救えたはずの死
地球は大きく揺れている。一昨年末に襲った未曾有の大津波、フロリダのハリケーン、パキスタンの大地震などの天災に加え、列車事故は日本のJR宝塚線を始め、インド南部やヨーロッパでも多発している。アフリカでは航空機の事故も目立った2005年。そして、テロは悪化の一途をたどり、数十人単位の死者があたり前のようなおそろしい事態になっている。
救えたはずの死。
天災・人災にかかわらず、がれきの下でかすかな息を残し、救助を待つ間に力尽きる悲しい現実。これを何とかして止めようというのが、「がれきの下の医療(CSM)」である。日本では、阪神大震災での教訓を生かし、昨年春のJR脱線事故では「救えたはずの死」がゼロであったという報告がなされた。(朝日新聞より)同じようにして、大量にけが人が出た場合に限り、傷の度合いによって治療の順番を決める「トリアージ・タッグ」も徹底されるようになってきた。すでに死亡が確認されている人は運ばず、まだ助かる命、その中でも重傷の人から助けていくという考え方。日本人には、あまり浸透しないかと思われたこの動きも、定着した。大変な現場で大変な作業。その中で、「死」を救う、特に、救えるはずの死は、絶対に救うという強い気持ちが、一つの結果を生んだのではないか。
あとは、というよりもむしろ、このような「死」を、その「現場」を無くさなければならない。人災であるテロやヒューマン・エラー、システム不備は言うまでもなく、天災に対しても、偽造して儲けている場合ではない。一つの「死」を左右する時、それは同時に、多くの、これから先に生まれるであろう「生」も左右しているのだから。