点と点を繋いで進行する時間のはずが、ある時とある時の2点をただグルグル輪を描いて回っているような……モラトリアム。行定監督にとって、この作品は「ロックンロールミシン」「きょうのできごと」に続くモラトリアム三部作の完結編と位置づけられる。これら三作品に共通するのはどれもしっかりとした原作があるということだ。この作品の原作、吉田修一著「パレード」は、著書として素晴らしかった。そして、それが映像化されて思ったのは、怒濤のラスト、ストーリーを知っていても「グーッ」と迫ってくる言葉いらずの圧倒的なパワーにある。

最初に言ってしまうが、この作品は素晴らしい。そして、この後、かなり内容について記している。

まず、この作品には印象に残る台詞がいくつもある。一番印象深いのは「真実って言葉に、どうも真実味が持てないんだよな」。


2LDKで4人の若者が共同生活をしている。なのに4人ともが孤独。彼らは、接点のない別々の外部を持っており、それとはまったく別の居場所をこの共同生活に求めていた。居たければただ笑っていればいいし、嫌になったら出て行けばいい。何の締め付けもない、なあなあの生活。


先輩の彼女に恋した大学生・良介は、島根の実家を出て上京した。東京で暮らし始めた「あの頃」の友達。その友達が死んだ。それを聞かされたのは伊豆への旅行の誘いのあとだった。自分の意識の中で「伊豆への旅行」を膨らませ、友達の死を隅へ追いやろうとする。彼女をつけ回し、勢いで抱き合い、一晩をともにしながら、突如、友達の死に涙する。

人気俳優と秘密の逢瀬をつづける琴美23歳。彼との恋愛が全ての琴美は妊娠が分かると中絶することを決める。

おかまバーに通う女性イラストレーター未来は、レイプシーンを集めたビデオに「頼る」生活の中でギリギリのバランスを保っていた。この生活から生まれる甘えがまるでモンスターとなってはびこる共同生活。その甘えの中で見て見ぬふりで過ごす毎日。そこに終止符を打とうとするのだが。

映画配給会社勤務で健康オタクの直輝。28歳と一番年上で、誰も彼もが彼に頼る。「みんな知ってるんじゃないかな」という彼にとっての秘密を抱えながら、未来や琴美のために奔走しながら、、、

そんな4人がいかに上っ面の「接点」しかもたないかを示すのは、ある日部屋にやってきた謎の男の子サトル。男に体を売る未成年の彼は「俺が一番まともだよ」と言う。なぜか落ち着ける共同生活。未来の本心を突き動かす行動に出たり、直輝に決定的な一言を突きつけたり。かなりのキーパーソンとして描かれている。


一つの「現在」が繋がるユニバースと、現在がいくつも存在するマルチバース。それはリアルとバーチャルということではなく、どちらも「現実」で、それが平行してあるだけ。サトルも含めた5人が、すがるように続けるこの共同生活が、まるですべて忘れて陶酔できる〈パレード〉のようで。

ある日、そんな生活も一気に終焉するかと思わせる。このストーリーで、共通の「現実」として語られるのが近所で起こる連続傷害通り魔事件。その犯人が誰なのか。これは彼らの住む部屋の隣が売春宿ではないかという「疑惑」と同時に謎をのこしたまま進行していく。

豪雨の夜、雷。いつものようにぼんやりした時間が淀む2LDKの部屋。雨に濡れ、全てを「終わり」にしようと飛び込んだ直輝に向けられる3人の眼差し。(伊豆へ行こう)。

このなあなあの甘えを共有しつつ「依存」する生活は、彼らの〈パレード〉は、まだ終わらせない。

未来は言う、「直輝も来るでしょ?」


様々な問題を抱えて、それを隠しながら暮らしていく都会の若者。そう言ってしまえばありきたりなストーリーだが、一つ一つがあまりにも静かで、あまりにも退屈に満ちて、誰もがすべてを先延ばしにしようとする現実。その現実とは別の次元で、彼らは〈パレード〉を続けていく。

通り魔の犯人は誰なのか。そんな真実すらも、真実味のない生活を、この作品は見事に描ききっているように思う。


→ CinemaSに戻る


パレード
parade
2010年(日本)

監督・脚本:行定勲
原作:吉田修一
出演:藤原竜也、香里奈、貫地谷しほり、林遣都、小出恵介ほか