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2011年10月30日付、朝日新聞朝刊の一面。「チャイナ ルポ」の中でこの言葉が出てくる。日本社会にもあるのだろう、この言葉。を、これだけストレートに言われるとインパクトが強い。さらにはこれが、庶民の日常の中に入り込んでいるという「事実」。例えば閣僚の、おそらくは大企業の。賄賂という枠を超えて、一般社会人の就職(教職採用など)や、ひいては小学校の班長にまで。物品だけではなく身体まで「渡す」というからすごいことになっているんだと思う。

ふんふんそうゆうこともあるんだろう、と読み進んでいくうちに違和感はどんどん広がる。例えば紅包(賄賂のようなもの)を渡さないと、「別のところで」割り増しした請求がくるとか。賄賂を求める相手が消防局などの公の機関だから、いわゆる賄賂は必要経費だとまで考えている人がいるという。

「払わないとますます面倒になるだけ」

そんな人の声も拾っていた。たぶん、中国だけのことではないのだろう。が、一人っ子政策で「勝ち」が絶対視される中、このカネとコネでつながりあった「腐敗社会」はしばらく続くんだろうな、と。

そしてそれがクリーンになったとき、
始めるモノは、その弾かれた飛沫は、

なんて考えると、今の世界とこれからの世界を結びつけるキーワードのように思えてくる。


2011.10.30記