2000年8月28日(月)
4日目
モスクワ
さすがに今朝は6時に起床。しばらくすると朝日が昇る。
昨日の日記を書いたりシャワーを浴びたりしていると9時になり朝食へ。ビュッフェスタイルなのだが、その種類の多さに驚く。ずらりと20品はあった。適当にチョイスしてコーヒーを入れて席に着く。相席になった男性は、ショートケーキにコーヒーという三時のおやつスタイルで、あっケーキもあったのかと後悔する。よく見ると、入り口から一列に並んでいるだけではなく、奥の方にもう一列バイキングケースがある。またまた驚いた。
明日はケーキもとろう。味の方はとにかく全体的に薄く、塩をかけまくった。
朝食を終えて部屋に戻る。
ちなみにダイニングから15階までのエレベーターに乗って降りてからもかなり歩く。・・・広い。
9時半ちょっと前にロシアントラベルの男性から電話があった。明日深夜23:55モスクワ発、サンクト・ペテルブルグ行きの列車のチケットをデリバリーに来てくれた。本当に片言の英語だったが親切な応対ぶりに気持ちが良かった。明日は深夜まで相当時間があるなぁー。そのチケットを受け取り部屋に戻り、結局をホテルを出たのは10時頃だった。
ホテルを一歩出て、清々しい朝の風にあたるのは本当に気持ちがいい。日差しはきついが風は少し冷たい。ベータの横を通り、メトロの駅へ向かう。昨日は日曜日だったのでイズマイロボ公園では大きなマーケット(バザール)が開かれていたらしく(後でAさんから聞いた)人が混み合っていたが今朝は昨日ほどの人はいなかった。とはいえ、通勤ラッシュなのかどう見てもツーリストではない人達が颯爽と歩いている姿が多い。これだけの規模のホテルが6棟もあるのだからかなりの従業員がいるのも予想は出来る。
イズマイロフスキー・パルク駅でメトロ10回券を35Pで買う。
普通1回5Pだから15Pお得と言うことになるのだがよく考えると10回も乗るのか?が不安ではある。今日のメインは何と言ってもクレムリンと赤の広場なので、プローシャジ・レヴォリューツィイ(革命広場)駅へ。相変わらず木製の長いエスカレーターは心地よい微妙な揺れと木のきしむ音を放つ。
駅をでて左に進むとマネージ広場に出る。そしてそこにある門をくぐれば赤の広場となる。今回、僕がロシアに来たいと思ったのは聖ワシリー聖堂を見たいというのが始まりで、それほどに楽しみにしていた。門越しにチラッと姿を現したワシリー聖堂を見て、「おおっ!」と、ロンドンでトラファルガー広場を見たときのような、はたまたニューヨークで自由の女神を見たときのような興奮があった。これは写真や映像で頻繁に見ているものを実際に見たときの、その空気まで一緒に感じられたという時の興奮。本物のパワーに足が震える。門には黒い服をきたキリスト教信者が募金箱を首から下げて無表情で直立していた。
門をくぐると右手に国立歴史博物館、左に旧レーニン中央博物館。聖ワシリー聖堂を見ながら石畳の巨大な広場を進んでいく。ワシリー聖堂の真上から太陽が照らし、目を凝らしながら見ると、柱にはたれ目の様な窓を持ち、頭に黄色、赤、緑などの玉ねぎ型のドームを持った棟が大・中・小とそれぞれアンバランスに伸びている。それぞれがアンバランスで、それでいてしっかりとしたバランスを持つ。ヨーロッパの多くにある計算し尽くされた建物にはない、どの角度から見ても楽しめる物だった。ガイドブックによると、この聖ワシリー聖堂を設計したポストニクとバルマという2人は当時のイワン雷帝がその美しさのあまり、二度とこんなに美しい物を造れないために二人の目をくり抜いたという。
