2000年8月29日(火)
5日目

モスクワ



朝6時半に起きる。昨日と同じように日記を書く。
本当に快適な部屋だ。9時頃からシャワーを浴び、朝食へ。エレベーターの所でAさんに会う。もう朝食は終えたらしく、下のツーリストカウンターでリコンファームすると言う。僕もペテルブルグからモスクワに戻って空港まで行くので、その行き方を聞こうと一緒にカウンターへ行く。

タクシーなら25$だと言われた。
そんなに出していられないので、他の行き方を聞く。

レチノイ・ヴァグザール駅から「551」のバスが空港まで行っているらしい。国内線の空港に寄った後、国際線の空港シェレメチェヴォUへ行くらしい。今日午後4時の飛行機で帰国するAさんもついでに聞いていた。彼らはすでにリコンファームを済ませているが、それでもまだ不安なのでツーリストオフィスを通そうとしたらしい。そのカウンターで別れた。

朝食は今日も種類豊富だ。ポテトにトースト、コーヒー、それと昨日取れなかったクッキーとプチケーキをほう張る。お腹も満腹になったところで部屋に戻りパックをする。下着をほとんど捨ててきているのでカバンに余裕が出来てきた。午後12時チェックアウトのため、ゆっくり出来る。くつろいでいると、部屋をノックしてきて、トイレのクリーナーにやってきた。そんなのチェックアウトしてからにしてよ〜と思ったが、まぁバスルームに通した。そのクリーナーのおじさんは、トイレの中でブツブツ言っている。ロシア語なので何を言っているのか分からないが、「話しが違うぞ!」みたいなことを言って、小さな穴を指さし、この部屋には穴がないんだ、とこの僕に訴える。僕に言われても知ったわけではない。僕が電話してよんだ訳でもない。そのおじさんは紙切れを見せて、「1525」と僕の部屋番号が書かれていることを主張し、部屋を出ていった。その5分後、また部屋をノックして、やっぱりっここだという表情をしてトイレに臭いのきつい液体をスポイトして部屋を出ていった。・・・なんやねん。

11時半頃だっただろうか、ホテルをチェックアウトする。下に降りると、本当に良く合う、FさんとAさんがいた。2人はバックを背負い、空港に行く前にレーニン廟を見るというのでご一緒することにした。

まず僕のバックを預ける。23:55発なのでこんな重いバックを背負うわけには行かない。何度か15階のフロントでバックを預けたいというと、下に降りてからというのでレセプションに行ってどこで預けるか聞いた。奥の方に荷物預かり所のような所があり、そこで10.40Pで1日預かってくれる。

3人で赤の広場に行く。

レーニン病の内部公開は火曜と木曜の午前だけ。レーニン病は赤の広場に面しており、廟が一般公開される時は広場を全面閉めきる。すごいことだ。レーニン廟に入るためには長蛇の列に並ばなければいけない。彼らの飛行機の時間を気にしながら、3人で並んでいると、廟の中にバックは持って入れない。僕は小さいバックなので交渉の余地もあったが、Aさんたちはバックパックだ。どうしようかと考えていると、Fさんが「俺が外で待ていてやるよ」と天使のような事を言う。風貌は違うが言葉は正に天使だった。僕にとってもこのレーニン廟を見れるのはラストチャンスなのだ。お言葉に甘えることにした。

廟に入るのは無料。厳重にチェックを受け、人気のない赤の広場を行く。Fさんに待ってもらっているのと、飛行機の時間が迫っているという理由から走って廟に向かった。等間隔に立っている兵士に「走るな」と怒られた。そのまま暗くヒンヤリとしたそして所々に兵士の立つ中を進むとほのかにライトアップされたレーニンが眠っている。

蝋人形ではないかと今でも思うくらい血色がよく今にも話しかけてきそうだった。

しかし、もしこのレーニンの死体が蝋人形なら赤の広場を全面立入禁止にして、これだけの人数の兵士とあの厳重さはあり得ない。廟のなかで話していると「シィ〜」とまた兵士に怒られた。現役の高校教師と24歳の僕が走って怒られ、しゃべって怒られた。

その後、ぐるりと入った側とは違う方からしか出れず広場の逆側から出る。何人もの墓があり、赤いカーネーションが手向けてあった。時間がないので走る、走る。廟を出て、広場には入れないので面して建つグム百貨店の中をダッシュで駆け抜けた。久しぶりにこんなに走った。今夜は寝台列車で1泊なのでシャワーを浴びれ無いという理由から極力汗はかきたくなかったが、ダラダラ出た。1500m走の時のような息苦しさ。「ごめんね、走らせちゃって。」とAさん。彼らとも本当にここでお別れ。駅まで見送って別れた。なかなか愉快な2人だった。

