「折り畳みの傘」に「乾燥わかめ」。
必要な時にだけ大きくなる、のが好きという大日本人、大佐藤。
彼は、「獣(じゅう)」と闘い日本を守っている。のに……、6代目の宿命か?世論は彼に冷たい。庶民的な部屋で自炊しつつインタビューに応える大佐藤、離ればなれになった妻、そして娘の話。重い口調のそんな時、窓ガラスに何かが放られ、割れる音。映画的手法なんだろうが、そんな小手先の技は必要ない。この映画は、松本人志がとった映画「だから」面白いし、僕は好きだし、いい映画だと思う。そんな風にして好きな映画が出来たとしても、いいと思う。

大佐藤は言う、「生き物と生き物が闘って、そして弱い生き物が死んでいく様を生き物たちに見せる文化」を守りたいと。それを「カブトムシをおもちゃだと思っている、コントローラーで何でも片づくと思っている世代」に見せたいと。伝統という言葉を使う。祖父も父も大日本人だった。電気を浴びて大きくなる家系。彼は、おじいちゃん子だ。父は欲張って電気の量を増やし、もっと大きくなろうとして死んだ。それに比べると、今、認知症になってしまった祖父は「粋」だと。

ただ、この祖父の行動は恐ろしい。認知症になった精神と、自分のもっている大日本人としての身体的力のバランスが崩れているのだ。空港に行ってプロペラ機を持ち上げ、扇風機の前でやるように「あ”〜あ〜」なんてやってみたり、目隠ししてガスタンクをスイカ代わりにスイカ割りをやってみたり。それで強まる大日本人への世論の批判。マネージャーが「スポンサーがつかない」と嘆く。大きくなった大佐藤の胸や腰、首なんかに広告が付けられている。そうやって儲けては新しい車を買う人がいる。

忘れられていく伝統や金に群がる人。そんなモノに対する風刺。これを文字にすると重いし、阿呆くさい。そういうのをひっくるめて、フッと鼻で笑えばいい。そういう映画だ。

例外は板尾とのからみ。あそこは、完全にコントだった。

ストーリーの根幹をなす部分は、獣との闘いで勝利していく大佐藤の前に、突如現れた謎の獣。情報がまったくないが、とにかく強い。大佐藤は、鼻をいっぱい踏まれ、勝てないとみるや逃げ出していく。かなわない相手。北朝鮮のニュース番組が、そんな大佐藤の様子を伝える。二度目の闘い。やはり怖くて、逃げ腰の大佐藤の前に、祖父が現れた。強いし、頼りがいがあるし、信頼していた祖父。日本人の持つ、「いい時代だった」という象徴であるかのような祖父は、初めこそ期待させるが、すぐにやられてしまう。とどめを刺したのが、逃げようとする大佐藤であるあたり、監督のメッセージが強い。

最終的に、そんな情報のない獣を倒すのは、アメリカのヒーロー一家。大日本人である大佐藤は、ただみているだけだった。アメリカが倒す敵、それに守られる大日本人。この構図。

この映画に不満があるとすれば終わり方だ。面白かったので二時間近い上演時間も短く感じる。が、「え?終わり?」という煮えきらなさ。これは「第一回監督作品」とわざわざ銘打たれた理由か?次がある、と。アメリカのヒーロー一家の「反省会」のシーンは、どっちつかずな感じが否めない。ま、楽屋でのダメだしという風を表現したんだろうけど。

この映画、何度も見て、何度も見て、楽しめる「罠」がたくさんあるように思う。それだけの価値は、十分にあると思う。あまり松本人志だからと期待したり、無理に遠ざけたりしなければ・・・。



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大日本人
2007年(日本)

監督:松本人志
出演:松本人志、UA、竹内力、板尾創路、神木隆之介 ほか