2000年8月30日(水)
6日目
サンクト・ペテルブルグ
出発してすぐ寝た。
部屋はコンパートメントで2段ベットが2つある4人部屋。2等の席だ。僕は上の席で部屋のライトが眩しいのでトルコ航空でもらったアイマスクをする。かなり経ってから1度、目が覚めた。アイマスクを外しても同じくらい暗く、もうアイマスクは必要ないので外したまま、また眠る。チクチクする麻のシーツでもっとチクチクする毛布が肌にあたらないように体を包み込むようにして眠る。午前7時にセットをしたままだった腕時計のアラームがなって起きる。
朝食は乗り込んだときから置いてあったパンとヨーグルトとチーズ。そして炭酸水。狭い廊下の突き当たり、車両と車両の間が喫煙エリアなのでそこで朝の一服。至福の時だ。コンパートメントに戻ると、僕の下のベットで寝ていたおじさんが、隣に座れとベットを2,3度叩いた。向かいのおじさんと隣の部屋だった彼の息子、そして唯一の女性(彼女は、僕のアラームがなったのでわざわざ僕を起こしてくれた。)の5人で向かい合って朝食を摂る。
5人は会話をするが、当然僕だけロシア語が話せないので必然的に聞き手に回ることが多い。僕の下のベットだったおじさんは、アストリカか何か言う名前で高校の科学の先生らしい。サンクト・ペテルブルグに住んでいるという。女性もペテルブルグ在住。僕はAさん達にもらったロシア会話集を傍らに置き、彼らの会話を中断してでも日常会話の中に入り込もうと挑戦する。アストリカは日本の文化に興味があり、アイヌの事や芥川龍之介についてロシア語で熱弁する。へぇ〜と感心するのは僕と子供以外の2人で、僕にはその細かい内容がさっぱり分からない。固有名詞が日本語なのでテーマを掴むだけで終わる。その後1時間半ほど何やかんやと話す。特に印象に残っているのは、ゴルバチョフもエリツィンもだめだ、プーチンがベストとかなり強い口調と片言の英語でアストリカが主張したことだった。ペレストロイカのゴルビーも日本のようには評価されていないようだ。彼らとは寝台ならではの出会いだった。ほぼ予定時刻通り、朝の8時半にサンクト・ペテルブルグのモスクワ駅に着いた。同じコンパートメントだった女性は別々の部屋になってしまった彼氏と久しぶりの再会を喜び抱き合いキスをしていた。
街に出る。寒く感じた。
モスクワよりは随分北にあるせいかもしれない。しかも雨が降っていたのか地面が濡れている。僕のホテルはオクチャブリスカヤといい、たしかこのモスクワ駅から近いはずだったし、あの同室の女性も10分だと言っていた。とりあえず歩き出す。頭の中にまだこの街の地図が入っていないが、ネフスキー大通りというのが東西を突っ切っており、それのちょうど東端にあたる、本当にモスクワ駅の近辺にあるはずだ。まずはネフスキー大通りがどれかを通行人に聞いた。なにしろ文字も読めないので聞くしかないのだ。「ネフスキー?」と聞くと「あれさ」と指された通りの周辺を探す。いまから思えばプローシャチ・ヴァスターニアというメトロの駅の西側をグルグル探してた。人に聞く。あそこだ!と指されたのは一本東の通りだった。とにかくホテルに無事着き、午前9時にもなっていなかったのでチェックインはまだ無理かなと不安を抱えてレセプションへ行けばあっさりできた。
ロシアのホテルはモスクワとペテルブルグの場合だが、チェックインの際に宿泊証を1階のカウンターでもらい、パスポートとビザを一時あずける。これはビザにホテルに泊まったという証明をスタンプしてもらうためで、モスクワのイズマイロボは17P取られたが、ここはただらしい。そして、その宿泊証をもって自分の部屋のフロアーまであがり、フロアー・バイ・フロアーで鍵を受け取る。そうするのも納得できるほど、ホテルというホテルが広く部屋数が半端ではない。オクチャブリスカヤは3階の廊下を歩ききるだけで疲れる程長く、鍵を受け取るカウンターでさえ1つの階に2つあるのだ。僕の部屋は3階の96号室。1つの階に100室以上を持つホテルなのだ。