「十人の真犯人を逃すとも
一人の無辜を罰するなかれ」

この映画は、冤罪をテーマにした?いや日本の裁判という制度の現状を扱った、実話をきっかけに描かれた作品。“そもそも裁判所というのは、事件の真相を明らかにする場所ではないのか”という根本的なところをついている。監督は、今の邦画ブームの火付け役といってもいい周防正行氏。相撲界や坊さんや社交ダンスをコミカルに描きながら、ここにきてガツッときたな、という感じがする。

99.9%が有罪という日本の裁判の現状。痴漢行為で苦しむ女性側の視点。そして、忙しすぎる裁判官の、「とりあえず」的な業務。それらの混合で生まれる冤罪。この作品の中では、主人公金子撤兵が痴漢行為をしたのか否かは明確に描かれていない。ただ、本人が否認を続けているという体。味方を換えれば、どうとでもとてるところが、周防監督の素晴らしいところ。

さらにいうなら、弁護士に役所広司と瀬戸朝香がキャスティングされているところも、なんというか落ち着いて見られる。もちろん、痴漢を疑われ、それを否認し続ける青年役に加瀬亮はぴったりすぎるが。竹中直人は、周防作品のスパイスとして、いつも良い味がする。

さて中身。まず、映画の構図を簡単に言うと、15歳の少女が被害者で、26歳のフリーターの青年が被告というもの。ここになんらかの意図があるのは間違いない。仕事にもつかない男、部屋にはアダルトビデオ、友人は会社に勤めてもいない“どこにでもキャップを被って出かけてしまう”若者。「だから……」という決めつけ。そこに被害者はか弱い女子中学生で、この事件以後、怖くて電車に乗れないという。なんて卑劣なんだ!という方向に話が進んでもおかしくない。が、この映画は、一貫して「冤罪なのに長々拘留され、保釈に200万円ものお金がいって、やってないのに一年に及ぶ12回もの公判をしなければいけないという面を主流に描いている。お金がかかるうえ、精神的にも追い詰められ、あげく、有罪という判決。そんな日本の裁判でいいのか、と。

ある朝、満員電車に飛び込んで、ドアに挟まったジャケットをきにしてモゾモソしていたら……。駅について降りたら痴漢だと言われ、警察に行き、持ち物を調べられ、下着一枚にされ、牢屋に入れられ、、、信じられないスピードでどんどん追い詰められる。国家権力って恐ろしい、法的処置って逃れようがないなと怖くなる。

なってないことの証拠。そもそもそんなものをしめすのは、空っぽの皿の料理の味をいうのとおなじ。「ないのだ」。なのに、起訴されて裁判が始まると、やった証拠とやってない証拠をぶつけあう検察と弁護側。なんだ、、、これ?と客観的に首を傾げている場合ではない当人はどんどん追い込まれ。そうしながらも、「やってない」という真実がある限り有罪になんてならないと思っていると、、、

判決は、有罪。懲役三ヶ月。

主人公は言う、
「裁判は真実を明らかにする場所ではない。
裁判は、被告人が有罪であるか無罪であるかを集められた証拠で
とりあえず判断する場所にすぎないのだ。
そしてボクはとりあえず有罪になった。
それが裁判所の判断だ。
それでも、それでもボクはやってない」

明日は我が身的な身近な題材に加え、毎朝、密着度70%ぐらいの電車に詰め込まれている自分を、、、少々心配したりする。

両手、あげとかないとな、とか、乗り込むときは背中からだな、とか。

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それでもボクはやってない
2007年(日本)

監督:周防正行
出演:加瀬亮、役所広司、瀬戸朝香、山本耕史、もたいまさこ ほか