エッフェル塔のサーチライトジョルジュ・ギャレン画
1889年(明治22) リトグラフ オルセー美術館蔵
左)展覧会フライヤー、中央上)えどはくタワーズ 中央下)東京スカイツリー 右)凌雲閣
「浅草公園凌雲閣登覧寿語六」
歌川国貞(3代)画
明治23年(1890)木版双六
江戸東京博物館蔵
「(大阪名勝)新世界ルナパークより通天閣を望む」
新世界開設式記念絵葉書
明治45年(1912)7月3日 絵葉書
江戸東京博物館
「寒月を背に大東京の世空に輝く
東京タワーを麻布の高台より仰ぐ」
昭和33年〜40年代 絵葉書 江戸東京博物館蔵
ザ・タワー〜都市と塔のものがたり〜展
@江戸東京博物館
2012年02月24日
世界一の高さを誇る自立式タワー「東京スカイツリー」が誕生するのを記念して開かれた展覧会。パリのエッフェル塔、東京の凌雲閣、大阪の通天閣、そして東京タワーと。近代都市とタワーの関係を詳しく紹介する中で、そもそも塔(ストゥーパ)として五重塔などにも触れる。もっと言えば、神へ近づこうとしたジックラト、その後のバベルの塔まで、話はメソポタミアまで遡ってくれるから面白い。
東京(江戸)には高い建物がなかったから人は富士山を描いた。そこが神の地にもなった。高い所。最初、人びとは「山」のごとくものを作り出す。そして、その上からの眺めを堪能する。
パリ万博の際に作られたエッフェル塔。パリの恥とまで言われたこの300mを超えるタワーは、今でこそパリの顔だが、最初は反対も多かったという。当時では考えられない高さ。ここで注目はブルデの太陽の塔の模型と、エッフェル塔の定点写真。徐々に出来ていくエッフェル塔がすごい。その後のエッフェル塔改造案は、なんだか「やらなくてよかったな」と思わせるモノが多い。パリの次は東京。関東大震災で壊れるまで、帝都・東京のシンボルは凌雲閣だった。様々な絵や写真に「シンボル」として載っている。十二階建ての高層タワー。浅草という土地にあった日本を代表する建物だった。同博物館の常設展(6階)に模型がある。そしてパリとニューヨーク(ルナパーク)に感化された大阪新世界の通天閣。戦災で壊れた後の二代目通天閣までが詳しい。そして、ついに世界一(当時)の高さを誇る東京タワーへ。月刊東京タワーなる雑誌や、歴代の展望券、パンフレットやグッズを見ていると、なんだか「観光地のメッカ」的存在だったなぁ、と改めて。
そして、五重塔の伝統的な造り、日本刀のしなり、世界一の高さ。新たにできる東京のシンボル・スカイツリーへと展示は流れていく。
展覧会として、「これ」という絵も書も彫刻も写真もない。のに、これだけ惹きつけられて、こんなにも面白いのは、やっぱり「タワー」の持つ魅力かと。