ものすごく、上質な映画だった。

ケルアックの名著を、日本でも翻訳者違いで2回も出版されているバイブルを、なんで今更わざわざ映画化?という疑問に、完全に応える世界感。

ザ、ロードムービー。エンドロールで流れるクルーの多さ。ニューヨーククルー、ロサンゼルスクルー、デンバー、カナダ、メキシコ、アルゼンチン。ものすごい数のスタッフが関わって出来上がった映画だということが分かる。

ディーンという人物に出会ったサル。父親を亡くし、どうもピンとこない生活をする若き作家。ニューヨークでの日々がディーンと出会って変わる。サルとディーン、そして同性愛で詩人、ランボーのようなカーロ。二十歳そこそこの若者が、飛び出し、あがき、はみ出しては暴れる青春。

とても恥ずかしいぐらいに、ストレートな表現だ。

音楽があり、酒がありマリワナがあり、車があってセックスがある。

バーン・バーン・バーン。

「僕にとってかけがえのない人間とは、なによりも狂ったやつら、狂ったように生き、喋り、すべてを欲しがるやつら。ありふれたことは言わない、燃えて、燃えて、燃え尽きる  夜の花火のように」

サルにとって、「家」を探す旅でもあった。ウエスト。この甘美な響き。ニューヨークに住んでいる者にとって、1949年から50年の戦後、この時代(ビート・ジェネレーション)にとってに「西」。

ニューヨークからロサンゼルスに至るまでの途上で重要な地、デンヴァー。ディーンが父親と別れた場所。

スピードを上げる車、汚いフロントガラスから見る「ロード」。人生は路上にある。そんな暮らしを描きながら、この映画が言いたいこと。

それは、パワーと終焉だと思う。

終焉は、例えば始まりと言えるかも知れない。

西に行っては、いろいろあって、恋もして、セックス&ドラッグ。そんな日々に一段落つけてサルはニューヨークに戻り、その日々に物足りなさを感じて「南」=メキシコに向かう。

西に行っても「終わる=始まる」ことができず、未開の地、メキシコに何かを求める。

そこで赤痢にかかったサルは、旅を終える。一つの終焉が、大人(というか青春後)の始まり。

ディーンは、子供ができたにも関わらず、なかなか「諦め切れない」。妻が多くを諦めたのに、退屈に「死にそう」になる。だけど、子供がカワイイ。家庭に戻りたいが、退屈は嫌。そんな葛藤の中で、サルと一緒にメキシコにいき、妻のもとへ変える。

数年後、タキシードを着てタクシーに乗り込むサルの前にディーンが現れる。

まだ、終われず、始められない彼の姿。それと対照的なタキシードのサル。

劇場でみるべき作品だと思う。

ユーモアあり、壮大さあり、そして、音のひとつひとつをしっかり拾ってくれる劇場で見ると、何倍にも世界感が広がる。

僕は本の読み、その世界を正直知らない世代だ。よく似た話も聞く。が、圧倒的なのは、映画のような話が、実は当時、実際にあって、バロウズなんて作家も実存している以上、それは小説よりも奇なる現実で。

それを記した原作の世界を、ここまで完全に映像化されると、本物のパワーというか。「はいはい、よくある、その類いのあれね」と、一蹴することなんてできない何かを確実に感じることができた。

そんな映画だった。

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オン・ザ・ロード
2012年(フランス・ブラジル)

監督:ウォルター・サレス 
制作総指揮:フランシス・フォード・コッポラ
原作:ジャック・ケルアック
出演:サム・ライリー、ギャレット・ヘドランド、クリステン・スチュワート、エイミー・アダムス、
トム・スターリッジ、キルステン・ダンスト、ヴィゴモーテンセンほか