レスキュー隊が現場に到着し、凄惨な現場で耳にしたモノは、「助けて」、「痛い、痛い」などの【声】、そして小さく強い【うめき】。さらに、沿線に建つマンションの1階、立体駐車場を巻き込んで地下まで埋まった車両の中、鋭く響いていた【音】。あるレスキュー隊は言う、「大破した車両から、携帯電話の着信音が鳴りやむことなく響いていた」と。
「乗ってるかも知れない」と危惧した家族・知人からの発信。着信はしたが、それに応答することはない。杞憂であってほしいという願いは叶わず、死者となり対面することになるだろう人達からの発信。僕は、その音の響きの轟音にゾッとした。その音が無機質であればあるほど。乗客の多くが「マナーモード」にしていたことを想像すると、着信音よりも、そのバイブが、その不気味な【振動】が、胸を締め付けて揺さぶる。

4月25日、午前9時18分、ラッシュ・アワーを少し過ぎたJR宝塚線。7両編成の車両には約580人の乗客が乗っていた。その人達を、いとも簡単に持ち上げ、そして脱線し、マンションへと突っ込んだ脱線事故。死者107人、負傷者460人、うち重傷者が100人を超えるという大惨事だった。一報を聞いた時、すぐにテレビをつけた。どの局も特別番組を流している。その時点の死者は16人。
「電車が脱線して16人死亡!?」、これだけでも衝撃だった。

映像は事故現場を流し続ける。「く」の字に折れ曲がった車両。アナウンサーは、「おそらく1両目だと思われる車両が〈く〉の字に折れ曲がっています」と繰り返した。先頭車両だと思われていたそれは、実際は2両目で、マンションの地下にまでめり込んだ先頭車両が「外」から見えることはなかった。想定外の事故、とでも言いたげなJR西日本の第一回目の記者会見。

事故発生から10日が経ち、残された跡から様々なことが明らかになった。事故が明らかになるよりも早く、「JR西日本」という会社の経営のあり方、考え方、その姿勢が露呈している。
「だからか、、、」とか、「やっぱりな、、、」などと受け止め方はいろいろだ。

運転士が速度超過のままR300のカーブに入り、急ブレーキをかけたことで乗客が遠心力で振られる。そして重心が移動し、浮かび上がり、脱線した。簡単に言うとそういう原因だということになっている。置き石なんて関係なかった。
スピード違反。原付バイクに乗る高校生ですら、罰金がかせられる「罪」を、多くの命を運び、その仕事を夢見て実現した「有望な」若者が、運転士が、なぜ???
過密するダイヤの問題、1秒単位での運行管理、そして訳の分からない『日勤教育』など、運転士から冷静さを奪ったと思われる様々な裏事情がとりだたされている。

ヒューマン・エラーを「気合い」と「根性」でどうにかしろ、とあからさまに言っているかのような企業体質。あの、大企業が!?である。いや、大企業だから?か。

一週間以上、この唖然とするようなニュースを読みながら、全部が全部報道されたままでは無いにしろ、おそらくそれに近いものがあったのだろう、と思っていた。

僕が最もあきれ果て、信じられない事。それは事故から1週間以上が経ち、利益ばかりを優先するのはいけない、安全第一だ、という世論で定着した、この期に及んで、、、
JR西日本安全推進部長・村上恒美氏は、「速度制限を運転士に守らせることで安全は確保できる」と、ATS-Pという自動列車停止装置を完備しないまま事故路線の再開を口にした。

スピルド・ミルク。こぼれた牛乳の繰り返しだ。
何度も言う、「安全」の上になりたつサービスを行わなければいけない。運転士に守らせることというのは、ヒューマン・エラーが気持ちのたるみや気合いが入っていないから起こるのだという、物凄く遅れた考えのもとで認識されているからこんなことを、安全推進部なんて部にいながら、しかもその長から発せられるのであろう。100%確実に行う集中力には限界があるのだという科学的証拠、そして、それを補うシステムを整備して、初めて100%になるという事実。最も重要なことは、そうして100%にした状態をもって、初めて運行できるという【常識】。それが欠けているのでは?

停車駅が増えたにもかかわらず、所要時間がほぼ据え置きになっていた「ダイヤ改正」。確かにJRははやい。だから高い運賃でも利用する価値がある。が、それは誰でも分かるように、先述の「100%の状態」ありきでのことだ。ただただ、もっとスピードの出せる箇所で詰めていけば、これぐらいは可能だろうという「むちゃぶり」で、時刻表を作成しているのだから、これはもう詐欺に近い。
事故を起こした高見運転士はオーバーランを起こした。この時点で「スピルド・ミルク」だ。それを無かったことにしたり、距離を縮めたり、そのために無茶なスピードで走ったり、、、これはもう「考えられない」行動としか言いようがない。
1度失敗して、時間が遅れた。その後は、より注意して、失敗しないため「安全運転」するのが普通ではないか?何とか隠そう、無かったことにしよう、というのは「ダイヤを早期に正常に戻す」という話とは全く別の愚かな行動としか言えない。

それが、企業全体の考え方であった、と言わざるを得ないのが非常に怖い。

海外の新聞などでは、「90秒の後れを取り戻そうとスピードを出した日本の時間概念、世界の多くでは90秒後れはダイヤ通りだ」という主張がある。
日本では、90秒遅れがそれほどムキになって困るほどのダイヤの乱れではない。だが、ダイヤ通りに電車が来ることは「当たり前」のようになっており、だからこそ日本は良いのだ。それを崩すのは間違っている。
時刻表を作る時点で、様々なことを想定して、ダウンタイムもそのひとつとして平均値をとり、それを加味した上で、何時何分発、というダイヤにすべきだ。それが、私鉄と比べて魅力を欠き、伊丹と大阪の所用時間が増えたからと言って、それは、そうなんだから仕方がない。「いや、もっとがんばれば早く行ける。だから、その為に速く、早く、急げ、がんばれ」という時刻表は、先にも述べたが詐欺に近い。

この107人という尊い命、460人という負傷者、そして乗客全ての一日を狂わせたという責任。さらに、突っ込んだマンションの住民。これら「被害者」の人への対応が重要なのは言うまでもなく、今後、ヒューマン・エラーは起こる、だからそれをカバーするシステムや、スピルド・ミルク、失敗したときにどうすれば正常に迅速に元通りにできるかという体制、そして何より、「100%安全だというシステム」の改築を行い、それから再開してもらいたい。

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2005年5月3日  

スピルド・ミルク