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(東京)
コトバとしての「東京」が持つパワーというのは凄まじい、と、日本人の友達と話すより、海外の知人・友人と話す時の方が感じる。
例えば、私が生まれ育った「京都」は、完全に日本人の友達や知り合ったばかりの人に話す時の方がインパクトがあるようで、東京です、というと「ふ〜ん」という感じ。
日本人の10人に1人以上が東京に住み、コロナ禍で減ったとは言え、それでも日中、働いている人達の東京の人口は凄まじいです。ということで、東京は、ふ〜ん、という感じの普通。
ただ海外の方には、日本=東京であり、電化製品に自動車という印象から一気にカワイイというアイコンが先行するようで。
そして、今、オリンピックというのがコロナ禍で、右往左往する様が、ますますトーキョーを世界基準にしたようにも感じる。
私個人としては、家族を持ち、そこで暮らす街であり、あれもこれもある大都会の様相が、とても大好きな加減になっているところ。
コトバとしての東京が、そのコトバの裏側に示すすべてが、過去であり現在であり、未来だな、と感じさせる。
行ってみれば、なんでもかんでも「京風」をつけてネーミングする(古都としての風習)のににて、東京ディズニーランド、東京ドイツ村(千葉なのに)を冠にするそれ。
今、コトバとしての東京が、注目度を上げているような気がする。
※本日のコロナ感染者数、東京は・・・、でも毎日、目にすることも含め。
2021年6月6日記