夜行バス
[往路]:2010年2月18日(木)22:40 新宿発/05:40+ 盛岡着
[復路]:2010年2月19日(金)17:00 仙台発/22:15 新宿着
※往路ともWILLER EXPRESS

黄金の国・ジパングですか〜。
世界遺産に登録される前に平泉、ちょっくら行ってきます!
ってな具合で盛岡駅到着。くそ寒い〜
でも完全防寒だー。

コンタクトなし、整髪料、もちろんなし。バスに乗り込んで速攻眠るため、缶ビール2本を晩酌。昨日は東京でも雪が積もった。ここ最近、東京は雪国だ。なんて言ってると、雪国の方にバカにされっぞ。とかなんとか、フットレストにヘッドカバー、枕は背もたれにくっついて快適なバスでした。定刻通りに新宿を出発。ボードに行くのかな?温泉かな?夜行バスの乗り降りが頻繁な新宿駅西口は、午後10時、たくさんの人で溢れてました。


移動中、隣の男性は寝相が悪く、何度かおでこをパシっとしばかれて目覚る。
ま、ええけど。足のしもやけがものすごく痛い。ブーツで来たの、失敗だったようにも思う。


盛岡駅に到着後、「もしかして24時間営業のカフェなんてあったら最高だなぁ」とか思いつつ、一応駅前をウロウロと。アイスバーンっていうんですかね?絶妙にツルツルして歩きにくく、こんな早朝に歩いてるおじさまに「この辺でコーヒーとか飲めるトコありません?」と聞くと、「いやぁ〜わかんねえな、東北から来てるから」と……。東北。岩手?東北では?ま、よく分からないまま諦めて駅構内へ。盛岡駅周辺は積雪を見込んでか地下道が非常に充実。ちょっと怖い感じもするけどね。
駅の中に入ると、新幹線が行き来するだけあって、広くて設備も充実。ただ、店という店が7時頃からの営業なので閑散として、喫煙室でタバコを吸って、トイレでコンタクトを入れて、自販機でコーヒーを買って、、、などなどしていても時間は全然経たず。平泉行きの電車は6:43。ちょっとホームまで行こうと改札を抜けて下に降りると、うっすら夜も明けだし、が!待合室はなく…。即、退散。駅員さんに「改札抜けたんですけど、待合室とかないんで凍え死にそうです。ちょっと外にでていいですか?」とお願い。駅員さん、「あ〜、はいはい、ここ、右に行ったら待合室ありますからね、どうぞ」と、優しい。JR東北本線の在来線!いい!


平泉に向かう鈍行「一ノ関」行きは2両編成。始発から結構人が乗っていた。手動で開閉する扉は雪国の常識なんだろう。雪国でなくても、確かパリのメトロもそうだったはず。目の前のサラリーマンが2人いて、2人ともPSPをやっていた。女子高生が小声で話したりしつつ。飲み帰りなのか若者は、大股開いて眠っている。13駅、80分の鈍行の旅だ。花巻、北上など聞いた名前の駅になると、ぬくっと首を挙げて外を見たりして、基本はキャップを鼻まで下げて眠ってました。扉が開くと、寒い。


平泉には午前8時過ぎに到着。あまりにも景色が素晴らしいのでしばらくホームで写真なんかをとってると、1時間に1本程度しかない電車の駅だ、駅員さんがどうも「こいつ、なにやってんの?」という目で見ている。と、それを察知してちょっと小走りで改札へ。始発でこの駅にきたぼくは、もちろん本日初めての客。お土産物も扱うキヨスクのおばちゃんも開店準備中でした。駅前に並ぶタクシーは10台ぐらいあったかな。う〜ん、なかなかお客さんもいないでしょうね。もちろんというか、駅前のツーリストインフォメーションはまだ閉まってました。


駅から歩ける距離に見所がまとまるコンパクトな平泉。デカデカと「毛越寺はこちら」という看板があったので、そのまま直進。日の当たる側の歩道は雪が溶け、影になったところは残っていたり。歩いてどのぐらいだろう、10分ぐらいか。たまたま外にいたおじさんに「中尊寺はどっちですか?」と聞くと、「中尊寺はここから1.5キロぐらいあるよ。目の前が毛越寺だからそっちから見ればいい」と。開門が8時半だということを知っているぼくは、「まだ開いてないのでは?」というが「大丈夫、大丈夫!」と。根拠のなさ!ま、憎めないけど。そう、この界隈、普通に民家がある。散髪屋もあった。なんとすでに営業していた!


