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「内容不足で手遅れ(朝日新聞)」。
2005年8月29日、アメリカ南部のルイジアナ、ミシシッピ両州に再上陸したハリケーン「カトリーナ」が猛威をふるい、100万人の避難者、1万人近い犠牲者をだした。海抜以下の大都市ニューオーリンズは堤防の決壊で水没した。この史上最悪とも言われる自然災害に対してアメリカ政府のとった対応に、不満を抱きつつ繰り返し使われる言葉が「Too
little, too late」である。特にFEMA(the Federal Emergency Management Agency、米連邦緊急事態管理局)への不満は大きい。(直接ブッシュ政権に来る非難の矢を、ここでかわしているようにもとれるが)
具体的な失策は何か。各国のメディアは批判的に伝える。スマトラ大地震と津波被害の際は、迅速に救助隊を出したにもかかわらず、今回の指令は遅れた。軍は目の前の惨状を、指令がないゆえにただ眺めるしかできなかった。どこかの国の、十年前の大災害でも聞いたことのある話だ。結局、アメリカ政府は手もつけられない状態になってから「慌てた」という印象を残す。
その要因の一つに挙げられるのが「イラク派遣」と、9.11から丸4年を目前に控えた「国際テロ」への警戒。それらばかりを重要視する危機管理の中で、今回の失態が生まれた(と、報道されている)。そもそも、ニューオーリンズを守る堤防の危険性は言われており、財政不足で手が付けられずにいたという報道もある。ここでも「イラクへの派兵」が関係しているという。決定的だったのは、全世界に配信された「その後の無秩序」状態だ。店は略奪され、強盗やレイプが起こり、避難しようと並ぶ人たちの列では発砲事件もあった。自家用車もなく非難できない人たちのエリア、そこにあるそうではない人たちとの「差」。経済的な格差が直結した理性の「差」。それが生んだ無法地帯。アメリカという一つの国が抱える「差」は根が深く、それがあぶり出された結果となった。
Too little, too late。せめて今後の対処だけは、充分な内容と、迅速な対応が求められるし、それだけは切に願いたい。
Too little, too late