廊下はミシミシと音をたてる古いホテルで、旅行社からもらったバウチャーには NON-RENOVATED ROOMと書かれていたのを思い出した。改装済の部屋は綺麗なのだろう。そう言えば1階のレセプションでこのホテルのブローシャーをもらったが自分の部屋とは大違いだ。そのブローシャーを各部屋にも置いてある。もちろん改装していない僕の部屋にも置いてあり、そのブローシャーの室内写真はかなり綺麗で、ここにとなる客全てがここのホテルのパンフレットと理解は出来ないのではないだろうか。また、部屋の窓から外を見ると真ん前に降り立った水色のモスクワ駅が見える。こんなに近かったのかぁ。
とりあえず顔を洗う。すぐに街に出た。
どんよりと曇っており、肌寒い。ネフスキー大通りを歩いてみることにした。片道(モスクワ駅から宮殿広場まで)3q弱は地図で見る限りある。足が痛い、が不思議と前へ前へと進める。初めての街を歩くときの特別のドキドキがそこにはあるのだ。それにしてもこの目抜き通りは工事が多い。その辺を掘りくり回している。その為に砂地になっていたり砂利の道を渡る。通り沿いの建物はやはり大型で、何よりその色使い、街全体の色彩的イメージが印象に残る。全てに置いて淡い色なのだ。白っぽい石そのままの建物もあるが、そう言ったモノにはだいたい大袈裟な彫刻が所狭しと施されており、そうでない建物は淡い黄色や黄緑、水色といった壁なのだ。特にフォンタンカ運河の橋からみる運河沿いはヨーロッパ特有の色彩と美が感じられる。なにより淡い黄色が目立つ。ウィーンなんかはマリアテレジア・イエローといって有名だが、ここサンクト・ペテルブルグもかの女帝エカチェリーナが好んだ色なのだろうか。男性的にピリピリしたモスクワに比べ、ここは女性的にフワフワしているように感じる。
通りの量隅の歩道には点々とパラソルを開いたドリンクとアイスクリーム売りがあり、腰をおろしている。そこでコーラ14Pを買う。10時半頃のネフスキー大通りにはあまり人がいない。ピザハットにケンタッキー、通りの横断幕にはGUCCIにKENZOといった、これが社会主義大国ロシアの街であるのを疑うような店やブティックが並ぶ。エカチェリーナ2世像の公園を過ぎ、左手にカザン聖堂が見え、グリバエードフ運河の橋の上から右手にワシリー聖堂を思い出させるような形のスパース・ナ・クラヴィー聖堂が見えた。運河沿いの道を進んで近づいてみる。ワシリー聖堂よりも建物と感じさせるスクエアが多く、綺麗な四面体の四方の面には壁画がある。色も鮮やかではげ落ちていることはない。ぐるりと一周してみたが、やはりこれは建物としての安定感を持ち、見上げてみても予想通りの姿が現れる。ワシリー聖堂のようにアンバランスの中から生まれる最高のバランスの良さは持ち得ていないように思った。また運河沿いをネフスキーに向け戻る。「サクラ」なんていう日本料理屋があった。そのままネフスキーを渡ってカザン聖堂に行ったが現在大工事中。どうやら聖堂の前に広がる庭を掘り繰り返しているらしく、青い板と金網で四方が覆われていた。上に見えるドームだけがその存在を辛うじて示している。とにかく、宮殿広場までは長い。
涼しいが汗をかく程だ。
ようやくネフスキー大通りの突き当たり、宮殿広場に着いた。またまた広い広場。真ん中にはアレクサンドルの円柱が建ち、薄い黄色の壁で凱旋のアーチを持つ半円形の建物が、広場を囲む様に建っている。反対側には黄緑色の豪華な建物、エルミタージュ美術館がある。上にずらりと彫刻が並び、世界四大ミュージアムの貫禄を感じさせた。午後12時だからか、それともエルミタージュに入っている為かよく分からないが、広場は閑散としていた。とにかく円柱の下に腰をおろす。似顔絵描きが一人ポツンと広い広い広場にパラソルを開いて座っている。エルミタージュの横にはずらりと何十台ものツアーバスが並んでいる。それが泊まる度に団体客が中へと入っていった。
空腹だった。
