いてましたが、タランティーノ監督の新作なんかを考えると、いやいや、そうではなく、「新しい」と感じる世代が一周したのか?と思ったりもします。

関係ないですが、ドーハの悲劇を知らない(生まれてない)世代が、日本代表の10番を背負う時代ですからね。レコードやカセットテープ、使い捨てカメラを「新しい」と受け入れる事象に似たことが、映画でも起こりそうです。

それ、ショーシャンクじゃん、とか、アメリじゃん、とか。そういう大ヒット作、名作がこれから生まれたりすんでしょうね。そもそも劇場自体が、4Dとまでいかなくても、映像美、音響、座席ともにすごい進化を遂げて、映画をみている時間が、特別になっていますからね。

「わざわざ映画館にいかなくても、映画は見れんじゃん」なんて吹聴していた頃が、懐かしいとさえ思えます。

そんな進化した劇場が、新宿にまたできるという記事がありました。2022年、新宿に4つ目のシネコン誕生。いや〜、すごいですね。新宿は、確かに出口ごとに一つの街という感じですが、それにしても、ミニシアターを合わせると10以上の映画館がある街です。

2022年かぁ。

考えてみると、ここ数年、東京五輪の2020年をターゲットイヤーに、「何でもかんでも」2020年にオープンとか、完成なんてことがいわれてましたが、それを目前にした今、やたらと2022年というのを聞きます。

ディズニーシーに新テーマスポットができて、銀座のソニービルもパーク(公園)の上にビルを建てて完成します。サクラダ・ファミリアか?とまで言われた渋谷駅周辺も出来上がっているだろうし、虎ノ門、丸の内も高いビルや商業施設が誕生します。

税制優遇で1992年から守ってきた世田谷などの生産緑地も、この2022年には解除されて、固定資産税が払えずに土地が売られてマンションがどんどん建つだろう、なんて予想もあります。

2022年、4年後。楽しみだし、待ち遠しいし、今ある「未来感」みたいなものは乏しく。きっと、あっという間に、普通に「誕生」して「オープン」して、街は気づけば変わっているんでしょうね。

東京一極集中で集まってくる人、世界的に見てもこれだけの大都市なのに、物価が抑えられて不動産も手が届く範囲の街。それも、いつまで続くのかどうか。日本人の持つ、自助作用的なブレーキが、いつまで続くか。言ってみればその勝負になりそうですね。

9月です。防災月間である今月は、息子の通う学校でも、各企業でも、住んでいる地域でも、防災訓練が盛んです。いつ来るとも知れない「災」に、マニュアル通りの訓練をしても、いざ本番という段階で役に立つのか?なんて、疑っていた頃とは・・・

確実に、今、違うように思います。各地から届く災害による被害映像。それを「自分」に置き換えて、我が事とせざるを得ない頻度。いつ来るとも知れない、というのではなく、いつか、必ず来る、という危機感が、各種の「予想」でも明らかですからね。

しっかり備えて、それでありつつ、気候もよくなったので、食に本に映画にスポーツに、欲に任せて体をめいっぱい開放したいと思います。

そういえば、ドラマも最終回ラッシュになりますね。「ノーサイドゲーム」「あなたの番です」「ヘブン」「偽装不倫」「凪のお暇」「べしゃり暮らし」。なかなかの豊作だった今クール。

来月からの秋ドラマは、というと。こちらは「一周した層」狙い、ということか、もしくは過去の栄光すがりか。続編が多いようにも思えます。結婚できない男、時効警察。過保護のカホコのような新作もありますね。

ともあれ、またキムタクドラマは視聴率がすごいのかな?なんて平成的な話題のあるなしも含め、秋の夜長、たぶんはスマホを片手に時々本を手に取り、週末になったらお出かけ三昧で暮らすんだろうな、と。いつか来る災いに備え、構えながら。



■2019年9月1日
「ニューヨーク、ニューヨーク」

ニューヨークのサブウェイ(地下鉄)は、なんとも「鉄感」がすごい。銀一色の外観に加え、走行中のキーキーと擦れる音、そして、車内の金属と無機質とひんやり冷たい感じと。まさしく鉄、その中に私たちは居て、乱暴に揺らされ、“とりあえず"運ばれている、と強烈に思う感じも含めて、とても鉄感がスゴイのです。

先々週の木曜日から、家族で6泊8日のニューヨーク旅行へいきました。もう楽し過ぎて、7歳の息子は「東京に帰りたくない、このままニューヨークにいたい」と訴えるほどの〈どはまり〉ようで、楽しい時間が過ごせました。

旅立ちは8月22日の午前10時半頃。羽田空港を飛び立ち、ニューヨークJFK空港に着いたのは同日の同じぐらいの時間という時差。飛行時間は13時間強なので、半日進んだ体内時計が、ぐいっと戻される感じになります。日付変更線をまたぐ路線は、いつもこの複雑な昼夜逆転に戸惑います。

13時間というのは、おそらくロングフライトの中でもロングな方で、それを快適にするには値段よりも質で航空会社を選びたくなります。思えば21年前の1998年、私が始めてニューヨークに行ったときは、質より値段で、アシアナ航空で、関空からソウルへ行って、そこからアンカレッジで給油してようやくJFKに着くというキャリアで行ったので、今回のフライトは「質」で選びました。

そういう意味で、JALは納得の質でした。エコノミークラスに乗るならJAL。最近、そんなことも聞くぐらい、とにかくエコノミーでも足元が広々と感じられるシートの採用で、人気です。プレミアムエコノミーやビジネスも、やはりロングフライトだけに需要が高いのか席数は多かったですが、いやいや、エコノミーで十分です。

ワインも美味しいし、常時、トイレの前にはお菓子にドリンクなどが置いてある(スカイオアシスというのか)し、映画も音楽もエンターテインメントは充実していて、ヘッドセットもいいので快適です。もちろん、日本人マインドされたCAさんたちのサービスも満点で、これは一人あたり3~4万円ほどだったかな?高く払っても、この直行便かつおもてなしの質のためなら、満足でした。

強いて言うなら、機内が暗くなってみんなが寝る「夜」の時間、小腹が空いたときのカップ麺は美味しく、JALでも、そばでスカイが食べられる!と思い込んでいたので、そのサービスがプレエコ以上の席だけだったのは残念でしたが。(でも食事の時の味噌汁サービスはよかった)。もしやキャセイでも、もうエコノミーでカップ麺サービスはしてないのかな?と思ってみたり・・・。

さて、JFk空港に到着してからは、無人運転のエアトレインでハワード・ビーチ・JFKサブウェイ・ステーションへ行き、そこで7日間のメトロカードを購入。(クレジットカードは、一回使うと、連続使用できないというリスク回避?策がとられているらしく、私の分を買って、次に妻の分を買おうとすると、エラーが出続けました。最初に枚数って選べたのかな?)

まぁ、何とかメトロカードを買って、Aラインでブルックリンまで。予約していたホテルは、立地がよく、最寄りに4駅が密集していましたが、そのうちの1つ、ホイト-スキーマーホーン駅に降り立ったとき、おおブルックリン、やったぞニューヨークという気持の高揚が、ねぇ、もうそれは、凄まじく、東京、ニューヨーク、ロンドンと、都市好きの血が沸騰するのを感じました。

ホテルはIHG系列の安ホテル、イーブンホテルブルックリン。ここは各部屋にバランスボールやトレーニング器具があったり、ジムが充実していたりと、健康的に過ごすというコンセプトのホテルで、そのうち日本にも上陸しそうなホテルです。

華美なし、過剰なし、無駄なしの、まぁ、価値観にもよりますが、今回の私たち家族の旅には、最適のホテルでした。

到着初日からブルックリン・ブリッジやダンボを歩き回り(息子は時差ぼけでダウン寸前でしたが)、タイムアウト・マーケット・ニューヨークで食事をして。翌日からも、予約がとれないという自由の女神・王冠ツアー(半年前に予約済み)や、USオープンテニスのキッズデー、メジャーリーグサッカー(MLS)のニューヨークダービーをヤンキースタジアムで見たり。

東京で劇団四季のライオンキングをみてから、すっかりライオンキング好きになった息子は、ブロードウェイで「ほんもの」のライオンキングが見たいといい、当日券でもいいか、と暢気に構えていると、日曜の昼間公演は混むと聞き、さらに、前売りより安くなるチケットは、ライオンキングほどの人気プログラムにはないと知り。

となると、やはり2階席の角度ある視界より、1階席の、動物たちが登場してくる間近の、と考えていると、チケット代は高く、ちょっと安い「アラジン」にしない?と息子に提案するも、あっけなく断られ笑

そもそも、劇団四季のように、子供チケットはなく、171ドルの席を3枚、合計(換算)60,845円!もしました。(それだけの価値はあって、歌の抑揚・音域、ダンスのキレはさすがでした)

さらに、チケットマスターで購入時、チケットインシュランスという保険が、「強くお薦め」されたので、流されるままとりましたが、なんとこれが4,000円もして。恐らく高額チケットなので、当日、行けなくなったときに全額保障されるというものなので、考え方次第で、必要な人もいるとは思いますが。

タイムズスクエアでライオンキングを見る前に、ROW NYC(ホテル)にあるシティーキッチン(フードコート)で一風堂(ニューヨークでは黒帯という名前)で白丸ならぬ白帯を食べて、妻は隣の店でロブスターロールを頬張って、その前に、このホテル、めちゃめちゃオシャレだぞ、と気付いて。

アイ・ラブ・ニューヨークであふれたギフトショップ、怪しげなカメラ屋、オープントップバスの客引きだらけで、さすがは観光地の中の観光地、その中でも一丁目一番地的な雰囲気に、疲れ、それでもやはりタイムズスクエアだぁ〜、とテンションはあがり、あ〜、カップヌードルの広告じゃないのか、と思ったり。

そう言えば、グランドセントラル駅の中にある地下鉄グッズショップで、息子は「自分」のお金で地下鉄車両のプラモデルを買って、それをずっと握りしめるもんだから、車掌さんに「おー、ぐぅ〜」と親指を立てられたり、ハイファイされたりして。

それにしても、クライスラービルはかっこいいし、エンパイアはシンボリックだし、イエローキャブは日産だしで、マンハッタンは歩くだけで完璧にニューヨークでした。

21年前には「まだあった」ツインタワーがなくなり、「その時はなかった」グランドゼロを見たとき、写真でみるよりもインパクトがあって、サウスとノース、二棟の跡地は何もないゼロ地点で、ただ水が流れ落ち、その禅の空気感にぞわぞわとしました。

当時はなかったとうことで言うと、廃線を緑地化したハイラインパーク。これは京都でいうなら哲学の道にも似て、ただ「沿って」歩くことに特別な感覚が湧き、さらにこのハイラインは「マンハッタンの空中散歩」という側面があるから楽しい。途中、途中のアート作品もよし、外国にしか咲かない草花を愛でるもよし。ゴールのハドソンヤードまで歩き、出来たばかりのベッセルに感動して。

パークあり、ベーグルあり、麺類あり、MOMA PS1や、この夏、世界遺産になったばかりのグッゲンハイム美術館でのアートがあったり。丸6日間、ずっとニューヨークを歩き回って、それでもぜんぜん足りず、ハーレムにも行きそびれたし、ブルックリン美術館にもいけず・・・。

そんなニューヨークの旅について、これから何回かにわけて少しずつレポートしていきます。あぁ、本当にメルティングポット、ボウル・オブ・サラダ、雑多でユニークで、ゴミも水たまりも臭いも全部、ニューヨークだなぁ、強烈に印象づけられた一週間でした。



■2019年8月17日
「抗わず、いいとこどりで。」

一歩外に出たら、うだる程暑い。突然、雨も降る。台風の影響で風が強かったり、一転してド炎天で風も無くじりじりうんざりで、「水と塩分」を呪文のようにぶつぶつ、「あ、自販機だ、水!」と思っても売り切れのバッテンだったり。

東京の夏は、ほんと大変です。気温だけで日本一暑い町、なんて言われても、東京での体感温度といったらすさまじいですよね。猛暑日なんて、プラス3度じゃきかないのでは?と思うほどです。

だからか、室内は冷凍庫状態で、外から一歩中に入ったときの「はぁー、ふー、気持ちいい」の温度に合わせて設定してるのか、ギンギンの冷凍庫状態が多いです。15分ほどいる電車の車内ならいいですけど、数時間いる職場となると、もう、半袖じゃとても耐えきれない寒さになって。

ふと、コンビニで売られてるクーリッシュを思い浮かべて、店内から外に出して、じわーっと柔らかくなる感じと、冷凍庫の中でのカチカチと。まるで、それ状態ですよね、自分の体。

(そんな過酷な)外に、出なくても便利に、スマホでしゃしゃっと、本も雑誌も買い物も済ましてしまおう、と。そんなことが主流になって、あれもこれもデシタル、デシタルで、それこそ呪文のように企業は会議でつぶやきながら、新しい技術を「アイデア屋」さんから買って、初期投資だからと高値止まりのシステム屋さんに依頼して。

ってね、これ。このままデジタルがドーっと進んで、この先、街の中心になればなるほど、サービスは人を必要としないフル機械化か?なんてSFしてたら、金曜の日経新聞に「デジタル疲れの消費者」がリアル店舗を見直す動き、なんて記事がありました。

楽で便利だからとデシタル化したら、まずは提供側、主に配達の問題で疲弊して、宅配業者が撤退、なんてニュースになりました。ならばと配達員を必要としないオート化(自動運転ドローンみたいな)で対応しようと右往左往、四苦八苦しているところに、、、

肝心の消費者が疲れてる、という状態。なんでしょうね、人間の持つ自助作用で振り戻されたのか、あるべき姿を求めたのか。

電子書籍は電車移動なんかでは便利だけど、家にいるなら「本」のほうがいいし、それ以前に書店の、あのリアルな質量というか空気感というか、つまりはリアルな所に回帰している、というか。

書店の工夫と企業努力、新しい形態のサービス提供というのが根底にあることは間違いないですが、そこに、デジタルで疲れた人が簡単で便利、を越えた何かを求めているという構図なんでしょうね。普段、自宅と会社をピストン移動している大量の人たちが、通り過ごしてるリアル店舗(への回帰)。

ちょっと足を止めて、ふとその気になれば「入ることのできる」環境(つまりは街)であれば、この回帰の動きに即対応できる提供者もいますよね。本屋に行くのに車で40分、みたいな所での生活なら、デシタルは、簡単で便利というだけのものではなく、必須、でしょうから。

なので、私がここでいうのは、私が暮らしている環境下でのことですが、例えば、航空券。一人旅の貧乏旅行でもなければ、1000円でも安く!を求めて、あちこちサイトを見まくって、それも変動していく価格で、底がどこかも、いつかも分からず、やれ損した、得した、というコレ。

仮に航空券代が68,000円だとしたら、のうちの、1000円のための気苦労です。そりゃ、20年前に比べたら、店頭に行ったり、電話したりするより早いし簡単ですけど、だからこそ(手軽になったからこそ)、「商品」は自由自在に形を変えることができて、それを探し求めるもんだから、苦労の数は同じ、というか。

簡単に言えば、何月の何日から何日の出発なら、何々航空はいくらで、何々航空はいくら。これは、予約する会社で若干の差はあっても、先週から今週で変わることはなかったんです。が、今や、エクスペディアなんて1日でコロコロ値段が変わりますからね。しかも、予約変更不可というしばり。

もう、これは、ちょっとでも得したいと思って探してしまうと疲れます。それをデジタル疲れというなら、もう、3000円高くても、「へぇー、こんなとこなんだー」、「今は暑いのか」、「このホテルだと、いちいち地下鉄で街に出ないとダメなのか」なんて、色々聞いて決めて、後になって、あれ?3000円だと思っていたら、5000円高かったのか、なんてことになっても、まぁ、いいか、色々聞けたし、もう決めたし、と諦めがつくというか(私の場合ですが)。

それよりも、必死になって安いとこを探して、いざ買う段階でこれとこれが料金に含まれてないのでプラスです、って言われるのが、たとえ800円でも損した気分になります。

自分の足で行って、手で触って、たまには口で尋ねて耳で聞いて、それで決めて買ったものなら、それは、言ってみれば「頭」で決めたのではなく、「心」で決めたようなもののようにも思えます。

<心臓>のドクドクした熱量があるので、後々になってやってくる「え?うそ!」という後悔みたいのがあったとしても、<頭>に血がのぼって「だまされた!」とは、あまり思わないというか。

まぁ、先述の日経新聞の記事にはそんなこと書いてませんが、デジタル疲れの消費者という言葉から、そんなことを思ったりしました。

三浦しをんさんが『三四郎はそれから門を出た』にまとめたエッセーの中で、パソコンより万年筆、というのは、万年筆が出たときには、墨をすらずに書くなんて、と言われただろうし、そもそも、言葉を文字にするなんて、あのおばあさんから聞くからいいのに、文字にすると味気ない、なんていうのと同じ、みたいなことを書いてました。

抗っては、いけないんでしょうね。流れというか技術というか、新しいもの、というか。そういうのに抗って、拒否すると、固執して、なんだか意固地になりますからね。本質ですよね。つまりは、三浦しをんさんのいうところの、何で書くかではなく、何を書くか。

その時、そこで、何を「どうやって」買うか、どこで買うか、どうするか。デジタルは進み、疲れ知らずのツールが出てくるだろうし、そことは反対側で、リアルはリアルで進化するだろうし。

それらの中から、いいとこどりして、消費者としては選択し、提供側としては集中して質の高いものにする。あれもこれも手を出して、どれも二番煎じの真似して提供してては、淘汰の対象一番乗りになりかねず。

そんなことを心配しながら、逆に期待しつつ、やっぱり言えるのは、というよりやるべきは、の以前に、姿勢としては、抗わず、いいとこどりで生きたい、ということですね。



■2019年8月10日
「夏の暑さにも負けず」

猛暑続きです。夏も本番だぁ〜、いえ〜い、という気分の中にある暑さとは別物の、危険なほどの暑さです。もう、これは異常気象というよりも、通常の夏になって久しいです。

そんな中、「そうじゃなかった」頃からの運営方法で、高校球児たちの熱戦を見ていて、いいんだろうかと、順応の無さを感じます。その感覚が、球児たちの青春の爽やかパワーで麻痺しているようにも思います。

甲子園もまだまだ初戦。なので、大味の試合もありますが、たった一球で、ちょっとしたプレーで、一気に大差がつくのが高校野球ですからね。19点差で負けた、という試合があったとしても、結果のスコアから感じるようなワンサイドゲームでもないのが、面白いです。

今のところ、出身地の京都代表校も、現在地の西東京代表校も、たった今、東東京代表の関東一も初戦を突破して、よしよし、と気分も上場です(勝手ながらに)。後は、大阪桐蔭にやられっぱなしだった履正社がどこまでいけるか。この夏も、どこかの高校が旋風を巻き起こすのか。楽しみです。

それにしても、お盆といえば15日をまたいで、だいたいその辺りだったのが、山の日ができて三連休になってからというもの、帰省をしたりする人が、そこに固まっているようですね。

都内の電車も、空き始めました。そんな普段より空いている車内で、うらやましいなぁと思いつつ、空いてるからラッキーだなとも思いつつ。多くの人が、同じ時期に、同じ行動をする習慣というのは、やっぱり、それに乗っかってる方が、っぽい感じが堪能できるので、いいんですかね。

来年の夏、東京オリンピック開催で大混雑がよそされるこの大都市で、今年の夏はテレワークやスマートビズなど、いろんな動きがありますが、盆や正月という慣習のようには、多くの人が追随しないもんなんですね。

そんな盆も過ぎて、日テレの24時間テレビの頃になると、あ〜、夏休みも終わりか、とサザエさん症候群のようになっていた自分の学生時代を思い出して、さぞや、息子も、その頃には・・・と思っていると、今から「早く学校に行きたい」と。

まぁ、小学2年生だから、まだそんなものかと納得していると「あ、でも、昼から始まれば最高なのに」と。朝は、ゆっくり寝ていたいというのも当然あるでしょうが、それよりも、起きてから、ゆっくりしたいそうです(気持ちはすごくわかる)。

起きたあと、何時までに準備をして出かける。これは、やっぱりストレスなんですよね。寝たいだけ寝て、起きてからもだらだらと好きなことをして。本来、夏休みは、それができる期間なんですよね。

そもそも、暑すぎて勉強もできないから、学校も休みなわけで。その夏休み制度ができた頃よりも、確実に、夏は強烈になっているのに、色々とやることがあって。それらは楽しいことばかりではないので、かわいそうにも、思えますが。

かといって、先週、私が熱中症で倒れ、出かけられない週末。好きなだけ、だらだらできる環境になると「ひまでしにそ〜」と息子は言い出し。「なら、ひとりでスーパーに行って、お菓子でも買ってくれば?」と提案すると、あまりにも暇だったんでしょうね、「うん」と快諾しました。

スーパーに行くなら、牛乳2本もお願い、となり、お菓子代も合わせて500円あれば足りるけど、念のために800円(財布にあと100円玉が3枚あったので)を渡しました。

・・・と、・・・なかなか帰ってこない・・・。おそらく、お菓子を何にするか、悩んでるんだろうな、と想像はするものの、それにしても・・・遅い。もしかして、どっかで倒れてる?どっかの誰かに連れていかれた?などなど悪い想像が頭の中にパンパンになって。

熱中症で倒れ、出かけられない身であった私は、それでも心配になって、スーパーまで行ってみることにして。出かける前、あそこを通って、右に曲がるルートで行く、といっていたので、その道を私はのんびり歩いて・・・。

いない、ぜんぜんいない。これは、まだスーパーにいるのだろうか。いや、もしかすると、気に入ったお菓子がなくて、もう一つのスーパーの方にいったのだろうか。など悶々と考えながら、私がスーパーに到着しかけたころ、妻から「今、帰ってきた」と連絡がありました。

あれ?なんで?と。道路の反対側を歩いていたのかな、と思いつつ、家に戻ると、息子は「はい、これ」と。私がいつも買うガルボのいちご味を渡してくれました。「これ、パパに」と。

聞いてみると、こうだ。まず、スーパーでお菓子を悩み、悩んだ末にムーミンのボトルガムに決め、牛乳2本もカゴに入れてレジに行ったという。と、807円と言われ、出かける前に「万が一、足りなければ牛乳は1本にしてもいいよ」といっていたのを思い出し、牛乳1本を返品したそうです。

牛乳1本分のおつりが来たので、息子は、ちょっと遠回りしてセブンイレブンに行き、私のためにガルボを買ってくれたのだという。

いやいやいや、まず、ねぇ、息子よ。君はいったい、いくらのお菓子を買ったんだ!ということ。牛乳が200円として2本、あと残りは400円もあるのに、それでなんで足りないんだ?と。もしかして、超高級牛乳を買ったのか?

と、冷蔵庫オープン。いやいやいやいや、いつものやん!なんでなんでなんで?と、ふと、息子が握りしめているお菓子。・・・納得。普段は100円のおやつなのに、ちゃっかり400円近いものを買ったのか。

はは〜ん、その罪悪感からか、セブンイレブン(コンビニにしか小さいサイズのガルボがないのを覚えていたらしく)に行って、それを買い、急いで帰ってきたな?と勘ぐる私に対して、

妻は、パパの好きなチョコを買ってきてくれるなんて、かわいいし、とてもやさしいと、ただただ感動し、褒めたたえていました(「なんで、ママにはないの?って思いはするけど」と言ってましたが)。

なんで、ママにはないの、の質問に、息子は「だって時間がなかったから」と答えてました。パパはこれが好きだな、とパッと浮かんだけど、ママは何がいいかな、と考えて選んでいる時間がなかった、と。

息子自身も、遅くなりすぎていると思ったんでしょうね。不思議ですよね。普段は買ってもらえないお菓子を思い切って買って、おつりが来たから、左折するところを真っすぐ行ってセブンでガルボを買う。早く帰らなきゃ、と思ってママの分を選べるのをあきらめる。

ただ、近所のスーパーに買い物に行くだけで、こんなにもいろいろと考えて、自分の意志で行動を起こすんですよね。初めてのおつかいでもないので、感動して涙を流すことはないですが、ただただ面白いな、と思います。

まだまだ子供だし、基本的に一人で行動することはないのですが、一人になっても、その状況下で恐ろしいほどの個性を出しますよね。子供って、本当にすごいです。

さぁ〜、この三連休、ようやく私も本調子になってきたので、大好きなサッカー観戦に行って、プールにも行って、来週になったら、帰省旅行、その次の週は家族でニューヨークへの旅。帰国すると、もう夏休みは終わりです。

残すところ半月以上ある8月も、おそらくアッという間に過ぎるんだろうな。って、その前に、とにかく髪が切りたい!もう、(私の中では)長くなりすぎて、邪魔で邪魔で、余計に暑くて。

歯も気になります。「虫歯じゃないか?」と思うところがあるので、しっかりと退治してから出国しないと、海外で歯医者は鬼門ですからね。とはいえ、出発までに完治するかな、というのも不安ですが、とにかく痛み止めだけでももらって行きたいところです。

さぁ、夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナカラダで乗り切りたい。楽しむことに一切の妥協なし!セーブ不要!今を、思い切りいく、残りの夏にしたいな、とおもいつつ。



■2019年8月3日
「自分事、とすること」

健康第一だなぁ、と痛感して、厄年ってカラダにガタがくる年のこと?と感じて、その厄年を終えたのになぁ、なんていろいろと考えさせられる一週間でした。

いやぁ、それにしても、いろいろとありすぎて、とりあえず、ここで、こうやってこれを記しているのが、なんだか不思議なほど、とにかく大変な一週間でした。

急激に暑くなった東京(というか日本全国そうですね)で、先週の日曜日、葛西臨海公園の水族館でマグロを見て、観覧車から「あ〜、あれが東京オリンピックのカヌー競技場かあ」と、「ハネタクいるんじゃない?あれ、ほら、誰かいるよ、ハネタクじゃない?」と言っていたら。

翌、月曜日の朝に急な発熱。前触れゼロの高熱にうなされて、嫌だ、嫌だと一日、寝て、病院に行って薬をもらって。通常、私の場合、一日でさっと熱が出て、すぐに下がるのに、なかなか下がらず、火曜日も熱が続いて、火曜の夕方にようやくおさまって。

水曜日、普通に仕事をして、木曜日も、普通に・・・と思っていたら、どうやら熱中症だったらしく、夕方から悪寒と節々の痛みが強烈で、とにかく帰宅しようと電車の中で。もう、無理、というレベルに。

これまで体験したことのないめまいと手足のしびれ、そして悪寒。途中下車して、駅の休憩室で休ませてもらってましたが全然回復せず、緊急搬送されて、病院で点綴を3本。40度の高熱で、強度の熱中症ということでした。

が、この時、すでに足の裏に強烈な痛みがあって、それを救急隊員に訴えましたが、搬送先の病院ではそこは見てもらえず、熱中症という診断で、点滴投与だけをしてもらい、気分がかなりよくなったので、夜中にタクシーで帰宅しました。帰宅した時点でも38度ちょっとの熱があり。金曜日は家でずっと寝てましたが、38度台の熱が続き。

また、近所の病院で見てもらうと(この時、足の裏にできたできものを見せ)、これ、は・・・と、もしかすると、これが原因の熱かも知れないと言われました。

今日、また総合病院に行くも、専門の科が休診で見てもらえず、仕方なく、いつも通っている皮膚科で見てもらい。そこでは、足の裏なので痛くて歩けないこと、熱のことも言いましたが、これが原因ではないだろう、と、痛み止めを処方され。

現在です。確かに、痛みは薬で治まっているし、熱も、今のことを平熱です。ので、このまま、回復に向かうかなぁ、と期待しながら、これを記しています。

となると、風邪をひいて、そのせいで食欲がなくなり、水分を普段からあまりとらないので、熱中症になり、たまたま、足の裏に(むしかなにか?)水のたまるできものができた、という複合的なものが重なったのか?

