2000年8月31日(木)
7日目
サンクト・ペテルブルグ
朝7時に起床。
外を見るとまた雨が降ったらしい。
今朝は8時くらいになるともう日が差し込む程、昨日に比べれば天気が良い。アメリカ映画をテレビで見ながら昨日の日記を書く。最後となるシャワーも浴びる。よく考えればこの街の中にはアメリカ音楽が氾濫している。
午前11時半ごろチェックアウトする。
最後のパッキングとなるため入念にこじんまりとする。1階で荷物は預けるように言われたのでレセプションで聞く。ロシアだからかどうかは分からないが、ホテルの奥に荷物の預かり所が別にありそこに持っていくというシステムらしい。これは他の国でもそうなのかもしれないが、なにしろ日本も含め、チェックアウト後荷物を預けた経験がないので何とも言えない。とにかくポーターに荷物を預けたいというと笑顔の全くないおじさんに連れられて奥へ。僕が「スパシーバ」といって微笑みかけると彼もにっこりと笑う。
身軽になってから街へと繰り出す。
相変わらずホテルを1歩出た時の風は気持ち良い。天気は良いが風が冷たい。何より足が棒だ。メトロでカザン聖堂まで行く。今日は人にいつも以上に尋ねまくったため無事1駅で着いた。実はメトロを降りて長い長いエレベーターを上がり、出口を出てカザン聖堂を見るまでは本当に正しい駅かどうか分からなかったのだが・・・。目的地の駅はカスチーヌ・ドヴォール駅。同じ駅でも乗り入れる線毎に名前が変わる。これが最もややこしい原因である。大阪の地下鉄だって、何線であろうと本町駅は本町駅なのに。無事着いた事にほっとして歩き出す。
人通りが多い。
この時間、昼頃からみんなぼちぼち動き出すのだろうか。昨日とはうって変わって人混みとかしたネフスキー大通り。パラソル屋台で7Pのアイスクリームを食べる。虜になった5Pのソフトは売ってなかったのだ。ただ、このパラソル屋台では外国人料金なんていうのがないので助かる。別に物価が違うのだから外国人料金を設定するのはかまわないが、ロシアともあろう大国がそれをしているので少し遅れていると感じてしまう。アイスを食べながら工事の多い道を行く。KENZOのショーウィンドウには「めし」とか「空手」と書かれた掛け軸がある。???なんだ?その近くで昨日、そう言えばバスの脱線事故があった。バスの脱線?と言われると不思議な状況だが、この大通りを走るバスはネフスキー大通りに張り巡らされている電線からパワーをもらって路面電車のように走っている。その電線とバスを繋いでいる棒がはずれ、ブラブラコントロールを失った長い棒が隣の電線に触れバチバチと火花を散らしていたのだ。ビックリして立ち止まったのは僕だけで他の通行人は何食わぬ顔で素通りだったところからして結構日常茶飯事なのかもしれない。バスから「またかよ。」という表情で降りてきたドライバーは慣れた手つきで棒をもとどうりにしてまた走り出した。
エルミタージュに行くまでに屋台でホットドックもかった。11P。朝食だ。パンとソーセージを簡単に焼き、その上にケチャップとマスタードをかける。上にのている酸っぱいキャベツが美味しい。その簡素な味はニューヨークのベンダーで食べていた1$ホットドックににた味で懐かしかった。
12時を少し回った頃にエルミタージュ美術館に入る。
入場料はなんと250P。国際学生証があれば無料になる。日本語のガイディングテープがあれば借りようとおもったが、英語、フランス語、イタリア語、スペイン語しかなく自分の足とガイドブックだけでこの巨大な美術館を見て回ることにした。まずは2階へ。階段から金ぴかの彫刻で踊り場から見上げると大きな天井画がある。この美術館自体に相当の価値があるのではないだろうか。まず、陶器類が展示された部屋から始まり、イコン画など宗教画となり、次第に中世ヨーロッパの写実的な大作が並ぶ部屋へと続く。とにかく広い。部屋の数がすごいのでいちいちフロアー・プランなどをみながら歩いていると迷う一方だ。気の向くまま歩き、興味のある作品の前で立ち止まり、英語の説明を読む。ロシア語だけの説明しかない作品もいくつかあり、それはその作品から受けるインスピレーションだけを感じ取る。ナポレオン1世の肖像画やラファエロの「聖家族」、レンブラントの「ダナエ」「放浪息子の帰還」など。まるでテートギャラリーばりに絵画が並ぶ。またロシア皇帝が使っていた豪華な馬車や、騎士達の鎧など。廊下のような所でさえも壁画に天井画に一面アートされている。首を曲げたまま進む。「ノーフラッシュ」と怒られながらもカメラを構える。皇帝の椅子が豪華絢爛に展示されており、一度でいいから座ってみたいと、小学生と変わらない願望さえ浮かんでくる程、ここにはごく当たり前の様にすごいものが並ぶ。四大ミュージアムは全てみたが他に劣らぬ美術館だった。一部屋一部屋係員がいて、いくつか見たい作品がどこにあるのか尋ねたが完全なるままにロシア語だけで、それでもなんとか分かるような気がする。
