「子ども達に、第3の場所の提供を。」
京都を離れて三十年弱、南丹市という名前に聞き覚えのない私は、それがどの辺りを差すのかもピンと来てなかったのですが。園部とか美山の辺りが合併してできた市だと知り、はっきりと地理的にもつかめ。だから別荘地だとか山間というのも合点がいきました。
京都市の北側、丹波との間に面積のだだっ広い南丹市が誕生し、人口の割に面積が広いので、小学校が合併され続け、通学距離が遠くなりスクールバスで通う児童も多いといいます。先月、南丹市立園部小学校で行われた卒業式の日、小学5年生だった児童が、父親に送られて学校へ行ったにもかかわらず、そこから行方不明になったというニュース。
不可解な点が多く、突如消えたというセンセーショナルな事象から、各テレビ局、新聞、週刊誌、ネットニュースが一斉にその児童の顔写真を掲載。その顔は瞬く間に世界中に広まりました。行方不明だから、顔、服装、身長、体型などが公開されるのは当然だとしても、その頻度は驚くほどでした。
これだけ、いち個人の顔写真が、世界中に広がるのがネット社会かと、怖くなったりもしました。二週間以上進展のないまま、行方不明の児童の無事を祈り続けていましたが、今週、事件は一気に動き、靴の発見、そしてご遺体の発見。続けざまに継父の逮捕となりました。
11歳の少年の死。両親の離婚を機に実の父親と離れて東京から京都の南丹市へ移り住んだ少年。母方の祖父母と暮らし、明るく元気、人懐っこい性格だったそうです。母一人、子一人。そして協力的な祖父母との幸せな暮らし。報道では、そういう日々を伝えています。
カッとなって衝動的に首を絞めて殺した。殺人容疑で逮捕された継父は、そう自供しているようです。11歳の人間を、衝動的に、死ぬまで首を絞め続ける。その行動にもまた、不可解で信憑性がないようにも思えるほど、事件は何も解明していない時点で、私はこれを記しています。
11年間の彼の人生は、「殺害された被害少年」として世界中に、これでもかというほどに、知らしめられるだけのものではなかったはずです。楽しく元気で、幸せだった日々の方が多かった。それが大半だった、と信じたい気持ちです。
両親の離婚。今や3組に1組が離婚する時代で、その離婚した夫婦の半分に、未成年の子どもがいるといいます。離婚するのも、再婚するのも、子どもに聞いてから、子どもも納得の上で、とよく聞きますが、現実的にはあり得なく、結局、子どもはその境遇へと、ついていくしか無い訳です。
子どもにとっての継父は、他人。もちろん、継父にとっての連れ子も他人である関係の中で、多くの家族は良好に家族生活を送っていると思いますが、実際に、今回のケースのように上手くいかない場合、さらには殺害という最悪のことまで起こってしまうのも事実です。
子ども達に、第3の場所の提供を。私は、アメリカにおける少年犯罪を大学時代に研究し、その頃から、ずっと思っていることです。子ども達における家族(家庭)は、聖域化されすぎていると。そして、学校、友人関係、地域社会という家族以外に触れるコミュニティは軽薄化しすぎていると。
子ども食堂は、私の考える子ども達への第3の場所に非常に近いです。「なんで」「なにが」「どんなふうに」という〈理由〉を説明しなくても、ただ、居ることができる場所。言いたくなったら、言いたいことだけ、言えば良い場所。
家庭の崩壊、学校での孤独、地域社会での孤立。そんな境遇で、耐える未成年がいるのは確かなのに、あくまでもご家庭で、もしくは学校の先生が、警察が、役所が、と責任をたらい回しの現状。第3の場所は、急がれるところだと思います。
これをネット上に求めてしまっているのが現状なんですよね。だから、変な事件が多く、危険性が高いんですよね。ネットは嘘だらけ。今回のこの南丹市の事件でも、継父の情報しかり、見事なまでに嘘だらけで、挙げ句台湾のテレビ局は、その誤報をそのまま伝える失態まで起こしました。
対面で、呼吸の温度を感じられない場所(人)では、私の考える第3の場所になることは難しいと思います。そして、ここも肝心なのですが、第3の場所は、未成年全員を対象に、ひとつにくくれないということです。A君にとってはスポーツチームが、B君にとっては子ども食堂が、はたまたC君にとっては公共の図書館が。
それぞれの子どもの足の向く方向に、広く受け入れ体勢が整うことが重要で、それぞれが確立しすぎていないこと(どこにも行き場のない子が行くところというイメージに繋がりやすい)も大切です。
学校の保健室の隣に、カラオケの一室に、満喫のエリアに、地域の定食屋に、河川敷のグランドに、駅の窓口の隣に。誰もが利用する一角に存在する第3の場所。〈理由〉を説明しなくても、ただ、居ることもできる場所。言いたくなったら、言いたいことだけ、言えば良い場所。
ここからは完全に想像です。この南丹市の少年が、それまでより母との時間が少なくなり、母は再婚相手の後の継父との時間を多く費やすようになる。祖父母も、そのことを良く思わなくなる。なのに、母は再婚して、自分の父親にその男がなる。その状況で想像する〈家族の会話〉。
この時、少年にとって相談出来る人は?母は、無理。祖父母も難しい。先生には話したくないとして、警察という選択肢もない。この状況での少年の「違和感」は、少年自身も言葉にしにくいかもしれず、もう、黙ってしまうような状況だったのかも知れません。
そこで、彼に「第3の場所」があれば。そんなことを考えては、本当に悔やまれる一人の少年の死です。
コンビニ、郵便局、歯科医、美容院、飲食チェーン店。日本全国津々浦々点在するそれらの〈場所〉に、当たり前のように(そういう)人がいれば、救われる子が多いのになぁ。
ただ、味方になってくれる可能性のある誰かがいるということだけで、大きく変わるのになぁ。息子の友だちにとって、そんな存在になれれば。息子にとっても、友だちのご両親がそんな存在になれれば。そういうギブ・アンド・テイクも可能性はあるのかなぁと思う次第です。
2026年4月18日
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