なにはともあえ、これまで(まぁ言っても大丈夫だと)過信していた自分の体力(というか健康力、みたいなもの)が、完全に衰えていることを実感させられました。

ここ一、二週間で体重が一気に減っていたのも、もしかすると原因かもしれません。やっぱり、しっかり食べて、水分は喉の渇きの自覚症状の前にしっかりと摂らないとだめですね。ガツンと、頭をたたかれて、しっかりと自覚した一週間でした。

そんな中で、やはり家族の存在は大きく、一人じゃないことへの感謝が増し増しで感じられ、いろいろ迷惑をかけて申し訳ないな、と、本当なら予定の詰まっていたこの週末、すべてをキャンセルして家にいると、暇そうにしている息子を見て、また、すまないな、と思ったり。

その息子も、両親があまり食べないし、水もあまり飲まないので、その環境下で、彼もまた、食が細く、水分不足が心配です。あまりにも暇なのか、自分で、近くのスーパーにひとりでおつかいに出かけてくれました。

なかなか帰ってこないな、と心配していたら、パパに、とスーパーの帰りにコンビニによってガルボのミックスベリー味(好きだと言ったのを覚えていたらしく)を買ってきてくれました。やさしい、子です。

さて、いよいよ8月、夏も本番です。日本上空には高気圧が何層にも重なって覆い、真夏日を越えて猛暑日になる毎日です。ニュースで聞く熱中症の緊急搬送の人数も他人事ではないし、命に関係する暑さ、というのも実感した今、去年も記しましたが、サバイバル・サマーバケーションが、一段と自分事になった、という感じです。

当たり前のように健康であること。何よりもまず、これを土台にして、いろんなプラス要素があるんだな、とも噛みしめます。大敵なのは、油断、甘い予測、不用意な冒険。毎日の中にあるリスクを回避しながら、刺激的に過ごしていきたいものです。

台風もまた来ているようです。今回の台風8号は、九州から西日本を通って、そのまま韓国へ抜けそうですが、雨続きで、その後の猛暑、そして台風ですから、泣きっ面に蜂にならないよう、祈るばかりです。

日韓関係がますます変な方向に動きそうで、どうも、国内の不満をそちに向けようとしている?というのもあって、結局、韓国という「国」は、日本をいろいろと意識せざるを得ない政治をしますよね。

その日韓関係につけ込んで?ロシアや中国が北方領土に領空に「ジャブ」を打ってきてますが、何なんですかね〜、作用・反作用の「出方」がなかなか見えぬくい舵取りが続いていますね。

アメリカも、イギリスも、似たようなトップが国を率いて、それで成り立つような世論があって。机上で数字を弾いて、これが理想、とした「レベル」とはかけ離れた「実値」ベースの人気取りが先行しているように思います。

中長期的な目、広い視野、深い考察、というのを、ここに来ると「そればっかりやっててもしかたない」なんて言ってられなくなってませんかね。

「喉が渇いた」という自覚症状があってからでは遅いのが熱中症です。実際問題、私は先週の木曜日、ランチの後で、喉が渇いたと自覚しました。そして、普段は買わない水を買いました。

それでは、遅かったです。コレだけ連日、水分補給の重要性を知らされていたのに、自分事になっていなかった恥ずかしい事実。これを機に、しっかりと見直したいと、本当に思いました。

極東アジアのご近所づきあい、合わせて英米両国との連携。自覚してからでは遅いんですよね、「自分事」とするには。



■2019年7月27日
「ぶれない軸と、柔軟な言葉で。」

2003年の夏。あの頃、私は新卒入社した会社を去り、次に向かう準備が思うようにいかない〈もやもや気分〉の中で、時間だけが有り余って、気力も体力もあったんでしょうね。ホームページを公開し、それまでの詩やエッセー、旅写真をまとめ始めたのがこのSHoGo PaPeRの始まりです。

タイトルを決めるのにそんなに時間がかからなかったのを覚えています。当時はまだまだペーパー。こんなにネットワークがつながって、高速でデジタル処理されるなんて未来の話だったし、これだけ手のひら(スマホ)で何でも出来てしまうなんて想像していなかった時代です。

現に、私はこのサイトを立ち上げ、これをきっかけに雑誌作りの世界に入ったりもしました。まだ、紙が、その灯を消していなかった時代だということかもしれません。それが17年前です。

2003年の今日、7月27日。自動販売機のジュースを補充するトラックの倉庫のようなところで、翌日に必要なジュースを運んでいくというアルバイトをしながら、残りの時間はホームページ作成ソフトの、用意されたツールを組み合わせて、表紙や各ページを作っていたのを覚えています。それが、本当に楽しかったことも。

高校生の頃にワープロを買ってもらって、いろんなものを印字して手帳にまとめ、それから大学生になって小さなvaio C1を買い、多くをデータ化し(といっても紙焼き写真をスキャンしたり、ノートに書き殴った旅日記をワードに打ち込んだり)、そのPCの中にあったものを「公開」する。

今のようにSNSがなく、ブログといってもそんなに手軽ではなかった時代です。

写真も極小で、それですら、じりじりと表示されるような「線の細い」つながりの中、私は、第1回目の公開でEssayを書いています。タイトルは「不妊治療(親を知る権利)」。これも時代を本当に感じさせます。

例えば、今、無人のコンビニで、入店すると個人認証され、店内の複数カメラが私の手に取った商品を認識して、「その場で」スマホ決済してしまう。なので、レジに並ぶことはおろか、お金を払うという行為すらなくなる・・・という(未来の)話を書くような。

そんな風に私は、先の事として(あるいは、こういうこともあるんだぞ、という感覚で)不妊治療を書いた気がします。それから時間が流れて、今や、不妊治療は身近になっています。

サイトを立ち上げてから17年目の夏。言ってみれば17歳の夏です(って、言えないか?)。心の中にあるもの、うまく道が見つからず、だけどとにかく進みたい衝動、壁づたいに進んでいく姿。「十七歳の地図」で尾崎豊が歌ったような「姿」になるまでの時間が、このSHoGo PaPeRもあるような気がします。

節目の年齢として、私は勝手に17歳(十七歳の地図)、26歳(沢木耕太郎「深夜特急」の旅立ち)があって、10代から20代はかなり意識していました。

SHoGo PaPeR、17年目の始まりです。ここからの10年間、おそらくは私自身というより、私たち家族の、そして息子の、激変を感じ取る10年になると思います。

同時に、社会の流れが「安かろう悪かろう」から「安くていいモノ」に進化し、そこからこれまでは付加価値と言われていた〈環境への配慮〉、〈持続可能性〉、〈オリジナリティ〉といったものが必須事項へと変わりつつある中・・・です。

そんな変化のうねりを受ける10年間の記録を、ありのまま、感じたままの温度で書いていければと思っています。これからもよろしくお願い致します、として。

さて、夏もいよいよ始まったな、という暑さ、台風なんていう空模様が、本番になりつつありますね。

地方大会を終えて、全国大会(甲子園)に向けた球児たちのニュースも増えて来ました。クラブのユース出身と高校の部活出身が混在するサッカーのようなプロの世界とは違い、野球の場合、ほぼ、高校の部活動から始まっていますからね。考えてみたら不思議なスポーツです。

とはいえ、プロ野球への注目度は減っても、メジャーからのニュースに心躍っても、高校野球って、特別ですよね。なんなんでしょうね、このオモシロサ。雑誌「Number」でこれまでの高校球児の「それから」を追っていても、いやぁ、高校の部活時代ってすごい、と思わせます。

個性をどれだけ磨くか、そして、それをどう融合して、チームとしてどれだけ力を発揮するか。もちろん、スーパーエースが一人でもいれば、その年だけ急に強くなることは有ります。が、伝統校など、選手が変わっても何年も続けて「強い」高校には、そこに「何か」がありますよね。

吉本興業やジャニーズ事務所というところにも、そんな「何か」が確実にあって、だからこそ盤石なのかな、と思ったら、そうでもなかったんでしょうかね。

発言の自由、モノ言える雰囲気、あくまでもエンターテインメントで、楽しませる集団であるという宿命。それらとのギャップが、この二つの事務所騒動にはあって、だからこそ、これだけ世間の耳目を集めているんでしょうね。

ダウンタウンとSMAPがもたらしたモノ。どうもこれが吉本にもジャニーズにも大きかったんでしょうね。これまでの流れを大きく変えて、それまで収まっていたハコを飛び出した現象ですからね。

だからこそ、芸人もアイドルも、ここまで活動の幅を広げたし、その分、「下」で圧迫されてもいたんでしょうか。

覚悟なき者とそうではない者の発信する言葉や文字の重さ。この差に愕然としたことも確かです。不満と不安が混在して、愚痴や文句の延長線上で便乗している人のつぶやき(ツイート)は、なんとも首をかしげてしまいます。

と、同時に、トップが変わらないと何も変わらないという「新しい箱」論にも、果たしてそうかな、とも思います。かつて、新大陸に新しい人生をかけて海を渡った人たちが、その新世界でも似て非なる状況に追いやったという史実を、ぼんやり思ってみたりもします。

軸足をどこに置くのか、その軸をぶらしてはいないか、そして、自由に動かせる上半身は、柔軟に対応できているか。否か。

これからの夏本番、そして、これからの(SHoGo PaPeRの)青春時代、つまりは、この先。ぶれない軸と柔軟な言葉で、更新していこうと思います。

どうぞよろしくお願いします。



■2019年7月20日
「今やろう」

例年、海の日にはよみうりランドのプールに行って、さぁ、夏も始まったな、と思うと同時に、梅雨も明けた、というのが続きましたが、今年は、この時期になっても、まだ、朝はホットコーヒーが欲しくなる程です。

冷夏なんですかね?それとも逆に大きく振れて、猛暑なんですかね。高校野球の地方予選の結果がずら〜っと並んだ新聞を見ながら、近所の高校が勝ち進むと、なぜか嬉しくなったりもするもので。ああ、母校。早々と負けたな、とも。

そんな母校のある、京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」のスタジオが放火され、爆発炎上した事件、平成以降で最悪の放火事件となりました。100%被害者。そんな構図のテロのような事件に、耳を疑ってしまいます。

さらに、京都市長(門川大作という人)が、この件に触れて「火事は3分、10分が大事。選挙は最後の1日、2日で逆転できる」と発言したというから、疑いを越えて呆れます。

心から、被害に遭われた方々のご冥福をお祈りします。そして、明日の「選挙」では、こんな市長のような議員を選ばないで済むように、慎重に投票したいと思います。

一昨日のその大きなニュースの翌日、昨日は、多摩にある変電所で火災がありました。朝から京王線が壊滅状態となり、なだれ込んだ小田急線の駅もカオスと化した映像が届いていました。なんでしょう、毎日が普通に流れることの奇跡を思ってしまいます。

その奇跡を、奇跡にしないために。夏休みの始まりに合わせて、息子は、小学校から「東京マイ・タイムライン」という冊子を持って帰ってきました。

これは東京防災の一貫で、マイ・タイムラインシートを作成するキッドです。

簡単に言えば「3日後に台風が東京を直撃!あなたはどうしますか?」というもの。つまり、台風が来ると聞いて、「トニカク被害がないことを祈る」というのではなく、具体的に、【どのタイミング】で【何をするか】を家族で話し合って決め、しっかりと備えようというものです。

すごく良いなぁ、と思います。

まず、薄めの冊子を開くと「雨のことをもっと知ろう!」というページから始まります。こんな天気には注意すること、として、晴れていても→真っ黒なもくもくとした雲があらわれると→雷の音がし始めて→急に雨が降って雷が落ちる。

雷がなったら、丈夫な建物の中に入ることが大事で、広場で遊んだり、木の下に行かないこと、と続きます。ここで、実際に子供が、付属のシールを使ってマイ・タイムラインを作ります。

晴れから、雲が出て、雷がなって。そんな「空」の様子を貼るのと同時に、「自分」の行動を整理します。

次は、台風が近づいた時の(前の)3日間ほどのタイムスケジュールと、大雨が長引くときの3日間、さらには短時間の急激な雨の3時間ほどと尺を変えてスケジュールを整理します(厚紙のシートを使って)。

ここの優れている所は、東京という自分の街の、さらには住んでいる区の地図を見ながら、近くに川は何があって、増水したらどうなるか。ハザードマップの簡易版を、目でしっかりと確認出来ることです。

都心部から西に向かって、低地→台地→丘陵地→山地と地形を変える東京都。例えば、山地や丘陵地にいると土砂災害というのがあるとか、川の近くにいたら河川の氾濫があることを知って、高潮による氾濫なども、一緒に、考えることが出来ます。

東京には107の河川があって、約15,000の土砂災害危険箇所があるそうです。住んでいる場所が台地でも、行動する範囲内には、こういうところがあることをまず頭にいれることが出来ます。

実際にマイ・タイムラインを作る段階になると、まずは情報の整理です。警戒レベルというのはどういうことか、それに応じて出される避難情報とは何か。これらの情報をどこから取るか。

必要な情報がQRコードで整理されているので、まずはそれらをブックマークします。

そして、次に、自分達に落とし込んで、わが家の身に起こりやすい災害リスクは何か、そして、それらをどこから情報取得するかを覚え書きします。

ハザードマップから、小さな川の位置、避難場所までの坂道の状況など細かく確認していきながら、今度はタイミングを整理します。避難情報のうち、避難準備の段階で、何をするか。そして、その作業に何分かかるかを記します。

ここで、家族が揃っている場合と、そうではない場合の想定もします。そして、それぞれの避難準備、さらには実際の避難開始へと進めて、避難所までの時間も考えます。

家の中にある、備蓄品の確認もして、防災リュック、水、食料の確認をしたら、一通りの「備え」が終わります。

いざ、スマホで警報音が鳴り響くと、一瞬にして頭が真っ白になったり、実際に地震で揺れている時も、あれ?あれ、あれ、あれ〜!とぼんやりしてしまうものです。

その音や揺れ、もっと言えば「情報」をキャッチした段階で、具体的に何をするか。その整理はとても大切だな、と思いつつ、備えを増やして憂いを減らしたいと思います。

日々の生活の中で、電波時計なのでなかなか狂うこともない時計や、とても優しく不快のないバイブレーション通知、自動設定の快適な空調に慣れすぎています。

それに慣れれば慣れるほど、災害時の、例えば避難所の「本当の苦労」というのを実感出来なくなっているように思います。

小学校など、避難所の体育館にエアコンをつけよう、避難ルート、緊急車両の専用レーンを用意しておこう。考えられる最大限の準備を、「また今度」や「いつか」ではなく、今、やる。

この東京マイ・ライムライン作成キッドに付属された行動シールには、「今やろう」というものが10枚も付いていました。

それを、タイムラインの中に10枚貼って、その「今」に対する備えをしました。

個人レベルでの備えと、地域レベル、都市レベル、国レベル、世界レベル。それぞれの備えを全て「今、やらなければ」、自然災害だけではなく、冒頭の100%被害者という(テロのような)悲劇がなくなることはないように思います。

ある人は、(犯人に対して)排除しろといいます。また、ある人は、「自分もそうなる可能性がある」といいます。そんな人たちが集まって「みんな」で生活しています。その中での、【世界レベル】の備え。

それは、もしかすると、頭で考えているような、難しく、膨大な費用のかかるものではなく、心で感じるような、とてもシンプルかつ明快な、簡単なことかも知れません。

そのシンプルかつ明快な、簡単なことを、しっかりと受け入れられる頭の状態にいられるかどうか。

そのことを考えるべきなんだろうな、と思いつつ。



■2019年7月13日
「梅雨は手強いですが。」

雨が降ったり、寒かったり、降ってなくても曇天で、梅雨だなぁ、と実感する今年の7月。「あれ?梅雨って、もう終わったの?」と実感乏しく空梅雨だったここ数年から考えると、しっかりとジメジメしてました。

そんな梅雨も、もうじき終わり、夏が来ますね。夏=夏休み。わが家では、息子の学校の夏休みと同時に、夏が来る、という感じです。

自由研究はどうするか。応募するポスターには、何を書こうか。そもそも、ず〜っと休みの平日を、どう過ごすか。もう少し、大きくなれば、子供たちだけで出かけるのでしょうが(そんな時期が来るのも、また寂しいですが)、まだ家族でのお出かけが中心です。

土日は、私も含めみんなで出かけますが、平日はもっぱら母・息子でのお出かけになり、その行先候補が、家族共通のスケジュールアプリにどんどん入ってきてます。

東京にいると、夏休みにキッズプログラムが多くて助かります。省庁が主催のキッズデーでは、各省庁から、夏の2日間、いろんなプログラムを開催してくれ、行ってから決めていては回りきれない量なので、行く前から品定め・・・。と!さすがは公務員!エクセルに羅列されただけのプログラム・・・。

文部科学省はやる気がないな、とか、え!?副大臣と写真撮影?(って、誰、それ〜)などなど、オモシロイものも多く、せっかくなので、普段は体験できないプログラムを狙って、申し込みをしていました(妻が)。

その申し込み方法も、往復はがきですからね。さすがです。10年、20年前なら、宮内庁が管轄する桂離宮とか御所などの見学応募は往復はがきでしたが、それも完全にインターネットに変わっている今、あえて、の往復はがき(往復はがきって、今、いくらなの?と思えるほどなのに)。

まぁ、それはいいとして、やっぱり、こういう機会は貴重です。鉄道好きの子も、科学に触れることが出来るし、国会図書館の地下倉庫を探検できるなんて、まるで映画「ニューヨーク公共図書館」の世界じゃん、と想像できるし。

これは、行きたい、私が、行きたい。と思って、いろいろと休む方向で考えましたが、ちょっと長期夏休み休暇の前だけに断念。息子と妻から、土産話をきくことで納得しています。

他にも、ワークショップ系のイベントも多く。劇団員と一緒に演劇したり、ヒップホップダンスをしたり、もちろん、木を切ったり、どこかへ登ったり、と。なかなか満載の予定で、これは、また息子も真っ黒になるな、と、こちらがにんまりするばかりです。

そんな夏休みをぼんやり想像しながら、にんまりしますが、明日、また、雨予報ですね。なかなか今年の梅雨は手強いです。

わが家はここの所、連続で味の素スタジアムに通い、FC東京のサッカーを観戦しているのですが、今まで、3試合連続で雨です(神戸に負けた試合から、マリノスに劇的逆転勝ち&久保健英の壮行セレモニー、そして前節のガンバ戦)。

で、明日の多摩川クラシコも、雨予報です。まぁ、もう、慣れましたけどね。試合がオモシロかったら、気にならないものです。ただ、青赤パークに行けない分、残念ですけどね。

それにしても、ここのところの日本人プレーヤーの活躍がすごいですね。いろんな競技で、びっくりのニュースが飛び込んできます。

参加することに意義があった五輪時代さながら、NBAの試合に出た!というだけで大ニュースだった日本のバスケットボールが、なんとドラフトの1巡目、それも全体の9位で八村塁が指名されるという快挙。

正直、それがどこまでの快挙なのかピンときませんでしたが、ある人が「アポロが月面着陸したぐらい」の驚きと快挙というので、想像ができました。

サニブラウンは、世界一を堂々と口にして、世界記録を狙うと言います。そういう感覚で陸上100mという花形に挑む彼には、国内の試合は敵なしでしたね。なんだか、これからが本当に愉しみで、大坂なおみと同じく、世界で活躍できる未来が現実になりそうです。

世界的活躍、というのが、なんというかお家芸と言われた柔道や器械体操だった時代から、まずは競泳という花形競技で世界的活躍の風穴を開け、今や、【ほんとうの意味で】世界中の人が知る選手が出てきましたよね。

レアルとバルサに日本人の若者がプレーする、なんてことになったら、これこそ正真正銘クラシコ。本当にすごいですよね。

そんな中、先週から始まった新ドラマ「ノーサイドゲーム」。再来月の9月から始まるラグビーワールドカップを強烈に意識した番組編成ながら(同じように、オリンピックの前年に、オリンピックものを!と意識して始めた『いだてん』が、軌道に乗り切れていませんが/個人的には、阿部サダヲ主演のクールになって、クドカンワールド全開で面白い)、内容がめちゃくちゃ面白く。

やっぱり原作の力かな?と、池井戸潤+日ドラの安定感を感じさせます。そこに大泉洋がぴったり。だいたい、初回で一気に面白くして、中盤だれつつも、ついつい見て、最後にガッと面白くなる傾向から行くと、気運が昇り調子のころに、ラグビーワールドカップのニュースが飛び交うんでしょうね(初回の視聴率もよかったみたいです)。

いや〜、夏はいいです。スポーツがことのほかすごいです。高校野球もありますもんね。アメトーークで高校野球大好き芸人がお蔵入りしたとはいえ、去年の大スター、根尾がようやく1軍に入って、今年もまた、スターが生まれるんでしょうね。大船渡高校の佐々木朗希が甲子園に出たら、完璧に大スターですよね。

ただ、、、甲子園で大スターになると、なかなか順当にスター街道はなく、逆に、大谷翔平のように、夏の甲子園に出られない方が?プロになったら飛躍するということもありますからね。(そういう意味では田中将大ってすごいですね(ま、悲劇のヒーローみたいな扱いでしたが)。

なにはともあれ、夏です。冷夏予想もなんのその、きっと猛暑です。とける〜、とか何とか言いつつ、熱くたのしもう!と思います。

さ、OCEAN PEOPLES 19に行くとするか。Rickie-Gだぁー。



■2019年7月6日
「じゃないコト」

回転イノシシ、のろまなチーター。真っ直ぐ、高速で走るモノごとの「逆」は、つまり「嘘」なんでしょうか?

象の鼻も、キリンの首も短くて、四角い地球から、凍った太陽を見上げる世界でついた(私の)ため息は、はたして「本当(本物)」なのだろうか?という詩を書いたことがあります。

じゃないコトは、嘘で、本当のことは覚えた通りで学んだ通り、という一辺倒が恐ろしいことだと気づくきっかけは、「そういう人」には難しいですよね。

いろんなものに触れて、いろんなことを見聞きして、いろんな方向から考えて、いろんなものを認めるという理想世界から、そうじゃない世界を眺めても、ややこしくて、面倒で、見て見ぬふりで、自分には関係ないから、と思ってしまうのも事実です。

ここで、一つ問題があって。こちらの世界と、あちらの世界の、どちらが本当なのかを考えると、「自分のいる」世界のことが本当で、そうじゃない方を間違いだと思ってしまうことです。

「自由主義は時代遅れになった」と発言したロシア大統領の言葉が鋭くささります。

自由はいいことだ、という主義の中で、その自由を守るための自国第一主義や大衆迎合主義走ることに対しての言葉だと言いますが、ある側面では、そう発言してしまいたくもなるのかな、と思います。

何もかもが自由、という中で、自制しつつ欲求を満たし、幸せであり続けることの難しさから、安易な方向へと政治が動く。そんなことが、「選挙」の前では繰り返されています。

そういう意味では、消費税増税、憲法改正という、ある意味ブレずに掲げるテーマは、判断材料として十分だと言えます。

6年に一度、じっくりと審議して、道を決めていくとされる参議院議員を選ぶ選挙が行われます。自民圧勝の声の中、自分の一票をどう使うか。比例の政党、小選挙区の政治家はどこがいいか、誰がいいか。う〜ん、と・・・(って!)悩めますか??

消費税に反対という分かりやすい政党は分裂して、票が分割するから対抗勢力には到底なれず、批判しては議論の時間をのばして、それだけ「考える」時間を国民に与える役割?だけのようになった野党が増えるばかりですよね。

ある意味、盤石。強すぎるから嫌いな横綱みたいな拒否反応で、少し票は余所へ流れるかもしれませんが、概ね自民圧勝は間違いないでしょうね。これは、投票率が悪そうですね〜。

ちなみに、7月21日は選挙だね、というと「え?そうなの?」という反応は【普通】ですが、自民党と他にもうひとつ、政党名を挙げてみて、とたずねてみると、共和党と言い出す人もいて、社会党でいいんだっけ?あれ?民主党ってまだあるんだっけ?というオリーブの木状態。低い木が一面に野党の森に立っています。

今、この一票を手に、本当の未来に向けてを投じたいのに。そのハコがないことの嘆き。それが、何年も続いているように思います。それだけ平穏、なんだかんだいっても、不満がないんでしょうね。

幸せな時には、そうではない時の準備を、その逆もしかりで、これは、常に大事なことなんだと思います。

20年以上も前、私は、ひとりで(そんなに)お金も持たず、海外を旅してきました。駅に行けば行ったでトラブルが起こり、乗り合いバスも安宿も、それはもう連続したトラブル(だらけ)。

あの頃の私は「トラブルが起こるまで、そのことは考えない」と決めていました。

夜、眠る前に「明日、こうなったらどうしよう」、「あれが使えなかったらどうなるんだろう」云々、悶々と考えていると、もう眠ることすらままならないことを経験してからの事です。

大事なのは、トラブルが起こった時の対応。柔軟に対処できるかどうかだ、と。そんなことをしているうちに、何度もトラブルに「対応」し「対処」できるうちに、トラブル自体へのおそれみたいなものが薄らいでゆき。

元々、これでもか、というほど云々、悶々と考えていたからこそ、その場で対応・対処出来ていたのに、そのところがすっぽりと抜けて、変な自信で「大丈夫!」と思いだしたころのリスクを考えれば、本当におそろしいことでした。

命を守るための行動。九州を襲った豪雨で繰り返されたのが、この避難指示。大丈夫(だろう)という気持ちを追いやって、避難することが、命を守る行動。

避難したときと、そうじゃない時の差が、取り返しのつかないことになった例が多いだけに、テレビでも頻繁に繰り返された言葉でした。

これまでも大丈夫だったから、大丈夫だろうという気持ちに訴える言葉として「命を守るための行動」という言葉は、避難指示と避難勧告の違いの分かりにくさに比べて明快です。

今の状態の「じゃないコト」を考えること。今の自分にあるモノ/コト、「じゃない」方向を見聞きすること。これは、本当(正解)だとされ学び覚え、時に経験したことに縛られてしまわないために大切なことなんですよね。

これは、ある意味で備えとなり、根本的には広さや大きさ、優しさにもつながることだと痛感します。

変に固執して、先細る。そんなの嫌だと頭で否定していても、「じゃないコト」へのコンタクトは、心が拒否しますよね。なんなんでしょうね、この感覚。歳を重ねれば、余計にそうなります。

ずーっと、昔の音楽を聴き続けて、「今」の音楽に〈耳をかさない〉とか、ついつい、発言の最初が「昔は、」とか「今までは」とか「かつては」とか。その例を正解の如く話してしまいます。

もう、黄色信号が点滅して、赤になろうしている状態ですよね。頭ではわかってるんです。ここに、そう書いている私自身も、そうです。

が、拒否感があるんですよね。最近は、「じゃないコト」を「新しいコト」と言い換えて、便利に「それは分からない」とか「それがなくてもやっていける」なんて思ってしまうから、・・・【赤】ですよね、もはや。。。

いやぁ、赤面します。考えれば考えるほど、けつをまくっているようで。頭で分かっている(少なくとも、それぐらいの)ことは、心で拒否しても、「じゃないコト」をしっかり見聞きして、考えて、取り入れて、広げていきたい。

そんな機動力を、身に着けたいと強くここに思います。



■2019年6月29日
「間にあるニュース」

家のポストに投函される区の広報誌をめくっていると、「え、そうなんだ」「こんなサービスがあるのか」と思うことがしばしばあります。

私は新聞をとっているので、チラシと一緒に入ってきますが、そうでない方は、最寄駅などでピックアップするんですかね。と、よく考えると、毎日毎日スマホの画面を見て、SNSやスマホニュースを追っていても、知らない「自分の地域のこと」は多いですよね。