1階に降りる。ここにはエジプトの古代文化やギリシャの彫刻などが並ぶ。この階の最大の見せ場は何と言ってもミイラだろう。といっても別に人だかりが出来ているわけでもなく、僕個人の意見に過ぎないが。ビーフジャーキーのように干からびた肉とそれを覆う皮膚、そしてほとんど頭蓋骨のような骨張った顔。が、そこには微妙に表情がある。顔の肉が圧縮されて骨にひっついてしまったかのような、恐らく男性のそのミイラは派を向きだし雄叫びをあげているようでもあったし、それとは裏腹の悲しげで弱々しくも見えた。ガラスケースの中に入れられ、完全な見せ物となっているそのミイラの魂は輪廻転生の論から行くと、今もどこかで体を替え存在しているのだ。もしかしたらこの僕かも知れない。どこか深いが、そう凝視していて気持ちの良いモノでもないので次へ進んだ。あのモスクワで見たレーニンの死体は、このガラスケースの中のミイラのように干からびることはない。どうすればあんなに綺麗な形で死体を保存できるのだろうか。
ルーブル美術館に「モナリザ」があるように、ソフィア王妃芸術センターに「ゲルニカ」があるように、ここにはマチスの「ダンス」がある。
それら近代美術の見所をいっぱいに集めているのが3階だ。ルノワールの「In the Garden」やモネ、セザンヌ、ゴーギャンの「果実を持った女」やピカソの「ミュージック・インストゥルメンタル」など。とくにピカソの作品は充実している。誰の作品かは分からないが、夕日を見守る2人の兵士の絵があった。水面に反射する太陽光を黄色の絵の具で点々と微妙に、そして絶妙にぬっている。近くで見ると何でもないが、距離を置いて見るとそれが紛れもなく水面に映る夕日になるのだ。また、朝靄の森の中、馬に乗ってかけていく男達を描いた作品も全体的に白っぽく、ぼんやりと描かれており、そこに流れる恐らく冷たく尖った空気感が感じられる。この美術館は宮殿広場に面しており、3階の窓から広場を見る。モスクワの赤の広場のように人混みになることは決してなく、どこか閑散としたその広場は、広さ故だろうが寂しさがよぎる。1つ1つの部屋の区切りは作家別であったり、それぞれの派別で会ったりするが、12畳かそれよりも少し広いスペースに向かい合うように2枚の大きな絵がある。それらは壁一面を覆い尽くす程の大きさで、キャンパス一面に原色の青が塗られ、オレンジ色の肌を持つ人間が手を繋ぎ輪をつくり、グルグル旋回しているような動きを感じさせる。これが「The Dance」だ。
無駄モノは何一つ無く、その輪になった人間が丘の上にいるのか、部屋の中なのか、どこの国なのか何一つ分からず、青空をバックにして宙に浮いているかのようだ。手を繋いで輪になり躍っているその絵から受けるメッセージは単純明快に伝わってくるような気がする。その向かいには同じ様に青をバックに何一つ身につけていない人間が笛等を拭いている「Music」がある。この2枚の絵に挟まれていると不思議に気持ちがよい。その単純さの虜になる。ピカソはスペインの動乱の中、殺し合い、せめぎ合う風景を直線と角を用いて複雑に描いた。このマチスの作品には悲しい過去もあるんだろう。これが描かれたバックボーンを永遠に解説し、だからこうなんだと長々説明する書籍もあるだろう。でも僕は彼はもっと単純に手を繋いで輪になって踊ろうと、ただそれだけを表現したかったのだと確信している。
この部屋で、ダメを承知の上、写真を撮った。「No Flash」と怒られながら。
その後もナポレオン1世のポートレートなどを見ていると、モスクワであった2人の日本人に再会する。彼らはシベリア鉄道でモスクワ入りし、僕と同じ寝台列車でここサンクト・ペテルブルグまで来たのだ。今日の彼らの予定は忙しかった。ここには長居せず、この街をくまなく見て回り、明日にはここを発つらしい。僕はここに閉館までいるつもりだったので少し話して別れた。彼らからこの時衝撃的なことを聞いた。彼らと出会ったのは僕が寝台列車を待つためにホテルのロビーで日記を書いているときだった。その後、午後9時に彼らは友達と待ち合わせをしているからと赤の広場に向かった。その時、彼らは例のごとくパスポート提示を強いられた。