青森県で産まれ、そこで育った寺山修司。11歳でボクシングジムに通い始める。
15歳で青森県立青森高校に入学すると、新聞部、文学部に参加。そこで俳句を始める。

”18歳で「短歌研究」新人賞を受賞。
その後「俳句」や「短歌」などの定型詩から、自由詩へと創作活動の基盤を移し、
歌謡曲の作詞や放送詩(ラジオ)へと活動ジャンルを広げました。
そして、30歳を前後する1960年代後半に世田谷区下馬へ移り住み、
演劇実験室「天井棧敷」を設立します。
長編小説や戯曲、評論など新たな執筆活動を交えながら、
演劇や映画といった芸術ジャンルへと移行していく、寺山にとって
節目となる時期がこの世田谷時代でした。」
(公式ホームページより)

せたぶんの図書館の横、小さな展示スペースを使っての展覧会。
200円の入館料が物語るとおり、それほど大規模ではなく、
ポスターなどをサーッと流し見れば10分とかからない。

しかし、大学生だろう若者の姿が目立った。

個人的には、ポスターや書籍、俳句などゆっくりと
一部は手に取ることもできるので、それらを眺めつつ。
やはり、一番興味深かったのは
手紙の数々。
植草甚一に送ったハガキ、年賀状。
とにかく、何かを伝えたいという気持ちの溢れる人だったに違いない。

かくかくした書体で書く、寺山修司の署名もまた
なんだか個性的で「人」を表しているような気がする。

『書を捨てよ町へ出よう』という映画は、
時代背景が色濃いとは言え、
今の時代にも置き換えられることが実に多い。

寺山修司という人物が生きた47年間の生涯。
ふと、私自身が、彼の生きた時間よりも長く
今48歳であることに、
とても、なんというか不思議で軽く、どこか薄さを感じざるを得ない。













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Shuji Terayama Exhibition
世田谷文学館コレクション展
寺山修司展

@東京
2024年10月19日(土)