それは、大きな網の中から抜けて落ちているモノたちで、だけど身近で重要度が高い、という反比例状態にあるというか。

それなら区の広報をフォローすれば、SNSやメールで同じ情報は配信されているだろう、と、まぁそれはそうなです。が、手のひらで操作しながら「見ている」ものと、紙になってめくって「読む」ものとでは、(私の育った年代の影響が大きいですが)違うように思います。

つまり、スピーディーにパンパンと飛んでくる情報をキャッチする(卓球のラリーがイメージ)と、何度か校閲して校正を入れてから発信する情報(キャッチャーとピッチャーで首を振りあってから決める次の1球がイメージ)の違いとでも言いますか。

なので、受け取る側は勝手に量と質の棲み分けをして、取得する情報を精査しているように思います。現に私の場合、その勝手な棲み分けから、区の広報誌で新発見をしたりするわけです。

先日、TBSのNEWS23で「ニュース砂漠」という特集が組まれていました。地方紙で日刊紙が1紙もない地域、あるいは週刊・月刊しかない地域が、アメリカでは増えているようです。そこをニュース・デザート、ニュース砂漠と呼ぶようです。それが、問題になっている、というのです。

(NHKでもない限り)取材したニュースを配信し、紙面を組み、送りだすのは「お仕事」で、広告収入を見込んだ利益が必要になります。広告を出すか出さないかは、その媒体が浸透しているかどうか(広告価値)で決められ、浸透させるためにはオモシロイ紙面でなくてはいけません。

大きな媒体が取り上げるニュースと、SNSなどで「友人同士」だけが分かる小さなニュースとの間、地域社会におけるニュースを伝えるというのは、なるほど、これだけデバイスが増えると難しいですよね。(広告価値という観点からも)

地域の広報ではなくニュースを取り上げ、問題提起する新聞(媒体)は、なので苦境し、儲からないから廃刊(ナッシング)となっているようです。では、その(バッテリーが投げる次の1球というイメージの)ニュースは?住民はどこから取得すればいいのか。確かに問題ですよね。

先述の番組の特集では、非営利組織からのニュース発信が、一つの解決策だと言っていました。確かに、それもあるでしょうが、砂漠の中で、必要な分の水を送り出す「川」になりえる妙策でもないよう(数的な課題)に思えます。

かといって、廃刊(ナッシング)、もしくは現状維持で継続(オール)のオール・オア・ナッシングで検討する段階はとっくに過ぎている今、、、

この<間のニュース>をどうしたらいいですかね。

雨がたくさん降る場所から、離れた地域にいて。だったら雨の降る地域へ行けばいいと居を変えた歴史。忘れられたように干からびた砂漠。脈略もなく、大した意味もないですが、ふと、単純に、ラストベルトという言葉が浮かびました。

ニュースが機能しなくなると、一辺倒の言葉(考え方)が簡単に入り込んでしまって、なんだか大きな流れを生んでしまいそうで不安です。

必要なのは、この<間のニュース>を、しっかりと見極めて、ピッチャー・キャッチャーのように何度か首を振りあうように、精査して、しっかりと「見つめる」人が存在し続けられること。そんな方法はないかということで。

責任の所在がはっきりしつつ、そこに誇りを乗せて伝えてくれるニュースは、SNSや地域コミュニティーの掲示版(ネット上)では不可能な話ですからね。

なぜ不可能なのかというと、例えば、スーパーで売っている野菜に、「農家の顔」が載っているように、掲示板も身元を明らかにして、責任をもって伝えればいい、なんて言い出すと、「その人にとって得することはない」ですからね。

農家の顔の場合は、だから安心して買えて、売上が伸びるという広告要素ですが、掲示板のそれは違います。だから、非営利か。ふんふんと、こう考えても、解決策の(一つの)正解のようにも思えるのですが。

う〜ん、自分の住んでいる地域に、NPOが立ち上がるような想像も出来なければ、もし「組織」立ち上がって、それが動き出すと、より多く、より大きくと自然と向かっていくようにも思えて。

紙かデジタルか(ハード面)の判断には、印刷工場や配達員などの利益確保という「守り」の問題を除けば、結論は出ているように思えるのですが、コンテンツの問題ですからね。扱うニュースの持続可能性。

質を保った投げかけで、地域の判断基準になりうるものの行方は、発信側が独り相撲で「ここに掲示します、ここに配信します」というので済まされず、本当に厄介な問題です。

<間>で抜け落ちそうな、質を伴ったニュースの行方。これに対応策が講じられれば、もしかして、投票率も上がるんじゃないか?と思えなくもないです。

それは、視聴率ばかり気にする「みんな」の考え方(価値の置き方)が、違うベクトルをもって評価される流れへと、大きく変わるようにも思えるからです。

私の住むマンションでは、代表者が理事となり、そこで話し合われたことが議事録でのこされます。議事録は印刷され、全戸配布されるようになりました。昨年まで、誰もがアクセス可能な「ネットワーク上」にアップしていたのですが、それでは伝わり切らず、(お知らせや広報の類ではなく、検討・決定事項を伝える議事録であるので)確実に届ける方法として、、、紙の復活でした。



■2019年6月22日
「熱海と別府」

宴会場(で)団体さん(の)慰安旅行。そんな「昭和」のかおりをぷんぷんさせて、おっちゃんたち(が)浴衣(で)大広間、ビールを注いだり注がれたりで、「まぁ、まぁ、まぁまぁ」とやっている。

そんな画がパッと浮かぶ【古臭い】温泉宿と、イメージがぴったり合致するような熱海と別府が、どうやら、最近、大変身を遂げているらしいぞ、と伝えるニュースが盛んです。

首都圏から気軽に行ける温泉街として不動の地位にあった熱海は、箱根や草津など多くのライバルが素早く時代に合わせて「変身した」のに後れを取った感がありました。

別府も、日本一の源泉数で福岡、広島、大阪から「黙ってても」人が来ると胡坐をかいているうちに、湯布院や黒川などの台頭に追いやられた感があります。

よく言えば昭和レトロ。でも、実際のところは古臭いというイメージから、どちらも抜け出せてないと思っていました(特に、宿の水回りや、大浴場などの造りが)。

しかし、ここに来て。

元々豊富な源泉と湯量を誇り、温泉宿が多く、何より「海」という武器を持つ熱海と別府は、そのメイン素材をベースに、〈最近モノ〉を絶妙に塩コショウすることで、脱皮したらしいのです。

熱海は、1957年に始まった歴史ある花火大会を見直し、現代にあった形(温泉に浸かりながら見られる花火)を定着させました。意外に安くて、結構おしゃれじゃん。そう思って熱海へ向かうと、玄関口の駅も新しくなり。

海にビーチに、熱海銀座は新宿ゴールデン街よろしく、それはそれでいとをかしで、翌日、ロープウェイから眺める海と街並みはまるでリビエラ。もしくは南イタリアの地中海じゃないかと。

ロープウェイを上り切って、リニューアルされたばかりの展望台から眺めたら、ここは外せない?熱海秘宝館で笑う。なんとも、これぞ熱海という楽しみ方が出来ます(宴会しなくても)。

何より、星野のリゾナーレ熱海や「ATAMI BAY REAORT KORAKUEN」などリニューアル・ニューオープンのオオバコに加えて、隠れ家・ゆったり・間接照明(灯篭)で大人も惹きつける宿が次々リニューアルオープンしている所が、熱海の強さなんでしょうね。例えば「月のあかり」。ここはセンスのいい人気の隠れ家です。

さらには、初島がありますからね。熱海から30分、首都圏で一番近い離島を謳う初島は、グランピングあり、子供たちのアスレチックあり。もちろん、海の幸も堪能できて、マリンスポーツからアジアンリゾート風のテラスまで。素材は、そろってますよね。

別府はどうか。ここは、別府プロジェクトがすすめたアートがあります。アートと湯けむりの町を目指して、あちらこちらにアートをちりばめ、別府=アートというのも根付いてきたかな?というこの段階で、「ANAインターコンチネンタル別府リゾート&スパ」がオープンですからね。

どうだ、バン!という満を持した感があります。ANAインターコンは、アジアンビーチや沖縄で展開するようなリゾート体験を売りにするもので、そのノウハウを別府という温泉街で体感するラグジュアリーの提案です。これは、もしかすると一つの大きな流れを作るかもしれません。

熱海も別府も、まずは「人」を惹きつける施策を公が先導して始め、それに上手く乗っかろうと、重い腰を上げてリノベーションした店や宿も多かったと言います。それが、ボトムアップ的なパワーに変わって、成功したんでしょうね。

そもそも、古いだの、ダサいだの、モサいだの、そんな風に感じていた世代とは違う次の世代、今の若者には、熱海は温泉に入りながら花火が見られて、フェリーで離島にも行けるところだし、別府はアートとラグジュアリー体験ができるところ、という印象なんでしょうね。

そんな新しい注目スポットとして、すんなり受け入れる世代に、底力を見せつけた熱海と別府(という感じでしょうか)。

そして、訪日外国人の存在です。もはやATAMIとBEPPUは、東京、大阪、富士山という「一回目」の旅行を済ませたリピーターが目指す場所(温泉地)。

外国人の温泉ブームに、しっかりと乗っていると伝えるニュースが多いです。反面、あくまで日本人は箱根で、外国人が熱海に集中する?というような変な棲み分けで、それぞれの温泉街が「それ色」に染まってしまうのは嫌だな、と危惧しつつも、熱海、行ってみようと思います。

押しも押されぬ一大スポットだったエリアが、古臭くなって廃れ、もう一度復活する姿。もしからしたら、全国に溢れているそんなものの象徴として、熱海と別府の復活は、どこか気持ちいいものでもあります。

昔はよかった。でも今は、と嘆いてる親の背中を、しっかりと支えて「自分なり」に立て直していく子供達。そういう自営の宿や店の「継投」もあるんでしょうね。

そこには、何というか、技や空気感が濃厚だし、何より、関わってきた人の数が膨大です。それが、たぶん、〈そういう〉宿や店では財産で、初めて訪れても、いくら柱や壁、内装が新品でも、雰囲気がしっかりと定着しているんですよね。

訪日外国人がANAインターコンで、まるでプーケットのような楽しみ方をすることは考えにくく、オオバコのホテルを出て、アートで溢れた別府の町を歩いて、ところどころで触れる「しっかりと定着した雰囲気」。

クール・ジャパンというのがあるなら、それはマンガやオタクではなく、「これ」かもしれませんね。

外資が、その土地の雰囲気ごとガサっと「買い取る」のではなく、そこにある雰囲気を借景に「資金」をつぎ込む。アマン的な開発と展開が、熱海・別府で盛んになると、今後がほんとうに楽しみになります。

もちろん、同じような取り組みをしている町や村はたくさんあります。過疎地の活性化を目指して「現代アート」というエッセンスをつぎ込んでいる場所も多いです(流行りですかね)。

だけど熱海と別府、とは違う反応を示してしまうのは、なんでしょう、「あの熱海が?」とか「へぇ〜、別府がね〜」という、これまでのイメージがこれでもか、というほどに固定されているからこそ、そのギャップの反応なんでしょうね(そういう世代には)。

これから、熱海に本格的に外資のリゾートが入ってきて、本当にリビエラみたいになったりして、と心配するのは杞憂でしょうか。思えば、アマンの創業者は、このあたりに、リゾートの神髄を感じたとも言われています。

温泉地、リゾート、海も山も、食も遊びも雑貨もアートも。再び、集まり始めるかもしれませんね。



■2019年6月15日
「2000万円ショック」

2000万円。老後、年金以外で必要となる試算(合計金額)として金融庁から提示され、そのインパクトからか、いろいろと話題になっていますね。

先日、全財産を元妻に渡して離婚する、と発表したビートたけしさんに、弟子のダンカンさんは「殿は、2000万円あるかどうか心配」というようなコメントを出していました。(発表した)金融庁の言うところによると、不足する2000万円は、夫婦二人で、だそうです。

それを受けて、やいやい言いたい放題の野党と、しゃべり方がぐにゃっと歪んで感じる大臣の返答。果ては、年金問題でつまずきまくりの総理大臣が、夏の参院選だけを考えて、おろおろする構図が、連日、テレビや新聞で盛んです。面白いことに、SNSやスマホニュースでは、ほぼ見かけません。

選挙=投票する人=年金が身近な人、というこの国のいびつな年代構成を、こんなところでも見て取れるというか。お隣の香港で、学生が中心となってデモを行っているのを見ると、「国」と対峙して、どう向き合うかの感覚が、ここ十数年の若者とは乖離しているように思えます。

結果を急ぎ、なんとか日本国民の目を「外」に向けようと?してか、あわててイランを訪問した安倍総理の、まぁすべった感じが表すように、今、政治に対して、良いも悪いも代案もなくて、実感なしで「ツクラレタ」データで、好景気だといい出し、(データ上でさえも)そう好調でもなくなると「前よりましだ」という、なんともおろそかな始末。

何なんですかね、あの、民主党議員に質問されると「民主党政権時よりもましでしょ」という安倍さんの言い方。あれは、ちょっと、今日日の子供の喧嘩でも言わないのでは?挙句、民主党じゃない議員にも言い出して、「私は民主党ではないですからね」と言われてました。

まぁ、それでも、「(自民党の)代わりに」任せるところがないのが現状です。厳しいですよね〜。

東京オリンピック・パラリンピックに向けて、とにかく今は突っ走れ、と、見て見ぬふりして(後回しにして)生活してますが、これ、いつか、どかっと(それは年金並みに)しっぺ返されるんでしょうね。

※だから、そうならないために、自分のことは自分で、投資しろと、いうことなんでしょうが・・・??

ポスト五輪、2021年からの東京を考えるプロジェクトが、去年ぐらいからどんどん立ち上がってます。

が、それらも実感乏しく、私も見て見ぬふりの一人なんですが、ふと、近所で大規模な工事が始まって、工期終了が令和4年となっているのを見て。そうなんですよね、うまく言えませんが、そういうことなんですよね。私にとっての年金も、2000万円も、そういうことなんですよね。

五輪後の2021年かぁ。それは、新しいアメリカ大統領が就任する年です。大学入試は、センター試験に代わって新しい方式に移ります。このまま安倍さんが総理大臣で続いたとしても、任期が切れてポスト安倍の時代に入ります。

東日本大震災から10年、9.11同時多発テロから20年という節目でもあります。

カタールではサッカーワールドカップが開催され、大阪の長居スタジアムはサッカー専用の桜スタジアムに生まれ変わります。大阪と言えば、この年にいよいよWホテルがやってきますね。

×1年という年は、世界中を震撼させる震災や戦争・テロが起こるという周期?なのか、1991年には湾岸戦争が起こり、20世紀最大規模の噴火ともいわれたフィリピンのピナトゥボ山大噴火がありました。高確率で予想されている大地震、大津波も、心配でなりません。

2021年の息子の年齢は未来ですが、同じ歳だった私の過去、1986年には何があったのか。調べてみると、なんとこの年(私が10歳のころ)まで、江戸時代生まれの人が生きていたということに驚きます。

青函トンネルがつながり、アメリカではスペースシャトル「チャレンジャー」号の爆発事故がありました。チェルノブイリの爆発事故もこの年でした。

そんな中で、男女雇用機会均等法施行されたり、企業がコーポレート・アイデンティティ(CI)を導入したりと、その後、数十年後にようやく定着することの始めの一歩を踏み出した年であったことも分かります。

ちなみにこの年のサッカーワールドカップはメキシコ開催で、決勝戦はアルゼンチンと西ドイツでした。今は、地図上にない国名(ソ連とか)も多かった時代です。

私自身の10歳からの世界(と日本)は、激変でした。何しろ、ドラクエが発売になった年から、今までの変化ですからね。2021年、息子は10歳になって、それから先のことを考えると、もうどんな変化が起こるのか想像するのも難しいほどです。

「あ、おれ、こんど10日間、月にいくから」とある日突然、遠い旅先を告げられ、こどもが生まれたら、金星まで面倒に来てくれないか、と頼まれたりするのか。

ずっと先が、明日・明後日のことになると、その時点の「今日」は、今とぜんぜん違って、さぁ良くなってるのか悪くなっているのか。その良し悪しの基準は、いったい、どこに置くのか。根本が、どうやらガラリと変わりそうなだけに、その判断基準は難しそうです。

そんな未来を生きる世代に向けて、老後に2,000万円不足するから投資しよう、金融商品をかって、活性化しよう!という呼びかけが、どれほど無意味で、どれだけ無謀で、どれだけ無益か。

大臣が受取拒否する資料を、本当に、何のために作ったんですかね。「国」が発表することで、ほいほいと動き出す国民だと思われたことにも腹立たしい、というか。

まぁ、そうは言っても、この件で、少しでも老後のことを考える人がいれば意味がある。苦し紛れのコメンテーターの言葉を借りれば、あ、まぁ、そうなんでしょうね。と。考えてみました、私たち夫婦の老後。

リーマンショックを受けていろんな慣習から解き放たれ、新しいものも生まれました。それにならって、この2000万円ショックから、私たちも何かを、生まないと。

出てきたのは、たった一つ。見て見ぬふりして、見過ごさないということでした。見るべきを直視して、その結果を行動に移そうと。

梅雨入りした東京の、じめじめした気候も手伝って、本当に頭の痛い現実です。

先日、米ワシントン大や国立長寿医療研究センターなどの日米研究チームが、加齢で減少する物質を押えるための酵素の抽出に成功して、それを注入すると若返る、というようなニュースがありました(朝日新聞)。

老後、それは若返った老後。元気に暮らすための2000万円。よし、直視、直視で行きます!



■2019年6月8日
「あいしてるトーキョー、ららららら〜ら」

向こうのゴールで、キーパー・林がキャッチして、ボールをこちらに送る。ホームゴール裏ではサポーターが「カモン・トーキョー、カモン・トーキョー」と声をあげる。いやぁ、今年のFC東京は、試合が本当に面白いです。

息子がサッカー好きということで、4、5年前からちょくちょく味の素スタジアムに足を運んではFC東京の試合を見てきましたが、確実に、ケンタ・トーキョー、長谷川健太監督になってから、サッカーが変わりました。

就任一年目の去年は、かつての阪神タイガースよろしく、スタートダッシュは決めたものの、後半は息切れ。ずるずる順位を下げました。が、今年は、何もかもが違います。

まず、開幕戦となったフロンターレとのアウェー。ここを引き分けたのが大きかったのか、ホーム開幕戦のサガン鳥栖からホームでは負けなしの怒涛の勢いです。わが家も、これまでサガン鳥栖、エスパルス、アントラーズ、ジュビロ、大分トリニータと観戦し、「トーキョー、トーキョー、ね〜むら〜ない、まち〜」と勝利の合唱に酔いしれています。

特に、ここ2試合は、勝利後、スタジアムを回ってきた選手たちと一緒にユルネバ(「You'll never walk alone」)を大合唱するスタイルになって、もう、気持ちは高ぶるわ、心地いいわで大変です。一体感、みたいなものが生まれてきて、いい雰囲気だなぁ、とかみしめつつ。

来週はヴィッセル神戸戦です。今年初の夜の試合観戦になります。去年8月のヴィッセル戦も行きましたが、イニエスタ効果で味スタは超満員で、おそらく来週も同じような感じでしょうね。去年はイニエスタ、出ませんでしたが、今年は、調子のいい東京が、イニエスタにどう挑むか(いや、どう料理するか?)。

永井、ディエゴという突破力抜群の前2人と、東京の代名詞、鉄壁の後ろ森重、室屋、小川、渡辺。その真ん中で、久保がファンタジスタですからね。たけふさ〜、たけふさー、っと何度叫んだことか。東、高萩、拳人、もー、最高です。歓喜を呼んでくれる選手たちです。

久保は、バルサやパリやレアル?と、まぁ、色々旅立つ先があがってますが、それまでは東京で!しっかり見ておきたいです。夏に移籍して、12月のE1とかで日本代表として凱旋?みたいな未来を想像しながら。

一つ、心配要素としたら息切れです。9月のラグビーワールドカップ開催期間中、アウェー続きですからね。阪神タイガースが高校野球で甲子園を明け渡す死のロードみたいな。それでなくても、スケジュールがタイトで、息切れ、だけ、なんとか、回避してほしいな、と。

順調にいけば、11月、ホーム味スタで30日のレッズ戦、ここらで初のタイトル奪取で喜びたい!と・・・。まぁ、そんな先より目の前の一つずつですね。今週のJリーグの中断明け、来週のヴィッセル神戸との一戦は、しっかりと勝ちたいところです。

考えてみれば、サッカーって、本当にワールドスポーツですよね。ラグビーやバレーがワールドを名乗っても、「え?それどこ?」という国ってあまりないですよね?野球に至っては、全世界から選手が集まってきているという理由からか?MLBの優勝をワールドチャンピオンと言ってしまう荒業。

トリニダード・トバコとの試合、なんてサッカーぐらいですよね笑。息子と二人、iPadの世界地図でどこにあるか調べました。ベネズエラの近くにある島国。息子には斬新だったようで、エルサルバトルに行ってみたいと言い出してます笑

そんなサッカーも、アメリカでは下火。アメフト、バスケ、アイスホッケーにベースボールという国でしたからね。なかなかサッカー熱は上がらなかったようですが、ここ最近、アメリカでもメジャーリーグサッカーというのを聞くようになりました。

この夏、ニューヨークのヤンキースタジアムで行われるニューヨークダービー、ニューヨーク・シティFC vs NYレッドブルズを観戦します!カナダでもプロのサッカーリーグが始まるし、次の次のワールドカップはアメリカ・カナダ・メキシコの共同開催だし。

ますます、ワールドです。ボール一つあればできますからね。それは強いですよね。今の、ヨーロッパと南米がつかんでいる「主流」を、この先、どこが取って代わるのか。そんなことなく、やはり、サッカーといえばヨーロッパと南米なのか。

そんな南米が、ヨーロッパサッカーから距離をおいたコパ・アメリカが今から楽しみです。たけふさが、どんなプレーを見せてくれるのか。いや〜、眠れないですね。

思えば。ローマのオリンピコでACミラン戦を見たころから、ちょうど「ナカタ、ナカタ」と声をかけられる頃、バルセロナのカンプノウでは、これぞサッカーなのか、と思った記憶まで。今では、ヨーロッパでのサッカーも、簡単にQRコードで観戦できますからね、時代の流れってすさまじいです。

わが家も、ドイツを中心にサッカー紀行を、次の次の旅では計画してみようかなと思うほど、どはまりです。

ミュンヘン、デュッセル、ベルリン、シュトゥットガルト、ついでにフュッセンでノイシュバンかな。もちろん、ビールにソーセージ、ロマンチック街道に興味はないけど、ローテンブルクには行ってみたいな。そうか、ヴィース教会も外せないのか。

そんなことを夢見ながら、まずは味スタ。代々木にホームスタジアムが出来るまでは、完全に、飛田給が東京のホームなので、予定が許す限り、通います!そして声をからします!応援して、喜びをもらいます!

スポーツってすごいです。梅雨が明けたら、釣りに行こうと歌ったものがありましたが、梅雨が明けたらスポーツ観戦です(私の場合)。7月には、味スタで観戦するのはもちろん、バドミントンのトーナメントも見ます。

妻ががんばって応募した有名サッカー選手のサッカー教室、もちろんプール。高校野球も、東西の東京大会は見に行きたいな。甲子園は、ちょっと、遠すぎるのでテレビ観戦だとしても、水泳に卓球に、東京オリンピックを想定して大会が行われます。

極めつけは9.15のマラソンでしょうか。日本のトップ選手がオリンピックを目指して走る本気の戦い。言い訳無用の真剣勝負が、もう今から楽しみになっています。

ここ東京で、特に向こう1年間、オリンピックまでのカウントダウンがスポーツの機運をあげて、わくわくしてきます。と、同時に、今年はハーフまでは無理でも10kmぐらいのコースにエントリーしてマラソンも走り切りたいな、とドキドキもしています。



■2019年6月1日
「今すぐ出来ることから」


ある団体やグループには、〈そうすること〉に疑問を感じさせない独特の空気感があって、それを慣習なんて呼ぶことがありますよね。それ、おかしくない?という意見を飲みこんで〈流れ〉をよくする、というか。

空気がそれを許した・許さなかった、ということが、事件になることも目立った一週間だったように思います。

ある市立高校でのバレー部顧問による体罰。殴る・蹴るという「指導」が、どこまで許されるのか、という問題ではなく、もちろん、やる側とやられる側の信頼関係(愛情)の問題でもなく。

バレー部で問題化したにも関わらず、すぐにまた別の部活で平手打ちがあったということから、この高校では、なんというか「あたりまえ」に存在したことの証明であるように思います。

甘やかすと図に乗る。こういう「体罰」が問題になって、どこまで許されて、許されないのかという論調になれば、何でもかんでも体罰と言い出して、生徒が図に乗る、という意見をよく聞きます。

これって、セクハラ(をはじめとするハラスメント)に似てるな、と。もっと言えば、児童虐待にも。つまりは、「どこまで」許されるのか、という線引きに走れば、境界線はあいまいになるので、一旦、全てをなし、とすることから始めるしかないんでしょうね。

あくまでも、それは、「体罰」、「セクハラ(嫌がらせ)」「虐待」ということについてです。入院するとか、自殺するとか、死ぬとか。そういう犯罪に対して、です。

その線引きって、はっきりしているように思います。子育てをしていて、これ、虐待かな?と浮かぶ場合は、だいたいしつけの域であって、それがエスカレートして、もう慣れてしまって感覚がおかしくなっているから、犯罪につながる虐待になるんでしょうね。

慣れてしまい、もはや疑問にすら思わなくなる。それは、とても怖い状況です。企業内倫理とか、内輪の論理というものに、感覚が麻痺した時に起こってしまう犯罪の数々。

これらを防ぐのは、「だらだらと麻痺したまま続けない」というのしかないように思います。

そのためには、あれ?これって体罰じゃないよな、とか、これって虐待じゃないよな、と逐一の気づきが必要なんですが、物理的な方法としては、さっきも、昨日も、一昨日も、同じことやってるな、と思えば、今日は、今は、しない、ということのように思います。

続けて何度も継続的にしない。それが、麻痺してしまった中で行う行動を、犯罪にしない効果的な方法のように思います。

ただ、大学のサークルでの一気飲みは、ノリとか空気とかいうモノが生み出す犯罪です。だから、即、断つべきものだと思います。

幼稚園や保育園で、散歩中に事故にあう。登下校時に事件に巻き込まれる。普段から気を付けて、それもしすぎる必要があるような世の中で、不可抗力に対して、これほど無力だと、一歩も外に出たくないと思えてきます。

18年前、小学校に男が侵入して児童が殺傷された事件。それからしばらく、学校という場が、性善説に立ちすぎて、無防備だったという風潮からか、今では、授業参観や運動会でも、学校に入る保護者は、それを証明するものが必要になってます。

つまりは、不審者を寄せ付けない取組が広がったとも言えます。何か、事件があれば、それを模倣するような事件が続き、それに対して対策を練って、防止する策が取られる。

今では、学校の行き・帰りの防犯が重要になってきている気がします。この不可抗力から、身を守る術。アメリカの小学校では、子供の送り迎えは常識で、子供だけで学校と家の往復をすることは少ないと言われてきました。

