大阪・天満天神 繁昌亭にて

寄席

江戸で始まった「よせせき」。人を集めて噺や演芸を見せるスタイル。その中でも落語は今でも寄席の中心にあって、一日の演目でも一番多い。落語の始まりは、「はなし」に「落ち」をつけていたことから「おちばなし」となって、そこから落語になったとか。まぁ、ともかく寄席にある絶妙の「間」というのに僕はホッとする。

言葉の強弱も、扇子や手ぬぐいの揺れも、座布団の上の、落語家の手と太ももの動きも、つぶさに感じとれる距離的な「間」。そして、笑いを待つ客席側と、仕掛けてくる噺家の「狙い」の隙間に存在する時間的な「間」。その両方を備える「笑ったもの勝ち」の空間が、なんとも心地よい。居るだけで心地よいと思えるのは、寄席ならではだろう。

僕が初めて生で落語を聞いたのは中学の時。笑福亭仁鶴とその一門が学校を訪問してくれ、鼻水がブランブランと垂れ下がる有名な噺を一席。やたらと笑った記憶がある。思春期の恥ずかしさ?なんとなく無防備に笑うのも気が引ける年頃、そんなもの関係なく大笑いさせてくれたのを覚えている。高校生、大学と、関西のローカル番組「らくごのご」を熱心に見ながら、笑福亭鶴瓶と桂ざこばの噺に引き込まれていった。そもそも「パペポ」という番組で、僕は鶴瓶の話しのリズムがすきだった。それこそ、「間」が。

そんな鶴瓶の13番目の弟子、「笑福亭瓶成」がトップをきった昼寄席には、ご老人たちの笑いが溢れていた。若干24歳の落語家らしく、荒削りのままぶっ飛ばす勢いある噺だった。10席ある落語の中で、トリに近づくにつれ「落ち着き」のようなモノが出てくる。「落ち」をサッと決めて、スーッと下がっていく落語家というよりも、上方落語の場合「わーわー」言う感じが多い。とにかく、空間ごとギャハギャハと笑わしてやろうという仕掛け。それにまんまとはまってガーガー笑う自分がいたりして。

スタイルは東と西、違いはあるのだろうが、そんな事は別として、ひとりの噺家の言葉で別世界を創造して、そこで笑う。犬も豚も羊も貝も、決してまねできない笑いをホットに繰り返す。

寄席にちょっくら出かけて、思い切り笑う。この感じがいい。