父は言った、
「人の心が分かりたければ、その人の夢を知れと。そうすれば、人の苦労も分かる」。

もはやアメリカン・ドリームは過去の話。そんなアメリカで、大都会(大海)ニューヨークで、アクセルは魚の数を数える仕事をしている。
ニューヨークから遠く離れたアリゾナ。メキシコと国境を接する荒涼たる街で、5人が「ドリーム」を持って生きている。映画俳優、空を飛ぶこと、亀になること、売った車を積み上げて月まで昇ること、そして、魚になること。
そんな5人が触れ合い、そして交わり、互いを知ることで…苦しむ。
アリゾナのドリーム。悲しい「夢」。

始めてこの映画を見たのは、ぼくがまだ十代の半ばだった。
頭の中に???が浮かんで「つまんない映画」としか思えなかった。
日本は当時、バブル経済に沸き、アメリカで車をじゃんじゃん売り、映画会社を買収し、5番街へと進出していた。そんな時代背景が濃厚に感じられる。そんな日本もバブル崩壊と中国の猛烈な追い上げをうけ、この映画のアメリカ的「ロスト・ドリーム」を実感すると、胸に鋭く迫ってくるモノがある。
「グッドモーニング、コロンブス」と、微笑みかける母親は、今の日本にもそう多くないだろう。アメリカという国は、発見とチャンスがあり、夢で溢れているという幻想。それが幻想だと認識した23歳の青年は苦悩する。
「アラスカを、エスキモーを、夢見ながら」。

アクセルの両親を、自分の運転で死なせてしまったとという念に苛まれている伯父は、「デカいアメリカ車・キャデラック」を売っている。夢があれば叶う。だから一緒に車を売ろうとアクセルを引き込む。その、伯父の自殺。「時代は変わった。キャデラックが売れる時代は……」。燃費のいい車(日本車のことだろう)に追いやられた、、、と。アクセルは、伯父が好きだった。伯父ならなんでもかなえられるし、手にできると…。その伯父の死。

亀は笑っているから、幸せなのだという娘・グレースと出会う。その義母・エレインと恋にも落ちる。空を飛びたいエレインと一緒に、魚になって大海に出たいアクセルは飛行機を作る。飛べないままの悶々とした日々。亀を逃がした嵐の晩、グレースは自殺する。「生き続けて亀になる」といっていた彼女の死。

映画俳優を夢見るポールは、ヴォッカの風呂に沈んで死ぬのだと・・・。彼はいつまでもオーディションを受けている。「夢」への入口に、辿り着くまでの逃避、、、のように。空を飛んだエレインもまた、逃避への途中。

アメリカン・ドリームが消えたアリゾナでのドリーム。埃をかぶったキャデラック。目を閉じたアクセルは、アラスカで、魚を釣り上げ、その魚が空へと泳ぎだしていくシーンで映画は終わる。

泳いでいった魚を見ながら「グッドモーニング・コロンブス」と言えたら。生命力の弱いサボテンの周りに、木々を植えて守って行けば、またきっと「発見」がある。つまり、全ての「夢」に一度終止符を打ったアクセルが、泳ぎだしていく先を想像すると、この映画の厚みが増すように思える。

→ CinemaSに戻る


アリゾナ・ドリーム
1992年 (フランス)

監督:エミール・クストリッツァ
出演:ジョニー・デップ、ジェリー・ルイス、フェイ・ダナウェイ
    リリ・テイラー、ヴィンセント・ギャロほか