門の前でちょっと待っていると、そんなぼくを察知してくれたのか、時間はやや早かったが、門を開けてくれる職員のおばちゃん。「どうぞ〜」と。足を取られないようにさくさく雪を踏みしめ、門をくぐる。本日、1番目の参拝者だ。シーンとした空気。真っ白な世界。うつくしい。思わず感嘆の声だ。歩き出すとパウダースノーが心地よい音をたて、それほど積雪量がないので、下の土まで一緒にブーツにつく。木々からは雪解け水が降り、「わー」と暢気にカメラを構えていると、どんどん水滴が落ちてくる。レンズのカバーが閉まらなくなるほど、夢中でシャッターを切った。天気が良い!気持ちいい!寒いだけだ!負けるか!完全防寒なのだ!などなど。


慈覚大師円仁が開山した毛越寺。モウツウジという読みは「モウオツジ」が「モウツジ」になり、モウツウジと変化したとか。奥州藤原氏二代・基衡(もとひら)の時代に伽藍が造営され、当時中尊寺をしのぐ華麗さだったというココは大泉が池を中心に浄土庭園が素晴らしい! 順路を竹箒で掃くおじさんに「ここ、池なんですよね?」というと「あ〜凍っちゃってるけどね」と。そう、2月の今、一面真っ白。曲水の宴が行われる小川も、一面芝生の春とは別の顔でした。んが!そこがまたキレイ。特に、この日は日も射して、木々にひょっこり乗っかった雪がキラキラ光ったりして。雪の華、でした。最も奥地にある「開山堂」は慈覚大師円仁を祀っていて、この人、マルコポーロの「東方見聞録」、玄奘三蔵の「西域記」に並んで三大旅行記と称される「入唐求法巡礼行記」を記した人でもあるらしい。へぇ〜と声を上げつつ、お堂をパシャリ。一周ぐるっと40分ぐらいでしょうか。どの角度からみても素晴らしい庭園でした。出島の石組は、さすがに絵になります。「夏草や 兵どもが 夢の跡」という松尾芭蕉の有名な句碑があり、その向かいに英訳版まであって関心しました。ちなみに英訳は「The summer grass 'Tis all that's left Of ancient warriors' dreams.」


毛越寺から「鈴懸の道」を通り、中尊寺へ。藤原氏の時代、まちの中心であった「金鶏山」をのぼり、ちょうどそこに現在建っているのが世界文化遺産センター。カメラが低温でレンズカバーが閉まらなかったので、「ちょっと暖めようかな」と気軽に入ってみた。無料。と、係員のおばさまは詳しく説明してくれる。この地が、平安時代、京の都から独立して外交ルートを持っていたこと、清衡から四代、約100年間続いた奥州藤原氏の栄華を時代を追って説明するパネル、そして、清衡がなみなみならぬ気持ちで「平和」を望んだのは、父の壮絶な「死」があったことなど、後につづく鎌倉時代、頼朝は当時平安京に次いで2番目の大都市だった「平泉」をモデルに鎌倉のまちづくりを成したと言われるそうで、そういう意味でも平安と鎌倉、公家と武家を繋いだ意義は大きいように思われる。などなど云々、それにしても「平泉」という名前を残すために平成の大合併でも吸収されなかったこの「町」が、町の予算で建てただろうこの施設。費用対効果云々は抜きなんでしょうかね。センターを出ると小雪が舞い、すぐ前にある悠久の湯「平泉温泉」の看板がとても魅力的でした。


