「残り、あとどのぐらいかと」
50歳になりました。50年前の今日、私は京都で生まれました。聞いた話では、50年前の今日、母は洗濯物を洗濯機から取り出している最中に陣痛が来て、病院へ行ったらしいので、50年前の今日のこの時間(午前7時)はまだ、生まれてはなかったと思われます。
まだ20代だった母が、そんなに早く起きて洗濯物をしていたとも思わないので、おそらく午前10時かその辺りなんだろうと思います。私には兄が居て、7歳差。つまり母にとっては、7年ぶりの出産だったということですが、難産だったというエピソードは聞いたことがありません。
私には生家での暮らしの記憶はほとんどありません。聞いたり写真で見たりして記憶にあるように勘違いしているだけで、はっきりと覚えてはいません。ただ、車の排気口からでる匂いが好きで、鼻を近づけて嗅いでいたので、近所では、車をバックするときは私がいないかどうかの確認がマストだったそうです。
幼稚園に入った時には、確実に記憶のある家(育った家)から通っていたので、4歳か5歳か、その辺りには引っ越してたと思います。幼稚園へはバスで通っていた記憶がはっきりあります。近所の公園が待ち合わせ場所で、朝、公園からバスに乗って、午後、公園までバスで帰ってきて、母が公園に向かえに来てくれていました。
45、6年前の記憶なのに、カラーでばっちり記憶があるなんて、ほんと人間のメモリー機能ってすごいです。小学校は学区の端っこで、市バスでの通学でした。子どもごころに、バスの運転手さんを毎朝見ていたので、あの頃、将来はバスの運転手さんになりたいと思っていたのを覚えています。
私が7歳か8歳、つまり1983年頃の日本の気候は、今と違ってずいぶんと夏も涼しかったです。夏休みには朝ラジオ体操へ行き、ご飯を食べたら近所で遊んでいました。朝は木陰が涼しかった記憶があります。ちょうどエアコンの効いた部屋の、ベッドのシーツのように心地良く、ジャンプを読んだり、キン肉マン消しゴムを見せ合ったり、ビックリマンシールを集めたりしていました。
ただ、小学2年生から少年野球チームに入ったので、休日は練習三昧、休日に近所で遊んだ記憶はありません。本当に、昭和って、朝から晩まで必ず練習があって、考えたらボランティアでコーチや監督をしてくださっていた方の苦労に感謝です。当時は、練習、たまには休みにしろよ、と思っていたこと、すみませんでした。
40年前、1980年台の後半は、とにかくイケイケドンドンで日本って裕福だった(らしいです)。小学6年生の年始、昭和から平成へと移り、私は昭和63年度最後の小学卒業生で、平成最初の中学入学生です。13歳からTeenを平成で始めました。
野球ばかりしていた小学生時代から、中学になると野球部に入りつつも、ほかの部の友だちもできて、音楽やアートなど、詳しい友だちから教わって、刺激されて、その後の私の人生に大きな転換点にもなったりしました。
高校は公立高校へ進みました。今私の息子が、ちょうど「そこ」にいるのかと思うと、時々不思議に思います。35年も前のあの頃の(中学の頃の)感覚が、今でもついこの前のコトのように鮮明に思い出されるからです。
あの頃、私が中3で、そこに居る自分への不満。とにかく外へ出たかった記憶。鮮明に覚えているのは、映画を見まくっていて、ニューヨークに一秒でも早く行って住みたいと思っていたこと。
高校三年間は、自分の人生の中で最もつまらない期間でした。その次につまらなかったのは中学3年間で、この6年の失敗を取り戻すように、特に、大学に入って、一人で海外へ旅に出始めてから、人生が大きく変わりました。
人生の半分以上を、私は旅をして謳歌しています。その旅を通じて、人生を分厚くしています。そんな旅に20歳を前に出会えたことに、本当に感謝しています。
私は、旅をしてきました。ホームステイで数ヶ月の旅もありましたが、多くはバックパッカーでした。30歳になるまで、追われるように、旅に出ては、いろんな人と出会いました。いろんな人に出会うように生きていました。
30歳になってからの20年は、結婚をして、子どもを授かって、家族を中心に生活したコアな10年を含めて、間違いなく、私の人生の中で最も幸せな期間でした。自分の中心が、自分から子どもへ変わる自然なシフトも、今から考えれば非常に不思議ですが、とてもスムーズでした。
子どもが出来てからの年数は、子どもの成長が、自分の過去と重なり、自分の新しい年齢の経過は、息子の新しい経過と合致するから、なんというか、家族だけの時間となって、私は私が子を授かるまでの時間しか、息子の時間と単純比較できない不思議を感じます。
35歳で子を授かった私は、息子が35歳になるまで単純比較できますが、もし仮に、18歳で息子を授かっていたら。単純比較は自分が36歳の時まで。50になれば息子は32歳になってるんですよね。すごい人生だなぁと思いつつ、、、
今、50歳の誕生日を迎えて、妻と息子からお祝いされて、じわ〜っと沸き上がる幸せの汁に浸りながら知る全部が、ものすごく暖かいです。ほかほかしててふわふわです。ありがたいなぁと思ってばかりです。
今年の誕生日で15歳になる息子。私のつまらなかった15歳から先、とても充実して、15歳の頃には想像も出来なかったその後の人生がありました。息子にとって、今から先が、どうなるのか。今の時点では、本当に未知です。
一方で、50歳から先の私の人生。40の時にはなかった「残された人生」という感覚が大きいです。60歳まであと10年、65まで働くとしてあと15年。75歳まで生きるとして、あと残り25年。40歳から50歳なんて10年しか違わないのに、まるで10歳と20歳のときの10年のような大きな差を感じます。
50歳。孔子の曰うところの天命を知る歳です。今、ここにいることを自覚して、そのことを受け入れる歳。同時に、残りが見えた歳とも思えます。これからの道が未知でなくなったわけではなく、ただ時間としての残りが見えただけです。
残りをどう過ごすか。どんな風に創っていくか。明日、何があるか分からないのが人生です。その中で、明日、何をどうしたいかを積み上げていくのも人生です。あと、残り、、、。この先に私が入れたい言葉は。
〈楽しむ時間〉。残りの時間を全部楽しむ。その楽しみ方は、どんどん変化していくんでしょうけど、旅というキーワードは、変わらないような気がします。これからも残りの人生、旅したいと思います。
と、ここまで記して、今日は息子の部活の大会でした。引退を前にした大きな大会で、見事、優勝しました。1年生の時、優勝できたらいいなぁと言っていた大会です。あれから打ち込んで、時間を費やして、見事に本当n優勝を勝ち取りました。いや、何にも勝る誕生日プレゼントをもらいました。
おめでとう、息子よ。ありがとう、家族。
2026年5月24日
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