アメリカ・ニューメキシコ州、アラモゴード砂漠で行われた「新しい秘密兵器」の実験。ここから核時代が始まる。
映画の始まりは、静かに、字幕のみで「7月にドイツが降伏してヨーロッパの戦争は終わったのに、太平洋では日本がまだ、負け戦を続けていた」と伝える。
戦争にピリオドを打った原爆投下という暗喩。アメリカ的視点だ。
そして、トリニティで史上初の核爆弾が投下される。その映像に続いて、ポール・ティベッツの長いインタビューへと続く。
この映画の公開は1982年、僕はもちろんリアルタイムで見ることはできず、マイケル・ムーアが有名になってからリバイバル上映された機会にも見れなかった。今、イランや北朝鮮の核の雰囲気の中、DVDで鑑賞。ナレーションも音楽も使わず、当時のニュース映像やアメリカ政府の広報フィルムを繋ぎ合わせたエディトリアル・ドキュメンタリーの本作は、第二次世界大戦のホット・ウォーから、米ソ間のコールド・ウォーまで、「核」がどう浸透し、どう理解されていったかを淡々と伝える。
1945年8月6日、エノラ・ゲイに乗り込んだポール・ティベッツは、ルーティン・ジョブとして広島に爆弾を落とした。アトミック・ボムとは言わず、ただのボムとして投下した。快晴の広島上空に至るまで、彼は操縦席を立って、魔法瓶からコーヒーを飲んだ、と語っている。トリニティの実験に続く、初めての原子爆弾の使用。ヒロシマの惨劇は今でこそ明らかだが、当時どうだったのか。戦争が終わったと騒ぐアメリカ国民の映像、テロップでは「PEACE」の文字が躍る。
原爆。僕がそれを歴史としてではなく、現実として記憶しているのは、南太平洋でフランスがおこなった核実験。それから数年後、インド、パキスタンの両国も核実験を行っている。そして、今だ。
ウラン型の広島、プルトリウム型の長崎。3日をおいて二度も立て続けに落としたアメリカには、「実験的」要素が濃厚だ。原爆投下からの詳細な調査にもそれが現れている。今さら、戦争を終わらすためというのは詭弁だと鼻息をあらくするまでもないだろう。そんな詭弁が出てきたのは、アメリカ政府が国民に、いや世界に、この兵器の恐ろしさをしっかりと伝えていないことにある。とにかく抽象的に、原爆投下で日本が降伏した。だから平和になったという、風である。
それから数年、核実験が何度も行われる。同時進行的に米ソ二国間(資本主義と共産主義)に鉄のカーテンがしかれ、、、ソ連が核兵器を持つと、原爆ではなく水爆を!と政府の広報フィルムは扇動する。今からみれば可笑しいほどの広報。放射能は恐るに足らず、、、など・・・。子供向けには、甲羅をもった亀をキャラクターに用いて、「Duck and Cover」を繰り返す。つまり、原爆が投下されたら、さっと隠れて頭を覆えという避難訓練並みのビデオ。仕舞いには核兵器用シェルターを装備した家がうれていく。
第二次世界大戦の終結から40年弱、冷戦という長い緊張状態で、アメリカという大国が、こんなことを広報していたのかという「おかしさ」。それと同時にぼくはおもう。この時代、核兵器は「使用」する可能性を持った、確固たる恐怖であったのだろう、と。
現在はどうも、相手も持つから自分も持ち、その緊張状態で均衡を保つ。言わば、使わない(使わせない)ために核兵器を持つ時代だ。
どちらにしてもばからしい。ブラック・ユーモアたっぷりに、アトミック・カフェには非常食が並ぶ。信号無視したアトミック・キャブが突如襲う。そして、アトミック・ボムは、想像できないほどの恐怖で、地球を襲う。
見終わった後、あのキノコ雲が頭から離れない。いくつのシーンでキノコ雲が出てきたか。そしてふと、終戦50周年を祝う記念切手に、キノコ雲のデザインをしようとしたアメリカ人がいたっけと、おぞましく思う。「しょうがなかった」なんて防衛大臣のいる国もしかりだが。
これを好きな映画にあげるには躊躇いがあった。なんというか、みて良かったなとは思うが、何度も繰り返し見たくはない。だけど、これを見て「考える」ことは大事にしたいなとも思う。
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アトミック・カフェ
The Atomic Cafe
1982年 (アメリカ)
監督:ケヴィン・ラファティ、ジェーン・ローダー、ピアース・ラファティ