小谷元彦展「幽体の知覚」
@森美術館
2011年02月05日

彫刻家という枠を越えて、様々な手法・手段で独自の世界観を創り出す小谷元彦というアーティストの、これまでを振り返りながら、新作も出すという展覧会。

足を踏み入れ、奥へ行けば行くほど引き込まれる、何ともいえない魅力に、不思議な気分になる。一見グロテスクだったり、血だったり、訳がわからなかったり。そういう作品の一つひとつからあふれ出す「芯のあるメッセージ」は、言葉を越えて伝わってくる、、、ような気がする。私が現に「不思議な気分」になったのは、その証かもしれない。

まず、展覧会のタイトル「幽体」について、小谷氏自身は4つの意味を込めているという(以下、公式ホームページインタビューより)。
−−「幽体とは、ゴーストではなくてファントムです。4つの意味を込めています。まず、不可視なるもの、目には見えないけれど存在しているもの。たとえば痛覚のような感覚の領域や、気配といったものです。2つめはいわゆる「怪人」、モンスターや変異体、異物。3つめは、「脳化」によって、身体と脳が遊離している状態。脳の電気信号をコンピュータで解析して機械を動かす「B M I ( Brain Machine Interface)」といった開発が進んでいますが、今後、人間が身体を持たず、脳だけで生きていく時代が来るかもしれません。それでも、僕たちは身体の束縛から逃れることはできないと思うのです。そのような、遊離していく身体と脳のバランスも、ファントムと捉えています。そして4つめは、これが最も重要なのですが、自分にとっての絶対他者である自分自身。誰しも「これが私」とは認めたくない自分、というものを抱えています。それは自分の中の他者であり、ファントムであると考えています」。


見えないモノの姿。
例えば、『ホロウ:リバーサル・クレイドル』という作品では、向かい合う二人の「人」からでる気やオーラを具現化している。「もののけ姫」などアニメーションではよく見る形だが、それが真っ白い彫刻となると、これまた特別に映ったりする。他にも、『SP4 ザ・スペクター』という馬と侍の彫刻は、覆っているもの(皮膚)を剥いで、人と馬の筋肉の動きを見事に表している。この作品は、個人的に最も好きだった。

彫刻という枠を越えた作品。
この展覧会のための新作にして、今回の目玉のような作品が『インフェルノ』だ。重力に従って落ち続ける滝を、四面囲ったスクリーンに流し続ける。その規則的な動きを、時には光らせたり、止めてみたり、スーパースロー再生にしてみたり逆流させたり。足元と天井が鏡張りなので、中に入ると、滝の動き(落ちているか昇っているか)で自分まで落下したり上昇したりするようで、何よりも上下の全面鏡が不可思議な空間へと誘ってくれる。見上げれば、同じような三次元の世界が頭の上にできる。下を向いても、また空間が存在している(ように見える)。一回に20名限定で中に入るので混み合うこともなく、このアートの世界に浸れる(中に入るのに結構並ぶが・・・)。

結局のところ。
見えないものって無いと言い切れる単純さが、この世界にはあって、それを紡いでいくことによって、「離れて見えている」ようなものも、繋がってくるというか。その「間」を、小谷氏は表現しているのではないかと思う。

現代アートは分かりにくいが、ある意味奇怪で奇妙、グロテスクという「入りやすさ」が、その奥へ奥へ引き込んでいく序章なんだと分かったときには、「不思議な気分」になることは間違いないだろう。


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