「岡本太郎展」HPより
《ノン》1970年/川崎市岡本太郎美術館蔵

生誕100年 岡本太郎展
@東京国立近代美術館(東京・竹橋)
2011年04月02日

東日本大震災の影響で、開館時間を1時間縮めての開催だったこの展覧会。この日は常設展はお休みで、後日無料で入れる招待券が配られた。常設展もみどころの多い美術館だけに、少々残念だが、とにかくお目当てはこの特別展だ。から、ま、仕方ないかと、入館する。
やはり、すごい人気だ。本来なら、土曜日のこの日、もっと人が多いのだろうが、全体的な自粛ムードもあってか、人が多いとは入っても、ピカソ展やゴッホ展のように「動けない」ほどの状態ではなく、一つひとつじっくり見ることができた。
この「岡本太郎展」、一言ですごい。見せ方といい、遊び心といい、ほぼ完璧に近い。月1のペースで大小のアート展に脚を運ぶ私自身、この展覧会は久しぶりの大ヒット。2300円を出して図録を躊躇することなく購入した次第だ。3年前、東京国立博物館で行われた「対決 巨匠たちの日本美術」の時以来の感動と言ってもいい。

まず始めに。岡本太郎という芸術家の、軌跡をたどるキーワードとして示されたのが「ノン」。
それは、岡本太郎自身がさまざまなものに「ノン」を突きつけ、そこから「新しい」ものを産みだしていったことへのプロローグとなっている。大阪万博が開催された時、月の石が大阪にやってきて、日本人は「これからの発展」に心躍らせた。が、太陽の塔の地下、祈りの場に岡本太郎はこの「ノン」の像を置く。発展し調和する世界は、結局のところ先進国の目線だ、と言わんばかりに。これでも分かるように、「全体の流れ」というものに沿って、【受けとりやすい】ものばかりを作っていたのではないことを改めて思う。
入り口を入って正面、この「ノン」がある左右には、彼の彫刻がずらりと並ぶ。公園や広場などに建てられた彼の作品のレプリカも多い。その中で印象深いのは、「午後の日」と「若い太陽の塔」。真っ赤な空間に、一種不気味に照らされ、背後に影をつくる作品は、コミカルで楽しく、親しみやすい岡本太郎とは違う、言ってみれば本質の、本来の、岡本太郎ワールドへ誘おうとするようでもあった。
「ノン」を突きつけ、様々なものと【対決】してきた太郎。最初の部屋では、「ピカソとの対決」をテーマに太郎のパリ時代の作品を並べる。生前、インタビューに応える太郎は、ピカソの作品を初めて生で見たとき、涙が溢れて止まらなかったと語っている。そして、その作品を超えてみせる。それも「違った形で」と【対決】の姿勢を露わにするのだ。ここでは、超有名な作品「傷ましき腕」に釘付けになった。生でみるのが初めてはぼくは、思っていたよりも「腕」が男性っぽいな、と気づく。赤い大きなリボンが少女を思わせ、それにはどこか違和感のある腕。そして、綺麗なリボンを巻いたかのようなピンクの「傷ましさ」。黒が黒く、色という色がパキッと見える。

↑展覧会図録(2,300円)

↑図録より 「午後の日」と「若い太陽の塔」

次は「きれい」な芸術との【対決】。太郎は「うまい」「きれい」「ここちよい」芸術に対しても対決する。彼が求めたのは、見る者の価値観を揺さぶるほどの危うさをもった「美」。この部屋に展示された絵画は、どれも凄まじい。まずはそのインパクトだ。有無を言わせずガツンと飛び込んでくる。有名な「森の掟」や「重工業」だけではなく、個人的にもっともインパクトのあった「黒い太陽」、他にも父親がモデルの「作家」、そして「電撃」。うまい、のでもない、きれいでも心地よくもないが、とにかく「すごい」。それが、この時代の太郎の絵画だという。「千手」という作品の前に立つ。骸骨なのか骨盤なのか。骨ににた部分から飛び出すカラフルな玉。それが手なのか風船なのか、なんだか精子のようにも思える生を感じる。その隣の「黒い生き物」。この絵は、まさしく、私の頭にガツンときた。

↑図録より 「黒い太陽」

パリでの生活の後。太郎がふと、日本の「わび・さび」というものと落ち着いて向き合ったとき、やはりそこでも【対決】するのだ。縄文土器にみせられたことは有名だが、東北や沖縄など、太郎自身が写し取った日本の風景も動画で紹介されている。その中で「赤」という絵画は、私が思うに何とも日本的だ。漆の上の朱。それを鮮やかに描く太郎。こんな留め袖の図柄があれば、着物も変わると思ってみたりもする。そして「装える戦士」。これは確実に「書」だ。遊ぶ文字の多い太郎の、なんとも抽象的でありながらインパクトの強い作品に、しばらく口をあけてぼんやりとなった。