宮殿広場近くの屋台でホットドックを買おうとしたが、ロシア語で恐らくまだ時間が早いという様な意味のことを言い断られた。・・・えっ?もう12時ではないか。まぁ諦めてそのままエルミタージュを突き抜けて大ネヴァ川沿いを歩く。その道は宮殿橋につながっており、その下あたりからクルーズが出ている。スピーカーで客引きをする。何を言っているかはサッパリ分からないがその様子と状況からだいたいの事はいっている。しかし、肝心の値段が聞き取れない。いくらくらいするのだろう。恐らく1時間から1時間半ほどの遊覧船だ。そんなに高くはないだろうが、乗る気にはなれない。モスクワでもモスクワ川クルーズがあったが川からみたらそりゃ街の風景も違って見えるが、なにかパリの様でいやだった。川沿いは確かに綺麗だった。川幅が広いネヴァ川の両サイドを淡い色の建物がきちんと整列して建ち並ぶ。おとぎの世界ってこんな感じではないかと思うくらいだった。やはり、そう思う一番の要因は、まったくしつこいが、淡い壁の色なのだろう、やっぱり。そしてヨーロッパ調の宮殿みたいな建物。薄い黄色が相変わらず多い。そのまま宮殿橋を渡る。川沿いから橋を渡ると、彼方にペトロパブロフスク要塞がぼんやり見える。この日は曇っていたのでぼんやりだが、晴れていればもっと綺麗なのだろう。その手前、橋を渡って少し行けば、深紅のロストラの灯台柱がある。この街に置いて深い赤色は異様に思えたが、これは180年間もここにあるらしい。橋を引き返しているときに、ドカ〜ンッと大砲がなった。恐らく要塞から観光用の大砲が撃ちならされたのだろうが、ロシアという国のイメージから本気で一瞬驚いた。
エルミタージュの横にはアレクサンダー公園が広がっている。昼間からウォッカではなくビールを飲み、4,5人でたむろする若者達が楽しげに話している。よく考えるとロシア=ウォッカというイメージだったがカフェでもどこでも結構ビールを飲んでいる方が多い。また、滑り台のある公園の一角では子供連れの母親達が井戸端会議をしている。万国共通して子供は可愛い。その公園を突き抜けてイサク聖堂に行こうと方向だけを頼りに狭い裏道へと進んでいった。大通りを1本入るだけでこれだけ違うのかと思わせるほどゴミが散らかり、車を整備する人、大音量でカーステをならし、誰かが来るのを待っている人など、少し恐怖を覚えるような雰囲気を持っていた。両脇にずらりと駐車されている車はどれもポンコツである。まぁこれはネフスキーを通っているほとんどの車、それがタクシーであっても、パトカーであってもポンコツなのだ。ポンコツでもクラクションだけはしっかりと効いていて、うるさいくらいにビービーならす。週一回は必ずワックスを掛けるという日本のカーユーザーからしてみれば信じられないだろう。
グルグル回っていると黄金のドームを持ち、巨大なイサク聖堂に出た。威風堂々とはこのことかと感じさせるほど大きな聖堂だった。しかし、水曜日の今日は休みだった。その前の広場から1枚写真を撮り、明日また来ようとそこを後にした。ネフスキーに戻る。行きにも見た淡い水色のチャーチがあり、これは印象深い。中には入らなかったがとにかく全面水色の壁を持つ教会は始めてみた。空腹は続く。とにかくパラソル屋台でソフトクリームを買う。なんと50P。そのチープな味に虜になった。上にはチョコ地にアーモンドがまぶしてあり、その下のバニラはハーゲンダッツのような重くとろとろしたものではなく、サックリとろけてしまうサワーのようなもので牛乳なんてほとんど入ってませーんと主張しているかのようだった。歩いている人の多くがこのチープな味と値段のソフトクリームを手軽に食べている。エカチェリーナ2世像の前に腰をかける。その奥にあるアレクサンドリンスキー劇場でAさん達がバレエを見たというので僕も明日ここに来ようと思う。
ホテルに戻る途中でグリル屋に入る。
