インドのマハトマ・ガンジーの作った言葉。
「サド」は真理、「アーグラハ」は示すを意味しており、
この2つを合わせて発音するとなまってこうなる。

インドでの生活が思うように行かず、
19歳の時に3年間のロンドン留学、
次いで南アフリカに渡った彼は、
なんと21年間もそこで生活する。

当時、
南アで行われていたアパルトヘイト(人種隔離政策)に対して
彼はこのサチャグラハ運動を展開する。

いわずもがなの「非暴力・不服従」の精神である。

この運動が成功を収め、再びインドに戻った際、
彼は支配国イギリスに対して同じ運動を行う。

インド独立の父。

たった一つ、心残りだったのは
ヒンズー教のインドとイスラム教のパキスタンという
二つの国が別れて成立したことだった。

はみかみやの少年ガンジーは、
南アでの生活でもまれ、
先頭にたって行動を起こす人間に成長する。

中でも、インド人が生産したにもかかわらず高い税を課せられた「塩」を
自分たちで自由に買えるようにした「塩の行進」は世界中の共感を生んだ。

当時ガンジーは60歳を超えていた。

詩人ダゴールから、「偉大な」という意味のマハトマの称号を受けている。
銃弾に倒れたガンジーだったが、
彼のサチャグラハの精神は、
アメリカでは公民権運動のキング牧師、
南アでは黒人初の大統領マンデラなど多くの人に影響を与えた。





サチャグラハ