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冒頭、谷川俊太郎氏は「ご挨拶に代えて」の中で『絵描きじゃないから展覧会は無理だ 音楽家じゃないからコンサートも開けない 今はマックで書くから手書き原稿もない 何を並べりゃいいのか知恵を絞った』と述べている。そして、熱心なスタッフに恵まれて【詩が突然リアルの風にさらされて・・・】。八十数年生きてきた彼の言葉の世界。詩を産む男の何かしらを垣間見る。
まずはGallery1。「音と映像による新たな詩の体験」が圧巻だった。小山田圭吾(コーネリアス)の音楽とインターフェイスデザイナー中村勇吾(tha ltd.)の映像による、谷川俊太郎の詩の空間が、最高に心地良い。これだけで入場料のもとはとった、と思わせる。言ってみれば「デザインあ」の世界。360度、音と文字と色とリズムと、規則的にちょっとはずして、混在と統一と何だろう、この心地よさ。かっぱかっぱらった、の「かっぱ」、どこかにいこうとわたしが言う、の「ここ」、いるかいるかいないかいるか、の「いるか」。黒とカラフルの言葉のシャワーを全面で浴びて、しばらくじっと突っ立ってしまう。
そして、Gallery2の「自己紹介」。これは谷川氏の詩を1行ずつ分解して「棚」にして(このアイデアがすばらしい)、それぞれにまつわるモノを展示している。行間(棚と棚の間)にある谷川俊太郎の詩がさすがに力強い。
最後の、部屋。「ではまた」という詩を読むための空間が出現する。壁一杯に「ひとつの詩」が書かれ、それをソファに座って読む。「言葉の町並みを抜けると/詩の雑木林だった/木立の彼方に沈黙の海が見える 青空の高さには及ばないとしても/この閉じられた白い空間も/限りない宇宙へと背伸びする」「哺乳類の あなたと私」「人類学博物館のガラスケースから/それを盗んできたのはアンドロイド/詩を書くプログラムを更新するつもり」。展示室を出ると、八十数年間生きてきた谷川氏の長い年表があり、出口付近で「3.3の質問」と題された映像を見ながら、言葉って、やっぱり印刷するだけでは表現しきれない壮大さがあるな、と再認識する。
谷川俊太郎展
TANIKAWA Shuntaro
東京オペラシティ アートギャラリー(初台)
2018年2月4日(日)