ビーフメニューはどれかを聞くと、これとこれとこれと・・・、と続いたので写真からして一番美味しそうだったグリルステーキにする。「ポテトは?ケチャップは?コーラは?マッシュルームは?」とどんどん聞いてくるのでポテトと水を頼む。ステーキとポテトと水、ケチャップで128Pだった。これだけ頼んで500円ほどなので安いと言えば安いがランチにしては少々豪勇すぎた。味は美味しい。少し肉が堅めだが普通に食べれた。空腹のため一気にほう張る。ステーキの皿に添えられているはキャベツの漬け物みたいなやつ(プラハでもあった)やコーン、そして驚くことに日本でも食べる甘い白大豆も出てきた。まぁキャベツの中に髪の毛が入っていたが許す。もうとにかく足が痛い。筋肉痛はもちろん、特に左足の薬指の爪が中指を押しやって、そこが切れているので歩く度に痛い。爪切りが欲しくてたまらない。昼食を終え、一度ホテルに戻る。
途中で7Pの水購入。ここでは水を買うとき、ナチュラル、もしくはピュアと必ず言わないと、普通に炭酸水がでてくる。ロンドンみたいなところだ。3階で鍵を受け取ると1階のカウンターでチケットを受け取るようにと伝言された。明日の寝台列車のチケットだ。パスポートとビザ、列車のチケットを受け取り、バレエを申し込もうとツーリストカウンターはどこかと聞く。なんと、このオクチャブリスカヤホテルにはツーリストカウンターがない。残念だ。劇場まで行って自分で買おうかとも思ったが、一度下がったテンションは上がらず、Aさんたちがいっていた言葉を思い出す。結構良い席だったとはいえ、劇場チケット代は6000円くらいしたと言う。明日エルミタージュをゆっくり見て、焦って7時からのバレイをみて、終わってまた焦って寝台に乗り込むのも少し億劫になってきた。
ロシアに来たからといって急にバレエを見てもなにが感じられるのか。
好きでもないのだ。あ〜どうしよう、しばらくホテルで休憩する。
午後3時半くらいだったのでまた街に出ることにした。もう歩くのは懲り懲りなのでメトロで行く。ガイドブックを信用して2Pを払うと、5Pだと言われジェトンを買う。帰りの分も2枚買って置いた。ペテルブルグのメトロはイスタンブールのトラムと同じようにジェトンというコインを買って、それを改札に入れる。ホテルの前にあるプローシャチ・ヴァスターニア駅からネフスキー・プロスペクト駅まで乗る。・・・が、僕は間違えて3号線に乗ってしまったらしく、1号線なら1駅なのに、隣に建っていた若者に聞くと3番目に降りて乗り換えるというようなことをロシア語で教えてくれた。とりあえず、どうなってしまったのか混乱し、言われた通り、3番目の駅で降りた。ひとまず外に出てみる。降りた駅がどこなのかも定かではないまま。外に出てネフスキー通りまでどう行けばいいか聞くと、2人に聞くと2人ともメトロで行かなきゃ遠すぎると言われる。2人目に聞いた女性はほんと、可愛い人だった。余談だが。
2号線に乗り換えて2駅、カザン聖堂の前にあるネフスキー・プロスペクト駅に着いた。なかなか大変だった。結局降り立って迷いまくっていたさっきの駅はチェフナラギーチェスキー・インスティチュート駅という噛みそうで長い名前の駅だった。まぁそれがロシア語で書いてあるので読めるはずもない。何回乗っても、どこ行きかの表示が読めないので結局人に聞かないといけない。聞くと言っても英語が通じないので駅名を連呼するだけだが。モスクワではこの戦法でいつもうまくいっていたのだが、ロシアのメトロで初めて途方に暮れてしまった。
とにかくカザン聖堂から宮殿広場に向けて歩く。午後4時半頃だろうか。朝の広場とは違い若者を中心にツーリストと混じって賑わっている宮殿広場。エルミタージュの前でローラーブレードをする若者。注意して見るとローラーブレードはロシアで大流行である。夕方になってようやく厚い雲から細い夕日が差し込むようになってきた。それでもまだ寒い。宮殿広場からネフスキー大戸折りに引き返し、駅に向かう途中、日本人がいたので話しかけた。Kさんという30代の男性で、三井物産の商社マン。今回H.I.S.のツアーで来ており、今は自由行動らしい。そのツアーは1週間のロシアの旅を19万円で売っている。Kさんは学生時代、バックパッカーで50以上の国を回ったらしい。そして商社マンになってから10カ国くらい行っているので、今までで60カ国の国々を見たことになる。パスポートにスタンプが押せないらしいから。