中尊寺。毛越寺と同じく円仁開基の寺で、黄金の国ジパングはこれを見たマルコポーロのゴーストライターが名付けたといわれる「金色堂」であまりにも有名です。入り口から一気に坂道が続き、本堂まで600m、金色堂まで900mなんて案内が。


その坂の途中。そば屋発見。時間はまだ11時前だったか。夜行バスを降りてから何も食べていないので、遅めの朝食というか、早めの昼食というか。のれんが出ていたので「わんこそば」をいただきました。天麩羅と3種類の薬味がついて1800円。たぶん高い。でも、観光地なのでこのぐらいが相場なのかもしれない。まだ準備も完全ではなく、ぼくの来店に少々戸惑い気味の店のおばさんに「普通のそばとわんこそばは同じですか?」と聞くとそばは同じらしい。ま、そういわれてもせっかくなのでわんこそばを食べました。普通に美味しかったです。


中尊寺の本堂は拝観料もいらないのがうれしく、とはいえ金色堂に気ははやったりしつつ。改めて平日の昼前は、観光客がすくないな。特に冬だし。そこが本当に嬉しい。一人旅だろう女性が一人と、クラブツーリズムのツアー客が1グループ。あとは学生の4人組、ぐらいか。


金色堂。中尊寺創建当初からの唯一の遺構で、1960年代の大規模な解体修理で現在の姿になったとか。800円の参拝料で金色堂と一緒に入ることのできる資料館「讃衡蔵」では、当時の修繕の様子をビデオで放映していました。細かい作業に、ついつい見入ってしまって。さて、このお堂。その名のとおり金ぴかです。まず驚くのが、お堂を覆う堂(覆堂)で霜や風雨から守られ、さらにガラスケースの中で温度調節までされて厳重に守られています。ルーブルにいってモナリザを見たあの感覚というのか、バイオリンが欲しい男の子がショーケースの前に立ってる感じというのか。遙か遠くからしか見られない京都の金閣寺に似た「なんやそれ!」感は否めないものの、大きすぎず小さすぎない絶妙なサイズ感がとても気に入りました。1124年、奥州藤原氏初代・清衡(きよひら)によって建立。ご本尊の阿弥陀如来をはじめ菩薩、地蔵、天にいたるまで、この世界観は見事の一言。死後の世界、極楽浄土はこれだ!とばかりに再現してくれている、といわれても頷ける代物です。ちなみに、平安時代の建造物として、これだけの極楽浄土を現したのは京都の平等院鳳凰堂に匹敵するとも言われます。この金色堂をみた松尾芭蕉は、「五月雨の 降り残してや 光堂」と呼んでいます。「ひかりどう」というのがなんともしっくりきます。正面と左側面をぐるりと見て、また正面にもどって、うっとりみとれるのは、実は柱だったりします。四本ある巻柱。この装飾もまた見事です。金箔の他に、夜光貝やアフリカ象の象牙まで使われているというから平泉の貿易力も凄まじかったんでしょうね。ちなみに、清衡、基衡、秀衡の遺体はここに納められているそうです。


初代・清衡の「金色堂」、二代・基衡の「毛越寺」を見たので、三代・秀衡の「無量光院」も見なければ、と。中尊寺の坂を下り、平泉駅の方へ戻りつつ、線路を渡ると中尊寺通りという「車の少ない」道へ出ます。道なりにまっすぐ。途中、義経堂へ繋がる道があって、その前で「義経、こっちだよ」と歩いているおばあちゃんに教えてもらいましたが、「無量光院はこのまま真っ直ぐでしょ?」というと「んだ、んだ」と言ったような言わないような、勢いよく首を縦に振ってくれたので歩く、歩く。