日本でも、すぐに、そうなる、とは言いませんが、そういう世の中になってきたのかもしれない、と思わなくもないです。

考えてみれば、朝・夕のラッシュ時、あれだけ大量の人が、階段を上り下りしていて、これって、ここで上の人が誰かを押し倒せば、すごい事故につながるな、と思いつつも、「何とかしないと」と思うだけで対策を止めていることも多いかと。

特に、老朽化に対しては、実際に大惨事がおこらないと、「かもしれない」だけでは重い腰が上がっていないようにも思え。高速道路や線路、駅舎、校舎、市役所などなど、不特定多数の人が利用する場所であればあるほど、そこは「しすぎる」ぐらいの対策と注意が必要だと思います。

飛行機が地上で動けるところは隔離されています。新幹線もそうです。なのに、車や自転車は、歩行者と入り乱れています。だからこそ、事故が多発しています。こうなれば、早急に、完璧な区分けが必要なんじゃないかなとも思います。

そんな急にはできない、ということで先送りして数十年。アクセルとブレーキを踏み間違えて起こる事故も、もう何度聞いたか分かりません。高齢者による自動車運転、パトカーに追われて逃げた末に起こす事故。

それらに巻き込まれる被害者。今、すぐに出来ること。それは意識の枠内が多く、それをしたところでどうしようもないと思えば、その意識すらしなくなります。すぐに出来る意識を、全員が持てば、その意識から一つも二つも大きな範囲、大きなコトでムーブメントが起こります。

ペイ・フォワードという、小さな変化が、大きなムーブメントを生むように、まずは、すぐにできることを。それを無駄だ、無意味だ、もっと大きなことを改善しないと・・・と繰り返していても、一気に、大きなことは起こらない。何より、これは、加害者になること、そして被害者になることから守るためなので。

体罰もセクハラも虐待も、不可抗力の事故も全部、まずは、今すぐ出来ることから。小さな、意識の変化を多くの人が少しずつ持ち、そうして大きく的確な、資金も工期もひっくるめて、変わるための動きを生み出す。必要なのは、これかな、と思います。

疑問すら思わない慣習、ただただ性善説にたって大丈夫だろうという神話、ここでこうなったら大変だという危機意識。それらを日々考えつつ、昨日までは「当たり前だった」ことが、今日考えれば「恐ろしかった」と思えることを増やしていくことが、本質的な安心につながるかな、と。

浅い川も深く渡れ、葦をふくむ雁、危ない事は怪我のうち、安に居て危を思う、川越して宿を取れ。昔から、用心に関する諺や言い伝えは多く、びくびくせずに、しっかりとした用心の元に。始めから完璧を目指してゼロでいるより、小さなイチから。

事件、事故に巻き込まれた被害者の方、ご家族、ご友人の方々の胸中を察し、亡くなられた方のご冥福を心よりお祈りいたします。

目指すべきは完璧です。そして被害者(同時に加害者)ゼロの世界です。そこに向けて、今すぐ出来ることを。



■2019年5月25日
「これからのことをギラギラとこねくりまわしています」

また、ひとつ、歳を取りました。もう、ため息すら出ず、それどころか、ひとつ歳を重ねることができて(無事、生きていて)よかった、と胸をなでおろしながら、感謝!と叫びたくなるほどの毎日に、ありがたや、ありがたや、です。

誕生日というタイミングで、何か節目的なことをするのも、ここ最近はなく、続きが続いて面となって重なって、やれ息子の運動会だの、週末のお出かけの予約確認だのと「変わりなく」過ぎ去ることが多かったのですが、今年は、ふと、なぜか、旅ログを見直すことにしました。

海外の旅の記録は、これでもか、というほどしっかりと取っているものの、国内となると、あやふやで。二十代のころまで、確か取っていたはず、とパソコンの古いフォルダに探しにいって、ようやく見つけると、引っ越し前のアルバムよろしく、「あったなぁ〜」「いったなぁ〜」「なっつかしいなか」と、ログ(記録文字)を見るだけで蘇ってきました。

記憶のある最古の「旅」は、当時、京都から、出来て数年の東京ディズニーランドへツアーでいったこと。そろばんスクールからの募集で行った記録です。さすがに、ディズニーランドで遊ぶ!というだけでは「あれ」なのか、途中、登呂遺跡で学び的なことも含まれていました。

それから小中学校の修学旅行や高校の卒業旅行、大学時代の仲間との旅に20代のあちこち・うろうろ旅まで。とっちらかった「ログ」を一つのシートにまとめてみると、まぁ、よくもこんなにいろんな所に行ったもんだと思うと同時に、あ!そうか、もう、43歳か・・・。

そこで、47都道府県の中で、「宿泊」したところ、「訪問」したところを一覧にしていくと、32都道府県で宿泊の記録があり、訪問しただけの県が13県でした。ふんふん、と思いながら、あれ?山形県にも行ったことなかったっけ?

米沢牛を食べたはず!と思ってましたが、それは前沢牛で、蔵王へ行った気でいましたが、その記録はなく、これまで、日本で行ったことのない都道府県(通り過ぎたことはありますが)は、福島県だけだと思っていたので、なんだかハッとしたりして。

こうも経年すると劣化するというか、記憶があいまいになっていけませんね。ここいらで、ちゃんとログを取り直してよかった。

そうか、そうか、山形県と福島県には行ったことがないのか。これまで訪れた45の都道府県の記録を見ながら、「まだ見ぬ」山形・福島の旅。何となく計画したくなりました。

パッと浮かぶのは、「とれいゆ つばさ」に乗って福島駅から新庄駅までいくプランです。足湯車両でのんびりしながら、山形県産のワインなんて飲んだりして。米沢で肉料理、さくらんぼや温泉や大自然の空気をいっぱい吸い込む旅。悪くないな、と。

いや、しかし、まてよ。「せっかく」ここまで行かずにおいた県。一気にいくより一つずつじっくり攻めるか、と思いつつ、まずは福島。磐梯山の星野リゾートでのんびりしつつ、鶴ヶ城や大内宿を歩くのもよさそうだな。3月に初めてスキー体験に行き、また行きたい!といっている息子のことだから、猫魔スキー場というのも面白そうだ。

いやいや、スキーに行くなら、山形の方がいいか。(行ったつもりだった)蔵王に行って、温泉とのペアリングは最高かもしれないぞ、と。よ〜し、よーし、蔵王か。今年の冬、いっちょスキー&温泉でアクティブに行くか、と思ったところで、山形や福島にスキー、ってベタすぎないか?

と!何、これ!都心から2時間半の非日常空間、パスポートの要らない英国をコンセプトにするブリティッシュヒルズというところが福島にあるではないですか。中世英国の世界観。スコットランドのハイランド地方に近い風土を持つ(と謳う)羽鳥湖高原に広がる施設らしく、マナーハウスにティーハウス、パブまであって、泊まることができるので、思い切る価値はあるかもです。

まぁ、挙式とかイングリッシュラーニングなんかもあるので、研修施設?とも思えなくないですが。イングリッシュガーデンの花を愛でたり、テニスにゴルフに。これは、楽しい旅になりそうです。

山形にもないかな〜。あ、そうか!銀山温泉が山形か。ここは、何年も行きたいな、とぼんやり考えていたところでした。やっぱり銀山温泉は冬ですよね〜。12月の始めで仮置きして、宿をちょっと探してみようかな(レートが出たら)。

そんなこんなで、ひとつ歳をとって、目も腰も足もすぐに疲れるようになったとはいえ、まだまだギラギラと旅の予定を立てたくなるので、大丈夫!だと、なぜか納得したりしつつ。

令和初の誕生日、運転免許証の更新は平成32年です。つまり来年ってことで、これまで続いてきたことに、一区切り、こんなところでもいい機会に思えてきます。

旅のログをとるついでに、これまで暮らした家の記録も取ってみました。生まれて間もなく、私の記憶のおぼろげな時期に一度引っ越して、そこから大学生になるまで育った家があり。その後、一人で暮らした西宮市、東京に来てからも、この13年で4度の引っ越しをしました。

どこへ行ってもぶれない軸を太く、その軸がしなやかに対応できるような環境の数々。人間、生きているだけで、ほんとにいろんなことが身につくし、いろんなことが増えていきますね。まじで、まるもうけです。

この先、生きていく中で。世の中は、どれだけ変わるんでしょう。ちょうど、このログをとる中で、一番、見返したのはスマホのカレンダーアプリです。そのカレンダーも、2011年7月以前はなく、と、え!スマホに変えたの、2011年7月だったのか、と。

考えてみたら、8年前、主流になりつつあるとはいえ、まだスマホは新しいものだったんでしょうか。それが、今や、当たり前になったどころか、古くなりつつあるから、おっとろしいです。8年後。私が五十を超えたころの主流は、インターフェイスすらないんじゃないか?と思えなくもないです。

なるべく直感的に、便利に手軽に、ワン操作で。モノとモノがつながる訳も知らず、見えない「線」が混線してしまった混乱を想像します。なぜ、こうなるのか。の理解よりも、これを、こう押せば、こうなる、ということばかりを強いられそうで。

「今」に追いつくために必死のことは、追いついたとしても過去なんでしょうか。大事なのは、追いつくことじゃなく、別の道を見つけることなんでしょうか。

パッと出で、ものすごいことをやりだしたり、じわじわに見えて急速に、一気に塗り替えたり。そういう物や者やモノが多そうで、出来るなら客観視して、へー、ほー、と感心ばかりしていたいものだな、と、まだ人生の折り返し地点を過ぎたばかり。そうは言ってられないと・・・

私はこれまでの記録を整理して、これからのことをギラギラとこねくり回しています。



■2019年5月18日
「褒めるオンリー(理想)」

朝、コンビニでホットコーヒーを買う。レギュラーサイズと注文して、電子マネーでピッ。して、カップをもらってマシーンに置く。で、サイズを認識したマシーンのボタンを押して、豆がひかれて、抽出される。その間に、マドラーやら砂糖やらミルクやら、袋を破って準備して。

そのまま持ってあがって、デスクでホッと。ああ、その朝の一杯は美味しいです。ホットかアイスかを迷った挙句の判断が違って、暑かったり寒かったりするのも、この季節ならでは、かな。例えば、この状況を一句したためて、それを数千年後の日本人がよめば、「ああ、古きよきニッポンの情景」とか言ったりするの哉。

TOKYO2020、2020年の東京オリンピックに向けて、いよいよ観戦チケットの抽選販売が始まりましたね。テレビ、新聞、SNSからネットニュースまで、津々浦々告知がすさまじく、世界中の人がチケットを狙っているんでしょう。申込開始直後、何万人という待ちが出て、1時間以上の待機でした。

確かに、繋がるか繋がらないか、という状況でじりじりと待たされるよりは、あと何時間待ち、が出た方がいいのかもしれませんが、ちょっとね、どうなんでしょう、もっと未来的でスムーズなやり方ってなかったんでしょうかね?

そもそも、当選したチケットは総買いか総放棄かというのって、いまどきありですか?こういっちゃなんですが、どのぐらいの人が来るかわからない、というイベントではなく、大量の、それはもう数百万単位で一極集中するんですから、抽選後の放棄の対策をとろうと思えばいくつも方法はあったような。

まぁ、早い者勝ちではないということなので、それを信じて、私は、のんびり構えてました。

で、まず、競技スケジュールを見る。家族分を取るので、総額は相当なもんですが、どうせ当選もしないだろうから、と、絶対に見たい競技に絞ってチケット種を選び、この機会だからみてみたいな、というのは2020円の応援チケットを選んでみました。

テレビで観戦するもよし、都内各所のスポーツバーで見るもよし。なんだったら、競技場まで行って、おそらくはパブリックビューイングがあるだろうから、そこで体感するもよし。もしかしたら、2020円の応援チケットで、ものすごく見にくい席になるぐらいなら、そっちの方がいいのかな、とか何とか云々。

色々と考えているだけで楽しいものですよね。家族そろって、見たい競技をあげるだけで、え?うそ?なんで?という意外なものが出てきたり笑 私の息子が、「走り幅跳びは絶対見たい」と言い出したのには、驚きました笑。

抽選が外れても、まだ一年以上ある中でチャンスはありそうだし、そもそも、これだけの競技の数の、一つも見られないということはなさそう(ってあまいですかね)なので。もし、一つもチケットがゲットできないなら、朝6時から起きて、マラソンを沿道で応援するもんね〜、と。

それにしても、改めてオリンピックってすごいですね。名古屋や大阪、福岡などの大都市が挑戦しては敗れ、結局、東京で勝ち取った世界的イベントです。東京の次はパリ、そしてロサンゼルスと、この都市リレーも素敵です。トーキョーが、どれだけスマートに、そして熱く大会を成立させるか。その後にもつながりそうです。

さて、初夏(本番)です。

この後の梅雨を耐え忍べば(って、ここのところ毎年、空梅雨ですが)、夏です。今年はどこのプールに行こうか、FC東京はこのまま勝ち進んでくれるだろうか、東京ドームに阪神が来るのはいつだろうか、高校野球はどうなるんだろう。大船渡の佐々木投手は、このプレッシャーに耐えられるか?などなどスポーツにばかり目が行きます。

絶対必勝で努力を重ねて、その過程が大事、とばかりに生活の中心になっているお子さんを見ていると、わが息子の、なんだろう、楽しみながらやる!を地で行き、勝負への執着の、無さ笑。ま、このぐらいがいいんですけどね。

サッカー少年の彼に対しては、(ことサッカーに関して)私は褒めるオンリー、良かった時だけに、良かったぞ、というようにしています。

良かったけど、あそこはこうした方がいいとか、あそこだけはダメだったとか。なんというか「今後のため」にいろいろ言いたくもなるんですが、そこはグッと我慢して、褒めるオンリー、これに徹したいと思っています。

褒めて伸ばす。先日亡くなられた小出監督は、有森選手や高橋尚子さんを育てた名監督ですが、よく、この褒めて伸ばすタイプだと言われていました。そこには、キャラクターもあって、包容力につながっているような気もして。イメージですが、女子の選手と男の監督という関係性から自然にそうなったのかな?と思わなくもないですが。

ただ、高橋尚子さんが、まだ弱い選手のころ、夜、一人で走りに行こうとしたとき、それに気づいた小出監督が「お、走りに行くのか?よ〜し、一緒に行こう」といって、腰を上げて付き合っていた映像が印象的です。

褒めて伸ばすには、寄り添って一緒ということが絶対条件なんだと思い知らされる場面でもあります。

怒る・叱るというのは、基準が怒る側・叱る側であって、そこに達してないから「言う」という行為かな、と思います。逆に、褒めるというのは、確かにそこに達したから言う行為ではあるんですが、どこか、基準が、あくまでも褒めれる側にあるような気がします。

分かりやすく、私と息子で言うと、私が叱るときは私側の基準だけれど、褒める時は息子側の基準である、というか。褒めるには、前よりも今とか、初めてできたとか、駄目だったものがよくなったとか。ある一定期間(程度)、寄り添って一緒にいないと気づけないという感じがします。

赤信号を渡るな、と叱る。それと、赤信号でちゃんと待てたね、と褒める。この違いといえばいいのでしょうか。

そんな風にして、寄り添って褒めるオンリーで行く。といっても、ことスポーツだけです(それが限界です笑)。全部の行為をそうするなんて、端から無理です。そこまでの包容力は・・・ないです。親も人間、感情の持ち主です。それを我慢してまで、息子の全行為に褒めるオンリーでは、無理が生じますよね。そして、嘘になってしまいそうですよね(というのは言い訳ですかね?)

私は、叱ります。そして、息子は大声で反応してきます。そうやって一緒に生きています。でも、明日の(息子の)サッカーの試合は、寄り添って、褒めます。出来るだけ、褒めるシーンが多いようにと、こちらまで緊張しています。

だけど、息子は、そんなことよりウキウキの方が強いようで、とにかく楽しみにしてます。そんな息子の、そういうところ、いいなぁ、と思ってます。



■2019年5月11日
「少しあるのか、少ししかないのか」

コップ底の3mmぐらいの水に対して、「a little water」(少し、水がある)と、「little water」(水は少ししかない・少しもない)ととらえるかの違いは、否定文の感覚をつかむための例文だったように思います。

中学生の頃の私は、同時期にTHE BOOMが歌う「考え方しだいで世界は丸かったり 考え方しだいでコンペイトウにみえたり」(『逆立ちすれば答えがわかる』より)という歌詞が重なって、とらえかた、というのを実感したような気がします。

上方向か、下方向か。それは、同じ事象に対して前向きか、後ろ向きか。つまり、ポジティブかネガティブか、みたいなことになって、なぜか転じて、ノーテンキとかオメデタイなんてことで「あいつは○○○○○」と言われたりもして。

元来、おそらく、とても後ろ向きで、じめじめしたとらえかたが多かった記憶がありますが、ある時、ふと、いやいや、そうでもないでしょ、という考え方が芽生えて、以来数十年の蓄積で、メデタク、ポジティブになったような(私です)。

ある状況下で、外向きに何かのせいにできない時、どんどん内に向かっていきますよね。自分が悪い、だからダメなんだ、なんて。そんな風に考えてしまうのは、おそらく自然なことで、私は決まって、だからこそ能天気に、思い切りオメデタク、〈違うこと〉を考えるようにします。

空間を飛び越えて、時間も歪ませて、まったく別の、例えば、ドラえもんと、のび太と、ジャイアンのことを思い浮かべて、「そこ」にいるようにするのです。

ひとりで旅して、ひとりで眠りにつくとき、考えれば考えるほど、窮地でピンチで、逃げ出したいけど、そうも言ってられない時、「同じ空間と時間」を、どうとらえるかの違いで逃げてもいたし、それゆえ、意外と軽く飛び越えることもできた、という経験値が私にはあります。

これが、もしかすると、強みかもしれないな、、、

と、あの頃、1日10ドルほどしか使えないニューヨークの安いホテルで、ドミトリーに精神的に疲れ、帰国までの残り日数を数えながら、ぐんぐん底へ底へ、夜のパトカーの音と傾いた床とベッドと、、、なんて気持ちが、ふと蘇ってきます。

内向きに考えている「自分」の表情は、他人から見ると不可解で、決して気分のいいようには映らない、ということに気づくまでは、そうやって、まぁ、じめじめと後ろ向きだったんだと思います。

ゴールデンウィークを終え、学校に行きたくないと訴える子供(のSOS)に対して、親はどうすればよいか。今週はそんなニュースも目立ちましたね。何しろ、10連休明けの通常生活でしたからね。

学校は、行きたくないなら行かなくてもよい(行かない)という選択肢を与えることが重要だと、往々にしてそんな意見が多かったと思います。なるほど、その通りだし、私自身もそう思います。

が、現実的に、子供が学校に行かない中で、自分は働きに行けますか? 今や、母親が働く、父親も働くなんて常識(になってますよね?)の日本で、いざ、小学校・中学校に行きたくないという子供のSOSに「行かなくていいよ」という反応が即答で出来ますかね?

ここにある、「学校に行く・行かない」という二択だけでは、限界があるようにも思います。子供に対して与える選択肢が、学校に行くか・〈あそこ〉に行くか、というように、学校と家以外の〈あそこ〉という場の提供がマストなように思います。

学校に行かないなら、家にいるしかないというのではなく、例えば区民センターのコミュニティや、隣町のスタディセンターなどに行く、というのがあればいいのに。

そんな場の提供に費やす金と時間はどうするのか、なんて議論の詰まりで、なかなか進んでいない現状を見ると、まぁ第三の場の提供は、そう簡単なことではないんでしょうね。

学校以外の子供の〈場〉は、そもそも家があるじゃないか、なんて吹聴する(家庭を顧みない)おじ様議員の声が聞こえてくる気もします。

学校に行かない、なら家にいる。じゃ、家を〈あそこ〉にするしかないのかな。第三の場を作るのではなく、既存の(家という)場を選択肢の一つとして成り立たせる。

でもなぁ、主夫でも主婦でも、どちらかが専業となると、なかなか生活がなりゆかず。。。と思い始めた時、ふと、リモートワークス、在宅勤務があるじゃないか!なんて働き方が浮かんできます。

だいたい、大人(親)自体が、同じような時間に、同じような場所に集まる習性があるから、子供が学校という決まった時間・場所以外の選択をすると、なんだか後ろめたく云々思うのではないか?

地獄のような満員電車での痛勤に耐えてまで、オフィス街の同じようなビルの小さな席に座って、PCをはじく必要は本当にあるのかな?う〜ん、どうも首を傾げてしまいます。

もちろん、痛勤電車で通っているような職種の人の多くは、大きな機械で特殊な技能でもってモノを造りだす製造業の人ではなく、PC画面上で通信ネットワークで業務完結する人が多いという前提に立って、ということになりますが。

であれば、学校に行きたくなら、行かなくていい、家に「一緒に」いよう、という即反応ができるかもしれません。

クロールやバタフライが友達はできるのにぼくにはできない。お兄ちゃんはすらすら解くのに、ぼくには出来ない。漢字をすぐに忘れてしまう、あの子はいつも先生に褒められるのに。などなど、そういう自分の周りに対して劣っているところばかりに焦点を合わせて、どんどん内向き・後ろ向きになっていた頃、、、

そういえば、職人だった私の父は、母と一緒にずっと家にいたことを思い出して。だから、どう、ということもないのですが、ま、別に学校が嫌なら、家に居ればいいだけだな、という選択肢があったように思います。

そんな私も今や、一人の子の親です。

もし、子供が内向き・後ろ向きになった時、ちゃんと正対した何かを、自分の言葉で伝えられるだろうか(もしくは伝えているだろうか)?と自問することもあります。

そして、「ま、別に、嫌なら家に居ればいいだけだな」と思わせているかどうか、などなど。

周りの子と比べる必要はないだの、自分自身との闘いに勝つことが大事だの、どこかで聞いたようなことを思い浮かべては、う〜ん、どうもしっくりこないな、というモヤモヤの日々です。

人と比べて競争して、勝ち残って行って欲しいけど、負けて全否定するぐらいなら、競争なんてしなくてもいいし、勝たなくてもいい、とも考えてしまうけど、だからといって、ちゃんと負けも(もちろん勝ちも)実感して欲しい。

今のところ、はっきりしているのは、「全部、もう、どうでもいい」と放棄してほしくはないな、ということだけで。負けたら負けたで、勝つために、勝ったら勝ったで、負けないために、どうしたらいいんだろ、どうしたからよかったんだろ、みたいなことを考えるんじゃなくて、感じてほしいな。

それは明確に思います。そして、後ろ向きなら後ろに回って、下向きなら同じぐらいまで下がって、いつも、出来る限り、正対していたいな、と思いつつ、です。

前向きの時は後ろからそっと、上向きの時は落ちてきたときに受け止めるために下で、そういう子供との距離感を大事にしながら、ちゃんと正対すべき時に備えて、面と向かって伝える思いを・言葉を用意して、いるべきだなと思っています。

結局のところ、あ、そうか、場所の問題じゃないのか、とも。空間・時間を超えて「逃げてきた時」、ちゃんと正対してくれる人(親)がいる。それを子供には絶対的なモノにしないといけないな、と。

すやすや眠る息子を見ながら、思ったりします。



■2019年5月6日
「年末年始のようなGW」

この10連休。駅も高速も(東京の)街も、どこもかしこも、ぎゅうぎゅうでしたね。すし詰め、芋洗い、黒山の人だかりが、ニュースで映像になって届く度に、(見てるだけで)クラクラしてしまうような。

特に、東京都内は地方からの観光客で混雑度がぐんと増し、逆に、地方の観光地は、訪日外国人が〈東京から避難するように〉集まったといった感じでした。

新宿や渋谷、品川の駅では、普段の休日の「駅なか、駅前の人の流れ」とは異質の、なんというか、不慣れな人たちの立ち止まりや、キョロキョロが目立ち。

逆に、横須賀や日光、千葉の袖ヶ浦などでは、え?と驚くほど外国人が多かったように思います。(それは京都などの観光都市に外国人観光客が多いことを知った上でも、感覚的に大量の外国人が東京近郊に避難したなと思わせました)。

それにしても、訪日外国人の初めてと、地方から来た日本人の初めては、迎える東京という街の顔は同じなのに、ぎこちなさ(キョロキョロ感)が、外国人よりも圧倒的に、地方から来た日本人の方が目にとまります。

右斜め前の青信号の渡り方、地下出口の左右通行、改札口そばの待つ場所などなど。流れをせき止める方に目をやると、(方言で)慌てたり、焦ったり、怒ったり?する日本人でした。(おそらく、普段と比べて多かったので、目だっただけなのでしょうが)

さて、わが家は、この10連休。

平成の最後と、令和の始まりをしかと東京で体感すべく、東京に居ながらにして、近郊への日帰りを中心に組み立てました。

あいにくの雨で、平成最後の皇居ランを諦めた4月30日、息子の友達家族を招いて、ホームパーティをし、テレビでは大晦日のような「さよなら平成、この30年間」と題したハイライトが目白押しでした。

何かとイベントになれば自然発生的に群れる渋谷のスクランブル交差点でも、元号カウントダウンがあったようで、今回のGW特有の年末年始感に花を添えたといったところでしょうか。

迎えた令和元旦。私はワインの飲み過ぎで、頭がガンガンする中、予報に反して晴れた東京で、朝から令和最初の皇居ランをそそくさと諦め、次々に行われる即位関連の儀式をテレビで見ていました。

元号が変わる、それも喪に服さず退位の翌日に即位があるという「初めての」経験をしながら、不思議と新たな気持になるもんだな、と独りごちで。新聞の日付の平成と令和を並べて実感したりもしました。

平和だった平成から、令和はどういう時代になるのか。天皇陛下の一般参賀のお言葉が示すように、日本のみならず、世界の、交流と平和が、どこか知的で、本音で暖かみのあるものになれば、と、ここでも新しい流れを感じ取ったりもしました。

令和になって2日目、朝4時に起きて準備して、早朝に東京を出発して日光へ向かいました。すいすいと好調に東京を脱出して、栃木県に着くまで、これといった渋滞もないまま行けたのは良かったのですが、いざ、最初の目的地の日光東照宮近くになると、大渋滞。

朝8時には、参道の道は車が動かず、土産物屋が特別に駐車場として貸し出すところに(前の車が入っていったので、それに続いて)幸運にも停めることが出来ました。

※そう言えば、コンパクトカーのレンタカー代で、無料アップグレード、クラウンのロイヤルスイートが借りられた幸運の始まりの令和は、なんとも幸先のいいスタートでした。

ここで土産物屋の特別駐車場に停められたのも、ラッキーでした。車を停めて、歩いて東照宮へ向かい、入場券を買う列もさほど長くもなく、御朱印も並ぶことは並びましたが、まだまだましな方でした。

と、いうのも、一通り日光東照宮を見て回って、正午過ぎに帰ろうとしたとき、ぞっとするほど入場券を求める列は伸びて、駐車場も満車、さらには、参道の車の列も微動だにしない渋滞でした。

出発が2時間遅かったら・・・、と胸をなで下ろしました。そこから、(栃木まできたので)宇都宮で餃子でも食べようと、人気店「正嗣」の鶴田店に向かったのですが、ここは、限度を超える大行列。

隣のつぶれた?ガソリンスタンドの臨時駐車場も満車で、店の入り口からぐるりと列を作る人の群れに、一度は並んだものの、日差しにやられ、体力の限界を迎えた7歳の息子のSOSもあって、諦めました。

行列もましかな?と思って選んだ鶴田店でも並んでいるなら、いっそのこと、ど真ん中、一丁目一番地にいってやれ!と、宇都宮駅前の餃子通りへ向かいましたが、有名店が並ぶ餃子店のすべてに、行列が出来ていました。

