限定している
間違いを正解の振りしてマルにすれば

バツを罰する術をなくし

何でもアリになる



アリかナシか

それを問いただせば面倒になって

その基準は



頼むから どこかで 決めて欲しいと望んでしまう



どこかで誰かが決めた基準

それに沿ってアリナシしていると

そもそも論で判断することすら止め



そうして
止めてしまった自分を自分で



限定している




ラクしたいと願うことが

自由だ何だと うだうだ言いつつ

決まったことは

「ぜんぶ」反対していた



イチから組み立てたことがないから

出来合いのモノをとりあえず否定して



誰かのせいに

何かのせいに



そんな構図の中で

ぶうぶう ぼあぼあ



どうしたらいいのか
どうしたいのかもわからず


ただただ、否定ばかりしていた




限定した自分の内側




知らず知らず湧き上がる
否定と不満に


もはや
無表情で無感情、そして無頓に


何でもいいや、と、近頃は 否定している



そんなことをしているうちに
これでいいのか? と 自問するけど


自答するのは結局
選択肢の中から選ぶだけで


こんなことでいいのかな、と
また問いただしてみるけど


パワーがない

時間もない 

と言い訳しつつ


つまりは スキルがないわけだ



肯定するものもわからないないのに否定して

満足を知らないから いつも不満でいる


ココから抜け出すのは
はみ出すことになる


やれやれ
今のままで、だから、いいか、となる


フリータイム、フリースタイル


結果、ぼくらは
フリー(限定しない)の意味を、実に 知らない



  
by Shogo Suzuki