自主制作で作られたこの映画。まずはこのタイトル、「ずぶぬれて犬ころ」というのにひかれた。そして、住宅顕信という俳人を知った。
         
         若
         さ
         と
         は
         こ
         ん
         な
         淋
         し
         い
         春
         な
         の
         か

夭折の俳人が、すべてを俳句に捧げた25年という短い人生。その「過去」が「現在」とリンクする。渋谷のユーロスペースで鑑賞した2019年6月26日。平日の昼、12:25からということで、客は十人弱で、そこに本田監督が自ら舞台挨拶に立った。そして、見終わってすぐ、私はこうつぶやいた。「映画、ずぶぬれて犬ころ。ずぶぬれるまで、犬ころになるまでの、なんだろ、見せたくないものを隠している間のもやもや。面白かったです。春風の重い扉だ(住宅顕信)」。そしたら、すぐにリツイートされた。この映画を、同郷の俳人を描きたいという監督の思いを感じる作品だ。

さて、作品はいじめられっ子の小堀明彦の中学校のシーンから始まる。現場に居合わせた教頭先生と小堀という生徒の出会い。それは、言葉がつなぐ関係だった。いじめられっ子は、その事実を隠す。遅くまで働き、コンビニ弁当を毎日買ってくる母親にも、隠す。自分を「別に、普通」と見せようとする。教頭は、若い頃の教え子、住宅美春について小堀に話して聞かせる。中学を卒業し、働きながら調理師学校に行き、5歳年上の女性と付き合い、妊娠・中絶。そして調理師資格を取るも、岡山でゴミ清掃員をし、そして、僧侶になる。僧侶、顕信。結婚して、子供をもうけ、春樹と名付ける。それからの俳人生活。小説や哲学にもはまるが、俳句は特別だった。5・7・5にとらわれない自由律俳句を詠み、尾崎放哉に傾倒。白血病で入院生活が長引き、その中でも俳句の世界を広げようと奮闘し、かざるだけの(うわっつらの)言葉ではなく、自分からにじみ出てくる言葉を書きたい、と。近づく死に対して、もがき、両親、妹、息子に囲まれながら、必死で言葉を詠んだ人生。25年の人生で281句しか残せなかった。詩集「未完成」は、そんな彼の、【全て】が詰まっており。

何十年も経った後、一人の中学生、小堀の人生は、教頭からその詩集をかり、読み、のめり込むことで変わる。「あけっぱなした窓が青空だ」「父と子であり淋しい星を見ている」。劇中で現れる俳句が、どれもものすごいパワーを持ち、少年をかき乱す。そして、突き動かす。

屋上で、いじめられ、雨が降り、ずぶぬれで、小堀は立ち上がり、いつものように「何もなかったこと」にしようと片付けるのかと思いきや、屋上のヘリまで行き、飛び降りようとして、それでも思い直して、叫ぶ。

         ず
         ぶ
         ぬ
         れ
         て
         犬
         こ
         ろ

ずぶぬれで叫ぶ少年から、急にこのタイトルバックが出る。ドキッとする演出だった。少年は、いつものように遅く帰ってきた母に、言う。「中学校、止める」。ごめんという息子を、ごめんという母が抱きしめようとすると、するりとかわして、少年はコンビニ弁当を食べる。逃げて、隠して、弱々しい少年が、意志をもった。犬ころは、ずぶ濡れになって、強くなった。小堀は、教頭に借りていた住宅顕信の「未完成」を返す。中に、「僕も未完成です」と書き残して。



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ずぶぬれて犬ころ
2019年(日本)

監督:本田孝義
出演:木口健太、森安奏太、仁科貴、八木景子、原田夏帆
   田中美里ほか