彼らと別れてからグム百貨店を見る。買うのでは無く見る。ブランドショップのブティックずらりと並び、吹き抜けで渡り廊下のある3階建て。綺麗な百貨店だった。渡り廊下から見ると、世界中の百貨店の中でも結構綺麗な方に入るのではないかと感心するほどだった。その中にあるカフェで、氷を2つ入れただけのアイスコーヒーを30Pで頼み、席に座って日記を書いていた。

日記を書いている間にレーニン廟の開館時間も終わり、赤の広場には入れたので、またその広場に腰掛ける。長閑だった。長い袖のシャツは着ていると暑いが脱ぐと少し寒い。その広場には今日も何十、何百という人々がいる。カメラ位置を必死ではかる人、ジュースをこぼして泣きじゃくる子供、そして広場の清掃員。清掃員は黄色いシャツを着ている。ちなみに露天商をする人は青のシャツ(ゼッケン状のタンクトップ)を来ている。きっと許可か何かが必要なのだろう。1時間以上、太陽を浴びながら、左に聖ワシリー聖堂、正面にクレムリンの城壁とレーニン廟、右に国立歴史博物館をぐるりぐるりと見回し、時には空を仰ぎ、そして時には石畳の凸凹の地面に目を落とす。この赤の広場は心地よい。気持ちが良い程広く、空も青空で最大に開放感がある。

そろそろ腰をあげる。本当はいつまでだってここに座っていたい位だがモスクワは今日が最後なのでちょこっと見て回ろうと思った。クレムリンから南にあるプーシキン美術館へ。この暑い中ビッチリ制服を着込んで衛兵は直立不動を保っている。本当に精神力が強いなぁーと感心する。時給2000円のバイトでも僕なら遠慮したい位だ。相変わらず人の多いアレクサンドロフスキー公園を横切り、交通量の多い道へ。どう行けば美術館につくのかなんて全く分からないが、持ってきたガイドブックで方向だけ頼りに進む。人気の無いトンネルを潜り、直感的行動で曲がるとそこがプーシキン美術館だった。我ながらこの直感にはあっぱれだ。近くには救世主キリスト教会の黄金のドームが光る。

この美術館にはミロのヴィーナスやサモトラケのニケがあるがルーブルではない。ダビデ像もあるがアカデミアでもない。彫刻はほとんどがレプリカ。絵画のみが本物とガイドブックには書いてある。絵画のみを見ることにした。まず一番心を惹かれたのがFERNAND LEGERのCONSTRUCTORSという作品。空が黄色く、全体的にカラフルなその絵からは工事現場の荒々しさが感じられない。そしてマチスの「GOLD FISH(静寂の金魚)」、アーティスト・スタジオ、NASTURTIUMS AND THE DANCE、シャガールのWHITE HORSE、ゴッホのFISHING BOAT AT SEAやPRISON COURTYARD、ピカソのYOUNG ACROBAT ON A BALLやバイオリン、モネのTHE BAR、ルノワールのNUDEやGIELS IN BLACK、DEGASのバレリハーサル、ピサロ、ゴーギャンのQUEENやGATHERING FRUITS、ピエロとハーレクイーン、PIERRE BONNARDのアーリー・スプリング・イン・ザ・カントリーとオータムという大きな作品、ALBERT MAQUETのVESUVIUSやANDRE DRAINなどとにかく意外といっては何だけど充実していた。

ナポレオン1世のポートレートもあった。丁度飽きず、疲れない程度の大きさで満喫したこの美術館は160Pの入場料だった。もちろん外国人料金になる。

そこから国立図書館まで移動して少しその前の広場で休憩した後。アルバート通りへ行く。この図書館の前には鳩がいた。竹に虎、紅葉に鹿、広場に鳩といってもいいくらい似合う光景だが僕はこの鳩が嫌いである。そしてもっと嫌いなのが子供がこの鳩とセットになっている事だ。この図書館の前の広場でも子供がはしゃぎ鳩を追いかけ回しては飛び立つのを楽しんでいる。そこからアルバートまでは昨日も通った道、その道沿いに工事をしている人がいた。さっき美術館で見たコンストラクターズがこの光景を描いたモノだとは思えないほど、汗と大声が似合う光景に見えた。アルバート通りでお土産を買う。

