地域ボランティアが学校内や通学路などを巡回して子供を守る。それをスクールガードというらしい。政府は予算をくみ、このスクールガードの拡充に乗り出した。
例えば、元警察官の人たちをスクールガードの養成・研修の指導員(スクールガード・リーダー)として委嘱するなどがそれだ。

01年、大阪池田市でおきた無差別児童殺傷事件、04年、奈良でおきた女子児殺害事件、そして今年05年、広島と栃木で立て続けにおこった女子児童殺害事件。
その他にも増え続ける「学校」の危機と、「通学路」の危険性に、対策を講じるものである。

ただ、ぼくは「特定」の人に任せるべき「役」ではないと考えるし、ましてやGPS携帯などITを駆使したシステムで安全に網を貼るべきではないと思う。単純に、この動きには反対である。

「だから」安全、と慢心してしまうとまでは言わないが、心の隅で、「大丈夫だろう」という油断が生まれないとは言い切れないからだ。

ぼくはあくまでも、スクールバスの徹底と、もっと言えば「ピックアップ/子供送り迎えの慣習化」が、子供を守る上ではどうしても必要ではないかと考える。

「今日は子供の学校が3時に終わるので、2時半から4時半まで抜けます」と、会社の外出ボードに記して抜ける。かなり遅めにはなるが、昼食もその時間にとる。と、元々ある一時間分の「昼休み」に一時間足せばいいだけですむ。通勤時間に40分かかるとしても、二時間あればピックアップはできるし、その日、学校であったことも話せる。そんな1時間足らずのコミュニケーションで何が変わるのだ、と思う人が多いとは思うが、それを毎日、「当たり前」にすることで、子供は「父・母親」が働いていることを実感し、親は子供変化を感じ取れるはずだ。そんな一時間足らずのコミュニケーションさえ、とれていない親子関係が、ないとも限らないのが現状ではないか、とも思う。

毎日の慣習にピックアップが入る。例えば、近所に住む人たちでローテーションをくむと負担が少ない、という考え方もあるだろう。が、そこは逆で、その時間に親同士のコミュニケーションも図る。そこで渦巻く「噂」で危険をより迅速にキャッチする。そんな理想論?をぼくは考える。

そもそも、拘束時間で給料を得るという考え方に縛られすぎているような気がする。その数時間の抜けを埋め合わせる生産性、効率化。目指すべき方向性はそこにあるのではないか。パートで働いていたとしても、仮に、下校時間は同じなわけでその時間帯に一気に多くの人が抜けてしまうという職場があるとしても、ちょうどアイドルタイムと重なるだろうし、生産性で埋め合わす、という考え方に行き着く。

案外、「ピックアップのための中抜け休憩」という慣習は、ひとたび始まってしまえば、容易に根付くような気もする。

親側の理由で子供が危険にさらされている。こんな風に考えるのは非常に寂しい。が、現状、今のこの日本では、子供を狙う「犯人」が多岐にわたって多すぎるのだ。14歳の少年であったり、外国人、中年男性や仮釈放中の服役者まで。
その中で安全を守る。

もはや、「スクール(学校)」という範囲だけにしぼってガードするのではなく、親子で、家族で、地域で、24時間体制の安全を考えることが必要で、それは、子供の居場所を常に管理するGPSでも、新たにつぎ込む国の管理でもなく、「当たり前」に存在する普通の姿。

と、いう回帰。そんな風潮で、被害に遭う子供を守り、同時に、万が一将来的になってしまうかもしれない「加害者」までをなくしていく。

理想論、なんでしょうか。



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スクールガード

2005年12月23日