彼らのビザには今日の朝までイズマイロボホテルに泊まると描かれていたが、それが有効なのは今日の昼までで、その後はまた別のホテルにチェックしてなければならない。しかし、彼らは今日の深夜に寝台に乗る。だからビザの空白期間だったのだ。通常、寝台に乗って移動する場合は、その前日まで止まっていたホテルがビザに1日多めに記入するのだが、イズマイロボはそれをしなかった。だから彼らのビザは有効ではないそうで、罰金として500P(2000円)を払わされたそうだ。なんじゃ、そりゃ。そんな訳の分からないことがあっていいのか。僕はそれを聞き、慌ててビザを見た。僕は今日の深夜に同じように寝台に乗ってモスクワに帰る。オクチャブリスカヤホテルには昨日までしか止まっていないので、ビザにその日にちしか描いていなければ、もう、この午後はビザが切れているのだ。パスポート提示を言われれば、同じように罰金を払わなければいけない。幸いにも僕のビザには9月1日までの日付が押されている。明日の午後まではビザが有効。明日の午後一番の飛行機でトルコに飛ぶので安心だ。彼らと一緒に市内を見回ることには気分が乗らないし、この美術館は1時間やそこらで見て回るだけのモノでも無い。彼らと別れる。
アジアの作品が展示されている一角には中国やインド、イラン、そして少しだけ日本のモノもあった。多くがこの時クローズとなっていたので見応えはなかった。僕は最近、イスラムやメソポタミアの文化に興味があるので残念だったが、やっぱりイランなどに実際行ってみないと納得のいくモノなど見れないのだろう。
彼らと別れてから、1階にあるカフェでホットドックとコーラを食べる。2つで25P。外で買うのと大差はない。ただ、全館禁煙なので長居も出来ない。まだまだ、見ていないところはたくさんあるのでその後もグルグル回る。足は痛い。ふっと気付くと午後4時半だった。僕の時計はワールドタイム機能が付いており、日本との時差5時間遅れで設定していたが何かの拍子で時差6時間、つまりトルコの時間に戻っていた。まだ3時半かと思っていると館内の時計は4時半だった。あっという間の5時間が過ぎた。5時間この美術館をウロウロしても飽きることはないし、足りない。最初の方はガイド付きで回っているグループの後ろの方で名作の数々を見たので押さえるところは押さえただろう。5時半閉館のこの美術館を午後5時頃出た。
出てすぐの所で自分の描いた絵を並べて売っている露天商がいる。ここを通る人はそのほとんどがいましがた美術館の中で世界中の超一流の作品を見てきたのだ。その人達相手に自分の絵を売ろうなんてすごい自信ではないか。この辺りは観光スポットらしくお約束も馬車も周遊している。着せ替え写真館?のように衣装をハンガーに幾つもつるして、安っぽい宮殿の間が描かれた絵をバックに記念撮影をするのだろう。日本人には、いや少なくとも僕にはあれをする気にはなれないし、ましてやお金を払おう等どうしも考えられない。
少し宮殿広場に腰掛け、これで見納めだと感慨深くそこを後にした。そこから世界でも屈指の規模を誇るイサク聖堂へ。その広さは黄金のドームをもつ外観からわかる。ピョートル大帝の像がある公園から入り口へ回る。カッサが外にあったので買いに行ったがここではないと言われたため、とにかく中に入る。中は壁画で埋め尽くされており、正面にイエスのステンドグラスがある。ここの入場料は200Pで、僕はこの時なんと160Pしか持っていなかった。一応米ドルが使えるか聞いてみたがもちろんダメで、困っていると学生料金の100Pでいいわと言ってチケットをくれた。
ありがたいが情けない。社会人になって2年目なのに。
この聖堂は展望台を持つと聞いていた。そこからの眺めは最高らしく、是非行ってみたかった。しかし、現在は聖堂の大工事が行われていて、そのせいかどうか分からないが展望台に登れそうな階段はどこにもない。どこから展望台に上がるのか聞いてみようとも思ったが、もし万が一お金がかかったらもう僕の手持ちは少ないので少々怖じけずいてしまった。ローマで見たサン・ピエトロ寺院と比較してみるとやはり劣るような気が知るが、天井一面に描かれている様々な壁画にはそれぞれ意味があり、その事から多くの教訓めいたことが学べるのだろう事は察しがつくが、キリスト教徒でもない僕にはその空間が持つパワー、いわゆるサンクチュアリーとしての価値など全く感じなかった。それよりもエルミタージュでもあった、ボサボサの挑発でどこか「オウム信者」を思わせるような日本人がいて、彼はオウムなのかどうかに関心が集中していた。展望台にはかなりの未練を残すが、聖堂を後にした。
