歩いても 歩いても いつもちょっとだけ間に合わない次男。
歩いても 歩いても 小舟のようにゆられて夫の腕の中にいる母親。
歩いても 歩いても 向き合えず、うまく「やれない」不器用な父親。
そして、
家族が歩き続けても、戻って来てしまうあの日、長男の死。
この映画は、一言でこんな映画、と形容しがたい作品だ。それだけに多様だし、逆を言えば「普通」だ。日常の、どこにでもあるような家族の、雑多な会話、その中にあるチクチクとした毒。だけど全体を覆い尽くすような幸せな密。全部が入っている。
強烈な色も、特徴ある形もなく、ただ海があり、坂道の階段があり、杖をついてそれを上り下りしては腰の曲がった樹木希林さんが多めの料理を作る。
15年前に亡くなった長男の命日。次男と長女がそれぞれの家族をつれて帰ってくる。娘を演じたYOUさんと母親役の樹木希林さん。もう、この二人が映画のある一面を形成しているといってもいいぐらいだ。台詞はどこまでがアドリブだろう、とそれを探るだけでも面白い。そこに、阿部寛さんが演じる次男は子連れの女性と結婚。もともと開業医の父親の跡を継がなかったしがらみがあり、「期待」された兄の死によって、余計に父親との関係が悪化している。この、言ってみればありきたりな長男と次男を比較する構図の中で、そこから逃げ出したいという男の気持ちを、この作品は「こう描くか」という独特な視点からやってみせる。男が小さいという、なんともユーモラスな場面も見物だったりする。ここにもYOUさんの存在は効いてくる。
長男は、少年を助けるために、海で死んだ。
その助けられた少年は25歳になり、パッとせず、おそらくは毎年命日の度に同じことをいう「助けてもらった命なので、その分までちゃんと生きる」。その言葉が、宙に浮いたような青年になった少年に、母親は来年も顔を見せろと言う。「恨む人がいない分、余計につらい」。長男をいきなり失った母親の、なんともやりきれない一場面だった。
一方で、近くに大きな病院が出来、「先生」を続けられなくなった年老いた父親。引退してもなお、「先生」であろうとするその姿がせつなく描かれる。家の前にすむ「ばあさん」を助けることも出来ず、やってきた救急車の隊員にも「下がってください」と言われる。それでも、父親は、「医者であろう」と強がる。
トウモロコシの天麩羅。
一年に一度、家族が集まる日の台所。
走り回る子供達。
料理をつくる音。光景、風と光。
定点から撮る是枝監督の、フレームアウトした「隣の部屋や廊下」からの声。その声に、答える「離れた場所にいる人物」。
そこに広がりがあり、一つの家の、一つの「点」にいても、いつも参加している感を強く印象づける。
だからこそ、余計に際だつのが夏川結衣さん演じる次男の嫁。子連れの再婚相手という難しい立場だ。どこにいれも「家族」があって、そこに「おじゃましている」感じが、なんとも絶妙に描かれている。
家族は、
歩いても 歩いても たどり着けない場所があり
だからといって離れることもない。
これは、とても、やさしい家族の物語だ。
そして同時に、家族であるからこそ描ける、濃厚な一日(長男の命日)の記録だ、と思う。
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歩いても 歩いても
STILL WALKING
2008年(日本)
監督:是枝裕和
出演:阿部 寛、夏川結衣、YOU、樹木希林、原田芳雄ほか