三代・秀衡は、京都の平等院鳳凰堂を模して、それよりも規模の大きな寺院を造り上げました。それが無量光院。とにかく、この「名前」が素敵です。今はもう跡地しか残っておらず、跡地を見せるための某があるわけでもなく潔く原っぱと化しています。「夏草や……」の句を詠むなら、まさしくここが最適化と。取りあえず何もない跡地に、頭の中で勝手に鳳凰堂をつくりあげてみる。何度もみたあの左右対称の、鳳凰が翼を広げた雄大な姿を、倍の大きさにして、目の前の原っぱに浮かべてみる。う〜ん、さっきから、真横に町工場の軽トラックがエンジンをかけたままとまっており、その音が邪魔になる!けど、ぼんやり浮かび上がった無量光院。なるほど、ここに何百年も昔、壮大な景観がひろがっていたのかと鼻をすすってみました。……気付けばまた、寒くなってきました。


平泉の隣駅、前沢駅。そこまで移動して、前沢牛を食べる!というぼくにとっては重要な任務があるので、平泉をそろそろあとにしよう。


ここで、要注意!平泉駅を出る電車は1時間に1本です!前沢駅は隣駅ですが、タクシーを使うと、初乗りこそ580円?ぐらいと東京に比べれば格安ですが、迂回するため2000円ちょっとかかってしまいます。30分に1本のバスも、なかなか時間のない中では使い勝手が悪く。ここでタクシーを乗るか、前沢牛を諦めるか。悩んだ末、やっぱりここまで来たら前沢牛が食べたい!ということで、ぼくはタクシーで移動。タクシーのドライバーは一ノ関の方で、まぁよく離すおじさんでした。世界遺産にしようと盛り上がる地元民を少し斜めからみている節もあったりして。なかなか面白いな、と。


で、前沢。見事に田舎!ランチなら安く食べられるかなぁ〜なんて甘いことを考えていた自分がバカだったというか。駅の前にいたおばさまに聞いて、「前沢牛たべたいっす!」と尋ねると教えられたのが「おかる」という店で。前沢牛のステーキ丼、3200円也。ゆっくりじっくり、ワインをそうするように真似て舌の上転がしてやりました!(ワインでもしたことないですけど)。旨い!マイルドだ、柔らかさといい、味と言い、やさし〜いお肉だ。これまで全国ブランド牛といわれる松坂牛や神戸但馬牛、近江牛を食べたが、1,2を争うぞ、と思いつつ堪能。店のテレビでバンクーバーオリンピック、男子フィギアのフリーが放映されてました。


前沢からJRで一ノ関に移動し、そこからバスで仙台へ。そもそも、仙台の単純往復で一ノ関を経由して平泉にいけばいいところを、わざわざ盛岡まで最初に北上したのはJR東北本線で岩手県を縦断したかったから。盛岡→北上(花巻)→一ノ関へとつながるラインは、やっぱり岩手の大動脈なんでしょうね。東京でもみる居酒屋のチェーン店が、一ノ関駅前にはありました。


仙台からは夕方から夜にかけてのバス移動。新宿に着くのが夜になるので、何か腹ごしらえでも?と思っていると、雨が降り始め……。ずんだ餅やら牛タンやら、平泉にいきながら、仙台でお土産を大急ぎで買い込んでバスに乗り込みました。考えてみれば、仙台にくるのも8年?ぐらいぶり。久しぶりに来ましたが、相変わらず、都会ですね。駅構内にあった楽天イーグルスショップがさすがだな、と言う感じでした。


岩手、平泉の旅。たぶん、ここに「温泉」という要素が入り込んだら2泊ぐらいの旅になるんでしょうけど、その要素を外してのゼロハク旅でした。それで、十分でした。やっぱり、なんだかんだいっても金色堂は一生に一度は見ておくべきだし、世界遺産にでもなれば人も増えるでしょうから、ま、今のうちに見れたことは大きく、わんこそばや前沢牛もしっかりいただいたし。


とにかく冬晴れに感謝です。


以上。



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■平泉の旅フォトはこちら

↑中尊寺パンフレットより