↑図録より 「赤」と「装える戦士」

↑図録より 「太陽の塔 構想スケッチ」

岡本太郎の中で、おそらくは最も有名であろう「太陽の塔」。今でも、大阪の万博公園には、芝生の上に鎮座し、どの方角からみても素晴らしい。が、当時、「人類の進歩と調和」という大阪万博のテーマからはおそよかけ離れたシンボルだったらしい。ここでも【対決】をしているのだ。太郎はインタビューで言う、「どんなに批判されてもやり通すしかないと思った」と。想定の建物の屋根をくりぬいて、太陽の塔はつき出している。地下にも、そして塔内部にも。太郎は様々メッセージをこの塔の中に組み込んでいる。未来に目を向けた万博、近未来的なデザイン。それとは真逆のような、どこか日本の昔の、ずどんとしたフォルム。そこにある顔、顔、顔。上部・中央・背面に顔をつくった太郎は、ここで進歩すること、調和すること。それに対して人類の「途」は他にある、と言いたかったように感じる。
メキシコで見つかった「明日の神話」。渋谷駅に大きく掲げられたこの作品に代表される「戦争との【対決】」も太郎にとっては大きなテーマだ。従軍中、師団長の肖像を描いたり、一緒に戦う兵士の眠る姿をスケッチしたりしている。この中で「殺すな」という書がある。これが、やはり最もインパクトを持って、私には伝わった。
消費社会へと進む日本。そんな時代とも太郎は【対決】する。自分の作品をほぼ売却しなかった太郎。芸術を「みんな」のものにしようと、パブリックアートを多く手がけている。青山のこどもの城前にあるモニュメント「こどもの樹」は有名だが、個人的には「母の塔」が好きだ。全体的に丸みを帯びたどっしりとした土台。その上を両手を挙げた「人」が飛び跳ねている。この、見ているだけでも楽しい「アート」が、実に太郎らしいと言える。
歌舞伎公園の舞台装置と衣装を手がけたスケッチがある。特に、装置のスケッチは、素晴らしい。わび・さびと対決して行き着いた先というか、何だ!?というインパクトの中に、しっかりと歌舞伎が共存している。
この頃、太郎はテレビやマスメディアに多く登場する。「芸術は爆発だ」と、奇妙きてれつに語り、笑いを誘う太郎。太陽の塔の「おかしな」デザインとリンクして、太郎のイメージはお笑いネタにもなった。
が、その一方で、太郎は青山のアトリエに籠もり、「目」を多く描く。つまり、最後は「岡本太郎との対決」なのだ。いくつもいくつも目を描いては抽象的に爆発させる絵画。最後の展示室には、「座ることを拒否する椅子」が置かれ、そこに座ってぐるりと取り囲む「目」の絵を見る。なんとも座り心地の悪い感じと、周りに見られている感覚が、なんとなく「つまりは生きることか?」などと思ってみたりするのだ。

↑図録より 「二人寿三番叟 スケッチ」

エピローグの受け継がれる太郎の精神を眺めながら、出口に用意された言葉の空間。かつてあった「ジョン・レノン ミュージアム」のように太郎の言葉が壁一面に描かれている。それを読みながら、びしびしと迫り来る太郎の「精神」を全身に浴び、少しでも「受け継ぎたい」などと思った後、一人にひとつずつ、太郎の言葉プレゼントというコーナーがある。くじびきのようにして、いくつものことばの中から選びだした私の「太郎のことば」は
“たった一人だけでも、「ノン」という。時代に逆らう人間がいないといけない。”というものだった。
なんだか、ズシンときた。

出口を出るとすぐにグッズ屋が並ぶ。ビーチボールやてぬぐいなどのオリジナル商品が多く、まるでバザールのような混雑。
外の芝生の側にはガチャガチャがあった。太郎作品のフィギュア。1個400円、椅子が欲しい、欲しいと願った私は、見事、座ることを拒否する椅子の黄色と赤をゲットし。展覧会の充実感と共に、太郎のことばを財布にしっかりしまい込み、そして、がちゃがちゃを握りしめたまま美術館を後にした。
もう一回行きたい。そうも思うし、一度みただけであれだけのインパクトだ。頭に強烈に残っているとも、今、これを記している時点で思う。

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