ぼくの机には、黒の大理石でできた「玉」がある。ピンポン球より一回り小さなその「玉」は、アーグラーの町で購入した一品。何に使うの?と露天商に尋ねると、「ただ眺めるのだ」と言われ、それがあまりにも可笑しかったのでついつい買ってしまった。本物か偽物か。ひとまずその話はおいて、とにかく本物のように美しいので、それでいいと思っている。
単に丸い。それが完璧に丸い。だから見ていると、とても気持ちがいい。触って良し、見て良しだ。ただ、置物としては致命的に不便。そうとう平らでも、転がる、転がる。だから、南米のプーノという町で買った、アルパカ製のコースターの上に置いている。アルパカでコースター?という、素材の特徴をまったく無視した製品に、この時もぼくは可笑しくて購入した。なんてことはなく、毎日、ただぼくの机に置いてある。それをぼんやり眺めながら、旅がしたくなった。
思えばぼくの部屋には旅する気分を駆り立てる品で溢れている。中学の頃から「アフリカ大陸」の地図が貼ってあり、カレンダーはなくても、この地図だけは数度の引っ越しの際も必ず持って行った。そんな地図を眺めながら「いつかは行きたい」と思いながら、ケニヤやタンザニア、ジンバブエの地を踏んだのは、社会人になってから。本棚の隅に、ケニアのマーケットで買った、細長いクラフト人形が盾と矛をもってジャンプしている。「また、行きたいな」。その人形の横に、「アフリカ」とでかでかと書かれたロンプラがある。ペラペラめくりながら、エアーの料金をなんとなく調べてみる。エミレーツ、乗れるかな?ドバイ経由でアフリカに入れたりするのかとクリック&クリック。行けるではないか。ドバイからナイロビまで約5時間、ヨハネスブルグなら8時間半である。あぁ、行きたいな。やっぱりあれか、せっかくならドイツにいってワールドカップな雰囲気に浸るか。でも、ホテル取れないだろうな。ドイツにいくならポーランドの方がいい。いや、どうせヨーロッパにいくなら、どうしてもアイスランドに足を伸ばしたい。でも、家賃の高騰でベルリンを離れた若手の芸術家達がアトリエ街をつくっているというライプチヒに浸るのもいいなぁ。いやいや、アート云々なら、ニューヨークのチェルシーか。やっぱり、バルセロナか?あ〜、行きたい所ばかりだ。
今年の2月、開港する神戸空港に続いて、3月には新北九州空港ができる。海外よりも、こういう新しい空港を利用した国内旅行っていう手もある。九州かぁ。行きたいな。温泉に黒豚にちゃんぽん。
船もいいなぁ。欧米ではすっかり「クルーズ」が旅の主役になっていて、日本でも必ずそうなると言われていたのがもう7、8年前。実際に、今クルーズ人気が高いとか。「飛鳥」で世界一周!なんて言われると、シルバーなイメージが強いので遠慮したくなるが、横浜を出て、北海道を経由してカムチャッカ半島に行くクルーズがあったりする。それも夏のいい時期に。こういうの、2週間ほどで行くのも面白そうだな。げっ、一番安い客室で40万円也。それだけあれば、僕はヨーロッパに行けちゃうので、またここで思案する。そうだ、そうだ。エアバスのスーパージャンボ(A380)があった。あれにも乗ってみたい。日本に就航するのでいけばSQが確かあった。700人が機内にいるっていう状況を考えると、なんだかクルーズっぽいではないか。
チベット、か。それもあった。2007年に開通予定のチベット鉄道(青海省〜ラサ)で、ラサの町がきっと様変わりする。その前に是非行っておきたい。様変わりする前に見ておきたいので言えば、ベタに北京というのも外せない。こうなったら、北京へ行って、飛行機で昆明経由シャングリラへ。その後、西寧あたりでラサ行きを探るか。う〜ん、これって何日の行程になるんだろう。不可、か。
そんなこんなで、また「玉」を見る。やっぱり美しいな。なんとも言えないおさまりのいい大きさと、手触り。硬いけど、柔らかいイメージ。ギューッと握ると、ひんやりする。
こういうのが、いいな。うまくは言えないが、思いっきり握ったり、噛んだり、走ったり、焦ったり、笑ったり、怒ったり、失敗したり成功したり、出会ったり、別れたり。
うん、旅、したい。
とりあえず、ミシュランの地図帳で適当にペラペラめくり「ストップ」って言いながら指で止めたページ。え?どここれ?ルーマニアか。ブラショフという太字。ドラキュラか。どんな町なんだろう。赤い道をずっとたどる。北上。ページをめくる、めくる。山、海、国境。大陸ってやっぱりでかいな。
「旅先のリズム」
生活するリズムは規則正しい方が良いのかもしれない。
日本での暮らしが、毎日の日課が、追われる仕事が、その中の暮らしに
決して満足してはいないけど、予定も何もない、その日にすることは、その日目覚めた時に、
その気分次第で決める・・・、そんな生きてくリズムにあこがれることは、
無い物ねだりだって言われるのかも知れない。
旅に出ると、旅先でのリズムがある。
その旅の形態や、場所で大きく変わるモノなのだろうけど、
往々にして僕の旅先でのリズムは完璧に近い。
その完璧も旅先の、それも決められた期間の、そのバックグランドにはつまらない日本での
ルートワークの経験があるからなのかも知れない。
世界をバックを担いで放浪するバックパーを見下す人がいるかも知れない。
いや、ほとんどの人はそうしている。また、その人達全員が、そうしたバックパーの生活に
一種の憧れを持っている。
理由はただ一つ 「楽そうだな。」ということ。
楽か楽じゃないかで、あこがれたり、羨ましがったりするのは本当、どうなんだろう。
そんな所に価値基準おくもんじゃない。
バックパーにも、ストリートチルドレンにも、教師にも、警官にも、政治家にも、サラリーマンにもポチにも、楽だとあこがれる生活はあるし、それ相応に苦しい。結局は、窮屈な生活をしているのだ。
それぞれが、それぞれの生活から解き放たれ、
どこか違う場所で生活をするという時。
それが、どこか独特な、だから旅先のリズムなのだ。
っていうことを記した日の記憶を、今の僕は忘れようとしている。使い道もないのに、わざわざ大理石で作った「玉」を買うための、せっかく暖かいアルパカなのに、コースターにしちゃう「土産物」に出会うための、そうゆう何かに必ず繋がっているという窮屈さのない旅がしたいと願う。…かつて願っていた、僕の記憶。
それを思い出しながら、今、ものすごく旅がしたい。旅しているように生活したい。そんな毎日は疲れるから、今の毎日で我慢しながら、いろんなものを「貯めて」、ふっと旅に出る。
彼岸にあるのは「旅する気分」、此岸で願うのも「旅する気分」。それで、いいのかな。そういうのが、逆に、ちょうどいいのかな、とおもう。
→ essay top