好き嫌いの別れる作品だと思うが、個人的には好きなテイストの映画だった。これだけ静かな映画を、音響の整ったテアトル新宿で見たというのも、ラストのつかまれ方に影響したように思う。
登場人物のすべてが、それぞれに抱える、誰かの「不在」。
ストーリーは、幼い時に生き別れた父と主人公の息子の視点で展開される。息子・卓役の森山未來、父親・陽二役の藤竜也。この作品は、二人の演技の妙で成り立っているともいえるだろう。それほどまでに、二人の演技は素晴らしかった。
そして、時系列を巧みに操り、言葉に出さない「セリフ」を表情と客観的事実だけで観客に伝える脚本の妙も、素晴らしかった。
認知症の父親が、背広をパリッと着て、髪も整えて玄関を出ると、警察官に囲まれる。そんな始まりから、父と息子、とりわけ息子の知らない時代の父が明かされていく。
学者でバリバリ働いていた父・陽二には、後悔して止まない女性。直美がいた。直美と再婚した陽二は、常に自分の中だけの正解で、いろんなことを決めていく。いや、それはすべてにおいて「決めつけていく」。そんな陽二と直美の間に修復不可能な亀裂。それは、陽二の認知症からくるものだったが、自分の書いた言葉の喪失。直美にとって、すべてをゼロにする出来事で、直美のなかにも、「あの頃の陽二」の不在が表現されている。さらに、直美の元家族(息子)にとっての、母・直美の不在。
そして、卓と陽二の二人の距離感。そこに、真木よう子が卓のそばで絶妙だった。今、目の前にいる認知症の父親に対する、卓の眼差し。言いたいことは、ほとんど何も口にしない息子の眼。幼いころに、何があって、こうなるのか。もしかすると、何もなさ過ぎたことが、こうなるのか。施設のロビーで面会する森山未來と藤竜也のやり取りは、じりじりと迫るものがあった。
卓が演じる、舞台のシーンも、終盤に差し掛かっていいスパイスになっていた。よく考えると、今、認知症の父の前に座って黙っている息子は、現代アートのような舞台俳優なのか、ということを考えると、合点がいくほどの眼だな、など。
そんな風に、静かに、とても静かに、流れる中で、陽二が声を上げるシーン。直美に向けて叫ぶ言葉は、もちろん彼の中の直美の不在を嘆くが、もしかすると、自分自身の不在も、叫んだのではないか。
卓、陽二、直美の中にある不在。セリフのないところに、いろんなことが詰まっている作品だった。
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大いなる不在
2024年(日本)
監督:近浦啓
脚本:近浦啓 熊野桂太
出演:森山未來、藤竜也、真木よう子、原日出子他