Ganges in Varanasi (India)

聖なる河

午前6時。曇り空の割れ間から橙の朝陽が顔を出す。ガートではひしめきあいながら数十人の群れ。鼻をつまみ、頭のてっぺんを抑えてガンジス川の中に身を沈める。リズミカルに、数回続けられ、その女性はガートに上がった。隣の男性が石鹸で身体中を泡だらけにし、そのまた隣で別の男が歯を磨く。一列に並んだ親子が、三人で朝陽に向かってpray。それはとても静かな光景なのに、真っ二つに裂くように、青年がバタフライを始める。死体を焼くための木材が行き交い、煙がぼんやりと昇る。赤や黄色の花びらが淀む。そんな淀みの中で、死んだモノの抜け殻が流れる。それだけは、かつて意志を持っていたという証を見せつけるように、淀みを切り裂く。全てが茶色く濁る空間。淡いピンク色のサリーが2人の女性によって広げられ、干される。洗濯のあと。

この聖なるガンガーには、全てが混在する。

そんな一文に、ドキドキしたのはぼくが中学生の頃だった。ガンジス。確かにここには全てがある。祈り、洗い、死に、生まれ。眺め、笑い、泣き、泳ぐ。観光客を乗せたボートを漕ぐ音も含めて、そして、ここを「聖地」と崇める人とソウデナイ人のprayとplay。
ぼくは、ずっと朝陽を眺めていた。

水中カメラを持って行った。使い捨てカメラにプラスチックカバーのついた800円の代物。27枚フィルムを、すべてガンガーに沈めて撮ったが、現像されたのはこの4枚のみ。そんなもんかな。
27分の4。14.8%の確立で、ぼくは「幸せ」なのかも知れない。

→Secenic Spot topへ