ずっと聖ワシリー聖堂を直視して進み、ある程度広場の真ん中位になってから振り返ってみる。クレムリンの城壁、国立歴史博物館、そしてワシリー聖堂の3方は赤煉瓦など赤で統一されている。ここが赤の広場と呼ばれるようになったのは、ロシア古語で赤を意味するのと同時に美しいも意味していたため、元々は美しい広場という名称だったのだが、それが英語ではレッド・スクウェアと訳され日本語でも赤の広場という。恐らく今のロシア語でも赤と単純に意味しているのだろう。ここが赤の広場と呼ばれるようになったのはもう一説あり、共産党の集まりでこの広大な広場に赤い旗が掲げられ赤一色になったからだとも言われている。しかし、そんな諸説はあるが、先述のように三方を赤い建物で囲まれているこの広場が赤の広場というのは納得できるような気がする。そこが赤の広場と呼ばれているから故にそう思うのかも知れないが・・・。
このだだっ広い広場には相当の人が集まり、時には円をつくってガイドの説明を聞く。全員とは言わないまでもほとんどの人がカメラを構えた観光客であった。聖ワシリー聖堂を一周してみる。真ん中に銅像がありその聖堂を近くで見ると、色彩が本当に豊かなことに気付く。遠目では赤っぽいが、様々な色の集合体である。少し色がはげ落ち、あせているが真下から見上げてみると、思いも寄らないところから玉ねぎのドームが顔を出してきそうな、三次元さえ飛び抜けて、グルグルと四次元の中に入り込みそうになる。そのくらいゆっくり一周する間見上げていた。
このワシリー聖堂の横には、クレムリンへ入るためのスパスカヤ塔という時計塔がある。城壁の一番はしにこれだけ美しく巨大な時計塔が在るのも、ここに大帝国ロシアのトップが、そして国の中枢があることを示すのには充分であった。そこからクレムリンに入ろうとすると、若いロシア兵に止められる。何やらロシア語で言ってくる。おそらく君の入れる入り口はここじゃない。とでも言っているのだろう。ここでは内とすると裏側しかない。赤の広場を縦断する。城壁の真ん中にレーニン廟がある。そこを通り抜けぐるりと赤の広場とは反対側にあるアレクサンドロフスキー公園の方へ。レーニン廟の前では必ず4,5人がポーズを決めて立っており、レーニン廟全体を入れるためカメラを構える人は少し距離をおいて取ろうとする。だからその間を入るわけには行かず、カメラマン後ろまで回って通り抜ける。そんなもの関係なしに直進する人もいる。その人達も一応はなんかの写真が取り終わるのを待っているのだが次から次へときりがないので直進に出るのだ。
赤の広場をでて公園に入る入り口に衛兵がいる。3人という規模こそ小さいが衛兵交替を偶然にも見れた。真ん中には火がともされ、まるでそれを守っているかの様に衛兵が2人いる。いずれも若い。行進する兵士は誰もが膝を真っ直ぐのばしたまま、銃を抱えて行進する。ここに僕は社会主義を感じてならない。ロンドンのバッキンガムでも衛兵交替は見たけれど、足はまげて行進する。僕も中学校の体育祭で入場行進するときは足を曲げてあるいた。でもこの両足を真っ直ぐにのばしたままブーツが地面を捉えるときに放つ鈍い音と友に前へ進んでいく姿、そして一寸のぶれもない統率力。頭の中では北朝鮮の軍事行進が浮かんだ。その衛兵交替をしていた兵士も若い。顔がまだまだ重大だと物語っている。彼らは行進が終わると教官なのか先輩なのか知らないが、なにやら注意されているように見えた。ロシアには徴兵制があるのだろうか?式を終えた3人の若兵士は教官と話しながらクレムリン内部に戻っていくのだが、その間にも歩調が合っていた。さすがに膝は曲げていたけど。この若い兵士達は訓練生なのだろうか。
公園を縦断すると、ちょうどスパスカヤの時計塔の裏側に入り口らしき所があった。ボロヴィツカヤ塔だ。そこからの入場を試みる。立っている兵士にまたしても止められる。なんだかピリピリしたムードが漂っていた。よく考えるまでもなく、ここクレムリンはモスクワ随一の観光スポットだが、同時に国の中枢機関でもあるのだ。ワシントンでいえばホワイトハウスになるともいえるのではないだろうか。ツーリストである僕はそのズレを感じてしまう。このクレムリン周辺にいる兵士は相手の目は一切見ず遠くを無表情のまま見つめている。僕の後ろから来る人はみんな手にチケットをもっている。なるほど、クレムリンに入るチケットは中で買うのではなく外で買うのか。その無表情な兵士にチケットをどこで買えばいいのか英語で聞いてみる。予想通り遠くを見たまま無視された。
