例えば、カードゲーム「UNO」にはいくつものルールが存在する。海外のユースで出会った日本人と、(なんでそんなんもってんの?)と思いながらも、まぁ、ちょうどいいかということで始めた「UNO」は、ほんと都道府県別に、いやもっとこまかく地域それぞれにルールがある。え?これできひんの?とか、こんなことやってもいいの?とか。ドロー4のあとにドロー2は、いくら色が同じでも出せませんよ!と、ぼくなどは思ってしまうのだが。
だから、始める前にルールを確認してから、大きく違うところは真ん中あたりをとって新ルールを採用してから始める。
ルールとは、規則、通則、準則、例規。
私とあなた、そして彼・彼女までを含めた「私たち」が共通に認識している「きまり」のなかで、それが例えマネーゲームだろうがなんであろうが、行わなければ狂ってしまう。損と得も、偉いも偉くないも、ごちゃまぜになって、なんでもありになる。なんでもありがまかり通るほど、未整備・無秩序な社会を、ぼくは断固拒否したい。そういう意味で、逮捕されるほどのルール違反・犯罪に手を染めたことがある程度明らかになってきたライブドア元社長・堀江容疑者は、愚かである。
気持ち的には、ルール違反しなくとも、10億、20億の経常利益をあげる企業マンなのに、セカイイチになぜそこまで囚われてしまったのか。彼が今後リセットするとするなら、もう一度、ルールブックから読み直して、あっと驚く「裏わざ」でも研究してもらいたい。
とはいえ、ルールは万全ではない。常に不備がある。
だから、先述のUNOの如く、新しく取り決めたり、改正するなら、「始める前」にしなければならない。グレーゾーンに手をつけて、後になって法を見直していた後手・後手が、堀江容疑者をあそこまで「増幅」させてしまったのだろう。改正や見直しは、絶対条件として「始める前」であり、その新ルールを「私たち」が共通に認めて開始するまで、どんなにおかしくても、不備があっても、ルールは守らなければならない。
法定速度を7〜8キロオーバーしただけ???先日の東横イン・西田憲正社長の会見を聞いて、憤りを感じた。確かに、彼の言う「それぐらい」は、侵している人の多いルール違反だ。原付バイクを30キロの速度でずーっと走る人もまぁいないだろうし、駐禁にシートベルト、携帯電話なんて、パトカー以外にそれらを完全に守っている人はみたことがない。
合い言葉は「みんなやってるし」。だから、自分もやってしまう。しかし!「交通ルールは守りましょう」という小学校の前の黄色い旗だ。あれが根本だ。守らないといけないことは守りましょう。あらかじめ言っておくが、ぼくは東横インなどのビジネスホテルチェーンは、都市部の宿泊において本当に重宝するし非常に価値のあるサービスを提供してくれていると思っている。6000円もだせばかなり綺麗な部屋に泊まれて、なに不自由なく過ごせる。が、それはあくまでもぼくにとっての話だ。身障者用の部屋が一年に一回や二回しか使わないので、スペースが無駄だとおもって設置をやめる、認可がおりないから、ひとまず法に則った設計図で作り、審査がおわったら作り直す。
はっきり言います、硝子張りの喫煙スペースなどよりも有意義なスペースです、身障者用の駐車スペースは。そして、一年に数回でも、「そこしか」泊まれない人を閉め出す感覚が、仮にも「宿」を提供している者として、その発想が、信じられない。そこは絶対やってはいけないことでしょ。営業会議か経営戦略会議が知らないが、そういう場で、「あの、私からの提案なのですが、身障者用の部屋、あれを取り壊して普通のツインルームにしようと思ってます」なんてことを言った社員がいるなら、いや確実にいるのだが、その人のセンスがしりたい。以前、ぼくが働いていた会社のビルには、車いすの「ビジネスマン」が二人いた。彼らは、ビジネスホテルと銘打つ東横インには泊まれないのか。それなら何ホテルだ。たかだか一部屋二部屋を身障者用に保てないほど、客室の稼働率が高いのか?もしそうなら、一泊6000円は高いのではないか。半額してもらいたい。おっと、話が逸れた。
ハートビル法というネーミングについてはどうかと思うが、例えば車いすの人にとってはスロープや段差がないことや広いバスルームは必須だし、外国人にとっては英語なり中国語の表示がいる。それらはなにも「優しさ」でもなければ、ましてや「ハートのある」といった次元ではないように思う。必須。それは絶対なのだ。今や全室シャワー付きがアピールポイントではなくなっているように、ユニバーサル・デザインは、私たち共通認識のもとで改正された後のルールなのであって、アピールするなんてものでもなければ、ないことが信じられない「当たり前」なのだ。(少なくとも、そういう方向へ向かおうとしているのだ)
それを違反した東横インが、「それぐらい」と吐き捨てるのは、やはり許せないというか。ほんまにそれだけか?とあらぬ疑いまでもってしまう。
つまりは、「ドロー4の後にはドロー2は出せません」でも「出せます」でもいいのだが、一度決めてから始まった「ハートビル法」を、簡単に破られたのでは、話にならない。
ルールばかりで息苦しいなら、みんなが息苦しいと「文句」を言うし、中学の時の教師の言葉を借りるなら、「合唱コンクールの練習が嫌なら、合唱コンクールを止めようと言えばいい。その自由はあるが、現状、やると決まっている以上は、それを(無駄)だの(面倒)だの(意味がない)と言ってゴネるのは、いけない」。
→ essay top