一通り見て、一番奥のマクドナルドに入る。昔社会主義のロシアに資本主義の象徴とも言えるマクドナルドが出来たとき、長蛇の列が出来ていたことを思い出す。ビッグマックが39P、ポテトMとコーラLで84.50P(338円)だった。これと言って違いはなく世界共通の味だった。ただ一つ、ピクルスではなく、フレッシュキューカンバーだった。サンドイッチのようで美味しい。完全に禁煙だったのでそうゆっくりも出来ない。禁煙だという点はアメリカのようだ。食べ終えてもう一度アルバート通りを歩く。全長500mはあるだろうか。兵士の人形5体セットで300Pのところを250Pに値切って買い、チョコレート4箱を260P、そして昨日から目を付けていたマックレーニンのTシャツを買う。
夕方も7時となると酔っぱらいで溢れ、テントもだんだん閉められていく。店員でさえ酒臭い。最初マックレーニンのTシャツの値段を聞くと2枚で500Pと言われ、そこはとりあえず止めてちょっと行けばすぐにあるだろうと思っていたが、意外にテントが閉まっており随分歩いてやっと2軒目で聞く。2枚で550Pだ。1枚300Pなので一応まけてもらっているがさっきの店の方が安い。また、さっきのとこまで戻ろうかとも思ったが、足の疲れと相談して、もうそこで買うことにした。このテントハウスでアメリカ人と会った。やっぱりネイティブの英語は分からないなぁー。とにかく全てのお土産を合計1060P(4,240円)で買い終える。それからまた赤の広場で少しだけ腰かけてメトロでホテルに戻る。ラッシュでいっぱいだった。窓を開けて走るメトロの風が気持ちよかった。

ホテルに戻って荷物を受け取り、ロビーに座って日記を書く。初日、ホテルで水を買ったときには30Pだったのに、同じ店でかったのにあっさり25Pと言われた。きっと外国人料金がはっきり決まっていないのだろう。ちなみに全く同じ種類の水だったのに。日記を書いていると日本人2人組が話しかけてきた。日記に夢中であまり相手にしなかったが、どうやら僕と同じ寝台列車でサンクト・ペテルブルグに今晩行くらしい。その前に友達と待ち合わせをしているのでそれまで僕らもここで待ちますといい、1つ離れたソファーに腰掛けた。僕はそのまま黙々と日記を書いた。・・・と、トイレに行きたくなった。カバンを見ていてもらおうと話しかけると「行きますか?」とどうやら待っていたらしい、僕が行くのを。いや、トイレに・・・というと金髪のロンゲが僕も行くので、と、これまた意外に人の良さそうな彼と二人でトイレに行く。彼らは富山から船とシベリア鉄道でこのモスクワに来たらしく、その素敵なルートに羨ましく思った。僕も最初はそうしようと思ったのだが、働いている以上なかなか難しい、日程的に。

どうやら、彼らは友達と(おそらくシベリア鉄道で出会った)の待ち合わせが夜9時だったようで、もう8:45を過ぎてしまったから「じゃ、行きます」と去っていった。普通は俺も誘うだろ?とおもったがまぁよしとした。

それよりバックが重い。全てのお土産をこんなに早く買って良いのか?あの直射日光の中で売っていたチョコは大丈夫か?などとも思ったがまぁ安かったのでいいか。それにしてもお土産というのは厄介だ。だいたい4,000円なんて僕の何日分の生活費だろう。外はもう暗くなっている。考えてみれば暗くなったモスクワの街を見るのは初めてだな。そう言えばワシリー聖堂の横にライトアップ用のライトが四方にあった。夜の10時頃からようやく照らし出すのだろうか。本当に陽が長い。なおも日記を書き続けロビーに座っていると巡回兵士が前の席の人にパスポート提示を求めていた。僕もパスポートを用意していたが、何も言われず兵士か警官か分からないが去っていった。現在9時半だが、そろそろゆっくり行こうか、出発駅のレニングラード駅へ。

一歩外に出てびっくり。やっぱり夜モスクワは寒かった。白いトレーナーを着る。イズマイロボの集合ホテルも見納めだ。肌寒いを越えて本格的に寒くなった駅前では若者が酒を飲み集団をつくりたむろしている。イズマイロフスキー・パルク駅からウールスカヤで乗り換え、コムソモーリスカヤ駅へ。この駅もかなり大きくて迷ってしまう。表示は読めない。良く聞くと「ニース」というのはロシア語で「下」を意味するらしい。何度も耳にしたロシア語だ。勢い良く開閉するメトロの扉にも慣れてきたが、乗り換えだけは相変わらず迷う。

なんとかコムソモーリスカヤ駅に着き近くのレニングラード駅へ移動する。大混雑だった。夜10時過ぎに着いてしまったので列車はまだ着いておらず、ベンチ1つないホームは夜風が冷たく、大荷物を持った人達と、タバコと酒でガヤガヤしている。腰をおろす場さえ相当探さないとない。
23:30頃ようやく列車が来ており、3号車の36ベットへ。日本人だからだろうか、列車に乗り込むときパスポート提示は無かった。Aさん達が2等のチケットだったが1等の席になったらしいので、まさか僕も?と期待したのだか、家族連れに挟まれた4人部屋。ベットの間隔が狭く、かなり窮屈だが快適と言えるかも知れない。ほぼ時間通りに発車しガタガタ揺れる車内で日記を書く。モスクワは乾燥しているのだろう、唇や肌がカサカサだ。同席に女性もいる。男に囲まれ嫌そうな顔をして廊下の窓から外を見ている。本でも読みながら眠るとするか。



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