益子焼陶器市まで足を伸ばそうかとも思いましたが、夜8時までのレンタカー返却時間が心配で、渋滞必須の中、帰京しました。(返却時間、ギリギリになってしまいました)。

日光東照宮だけでも、ちゃんと見られて良かったなとなぐさめ、餃子も、たまたま通りかかった満天という店で食べられたので、ヨシとすることにします。
(宇都宮餃子は、普通に旨い、というのが特徴?かと思いますので、そういう意味で、満天の餃子は旨かったです。それよりもラーメンの方が価値ありでしたけど)

基本的に、遠出する日を除いて、わが家は起床後、まずは家族でランニングをしていました。都立公園の前に住んでいる土地の利を活かしたような生活スタイルにして間もないのですが、まぁ、走った後、息子とサッカーをやって、シャワーを浴びて、朝ご飯を食べるというのをやってます。

そして、午後からのんびり、大井町まで劇団四季の「ライオンキング」を鑑賞したり、電車で郊外にいってアウトレットモールで夏物を買い足したりして、昨日は、千葉にある東京ドイツ村に行きました。

こどもの日は、こどのもためのことを。息子には、あの広大な芝生の丘がパラダイスで、汗だくになって走り回っていました。暑過ぎず、寒くもないこの時期の恩恵を受ける、最高のこども日の過ごし方だったと思います。

ただ、恐怖のアクアライン。行きも帰りもしっかりと渋滞して、普通に行く倍の時間を要しましたが。帰りは、アクアラインの渋滞を抜けてから、レインボーブリッジを渡り、芝公園の絶景夜景を堪能出来ました。

東京タワーを中心に、ビルとビルが見事な光のハーモニーを成し、あの夜景は、本当に見事でした。それまでの渋滞で頑張って起きていた息子は、残念ながら、その見事な夜景の頃には寝てましたが笑。

10日も休みがあれば持て余す、といった人も多い中?幸い、わが家は「足りない!」と思える連休を過ごすことが出来ました。

海外にガツンと行った方が、もしかしたら安上がりになったかも知れませんが(それはないか)、これだけバラエティー豊かな休日の過ごし方が出来たコトに感謝しつつ。

連休最後の今日、息子は早速普段通りの習いごとに出かけました。本当に頭が下がる思いです笑

兎にも角にも、沖縄旅行をしたり、知床や九州一周なんて、往々にしてゴールデンウィークは東京以外で過ごすことが多かったわが家も、東京に居ながらにして過ごしたこの連休は、いやはや、しっかり楽しかったな、という感想です。

そして、今年のGWは、年末年始感が本当に強かったです。基本的に、食っちゃ寝、食っちゃ寝していたので、身体のむちむちする感じも、年末年始みたいです。

さぁ、連休も終わって、令和になって、ここでバシッと気持を切り替えて、平成と同じく平和で楽しく、これまで以上に躊躇わず・面倒がらず、色んなところに出かけて、色んなものに触れるぞ、とぽっこりお腹をさすりながら思っています。



■2019年4月29日
「これからの話をしよう」

ここ一か月で、いったいどのぐらい書いて、言って、思ったり、つぶやいたりしただろう、この言葉を、ここにも書きます。“これが平成最後”の更新となりました。

2003年にこのホームページを立ち上げてから16年、ずっと平成の時代に記してきました。2003年は平成(ここで調べないとパッと出てきませんが)15年。平成の30年間とよく言われますが、考えてみると、平成の半分にあたるんですね。

長いといえば長く、短いとも言えて、楽しかったか、良かったかというのも半々の感想をもったまま令和です。いよいよ始まります。

大型10連休中に変わる元号が、これほどまでに(世間の多くが)注目するのは、どこか=(イコール)時代、みたいなニュアンスがあるからでしょうか。

平成の時代を終えて、令和という時代へ。
さぁ、これからの話をしようと思います。

去年から、日経新聞の電子版(紙面ビューアーアプリ)で、私は「AI」というワードを登録し、その記事がオレンジ枠で囲まれる仕様にしています。日々、思うのは、まぁオレンジ枠記事の多いこと。どこもかしこもAIで、それらはどれも未来の話です。

が、ちょっと待てよ、と。未来(と言っていた先)にそろそろ到着しかけているのではないか、と思ったりします。人手不足解消、単純労働の正確性、コスト削減。そんな問題の解決策としてAIに目も向ける動きもあれば、どこか、AIならでは、みたいなモノに期待する向きもあり。

人の代わりから、人にはできないことをAIに。それは、ある意味の棲み分けで、(人にとって)恐怖にはならないかもしれないし、いやいやSF的なことを想像すると、AIがAIのために存在して、人はAIの代わりになるんじゃないか、とまで、まぁ、いろいろとストーリーが浮かぶわけです。

こんな時代が来る、これからはこうなる。だから、このままじゃなくて、こうしよう。そんなあやふやなスローガンがあふれ、「じゃ、いったい、こんな時代の、こんな、ってどんな?」と突き詰めれば、よくわからず漠然としているわけです。

未来のことなんて、もちろん、漠然としています。それをできるだけ先読みして、取り残されないように先手、先手を打っていかなければ生き残れない。エイエイオー!みたいな、朝礼や月初ミーティングでの掛け声(のような話)に辟易としている人も多いのではないかと思います。

その掛け声も、伝言ゲームよろしく、言い始めた人から数十人を挟んで自分まで届くものだから、根源的な意図が違っていたり、コトバだけを左から右へ流すうちに、「え?なんておっしゃりたいのですか?」的状態になっています。

みんな集まって、大量の業務を効率的にこなして、大量の儲けを出して少しずつ分け合う今。それを変えることはできません、きっと、ここ数年では。でも、です。個々が個々に臨機応変に結びついて、(例えば大きな)結果を出した時に、分配されるのは、個々の貢献分(はっきりとした)になります。

なんだかよくわからないうちに割り振られて、多い・少ないの差をつけられて受け取るのとは話が違ってきます。それを可能にしつつあるのが、ネットワークです。もっと言えば第五世代に入る通信です。

これまでのように、集まりの中で頭角を現すために日々の犠牲を努力と呼ぶこともなく、ひらめきで立ち上げて、それがたまたま合致して儲けを出して、そしたら人を集めて、いつしか(これまでと同じような)集まりとなったGAFAになることもない時代です。

あくまでも丁寧に、自分は自分という個であり、一人じゃできないことの結びつきを通信やネットワークが可能にする。その便利機能としてのシェアオフィス、近所の働くスペースということになるかもしれません。

私は、これをする。私には、これができる。だから、それと結び付けてあれをする、と思った時の「それ」とのリンク。この繋がるイメージが、今は「たまたま・ラッキー」という印象なので、面倒くさいと思いがちですが、仮にですよ。この結びつきが、「ぷよぷよ」(というゲームがありました)みたいに簡単にくっつき出すとどうでしょう。

そして、ぷよぷよ的にくっついた人たちと、テトリスのパーツの「形」を作って、うまくはまるところに入っていく。そして、また、大きな形を作る。そして、です。ある結果・成果を出せば、(隙間なく埋まればお疲れ!といって崩れる)テトリスのように、またバラバラの個に戻る。

この繰り返しに、不安定というのを感じなくもないのですが、それはきっと、今の安定神話(実際は、どんな働き方をしていても安定はないのに)に基づいているからなんでしょうね。

学校や会社、地域社会で、集まり(塊)があり、そこにいることこそが安定(だから安心)、と考えてしまう妙な癖。

所属意識というのは確実にあります。一人きりじゃなくて、自分の「居場所」(確固たるもの)が欲しい。その土台の上に成り立つ「個」でありたい、と。居場所が家庭であるなら、それほど都合のいいことはありません。生計を共にして、寝食も共にする人たちが、自分の居場所というのは一石二鳥です。

だから、家庭のために! ここ(家庭)がとても大切。そう、家庭、家庭、家庭、とグーッと考えてしまうと、パンッと弾けてしまいそうな危険性もあるのに、どうしてもそうなってしまうのも、妙な癖ですよね。

そもそも、「これから」の話をする上で、だから家庭の結びつきを強くしよう、というより、家庭という居場所そのものにこだわらない生き方をしよう、という声の方が大きくなりそうな気もして。

夫婦で生計は別、寝食も、絶対に一緒でなくてはならいというのでもなく、家庭の構成員ですら、「個」だという考え方にたって、ゆるく、かるく結びつくことを好む傾向もあったりして。まさに、それが、これからの話だとすると・・・

元素ぐらいの意味で個を目指しているうちに、原子みたいな話にすり替わるのが、なんとも歯がゆいですが、とにかく、個は個として、居場所を持つというこれからは・・・

孤立とか、独立とか、好き勝手とか自分勝手といった、個に紐付く「側面」とどう折り合いをつけて、正の形にしていくかを模索することになるんでしょうね。

個(元素か原子)を模索しつつ、取り巻く環境の変化も気になります。教科書がなくなって持ち歩かなくなり、ランドセルがなくなるかもしれないし、広告チラシも、実は新聞より早くなくなるかもしれません。

手間を代理でやってくれていた○○代理店という業界は、「わざわざ」感がぐっと減って誰でも簡単にアクセスできるようになると、淘汰されるともいえます。

その変化の代わりになるのが、人ではなくモノなので、個がどうのこうのの前の話、という気もしますが、「これまで」と極端に変わる「これから」があるとすれば、散らばった点を線にして、それを面にするという手法かもしれません。

何でもかんでも分業して効率化し、大量生産で安く提供してきた結果、それが当たり前になるから「値段が高すぎる」と、分業せずに、一人でいちから造り上げたものに対して、思ってしまいます。

だけど、です。第五世代の通信環境は、これまでの範囲を超えて、ぐーっと広い範囲までマーケットとすることを可能にします。これまでのマーケットでは、そんな風に一人で作り上げているとどうにもならなかったものでも、範囲が広がれば、需要も広がっていくかもしれません。

試されるのは、値段ではないということです。きっと、これは確実です。「それ」に対して払う価値が値段と合致しているか。四、五年前から、安いか高いかの二極化で、中間価格帯のモノが売れないという現象が起こっています。

イケアでいいものと、カッシーナで買いたいものの間で無印良品は苦戦とも聞くし、100円マックとシェイクシャックの間でモスバーガーも苦戦しているらしいです。

どんどん出店して、顧客との接点を増やそうという動きがなくなるのと同様、これぐらいの利益を見込んで、これぐらいで売るしかないな、という売り手主導で無コンセプトは、致命傷になりそうです。

まぁ、話があっちいったり、こっちいったりして、過去現在未来の時間軸もぶれぶれになりながら、結果、全部がよくわからない「あやふや感」だけを残します。これからの話をする時、もしかすると、唯一確実なことは、このあやふや感だけかもしれません。

私のこれからを話すとすると、そんなあやふやなことの、すべてに、残さず、妻と息子と一緒に、寄り添っていきたい。それだけです。



■2019年4月20日
「待ってろよ、ニューヨーク」

ちょっと木陰へ逃げたくなるような日差しになってきて、その木の陰で、見上げた葉裏色が、とてもきれいな(輝いているような)季節の到来(を予感させます)ですね。

個人的には、一番、好きな季節になりつつあります。

今週は、衝撃的な映像が飛び込んできました。日本人にとって、パリを象徴するモノ(例えば、パリを表現するときにピクトとして記すもの)は、エッフェル塔や凱旋門かもしれませんが、実際にパリに居て、観光しているとノートルダム大聖堂の存在は大きいです。

セーヌ川の中州、シテ島にデンと構えるのは、大きな塔を対称に構えた門?と、奥に見える尖塔です。ルーブル美術館に行くにも、ムーランルージュを見るにも、ショッピングへ行くにも、とにかく、中心に向かう移動中に目にすることが多い建物です。

そして、パリの方々にとって、それはモノ(建物)としてゴシック建築の美、世界文化遺産というだけではなく、精神的支柱、カトリック教会の大聖堂にして、フランス革命から続く「精神」の場でもありますからね。

空白の23分(最初の警報から2回目の警報)を挟んで、燃え盛る大聖堂を(ただ見守るしかなく)眺めながら、祈り、讃美歌をささげ願った気持ちが分かります。原因の追及と同時に、早々と再建の意気込みが大統領から発表され、それを受けて世界中から1000億円を超える寄付がすぐに集まったのも、納得です。

それだけ、衝撃がありました。ロンドンもEU離脱か残留かの宙ぶらりんで、パリでのデモ、そして、このニュース。夏を前にして、世界中から観光客が訪れて華やかな雰囲気に包まれるだろう欧州の、二大都市でなんとも不穏です。

が、今年、日本人とっては10連休のゴールデンウィークです。去年から今年の年明けをピークに予約が集中して、なかなか取れないという状況を受け、(その勢いのまま?)夏の予約ラッシュもある、と聞きます。

そりゃ大変、ということで、私も夏の旅計画を本格化させて、骨格部分だけ予約をしました。まずは、航空券、そしてホテル。それらのセット割で簡単に旅の期間を決めました。

続いて、ビザ。電子ビザが必要なので、それを申請して、いろんな情報を見つつ、え?ここってそんなに予約困難なの?というスポットは、早速予約。いやはや、英語でば〜っと諸条件(コンディション)が書かれていると、なかなか「うっ」となりますが、根本的に好きなんでしょうね。さくさくとPC画面上で予約を進めました。

で、わが家に溢れるガイドブックや特集記事の雑誌をひっくり返しながら、どれもこれも8年前だったり、5年前だったり。東京でもこれだけ変わるんだから、8年前のものは使えるのか?ということで、最新版のチェックのために本屋へ行きました。

水曜日の午前。代官山は蔦谷書店。ラッシュ時間を終えて、会社が始まると、みんなオフィスの中にいるので、まるで、授業が始まった学校の廊下のような静けさがあって、とても気持ちいい天候の下、気分が落ち着きました。

もちろん、代官山という土地柄の落ち着きはあります。が、それだけではない、水曜の午前の、あの感じ。スターバックスでトールサイズのカフェモカを買って、テラス席でのんびりと。最新の旅先情報を見たりしつつ、ああでもない、こうでもない、と。妻と。

結論から言うと、これまでのガイドブックは、さほどの目新しさはなく、買い替えるまではなかったですが、まったく新しい切り口でまとめたモノがいくつかあって。便利手帳的に、文字だけで紹介しつつ、リンク先を羅列したもの。話題スポットを裏ワザとランキング形式で紹介し、そのスポットは簡単にグーグルマップにリンクできるものなど。

そういうのを買い足して、もう、気分は上々。この感じ、この感じ!盛り上がってきました。

子供を連れての家族旅も、海外は今回で5度目。これまでの記憶は、無いかとても薄い息子も、小学2年生になって、もういろんなことが分かってきてます。その分、行きたいところもはっきりしています。外国で使うお金は、日本の円とどういう関係なのか、なんかも疑問として持ち始めています。

そんな息子には、ちょうどいい、刺激的な旅先だと思います。待ってろよ、ニューヨーク。楽しませてください!

さて、来週からはいよいよゴールデンウィークです。

平成から令和になる大型連休は、東京にいて、しっかりとその瞬間を迎えようと思います。京王線の京王ライナーでは、平成の深夜に新宿を出て、車内で令和を迎えて、初めて日の出を高尾山で!という広告もありました。

下二桁の数字だけでシステムを管理していたので、99というのは1999年のこと、で、2000年を意味する00を入れると1900年になってとんでもないシステム誤作動が出る。そんな風に言われたY2K(2000年問題)も今では懐かしいですが、まさか、平成から令和にかわることで、何にも、ありませんよね?

九州の公共インフラで、請求書か何かに平成31年のところ、令和31年になっていた、なんてニュースがありましたが、それぐらいならいいのに、と誰も何も言わず、当然大丈夫、という雰囲気であればあるほど、心配になったりします。

と、あ、そうか。考えてみれば、私自身、昭和の時代に海外へ旅に出たことはなく、平成に入ってからだったので、平成以外で、海外に出るのは夏のニューヨークが初めてになります。令和発の海外旅行。うん、いい旅先です。

ちなみに、令和になって、東京から出るのは、日光が初めてになります。GWの中盤、レンタカーで日光へドライブする予定です。日光東照宮を見て、あとは、何をしようかな。

息子がマティスの絵を見たいというので、宇都宮の美術館に立ち寄ったり、あとは餃子を食べたいな、とか、いろいろ。距離感が分からず、そもそも渋滞は大丈夫か?なんてことも気になりますが、ま、とにかく楽しみです。

先週から家族でランニングがなかなかできないので、どうも身体が重いと感じつつ、これを記しながら、明日は、久々に早起きして、思い切り体を動かしたい。なんてことを思うようになりました(笑)。

何かで読んだか、聞いたかしたのですが、精神は、身体の動きが先行で左右されるというようなことがあるようです。落ち着け、落ち着けと(精神が先行して)思っても、身体はなかなか落ち着かず。

ではなく、先に身体の(お腹の前で両くすり指を合わせてゆっくり揺らす)動きを起こすと、精神がついてくる(落ち着く)らしいです。

だから、明日は、先に身体をラン。そして、気持ちの重さ・だるさを追っ払いたいと思います。



■2019年4月13日
「今、あえての、新紙幣ですか」

5年後の2024年、紙幣(お札)が刷新されるというニュースが駆け巡りましたね。いきなりのニュースに思えましたが、これって前触れみたいなものがあったのでしょうか。

日本銀行が発行するものの中で、2000円札以外の3種が新しくなるそうです。聖徳太子から福沢諭吉になって今年で35年、紙幣が変わる5年後には40年になる「諭吉」離れに、まだピンときませんが、世界中探しても、これだけの重厚感をもった色合い、そして、なんとも〈デン〉と構える諭吉の肖像は、しっくりきていたのですが、、、

新たに渋沢栄一に変わるそうです。過去にも1000円札の肖像で伊藤博文に負けた(髭がないから偽札が作りやすいという理由だったと朝日新聞では書いてました)過去を持つ渋沢栄一。ずっと昔、韓国で流通していた紙幣に肖像画として使われていたらしいです。

約500の企業設立にかかわった人物で、現みずほ銀行や東京証券取引所なんかの名前も出てきますからね。確かに、お札にはもってこいの人物なんでしょうね。に、しても、知らない笑。

慣れの問題もあるんでしょうけど、新紙幣のデザインは「軽い」気もします。壱万円という漢字ではなく10000という数字が大きいことも関係しているかもしれませんが、色味もライトなトーンに変わったように見えます。

5000円札は引き続き女性から選んだのか津田梅子、1000円札は伊藤博文から夏目漱石になって、ほぼ同じ色目で野口英世の次、北里柴三郎と、予防医学の人が続くことになるようです。

これらの紙幣よりも先に、2年後には500円硬化も2色使い(素材違い)になって刷新されると言います。偽物が多いという理由で、500円玉は銀色からちょっと金色っぽくなって、今度は、その2色の掛け合わせ。どんどん高度になる本物を、しっかり見分けるセンサーもまた、高度化して高価になるんでしょうかね。

が、ですよ。

今や、世界はキャッシュレスまっしぐらです。GDP比で現金の流通量は、南アフリカやスウェーデンでは5%以下、アメリカ、韓国、インドでも10%以下です(日本経済新聞より、16年時点)。

それに対して現金流通量が20%もあるキャッシュ依存の強い日本、とはいえ、東京での生活では、ほぼ電子マネーでやっていけるようになったという感覚が強いです。

このキャッシュレスの動きがどんどん加速して、訪日外国人観光客も含め、多くの人が気軽に「ぴっ」で決算できる社会をつくろう!という最中に、なぜ?紙幣刷新?という疑問はぬぐえません。

(発表した)麻生さんと、(総理大臣の安倍さん)と、また誰ぞやの忖度ですか?みたいな、変なことを勘ぐりつつ、個人的には財布とバイバイして、運転免許証も健康保険証もいろんなID関連、キャッシュカードにクレジットカード関連、果てはパスポートも、み〜んな電子化になってくれないかな、と思っています。

海外に行って、外貨の両替って「昔」はやってたな〜、なんて日が来るのかな。今、スポーツ観戦や演劇、コンサートチケットはQRコードで、紙を持つことも減っています。同じく、エアーチケットもそうです。まず、この【チケット】と呼ばれるものが電子化されてペーパーレスになっています。

その次には、本や雑誌や教科書に至るまで、どんどん紙から離れてデータ化されると、IDの類も、想像するよりずっとはやく電子化されるような気もします。で、ですよ。その中の紙幣。これって、本当に、ね。どうなんでしょうか。

紙幣を新しくするために使われるお金(税金含む)。例えば、印刷機の改修やインクの買い直し、そして新紙幣のための街の店なんかの各種インフラ投資。自動販売機もATMも、なんだかんだ作り替えが必要ですよね。

そのお金をぜんぶ、キャッシュレス社会のためのインフラにつぎ込めばいいのに、と思います。

が、ここで、ふと。もしかすると、世の中の流れは、新紙幣に対応するインフラを作らずに、同じ投資なら、その分の資金でキャッシュレス対応にしよう!という動きになるのでは?とも思います。

現金のやり取りが面倒かつ危険な屋台では、ほぼキャッシュレス決済というタイの話を思い出すと、もはや自動販売機やタクシー車内、宝くじ売り場の小屋の中なんかに「現金」があるのは、非常にリスキーですよね。

向こう5年間で、さて、世の中は「新紙幣」のために動くのか、「無紙幣」のために動くのか。とても興味深いです。

財布から小銭を数えて、レジの前であたふたすることもなくなり、出前を注文して「〇〇〇円です」と言われおつりのないように用意しておく必要もない世の中って、便利以外に何があるんですかね。何を躊躇するのかな、と。

「だって、データが消えたらどうするの」
「停電で使えなかったらどうするの」などなど、
それは【現金】という物を持っているから得られる安心感とは違うような気もして。違うというより、現金を持っていてもありうるリスクですよね。

「スマホ、落としたらオワリでしょ」なんてことを聞くと、イコール財布ね、と。

ま、紙がゼロにはならないということは分かります。が、紙では出来ないものをデータで、そして紙の方が慣れているからというだけの理由のものは時間の経過が、データにしますよね。

個人的には、長らく、紙を扱う仕事をしている身として、ここにきて、あれ?もしや、おれ、紙アレルギーかも、なんてことも思ってきてます。

手のあれかたがひどいです。たぶん、おそらく関係ないですが、ずっと紙に触れていると、かゆくなったり(それは紙が原因ではなく、紙に書かれていること、が、かもしれませんが)。

今はまだ、紙の代わりを「紙と同じデザイン、構図」でデータ化しようとしている段階から脱しきれてません、なので新聞も雑誌もまだまだ紙派が強いですが、コンテンツをデータ最適にしてデザインし、示されると、一気に変わりそうです。
※一気に、とは、レコードがCDになり、ワープロがPCになり、携帯電話がスマホになったぐらいの期間で。

水面下で、ぐつぐつとその日(ペーパーレス)を待ちつつ、芽を出すタイミングをうかがっている状態の今、もう一度、記しますが「紙幣刷新」ですか。



■2019年4月6日
「令和」

“め”いわ、とか、れい“な”と、ついつい音に流されて言ってしまうような新元号「令和(れいわ)」が発表されましたね。平成の次の時代が来る、という雰囲気が非常に高く、発表後、概ね好感触な元号名に、思わず、わくわくします。

この最初の言い間違いは、ユニバーサル・スタジオ・ジャパン(USJ)ができた時に、ついついUFJと間違えて、今でも間違えますからね、ここで、きっちり、れ・い・わ、で頭の中にインプットしたいと思います。

まぁ、漢字を思い浮かべればいいんですよね。命令の「令」に、和室の「和」。と、ここでどうも、命令の令というのに引っかかりがあるのですが、「令月(何事をするにもよい月。めでたい月。という意味らしいです)」からとったと聞けば、それはとても美しく。

で、この「令」の字。2種類あると話題になってます。書体の違いで、印刷文字と手書き文字の違いとも言われてますが、最初の発表で菅官房長官が掲げた書が「令和」でしたからね。書きなれている下の部分が「マ」とは違って。だから、余計に、でしょうかね。

個人的には、私の苗字にもこの「令」を使う関係で、妻は郵便局で「鈴木」の「鈴」の右下の部分、「マ」ではなくてもいいですか?と聞かれたそうです。(私は40年以上、一度もそんなこと聞かれたことも、もはや意識したこともなかったのですが)。

よく、高橋さんなどで、高の字が「口」にするか、はしごにするかなんてことがありますが、まさか、鈴木にも種類があったとは。そんな発見もあった、令和の発表でした。

平成最後。そして令和の到来。この1か月間という「準備期間」は歴史上初ということで、これだけ連日報道されると「あれ?もう令和なんだっけ?」と勘違いしてしまいます。

平成の時は、元号の候補が3つだったのですが、今回は6つ。絞りこまれて、4月1日当日、有識者懇談会で提示されたのは、封筒に入って縦書きで、印字で、あいうえお順で、並んでいたそうです。

「英弘」、「久化」、「広至」、「万和」、「万保」、「令和」。漢書と国書を出典とする3つずつが並び、この中から国書出典の3つが人気を寄せていたと言います。

作家やノーベル賞受賞者など多岐に渡る有識者の方からの意見を受けて、最後には「令和」になったといいます。発表は11時半から、ということで中継が始まり、なかなか始まらず、じらされ、この段階で、国民の注目度は非常に高かったですよね。

新宿のアルタ前にも多くの人が駆けつけていたらしく、発表のまさにその時、手話のワイプが、高く掲げられた額縁とかぶってしまうということも大きく報道されました。

菅官房長官の発表の後、記者会見場の背景カーテンは、紺から深紅に変えられ、そこで安倍総理はこの元号に込めた意味として、「人々が美しく心を寄せ合う中で、文化が生まれ育つという意味」と説明しました。これは非常に美しいなと思いました。

さらに、出典元の『万葉集』、その中から「初春の令月にして 気淑く風和ぎ 梅は鏡前の粉を披き 蘭は珮後の香を薫らす」という一節から取られたという説明は、とても薫り高き、日本の和の文化を想像されると、個人的にも好印象でした。

春とか秋の情景からではなく、2月の、春を待ち、もうすぐそこまで春が来ていという(わくわくした)情景が見られて、本当に気持ちがいいです。新しい時代に向けた「スローガン」としても、賛成したいところです。

平和になってほしい、国際社会に向けて日本のあるべき姿はこうだ、という、どこか堅い(ありていな)ものではなく、和歌の世界の、それも1300年前の大伴旅人の序文が説明される流れが、優雅であり、どこか皇室であり、うん、やっぱりいいな、と。

高校野球の世界では、平成になって初めてのセンバツ大会を制した愛知の東邦高校が、その時以来となる、平成最後の今回センバツ大会で決勝まで進み、見事優勝しました。こういう巡り合わせって、あるんだな、と思ったりもします。

さて、4月です。

新しい学年、新しい学校、新しい会社と環境も一新して、気分が新鮮な方も多いかと思います。張りつめたまま4月を過ごすと、今回のGWは10連休ですからね。ここで、しゅるしゅると萎んでしまう五月病になってしまう可能性もあるので、テイキットイージー。気楽に行きましょうね。

それにしても、満開を迎えた桜の中で、風の冷たい日が続きます。雪が降ったなんて地方もあるようで、凍える四月の、きれいな桜という組み合わせが、花見も凍えながらポット持ち込みでホットコーヒーを飲む、といったところでしょうか。

私の家の周りには桜が多く、時期をずらして、満開になっては葉桜になるので、ぼんやり歩きながら、あ〜あ、と(もっとぽかぽかなら気持ちいいのになと)ため息が出たりするのですが、それもこの週末を挟んで、入学式シーズンになれば、華やかになるんでしょうね。

去年は金曜だった小学校の入学式も、今年は週が明けた月曜日ですか。入学式は小学生ながらに緊張するらしく、土日を挟んだ去年とちがって、今年は一気に小学生生活が始まりますね。