もう分からない。ロシア語だけの案内看板は見たところで分かるはずもなく、直感に頼ってチケット売場を探す。それらしき所はこの入り口付近には無いようだ。公園をもとに戻りながら歩く。この公園と言い、赤の広場といい、本当に広いので簡単に縦断すると言っても疲れるし、その上今日は非常に天気が良い。偶然にも人混みのチケット売場を見つけた。並んでいる観光客に聞くとここはチケット・オフィスだという。ロシア語ではどうやらカッサを言うらしい。並んで待つ。と、2人ほど後ろに爆笑問題の田中そっくりな日本人がいる。僕は目が悪いのでチケット料金が読めない。その日本人に「いくつかチケットの料金があるんですか?」と聞くと、あそこには入場料200Pで学生は110P、写真をとるには30Pでその権利を買わなければならないようだ。随分待たされて僕の順番が近くなってくると、料金表が見えた。200Pの入場料の横に午後4時以降は90Pと書いてあった。4時以降にしようかとも考えたが、これだけ待ったので入ることにした。
クレムリン自体の入場と6つの寺院などの入場券もセットで200P、カメラを撮るために30P(ステッカーが渡されそれを服に貼り、クレムリン内部で写真を撮るときそれを見えるようにしておく。)と合計230Pのチケットを買う。チケットを手にして、そこであった日本人と別れ、再びあの入り口まで行く。今度はさっき完全無視のまま入場を拒否された例の兵士にチケットを見せ階段を上がろうとすると、僕の持っていた小さいボイコットのカバンを指さし、首を2,3回振るとまた遠くを見つめてだんまりを決め込む。カバンがダメなのか?じゃどうすればいいんだ!少し考えると、そういえばチケット売場の左側に小屋があり、チケットを手にした人がだいたいそちらに進んでいた。あそこに荷物を預けられるのだろうとまたまた直感でまた公園を縦断する。やはりそこは荷物の預かり場で30Pで預かってくれた。ガイドブックとカメラだけを取り出し、三度目の入場口へ。ようやく通された。周りを見ると結構カバンを持っている人がいる。
なんじゃこりゃ?別に僕のあの小さいバックなんて持って入っても良かったんじゃないの。
階段を上るとセキュリティ・チェックをうける。空港以外のセキュリティに引っかかったことはない。ようやくクレムリン内部にはいることが出来た。ここロシアでは何をするにもスムーズにいかない。
しまった!IXYの小さいカメラはジーンズの後ろポケットに入れているが、よく考えるとフィルムの残り枚数が無いのだ。カメラを取り出しチェックすると残り8枚。換えのフィルムは預けたカバンの中に入っている。せっかく30Pも払ってカメラを撮る権利を買ったのに8枚か・・・。入り口から大きな建物をぐるりと回り込む。緩やかな坂道になっており、そこからモスクワ市内を見ると、自分がクレムリンに入っているのだという、何とも言えない感覚を覚えた。なんなんだろう?昔々は決して一般人には入ることの出来なかったエリアだからか?しばらく歩く。後ろからは日本の団体客がガヤガヤと話しながら歩いてくる。こうゆう団体には本当に会いたくない。そう日本人が多い訳ではないここモスクワで日本の団体客に会うと一気にテンションが下がる。彼らはいつでもどこでも、そして何を見ても、どんなものに触れても、お隣さんの日本人と、日本人的に、日本にいるかのように簡単に感嘆するのだ。
