おもてなし
-中国人観光客10倍増の時代に向けて-
2010年07月06日
ローマの観光スポット、スペイン階段を降りてまっすぐ進むとプラダの店があった。その店内が「日本人だらけだった」というのは、何年前だろう? もう10年ぐらい前の話になる。店員は日本語を話していた。ローマだけでなく、ヨーロッパにあるデパートとブランドショップは日本人でもっている。そうとまで言われてもいた。
10年経って今、日本のデパートは軒並み対前年比を下回り、合併や提携で生き残りを図っている。が、売り上げは芳しくない。高層階に目玉をおいて、客が下に降りてくる間に中層階の商品も購入するする「シャワー効果」なんて悠長なことを狙っている状況でもなく、目玉商品は地下と1階に集めている。銀座でワンコイン弁当(500円)が売り出されて、今、もう398円になっていたり。そもそも銀座にユニクロやH&M、Foever21がどんどん店舗を構えているところからいくと、そうそうデパートに足を向ける高級志向もないのかも知れない。日本人の顧客をどう迎え入れていいのか。打つ手を尽くしたというのが本音だろうか。
そこに来て「中国人」という客だ。これを商機とみるデパートは多いだろう。家電に集中しがちな「メイド・イン・ジャパン」の客をどれだけ囲い込めるか。高級ホテルと提携して中国人をデパートに呼び込み、購入した商品の(中国までの)送料を無料にしたり、中国語が話せる店員を常駐させたりと動きは激しくなるばかりだ。中国人のほとんどが持っているクレジットカード「銀聯カード」の対応は言うに及ばない。
そんな中国人に対して行われたビザの緩和。日本が発行する中国人に対するビザが、この7月1日から大幅に裾野を広げる。例えば、年収25万元以上から6万元以上となったり、官公庁か大手企業に勤めているだけで発給されたり。大手クレジットカード会社のゴールドカードを持っているだけもOKとなる。そんな緩和によって、発給要件を満たす層はこれまでの10倍、1600万世帯とも言われている。10倍。これはすごいチャンスだ。北海道、東京ディズニーランド、秋葉原に京都。そんな「典型」を凌駕する日本観光のスタンダード。TOKYOを中心に、いかにブランドイメージを立てられるか。それが勝負の鍵かもしれない。
イメージするのはParisだ。その響きから派生するいろんなモノが、フランスという国を厚みあるものにしている。モンサンミッシェルといえば旅は売れ、ロワールの古城に南仏の太陽まで幅広い。ユーロ・ディズニーが色あせるほどフランスという国には観光資源が多い。日本においても、アニメや渋谷ファッション、浅草の日本情緒にミシュランの星付きレストランという美食の街でもいい。とにかく強烈なアトラクションを持って、それに派生する「厚みある要素」でより惹きつける。労働力が海外に逃げ、技術まで流失している今、日本に残る「資源」は成熟した「文化」だけだ。多くのヨーロッパ諸国が通ってきた道。そこに、いかに近づけられるか。そして、どれだけ日本らしい要素をプラスできるか。
札幌で中国人専用の東横インが出来たり、標識を中国語に換えるデパートがあるという。つまりはハード面で中国人を誘う導線はできはじめているのだ。現実として、新宿駅にいると中国人の多さを実感したりもする。そんなハコを作った後は、ソフト面だ。都心のオフィスも、温泉街の旅館ですら、中国人観光客を目当てにする時代。ハコを整えても、中身が伴わないと、一過性のものになる。いま、中国人の旅行先は香港・マカオを除けば日本が一番多い。こんなに近くに、大きな市場がある。島国であるがゆえの排他性を克服して、うまく取り入れるべきである。日本人にしか分からない「美」や「空気感」。確かにそれはあって、そこに中国語がまじると雰囲気がおかしくなる。とはいえ、内需だけではどうにもならない今、その融合をどうやってうまくとるか。変にルールを決めようとしたり、日本人と外国人を別々に考えようとするなど論外だ。例えば、中国人ツアー客にばかり目を向けるレストランがある。団体客ようにリーズナブルなバイキング形式の食事を出し続けている。今はそれでいいかもしれない。が、そうやって個人客を排除していると、中国人にもいずれ個人旅行(FIT)の時代がくる。アメリカで始まり、欧州が続き、日本もそうなった。添乗員が旗をふって団体客を連れ回す時代などすぐに終わる。個となる中国人を受け入れる日本のハコ。それは、日本人でも中国人でも包括的に受け入れられる柔軟さが求められるのだ。ぼくは、ローマのテルミニ駅近くのピザ屋で、はたまたニューヨークはコロンバスサークルのデリで、ロンドンのトテナムコートロードのバーガーキングで、バルセロナの名もないレストランで、、、数多くの街で「自国の人も外国人も受け入れるカインドネス」な対応を見てきた。日本の、旅館やホテル、デパートや公共交通機関に求められるのは、そういう成熟した姿だと思う。
中国人が今の10倍も日本にやってくる。彼らがメイド・イン・ジャパンの「商品」に触れる中で感じる日本人のイメージ。日本の街の空気感。それを持って中国に戻る観光客。大事なのは、そんな彼らの感想だ。そんな彼らが感じた日本の姿だ。それが「良い」ものでなければ、日本の観光産業は危ない。
日本なんだから日本人だけをみて商売をする。やもすると、日本人なんだから日本語だけ話せればいい、なんて時代錯誤な頭では、この先、一歩も動けなくなる。
対人間。それは、地球全体に波及する需要。提供するのは、それに対応する商品なりサービスだ。より便利にしていくことはとても結構なことだが、それだけでは「日本」の魅力はない。
究極を言えば、日本人だろうが、中国人だろうが、もっと言えば欧米人だろうが、【訪れた《人》へのサービス】。それをどれだけ提供できるかに、この商機はかかっている。
ぼくは、この中国人観光客の増加を、それを受け入れる日本人のソフト面から、その対応から考えるべきだと思っている。
おもてなし。
日本には、こんな素敵な言葉がある。対、人、へのおもてなし。これこそ、日本ならではのプラス要素であり、そこにさらなる付加価値として電化製品や寺社仏閣やアニメやキャラクターグッズなんかがある。
イメージ。各々が感じる日本のイメージが枝葉を伸ばして広がっていく姿。10倍に増える中国からの観光客をいかに拾い、サステイナブルなものにするか。結局は、日本に古くからあり、真髄ともいえる「おもてなし」の精神が、その鍵を握っているように思う。
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