今年の新入生は、平成最後の、ということになるんでしょうか?年度で考えるので、もう令和最初の新入生ということになるんでしょうか?どちらにしても楽しい一年になることを願っています。

1月1日に新春の浮き上がりがあって、4月1日には新しい時代への扉が開き新年度の始まり。ドキドキしながら、5月1日には新時代の幕開けには、気持ちはぐ〜っと盛り上がっているのでしょうか。今年は、節目みたいなモノが多い年です。

さぁ、この一か月、平成最後の〇〇をいくつ出来て、やり残しのないようにしたいなとも思い、令和初の〇〇とうまくつながっていくことを願いながら。そして、その先もずっと、と希望するばかりです。

突如、4月1日の夜に帰宅すると、息子はiPadに「令和」と見よう見まねで漢字で書き、「新しい元号は・・・」と一拍置いて、「れいわであります」と言いながら掲げました。私は今、その、動画をにやにやしながら見ています。



■2019年3月30日
「金メダル以上」

なんだか寒の戻りで寒い日が続いた今週。週が明けたら4月ですよ。そして、いよいよ、平成の次の時代、新元号が4月1日の11時半に発表になります。

はやいもんですよね。まだ小学生だった私が、昭和の終わりもよく分からないまま、「平成」とかかれた額縁を掲げたおじさんがいて、なんか、平成って言いにくい、と思ってから・・・

30年が過ぎて、しっかり根付いて、その次。また、例えば額縁に「安久」と掲げられても、違和感はあるんでしょうね(ちなみに、この安久はないらしいです。民間の予想ランキングが1位なので)。

考えてみれば明治・大正・昭和・平成ときた時代の、その前、つまり明治の前って、江戸?というのが教科書的な時系列で、明治の前の元号ってなんだっけ?と思ってしまいます。(慶応、らしいです)

大化の改新で有名な「大化」から始まった元号は、歴史的事件にからんで有名なモノ以外、なかなかパッと思い浮かびませんよね。天平とか応仁とか天保とか。いろんな元号があったんですね。

いやはや、やっぱり楽しみです。出産予定日が4月29日の知り合い夫婦は、なんだか、複雑なようで、できるだけ遅く生まれて来て、新しい元号になって欲しい気もするし、平成最後というのに期待したりもするようです。

昭和64年生まれの後輩が、「平成」生まれになりたかったですよ、と言っていたのが、上手く言えませんがしっくり来るようにも思えます。

元号=時代となった明治以降、新しい時代になる、という雰囲気は、確かにありますよね。平成最後の甲子園大会、平成最後の○○。やたらそんなことを聞くのも、時代というイメージが強いからでしょうか。

新しい時代と言えば東京2020。オリンピック・パラリンピックが、いよいよ迫ってきました。この夏を過ぎれば、もっと加熱するのでしょうが、東京のあちこちでオリンピック関連のイベントが行われています。

今日、東京証券取引所で行われたLet's 55というイベントに行ってきました。証券取引所といえば、1999年、当時、ニューヨークに滞在していた私は、たまたま出会った日本からの旅行者と一緒になって、そのうちの1人が商社マンに内定しているという理由でニューヨーク証券取引所の見学にいったのを思い出します。

株の売り買いの現場。その白熱したやりとりに、経済ってここで動いているんだ、と不思議になった記憶。そんな記憶と共に、年末恒例のあの「鐘」を東京証券取引所で見て、またはてな、と。

オリンピック・パラリンピックの競技を体験するイベントなら、神宮とか、六本木とか、スカイツリー前の広場とか、そういうところでやればいいのに、なぜ、あえて茅場町という「休日にはいかない」場所でやるんだろう、と。

まぁ、すべての体験ブースには企業名が入っていたので、まぁ、そういう企業発信の姿勢が出たかな?とも思えたり。ただ、このイベントは正直素晴らしかったです。

入場料が無料な上、いろんな体験をしてスタンプを集めたら、meijiからアイスクリームとお菓子がもらえるというお得感。それ以前に、オリンピアとパラリンピアの、本物のすごさを感じられる迫力というのに感嘆します。

車いすのバスケット、車いすのマラソン、そして、自転車競技はロードレースにBMXも体験できて、息子は、興奮しっぱなしでした。特に、サッカーをやっている彼は、ブラインドサッカーの体験が楽しかったらしく、鈴の音がするボールと、ゴール裏の人の「声」を頼りにボールを蹴る体験は、なかなか出来ませんからね。

その状況で、あのパフォーマンスをするのか、というのを目の当たりにすると、パラリンピックのイメージが180度変わります。

ここで、日本経済新聞主催のパラアスリートのトークショーがあって、成田緑夢(スノボの金メダリスト)とパラ競技の卓球選手・岩淵幸洋さんが壇上に上がっていました。

冒頭、MCの記者の方が「パラリンピアの人の力」について。自分の障がいを乗り切るには二つの要素がある、ということを紹介していました。

1.道具の工夫(進歩)
2.障がいのある箇所以外の鍛え方

だそうです。世界のトップで戦う人にとって、自分の障がいがどうのこうの、というのはとっくに乗り越えてきたモノ。その弱点を、お互いがいかについて、例えば上肢障がいで腕が伸びない選手には、そのちょうど届かないところを狙う。けど、相手も、それは分かっているので下肢のフットワークで打ち返してくる。

そんな話の一つひとつが、本当に面白かったです。冬のパラリンピックで金メダルをとった成田緑夢さんは、無造作にポケットから金メダルを出して、よかったら触ってくださいと言ってくれ。

子供達が前に出て、金メダルを触り、その後、どうぞ、どうぞと客席の大人にも回してくれました。本物の金メダルを、私は始めて触り、テレビでよくみる反応、『重いですね』というのを実感しました。

あれだけキラキラ光って、重い金メダルを手にするために、どれだけの犠牲と努力と周りの強力と挫折と克服を続けたのかを思うと、本当に敬服するしかありません。

夏のオリンピック、東京大会の出場を目指して、成田緑夢さんはスパッとスノボを止め、今は走り高跳びに挑戦しているようです。

左の足首が曲がらない彼は、助走時のカーブ、そして踏み切る時の力の「逃げ」に四苦八苦しているようで、どうにか「自分の体にあった最適な方法」を模作しているとのことでした。

しっかりと自分の体を理解し、それを個性ととられて「強み」に変えるための果てしない努力。サッカーのスーパースター、ロナウドの言葉がふと浮かびました。

強く信じること(自分を)。自分はできるんだという気持を持ち続けてそのための努力をすること。白黒はっきりつく世界で高パフォーマンスを続ける人の言葉は、いつも説得力があります。

卓球のパラリンピアを目指す岩淵さんは、現在世界ランキング6位。彼は東京大会に向けた目標を「金メダル以上」と掲げていました。成田さんも言っていた「パラリンピックはレベルが低い」というイメージからの脱却。できるだけ興味を持ってもらって、その分、環境(お金)が整った中で練習に打ち込める時代。

金メダルをとってから、次の展開に目標を置くあたり、どうも背負っているモノが違うなとも思えます。トリノの冬の五輪で金メダルをとった荒川静香さんが、(震災のあった)東北ではリンクが経営難で取り壊されそうだという現状を訴えました。

そこで練習をし、拠点を失いかけた羽生結弦選手が、その言葉に救われたというのは有名な話です。スポーツは環境だと言います。その環境を作る資金がいる、と。その資金源は、広告効果のある人気で、その人気に企業が協賛する。

この流れは、確かにオカシイかもしれませんが、それが資本主義の原理なのであれば、それに文句をいってばかりいるのではなく、人気、注目度をあげないといけない。

金メダルが目標といえる競技者の、もっと前にいる?ともいえば「金メダル以上」を背負う選手達。そんな彼らに、私は注目していきたいし、見ていきたいし、そして、もちろん、感動させてもらいたい。

なんだか、春になってゆくにつれて、身体がうずいて、ランニングを始めて、なのに、今日は昨日のお酒を引きずってサボってしまって、それがなんとも気持ち悪い状態で。

自分には出来ないパフォーマンスがあり。それをちょっとかじると、そのすごさも実感に変わり。そして、金メダル以上を背負う人達に目を向けて、興味を持っていく。

最近よく持続可能な、と言う言葉を聞きますが、そんな興味や注目が間違いなく、持続可能なものにすると思うので、これからもどんどんイベントには参加して、そして興味を持ち続けたいな、と思った3月の終わりでした。



■2019年3月23日
「開拓者たち」

絶妙な速さと角度で打ち分け、ヒットを量産するのが、時に華麗で、往々にして「らしさ」だったイチロー選手。にしては、という意味ですが、あれ?と首を傾げてしまうような打席が(オープン戦から)続いていたのは確かです。

よく、日米で(活躍する)、と言われますが、そういうときには大概、アメリカでちょっと活躍して、ほとんどは日本での活躍、というのが多いです。が、イチローの場合は、逆ですからね。完全に「アメリカ」という地において、レジェンドにまで上り詰めた選手です。

その選手の現役引退とあって、日本で流れた速報を引用する形で、アメリカ中にも広がったようです。西海岸のシアトル(マリナーズ)、東海岸の大都会ニューヨーク(ヤンキース)、そして南のマイアミ(マーリンズ)まで。

日本でも、出身地の愛知県や、がんばろうKOBEを合い言葉に阪神大震災の復興を巻き起こした神戸でも、イチロー引退の速報を受けて、街頭インタビューが放送されていました。その日引退する当のイチローはというと、東京で、試合をしている、という状態。

なんだか、それがすごく不思議でした。確かに、日本で開幕(7年ぶりに)するという舞台があって、そこにイチローが(メジャー契約をして)ゲームに出るということ自体、どこか決められたセレモニーのようでもあったのですが、それでも、開幕戦という本番も本番のゲームですからね。そんな引退試合というニュアンスだけでもないだろうと思ったりもして。

結局は、キングカズが言うように、メジャーという最高峰の場で「できなくなった」自分を、引退させたということなんでしょうね。今回の帰国には、珍しく奥さんを伴っていたというイチロー、引退はすでに決めていたとのことです。

それにしても、3割が当たり前で、年間200安打以上するのが当然と思わせただけでもすごいのに、それに加えて、ピークを越えて(ヤンキースやマーリンズで)控え選手になってからも、イチローはイチローであり続けましたからね。彼の素晴らしさは、むしろそこにあると言っていた解説者もいました。

イチローは、自分自身を野球の研究者だと言います。そして、周りの多くは、その研究結果を「野球哲学」と称します。

野球に対する姿勢、そして、向き合ってきた27年間(のプロ生活)から学び、感じ、与え・与えられてきた結果なんでしょうね。開幕戦、東京ドームでライトの守備位置につくイチローは、45歳には到底見えない絞られた身体、そして軽やかな姿でした。

日本での実績を引っさげて、フィールドプレーヤーとして初めてのメジャーリーガーになったイチロー。移籍直後は、線が細いだの、小手先の技術だけではメジャー投手の球はヒットに出来ない、だのといろいろと言われていました。

その、いろいろと言われた「(細い)絞られた身体」が、この日のドームのライトの守備位置には(変わらず)あり、否定的だった人の口を完全に封じてきたレジェンドとして立っていました。

アメリカ人の若者が、「なりたい」と憧れるスーパーヒーローになったイチロー。

3月21日、東京ドームを埋め尽くした観客たちと、8回の交代時、4分間も試合を中断して抱き合ったチームメイトの前で引退したイチロー。この光景が、選手生活で間違いなく一番思い出深くなると言いました。

逆に、この日、東京で見せてくれた「変わらない体型」と「変わったバッティング」は、試合後の80分以上にも及ぶ記者会見よりも、もっと多くのモノを私たちに教えてくれたように思います。

ストイックに自分をコントロールし、挑戦し、そして勝ってきた男。その勝ちの倍、負けた(くやしい思いをした)男の引退。とにかく、お疲れ様でした。そして、ありがとうございました。

それをあの日、引退を決めた試合当日の東京ドームで言いたかった。2,000円の立ち見席もいっぱいだったんだろうな、とも思いますが、それなら水道橋駅の近くで、「イチロー、ありがとー」と叫びたかった、とも思います。

投手として2人目だけれど、実質的には始めて活躍した(パイオニア)野茂英雄投手。そして、フィールドプレーヤーとしての開拓者、イチロー選手。2人とも引退しました。

そして、今、新たなパイオニアがメジャーにいます。投手と打者の二刀流。大谷翔平選手は、パイオニアにありがちな(野茂やイチロー)言葉の類とストイックさと頑固さと孤独さを持っているように感じます。

かねてよりイチローは、大谷には一年交替で、投手と打者をすれば、両方共にしっかりとした記録(サイヤング賞やホームラン王)がつくとも言っています。が、まぁ、おそらくは大谷翔平もまた、記録よりも、自分への挑戦に重きを置くので、二刀流で通すんでしょうね。

今日、3月23日は平成最後の甲子園、春の選抜高校野球の開会式でした。センバツらしいどんよりした曇り空のもと、選手宣誓では「ありがとう」や「えがおをさかせる」という言葉がありました。

血反吐に、泥まみれ、根性、根性と兎跳びだった時代の高校野球から、時代は進みました。大会のスケジュールも、負担のないものになってきました。世界の舞台で活躍する選手が増えれば増えるほど、考え方がとてもスマートになり、判断の基準が「大会運営側」から「選手」になったとも思えます。

そういう環境で育って行く、これからの子供達の活躍は、本当に頼もしいな、と、さて、今度は、どんなパイオニアの姿があり、だれに心躍らされるのだろう、と・・・。星稜vs履正社の試合をテレビで見ています。8回表、2-0で星稜がリードしています。このピッチャー、確かにすごいな。

考えてみれば、メジャーへ選手がどんどんと渡る中、日本での最後のプレーは見納めとして見てきました。イチローの時は、ガラガラの大阪ドーム(現京セラドーム)で、バックネット裏から見た覚えがあります。ダルビッシュの時は西武ドームで、松井秀喜の時は、甲子園だった、かな。

と、ここで大谷翔平というプレーヤーを、生で一度も見ていないことが、悔やまれて仕方がないのです。日ハムの時も、どうもタイミング悪く、こうなったらメジャーで見るしかないのですが、なかなか西海岸へ行こうというプランもなく。

来年、もしかして、東京ドームで開幕戦なんて、エンジェルスさん、どうですか?大谷翔平が先発なんてことになったら、いや〜、これは東京五輪イヤーに勢いをつけますよね。

そんな夢を膨らませながら。昨日、わが家はサッカー三昧の息子と、日産スタジアムのサッカー日本代表vsコロンビア戦を見てきました。風が強く、寒さが一気に戻った中で、とても熱い試合。

コロンビアの選手のボールタッチの柔らかさ、そしてスピード、テクニックに、感嘆の声をあげつつ、日本の中島、南野、堂安のレベルの高いプレー(の連携)に興奮し、香川、乾、柴崎のさすが、というプレーに、それらを融合させたらすごいぞ、と期待してわくわくしました。

ほんと、すごい試合を生で見れて、良かったです。こうなったら、サッカーも、野球も、オリンピック(という超真剣勝負)のチケット、絶対に取りたいな、と生の力に完全にやられています。



■2019年3月17日
『東京のパーク化』

ずっと閉鎖されていた場所が、オープンする。それまで遮られていた視界が広がる。あ〜、そうだった。そうそう、こういう感じ。こんなにも花が咲き乱れて、春は気持ちよかったんだ。私の近くの公園に、数年ぶりに、桜と菜の花とコスモスとチューリップの春が来ます。(きっと、早咲き桜なので来週あたりには)

渋谷駅も、ず〜っと工事中なので、これがぱ〜っと開けらたら、この街は気持ちよくなるんでしょうね。思い出すのは、新宿駅の南口、高島屋へつながる施設がオープンした時に、一気に「完成形」になったと感じたことです。

東京2020、オリンピックまで500日を切りました。ひとつの施設がオープンするだけではなく、エリアごと刷新させるということが増えてきそうです。思い切り空気をすいこんで、ぐわっと背伸びして、気持ちいいな、と思える空間が、どんどん広がってくれることを願いつつ。。。

そこにきて花粉ですよ。もう、勘弁してほしいです、という方も多いかと思います。鼻水がたれ、目がかゆく、手や顔の皮膚がかゆくなる。せっかくの春に水を差すというか、雌しべ目指してちゃんと舞えよ!鼻とか目にはいってくんじゃないよ、と花粉たちに言いたくなるような状況です。

清少納言の時代、「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山際、少し明かりて、紫だちたる雲の細くたなびきたる。」様子を、をかしがったように、わが家も、そんな早朝を眺めながら、のんびりと起き上がり、顔を洗い、そしてウエアとシューズを身に着けて、公園へ行く(ようになりました)。

休日の早朝、家族でランニングを始めました。1周が1キロちょっとの公園を、まずは、息子の号令で入念な準備体操をして、のんびり歩きます。腰をぐいぐいひねってみたり、ももを少し高く上げてみたり、肩を回したり、空を見上げたり、家族で、話をしながら。

その後、3周のランニング。まぁ、無理はせずに、それぞれのペースで、ゆっくりと走ります。スマホのアプリの記録によると、たっぷり50分以上、5.5キロほどをまずは歩き、そして走ったようです。終わった後は、すがすがしい、気分です。この気持ちの良さの中毒になりそうです。

家に戻って、シャワーを浴び、朝食を食べる。この歳になって、味噌汁がしみます。これがないと朝食ではない、と思えるようになってきました。

私が少年野球をしていたころ、弁当の時に父母が交代で(冬の間は)味噌汁を大量に用意してくれてました。が、当時は、味噌汁がそんなにおいしいとは思わず・・・。おそらく、コーチや父母のみなさんが、寒い冬の弁当の時に温かいものを、と無理をしてくれていたんでしょうね。

ああ、「そういう感覚」が身に染みるようになりました。案の定、息子は、味噌汁の具だけを食べて、汁を残しています。(そんなに重要視しない味噌汁という)まぁ、気持ちは分かります。

朝、ランニングしてから行動を起こす。休日は、この贅沢な朝活が醍醐味だな、と思います。休日は、何にも邪魔されず、ずっと寝ていたい。そんなことに幸せを感じなくて済む、家族に感謝です。

考えてみると、東京は公園が多いですね。都立公園だけでも82箇所、約2,024haもあるそうです。都はパークマネージメントのマスタープランに沿って、質の高い公園を整備・管理しようとしているそうです。

視界が開けて、ナチュラルハーモニーに彩られる景色は、本当に最高ですからね。このまま進めていってもらいたいものです。

東京の公園と聞いて、パッと思い浮かぶのは、地域によって違うと思います。例えば、上野公園だったり代々木公園だったり。もっと地元密着の(西側に住んでいる人なら)砧公園や世田谷公園は憩いの場として思い浮かぶのではないでしょうか。

そんな中で、明治神宮の森が、大きく変わろうとしているというのを聞き、個人的に楽しみでなりません。荒地だった場を、100年かけて造り上げた人工の森。なんとも東京らしい経緯と、結果を残しているのが、明治神宮の森です。緑と同時に、ここの魅力はなんといっても施設が多いことです。

『パーク』という言葉が持つ「遊び場」があふれているし、スポーツを楽しむ、バーベキューをする、フェスや銀杏や、絵画館まで。休日には小さい子の自転車講習までやっています。

まず、大きな変化は、なんといっても国立競技場です。東京2020のメインスタジアムとして、現代の観客数基準や各設備の基準を満たすために建て替えが行われ、森の中に調和する隈研吾さん設計で新国立競技場が完成間近となっています。

そして、2021年以降、2025年までに現在の神宮球場(野球)がボールパークとして生まれ変わるそうです。現在の秩父宮ラグビー場と場所を入れ替えて整備されることで、賛否様々ですが、高校球児の聖地が甲子園なら、大学野球の聖地として神宮球場は絶対的ですからね。

名古屋ドームよりナゴヤ球場を、もしくは広島市民球場などを「良い」とする懐古的な情を抜けば、今の神宮球場を、もっとボールパーク化することはいいことではないかと思っています。草野球をする人も、プロ野球も、大学野球の選手も、一所に集まれる神宮の森。まだまだ野球人気の高い日本においては、大きく流れを変えることになりそうですね。

ラグビーの聖地は、調布市にある味の素スタジアムに移り?現在本拠地として利用しているFC東京は代々木にできる新スタジアムに移る。首都にサッカー専用スタジアムがないという状況を一新することは、うれしいことです。日本代表戦をする、といったら埼玉にいったりしなくて済みますから。。。

多くのものがデジタル化されて、バーチャルで満足されつつ中、「リアルがち」な、体感できるものの注目度があがっています。音楽業界では、CDを売るという時代を終え、データを250円でダウンロードさせるのも限界を感じた末、今や、ストリーミング。定額で音楽は「耳元」へ届けるようになりました。

そして、どこで儲けるか。これがライブ(コンサート)などの「リアルがち」なパフォーマンスだと言われています。大きな機材を運ぶための搬入口があり、キャパがあり、安全基準を満たした施設が足りないために、興業をうちたくてもなかなかうてない。そんな状況打破のために、チケット売りで成り立っていたぴあが、コンサートホールを横浜に建設するのは有名な話です。

この流れからすると、ライブ感、実感。スポーツの持つ興奮と圧倒的なパフォーマンスを体感する場として、スタジアムや球場は不可欠です。それぞれの競技の、聖地のような「専用施設」ができて、それぞれがしっかりと利益の上げられる持続可能性を持つ。

そのためのパーク化ですよね。

これまでは、試合開始時間にいって、チケットをもぎられて、席について、観戦していたという流れを、大きく変える「丸一日楽しめるパーク化」。アメリカから始まったといわれるこの動きを、サッカーはサッカーで、野球は野球で、バレーボールやテニス、水泳、バトミントン、卓球、柔道、体操、相撲にいたるまで、各々が確立できれば・・・

緑あふれる東京から、「パーク」溢れる東京へと変貌できますよね。

人が住み、憩い、集い、そして「リアルがち」にお金を払う。文化(博物館・美術館・ギャラリー)で溢れ、フード(ミシュランレストラン)で溢れる東京の街に、パークが溢れれば、世界を見渡してもなかなかない魅力的な都市になりそうです。



■2019年3月9日
『おひとりさまがシェア』

自分だけで気軽に、好きなペースで、癒され、(自身と)向き合う。そんな需要の高まりに合わせてか、いろんな商品・サービスが「おひとりさま」化されてますね。

1人で参加することが条件のパッケージ旅行、1人用の鍋料理ができる土鍋、1人用のミニコンロなどバーベキュー・キャンプ用品などなど。

団塊と呼ばれた「かたまり」で動く需要に、大量・同質商品・サービスを、より割安で提供していた時代から、割高でもばら売りになった、というのが、より先鋭化したというイメージでしょうか。

この「おひとりさま」化で、面白いのが年代(層)によって、形態が違うように思えるところです。

まずご年配の方々。生まれてからずっと、カタマリで動くことを強いられ、その中で否応なしに周りに合わせ、空気は読むなんてもんじゃなく掴むもんだ、とばかりに自然に団体の中の個人を身につけた世代です(予想)。

そんな方たちの中には、例えば、子育てが終わって定年したら、夫婦連れだってクルーズ旅行にでも行き、日常に非日常の色を添えようか、なんて考えていたところ、買い物が重要・重要じゃない、遺産めぐりが重要・重要じゃない、など「食い違い」があったりして。

おひとりさま参加限定のツアーの多くは、自分でチケット取ったり宿を手配するのは面倒だけど、かといって、ツアーにのっかって「強いられる時間」を費やしたくもない。そんな参加者が多いと聞きます。

夫婦で行くより、お互い別々で、ショッピングなんかいいから、ゆっくり遺跡を歩いてカメラにおさめたい側と、遺跡なんて歩かずに、おいしいモノを食べて買い物がしたい側が、それぞれの行動に合致した人たちと、パッケージツアーで出会い、意気投合して「楽しく」旅する。

そんな風にしておひとりさま化をシェアしているように思います。

そして、20年、25年前、ひとり旅がやたらと流行って、FITなんて言葉とHISが出てきて、ふらっと航空券だけをとって海外に出向いていた年代。

1人でふらっと旅に出るなんて「若者特有」「若いからできる」と言われ続けてきました。しかし、時代は氷河期。ロストジェネレーションのこの層は、未婚、結婚しても子供を持たない、もしくは、子育てを終えきれていないという人が多いのが現状です。

なので、おひとりさま化と言われても「何をいまさら」と感じるのですが、芸人のひろしさんが1人キャンプに行って、山奥でたき火をしている動画をアップしたら大人気なんてことを考えると・・・

この年代のおひとりさま化は、自分で望んた結果というよりも、そうなってしまったという、ちょっと後ろ向きなところがあるんでしょうか。

そうなってしまった「ひとり」と向き合うためのおひとりさま化。いろいろ考えずに、ぼんやり「ひとりになりたい」という気持ちが濃いかと思います(予想)。

一番苦しいのは、そんなおひとりさまを、シェアできないことです。今はただ、10年、20年先の意気投合した人との楽しい時間のシェアを夢見て頑張っているというところでしょうか。
(そうじゃなく、今現在の家族の時間がパーフェクトという人をたくさん知っていますが)

最後は、ゆとり世代、さとり世代。一人一人別、が当たり前に与えられて育った子どもは、大人になると自分のモノに対する執着が少ないのか?