彼らは僕の先を行き、僕は小高くなった丘からクレムリン外部を眺めた。再び前を向いて歩き出すと、例の日本人団体客が一気にカメラを構えているので、そこに何かがあることは察しがついた。ロシア正教の大聖堂であるウスペンスキー大聖堂とブラゴヴェッシェンスキー聖堂の黄金のドームが太陽でキラキラしている。ウスペンスキー大聖堂には女性の大きな壁画がある。ブラゴヴェッシェンスキー聖堂の中に入る。フレスコ画とイコン画が壁一面、天井に至るまで描かれており、古く重々しい雰囲気をかもし出している。その後もいくつかの建物に入る。ロシア正教の女性信者は頭にほっかむりのような物を被っており、大聖堂の中に次々に入っていった。その大栄道の横にイワン大帝の鐘楼があるのだが、僕が行ったときはクローズで中に入れなかった。その横にある、鐘の皇帝という世界最大の鐘を見てがまんしておいた。少し進むと、大砲がある。これまた大砲の皇帝と呼ばれており、これが造られた16世紀には世界最大の口径を誇ったという。その飾られた大砲の下に3弾の玉が置かれており、その大きさに驚くと同時に、こんなにでかい玉をどのくらいとばせたのだろうかと疑問に思った。他にも十二使徒聖堂や、クレムリン内部にはどこか不釣り合いにも見える近代的な建物の大会宮殿など、その広大な敷地の中を歩き回る。この中に特別ななにというアトラクションはないが、クレムリンの中に立っているという感慨に浸るだけで充分である気がした。兵士が何人もいる。ツーリストが一歩歩道から出ただけで笛を吹き、戻れと指示する。団体旅行できてガイドの説明に必死になっている人以外、僕のように1人でブラブラしている者にとっては、どこまでが入って良いエリアなのかドキドキしながら、そんなピリピリした雰囲気を感じる場ではないだろうか。実際、誰もいない大会宮殿のそばを歩いていると、いつ何時ピピ〜っと笛を吹かれ、挙げ句の果てにドーンッと撃たれるやもしれない。まぁ絶対そういうことは無いが、あの無表情な兵士達の頭の中にある常識と僕の常識ではかなりズレがあるような気がしてならない。
城壁にそって花々が咲き誇る庭園があり、そこを歩く。天気が良く気持ちがよい。ベンチに腰掛けているのは老人ばかりで、一層長閑な雰囲気になる。その庭園で僕は残り少ない最後の1枚を撮った。あとは預けてある荷物をピックアップしてフィルムを交換するまで写真は撮れない。つまりこのクレムリン内部では写真が撮れなくなった。
もうフィルムも無くなったことだし、クレムリンを後にしようかと思った。ウスペンスキー大聖堂に戻ると、なにやらオペラ張りの歌を歌い、水色の衣装を身にまとった聖者達が大聖堂の周りをグルグル移動している。その後ろを大勢の人がついて行く。そしてついて言ってる人のほとんどが一緒に歌を歌っているところから考えて間違いなく信者だ。そしてこれは何かの儀式なのだろう。その集団とは逆回りに移動し、このチャンスに空いているだろう大聖堂内部に入ろうと試みた。が、今はミサ中で入れない。外をグルグル回っているのに中に入れないとは。仕方が無く、ミサの終わりまでウスペンスキー大聖堂の横にある祭服教会という小さな建物にはいる。ここもフレスコ画とイコン画が一面に描かれていた。一周してすぐに出た。もうなかなか入れないので、大聖堂を逆に一周してもう帰ろうと歩き出した。と、ちょうど、大聖堂の真裏あたりに7,8人の人がカメラをもって何かを待っていた。そこは4,5段の小さな階段があり、何かあるのだろうと思い、僕も一番下の段の所で少し待った。と、黒い服を着て、髭を蓄えた20人ほどの男性が合唱しながら歩いてきて、その後ろからさっき見た水色の衣装をきた聖職者達が十字架を掲げながらどっと押し寄せてきた。僕の真ん前にその聖職者達が陣取る。と、10秒ほどして僕はグイグイ押しやられる。彼らの後ろについてきてた人達が狭い大聖堂の裏道に流れ込んで来たのだ。小さい体の僕はスルスルと階段を2,3段駆け上がり聖職者達を正面で入れるベストポジションをキープする。