そこからまた、ネフスキー大通りにでて、カザン聖堂まで歩く。昨日、バスの脱線事故があったちょうどその辺りで、今日は何と車の衝突事故があった。何かここでは起こる。事故じたいは日本でも交通量の多いところでは頻繁に起こるだろうおかまを掘る事故。信号で止まった車に後続車がブレーキ音をならしながらドーンっとつっこんだのだ。例のごとくポンコツ車(外観は)だった。両方の車から降りてきて、被害者の方は自分の車の凸凹から、この事故によって新たにできたデコボコを探し、それを指さしながらとがめている。
その事故が一段落するのを見届け、そのまま大通りを進む。スパース・ナ・グラヴィー聖堂に向かう運河沿いの道を進み、営業中の日本料理レストラン「サクラ」を見ながらミハイル公園とマルス広場に向かう。公園ではサッカーをする子供から散歩するお年寄りまで、夏の夕べを楽しんでいる。これだけ陽が長いと、夏休みと言っても日本の倍近くに感じるのでないだろうか。そして少し進んでマルス広場へ。ここには赤い旗がたなびき、未だにソ連を思わせる。四方に並べられたベンチの真ん中に永遠の火が灯されている。周り囲むようにしてベンチには物乞いから若者までがごく自然に1つのベンチをシェアして座っている。人間であるという普遍的なつながりで席につく彼らを見ていると、その中央で灯る火は、オリンピックのあのわざとらしい聖火なんかよりずっと重い気がした。
このマルス広場からスパース・ナ・グラヴィー聖堂を眺めると実に美しく、天気の良い日にはあの聖堂の持つ色彩が一層引き立つのだろうと想像するだけで美しかった。
カスチーヌ・ドヴォール駅とネフスキー・プロスペクト駅が一緒になっているカザン聖堂の前は中心駅なのだろう、その周囲に人がごった返している。お腹も減っているので、昨日両替したところでまた10ドルをルーブルに換え、そのまま昨日行ったレストランに入った。一人で夕食を食べるので、どうしても英語のメニューがあるところが良く、英語のメニューがあるのは昨日行ったこのレストランしか知らないのだ。店の中にはいると、昨日会った同志社大学の短期留学生の2人がまた来ていた。7時には帰らないとと言う彼女たちと10分ほど話し(僕がその店に入ったのは7時前だったので)これまた本当のサヨナラを彼女たちに告げた。このロシアでは一度あって別れてから偶然再会する事が多い。一人になってからガーリックとホワイトソースのポークを頼む。それと水で80P、サービスが10%入って88Pだ。ここは本当に安くて旨い。きっともう少し、この街にいたら、あと最低でも2,3度は足を運んでいるだろう。あの短期留学生達のように。このレストランのトイレは汚いと知っていたが、今日も行く。なんと昨日は気付かなかったが、便座がないのである。空中椅子のような体制を保ったまま排便をする。なんとも苦しい。もう嫌だ。料理は旨いがトイレがダメだ。僕の知り合いがもしレストランを開きたいと言ったらこうアドバイスをしよう「レストランは旨い料理を出しただけでは客は満足しないんだ」と。それから未収めるようにネフスキーを歩き、ホテルに戻る。空が曇っていた。
預けていたバックをピックアップして、ホテルのロビーで日記を書く。ホテルに戻ったのが午後8時半。書いている途中でまたトイレに行きたくなったので、レセプションの横を抜けてトイレに行く。綺麗なレセプションだったが、汚いトイレだった。マンガの様にハエが飛び回っている。ひどいに追いもする。僕は大きなバックパックを持って入ったままトイレをするので、そのカバンを地面につけるのも嫌な程だった。こんなに綺麗なロビーを持つホテルのトイレがなぜあんなに汚いのだろう。ホテルの部屋にあったトイレもお世辞にも綺麗とは言えなかったが、あれはここから比べると天国だった。トイレ事情から行ってこの国の社会主義的遅れを感じてしまう。
午後11時頃ホテルをでてすぐ目の前にあるモスクワ駅に向かう。モスクワにあるレニングラードよりよりも小さい駅だが、人で人でいっぱいなのは変わりがない。どこかしら駅員の態度がでかいところもおなじである。ここで驚いたのは、ロシア語での案内アナウンスの後になんと英語でも繰り返されるのだ。これは大助かりだった。英語が流れるから国際都市ではないが、僕にとっては重宝する。乗り込んだ列車は行きとは違い2階ベットの下段。すごく眠いので動き出したと同時に眠った。2回目の寝台列車でモスクワに向かう。
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