この世代のおひとりさま化は、もはや特筆するまでもない、という印象です。

兄弟が多く、自分の部屋もないし、ランドセルもおもちゃもお下がり、という団塊ジュニアが親となって、だから自分の子にはそんな思いはさせたくない、と買い与えたのでしょうか。

自分専用のものが欲しい、欲しいと、そもそも思わずして、「存在した」んでしょうね。だからか、自分のものにしたら、なんだか面倒、と考えるようで、「必要な時にだけあればいい」という感覚が濃厚です。

住む部屋はもちろん、食器も、車も、時計も、でかいスーツケースもシェアしている人が多く、果ては、普段着るスーツやかばんまでシェアしていると聞きます。

この層のおひとりさまは、あくまでも執着心のベクトルが「物」ではないように思います。自分の端末で、バーチャルの世界に没頭して、自分のコントロール下のものだけを相手にしているように思えます(予想)。

そもそも、おひとりさまの先に、だれかとの時間や会話や楽しさをシェアしようとすることが、バーチャルにも思えます。

ここまで、かなり飛躍的に、ただただ「目立ってしめされている事象」だけを抜き出して書いてみると、うん、なるほど、私は、どこにも「完全には」属さないな、と思えます。

世代的には完全にロストジェネレーションなんですが、団塊ジュニア世代のような気分もあるし、ゆとり世代よりもゆとり世代的なことを先取りしていたようにも思えます。

そもそも、カタマリになって年功序列、家で女房は永久就職なんてことが完全崩壊した世代なので、属すことに嫌悪感があったかもしれません。それは、大きくて安定した船ではなかったからです。

かといって、はみ出してこもってしまうほどドライでもないので、群れるし、本当は嫌でも相当な理由がないかぎり誘いにはのります。

大きな氷が、ちょうど解けて液体になるまでの間。その期間に育ったから、そんな風におもうんでしょうね。カチカチの氷の行く末はしっているし、液体になって蒸発するほどドライではない、と言いますか。

ただ、ひとつだけ。おひとりさまになって、自分のペースで、自分の好きな時間を謳歌したいと強く思うのと同時に、その先では、生身の人と、温度のあるシェアをしたい。それだけは本当に、強く思います。

コンビニの店員も、電車の運転手も自動化(AI化)して、便利にスピーディーに機械的になっていくだろう未来において、だからこそ、余計にそう思うのです。



■2019年3月2日
『次の時代で、育てたい』

久しぶりに「激しい雨」予報がスマホに入ってきた2月の終わり。3月に入って今日は晴天でしたが、明日からまたすっきりしない天気だとか。考えてみれば、京都にいた頃、梅を愛でに北野天満宮にいった時も雪がちらついて、それはそれでをかしかったような。

この時期、雪ではなく雨なのが、せめてもの救いでしょうか。それにしても、今年は暖かい冬でしたね。これから季節外れの積雪、なんていうのがあるかもしれませんが、これまでの所、過ごしやすかったです。

そういえば、3月の終わり、息子はサッカースクールの泊りがけキャンプで、苗場までスキーに行くことになり、桜の開花が早いと言われる今年、そんな時期まで雪があるのか?と思っていると、雪の多い地域出身の妻は、「余裕よ」とのこと。そんなもんなんですね。

夏の始めにはフジロックで、音楽とキャンプ一色になる苗場も、まだまだスキーに雪遊びが出来るとは。日本の四季、季節のいろいろは、本当に趣が深いなと感心します。

ちなみに、今年のフジロック、SIAやJASON MRAZが来るので、音楽好きの息子を連れていきたいな、と思いながらも、夏には大きな旅を予定しているので我慢です。

さて、いよいよ来月に発表される新しい元号。平成という時代の終わり、戦争はなかったけれど、自然災害の多い時代でした。世間を驚かすニュースの中には、驚愕するもの、震撼させられるものが多かったように思います。

平成元年、1989年の1月8日から始まったこの時代は、当時、まだバブルの尾を引き、どこか実質経済とのかい離があったとも言われます。この年、なんといっても印象的なのが消費税3%の導入でしょうか。世界ではベルリンの壁が崩壊した年でもあります。

平成2年になると、株価が暴落し、徐々にバルブ崩壊が見えてきても、平成3年にはザ・バブルの印象がある(今から考えると残像だったんですね)ジュリアナ東京がオープンしています。平成3年、この年は湾岸戦争勃発の年で、中学生だった私は、テレビで映る映画のような本当の爆撃映像を見て、衝撃を受けたのを思い出します。ソ連という国が地図から消えた年でもありました。

平成4年には、当時、誰もが耳にし、口にしていたPKO法案が成立し、いよいよ自衛隊が海外へと活動の手を伸ばしました。Jリーグが開幕した平成5年、ついに自民党が分裂。総理大臣が自民党ではないということになりました(細川内閣)。平成6年も羽田政権(半袖のスーツの人)、村山内閣(まゆげの人)が首相を務め、誰もが短命だったので名前を覚えるのが大変でした。

平成7年。私は高校3年で、3学期に入ってすぐ、阪神淡路大震災がありました。高校卒業後の春休みには地下鉄サリン事件もあり、日本の東西で、激震が走りました。この年、Windows95が出て、PCがグッと身近になった頃でもあります。ポケベルからピッチ(PHS)になった時ともいえるかもしれません。

金融ビッグバンといわれた平成8年。今や当たり前のグローバルというのが定着し、携帯電話は「高い」ながらも広がりつづけ写メや着メロというのも出始めた頃です。香港が中国に返還された平成9年、山一證券が破たんし、北海道拓殖銀行もつぶれました。この辺りから、完全に不景気という言葉が身に染みだしました。

平成10年にはアップル復活のシンボル、iMacが発売され、長野で冬のオリンピックがありました。みんなが携帯電話を持ち、ITバブルという言葉が生まれたのは平成11年。翌平成12年には沖縄でサミットがあり、2000円札が出来ました。

ユニバーサル・スタジオ・ジャパンが開園した平成13年、小泉内閣が誕生します。世界中に大激震がおこった9.11テロもありました。パソコンが普及し、職場のデスクにはPCがあるのが当たり前になった平成14年、学校は週5日制になり、日韓共催でサッカーワールドカップがありました。

PCの普及にともなって、電話線を繋いで電話代が高くつくという不満を解消したADSL。その加入が当たり前となった平成15年、イラク戦争がはじまり、自衛隊はイラクへ派遣されました。平成16年には東京メトロが誕生して民営化され、平成17年には郵便事業も民営化となりました。同じ年、愛知万博が行なわれ、関西ではJR福知山線の脱線事故がありました。

ライブドアショック、ソフトバンクの誕生などがあった平成18年、安倍内閣が誕生します(短命の1回目の)。平成19年のリーマンショックでは、日本の平均株価は6千円代にまで落ち込みました。平成20年、秋葉原通り魔事件が起こった年、iPhoneが発売されました。スマートフォンという言葉も生まれたアンドロイドは翌平成21年に発売。アメリカでは大フィーバーの中で、オバマ大統領が就任しました。

羽田に国際線ターミナルができた平成22年。チリで大地震が起こりました。そして、平成23年。東日本大震災。マグニチュード9.0という大地震は、巨大津波で町ごと飲みこみ、原発がメルトダウンをおこしました。

平成24年、東京スカイツリーが開業し、スマホの普及、そして電話はIP電話になりました。2020年のオリンピックに東京が決定し、富士山が世界遺産になった平成25年、和食も無形文化遺産になっています。

消費税が8%になった平成26年、集団的自衛権が容認され、蚊に刺されないようにとびくびくしたデング熱も流行りました。飛行機事故が相次いだ平成27年、トヨタが日本企業としては初の純利益2.1兆円をたたきだし、北陸にも新幹線が開通しました。

平成28年には北海道新幹線が開通し、働き方改革という言葉も聞こえ始めました。小池さんが都知事になり、天皇陛下が退位についてのお気持ちを表明。アメリカではトランプ氏が大統領になりました。

モリカケ問題で長期政権の安倍さんにお灸が据えられた平成29年には、都知事選の勢いを失速させた小池さん、日本人初の9秒台を出した桐生選手、カズオ・イシグロ氏のノーベル文学賞受賞がありました。

去年、平成30年には大阪と北海道を襲った地震、豪雨、熊谷の41.1度という猛暑、ゴーン氏の逮捕などがあり、平成31年です。4月30日までの4か月。新しい時代(元号)に向けて、天皇陛下は在位30年の記念式典で「憲法で定められた象徴としての天皇像を模索する道は果てしなく遠く、これから先、私を継いでいく人たちが、次の時代、更に次の時代と象徴のあるべき姿を求め、先立つこの時代の象徴像を補い続けていってくれることを願っています。」というお言葉がありました。

次の時代の人へ、補い続けていってくれることを願う。民間人を皇室に招き、子供たちを自分たちの手で育て、そして被災地へ行っては同じ目線で話を聞き、体力の限界と次の天皇陛下の年齢を考えての生前退位。

ものすごく広い視野で、ものすごく思い切ったことを断行するお姿は、これからの私たちに、「補い続けてほしい」と言い残して退位されます。

時代の流れ、多様性に目をやる広い視野、とにかく聞き、話し、同じ目線で時間を過ごし、そして、思い切ったことを断行する。私は平成という時代で育ちました。そして昭和という時代に生まれました。これから、次の時代で、育てたい。そんな風に強く思います。



■2019年2月23日
『目の前のことが楽しめること』

先日、息子と『来年の習い事をどうするか』という話し合いをしました。その中で、え?と耳を疑うほどの正論や、大人びた言葉が飛び出して、意外に前向きな否定や、当然ながら絶対的な嫌とがない交ぜで。

「じゃ、こういうことで、いい?」と、下校後の時間割のように記した一覧を見ながら息子にたずねると、まぁ現状考えられる最善の策だね、とでもいうような頷き。そして「来年も大変そうだな〜」というつぶやき。

それを聞いた私は、なんとも言えない気持ちになり。楽しいことだけでいいんです。その積み重なりが、先の先の先に大きな糧となるんです。それは、先の先の先から逆算して、今目先のやることを「楽しむ」ことが大事なんだという私なりの信念。

楽しくやるために。親として提供し、協力し、協業すべきことは何だろうか。妻とはよく(この4月という節目のタイミングでは特に)話します。

先の先の先は楽しいことの積み重なりで、そこから逆算して今目の前のことを楽しむ方法。う〜ん、こんな風に考えると、いろんなことがシンプルに思えてきたりもします。Jリーグも開幕して、なんだかわくわくしてきます。目の前のことを楽しみながら、積み重ねたい。

先週の木曜日、昼前に上野公園に行きました。平日でも3月並みの陽気と晴天に誘われて、多くの外国人観光客を始め、たくさんの人に囲まれて、とても賑やかでした。花は咲いていないのに、いろんな「モノ」から花が咲いような雰囲気。

各所にあるポスターやチラシには、桜や春祭りの文字があふれ、ここに桜が咲いて、いろんな人が野外でパフォーマンスをして、子連れがいて、カップルがいて、なんだか絵にかいたような春が確実に来るんだな、と思えることが、実はとても不思議なのに、あたかも当然に思えました。

春になるということ、春になったら花が咲くということ。例えば、一年経てば春になるのは、おおよそ確実なことですが、桜が咲くかどうは分からない。そんな風に思いながら、冬を過ごすのは、嫌になります。

よく聞く例として、春に芽を出すために、冬の間に耐え、蓄え、(努力し)、(夢に見て)がんばる植物があります。きれいに咲けるかどうかをかけて、冬を頑張る。それは、咲く機会があるから、きれいさを競えるというか。

それが、です。2024年、東京の次のパリ五輪で、野球が競技種目から外れるそうです。同時に、ソフトボール、空手も外れるとか。パリの次はロサンゼルスなので、野球は戻ってくるんですかね?

開催場所によって、行なわれるかどうかの当落線上にある競技の選手には厳しいですよね。4年に一回オリンピックは来るけど、そこで行なわれるかどうかは分からない。そんな風にして、努力する冬は辛いでしょうね。

そもそも4年に1度の大会にピークをもっていくだけでも、ある意味「運」みたいなところがあるのに、それが4年かどうかも不安定な状況。

野球やソフトボール、空手の競技者にとっては、いろんな意味で東京五輪は見せ所です。咲けるかどうかの機会を、華やかに咲いてもらいたいと心から応援します。

そんな東京五輪が迫った東京の街では、2020年をターゲットにしてぶりあがった計画が、着実に形になっています。新宿駅から中央線で東京方面に向かうと、国立競技場も、それとわかるまで姿を現してきました。臨海エリアではそれも顕著で、もう来年の夏ですからね。いよいよオリンピックが東京にやってきますね。

と、ここまで接近してくると、2021年からの東京というテーマで話は進んでいき、五輪後の姿を描こうとする話が頻繁に出てきます。例えば、これからドンドン東京に人が増えるのか、これからドンドン東京以外に移動していくのか。

先の先の先。どうなるんですかね。東京に居て出来ることの多くは、東京に居るからこそできることなのか。時間を伴った箱(空間)の距離が、可能不可能を決めていたのは、ちょっと昔すぎないか?と思える事象が増えてきました。

例えば、会議。これは、大阪や福岡から出張に来てもらって行なってましたが、今や、ほぼ、テレビ会議です。その延長線上で、自宅にいて、仕事をこなす在宅勤務も増え、一か所に集めて効率を上げた時代の終わりを、技術が可能にしました。

満員電車で、同じ時間に、同じようなところへ行って、それだけで仕事をしている気になって、何となくの時間経過で、それとなく仕事をしている人(がいるとしたら)には、往復の通勤がなく、ギュッと業務だけに絞れば、シュルッと縮んでとてもシンプルになるような気がします。

これまでの8時間が6時間や4時間になる。プラスして往復通勤の2時間もなくなる。これって、すごいですよね。一人きりで必要な業務だけをやる。効率性は、時間的な観点からいってとても簡単に向上しそうです。

ただ、そこはAI。このホームページでも何度か記しましたが、作業は、そもそも論で「する必要がなくなる」と言われています。作業以外のことで、一人で完結すること。これはアート作品を作るというのでもない限り難しく。

だから、シェアオフィスというのが注目されているようです。そこには、ランダムに集まった人がいて、その中から「たまたま話した」人とつながりが出来て、そこで「自分から選んだなら出会うことはなかっただろう」異種の人と新しい何かが生み出される。

このランダムな出会い。偶然の産物。「自分から選ぶ」のではないこと。よく考えると、バーチャルの世界ですぐに出来そうで、一番できないことじゃないかな?と思ったりします。

バーチャルは、物理的な時間や空間をいとも簡単に飛び越えて、最短距離でたどり着けますが、その分、混線や混じり気を嫌います。実際に「顔」を見ず、「温度」を感じない【人】ともなれば不審が恐怖になって接触しようとしません。

なので、偶然の産物が、形となるには少々不都合なものかと思います。仮に、本屋で同じ本に手を伸ばして「あっ」とお互いが手を引いて、本が落ちる。それをお互いが拾うとして頭をごっつんこする(というのは現実にもないですが)。

こうゆう交じり合いは、皆無なんです。現実的に「ない」というのではなく、物理的に皆無。バーチャルでは、指と指が触れあったときの「ドキッ」も、頭をごっつんこしたあとの「ハハハ」もありません。

もちろん、そこからの事もなく、あるのは「自分で選んで」きた人同士が、仮想空間で「集まって」、ああでもない、こうでもないと自己満足的に固まるしかない、というか。

そういう固まりから生まれるのは、プラス思考よりもマイナスなもの、特に批判にばかりベクトルが向くような気がします。それは、自分で選んだだけで、そこで勝負をしていないからじゃないかな?とも思える訳です。

勝負して、負けることで学び、寄り添うことを知らない人たちどうしの固まりは、たぶん、心のよりどころであり、安穏とする空間であり、だからこそ、そこだけで勝手に膨らんでいくマイナスのベクトルがあるように思えるのです。

ちゃんと勝負した人。ちゃんと負けた人。そこから再び歩き出した人。そんな人たちの先の先の先につながるところで、同じように歩んできた人が偶然のごっつんこをする。そうした時に、何かが生まれるんだろうな、と思います。

目の前のことが楽しめること。私は、自分に刷りこむように息子に語りかけ、勝負して、負けて、それでここにいるんだよ、ということだけでも、最低限、伝えられるようになりたいな、と、この春待つ2月の終わりに思いました。



■2019年2月16日
『やさしく・ていねいに』

浜松町や品川、東京といった駅に着くと、どっとスーツケースをもった観光客が乗車して、いろんな言葉が私の耳を彩り、合わせて匂いもなんとも豊かです。

その昔、私がロンドンでホームステイをしていたころ、隣の部屋のフランス人から「成田空港に降りたら、ソイソースの匂いがしたよ」と言われたことを思い出します。

韓国やインドの方からは食べ物の匂いが、スペインやイタリアの方からは香水の匂いがしたりして。私からは、きっとお出汁の匂いがするのかな?と思っていると、ぎゅうぎゅう詰めの山手線もわくわくしたりします。

ぼくは、麺で出来ている。先週のある晩、汁物の付け合せの中にはいった、にゅうめんをすすりながら息子が言いました。それは、私が「パパは、麺で出来ているからね」と言っているのを真似したものです。つまり、私は麺類が大好き。もはや「それだけ」でも特に苦にならないという人間です。

うどん、そば、ラーメン、パスタ。もう、どれもこれも大好きで、昼食は、ほぼ、毎日(特別、誰かと一緒で、その誰かの強い希望が麺類以外の場合を除いて)麺類です。飽きない?とよく言われます。飽きたことがない、と答えています。

飽きたことはないのですが、嗜好は変わってきました。昔は、ザ・添加物、濃い味でガンガン攻めてくるラーメンが美味しいと感じていましたが、もう、今は、そんなの疲れます。ラーメンでも、無添加で、ていねいに作ったやさしいものが好きです。

うどんも、関西風とまでは言わなくても、やっぱり、あっさりと仕上げてくれるものを好みます。もりそばは、そばをつゆに半分しかつけなくなりました。

何となく、アコースティックに歌われる方が、正直たすかる、といった感覚に近いでしょうか。やさしく、ていねいに作られたものを、量を減らして頂く。ん〜、私も、そういう風になりました。

日本にやってくる訪日外国人観光客の数。これはどんどん伸びて、東京オリンピックまで右肩上がりなんでしょうけど、東京や大阪といった「濃い」街、分かりやすい街、エキサイティングなジャパンから、どこかアコースティックな感じの地方都市へと流れているとも聞きます。

先日発表されたANAとナビタイムジャパン、エクスペディアの3社で立ち上げる新しい訪日旅行サービス。海外から地方都市へと観光客を誘うサービスだと言います。現在、ANAがやっている「Odyssey Japan(オディッシージャパン)」を中心に、展開を広げていくようです。

湖面の丹頂鶴、山間の朝焼け、抹茶を挽く臼、焼き魚、蕎麦、そして、渓流。そこは、私たちの想像する「おばあちゃんの家」のようです。体験を通し、体感し、身体に染み込むジャパンの姿です。クール・ジャパン。実は、マンガやアニメ、オタク文化ではない、この日本の根本に、そう感じてくれる外国人がいると、素敵ですよね。

こういう動きは、何も日本に限ったことではありません。20年以上前になりますが、パリやニースといった街から、古城めぐり、ワイナリー巡りへと観光客の流れが変わったフランスです。

パリは、言わずとしれた大都市です。それは、ただただポコポコとビルが建って、つるつるでピカピカの大都市ではなく、ファッション、カルチャー、アート、ミュージック、フード、パフォーマンスにおいて、とても深みのある最先端都市です。

パリの魅力を伝えるものとして、昔、「パリという都市の魅力は、近郊にディズニーランド(ユーロ・ディズニー)をつくっても、大規模なアウトレットモールをつくっても、勝てないほど」と言われたのを覚えています。

私のパリのイメージは、ロンドンからコーチバスで入ったので、「え!水が冷たい!」と店で買ったミネラルウォーターが冷えていたことに感動したことです(21年前のことです。当時はロンドンで冷えた水を出す店は少なかったです)。

あとは、停電ですかね。雰囲気のある古いビルの中にはいるホテルで、セーヌ川からどんどん南下して、それと比例して緑やカフェがなんとも素敵で、だけど、しっかりと停電してしまって、その時、ロンドンで出会って、一緒にパリに行っていた男性とむさくるしくベッドをシェアする中で。

そんなイメージではなく、原田マハ著「ロマンシエ」のようなパリもしっかりと存在するわけで。こぞって、観光客はパリへ行きました。パリに住んでいる人は行かない、と言われたシャンゼリゼ、コンコルド広場、ノートルダムにルーブル美術館。

わ〜っと行って、(今でいう)爆買いよろしく買いまくってからの、その後の、流れ。ロンパリローマ(日本でいう、大阪・富士山・東京)を卒業して、もうひとつの(顔をみせる)フランスを旅してもらいたい。

そうやって早い段階から仕掛けた人がいて、その人たちが用意したバスルートや、レストラン・ホテルのマップがあってこそ、ロワール地方やコルマール、オンフルールなどの空気を思い切り吸って、浸れるようになったんでしょうね。

東京や大阪から、地方へ。それを地方創生という大看板を掲げて、外国人を誘致しようとするなら、それはどうも動きの鈍い観光課の仕事のようになりますが、あくまでも利益を上げようとする企業が、利益を上げるために「本当に招待(紹介)したい」もうひとつの(顔をみせる)日本を表舞台に上げてくれると、厚みがでるでしょうね。

安室奈美恵さんや大野さんが地方都市へ移住か?と言われてます。東京を離れて、「自分にあった場所」で、やさしく・ていねいに過ごす人が増えたら、地方都市は、どんどん魅力的になるだろうな、と想像します。

2021年。オリンピック後の東京、そして日本の、脱皮した姿を思い浮かべて、とてもわくわくします。ぴゅ〜っとやかんでお湯が沸きました。ほうじ茶でも淹れて頂きます。



■2019年2月9日
『大前提』

冷たい雨、もしくは切るように風、そしてちらつく雪(積雪の予報)。かと思うと、コートを脱いでしまうほどの暖かさ。東京にいると、「私」個人の温度調節は、自分の着るモノひとつでどうにかなる、というものでもないので困ります。

たくさんの人と、同じ空間で移動したり留まったりするからです。オフィス、電車、店内などなどの空調は、何かを基準にして調節されるわけで、その何か、と、私、の乖離に快適さはほど遠いと感じることも多いわけです。

家から駅までは厚着したいけど、電車の中は暑くなるし、地下道もしかり、です。脱ぎ着すればいいじゃないか。というわけにもいかないのが、東京の朝・夕の電車のぎゅうぎゅう詰めで、もう慣れましたけど、ふと、客観的に「詰め込まれた」自分を想像して【搬送】という文字が浮かんだりします。

運んで送られる自分という荷物。飛躍してそう感じてしまう訳です。送られる先が、変更する、配置転換・転勤の時期を迎えようとしていますね。去年は引っ越し難民なる言葉が叫ばれるなど、できるだけ安く引っ越したいと願うどころではない不足があったようです。

今年は、対策が練られて、そういうこともないだろう、という予測ですが、需要の一極集中に対する提供の難しさが露呈しましたよね。ある点で線を引く。ヤマト運輸がそんな対応をして、結果、利益が上がり、働く人からも過酷な状況が薄れたと聞きます。

サバティカル休暇とまではいかなくても、働き改革の一環で、休み方が大きく変わろうとしている日本。がつがつ働いてGDPがどれだけ上がったとか、とにかく造れ、造れ、で売りまくれ、というステージからは、完全に移行したようですね。

今年は、休日が多くなります。それも連休が増えることもあって、じーっとしているのもなんだかな、とそわそわしてしまう私は、実は、夏までの予定を着々と埋めつつあります。日本人が最も苦手と(言われている)先の休暇取得、早期の各種申込み。

私は、自分のスマホのカレンダーで、「ここを休む」と決めて背景を赤色にし、その日に向けていろんな予約を進めています。その赤色になっていないところで、仕事をする。そういう働き方に・・・と、ここで、思うのは、そういう働き方に「変えた」訳ではないということです。

私は、たぶん、ずっとそうやって休みを取ってきたし、早め早めに飛行機やホテル、各種チケットを押えてきたし、「それ以外」の所で仕事をしてきました。

それが、特殊だったからこそ、早くに申し込めば、何の苦労をすることもなかったのですが、働き方改革の影響なのか?ゴールデンウィークの予約は、本当にみなさんお早いです。結果、私は「いつもどおり」の感覚で予約を取ろうとすると、ソールドアウト、フルブックという壁にぶち当たってます。

だからといって、もっと早く!とか、より安いところ!というのを楽しめた年齢はとっくに超えていることもあり、家族3人で、さぁ、何をするのが一番楽しめるかな、と思いつつ休日・休暇の予定を決めています。

サッカー三昧の息子リクエストで、FC東京のホーム開幕戦に行き、日産スタジアムで行われる日本代表の対コロンビア戦のチケットも取りました。その息子は、興味あるかな?とおもいつつも、飯能にオープンするムーミンバレーパーク(R)にも行くつもりです。

春の花見は、本当は滋賀の山奥にあるMIHO MUSEUMに行きたいのですが、ちょっと遠すぎるので近場の関東エリアで探しています。名もない川沿いを愛でつつ歩こうか、それとも祖師谷、砧、等々力あたりで済まそうか。そんなことを思いながら、、、

梅がきれいに咲いてますね。近所の公園では赤に近いピンクの花が咲いて、それだけで気分が上がります。雪と梅。毎年のようにこのコンビを愛でるのも、それはそれでいいものです。

井の中の蛙は大海を知らず、されど青い空を見上げることはできる。この春待つ時期に、どんな状況に置かれている人にも同じ空を見上げ、春を待つ気分でいてもらいたいものだと切に願うような事件が多いです。

何かの問題が起こる。と、それに対応する箇所(人)をつくる。そうなると、そこにばかり、それに関しては集まって、それ以外の個所(人)には、まるで管轄外になってしまう。

年間8万人以上の虐待児童に対する児童相談所。一人の尊い命が奪われると、児童相談所を主語にして、不手際の連続などと書かれてしまう現状。

昔、ビートたけしさんがテレビで「優先席なんてあるからダメなんだ」というようなことを言っていたのを思い出します。優先的に席に座ってもらった方がいい人がいたら、どこの席だって「どうぞ」と譲ってあげる。その大前提なしに、「優先席だけ論」になると、なんともばつの悪いことが多くなってしまいます。

混んでても優先席だけ空いていたり(座りにくい)、逆に優先席にふんぞり返っている人に、なんだあいつ、と思ったり。

児童相談所は、相談するところであることを確立させて、対処する、対応にあたるのは、周りの人(親戚・地域住人)、学校、警察などの「みんな」であれば、S.O.S.に対して、素早く正しい方法(を提案するのが相談所)で、手を差し伸べてあげられるのに、と思います。

一つのルールを作った瞬間に、そのルールを守るためのルールが出来て、そんなルールに縛られて、結局、何のルールだったのかぐちゃぐちゃになって非効率になります。そんな例をいっぱいを知っているだけに、大前提というのを常に忘れたくないものです。

とてもシンプルで、分かりやすいもの(スローガン)に向かって、そのための細かいプランを決めていくというのが企業のやり方だとは知りつつも、その企業で日々の業務をこなしていると、目先のこんがらがったルールや慣習に飲み込まれちゃいますよね。

どうしたもんだか。私が生きていく上で、すべての瞬間に大前提があり、結論に至るまでの最初の最初、根源的なもの。それはもはや、生きていく上で、というより生きることそのものかもしれません。生きる上での今日、明日。10年後、20年後と伸びていって、再び、今。

坂本龍一は言います。自分の人生だけのスパンではなく、子供、孫の顔を見ながら、その孫の人生の長さまで想像を延ばせば、今、やることは変わってくる(というようなこと)を。

梅が咲いて、今度は桜です。満開の桜と薄いブルーの綺麗な空を、ちゃんと見上げられることができますように。そのための、今日です。息子は、土曜授業です。「日直だから見に来て」と言われたので行きました。見に来るな、と言われるまで、見に行くぞ、と夫婦で決めた次第です。



■2019年2月2日
『それからのこと』

嵐の活動休止が速報され、そのニュース「ばかり」が吹き荒れた1週間。大坂なおみ選手のグランドスラム二連勝(ニューヨークとメルボルン)の快挙より先に報じられることが多く、確かに国民的アイドルグループだったんだなぁ、と改めて思った方も多いのではないでしょうか?