彼らは儀式のような行動を順にこなし、一番金ぴかの衣装に身をまとった、恐らく大聖職者なのだろうが、彼が短い竹ぼうきの様なモノに水を浸し、それをこちらに向けてバシャ〜っとかけてくる。結構まともにその水を被ってしまった僕は、その後2,3回繰り返えし振りかけられた水をよけていた。隣を見ると、老若男女その水を顔面に受け、「スパシーバ、スパシーバ」と口々に言う。ふと左側の集団に目をやると、両手をあげ、その水を浴びようと求めている。きっと聖なる水なのであろう。偶然にもベストポジションでその儀式を見てしまったことに最大のラッキーと信者の人達に申し訳ないような気が混じって感じられた。ただただフィルムが残っておらずその様子がとれなかったのが残念だ。が、逆にどこかでこの様子はフィルター越しに覗き撮るものではないようにも思えた。僕の周りでは顔を聖なる水で濡らした人達がいつまでも「スパシーバ、スパシーバ」と言っているのだから。
その集団が再び正面に戻り、大聖者が掲げる額のような、おそらくイコン画だろうが、それに観光客以外の人達は胸で十字を切り、深々と頭を下げていた。その儀式の終わりまでを人混みから少し距離を置いて見届け、クレムリンを後にした。
預けていたカバンをピックアップに行く。チケットを買うときにも、そしてクレムリン内部でも何度か会った例の日本人、FさんとAさんにここでまた会った。2人とも30歳を越えているが若く見えた。Aさんは現役の高校教師、現代国語の先生で、Fさんは業界紙のカメラマンを経て、現在やる気のない第三セクターで働いているらしい(やる気のないというのは本人が言っていた。)
3人でランチを一緒することにする。赤の広場から北上する大通りドヴェルスカヤ通りを歩き色々話す。彼らは先にペテルブルグに入り、それから寝台列車でモスクワ入りしている。夜行までの時間はバレエをみていたので時間が無いほどであったという。
ランチは壷煮を食べた。100%ロシア語のメニューと言葉だったので注文にも一苦労した。が、ディスプレイを指さし、周りのほとんどの人が食べていた壷煮を指すと、「クリーム?」と聞かれた。その他に何があるのか分からないので「ダー」と答え、それをピックアップして席に着く。
壷煮は椎茸と肉にクリームソースとオレンジ色の透明な液体のかかったもの。思いの外大ヒットだった。美味しかった。食べ物にそれほど集中苦心の無いところが、旅をし続けている僕にとってはもったいないところだとこういうとき思ってしまう。その壷煮とスプライトで85P。3人で色々話す。ペテルブルグは10:30pm頃まで日没しないらしく、その分、冬は非常に日が短い。今は短命な夏の陽気を楽しむかのような時期らしいのだ。見た目からは完全に体育教師に見えるAさんが「冬がそんなに長いからロシア文学はあんなに長くてもみんな読めるのか〜。」と悟ったように、国語教師らしい事を言う。僕なんてロシア文学が長いと言うことすら知らなかった。ギリギリトルストイと言う人がロシアの文学者であると言うことくらいの知識しかない。国語の先生からそう言われるので変に納得してしまった。
壷煮を食べた後、Aさんたちはグム百貨店に買い物に行くというので、僕は赤の広場まで一緒に行き、そこで別れた。しばらく赤の広場に腰をおろし、Fさんが旅行社でもらったというロシア語会話集をペラペラめくりながら、ボーッと聖ワシリー聖堂を眺めていた。2時間はいただろうか、グム百貨店の白壁以外は赤っぽい統一色で広大な広場に様々な人達の様子を見ているだけで楽しかった。
広場から劇場通りに出て、薄ピンク色の壁でヨーロッパ建築のボリショイ劇場まで行く。劇場自体は9月までクローズなので前の噴水のある広場でまた休憩する。14Pのファンタを飲みながら座っていると隣に日本人団体客のおじさんが座った。彼は今自由時間だそうだ。たわいもない会話をする。考えてみると、外国でもない限り見知らぬ同志、しかもこんなに世代も違う日本人が出会ったばかりでいきなりたわいもない会話は出来ないだろうなぁ、と新たなひとり旅の良さを感じた。
