2008年9月19日(金)
1日目

東京→ソウル→タシケント



旅に出る前、「なんちゃらスタンって危険じゃないの?」、、、何回もそう言われた。安全だ、と言い切るには、少しきな臭く、というのも世界地図が実に、中央アジアはごちゃごちゃしていて、遙か昔の「シルクローダー」には遠き道でも、なんというか関西人の僕にとっての北関東の地図のように、どこがどこだか、いまいちよく分かってない人が多い。ので、アルカイーダだの、自爆テロだの、そういう括りの中にウズベキスタンもしっかりと入ってしまっているというか。つまりは、よく分からないまま、なんとなく「危険じゃないの?」という質問をしてくるわけだ。それを断固否定できないでいたのは、続きも続いた「拉致」事件。もはやどこで何が起こってもおかしくない。そんな危機感?というか危険な感じ?に不安になったりもした。そんな僕を支えてくれたのは「言い出したら、東京の方がよっぽど危険だよ」というもので、まぁ、それも何の脈略もないんだけど。

とにかく、僕はウズベクへ旅立つことを決めた。1週間という短さには、悲しいかな慣れてきた節がある。

旅立つことを決めると、まずはエアーだ。日本からウズベクに行くにはウズベキスタン航空かアシアナ航空というのが相場。大韓航空もタシケントに就航し始めたが、エアーを探している間には気づかなかった。ウズベキスタン航空でもいいんだけど、、、出発が関空経由というのが面倒だ。それに、たまたま僕がチケットをお願いしてた会社ではアシアナの方が安かった。というわけで、アシアナ航空のソウル経由で行く。エアーがとれたら今度はビザ。目黒駅から歩いて?(歩いたらえらいことになったが)15分、いやもっとかな、閑静な住宅街に大使館があり、ホームページからダウンロードしておいた申請書と2000円でビザを無事取得。ここで、一気に旅立つムードが高まった。2週間前の出来事だ。

そして、出発当日。

朝はいつもと同じ午前7時に起床。パッキングは昨日のうちに済ませておいた。新聞をとりにいくと、じっとり湿っている。空は、重く垂れこんだ灰色。台風は、四国沖まで来ているらしい。

紙面には、リーマン・ブラザース倒産による影響、事故米、中国の汚染ミルク、そして年金改ざん。まぁ、いろいろと世界は騒がしい。昨日、ウズベクか行き先を最後まで迷っていたイエメンでテロがあった。ビンラディン生誕の地と言われるかの国もきな臭い。そうそう、今朝の新聞によると、アフガニスタンでまたテロが起こったと載っていた。

“スタン”のつくウズベキスタン、大丈夫……だよな?
外務省のサイトは何度もチェックした。

さて、クールビズも終わるので、朝のうちにクリーニングを出そうと歩いていると雨が降り出した。台風が来る、のか。飛行機は、大丈夫か?面倒な朝だ。

午前9時。上野まで行って、そこからは京成スカイライナー(1920円)で成田空港へ。ついこないだ上海へ行くために来た時と、なんというか気持ちが違う。言ってみればワクワクが違う。この空港へ来たときの高揚は、旅に何回いっても変わらず、これが本当にいいものなのだ。

チェックインをする。第1ターミナルEカウンターのアシアナ航空。隣でチェックインしていた若い男性もソウル経由でタシケント行きだ。さらに、その逆隣にきたおじさまもタシケント。けっこういるものだ。

成田→仁川間、OZ101便、37Kの窓側。ANAとのジョイント便。今、出発の35ゲートでこれを書いている。そして、仁川からタシケントまでは、OZ573便、同じ窓側の16K。チャックインカウンターで、例の若い男性は、ソウルからタシケントまで窓側がないと言われていたので、僕のボーディングをしてくれた新人(TRAINEE)スタッフ、ナイス!である。

チェックインを済ませ、両替へ。三菱東京UFJ銀行とみずほ銀行の2つがあり、UFJは1$=109円だったので、みずほまで移動したが、よく似たようなものだった。1$=109.20円のレートでみずほ銀行で換金する。1$札を中心に10$札、20$札を数えながら、10$札と20$札に色がついていたので、「変わったんですね」というと、「ええ、ずいぶん前に」とそっけなくカウンターのおばさまに言われた。

で、出国前のセキュリティ。かばんがひっかかった。洗顔をでかいチューブのまま持ってくると、それが100ml以上なので、持ち込めないという。「こちらで処分するしか……」といわれたので、正直、あ〜、出国したらタックスフリーで小さいのを買おうと思っていたのだが、「どうにかして持って行けませんか」と聞いてみた。カウンターに戻って機内に預けるか、100ml以下のボトルに入れ替えるか。前者は、夜つくタシケントでターンテーブルを待つのは嫌だし、後者は、そんなもの持っていない。と、その女性係官は、「究極は、切ってガムテープで貼るか」と。「でもここじゃできませんよね〜?」と泣きつくと、ガムテープはありますが……、と。お?すると、なんと、その女性係官、やってくれるではないか。奥へ消え、洗顔チューブを切ってガムテープで貼ってきてくれた。