「バックパッカーもおっさんになったらツアーが楽で良いですよ。」
これは名言だった。今回はツアーに一人参加らしい。タイ語の勉強の為、2年間バンコクに研修にも行ったらしい。カザン聖堂の向かいにあるおしゃれな通りに面してあるオープンカフェでコーラを飲みながらKさんとはなした。この通りにもっとオープンカフェがあればパリの様になるだろう。座っているロシア人は典型的に北国の金髪と青瞳で綺麗。ビールを片手に絵になる光景だった。
それに比べて男二人の僕たちはダラダラ話していた。Kさんは高校まで大阪で大学から東京に行き、今は川崎に住んでいるらしい。どうも今回の旅で会う日本人は神奈川県人が多い。ずいぶんと話し、もう午後7時くらいだったのでそのカフェの奥にあるレストランで夕食をする事にした。ドルしかないKさんと一緒に両替へ。僕も10$だけルーブルに替えた。そのレストランは店内がおしゃれで高級なイメージを感じさせる。メニューは英語でかかれており、そこにキャビアがあった。これは食っておかなければ。レッドとブラックの2種類があり、値段が全然ブラックの方が高かったので、それを頼む。といっても60P(240円)だ。それとビーフメニューにビールを頼む。その店のトイレに行く。南米のように使用後の紙は流さず横に置かれた箱の中に入れていくので、トイレ中臭いが充満している。僕の前に入っていたあの綺麗な女性も・・・と想像してしまう。トイレで少し嫌な思いをして席に戻る。またこの席が中央に1台だけある席で、僕らを囲むように他の席がある。ちょうど右側の席に日本人女性2人がいた。彼女らは同志社大学の4回生でサンクト・ペテルブルグに1ヶ月間の短期留学をし、4単位がもらえるというオイしいプログラムに参加している。まだ来て4日目と言う彼女らは、このレストランがかなりのお気に入りらしく、店員に笑顔があって、料金も安く美味しいので早くも2回目の来店だと言う。他の店ではほとんど笑うことがないらしい。僕もロシア人が笑顔で微笑みかけてきてくれるイメージはなかったが、結構今までモスクワでも嫌な印象はない。彼女らは大学の寮に住んでいて、恐らく門限があるのだろう、そして夕食も食べ終わっていたのでそのまま別れることにした。
キャビアがテーブルに運ばれる。小さいパンの上に乗ったキャビアと大量のバター。そのバターとパンと一緒に食べる。3口ほどの小さいパン。ゆっくりとキャビアを堪能したが、結論を言えば、それが、キャビアという名でそして、その名のもつイメージから美味しいと感じるだけのモノだった。もう食べないだろう。イクラの方がずっと旨い。チョウザメの卵より鮭の卵だな、僕には。
小さなそこの浅いナベに牛のグリルを乗せ、その上からオニオンと卵をとじた、もう一品は非常に旨かった。ロシアの食事は満足だ。どこで食べても平均以上の味を確保しているように思う。ビールも飲んでほろ酔いになり。8時か9時頃別れた。僕の方が絶対に高いと思うが、Kさんは割り勘で良いというので1人150Pの夕食になった。昼食よりも安い。ホテルまでは歩く。帰りの分に2枚ジェトンを買ったのだが、乗り換えたため(外へ一回出たので)2枚とも使っていた。外はこの時間になっても全然明るい。ホテルには9時半頃だろうか戻ったのだがそんな気は全然しなかった。
シャワーを浴びて、ミニバーに入れて置いた水を飲み、テレビを見ながら深い眠りについた。眠る前に売春の電話があった。「セックス」という言葉がやけに強調されて聞こえたがNo Needと言って切った。こんな電話が出来るくらいのセキュリティーなのか?
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