そこからは歩いた。それまでにも随分歩いていたが、メトロは使わず、アルバート通りまでかなりの距離を歩く。足に疲れがたまっている。モスクワ市内の大通りには車の量がすさまじいので、道を渡るには一度地下に潜る必要がある。その地下道ではバイオリンやチェロといったストリートミュージシャンが陽気な音楽や陰気なモノまで雑多に演奏している。この劇場通りからアルバート通りのまでの間は、まぁ道に迷って随分遠回りはしたが、かなりの距離を歩いた。やっとアルバート通りについたときにはそこを目指して歩き、たどり着いたと言うこと事態に満足してしまうほどだった。このアルバート通りは若者とツーリストが混ざり合うところ。モスコヴィッチはローラーブレードをはいてこの通りをスイスイ滑る。かとおもえばナンパをしているスキンヘッドの高校生風な若者もいる。歩行者天国のようなこの道の両端にはオープンカフェが並び、似顔絵を描く人、ストリートパフォーマンスをする人、片足の軍人がお金を乞うたり、ローマの真実の口の模型に手を突っ込むと占いが出来る機械など、完全に資本主義的な大都会であった。もちろん、おみやげ物の店とハウスも道のど真ん中に陣取っている。まるでお祭りのような通りだった。ここはAさんたちが昨日来ていたらしくお薦めだったので来ていたが、今日でさえもあの人混みなのだから、日曜日の昨日はもっとすごかったのだろうと想像できる。さすがにロシアの随一のお土産品であるマトリョーシカを売っている店が多く、伝統的なモノから、僕が気に入ったロシア歴代の大統領が中から順に出てくると言うモノもあった。プーチンのももちろんあったが、エリツィンから始まり、それをあけるとゴルバチョフ、レーニン、スターリンとだんだん小さい人形が出てくる。5ピースで6$。ちと高い。もっと大きな10ピース、つまり中に10個の人形が入ったマトリョーシカは24$だった。Tシャツも面白柄が多く、京都の新京極に「BOSS」ならぬ「BOZU」があるように、マクドナルドのマークの上にレーニンを描いた「マックレーニン」なるものが多かった。何人かに日本語で呼び止められもした。この通りは長く、街頭の形から石畳という所から言っても、道沿いのパフォーマンスもオープンカフェもやっぱりここはヨーロッパだった。クレムリンのような重々しさはなく、モスコヴィッチのパワーを感じる。一通り見るだけでも大変なほど長く続くその通りの最後にマクドナルドがある。ソフトクリームが5P(20円)。やっぱり安い。アルバート通りを一往復して、疲れた足を引きずるようにメトロ駅を目指す。途中で警官にパスポートの提示をさせられた。こんなの外国の街を歩いていて初めてだ。たまたま持っていたが、普通僕はパスポートを持ち歩かないタイプなのでラッキーだった。その警官は僕のパスポートを見て「お〜ジャポン」というとペラペラめくって返してくれた。
メトロでイズマイロフスキー・パルク駅に戻る。駅前は日曜日じゃなくても、公園でマーケットがなくても人は大勢いた。近くの店で6.5Pのチョコパンと15Pのスプライトを買ってホテルに戻る。このパンの中にイチゴジャムが大量に入っていてチョコに見えたところはキャラメルだった。甘すぎる。昨日まで見れたテレビが今日は見れない。日記を書き始めたがすごく眠くなり、シャワーも浴びずまたまた8時に、外のまだ明るい内に就寝。足が棒だ。
(日本帰国後、この日、モスクワのテレビ塔で大火事があった事を知った。日本でもニュースになっていたらしい。)
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