ありがたい!…しかし最後に「今回は例外的な処置なので!」と釘をさされた。
「はい!ありがとうございます」

出国カウンターで出国して、ルフトハンザの機体をみながら、やっぱりルフト、かっこいいなぁ、などなど。メールが鬼のように来る。それを鬼のように返す。金曜日の朝から、みんな仕事しよーぜーなんて思いつつ、ははは、オレは休みなのだっ!と余計にテンションも上がるというものである。

定刻通り成田を飛び立ち、二時間弱でソウルの仁川空港に到着。

その飛行機で、隣にやたらとせかせか人が座っていたので、焼き肉丼?のようなおいしい機内食もなんだかかき込んだ。ビール、いただきました。

仁川で乗り継ぎ、タシケントに向かう。金浦空港の方が馴染みが深い僕は、仁川の、なんというかよそよそしい感じが好きになれない。ただフリーで使えるインターネットカウンターなんかは、成田よりもサービスが上?かもしれないと。バーバリーの店に入ってサイフなんかを見ていると、でかいバックパックが邪魔で邪魔で。やっぱりこういうこと、やっちゃいけませんよね〜。

ソウルからタシケントへは7時間強。現地時間の夜8時40分に着いた。

パーソナルテレビあり、ゲーム、映画と豊富だ。マイ・ブルーベリー・ナイツ?や、少し歳をとって痛々しいアクションシーンがつづくハリソンフォードのインディージョーンズを囓り見た。機内食はチキンを選ぶ。さっきと同じ、スパイスチューブ?がついてきた。味はいい。ビールを頼んで、夕食をたのしむ。

しばらくするとウズベキスタンの税関申告書が配られた。英語のものがなく、なんとロシア語。さっぱり分からない。日本人が多い機内では、そのロシア語地獄を機に、日本人が集まり出した。僕のとなりは空いており、その向こうに座っていたTさんとは自然に話し出す。前の席にいた日本人女性二人組も、僕たちの歩き方を貸して……と。歩き方にフォーマットがあったのでそれを見て書く。しっかり申告しないと、それ以上は持ち出せないというからしっかりと記入。後ろに座っていたSさんも聞いてくる。離れたところにいた別の日本人女性二人組も……と。彼女たちは旅行人のガイドブックだった。あっちの方が地図はいいのだが、フォーマットは載っていないようだ。さらに、彼女たちは同乗していた団体ツアーの添乗員さんにも聞いてくるという徹底さ。素晴らしい。

そこから、Tさんとは居酒屋状態の会話をする。お互いの旅やらなんやら、缶ビールを手酌で飲んで、ん?と軽く振ってみてなくなれば「すいませ〜ん、アテンダントさ〜ん」と呼び止めビールとナッツをもらう。何本飲んだことか。5本?はいっていたと思う。

満腹だった。タシケントまで残り1時間となったとき、ようやく?二人とも寝た。

目覚めると眼下にタシケントの灯が。街?なのか、少し暗いが、ロシア系の国、しかも中央アジアでこの規模の国はすごいのだろう。ぼんやり高度を下げる機内からタシケントを眺めていると、知らず知らずまた眠ってしまい、着陸の振動で起きた。

入国にすごい列を経て、問題の?税関申告書を出す。やっと吸えるタバコを味わい、外に出ると、僕の名前を書いたボードを持ったピックアップを発見。日本から予約しておいたのだ。そのピックアップドライバーはよく話す。英語はきれいだ。フットボールで来月日本と戦うウズベキスタン。今、リバウドがタシケントにきているが、やつはフェアプレーじゃないから嫌いだと言っていた(何かの試合で、顔にボールをあてたというようなことを言っていた気がする、、、眠くて、それどころではなかった)。それにしてもピックアップは高い。15$。でも、これはSさんも同じだと言ってた。夜だし、空港のパーキングまでしっかり入ってきてくれてたし。まぁ、仕方ないのだろう。

そして、予約していたウズベキスタンホテルにチェックインする。ティムール広場に建つナンバー1?ホテルとかなんとか。確かに、威圧感のある外観、それも夜の真っ暗闇の中では、少し怖い感じも受けた。

予約する段階で、スーペリアルームしかなく、50$も払った。ロシア系のホテル、さすがにでかい。近代的……ではないな。1411室、広い部屋だ。やっぱりというか、ロシア系の国では、パスポートがストレージされる。お金も後払いだ。

一度部屋に入って、ホテルのカードをもらいにロビーへ。エレベーターが遅い。

シャワーを浴びて(とにかく広いバスルーム、過去最大だな、間違いなく)、日記を書いて寝る。
今、何時だ?持ってきた小さい赤の目覚まし時計で12:10am。日本時間だと4:10am。

そりゃ眠いはずだ。



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