誰々が脱退、けれどグループは〇人で継続、というのがKAT-TUNやNEWS、TOKIOと続き、王者SMAPの崩壊を機に、ポスト・ジャニーさんの組織運営でタッキー引退など、いろいろとまぁ、ありましたからね。

その中で、嵐(大野さん)が、辞めるのではなく休む、という選択肢を示したことは、一般企業では受け入れられるもんじゃないと切り捨てるのではなく、働き方改革の風に乗って一石を投じたようにもおもうのですが。

5人みんなで「やりたいこと」も「やりたくないこと」も決めてきた。だから、誰か一人がやりたくないと言った時に、一番いい方法は何か。時間をかけて話し合った結果、と嵐は報道陣の前で答えました。

無責任論の質問からは、2年というバッファがそれにあたるという「気持ち」も引き出されて、概ね、安室奈美恵さんのように、引き際の綺麗な形になりそうです。

朝日新聞曰く、「SMAP(の失敗)があったから」というのも納得します。News ZEROで櫻井さんは、2021年以降の個人の活動について聞かれ、「MCでも、ドラマでも、映画でも、絶賛、受付中」というようなことをおっしゃっていました。

3年先、4年先までスケジュールが埋まる(トップアイドルの)仕事を幸せと呼ぶか否かは考え方次第でしょうけど、「そういう(絶賛、受付中)」3年後っていうのもいいな、と思いました。

さて、二月です。

今年の恵方は東北東だそうです。明日の節分当日、私は家族で、初めて、お寺に出向いて豆まきをしよう(見よう)かと思っています。家に帰ってきたら恵方に向かって恵方巻きを頬張ります。

プロ野球のキャンプが始まり、プロより盛り上がる高校野球のセンバツ出場校も決まりました。サッカーはアジアチャンピオンこそ逃しましたが、準決勝でのイラン戦のあの最高のゲームが印相深く、Jリーグも始まります。まだまだ風は冷たいですが、そんな春の蠢き(うごめき)のようなものがありますよね。

「埋まっている(下)」時に腐らず、「何」をし続けるかで、上に顔を出した時の底力が分かる。この春、上に顔を出したモノが、どれだけ花咲、咲き誇るかを「今」の持続に見てみたいというか。

映画のスクリーンや本番舞台で演じる人の「可憐」を地道な努力に紐づける、実に日本人的な美を私もここ最近、特に感じるようになりました。

仮に、2020年夏の東京オリンピック・パラリンピックを映画のスクリーンや本番舞台(つまり「上」)に例えたとすると、そこでどう咲いて舞い踊れるか。そこに向かうまでの蠢きも感じたいと思いつつ、注目の有無に関係なく、出来る限り見てみたいな、と思います。

幸い、東京にいると様々なスポーツに触れることができます。フェンシング、飛び込み、スケートボード、競歩などなど。サッカーやバスケ、マラソンなどの花形ではないものも、注意深く(昔でいう、ぴあを開いて探すようにして)ネットを探れば、新たな出会いもあります。

来年夏にある本番舞台、オリンピックに照準を絞って地道に努力する姿を。今、目先の春に浮かれもせずに日々のルーティンを徹底的に続けている人たちの。「下」の時の一端にふれることが出来たら、推しメンだ、としたり顔で言ったりできそうですしね。

東京オリンピックのチケット詳細と発売時期・方法も発表になりました。これは、もう、何が何でも、ゲットしたいです。そして、推しメンができたとしたら、その表舞台をしかと見届け、声の限りの声援を送りたいと思います。いや〜、楽しみですね、オリンピック!

私は、個人的にオリンピックが大好きで、2000年のシドニー大会から雑誌Numberの特集もとっています。一番、古い記憶はロサンゼルス大会のカールルイス(幅跳びのとき、空中で走ってる!)や、ソウル大会のベン・ジョンソンとの100メートル、バルセロナ大会では開会式の時の教授(坂本龍一)、アトランタ大会の開幕式のパフォーマンスです。

もう、これだけ記憶を濃厚に焼き付ける祭典(イベント)って、やっぱりオリンピック以外にないですよね。そりゃ、商業的にもなりますよ。に、しても、東京でオリンピックをするなら、秋(10月)の方がよかったんじゃないかな〜と思います。ま、商業的なので、しょうがないですけど。

オリンピック・パラリンピック期間中の、約1か月の東京では、キャスト(ボランティア)のみなさんが活躍するそうです。山手線には、品川駅の隣に新しい駅ができます。ん?その時の通勤って、いったいどうなるの?と今から心配しますが・・・

ガツーンと「休む」。東京の企業活動休止宣言!なんて、まぁ、できませんよね、いくら嵐が一石を投じたとしても。

さぁ仕上げの1年半です。国立競技場も出来て、各駅のインフラも改良されて、各種競技場、選手村が完成します。それに並行して、渋谷も新宿も、日比谷も、2020年をターゲットイヤーにしてきたモノが、次々生まれ変わろうとしています。ほんと、激変の時期になりそうです。

この祭典が終わり、レガシーが活き活きとしつつ、基本的にはスマホでつながり、いろんなモノをシェアする未来型都市になることが、なんとも楽しみで仕方がありません。(そうなる青写真のまますすんだとして)

ちなみに、昨年マカオに誕生した豪華ホテル「モーフィアス 」は、国立競技場のコンペに勝ちながら実現しなかったザハ氏の設計です。その具現化した建築物は(写真ですら)見るモノを惹きつけます。

もし、と、資金、があれば、やっぱり新国立競技場はザハ氏の当初デザインで具現化してほしかったなと思います。地方都市に莫大な資金を投じて大きな箱を造ると、負の遺産になるという懸念は、国立競技場ですからね、心配ないと思うんですが。(ただ予算オーバーにもほどがあったので、現実的な案として示された代替案で実現したとしても中途半端になったでしょうけど)。

嗚呼。嵐が去る(活動休止)頃、どんな東京になっているんでしょうね。それまでのことよりも、個人的には、それからのことに、期待しわくわくしています。



■2019年1月26日
『もはや、ことわざ。』

ナンバーワンより、オンリーワン。もはや、この考え方は「ことわざ」になるんじゃない?とまで思うのですが、改めて、確かにそうだよな〜、ということが最近多いです。それは、子育てをする中でもそうだし、年を重ねた今の私の諸々にも、です。

相対評価ではなく、絶対評価で物事をとらえたい。言ってみれば、そんな感じです。目の上のたんこぶ的な「人」がいたとして、その「人」のいない中での金メダルは、本当にナンバーワンか?とか、賞レースにしてみても、良いけど、より良かったモノがあるからという順位。

一番って、その時々(年々)によって色々だし、それら(一番)を「分母」として競い合ったら、また一番が出てくるわけで。一番の中の一番。それを繰り返すと、もう、無限に「一番」が現れて、都度、敗れるモノが出てくるわけです。

どこか、敗れたモノにかける言葉として、ナンバーワンじゃなくても、オンリーワンを、と言ってしまっているのも現状かと思います。

先述のように、「一番」というのは不確定です。それは、その時々(年々)によって決まるものだし、真のナンバーワンというのは、無限に繰り返しても無理なわけです。そういう意味で、オンリーワン。これは、絶対的です。(他に類似があったとしても、〈人〉が捉えられる範囲では唯一、という状態)

そんな「人」になろうとし、そんな「モノ」を生み出そうとする。子育てをしていると、いろんな局面でそう思います。誰かよりも上手く、というのではなく、息子ならではの「手」で。そこには「上」も「下」もない、絶対的な手(唯一)であればいいな、と。

一方で、私は。主観的なオンリーワンを目指すというよりは、受け取り方としてオンリーワンを意識することが多いといいますか。まだまだいろんなものを目指さないといけないとは知りつつも、惰性で慣習のベルトコンベアに乗っているんだろうな、と反省しつつ・・・(続けます。)

今、自分の目の前にあるモノを真正面から、全身で受け止めて、で、どう思い・どう感じるか。手のひらのスマホが、いろんな口コミをあつめ。それらを数値化して評価として、それを見ながら、レストランを決める。きっかけは、そうだとしても、いざ、自分の目の前に出された料理に対して、どう思い・どう感じるか。

その時、〈1分の1〉である「相手」を、しっかりと感じ取って、何かを想うことができるかどうか。それを、最近、私はオンリーワンと呼んで、重要視することが増えてきました。

〇〇の方がいいよ。これは、〇〇と同じだね。〇〇、〇〇。ある程度、経験値が多くなると、過去の〇〇と、現在(目の前)の〇〇を比較します。そして、判断してしまいます。恐ろしいのは、過去の〇〇は、完全に美化されてしまうということです。

初めて出会った時に、感じた生の感想。それを、今の言葉でしっかりと言い表せるかどうか。これこそが、本当に大切だと思ってきました。与えられた時間と、空間で、見て・感じるモノを、経験値をもとに増えた基準で、比較することなく言い表す。このオンリーワン。

広い視野で、薄くとらえるのではなく、広い視野で目の前のモノを突き刺すというイメージと言えばいいのでしょうか。先日、恵比寿のスカイウォークを歩きながら、なぜか、そんなことを強烈に思いました。

東京という街を歩いていると、ナンバーワンというものにあふれているのに、オンリーワンに感化されることが多いです。誰かと競争して、勝ち残ってキラキラしているという側面はもちろんあるのですが、そうではない所で、東京だなぁ〜と感じるところ。

例えば、上海。あの街を歩いていると、にょきにょきと新しいビルが建って、どこか表面的なきれいさに何ともいいようのない「競争」を感じてしまいます。一歩、細い道に入って、こどもが走り回って、夕方に水を撒いて、軒先でのんびりしている「光景」の方が、完全に惹きつけられます。

例え方が分かりませんが、何度も何度も塗って剥げてまた塗った色の奥深さというか。そういうのを、「地」で見せてくれるところにグッときます。その昔、今から半世紀近く前のロンドンを歩いてる時、私は、ずっとロンドンという街にある重さを感じていました。その上を歩くことで湧き上がる何かをかみしめて、完敗していました。

埋め立て地に、「同じような」建物を建てても表せない「美」。継ぎ足し・継ぎ足しで出てくる深い味わいとでも言いたくなるようなものでした。

東京も、ついにそういう「サイクル」に入ってきたのだと思います。真っ白い上に、「誰か」が整理整頓した線を引き、その区画で「用意した用途」を置いていくような街づくりでは、演出できない美、です。

なのに、です。TOKYO2020は、少し不安な展開になっているように思えて仕方ありません。築地市場跡地の活用?を発表する都のトップダウンの考え方ひとつとっても、そう思います。

臨海エリアが倉庫だらけで、人の温度が感じられなかった頃を思い出せば、都市博のために用意した区画に、用意した用途のハコをつくっても、閑古鳥が鳴くだけ、というのを経験したはずなのに。

大阪でも同じようなことが言えるかもしれません。埋め立てて、大きなビルを公のものとして建てて、だけど、結局、ごみ処理場と化している現状。大阪万博に向けた開発、その後のIR戦略を夢のように語っていますが、果たして、そこに「人」はいるのかな?と心配になってきます。

ナンバーワン、の考え方に基づいてませんか?そう自分(たち)に問いかけることが大事だと思います。私は何も「競争じゃなく、共演しましょう」というほどユートピアんではありません。が、ユートピアがあるとするなら、そこに居たいとも思っています。

出来た、出来なかったという息子を見ながら、「みんなは?」「ほかの子は?」と考えるものさし(ナンバーワン)を捨て、昨日の息子、先月の息子、去年の息子をみて、出来た、のか、出来ないまま、なのか。そして、本当に出来ている、のか、出来ていない、のか。

私は、その息子を見る目として、ナンバーワンより、オンリーワンになっているか、どうか。

恵比寿駅を出て、スカイウィークで恵比寿ガーデンプレイスへ。なんだか、平日の昼下がり、造られた建物の中で、経年の上塗りがこのエリアを濃くしているな、と思います。バブルの匂いを残しつつ、恵比寿と目黒を繋ぐようにして。

ロブションの「館」は、外壁修繕の真っ最中で、また上塗りされようとしてました。



■2019年1月20日
『消えちゃった、かたまり』

もー、なにやっても、あかんわ、もうなにやってもな
もう実際問題、あかんとおもった時点でもうあかんわ

岡崎体育が絶妙な声音と強さで歌うこの歌詞に、関西人ならニュアンスが恐ろしいほど伝わるというか(『なにをやってもあかんわ』より)。あれもこれも出来ると思うし、いろんなものに憧れるから、やってみるけど、現実はお利口でヒップホップの人にもなれないし、天津飯と酢豚のセットが幸せという感じ。

一生、このまま寝てよかな、と思うため息交じりの鼻歌を、この絶妙な力の入れ方で歌うから気持ちが良いといいますか。最後の最後に、よっしゃー、と気合を入れるのも分かります。

なにやっても、あかんな〜、と言うてても、しゃーないなー、というニュアンス。聞いてて乗ってきます。(関西人限定かな?)

何をやっても、駄目な時ってありますよね。そういうサイクルにはまってしまって、ぐるぐる負のループを回っている時には、「まだまだ、こっから!頑張るぞ!」と鼓舞するのが、精神的に悪影響?みたいな話もちらほらあって。まぁ、駄目な時は、駄目な状況を、しっかり受け止めた方がいいという感じでしょうか。

学校が嫌なら、行かなくていい。そんなメッセージで溢れている中、(一方で)大事なのは「その代わりに」どうするのか、というのを持っている人と、そうでない人の差が出てきているようにも思います。

嫌だ、と思っても、もうちょっとだけ頑張ってみる。けど、どうしても嫌、というなら、「そこだけが、世界のすべてではない」ので、行かなくても(やらなくても)いい。これには賛成です。が、やっぱり、ね。その代わりに、どうする?というのを。

嫌だと思って止めたすぐ(直後)は、何も浮かばず、ぼんやり、とにかく「嫌だからやめた」という状況をしっかりと受け止めて、体に染み込ませて、そっからです、よね。

一か月後なのか、半年後なのか、一年後なのか、人それぞれのタイミングで、代わりの何かを始める、というメッセージ。それがすっぽり抜けてるから、なんとなく間違って伝わっている気もしています。

1月は、新年という区切りなので、止まっていた人が「再び、動き出す」にはいい時期で、実際、動き出したよという人の話も聞きます。

が、まだ動き出せていない人にとっては、どうも焦る時期が1月というか。会社を辞めて、さぁ、どうするか、なんて、私自身も悶々としていた時、1月って何とも苦しかった記憶があります。

2月になれば、なぜか(梅が咲いて、春のしっぽが見えるからかな?)、4月という新しい区切りが(しっかりと)認識できて、それまでには、なんとかしよ!と、エンジンがかかるんですけどね。今、現在、そんな悶々にいる方へ。あと半月で2月です!

さて。

ここ数年でハロウィンが街中に溢れるようになったのと同じく、恵方巻もすごいですね。これはコンビニの戦略なんでしょうけど、バレンタインチョコレートよりも、恵方巻の方がよく目にします。

家族そろって、恵方に向かって巻きずしを一本、丸々黙って食べるというのは、まぁ、クリスマスよりもハロウィンという感覚に似て、バレンタインより恵方巻なんでしょうね。

考えてみると、クリスマスはこんなに日本の中に入ってきたのに、イースターはいまいち入り込まないのはなぜなんでしょうね。日本には、その時期、花見という絶対的なものがあるからなんでしょうかね。

今、住んでいるエリアに引っ越してきて、八年目になります。

笹塚の不動産屋さんから紹介された時、「え?それ、どこ?」と思っていた場所が、私たち家族の地元になって、こどもが生まれて、なんとも離れがたくなってます。

転勤族の家庭で育った親友が、自分の住んできたところを列挙しながら、だいたい3年単位で同じように暮らしていたはずなのに、「おれは〇〇出身で、〇〇で育った」というのが明確にあると言っていたのを思い出します。

出身地は、だいたい生まれてしばらく暮らしていた所で、育ったのは中学生の時にいた場所らしいです。13歳から15歳の三年間。ここで吸収することは、それまで(の小学生時代)とも、それから(高校生以降)とも違う、とても特別なものなんでしょうかね。

中学時代の話をするその親友の前で、私はぼんやり。中学?え?ほぼ、記憶にないよ、と思いつつ、個人的には、ひとりで海外を旅するようになった、あの頃の記憶が濃密過ぎて、消えてしまっているように思います。

環七をぼくの町まで
転がしてきてくれた
まんまるい 愛のかたまり
(THE BOOM『愛のかたまり』)

環七とか下北(『夜道』)なんて場所を想起させる言葉が、頭の中にあって、東京に来てから代田橋に住んでいたことを考えると、あ!そうか、中学時代にTHE BOOMを知って、聞きまくったことが、私の「〇〇育ち」になるのかな、とも思えてきます。

いろんな人に削られて
煙になって消えちゃった
なにもない 愛のかたまり

ありがとう、ありがとう、わすれない・・・バイバイ。

私は、たぶん、そんな中学時代のことにバイバイして、わすれないまま、今まで生きてきたんでしょうかね。THE BOOMのことを教えてくれ、90分のカセットテープにデビューから3枚分のアルバムをダビングしてくれた当時の友達。リンクされて、いろいろ思い出してきます。あの頃、赤いウォークマンをお年玉で買って、聞いてたな、とか。

岡崎体育が、先述の歌の最後に叫んだ「よっしゃー」。これは、バイバイ、忘れないよ、と生きてきた今までの自分のある時点からここまでとダブります。

だからこそ、こんなにもすんなり、気持ちよく入ってくるのかな、と、だんだん、そんな気がしてきました。

もー、なにやっても、あかんわ、もうなにやってもな
もう実際問題、あかんとおもった時点でもうあかんわ

言うてても、しゃーない。っしゃー、やるか!



■2019年1月13日
『それ以上の、キャッチボール』

光の当たらない影・陰、のようなものをもった人の、言葉や歌は突き刺さるのでしょうか。そうではなく、突き刺さるような言葉や歌を持つ人の、影・陰の部分を、周りが殊に強調したがっているのでしょうか。

後付けでどんどん膨らむ「その人」の像に、いつも感心(というか、へぇ〜と)してしまいます。ひきこもりで?コンピューターに向かって創造を膨らませた人が、表舞台に上がってきて、よりカリスマ性を増した?

米津玄師さんが、そんな風に書かれるのを見ながら、ぼんやりとそんなことを思いました。若者のカリスマ。かつて尾崎豊さんがその代名詞的な存在で、思春期の少年の心の中にダイレクトに突き刺さる言葉を、心地のよいメロディに乗せて届けてくれました。

十五の夜、十七歳の地図、卒業、I LOVE YOU。スクランブル交差点の真ん中で、叫ぶイメージがピッタリくるような。そんな言葉は、「今」の子には刺さらないんでしょうね。

先日、反抗期を「言葉」にしない中学生(いまどきの)という話を聞きました。あからさまには反抗しない、というより、そもそも反抗するという気持ちに圧迫されない?というイメージでしょうか。

ゆとり世代という言葉に代表されるように、学習指導要領の右往左往で固まりとして称される子供達(若者たち)。小学校で英語授業が始まり、中学でダンスが取り入れられ、今度は小学生がプログラミング(コンピューター)をします(必須で)。

大学入試は記述式になり、暗記が通用しない「勉強」でボーダーを引き、考え、生み出す力が必要になると、今の小学生の親たちはやきもきしています。選択肢から選び、マークシートで答えるテストからの脱却を図ろうとしています。

それを可能にした少子化。一人の子供にかける時間(分厚さというか)が格段に増したからくることです。二十年ほど前は、今の子供は虫歯が少ない、なんてことも聞きました。親が、毎晩、丁寧に歯磨きし、歯医者も無料なのでフッ素予防に通ったりするから、と言われました。

確かに。幼少期から「触れ合う」時間の濃厚さを当たり前のように受けてきた子供は、反抗する気持ちも、ぎこちなく(うまく言うことができず)暴力や無言で表現しなくても、しっかりと「言葉」に出来るのかもしれませんね。

そもそも、しっかりと言葉にするような試験で試されもするわけですし。

そう、そこ、つまり「それな!」というビンゴな言葉に、多くの若者が右へ倣え的に共感することも、なるほど減っていくよな、というような「今」の子の生活スタイル。

小学生になる息子を見ていても、周りのお友達を見ていても、そんなことを感じてしまいます。

みんなが同じようなテレビを見て、同じような遊びをして、同じように放っておかれて。そんな幼少期の積み重ねから、「言葉」を探していた私たちの世代は、代弁者なんていうカリスマ的存在を求めたのですが・・・。

今の子は、娯楽のデバイスが「個々」です。YouTubeは、まさしくそんな子たちの欲求を満たしています。多彩で多様で多種多色。個人が個人レベルでアップするから、相当深いところで発信していても、大々的に発信する人と同レベルで視聴できます。

それは、時間を選ばず、クオリティも選ばず、私たちが、学校の帰りにあぜ道で「何か」を探していた時のような気分かもしれません。

それにしても、年が明けてからというもの、寒い日が続きます。

お餅が本当においしいです。温かい出汁に、麺が手放せない気温です。先日、マツコの知らない世界(テレビ番組)で、カップラーメン特集をしていました。

毎年1000以上の新商品が出て、生き残れるのは3つ。そんなデータを示しながら、カップラーメンの代名詞、日清カップヌードルで普通(チキン)のとシーフード、カレーに次いで殿堂入り?したフレーバーは、トムヤムクン味だそうです。

万人に受けるよりも、コアなファンを狙う味。何となく、今っぽいな、と思いました。

さて、全国高校サッカー選手権もベスト4から決勝戦です。先日、大阪桐蔭高校のラグビー部が全国制覇したというニュースがありました。ラグビー。2019年は、ラグビーイヤーになるか?と予想されましたが、今のところ、そういうこともなさそうですね。

五郎丸ブームで、仮に、あのまま彼が王者のリーグで活躍できていれば、なんて思いますが、まぁ、9月になって、ラグビーW杯が始まったら始まったで、盛り上がるんでしょうね。何しろ、日本で開催ですからね。

年末、突如思い立って、スラムダンク(新装版/全20巻)を買い、読んでいるので、今のところはバスケットボールが見たいです。Bリーグでも久しぶりに行くか、と思って調べると、千葉vs栃木のゴールデンカードは、なぜか水曜開催が多く、土日はあるにはあるんですが、2階席しか空いてませんね。

そもそも千葉の船橋まで行くのが一苦労なので、代々木あたりで東京vs千葉、土曜日の15時開始でゲームをしてくれないかな、と思いつつ、今年もJリーグが早速始まるな、とFC東京の日程を調べ、根尾を見に巨人と中日のオープン戦も行きたいなと迷っている間に、チケットって、なくなるんですよね。

さて、サッカーをやってる息子が、なぜかグローブを欲しがり、私としてはもってこい、親子でキャッチボールでもしてこようかな、と。

スポーツ店で、ドロースを塗って、しっかりと「育てる」本格的なグローブ(は高いので)はちょっと止めて、トイザらスで柔らかく軽量の(お遊び)を買いました。

それでも、息子には宝物のように大事なようで、今日は、その(お遊びの)グローブを抱いて寝ました。明日は晴れ予報。公園でキャッチボールしようっと。

晴れた、休日、公園で。キャッチボール。これに、会話なんていらないし、それは、それ以上なんですよね。不思議なものです。



■2019年1月6日
『町へ出よう』

え?セブンイレブンが閉まってる!?

オフィスビル内の店舗なので、考えれば(そのビルの会社が年末年始休暇なら)コンビニも閉める、というのも納得しますが、いざ、コンビニが閉まっているという「非日常」を前にすると、皮肉にも、そのことで正月気分を引きづったりします。

正月だろうが盆だろうが、年がら年中、24時間ず〜っとやってるというコンビニ(便利)さに慣れてしまっているが故の「驚き」なんでしょうね。

平成の30年間で大きく変わったことは?という特集をよく耳にしますが、このコンビニ事情も、確実に平成の時代に大きく変わったことの一つかもしれません。

昭和の時代、確かにコンビニは、ちらほらとあるにはありましたが、郵便局よりも多い店舗網という、今のような状態ではなかったです。

これだけの間隔で店舗があって、当たり前に「開いている」コンビニ。いつも開けるためには人材が必要で、学生のアルバイトもそうそう集まらない事情でか、都心部では外国人がレジに立つ姿は珍しいことではありません。

むしろ、あれ?日本人なのか、という受け答えの自然さに思わず顔をあげて店員さんを見てしまうこともあるぐらいです。いろんなことを人ではなくAIがこなす未来(がやってくるらしく)。商品発注やレジを「人」がやっている平成の今は、次の時代から振り返ると、「そんな時代もあったな」と言われるんでしょうかね。

次の時代。例えば、元号を区切りに「ひとつの時代」とすれば、今年の4月1日には新しい元号が発表されて、5月1日から元号が変わります。これまで元号に使われた漢字の多さランキングや、公的書類に用いる明治・大正・昭和・平成のM・T・S・H、以外の頭文字から考えると、これだ!なんて予想を、素人から玄人まで、色々言ってます。

永和、天安、元長。まぁ、何になっても、すごい違和感があるんでしょうね。そして、そんなものすぐに慣れてしまうんでしょうね。

ただ、いま妊娠中の夫婦で、出産予定日が4月の終わりから5月の始めの方は、気になっているんでしょうね。平成になって元年、平とか成っていう字はよく使われたらしいですからね。

それにしても、この平成の30年。10年どこから5年区切りでいろんなことが目まぐるしく変わりました。近々の5年、特に変わったな、と思うのがネット決済、ネット通販です。

スマホをタップして、何でもかんでもアマゾンで買う。その便利さから、なかなか抜け出せなくなっています。そんなことに慣れきった今、自分が買った商品の重量を感じることもなくなっています。

配達されて、宅配ボックスに入っている商品をいざ持ち上げると、「あ、これ、こんなにも重かったんだ」なんて感じることもしばしばです。

重さを実感しなくなった便利社会。無重力で、ぷかぷか浮かんでいる(宇宙ステーションの)映像が、これからの未来と合致することもあります。常に地球には同じ面を向けている月の、その裏側に、ついに中国の探査機がたどり着いたというニュースもありました。

想像すること、と、創造すること、の間に、相手(他人)のことは欠かせないのに、どうもその「優しさ」に欠けたスローガンで進んでいるような懸念。

優しさ。これは、頼り合うというニュアンスではなく、しっかりとした自分が大前提にあり、その確固たる個の集合体としての「みんな」を、都合よく取捨選択しない、というものだと思います。

そんな優しい社会に向けて。急がば回れ、千里の道も一歩から、小さなことからコツコツと。私がいて、あなたがいる。そして私たちは、また違う彼ら、彼女らと手を取り合う。友達の友達は皆友達だ、なんて。

さて、2019年の幕開けは、とても穏やかな天候でしたね。元日朝のテレビでは、富士山にむけてヘリを飛ばし、初日の出のダイヤモンド富士を空中から狙うという企画をやっていました。

初日の出と富士山。そんな「ありきたりな」映像でも、やはりその美しさにはうっとりときて、窓を開けると、東寺(京都)の五重塔が見えて。でも、初日の出とは方向が違ったようで、ぼんやりと、うっすらと、私たち家族は、帰省中の京都のホテルの一室で、2019年を迎えました。

ここ数年、大晦日は(こどもと一緒に)早々と眠ってしまい、元日の朝は(こどもと一緒に)早く目覚めるというのを繰り返しており、今年も紅白すら見ずに眠りました。

翌朝、米津玄師のキャンドルだの、サザンとユーミンの勝手にシンドバットだのという話題を見聞きし、あぁ、見たかったな、と思ったりして。ふと、今回の紅白は盛り上がったんですね。視聴率もよかったと聞きます。

家族がそろって、こたつでおせち料理をつつきながら話しては、なんとなくテレビを見る。そんなスタイルが減った今のテレビ番組って、いよいよ存在意義を問われるようになってきたんでしょうね。

予算と時間に恵まれたNHKだけが、いろんなトライアルをしながら攻めの番組編成をして、安牌(あんぱい)を取らざるを得ない民放が、じりじりと瀕しているという構図。

これって、変えられるとしたら、いつ、だれに、なにを、どこで、どんな風に届けるかという根本的なことに解を出した者の勝ちなんでしょうね。

日本で年を越す人たちが、日本人だけではないという現実に、どれだけ真摯に向き合えるかというのにもつながる気がします。

年末の京都を歩いていても、年明けの富山を歩いていても、そして、三が日がすんだ東京を歩いていても、本当に外国の方が多いです。先日、北京に移住した私の(日本人の)知り合いが、現地の中国人の話として「日本って、思った以上に、外国人が多いんだね」というのを教えてくれました。

北京を訪れる外国人が193万人に対して、東京を訪れる外国人の数は1,377万人ですからね。そういう感想になるのも納得です。

こんなに外国人が来て多様なんですから、何でもかんでもスマホでタップして、宅配だらけでピコピコとゲームしないで、町に出て、体感するのも貴重です。2019年の始まり。寺山修司が生きていたら、言うかもしれません!書(スマホ)を捨てよ町へ出よう、と。


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