動物園ならではの「時間」

動物園には臭いがある。それはそれぞれの動物が発するもので、その臭いを嗅ぐ度に、どこか「おじゃましている」という感覚になる。そんなおじゃましている、という感覚は、その時間には如実にあって、眠る、遊ぶ、ダラッとする、食べる。それらは、すべて動物たちの時間で成り立っている。ので、その時間軸の中で「生活」している動物を見るこちら側としては、ラッキーかアンラッキーで、それぞれの動物らしいしぐさが見られる・見られない、ということになるのだ。なんとも「ならでは」だな、と思う。入園料を払って入って、見られないのだから、そういう時間軸を持っていることが、当たり前ながら、なんとも「そうだよな」と納得する。

動物たちの時間。とはいえ、それは「動物園」。飼育されているのだから、動物たちもそのサイクルになる。特に、動物園で生まれ育った「者」にとっては、余計だ。例えば「トラ」を見ていると、ダラッとしていたかと思うと急に立ち上がってウロウロとする。どうも右上、岩の上をずっと見ているので、どうしたのかな、と思っていると、そこに小窓があって、それが開いて入っていった。餌の時間なのだろうか。オオカミもそうだった、檻の中で待ちきれず跳ね回っていた。飼育の中で決まった時間。そのサイクルで過ごす動物たち。その時間の中にお邪魔する客たち。そんな時間が動物園ならでは、だ。

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