第57回 正倉院展
2005年11月5日 (奈良国立博物館)
言わずと知れた、超・人気の展覧会。一度も足を運んだことがなかったので行ってみました。快晴&土曜日。ただでさえ混雑が予想される上に、この好条件で……、見事!ギュウギュウでした。
この「正倉院展」は、東京都美術館で開かれる「日展」と並び、毎年1日の平均入場者数がトップです。期間が2週間強と短く、秋の良い時期に開催されることも手伝っているとは思いますが、それにしても、57年間も毎回違ったテーマで千年前のお宝に迫る陳列の仕方・企画力が、これだけの人気を呼んでいるのだと感嘆します。ルーペ片手にじ〜っと眼を凝らす古美術ファンたちを「飽き」させないだけの魅力は、さぁ、何か。
マティスだゴッホだ、やれピカソだと言うと、決まって人は博物館に向かうような気がして、「教科書で見たことある〜」なんてレベルで感動したりします。入場料も元をとったといった感じです。(はい、ぼくもその中の一人ですが)。
ふとこの正倉院展にもそんな匂いがしました。平安時代に花咲いた「日本人による日本文化」の前、ちょうど曙の時期にあたる天平の時代は、「渡来人」たちによって運ばれたり作られた遺産が多く、それが今日に残っているわけで。いわば「仮名」以前の日本文化の入口にたって、同じところや違うところで心が動かされるというか。ず〜と昔は、ず〜と遠くに等しく、わざわざ足を運んでも見るべき「モノ」があるんだと実感でき、その魅力が飽きさせないのではないかと思うわけです。
7〜8世紀の東洋文化の至宝を保管する正倉院は、それまで一般に公開されることなく、
何千年も「保って」きました。価値だったり、美、だったり、そういうものが、一年に一度、
眼にする機会があるだけでもありがたいし、いくらギュウギュウでも、横はいりされても、
見る価値はあります。遠く西洋文化に接するように、遠く奈良時代後期の天平文化は
ドキドキします。
今回、「碁」がテーマです。象牙を埋めた碁盤の目、紅牙と紺牙に施した鳥の細工。孫の手
も、サイの角も、鹿の皮も。果てはコバルトを混ぜた瑠璃色のタン壺まで、キラキラ光って
いました。今の、このガラスなんて一般化した時代にみてもなお、感嘆できるだけの代物です。
また、正倉院は倉庫であるので、そこに保管されている物品のリストが残っています。
王羲之の書ではなくとも、千年も昔の「メモ書き」は、隅の方に走り書きしたりするものもあって、
なかなか面白いです。
鹿も水浴びするほどの秋晴れでした。