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粘りの強い油と砂の混じった地層を「オイルサンド」と呼ぶ。別名「黒い金」とも呼ばれ、通常精製される石油よりも手間と費用、そしてエネルギーが必要となる。これまであまり「生産性」のないものだったが、昨今の原油高で、採掘コスト(湯で砂と油を分離する)の高いオイルサンドも採算がとれるようになり、カナダのフォートマクマレーのように「原油の埋蔵量」に算入されるようになった例がある。(朝日新聞参照)

理想と現実の間で挟まれた石油。
オイルサンドには、そういう性格があると僕は思う。

現実はこうだ。管理が不十分な場合、オイルサンドには油や水銀、揮発性有機物が流れだし、川や湖を汚す。健康にも被害が出ると言われている。だから「汚い石油」という一面があるのだ。それさえも流通させなければならない(もっと言えば、流通することができるほど)、現代社会では石油が不可欠となっている。

一方で理想は、化石燃料に頼らない「クリーンエネルギー(風力や太陽光)」へのシフトが叫ばれている。

なのに、このオイルサンドが「ゴールドラッシュ」の如く扱われるのは、まさしく、理想と現実のサンドだろう。

燃料は必要であり、それを排した生活は「不便」であり、もっと言うなら生活自体が成り立たないというレベルにまできている。そんな中で、「これから」の地球を考えるために新スタイル(水素エンジンのエコ・カーやクリーンエネルギーだけで回る生活)への移行は大事だが、目先のガソリン代、バター、カップ麺などなどの「高騰」に、少しでも足しになるなら……、とオイルサンドにたよってしまう気持ちも分かる。

そこで、「それは結局繰り返しなんだ」ということに気づけるかどうか、ちょっとした不便を不便とも感じないような「普通」に戻せるかどうか。問われているのは、需要のない供給はありえない市場経済で、いつまでも踏ん切れない、そういう「現状スタイル」なのだろう。